広島民報記事目録 1967年<作業中>
号 |
月日 |
記事 |
備考 |
077 |
0101 |
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099 |
0601 |
第13回原水禁世界大会成功のために①中国核実験めぐる疑問 |
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100 |
0618 |
第13回原水禁世界大会 国民平和行進が出発 |
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第13回原水禁世界大会成功のために②原水禁運動の真の統一 |
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101 |
0625 |
第13回原水禁世界大会成功のために③ |
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103 |
0709 |
第13回原水爆禁止世界大会 5つの課題を討議 |
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105 |
0723 |
第13回原水爆禁止世界大会 |
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106 |
0730 |
あと数日で第13回原水禁大会 |
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被爆者と懇談会 広大学生ら 実態調査つづけて |
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外 |
0801 |
原水禁大会特集 |
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107 |
0806 |
平和盆踊り ゆかたがけの市民300人 |
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108 |
0813 |
成功収め 第13回原水禁世界大会 終る ベトナム侵略を糾弾 |
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112 |
0917 |
県原水協全県活動者会議 |
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118 |
1029 |
10・21行動 |
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1029 |
”観閲パレード”を計画 海田自衛隊へ抗議の声 |
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119 |
1105 |
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120 |
1112 |
11・5統一行動 ベトナム侵略を糾弾 ABCCへ抗議デモ |
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1112 |
自衛隊観閲式に抗議ひろがる 三者共同でチラシ2万枚 |
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121 |
1119 |
被爆者運動強化を |
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123 |
1203 |
広島で 被爆者運動 全国活動者会議 |
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125 |
1217 |
ベトナムへ砲弾積出す ”黄幡をかえせ” |
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止
広島民報百号 1967年6月18日<作業中>
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第13回原水禁世界大会 国民平和大行進が出発 広島―東京1100キロ |
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会員と機関紙の拡大に重点 26日に新婦人県大会 |
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被爆者完全援護法制定へ 6・9募金を強めよう |
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止
年表:イワクニとヒロシマ 1965年~<作業中>
年月日 |
できごと |
備考 |
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出典
『中国新聞』= 特記のない場合
[イワクニ]=『基地イワクニ~日米安保のはざまで~』(中国新聞社、19960802) |
1965 |
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02 |
米軍、北ベトナム爆撃(北爆)開始。ベトナム戦争に本格介入。[イワクニ] |
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06 |
第1海兵航空師団の司令部や第12飛行大隊(2個中隊)など基地の主力、南ベトナムに移駐。 |
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1966 |
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08 |
岩国日米協力会、不景気でベトナム帰休兵受け入れと第7艦隊寄港促進の署名運動。革新団体は反対署名。 |
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1967 |
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03 |
基地に女性海兵隊員6人配属。海兵隊上級幹部も家族同伴認める。 |
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1968 |
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05 |
基地開放デー。ベ平連、ベトナム戦争反対や脱走を呼びかけるビラまき。 |
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06 |
反戦学生ら250人、基地周辺で基地撤去デモ。警官と衝突、3人逮捕。 |
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1969 |
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0718 |
米海軍岩国基地のF4Bファントム戦闘爆撃機が岐阜県美濃加茂市の山林に空対空ミサイル「スパロー」1個を誤って落とす。同基地は「核装備はしていない」。 |
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08 |
第1次ベトナム撤兵で、ファントム中隊が岩国に帰還。 |
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1970 |
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03 |
ベ平連、岩国で本格活動始める。基地に反戦米グループ誕生。 |
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1971 |
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0310 |
1942年、世界で初めて核連鎖反応実験に成功した米シカゴ大の黒鉛ウラン型原子炉の黒鉛の一部を、米軍人が原爆資料館に寄贈。米海兵隊岩国基地のカール・スミス少佐「原子力開発の歴史を知る一助に」 |
