ローマ法王歓迎の集い(広島市 1981年2月25日)
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ローマ法王歓迎の集い(広島市 1981年2月25日)
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年表:ローマ法王とヒロシマ(1945~80年)
年月日 | 事項 | 備考 |
1945 | ||
0807 | ローマ法王庁機関紙『セルバトーレ・ロマナ』、広島に投下された原子爆弾を「戦争の終了を焦る破滅的手段」と非難。 | |
1946 | ||
0906 | フーゴー・ラサール神父(広島市幟町カトリック教会牧師)、ローマ法王にヒロシマ救済を懇請。 | |
1947 | ||
1207 | フーゴ―・ラサール神父(ドイツ人)、1年4カ月の欧米・南米講演旅行から広島市に帰る。「広島への関心と同時に同情はすこぶる大きい。ローマ法王ピオ12世も深い同情と激励の言葉を広島市民に贈られた」 | |
1949 | ||
0603 | 聖フランシスコ・ザビエル来日400年記念でローマ法王特使ギルロイ枢機卿ら72人の国債巡礼団、広島市へ、平和広場で降福式。 | |
1950 | ||
1002 | 山口愛次郎長崎市大浦天主堂司教、欧米各国巡礼の旅に出発。15日、ローマ法王ピオ12世に謁見。(1951.2.18長崎日日新聞)。 | |
1954 | ||
0806 | 世界平和記念堂完工式。建設費1億円。信者約2000人、11カ国の駐日外交官、高松宮夫妻が出席。ローマ法王からメッセージ「(聖堂は)戦いの傷をいやすとともに平和への道の象徴」。 | |
1956 | ||
0401 | ローマ法王ピオ12世が原子兵器競争中止の呼びかけ。 | |
1218 | 日本被団協(藤居平一事務局長)、ローマ法王ピオ12世から、広島カトリック教会を通じ、10月24日に送った原水爆禁止と放射能に対する医学機関設立についての要望書に対する返書を受け取る。(朝日新聞) | |
1957 | ||
0213 | 日本原水爆被害者団体協議会,ローマ法王ピオ12世にイギリス水爆実験禁止への協力依頼の手紙を送る. | |
1960 | ||
0508 | ローマ法王ヨハネ23世、広島司教区新設時、野口由松司教をローマに呼び自ら異例の叙階式(任命式)を開く。 | |
1963 | ||
0410 | ローマ法王ヨハネ23世、「地上に平和を」と題する全世界のローマ・カトリック司教への回状を公表。平和と戦争の問題での法王の通達はローマ・カトリック2000年の歴史で初。 | |
0414 | 広島の被爆者森木葉子、ローマ法王へ原水爆禁止を直訴するため広島を出発。世界キリスト教婦人有志の呼びかけ。 | |
0520 | 森木葉子(広島女学院大勤務)、世界16カ国の代表60人とともにローマ法王ヨハネ23世に面会、原水爆禁止を訴える。 | |
0603 | ローマ法王ヨハネ23世死去。81歳。 | |
0604 | ローマ法王に原水爆禁止を直訴(5月20日)の森木葉子、広島に帰る。 | |
0914 | 宗教者平和使節団(団長:松下正寿核禁会議議長)一行、羽田を出発。16日、ローマ法王に謁見し核兵器禁止と世界平和を訴える。(「核禁会議20年史」) | |
1965 | ||
0319 | ローマ法王の特使、パウロ・マレラ枢機卿広島訪問。慰霊碑に参拝。浜井広島市長を表敬訪問。 | |
1968 | ||
0527 | 山田広島市長、バチカンを訪問しローマ法王パウロ6世に接見、8月6日の広島平和式典への招待状を手渡す。法王「2年後の被爆25周年の1970年にはぜひ訪れたい」 | |
0625 | 広島市、8月6日の平和式典要綱を決める。名称を「記念」から「祈念」へ変え「原爆死没者慰霊式ならびに平和祈念式」に。ローマ法王パウロ6世にもメッセージを要請。 | |
0625 | 広島市、平和祈念式のメッセージを収録したメッセージ集の作成を決める。 | |
0718 | 広島県宗教連盟、1970年の原爆記念日にローマ法王パウロ6世を超宗派で招請することを決める。 | |
