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国際交流基金(東京)より電話。内容:1995年スミソニアン博物館が、エノラ・ゲイを復元する。これを機に、原爆についての詳しい状況を調査したい。ついては、日本の研究者を紹介して欲しいとの依頼が8月に館長からあった。 |
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27 |
広島原爆資料館の話=国際交流基金からの電話には、戸惑った。スミソニアン博物館に被爆資料の現物を送って、変な扱いをされたら、市民の間から抗議がでる。現在市には余裕が無いので、費用の点も心配だ。 |
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05 |
広島原爆資料館より電話=資料館では、資料の貸出について検討している。スミソニアン博物館よりの問い合わせの経緯について詳しく知りたい。 |
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02 |
02 |
ハーウィット・スミソニアン協会航空宇宙博物館長より手紙(1月18日付)が届く。 |
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02 |
26 |
この週、スミソニアン博物館関係者来広の予定であったが、連絡が無いまま過ぎる。 |
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A新聞社より電話。スミソニアン博物館館長の4月上旬の広島入りについて、どう対応するか問い合わせ。よく解らないと回答。 |
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原爆資料および情報ネットワーク委員会懇談会。スミソニアン問題が話題になる。4月5日に放影研に関係者が来るので、一緒に会うことになる。 |
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04 |
広島平和文化センターより電話。スミソニアンの件について。明朝、広島市で会議を開き、態度を決める、資料を提供する方向で検討している由。 |
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放影研理事長室。ハーウィット(スミソニアン・航空宇宙博物館館長)とクロウチ(アメリカ歴史博物館社会文化史部門議長)と会う。 |
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広島平和文化センターより電話。放影研でのスミソニアンとの話合いの様子について聞かれる。 |
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スミソニアン博物館のニューフェルトより手紙が届く。資料の礼と5月下旬に来日の連絡。 |
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05 |
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スミソニアンのハーウィット館長より礼状が届く。 |
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05 |
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広島原爆資料館より電話。スミソニアン関係者との会合の日程についての問い合わせ。 |
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Bテレビ局より電話。スミソニアンの件。広島市は資料貸出に前向きの姿勢を示しているが宇吹が働きかけているのではないかと言われる。 |
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スミソニアン関係者(クラウチ・ニューフェルト・ジェイコブス)来所。広島市の対応が良かったらしく、こちらにあまり関心を示さなかった。前回のことがあるので儀礼的訪問だろう。 |
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C・D(広島原爆資料館)来所。スミソニアンから展示のシナリオが届いたので目を通して欲しい、委員会を組織し検討する体制を作りたいとのこと。 |
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広島原爆資料館の話=スミソニアンのシナリは、当初はひどかったが、資料を借りることが困難との雰囲気を察知してから、真剣に対応するようになった。 |
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スミソニアン企画案を一通り読み終える。 |
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宇吹の感想=スミソニアン展示問題は、重大な事件だと思うが、マスコミの取り上げ方にそうした認識が見られない。タブー視の可能性あり。被爆50周年後の見通しは暗いが、投げ出すわけには行かない。 |
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B(テレビ局)から電話(ワシントンから)。スミソニアン博物館問題に関してアメリカで世論調査を行ってみたいので知恵を貸して欲しい、とのこと。 |
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B(テレビ局)より電話。約1時間にわたりスミソニアン博物館の展示について話す。現在、スミソニアンと退役軍人の間で詰めの作業中。100万人の救った、いやせいぜい3100人ぐらいだろうなど。両者を取材するので、知恵をつけておきたい、とのこと。展示する時計を一つにする、戦後の核開発部分をカットするなどのスミソニアンの譲歩。どこまでの譲歩なら、貸し出すか。広島の資料によって伝えたいヒロシマのメッセージとは何か、などなど。 |