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1116 |
衆院沖縄返還協定特別委員会。社会党の楢崎弥之助、「岩国市の米軍岩国基地に核兵器が貯蔵されている疑いがある」と政府を追及。 |
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1117 |
米軍岩国基地で、楢崎弥之助(社会党)が指摘した「赤色」の弾薬プレートが黄色に塗り替えられる。 |
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1117 |
衆院沖縄返還協定特別委員会。福田赳夫外相、「米政府に確認した結果、岩国に核兵器はないとの返事」との答弁。 |
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1118 |
米海兵隊岩国航空基地のバンキャンペン司令官、記者会見。核貯蔵を間接的に否定。B52の飛来も否定。 |
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1119 |
森滝市郎広島県原水禁代表委員ら15人、米軍岩国基地を訪れ「核兵器、毒ガスの即時撤去、基地自体の撤去を要求する」と抗議。 |
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1122 |
森滝市郎ら社会党系の原水禁団体、被爆者団体が米軍基地司令官との面会を求め基地前で座り込み。 |
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1122 |
成田知巳社会党委員長、国会内で記者会見。「楢崎弥之助氏が岩国基地に核・生物・化学兵器部隊が存在する証拠を入手」と発表。資料は基地電話帳の記述。 |
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1122 |
朝枝俊輔岩国市長・岸本孝二山口県副知事、バンキャンペン岩国基地司令官と面会、核疑惑をただす。 |
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1124 |
防衛庁、「米軍岩国基地を調査した結果、基地に核・生物・化学兵器はなかった」と発表。 |
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1209 |
米軍岩国基地でこの3月にヤギ10頭を飼い、一晩で全部が死んだ事実が分かる。基地側は「野犬にかみ殺された」と発表。 |
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1218 |
岩国市体育館で米女優ジェーン・フォンダさんら自由劇団(FTA)の反戦ショー。ベ平連主催。約1000人の米兵が参加。 |
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1982 |
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1128~29 |
中国5県の原水協、平和委員会、安保破棄・諸要求貫徹実行委員会主催「82年岩国基地平和行動」。 |
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『広島民報』No.854(19821114) |
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止
『基地イワクニ~日米安保のはざまで~』(中国新聞社、19960802)<作業中>
内容
部章 |
タイトル |
備考 |
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はじめに―岩国と沖縄の『距離』 |
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1部 |
基地半世紀 |
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序章 |
今も米軍のアジア戦略拠点 |
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基地と岩国/米海兵隊/思いやり予算/米軍の総戦力 |
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1章 |
基地の街の日米関係史① |
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航空機事故/低空飛行/上空制限/騒音公害/ぶらさがり族/強制買収/べ平連/チャーリー/基地従業員/反基地運動/都市縁組/相互理解/核疑惑 |
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2章 |
基地の街の日米関係史② |
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西洋住宅/精霊之碑/川下経済/県性病診療所/投げ銭事件/空母寄港/不時着/笑顔作戦/滑走路/軍楽隊/若竹寮/米兵犯罪 |
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2部 |
日本の中のアメリカ |
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序章 |
在日米軍の概要と現状 |
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基地・施設/青森県三沢市/長崎県佐世保市/神奈川県 |
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1章 |
岩国基地と自治体 |
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基地対策課/防衛補助事業/川下の区画整理/道路づくり/基地教育/
跡地返還 |
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2章 |
特別ルポ 沖縄から |
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本土復帰23年/沖縄の米軍/普天間飛行場/読谷村の闘い/宜野湾市の未来/県の取り組み/ネットワーク |
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3章 |
クローズアップ |
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①新井英一とイワクニ(ブルース歌手を志す原点)
②米兵犯罪に泣き寝入り目立つ(賠償請求手続き面倒であきらめ)
③中国山地でも超低空飛行(実態見えず、不安募らせる住民)
④オキナワとイワクニ(基地めぐり「縮小」と「強化」懸念)
⑤岩国基地の「機能強化」着々(思いやり予算で建築ラッシュ) |
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3部 |
米軍基地に関する市民意識 |
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調査編 「普天間」移転と岩国基地 |
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普天間・飛行部隊「岩国移転」めぐる動き/市民の基地意識/「普天間」問題/迷惑施設か/沖合移設問題 |
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資料編 |
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◆米軍岩国基地関連の年表 基地の歩み・航空機事故関連/米兵犯罪・社会一般・生活など
◆核疑惑・岩国基地をめぐる動き
◆日米安全保障共同宣言-21世紀に向けての同盟(全文)
◆「普天間」返還と岩国移転計画-日米の合意内容-