0806 | 広島市、原爆死没者慰霊式・平和祈念式を挙行。約4万人が参列。ローマ法王パウロ6世がメッセージを寄せる。会場に被爆者席300席を特設(初) | |
0806 | 被爆二十三周年、「原爆死没者慰霊式ならびに平和祈念式」。原水禁三団体代表を含む市民四万人。ローマ法王パウロ六世メッセージ | |
1029 | アルフレッド・ベンクシュ枢機卿(ベルリン大司教区区長)、山田広島市長に会い、ローマ法王広島訪問への協力を約束。 | |
1972 | ||
08 | ローマ法王庁機関紙『ロッセル・バトーレ・ロマノ』から「正義と平和に関するメッセージ」(ローマ法王パウロ六世が1月1日に発表)が中国新聞社に届く。 | |
1974 | ||
0530 | 森滝市郎(原水禁国民会議)代表委員・近藤幸四郎常任理事、インド・仏への核実験抗議のため羽田を出発。山田広島市長、ローマ法王パウロ六世やジスカールデスタン仏大統領あてのメッセージを託す。 | |
1979 | ||
0509 | 長崎市の原爆被爆者団体「乙女の会」、ローマ法王に接見。 | |
1980 | ||
0925 | ローマ法王庁筋、来年2月のローマ法王の広島・長崎市訪問を発表。 | |
1221 | ローマ法王の訪日計画、正式決定。それによると、被爆地広島・長崎を訪問予定。 | |
1981 | ||
0117 | ローマ法王の特使としてバチカンの宗教家、来広し広島原爆資料館など見学。 | |
0109 | 広島県被団協の森滝理事長、2月に来日予定のローマ法王に核廃絶を訴える録音テープを作成。 | |
0110 | 長崎県・市、2月来訪のローマ法王に対して核廃絶メッセージの発表などを要望する書簡を送付。 | |
0110 | ローマ法王の特使として、バチカンの宗教家ら、長崎市を訪問。 | |
0224 | 「NGO被爆問題国際シンポジウム広島継続委員会」、ローマ法王の広島訪問を歓迎、原水禁運動への協力を訴えるアピールを発表。 | |
0225 | ローマ法王ヨハネ・パウロ2世、来広。原爆慰霊碑に参拝し、核兵器撤廃などを訴える平和アピールを採択。約2万5千人の市民が歓迎。 | |
0225 | ローマ法王、ヨハネ・パウロ2世、長崎市を訪問。26日、恵の丘原爆ホームを慰問。 | |
0225 | 広島市在住の詩人栗原貞子、ローマ法王に同行して来広する外国人記者に自作の英文詩集を贈呈。 | |
0225 | NHKなど、ローマ法王来広のもようを放送。 | |
0225 | RCC制作の特別番組「広島のローマ法王」放送。 | |
0306 | 広島への原爆投下について報道したバチカン法王庁の機関紙(2月に来広したローマ法王の寄贈)、翻訳を終了。 | |
0319? | 広島原爆資料館、ローマ法王のアピールを米のマーク・ハットフィールド上院議員に送付。 | |
0322 | ローマ法王の長崎訪問を収めた記録映画、完成し公開される。 | |
0404 | 日本被団協代表、ローマ法王より2月来日中に渡した手紙に対する礼状とカードをうけとる. | |
0410 | 2月に来広したローマ法王から贈られた原爆投下直後のバチカン市の新聞を刻んだ銅板など、平和記念館で一般公開。 | |
0413 | 広島市、2月のローマ法王の来広を記録した映画「ローマ法王広島訪問」を制作。 | |
0513 | 2月に来広したローマ法王ヨハネ・パウロ二世、バチカン市で狙撃され重傷。 | |
0517 | ローマ法王の長崎訪問を記念して、碑建立され除幕。 | |
0505? | 2月に来広したローマ法王に自作の詩を贈った広島市の詩人栗原貞子に、ローマ法王から返礼のハガキ届く。 | |
0624? | 広島市在住の被爆者、ローマ法王来広(2月)の記念碑建立運動を開始。 | |
0702? | 広島市在住の染色家(三田嘉一)、2月に来広したローマ法王のサインをろうけつ染めに仕上げ、広島市に寄贈。 | |
0804 | 広島市の一被爆者、広島平和文化センターにローマ法王平和アピール碑建立運動に協力要請。 | |
