07 | 1990 | 大原亨 | おおはら・とおる | 74 | 元社会党代議士(広島選出)。党原爆対策特別委員会などを歴任。衆議院議員。 |
出典:『志あるところ必ず道あり』(大原亨追悼録・遺稿集発行編纂委員会、1991/08/06)
目次
大原亨 経歴 | ||
第1部I 社会保障の大原 | ||
第2部I 地元が語る政治家大原 | ||
第2部II 身近な人が語る大原像 | ||
第3部I 最後の論文 | ||
第3部II 国会における演説・質疑 |
07 | 1990 | 大原亨 | おおはら・とおる | 74 | 元社会党代議士(広島選出)。党原爆対策特別委員会などを歴任。衆議院議員。 |
出典:『志あるところ必ず道あり』(大原亨追悼録・遺稿集発行編纂委員会、1991/08/06)
目次
大原亨 経歴 | ||
第1部I 社会保障の大原 | ||
第2部I 地元が語る政治家大原 | ||
第2部II 身近な人が語る大原像 | ||
第3部I 最後の論文 | ||
第3部II 国会における演説・質疑 |
志水清
資料
『志水清教授退官記念 業績目録』(志水清教授退官記念事業会、19700815) | |
『広島大学原爆放射線医科学研究所附属国際放射線情報センター所蔵 志水清資料目録(原爆関係資料)』(広島大学放射線医科学研究所附属国際放射線情報センター、20100201) | |
参議院社会労働委員の現地調査
1.視察委員:参議院議員 谷口弥三郎、同 山下義信
2.視察日程概況
1月 | 時刻 | 概況 |
6日 | 14:20 | 広島県庁を訪問し、地自宅において副知事、民生部長、衛生部長、関係各課長から原爆傷害者対策の概況説明を聴取した後意見を交換し、又県側の陳情を聴いた。 |
15:15 | 県知事応接室 | |
15:30 | 市役所 | |
16 | 市役所会議室 | |
7日 | 10 | 市役所 |
11 | ABCC(原爆影響研究所)ロバート・エッチ・ホームズ所長 | |
13 | 日赤広島病院 | |
14 | ||
3.調査項目
<以下未入力>
谷本清
たにもと・きよし | 19090627生 19860928没 | 享年77 |
日本基督教団広島流川教会牧師。[50ヒロシマ・ピース・センター理事]。原爆乙女の米での手術実現などに尽力。86アキバ・プロジェクト」で来日した米記者、被爆牧師死去の記事(60行余)を掲載。AP通信を通じて米の各メディアに配信。[69原爆被災資料広島研究会]。『広島県現代文学事典』。教会で面談 |
資料
谷本清賞 | |
原爆手記追加 | |
谷本清「原爆とヒロシマ」(『住みよいまちを!通信』、発行:住みよいまちをめざす会(広島大学理学部付)、連絡先:広島大学工学部建築学科都市計画研究室 その1=通信第15号(1975.7.15)~その6=通信第32号(1979.3.15)完 |
原爆手記追加
19130511 | 19940714 | ユンク、ロベルト | 『広島県現代文学事典』 |
福井芳郎
ふくい・よしろう | 19120311生19741113没 | 享年62歳 |
[54世界平和集会世話人(発起)](画家)。原爆被災。[69原爆被災資料広島研究会]。 |
参考資料
1975 | 『あの日から30年 原爆画家 福井芳郎追悼展』(主催:中国新聞社、会期:1975年8月1日~6日、会場:天満屋広島店8階催場) | |
『灰墟の光 甦るヒロシマ』(ロベルト・ユンク著、原田義人訳、文芸春秋、1961年2月10日刊)
目次
目次 | |
Ⅰ 空虚と混乱(一九四五年) | |
書物 | |
原子砂漠 | |
大洪水のあと | |
孤児とやくざ | |
位牌 | |
Ⅱ 新たな開始(一九四六-一九四八年) | |
夢見る人 | |
たけのこ生活 | |
〈アトム・ボーイ〉 | |
〈杖さん〉 | |
Ⅲ 平和の町(一九四八-一九五二年) | |
わが道を行く人びと | |
こわし屋 | |
殺人 | |
八月六日 | |
草履 | |
Ⅳ 生き残った人びと(一九五二-一九五七年) | |
かまぼこ御殿 | |
救援の人たち | |
冷たい人たち | |
破滅にさからう二人 | |
エピローグ | |
訳者あとがきに代えて | |
<メモ >「1957年5月の末、・・日本を去ろうとしたとき、私は小倉薫という若い民間の学者と打ち合わせをした」 | |
187
献花(2019年6月)
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アジサイ(紫陽花) 撮影場所:自宅 撮影年月日:20190612 |
撮影日:日、場所:自宅 |
献花(2018年6月)
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撮影日:4日、場所:自宅 | |
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撮影日:4日、場所:実家 | |
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撮影日:4日、場所:実家 | |
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トウモロコシ 撮影日:4日、場所:実家 | |
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トウモロコシ 撮影日:4日、場所:実家 | |
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撮影日:4日、場所:実家 | |
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キュウリ(胡瓜) 撮影日:4日、場所:実家 | |
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ナス(茄子) 撮影日:4日、場所:実家 | |
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ドクダミ() 撮影日:4日、場所:実家 | |
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ポピー 撮影日:4日、場所:実家 | |