◆米軍基地に関する市民意識調査(質問と回答) |
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おわりに |
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止
年表:イワクニとヒロシマ 1945年~64年<作業中>
年月日 |
できごと |
備考 |
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出典
『中国新聞』= 特記のない場合
[イワクニ]=『基地イワクニ~日米安保のはざまで~』(中国新聞社、19960802) |
1945 |
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0906 |
原爆の効果を調査する米陸軍の専門家一行、岩国飛行場に到着。 |
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09 |
米海兵隊進駐、岩国飛行場を接収[イワクニ]。 |
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1946 |
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02 |
英連邦空軍と米空軍、岩国進駐[イワクニ]。 |
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1948 |
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**** |
英豪空軍基地になる[イワクニ] |
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0807 |
平和祭の旅客混雑解消に山陽線広島―岩国間に臨時列車。 |
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1949 |
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0426 |
映画「ヒロシマ」製作のため米軍岩国航空隊が広島市上空を撮影飛行へ。 |
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1950 |
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06 |
朝鮮戦争始まる。 |
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09 |
国連軍として、英海軍部隊・米空軍及び米海軍部隊の一部が駐留。英豪空軍、米空軍の戦闘機、前線支援で出撃、岩国基地は朝鮮半島への爆撃・支援・補給基地に。[イワクニ] |
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1951 |
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06 |
岩国市議会、街娼の激増で山口県内初の売春取締条例を可決。岩国市署推定で1500人[イワクニ] |
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0806 |
平和記念式典に朝鮮戦線出動50回以上の岩国航空基地兵士24人も参列。兵士は中国新聞社8回から全市を展望し「明日からの出撃に平和探求への希望を強めました」 |
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1952 |
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04 |
日米安保条約発効。英豪空軍撤退、米空軍基地になる。兵員3500人。[イワクニ] |
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04 |
岩国空港、民間空港として開港。日本航空、東京―岩国―福岡の定期便運航。[イワクニ] |
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07 |
米国CAT、オーストラリア航空など国際便の就航。岩国基地、税関空港指定、羽田と共に国際空港に[イワクニ] |
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1953 |
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07 |
朝鮮戦争、休戦協定署名。 |
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09 |
初の基地一般開放[イワクニ] |
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1954 |
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03 |
極東航空(全日空の前身)、岩国―大阪便運航開始[イワクニ] |
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1955 |
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0505 |
原爆乙女25人、岩国空港から米空軍機で米へ出発。 |
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11 |
米海軍岩国航空基地の兵士家族の原爆孤児養子縁組増える。 |
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12 |
米海軍基地になる[イワクニ] |
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1956 |
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0617 |
中林智子さん( 原爆乙女、手術中死亡)の遺骨、米軍用機で羽田に帰国、岩国空港を経て広島に帰る。 |
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07 |
韓国から米海兵隊第1海兵航空師団、厚木から米海軍第6哨戒飛行群が岩国移駐。[イワクニ] |
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12 |
米軍、クリスマスに児童養護施設の子供を基地に招待する「笑顔作戦」始める[イワクニ] |
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1957 |
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03 |
海上自衛隊教育航空群、共同使用を開始[イワクニ] |
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04 |
売春防止法施行。1年後発効[イワクニ]。 |
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05 |
空母ホーネット寄港。[イワクニ] |
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1958 |
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02 |
海自隊岩国航空教育隊が発足。[イワクニ] |
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1109 |
岩国市で原水禁広島、山口協議会主催の核武装阻止岩国基地平和大行進、山口広島両県民集会開く。2700人参加。 |
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1959 |
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8 |