0830 | ローマ法王、第二次大戦ぼっ発記念日を前に核廃絶を訴え。 | |
1205 | ローマ法王ヨハネ・パウロ2世、日本の新聞社記者と会見。日本訪問について広島・長崎の原爆の悲惨さが印象に残っていると語る。 | |
1212 | ローマ法王ヨハネ・パウロ二世、米・ソなどに核軍拡競争中止を訴える使節団を派遣する方針発表。 | |
1214 | ローマ法王、米大統領に、核兵器不使用を訴える親書及び「人類の生存と健康に関する核兵器使用の調査結果」報告書、提出。(近くソ連共産党書記長にも提出) | |
1219 | ローマ法王来広を記念する「平和アピール碑建立委員会」、広島市で発足。 | |
1226 | 広島YMCA、ローマ法王の「平和アピール」を記念して「平和のためのモニュメント」を建立、除幕式。 | |
1982 | ||
0206 | 「ローマ法王平和アピール碑建設委員会」、同碑の制作を広島県出身の彫刻家杭谷一東に依頼。 | |
0209 | カトリック正義と平和広島協議会・平和を願う会、ローマ法王来広を記念して文集「平和への道」を発行。 | |
0215 | ローマ法王ヨハネ・パウロ2世の呼びかけで開かれる核兵器廃絶のための会議の準備会、ウィーンで開催。 | |
0225 | ローマ法王平和アピール碑建立委員会、広島市で碑建立費のカンパを求めるビラを配布。 | |
0225 | 広島地区カトリック教会の信者ら、ローマ法王来広1周年を記念して平和記念公園で「平和を願う祈りの集い」開催。 | |
0225 | 広島YMCAのメンバー、ローマ法王来広1周年を記念して市内で、ローマ法王の平和アピール文を印刷したビラを配布。 | |
0228 | ローマ法王平和アピール碑建立委員会、広島市で、街頭募金をし市民に協力呼びかけ。 | |
0319 | ローマ法王からの核兵器廃絶を願う書簡、日本被団協に届く。(2月の被団協の核廃絶訴えの返書)。 | |
0319 | 日本被団協、ローマ法王から2月中央行動の要請書への返書を受け取る. | |
0501 | 子どもたちに世界に!被爆の記録を贈る会にローマ法王から、同会が作成した原爆記録映画を見たいとの手紙届く。 | |
0611 | ローマ法王、訪問先のアルゼンチンで、同国民に向け、広島・長崎の原爆被害に言及したメッセージ発表。 | |
0611 | ローマ法王、SSDⅡに「力の論理よりも理性の力を」とのメッセージ送付。 | |
0615 | ローマ法王の平和アピール記念碑づくりを提唱した被爆者藤枝良枝、同碑建立委員会に寄金。 | |
0721 | 「子どもたちに世界に!被爆の記録を贈る会」代表、バチカンの法王庁を訪問。被爆記録映画(伊語版)を贈り、ローマ法王と接見。(22日に上映) | |
0803 | 「子どもたちに、世界に!被爆の記録を贈る会」代表、帰広し、ヨーロッパでの活動のもようを報告。(7月21日、ローマ法王と接見)。 | |
0819 | 日本被団協派遣のヨーロッパ「語り部の旅」代表団(28名)、欧州に出発。(30日帰国)。5回目。東西独・仏・オランダ訪問。25日、ローマ法王に会見。 | |
0825 | 日本被団協海外派遣代表団ローマ班、ローマ法王に謁見. | |
0901 | 曹洞宗大本山永平寺貫主、バチカンを訪れ、ローマ法王に世界平和を訴えるメッセージを堤出。 | |
0919? | ローマ法王アピール碑、完成。(翌年2月除幕式。) | |
1983 | ||
0225 | ローマ法王平和アピール碑(広島平和記念公園・広島平和記念館) | |
0514 | ローマ法王庁の駐英代表者が、反核運動に参加しているカトリック神父らを非難する手紙を書いていたことが判明。 | |
0531 | 広島市友好親善代表団(荒木市長ら)、ローマ法王に特別接見。法王、平和へ向け努力する決意を表明。 | |
0624 | 在日ローマ法王庁大使マリオ・ピオ・ガスパリ大司教、死去。広島市、弔電打電。(1981年のローマ法王来日実現に尽力。) | |
0824 | 原爆をテーマにいた映画「この子を残して」の木下恵介監督、同映画をローマ法王に寄贈。 | |