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E(長崎市役所)の話。スミソニアン博物館への資料貸出について、広島市は色々躊躇しているが、長崎市は積極的に貸し出す方針。 |
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F新聞社より電話。スミソニアン博物館の修正展示案に対する意見を聞かれる。積極的に応じるべき、と述べる。 |
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広島原爆資料館より電話。スミソニアン博物館問題についてはマスコミの方が詳しい情報を提供。日本訳が届いたらまた読んで欲しい。 |
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広島原爆資料館より電話。スミソニアンから資料が届いた。先ほど、記者発表。近々、コピーを届ける由。 |
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C・D(広島原爆資料館)、スミソニアンの修正展示案を持参。市としては一応貸す方向、どういう条件を付けるかに議論がしぼられる可能性。貸出を求めているもののほとんどは、現在展示してあるもの。国会での展示点数より少し少ない。 |
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スミソニアン原爆展示のシナリオを読了。 |
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自宅にスミソニアン展示シナリオについての意見を書く用紙が届いている。 |
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Gにスミソニアン原爆展示の話をすると関心を示す。同博物館を見学したいとのこと。宇吹がツアーを組んで見学に行くという夢を語る。 |
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F新聞社との話。私のスミソニアン博物館見学ツアーの話は非常に面白いとのこと。自分が同行取材したいが、おそらく若い記者が行くことになるだろう。同館長が、H大使に相談。外務省は、広島原爆資料館長と会って、外務省として仲介の労をとっても良いと伝達した。とのこと。 |
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I研究会でスミソニアン見学ツアーについて提案。関心は示されたが、通信発行の中で検討することになる。 |
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広島原爆資料館へスミソニアン展示についての意見書をファックスで送る。 |
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Jより電話。被団協の意向を聞く。両被団協とも、修正するというなら、スミソニアンへの貸出を断るべきとの見解。 |
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F新聞社の取材。平岡市長が、スミソニアン博物館のエノラ・ゲイ展示に出席するというのは、すでに予算化されており周知の話。独自の原爆展を開催するというのは、市長の希望の段階。 |
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米国スミソニアン協会航空宇宙博物館の特別展について意見を伺う会。於平和記念資料館東館地下1階会議室。報道陣多数の中で。 私の発言=スミソニアン関係者と会い、非常に立派な人たちとの印象を持った。その結果、台本を読んだ感想ではバイアスがかかっている。ヨーロッパにおけるドイツと他国間の、アジアにおける日本と他国間での共通の教科書作りの試みが日本とアメリカとの間で欲しいと思っていた。スミソニアン関係者は、私にとって、日米の共通理解のための貴重な人材と思える。シナリオの修正案を見て、彼らが、まだ自分達の主張を残そうと頑張っている様子が感じられた。この企画は、もともとB29からエノラ・ゲイに至る航空史である。それを企画担当者が、広島・長崎への深い同情と理解を持つものにしようとした。それに対する反発として退役軍人会からの反発があり、太平洋戦争史の側面が加えられた。展示としては妙なものになった。修正案で数が減ったとはいえ、アメリカで開催される原爆展としては、これまでにない大規模なものとなる筈。 |
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Kより電話。新聞で昨日のスミソニアン関係の会合での宇吹発言を読んだ。一人、変わったことを発言していた。 |
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スミソニアン展示シナリオ検討会議。原爆資料館東館地下1階会議室。3人で先日の会で出された意見の検討と集約。平岡市長が5月の展覧会開会式に出席しないと言っており、予算が削られたとのこと。 |
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Fの話=市長がスミソニアンのエノラ・ゲイ展の開幕式に出席しないのは招待されていないから。 |
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L新聞社より電話。スミソニアン博物館の原爆展示が中止になったことについてコメントを求められる。 |
