「2001年4月~2011年3月ー広島女学院大学勤務時代」カテゴリーアーカイブ

早稲田アカデミー~8年間の記録集

『早稲田アカデミー~8年間の記録集 平成16年~平成23年』(主催:早稲田公民館/早稲田女性会、後援:広島女学院大学)

内容

**年月日 第*回 <講師> <演題>
2004(平成16)
0520 1 佐藤茂樹 花がほろりと泣いたこと―金子みすずの世界
 0614 2 柚木靖史 日本語力を高めよう
 0916 3 岩内一郎 人間探求の旅~自分と他者とのかかわりを求めて
 1018 4 宮本洋子 あなたのライフストーリーを考えよう―シンデレレラの誘惑
 1118 5 田頭紀和 地球の旅人、タマちゃんが身近な環境問題を探ります
 2005(平成17)
0516 1 木本浩一 都市型林業への模索―山ばかりになる広島市の現状と課題
 0625 2 桐木建始 最近の心理学あれこれ
 0715 3 柚木靖史 日本語力を高めようⅡ
 0929 4  田頭紀和  遺伝子診断とバイオテクノロジー
 1015 5  丸田孝志 中国における恋愛と結婚の文化
1111 6  山本勝正  夏目漱石と家族
 2006  (平成18)
0525 1 藤河家利昭  日本文学/源氏物語
 0614 2  吉田節子  健康長寿と食生活実践の方法論
 0720 3  末永航  食べて見て愛して
 0920 4  柚木靖史  日本語力を高めようⅢ
 1019 5  岩内一郎  子どもの性格形成
 1110 6  森斌  古事記・万葉集の世界~旅と文学~
 2007(平成19)
0525 1  金田文雄  江戸人の見た世界
 0621 2  米倉綽  英語のふしぎ発見
 0727 3  山本勝正  愛と孤独の作家 夏目漱石
 0928 4  宇吹暁  世界遺産入門
 1015 5  三木幹子  映画で学ぶファッションの歴史
 1109 6   森斌  日本(オオヤシマ)の誕生神話
2008(平成20)
1  金田文雄  日本人の生活と妖怪とのかかわり
2  石井三恵  日常生活のコミュニケーションを学ぶ
3  下岡里英  日本人の食生活の現状~食育の必要性
4  山内理恵  イギリス文学の中の女性像
5  石橋由美  コミュニケーションと自我の発達
6  柚木靖史  日本語の過去を知り歴史観点から奥深さを学ぶ
2009(平成21)
1  前川裕治  アメリカ黒人の戦いの歴史
2  市川知美  ハッピーライフを目指した健康管理
3  金田文雄  外から見た日本語
4  田頭紀和  身近な植物の愉快な生き残り戦術-進化の歴史から見る植物の楽しみ方―
5  篠原収  子ども労働とLOHASなライフスタイル
6  瀬山一正  現代の食の問題を考える~女学院大学の健康成果から問題解決への提言
2010(平成22)
1  米倉綽  英語の特徴とは?
2  金田文雄  「江戸の人間ドラマ」―元禄を生きた女たち
3 石井三恵  ハッピー コミュニケーション
4  中田美喜子  情報化社会の光と影
5  前川裕治  日本人とアメリカ人の英雄観の比較
6  佐藤茂樹  女流歌人の和歌の言葉の深さを味わう
 2011  (平成23)
 0513 1 宮本陽子  夏目漱石「虞美人草」を読む
 0610 2  金田文雄  御伽草子「浦島太郎」の不思議
 0701 3  渡辺佳美  チャレンジ!健康ライフ
 0914 4  石橋由美  老いについて
 1014 5  小林文香  これからの住まいを考えよう
 1104 6  桐木建始  自己をみつめる心理学

 

被爆60年を迎えて-近況と今後の抱負(宇吹暁)

被爆60年を迎えて-近況と今後の抱負

宇吹 暁(広島女学院大学)