1984 | ||
0225 | ローマ法王来広3周年記念行事、広島市で開催。 | |
0531 | 長崎市、ローマ法王へ原爆写真展の開催について協力を要請。 | |
0914 | 広島市の平和記念公園の「平和の灯」、カナダ・トロント市に分火され、ローマ法王なよって同市の「平和の庭」聖火台に点火。 | |
1985 | ||
04 | 今秋、ローマバチカン市国で開かれる原爆展のオープンセレモニーにローマ法王が出席するとの通知が、長崎市に届く。 | |
0806 | ローマ法王、原爆記念日で、原爆犠牲者のための特別ミサを実施。 | |
0911 | 「ヒロシマ・ナガサキ原爆写真展」( 長崎市主催) 、バチカン市国で、開催( 10月 9日まで) 。ローマ法王・長崎市長ら、開会式に出席。 | |
1116 | 広島県出身の書家岸本磯一の作品展「現代美の写経展」、広島市で開催(18日まで) 。ローマ法王による「平和アピール」の抜すいなども展示。 | |
1986 | ||
0715 | 広島市のデザイナー月下美紀、ローマ法王の平和アピールの墨書を、米・ソ首脳に送付。広島市にも寄贈。 | |
1027 | ローマ法王の提唱で、世界平和祈願集会、イタリア中部アッシジで開催(約150人参 加)。日本からも仏教・神道代表者が参加。 | |
1987 | ||
0108 | 広島市の被爆者、ローマ法王の平和アピール記念碑建立に協力した広島インターナショナルに、同記念碑の写真を寄贈。 | |
0123 | 全国のミニ独立国の平和使節団、バチカン市国などを親善訪問。(28日、ローマ法王に広島・長崎両市長からの平和メッセージを伝達。) | |
0220 | ローマ法王の「平和アピール」全文を墨書した。広島市の月下美紀、同法王の署名をもらいにローマへ出発。25日、法王に特別接見。 | |
0401? | 1981年のローマ法王による広島市での「平和アピール」が、事前に配布された日本語訳文と違っていることが判明。 | |
0428 | ローマ法王ヨハネ・パウロ二世から、広島平和文化センター高橋昭博事業部長あてに、サイン入りの写真パネル届く。 | |
1988 | ||
0120 | 長崎県の布津町長、バチカンのローマ法王を訪問、長崎市長より託された被爆がわらを寄贈。 | |
0225 | ローマ法王の来広(1981年)を記念する「平和を祈る集い」(カトリック広島司教区主催)、広島市で開催(約50人参加)。 | |
0420 | 高橋昭博広島平和文化センター事業部長、バチカンで、ローマ法王と会見し、「世界平和連帯都市市長会議」(24日から伊コモ市で開催)について説明。 | |
1989 | ||
0225 | ローマ法王来広8周年を記念して、カトリック信徒ら、広島市平和記念公園の原爆慰霊碑前で祈りの集い(約50人参加)。 | |
1014? | 広島市の被爆者榎野譲、自作の詩集「水辺の祈り―構成詩―ヒロシマから」をローマ法王へ寄贈。同詩集には、詩「ローマ法王さま」などを収録。 | |
1991 | ||
0804 | 広島市平和記念公園でローマ法王平和アピール10周年記念カトリック平和行事を開催。 | |
0805 | ローマ法王広島訪問10周年を記念した「カトリック平和行事」、広島市で開催。シンポジウム「平和を問う」を開催、平和記念公園から世界平和記念聖堂までを行進(約800人参加)。 | |
0805 | ローマ法王訪日記録映画と被爆者の証言の集い、広島市の聖母幼稚園で開催 | |
1992 | ||
0223 | カトリック広島教区、広島市の世界平和記念聖堂でローマ法王ヨハネ・パウロⅡ世来広11周年を記念するミサと講演を開催。浄土真宗の僧侶が講演。 | |
1995 | ||
0101 | ローマ法王、新年のミサで「1995年は広島と長崎に原爆が投下されてから50年目にあたる」と指摘。 | |
0225 | ローマ法王ヨハネ・パウロ二世、法王庁を訪問した日本のカトリック司教代表団との会見で、核兵器廃絶と紛争の平和的解決を訴える。3月16日、朝日新聞社の幹部に対し、同発言を日本国民へのメッセージとして伝達。 | |