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広島原爆資料館より電話。スミソニアンのハーウィット館長より原爆資料展示の中止の連絡が入った由。 |
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M放送局より電話。スミソニアン博物館の原爆展中止についてインタビュー場面を撮影させて欲しい。断る。 |
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F新聞社より電話。スミソニアン博物館の原爆資料展示中止について意見を求められる。 |
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I研究会。2月後期号から2回、スミソニアン博物館問題を取り上げることになる。 |
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米国スミソニアン協会航空宇宙博物館の特別展について意見を伺う会。原爆資料館長の話=ヘイマン・スミソニアン協会事務局長がシンポジウムの開催に言及したので、問い合わせたが、現在のところ具体化はされていない。 Nとの会話=ダートマス大学のシャーウィンと会った。スミソニアンの展示の諮問委員会の委員9人の1人。スウェインは現在ノースキャロライナに帰っているが、地元でスミソニアンの展示中止に対し抗議文を出した。WHOやIPPNWとの連携。私の発言=平和データベースを始動させ、スミソニアン問題に関する海外の情報を集めてはどうか。 私の感想=マスコミは、市長の行動に期待しているが、アメリカ国内での原爆展やシンポジウムにどれだけに意味があるのか、という評価は難しい。 |
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Aと平和公園で会う。スミソニアン問題でアメリカ取材をするつもりとのこと。 |
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O新聞社より電話。14日OR15日にスミソニアン問題で広島を取材したい。 |
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Pより自宅に電話。Q誌へのスミソニアン問題についての原稿依頼。 |
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長崎県立図書館。2月1日のスミソニアン問題の長崎での報道をコピー。 |
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I研究会。第5号の編集。次号は、スミソニアン年表で合併号を発行することになる。 |
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Rより電話。総会での講演に手を入れて欲しい。スミソニアン原爆展について加えることとの依頼。 |
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広島市役所。アメリカン大学での原爆展の話を聞く。うまく進んでいない様子。 |
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広島原爆資料館より電話。アメリカン大学での原爆展開催を正式に決定し、昨日、現地で記者会見、日本では今日10時に記者会見を開くとのこと。 |
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S新聞社京都支局より電話。1962年に学生がアメリカの約10の大学で原爆展を開催した。その歴史的意義について。 |
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S新聞社京都支局より電話。学生の原爆展が全米20か所で開催されていた由。 |
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08 |
ヒロシマ平和セミナー(アメリカン大学・立命館大学一行への講演)。討論の途中で中国人女性留学生が発言。スミソニアンにバランスの取れた展示を要望すると同様に、原爆資料館に加害の展示をするよう求めるとの流れに傾く。Tが、東京に加害展示をすべきとの持論。私は、原爆被害者が「被害者意識」を持つまでの大変な歴史を話す。 |
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国立国会図書館新聞閲覧室。地方紙の8・6社説の調査。6時過ぎ終了。独自の連載が少なかった。社説に被爆者問題に言及するものなし。スミソニアン、加害、核廃絶、体験継承などが主なテーマ。 |
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日本科学者会議広島支部創立30周年記念集会。シンポジウム「被爆50周年を考える」。私の発言=スミソニアン原爆展示問題で明らかになったことは、日米ともに戦争体験が過去のものになりつつあるということ。退役軍人会の攻撃は、50周年以後に戦争体験をどのように残していくのかについての戦略の一環ととらえるべき。 |
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平和科学研究センター20周年記念シンポジウム「21世紀の平和学と広島の貢献」。於広島国際会議場。 鈴木=スミソニアン問題を見たとき、パール・ハーバーに日本が如何に取り組んだかを考えた。国際政治は国家間政治という時代は終わった。日本は、ウチとクニが一緒に考えられる珍しい国。大江健三郎と野坂昭如がこの点を考えてきた。関の話=スミソニアン問題では、アメリカの学者が日本の右翼の論理を採用し、退役軍人が左翼の論理を採用するというねじれ現象があった。 私の感想=パネラーがスミソニアン問題や歴史研究の重要さに触れた。彼らは、アメリカからの動きがなければ、原爆資料に対する関心は無かったであろう。一方、核実験反対運動や国際司法裁判所の動向には誰も触れず。平和運動と距離を置いた平和研究の限界が現れている。 |