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撮影日:4日、場所:実家 | |
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撮影日:4日、場所:実家 | |
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撮影日:4日、場所:実家 | |
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撮影日:4日、場所:実家 | |
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ツツジ(躑躅) 撮影日:4日、場所:自宅 | |
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ヒメジョオン(姫女苑)の群生 撮影日:6日、場所:自宅と実家の道端 | |
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バラ(薔薇) 撮影日:12日、場所:実家 | |
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モモ (桃) 撮影日:13日、場所:実家 | |
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バラ 撮影日:15日、場所:実家 | |
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柿の実 撮影日:15日、場所:実家 | |
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撮影日:16日、場所:倉庫 | |
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アガパンサス 撮影日:16日、場所:倉庫 | |
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ニンニク(大蒜) 撮影日:16日、場所:実家 | |
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ノウゼンカズラ 撮影日:17日、場所:自宅から実家の散歩道 | |
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ヘチマ(糸瓜) 撮影日:17日、場所:倉庫 | |
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ホタルブクロ(蛍袋) 撮影日:17日、場所:実家 | |
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ハマユウ(浜木綿) 撮影日:17日、場所:実家 | |
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あじさい(紫陽花) 撮影日:20日、場所:自宅 | |
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コリウス 撮影日:20日、場所:自宅 | |
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撮影日:20日、場所:自宅 | |
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ファレノプシス( 胡蝶蘭) 撮影日:20日、場所:自宅 | |
撮影場所:自宅(標高:190m)・実家(標高:172m)・倉庫(標高:172m)(いづれも広島県呉市) |
今堀誠二先生略年譜
出典:『carnet 手帖 VOL.1 NO1』(1999.11.3)発行:水原肇
年月日 | 事項 |
19141027 | 大阪市天王寺区寺田町で出生 |
193903 | 広島文理科大学史学科卒業。同大学副手。 |
193905 | 外務省留学生として中国に出張。~12月。 |
194506 | 広島文理科大学助教授。臨時召集により10月まで軍務。8月中旬から1か月余広島市で被爆災害の救済にあたり、また、9月中旬広島市郊外大野町の台風災害により埋没した病院の発掘遺体収容作業に従事。このため兵役解除は同時入隊者より2か月遅れ、10月7日に除隊し、大学に復職。 |
195004 | 36才で文学博士。 |
195105 | 広島大学教授に昇進。 |
196602 | 外務省特別研究員。引き続きアメリカ国務省招待で5か月欧米に出張。 |
196902 | 外務省特別研究員として香港に駐在(~1945年4月) |
197103 | 内閣官房国際問題懇談会委員 |
197202 | 外国出張。台湾ほか東南アジア諸国。 |
197204 | 教養部長。大学紛争、総合科学部創設に当たる。 |
197304 | 外交問題懇談会委員。 |
197406 | 広島大学総合科学部初代学長。 |
197709 | 広島女子大学学長。広島大学名誉教授。 |
198712 | 広島女子大学学長を退任。同大学名誉教授。 |
198804 | 勲二等瑞宝章の叙勲。 |
199207 | 「谷本清平和賞」受賞 |
19921009 | 逝去 |
森滝日記
『中国新聞』連載 1984年1月1日~8月1日 200回
第部 | 見出し | 回 | 日記日付 |
1 | 運命の日 | 1~14 | 19170113~19460314 |
2 | 反核への道 | 15~30 | 19461203~19550803 |
3 | 世界への訴え | 31~50 | 1950920~11995590806 |
4 | 分裂の軌跡 | 51~88 | 19600116~19630805 |
5 | 被爆地の願い | 89~128 | 19630818~19690814 |
6 | 風化に抗して | 129~158 | 19700101~19741009 |
7 | 統一への模索 | 159~200 | 19750302~19820805 |