0418 | ローマ法王ヨハネ・パウロ二世、ローマ市内で行われた「十字架の道行き」の儀式の冒頭で、アウシュビッツ・ドレスデン・広島の3都市の「悲劇から50年」と題して犠牲者追悼の祈りを捧げる。 | |
0516 | ローマ法王ヨハネ・パウロ二世、戦後50年にあたってのメッセージを発表。広島と長崎の原爆被害について「人間に与えた影響は計り知れない」と述べる。 | |
0805 | ローマ法王庁、広島への原爆投下を追悼する「平和へのコンサート」をバチカンの公会堂で開催。聴衆約7000人。ローマ法王、メッセージを寄せる。 | |
0806 | ローマ法王、「被爆者のための御ミサ」を実施。 | |
0809 | ローマ法王、「被爆者のための御ミサ」を実施。 | |
1996 | ||
0113 | ローマ法王ヨハネ・パウロ2世、バチカン駐在の外交団向けの新年演説で早期の核実験中止を呼びかける。 | |
0808 | 81年のローマ法王の日本招聘を実現させた里脇浅次郎枢機卿、長崎市の聖フランシスコ病院で死去。92歳。 | |
1998 | ||
0623 | 伊藤長崎市長、パウロ二世ローマ法王を近く訪ねる日本反核法律家協会のメンバーに、核廃絶への「特別の呼びかけ」を求める法王あてのメッセージを託す。 | |
0627 | 国際反核法律家協会、総会をローマで開催。佐々木猛也日本反核法律家協会副会長らが参加。29日、ローマ法王尾ヨハネ・パウロ二世宛の広島・長崎両市長のメッセージを届ける。 | |
1999 | ||
0909 | 小渕首相、バチカン市国のローマ法王庁でヨハネ・パウロ2世と会見。法王、首相に核兵器廃絶への努力を要請。 |
止
沖縄全戦没者追悼式<作業中>
沖縄県主催
6月23日(沖縄県制定の記念日)
会場:糸満市・平和祈念公園(沖縄県糸満市摩文仁)
年 | 総理大臣 | メモ |
1958年1月25日全琉球戦没者追悼式 識名霊園(琉球政府関係写真資料) | ||
1964 | ||
1963 | ||
1964 | ||
1965 | 沖縄戦戦没者追悼式典 糸満 摩文仁(琉球政府関係写真資料) | |
1966 | 沖縄全戦没者追悼式 第5回 会場遠景 糸満 摩文仁 戦後と援護 – 沖縄県公文書館 (pref.okinawa.jp) | |
1968 | 慰霊祭に関する資料 1970年 -沖縄県公文書館 (pref.okinawa.jp) | |
1990 | 海部 俊樹 | |
1991 | ||
1992 | ||
1993 | ||
1994 | ||
1995 | 村山 富市 | |
1996 | ||
1997 | ||
1998 | ||
1999 | ||
2000 | 森 喜朗 | |
2001 | 小泉 純一郎 | |
2002 | 小泉 純一郎 | |
2003 | ||
2004 | 小泉 純一郎 | |
2005 | 小泉 純一郎 | |
2006 | 小泉 純一郎 | |
2007 | 安部 晋三 | |
2008 | 福田 康夫 | |
2009 | 麻生 太郎 | |
2010 | 菅 直人 | |
2011 | 菅 直人 | |
2012 | 野田 佳彦 | |
2013 | 安部 晋三 | |
2014 | 安部 晋三 | |
2015 | ||
2016 | ||
2017 | ||
2018 | ||
2019 | 安部 晋三 | |
2020 | 安部晋三(欠席) | コロナ禍 |
2021 | 菅義偉(欠席) | ビデオメッセージ<コロナ禍> |
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令和3年沖縄全戦没者追悼式 : 沖縄政策 – 内閣府 (cao.go.jp) | ||
2022 | 岸田 文雄 | 主催:沖縄県・沖縄県議会 共催:一般財団法人沖縄県遺族連合会 公益財団法人沖縄県平和祈念財団 公益財団法人沖縄協会 |
「首相あいさつ」(2019年)
令和元年沖縄全戦没者追悼式が執り行われるに当たり、沖縄戦において、戦場に斃(たお)れた御霊(みたま)、戦禍に遭われ亡くなられた御霊に向かい、謹んで哀悼の誠を捧(ささ)げます。