 被爆50周年までの原爆手記の一応の取りまとめを終えたのが1996年末、これを増補したものを1999年に日外アソシエーツから『原爆手記掲載図書・雑誌総目録 1945-1995』(38955編の手記を収録した3677冊を紹介)として出版することができました。この解題の中で、私は、つぎのように述べています。

原爆被害は、しばしばアウシュビッツや南京の被害と並んで取り上げられる。しかし、多くの場合、犠牲者の数の比較にとどまり、被害者一人一人の個性において表現されているわけではない。もし、30数万人の被爆者及び数不明の遺族・被爆二世などの原爆被害者が、手記を書く、つまり原爆被害への自らの思いを活字として遺すとすれば、それは貴重な「平和への道標」(1986年発行の豊中市原爆被害者の会の手記集のタイトル)となることであろう。
広島で原爆白書の作製が提案されて、30年が経過した。この間、原爆被害の実態解明の試みがさまざまな形でなされてきた。原爆被災資料広島研究会による原爆被災資料の所在確認作業、広島・長崎両市の原爆資料館をはじめとする公共機関による資料の収集・保存事業、10フィート運動による原爆映画の製作、マスコミ各社の原爆企画報道など、その量は膨大なものである。原爆白書にとって、これらの成果を踏まえることはもちろんであるが、なによりも重要なのは、原爆被爆者の体験を基礎に据えることである。その意味で、原爆手記の分析は、原爆白書の基礎と骨格を構築する作業といえよう。
被爆体験は、原水爆禁止運動・反核運動のエネルギーの源泉であった。また、1980年代からは、被爆体験の証言活動を中心とした被爆者運動は、日本の運動の中心的役割を果たしてきた。日本の運動を振り返り、運動の今後を展望しようとする際、原爆手記の分析は、多くの示唆を与えてくれるであろう。

私は、原爆手記分析が、当面の課題と考えていましたが、転職により、しばらく中断をせざるを得なくなりました。早いもので、新しい職場である広島女学院大学で、5回目の8月6日を迎えようとしています。着任当初の予定では、3年間は、新任校での教育と校務に専念し、4年目以降定年まで、原爆被害に関するテーマに取り組むつもりでおりました。この予定は、二つの点から狂ってしまいました。一つは、残念ながら、なかなか以前のようなまとまった時間が取れない日々が続いていることです。もう一つは、初年度から毎年、学生とともにヒロシマについて学び考える機会が予想外の形で起っています。

着任直後の2001年5月24日に、アメリカの提携校ランドルフ・メイコン女子大学との合同セミナーで原爆被害についての講演を行いました。新たな講義の準備に追われる日々を送っていた私にとって、それまでの自分の専門の仕事が認められる可能性を感じることができた貴重な体験でした。これ以後、本学恒例の原爆記念日の平和祈念式、キリスト教主義大学の学生を本学に招いて開いているジョイント8・6平和学習プログラムなど、原爆問題の関わる学内行事には、積極的に参加してきました。
2年目には、朗読劇「夏雲は忘れない」に被爆当時の学院長役で出演しました。この劇は広島女学院の被爆体験記集をもとに構成し、本学の原爆講座(1967年に始まり第36回目)で上演したものです。練習中、自分自身の手記理解の浅さ、追体験することの難しさを痛感し、寝付かれない夜もありました。さらに、本番でも緊張しっぱなしで、観劇した学生の話では、私だけが「ブルブル震えていてカワイカッタ」とのことでしたが、遺族・同窓生の参加も得て大成功でした。
3年目からは、「平和文化」(2003年後期のみ)、「ヒロシマ」(2004年度は夏季集中で関西学院大学との連携講座、2005年度からは前期と夏季集中)を担当しています。講座「ヒロシマ」は、関西学院大学の平和講座設置計画が、同大学の学生による平和公園の「折鶴放火事件」を契機に、女学院大学との連携講座として実現したものです。初年度には30人の学生を迎え、2年目の今年は倍の60人が来学し、8月6日を挟んで、本学の学生とともに学ぶことになっています。
このほか、中国研修(2002年8月、蘆溝橋・中国人民戦争記念館など)、韓国研修(2003年3月、戦争記念館など見学)にも参加することができました。
被爆60周年を前に、マスコミは被爆体験継承の困難さを指摘しています。昨年の8月5日に放映されたNHK「クローズアップ現代」では、関西学院大学での平和講座を聴講する学生の態度(=私語・居眠りなど)をクローズアップしていました。このように、継承の困難さの原因を、学生の側に求める意見もあります。しかし、これらの行事・講義に参加したほとんどの学生は、それぞれ深い感銘を受けています。私は、女学院での体験を通して、継承の可能性への確信を持つことができました。問題なのは、こうした機会が、教育の現場から消えていくことだと思います。