山口県市原水協、岩国で基地撤去集会[イワクニ] |
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11 |
米兵2人、基地の兵器庫から盗んだ短銃50丁や実弾を広島の暴力団に横流し[イワクニ] |
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1960 |
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06 |
基地周辺住民、岩国市議会へ米軍ジェット機爆音対策求め初の請願[イワクニ] |
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07 |
岩国で「安保不承認」中国地区国民大会。5000人参加。[イワクニ] |
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1961 |
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09 |
広島空港開港[イワクニ] |
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1962 |
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06 |
基地撤去・米軍軍事介入反対の中国5県総決起集会。2000人参加[イワクニ]。 |
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1963 |
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02 |
空母キティホーク( 世界最大)寄港。乗組員3500人。[イワクニ] |
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06 |
空母コンステレーション( 最新型)寄港。乗組員4200人。[イワクニ] |
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1964 |
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12 |
米兵、暴力団に短銃20丁横流し[イワクニ] |
|
止
沖縄人民党の歴史 第12章 科学的社会主義の党に向かって<作業中>
『沖縄人民党の歴史 付=党史年表 1947~1973』(沖縄人民党史編集刊行委員会、19851115)所収
目次
節 |
見出し |
1 |
「施政権」返還と新しい段階での党の進路 |
|
1 たたかいの新しい段階 |
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2 科学的社会主義の党へ―画期的な決定 |
|
3 理論学習と全党討議すすむ |
|
4 第三十三回総選挙-瀬長再選と共産党の大躍進 |
|
|
2 |
日本共産党の旗のもとに |
|
1 党発展の創造的な歩み |
|
2 第17回党大会 |
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3 合流への準備すすむ |
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4 合流の達成と日本共産党沖縄県党組織の発足 |
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年表 |
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|
止
沖縄人民党の歴史 第11章 核も基地もない沖縄をめざして<作業中>
『沖縄人民党の歴史 付=党史年表 1947~1973』(沖縄人民党史編集刊行委員会、19851115)所収
目次
節 |
見出し |
1 |
日米交渉の進展と内外情勢 |
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1 二つの道をめぐる七一年闘争 |
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2 政府の秘密外交 |
|
3 ニクソンのラオス侵攻と党の抗議闘争 |
|
4 日米共同声明の条約化の動き |
|
|
2 |
全面返還を要求する統一闘争の高まり |
|
1 七四年四・二八と五・一九統一行動 |
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2 沖縄協定締結と怒りの抗議行動 |
|
3 「核マル」一派との謀略的攻撃 |
|
4 参議院選挙のたたかい |
|
5 「久保・カーチス協定」と自衛隊に反対する闘争 |
|
|
3 |
「沖縄国会」へ向けたたたかい |
|
1 党創立二十四周年と県内情勢 |
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2 六中総―たたかいの方針 |
|
3 ”ドル・ショック”の襲来 |
|
4 「沖縄国会」を前に |
|
5 ”瀬長島を返せ” |
|
|
4 |
国会を包む壮大な統一行動の展開 |
|
1 11・10統一行動 |
|
2 強硬「採決」への怒り |
|
3 議場を圧した瀬長質問 |
|
4 党勢拡大をめざして |
|
|
5 |
「施政権」返還と沖縄県の復活 |
|
1 ″復帰不安″の深まりのなかで |
|
2 パリ世界集会に「沖縄の声」 |
|
3 全面占領下さいごの 四・二八 |
|
4 五・一五「施政権」返還 |
|
|
6 |
県知事・県議選挙の勝利 |
|
1 沖縄の進路をかけた政治戦 |
|
2 五大基本政策をかかげて |
|
3 党の躍進と革新県政の誕生 |
|
|
止
沖縄人民党の歴史 第10章 日米共同声明路線反対闘争の発展と国政参加選挙の勝利<作業中>
『沖縄人民党の歴史 付=党史年表 1947~1973』(沖縄人民党史編集刊行委員会、19851115)所収
目次
節 |
見出し |
1 |
B52撤去、原潜「寄港」阻止闘争の発展 |
|
1 B52の墜落と生命を守る県民共闘の結成 |
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2 二・四ゼネストの提起とたたかいの急速な発展 |
|
3 ゼネスト圧殺の策謀と二・四大統一行動 |
|
|
2 |
第七回海上大会と一九六九年四・二八諸行動 |
|
1 「左」右の攻撃から統一を守って |
|
2 行政主席も県民大会に |
|
|
3 |
佐藤訪米反対の一九六九年十一月闘争と日米共同声明の発表 |
|
1 日米交渉の進展と党の闘争方針 |
|
2 全軍労の二十四時間スト―銃剣と対峙して |
|
3 毒ガス撤去せよ、の声全県下に |
|
4 前進する具志川市昆布の土地闘争 |
|
5 佐藤訪米抗議の大デモ―11月闘争 |
|
6 日米共同声明の発表と党の抗議 |
|
7 革新県政の正しい発展のための党の闘争 |
|
8 那覇市議選挙での党の前進 |
|
9 瀬長委員長、ジョリオ・キュリー賞を受賞 |
|
10 第32回総選挙と共産党の躍進 |
|
|
4 |
第十六回党大会と新しい綱領の決定 |
|
1 新綱領をきめた歴史的な大会 |
|
2 新しい綱領の内容とその歴史的意義 |
|
3 初の共産党代表を迎えて―一九七〇年四・二八闘争 |
|
|
5 |
日米安保条約の固定期限終了と安保廃棄、基地撤去闘争の高まり |
|
1 安保条約廃棄をかかげて |
|
2 日本共産党第十一回大会への人民党代表の出席 |
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|
6 |
国政参加選挙の勝利 |
|
1 国政参加ついに実現 |
|
2 選挙の勝利をめざして |
|
3 いっせい市町村選挙の結果 |
|
4 日本共産党の支援を受けて |
|
5 高まった瀬長支持 |
|
6 歴史的な勝利、瀬長二位当選 |
|
7 豊見城村長選挙の勝利 |
7 |
コザ事件―「鉄をもとかす怒り」の爆発 |
|
1 二十五年の怒り燃えあがる |
|
2 演習やめよ、山を守れ |
|
|
止
ヒロシマの歴史を残された言葉や資料をもとにたどるサイトです。