先の大戦において、ここ沖縄は、苛烈を極めた地上戦の場となりました。20万人もの尊い命が失われ、この地の誇る美しい自然、豊かな文化は、容赦なく破壊されました。全ての戦没者の無念、御遺族の方々の言葉に表し得ない悲しみ、沖縄が負った癒えることのない深い傷を思うとき、胸塞がる気持ちを禁じ得ません。
沖縄戦から74年。犠牲となった方々が送るはずであったそれぞれの未来に思いを致し、こうした尊い犠牲の上に、今日、私たちが享受する平和と繁栄がある。そのことを改めて深く噛(か)み締めながら、静かに頭(こうべ)を垂れたいと思います。
我が国は、戦後一貫して、平和を重んじる国家として、ひたすらに歩んでまいりました。戦争の惨禍を二度と繰り返さない。この誓いは令和の時代においても決して変わることはありません。平和で、希望に満ち溢(あふ)れる新たな時代を創り上げていく。そのことに不断の努力を重ねていくことを、改めて、御霊にお誓いいたします。
沖縄の方々には、永きにわたり、米軍基地の集中による大きな負担を担っていただいております。この現状は、何としても変えていかなければなりません。政府として、基地負担の軽減に向けて、一つ一つ、確実に、結果を出していく決意であります。
昨年引き渡しがなされた西普天間住宅地区跡地は、嘉手納(かでな)以南の土地の返還計画に基づき実現した初の大規模跡地であり、基地の跡地が生まれ変わる成功例として、県民の皆様に実感していただけるよう、跡地利用の取組を加速します。
引き続き、「できることはすべて行う」、「目に見える形で実現する」との方針の下、沖縄の基地負担軽減に全力を尽くしてまいります。
美しい自然に恵まれ、アジアの玄関口に位置する沖縄は、今日、その優位性と潜在力を存分にいかし、大きな発展を遂げています。出生率は日本一、沖縄に魅せられて訪れた観光客は昨年度約1000万人と、6年連続で過去最高を更新しました。沖縄が日本を牽引(けんいん)し、21世紀の「万国津梁(しんりょう)」として世界の架け橋となる。今、それが現実のものとなりつつあります。この流れを更に加速させるため、私が先頭に立って、沖縄の振興をしっかりと前に進めてまいります。
結びに、この地に眠る御霊の安らかならんこと、御遺族の方々の御平安を、心からお祈りし、私の挨拶といたします。
令和元年六月二十三日
内閣総理大臣 安倍晋三
止
憲法9条を守る第*回音楽と講演のつどい(主催:呉9条の会連絡センター)。ところ:ビューポートくれ。<作業中>
回 | 年月日 | 【音楽】・【講演】 | 備考 |
1 | |||
2 | |||
3 | |||
4 | |||
5 | |||
6 | |||
7 | 20121117 | 【音楽】沖縄に向き合い、平和を想う | |
【講演】戦争被害と憲法(宇吹暁) | |||
8 | |||
9 | |||
10 | |||
11 | |||
12 | |||
13 | |||
14 | 20191019 | 【音楽】和太鼓の演奏 | |
【講演】9条の挑戦―日本と東アジアの安全保障のリアリズム(布施祐仁) | |||
15 | |||
16 | 20211107 | 【音楽】四国五郎を歌う(弟への鎮魂歌、灯ろう流し他) | |
【講演】ミャンマー(ビルマ)市民の民主化を求める運動から、憲法9条を持つ内実を問い返す(小武正教) | |||
17 | |||
18 | 20231015 | ||
止
法隆寺地域の仏教建造物 登 録 年 1993年<作業中>
2008年12月8日 撮影者:宇吹暁 |
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日本最初の世界文化遺産 法隆寺 平山郁夫書 |
夢殿 |
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世界遺産法隆寺ー1400年の歴史遺産を未来へー(法隆寺 2022/06/15 公開) – クラウドファンディング READYFOR |
参考
遺産名 | 所在地 | 登録基準 | 資 料 No. |