女学院大学赴任以来、原爆手記を系統的に収集し読むという作業はできずにいます。しかし、それでも被爆50年を超えて、400冊を超える手記(集)が発行されていることを確認しました。つい先日も、『爆心地中島-あの日、あのとき-』(元大正屋呉服店を保存する会・原爆遺跡保存運動懇談会編)が出版されました。手記などこれまでの出版物の記述を詳細に検討するとともに、新たに多くの証言を得て、爆心地である中島地域の被爆状況を明らかにしたものです。60年後の現在でも、かなりの証言を得ることが可能であることがわかりました。2004年に出版された中に『「原爆の絵」と出会う』(直野章子著、岩波ブックレット)、『原爆と寺院-ある真宗寺院の社会史』(新田光子著、法蔵館)があります。前著は、被爆の実相の普及に大きな役割を果たしてきた「原爆の絵」の全体像にはじめて向き合った経験の記録です。また、後著は、実家の寺院を中心に、その被爆状況や戦後復興のあゆみを多様な資料で明らかにした学術書です。直接の体験はなくても、被爆体験は新たな担い手により、新たな形で書き継がれています。女学院では、夏に向け同窓会が、新たに体験記集の出版を準備しています。また、女学院創立120周年を来年にひかえ、女学院の平和教育のあゆみをまとめる計画もあります。

今年になって、4半世紀前にまとめられた『広島原爆戦災誌』(全5巻、1971年8月~12月刊行)のテキスト版が広島平和記念資料館のホームページで紹介されていることを知りました。現在でも広島の原爆被害を包括的に取り上げたこの本は、しばしば活用されています。しかし、手記が多数出版されるようになったのは、この出版後のことであり、内容の不十分さが目立ちます。改訂版ないし増補版の作成計画が被爆40周年、50周年にあるかとも期待していましたが、そうした動きは生れませんでした。これまで書き残された体験記を今後生かしてゆく一つの方法として、『広島原爆戦災誌』改定・増補版の作成を提案します。ただし、本を出版することは想定していません。また、広島市にその作業を全面的に期待するものでもありません。具体的作業の一例をあげれば、広島女学院部分の改定・増補を、女学院の関係者がおこない、その成果をインターネット上で紹介することです。『広島原爆戦災誌』に取りあげられている各機関・団体でこの作業が行われたとすれば、広島市が、これらにリンクを張るだけで、とりあえずは改定・増補版が出来上がります。私は、この作業が本学の学生が中心となり、教職員・同窓生を巻き込んで進められることを期待しています。

自己紹介
1970年 広島県史編纂室、1976年 広島大学原爆放射能医学研究所、2001年より広島女学院大学勤務。広島県・広島大学では被爆資料の収集・整理・分析に従事。女学院大学では、生活科学部の芸術文化分野で講義「生活文化史」・「世界遺産」・「ヒロシマ」などを担当。

出典:『自分史つうしn ヒバクシャ』第150号(編集・発行:栗原淑江、20050710)

広島女学院大学・若葉寮解体式 2003年10月2日

広島女学院大学・若葉寮解体式 2003年10月2日

広島女学院大学・若葉寮

設計管理:ヴォーリス建築事務所 施工:藤田組。
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米国合同メソジスト教会婦人部から贈られた資金により1952年5月に建築された

若葉寮解体式

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2003年10月2日

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解体直前の若葉寮内部

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同時に伐採されるメタセコイア