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「戦争と原爆展」。於カレント・コスモ。平和集会が開かれており、参観者多数。 |
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F来所。フランスの反核運動の様子を聞く。日本の原爆展の押しつけに反発。パリのデモに参加。歌手の歌に合わせて歌いながら行進。ミホ・シボ氏が、フランスの実情を知らない日本からのさまざまな要請に困っている、とのこと。 |
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Fの話=アメリカの学者のダブル・スタンダード(=日本人に戦争責任を理解させるためにアメリカの原爆投下責任を追求)。 |
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Fへの話=スミソニアン原爆展に関連した資料を収集して、原爆資料館として展示会をやってはどうか。今年なら、まだ資料が集まるし、また、関心も呼ぶことができるのではないか。 |
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シンポジウム「ピース・クリエイト・シンポジウム・21世紀の平和公園を考えよう」。於国際会議場。 金沢=スミソニアン問題で言われた「歴史観の差」は、実際には「歴史観の欠如」。 直野=「ヒロシマの心」は「核兵器廃絶と恒久平和」という平岡市長のメッセージは、アメリカでの原爆展を準備した人々には、反発を受けた。「ヒロシマ」の人間にしか解らないという姿勢に受け取られた。被爆者自身の生の声・姿が必要。 |
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福岡市原爆被害者の会。T(長崎の被爆者)の話=スミソニアンの原爆展示に反対した米在郷軍人の気持ちは理解できた。 |
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朝日新聞がインターネットで記事データベース(1985年-95年10月)を無料で公開しているとのこと。1日中かけて、「原爆展」・「スミソニアン」・「被爆者援護法」・「原爆」(1995年分のみ)の記事見出しをTXTファイルに吸い上げる。 |
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アメリカンセンター資料室(東京都港区芝公園)。10時半-6時。ワシントンポスト紙の「スミソニアン博物館・エノラ・ゲイ展」関係記事38枚を自分でコピー。1枚20円。利用者にとっては便利な体制。 |
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スミソニアン関係文献、英文文献の整理。 |
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Uに電話。彼の話では、お茶の水大学の学生が、スミソニアン原爆展示問題をテーマに論文を書きたいと相談に来た由。 |
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ノビーレを囲む会。於中国新聞ビル702会議室。参加者にはさまざまな顔ぶれ。ノビーレの話=スミソニアンのスクリプトの公開はスクープのはずなのに、ニューヨークタイムズなどマスコミは無視した。 |
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ハーウィット「拒否された原爆展」読了。 |
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一日、スミソニアン原爆展関係資料の整理。インターネット上のエノラ・ゲイ関係のデータをテキストファイルに取り込むことが簡単に出来た。 |
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V(アメリカ・ブラウン大学の卒論にスミソニアン問題を取り上げ、今回、博物館と記憶、平和公園などをテーマとして取り上げるため来日)より電話。道に迷って広島市役所の前にいるとのこと。迎えに行く。エノラ・ゲイ展示をめぐる記憶についての卒業論文を預かる。広島原爆資料館の展示への要望資料を貸す。 |
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W(コネチカット大学教師)来所。アメリカの様子を聞く。アメリカの知識人の間では、スミソニアンの原爆展示問題後、原爆問題に対する関心が高まっている。大江健三郎がプリンストンで講演したが、アメリカの友人とともに、聞きに行った。大江の英語は滅茶苦茶。HEとSHEの間違いなど。しかし、堂々と話した。 |
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シンポジウム「<原爆資料館の外部委託>を考える」。於中国新聞社7階会議室。 宇吹=スミソニアン問題を卒論に取り上げたアメリカの青年が、今度はヒロシマを取り上げようとしている。しかし、ヒロシマにはハーウィット館長やクラウチ学芸員に相当する人物がいない。彼の意見では、原爆資料館の最初の印象は、強烈、しかし、それに続く自己主張が無い。 |
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X(シンガポールの学校に通う女子高校生)来所。広島の高校へ通っていた由。8月半ばまで夏休み。学校の2年間の学習報告として原爆投下問題を取り上げている。スミソニアン原爆展示論争関係の英文の本などを貸す。 |