法隆寺地域の仏教建造物 | 奈良県 | C(I)(ii)(iv)(vi)、 | 660 |
姫路城 | 兵庫県 | C(I)(iv) | 661 |
屋久島 | 鹿児島県 | N(ii)(iii) | 662 |
白神山地 | 青森県・ 秋田県 | N(ii) | 663 |
1996年 | |||
広島平和記念碑(原爆ドーム) | 広島県 | C(vi)、 | 775 |
厳島神社 | 広島県 | C(I)(ii)(iv)(vi) | 776 |
止
『世界政治―論評と資料』1985年(日本共産党中央委員会)
号 | 発行月 | 記事名 |
684 | ||
685 | 01 | 日ソ両党首脳会談の画期的意義(聴涛弘) |
686 | 02 | 核兵器廃絶言明を実行し大問題に解決を |
687 | 02 | 核兵器全面禁止・廃絶のために ヒロシマ・ナガサキからのアピール |
688 | 03 | 核兵器廃絶の巨大な国際的共同へ―「ヒロシマ・ナガサキからのアピール」支持国際署名について―(佐藤光男) |
689 | 03 | 核兵器廃絶こそ死活の緊急課題 |
690 | 04 | ソ連・チェルネンコ書記長の訃報に接して(宮本顕治) |
691 | 04 | 現地ルポ:ベルギー反核運動を見る(加藤長) |
692 | 05 | 核戦争阻止・核兵器廃絶をめざして―世界反核平和運動の現状と問題点(立木洋) |
693 | 05 | |
694 | 06 | |
695 | 06 | |
696 | 07 | 核兵器全面禁止・廃絶の国際協定の今日的意義―米ソ交渉の問題点にもふれて(「赤旗」主張) |
696 | 07 | 《てい談》「赤旗」記者は語る:世界の反核運動を取材して(増田紘一・緒方靖靖夫・宮前忠夫) |
697 | 07 | SDI問題と核兵器廃絶の課題(「赤旗」主張) |
698 | 08 | |
699 | 08 | |
700 | 09 | 原水爆禁止世界大会の大きな成果とその意義(聴涛弘) |
701 | 09 | |
702 | 10 | 「核戦争を阻止し、核兵器全面禁止・廃絶を実現するたたかい―国際シンポジウムについての各国党の反響」 |
703 | 10 | |
704 | 11 | |
705 | 11 | いまこそ「核兵器廃絶」合意の具体化を―米ソ交渉の現段階について(「赤旗」論文) |
706 | 12 | |
707 | 12 | 米ソ首脳会談と反核・平和勢力の任務―米ソ首脳会談を論ず(「赤旗」論文) |
止
『岩国の海と山をめぐる法律問題 愛媛大学法学研究叢書3』(本田博利、愛媛大学法文学部総合政策学科、20101228)
内容<作業中>
はじめに | ||
第1章 | 米軍再編と基地イワクニ | |
Ⅰ | 基地イワクニの形成 | |
1 基地の概要 | ||
2 基地の沿革と現況 | ||
3 基地と市民生活 | ||
4 滑走路沖合移設事業 | ||
Ⅱ | 米軍再編と基地イワクニ | |
1 厚木からの空母艦載機移駐 | ||
2 住民投票と新庁舎建設問題 | ||
3 愛宕山米軍住宅問題と民間空港再開問題 | ||
4 市長選挙と新市長の移駐容認 | ||
5 4つの基地訴訟の提起 | ||
6 政権交代と愛宕山米軍住宅案の提示 | ||
第2章 | [第1論文]米軍岩国基地沖合移設事業の公有水面埋立法上の門題点一県知事権限の活用提案 | |
Ⅰ | はじめに | |
1 地元「無視」の米軍再編 | ||
2 移設事業の本来目的一基地騒音の軽減 | ||
3 本稿の趣旨一埋立目的の逸脱に対する県知事権限の活用提案 | ||
Ⅱ | 問題の所在 | |
1 移設事業に関する4枚の図面 | ||
2 3つの疑問 | ||
3 航空機騒音調査の再実施の必要性 | ||
Ⅲ | 海の埋立ての法システム | |
1 海の管理法制 | ||
2 公有水面埋立法の基本構造 | ||
3 1973年改正①環境配慮条項の導入 | ||
4 1973年改正②環境アセスメント実施の義務付け | ||
5 瀬戸内海環境保全特別措置法による埋立規制 | ||
6 環境影響評価法に基づくアセスメントの実施 | ||
Ⅳ | 移設事業の公有水面埋立法上の問題点 | |
1 願書の法的問題点①埋立ての目的・用途の変容 | ||
2 願書の法的問題点②航空機騒音予測の欠落 | ||
3 埋立承認処分の法的問題点 | ||
4 法違反への対応①アセスメント実施の義務付け | ||
5 法違反への対応②変更申請の承認 | ||
6 法違反への対応③免許権者による独自のアセスメントの実施 | ||
7 法違反への対応-承認の取消し(撤回 | ||
V | 結び一県知事権限の活用提案 | |
補論 | 1 県の変更承認と国の竣功通知 | |
補論 | 2 裁判の推移 | |
第3章 | [第2論文]岩国市・愛宕山新住宅市街地開発事業廃止の法的問題点一新住宅市街地開発法及び都市計画法の観点から | |
Ⅰ | はじめに | |
Ⅱ | ||
Ⅲ | ||
Ⅳ | ||
Ⅴ | ||
Ⅵ | ||
Ⅶ | ||
ⅷ | ||
Ⅸ | ||
補論 | ||
付録 | 第3論文 | |
あとがきに代えて(追記) |
止
国立西洋美術館本館 2016(平成28)年世界遺産記載<作業中>
7か国(日本、フランス、アルゼンチン、ベルギー、ドイツ、インド、スイス)にまたがる「ル・コルビュジエの建築作品-近代建築運動への顕著な貢献-」の構成資産の一つ。出典:我が国の世界遺産一覧表記載物件|外務省 (mofa.go.jp)
幟:台東区・国立西洋美術館世界遺産登録上野地区推進委員会 |
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以上の撮影日:2009年3月17日、宇吹暁撮影 |
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世界遺産一覧表記載認定書(複製) 2022年6月12日M撮影 |
止
東京大空襲・戦災資料センター <作業中>作業中
サイト:東京大空襲・戦災資料センター (tokyo-sensai.net)
資料年表:東京空襲を記録する会
年月日 | ||
1970 | 東京空襲を記録する会結成。 | |
1973 | ||
0310 | 『東京大空襲・戦災誌 第1巻』『東京大空襲・戦災誌 第2巻』(東京空襲を記録する会刊) | |
1124 | 『東京大空襲・戦災誌 第3巻』『東京大空襲・戦災誌 第4巻』(東京空襲を記録する会刊) | |
1974 | ||
0320 | 『東京大空襲・戦災誌 第5巻』(東京空襲を記録する会刊) | |
1982 | ||
0310 | 『東京大空襲の記録』((東京空襲を記録する会編、三省堂刊)) | |
2002 | ||
0309 | 東京大空襲・戦災資料センター開館 | |
07 | 広報誌『東京大空襲・戦災資料センター』No.1発行 | |
2005 | ||
0715 | 『戦災資料センターから 東京大空襲を歩く』(東京大空襲・戦災資料センター・友の会) | |
2009 | ||
1124 | 『第3回シンポジウム 「『無差別爆撃』の転回点―ドイツ・日本都市空襲の位置づけを問う」報告書』(財団法人政治経済研究所付属 東京大空襲・戦災資料センター 戦争災害研究室) | |
2010 | ||
1227 | 『空襲・戦災を記録する会全国連絡会議 第40回東京大会 シンポジウム 「空襲・戦災を記録する会40年の歴史と今後の展望」報告書』(財団法人政治経済研究所付属 東京大空襲・戦災資料センター) | |
2011 | ||
0310 | 『第4回シンポジウム 「帝国と空襲―イギリス・台湾空襲を検証する」報告書』(財団法人政治経済研究所付属 東京大空襲・戦災資料センター) | |
2012 | ||
0701 | 『東京大空襲・戦災資料センターニュース No.21 平和研究交流誌』(東京大空襲・戦災資料センター 2012/07/01) | |
0218 | 『アメリカ軍無差別爆撃の写真記録-東方社と国防写真隊-』(財団法人政治経済研究所付属 東京大空襲・戦災資料センター) | |
止