「23 被爆国」カテゴリーアーカイブ

裁かれた日本

『裁かれた日本』(野村正男、角川書店、19560405)

内容<作業中

007 開幕
007 明治ビル開く
009 日本を裁く舞台装置
012 耳新しい罪名
013 秋霜烈日のルール
015 死刑が原則だった
016 宿命の地獄坂
017 天長節を選んで起訴さる
022 弾劾された日本帝国
027 原爆を裁く
029 被告のモノローグ
030 七灯人
032 孤立無援の弁護団
035 26人乗りのバス
037 共同謀議者の面々
038 歴史に初めての裁判
040 狂う大川周明博士
041 松岡洋右の最後
042 暴に屈せず
047 忌避の申立て一蹴さる
049 秋田犬、獅子を噛む一幕
050 日本の降伏は無条件
051 キーナン日本弾劾の日
052 日本現代史の暴露
055 俎の上の28被告
057 日本の言分はきかない
059 うそぶく東条メッセージ
062 歴史の虚実
062 歴史を証言する
065 滝川教授のズバリ証言
066 三月事件の秘密
070 秘密書類続々法廷へ
072 スチムソンのペン
073 リットン・リポート
075 ヒトラーとの共同謀議
076 ノモンハン事件も侵略戦争
078 草場証人、謎の自殺
079 戦慄の赤軍諜報資料
080 広田内閣の「国策基準」
082 チャーチルの手紙
086 グルー大使は来ない
088 宮廷にゆらぐ灯
090 皇族内閣への反対
093 虎穴に入って得た暴虎
094 迷う天皇と「相当の確信」
096 捕虜は復讐する
098 日本抗弁の日きたる
100 弁護団、侵略を否認
102 反証に起つ
104 島田、ハル・ノートを叩く
107 東郷茂徳の二面作戦
109 日本は恥ずべき罪人
111 ナチスと日本はちがう
113 海図なき航海―その判決と刑罰
113 米弁護団首切らる
114 ハットリ・ハウス
116 判決をきく日
118 判決の印象四つ
122 敗者にきびしき法
123 捕虜虐待は政府の責任
126 日本は罪ある国
127 判決のヤマ
131 重光の場合
132 キーナン・レースの大穴
135 無罪は一人もいなかった
139 肉親のうれい
140 傍聴席には野坂参三も
142 君をしばり首にする
145 古い日本への決別
147 ブレークニィ最後の大弁論
150 葬られた少数派の判決
158 天皇の責任論
160 天皇の免責を考慮せよ―ウエッブ裁判長
165 広田の死刑を救え―オランダ判事
170 戦争と軍人の責任
171 日本だけ罰してはいけない―インドの判事
173 絞首刑は平和に貢献しない
175 原子爆弾こそ裁け
178 連合国の手も清潔ではない
180 まだ寛大すぎる―比島の判事
182 広田死刑は六対五
185 死刑の多数決は言語道断
187 マックは死刑を急いだ
193 終末
193 ワシントンの一幕
198 死の金曜日のこと
202 時は流る
204 裁くものは裁かる
207 あとがきにかえて

歴代天皇総覧ー皇位はどう継承されたか

『歴代天皇総覧 皇位はどう継承されたか』(笠原英彦、中公新書<中央公論新社>、20011125)

内容<作業中

はじめに
001 神話時代の天皇
第1代 神武天皇
031 古代の天皇
第5代 応神天皇
203 中世の天皇
第82代 後鳥羽天皇
265 近世の天皇
第108代 後水尾天皇
289 近現代の天皇
第122代 明治天皇
第123代 大正天皇
第124代 昭和天応
302 あとがき
307 天皇系図
323 年表
334 索引

BC級戦犯裁判

『BC級戦犯裁判』(林博史著、岩波書店<新書>、20050621)

内容<作業中

なぜ、いま戦犯裁判か
1 なぜ戦争犯罪が裁かれることになったのか
2 戦犯裁判はどう進んだか
3 八か国の法廷
1 イギリス
2 アメリカ
3 オーストラリア
4 オランダ
5 フィリピン
6 中国
7 フランス
8 ソ連
4 裁かれた戦争犯罪
1 アジア民衆への犯罪
2 捕虜への犯罪
3 女性への犯罪
5 裁いた者と裁かれた者
6 裁判が終わってー戦犯の釈放
BC級戦犯裁判とは何だったのか
あとがき
BC級戦犯裁判関係年表

昭和天皇の「極秘指令」

『昭和天皇の「極秘指令」』(平野貞夫著、講談社、20040410)

内容

まえがき 昭和天皇が託された願い1
前尾衆議院議長の遺言
昭和天皇のある「ご意志」16
核防条約に残された謎17
衆議院議長の真の力19
1 昭和天皇と田中角栄
自民党独裁政治の申し子24
社会的弱者の救済を26
権力の階段29
天皇のエリート官僚びいき31
アメリカの虎の尾34
田中首相は天皇が苦手35
外国人の天皇観を逆手に38
天命が田中角栄を見限った理由41
三木政権の功罪43
2 「ロッキード国会」の真相
原稿用紙三二九枚の覚書46
戦後最大のスキャンダルの裏側47
侍従長日記の興味深い記述50
捏造された診断書52
証人喚問が定着しないわけ55
国会決議は冷酒56
誰も予想しなかった「三木首相親書」58
前尾議長の斡旋に託す自民党62
衆議院議長が万能になる条件64
前尾議長に頼り切る三木首相66
社会党左派の誘い68
田中前首相への引退勧告70
「解散は絶対にさせない」72
CIA資金の行き先74
中曽根幹事長の奇妙な動き77
灰色高官公表に関する裏協定79
民社党の極秘工作82
3 衆議院議長の決意
解散阻止への異常なエネルギー86
外国からの資金提供と幹事長88
議長への「天の救い」91
鬼の形相92
憲政史上初の会談93
「宮本武蔵の心境か」96
議会政治史百年で初のケース98
テレビに出たいがために99
衆参両院議長の覚書の中身102
息を呑む書記長105
党首会談の早期開催への執念107
「なんとか今夜中に五党首会談を」109
一番長い日112
共産党・宮本委員長の仕切り114
鬼気迫る議長の執念116
核防条約にこだわる議長117
社会党・親中国派の反対120
戦後政治史の謎121
わずか一日の質疑125
その後のロッキード事件127
4 放置された核防条約
国会承認までに要した六年134
核防条約の真の狙い135
二つの意義136
不戦を誓った側面138
統一されなかった国論139
インドの核実験で昭和天皇は142
反対派の巧妙な抵抗144
自民党タカ派がつけた条件146
議長として最後の仕事149
前尾議長の奏上が長い理由151
各国元首の天皇への質問153
前尾議長が知った天皇のご心痛158
田中前首相逮捕の代償で160
奏上文に込めた遺志162
5 昭和天皇がもっとも信頼した政治家
内奏の部屋とは166
天皇がされた居睡りのあとで167
芸者遊びをお耳に入れた天皇は171
天皇のお気持ちを高松宮が173
死ぬまで国会議員をやる176
占領軍に抵抗して左遷178
衆議院議長が混乱を収拾する力180
防衛問題に対する昭和天皇のご発言182
6 昭和天皇と原子爆弾
最高の軍事機密「ニ号研究」188
海軍の原爆開発「F研究」191
天皇に叱責された東条英機194
原爆開発を裏づける議会証言197
足摺岬まで伝わっていた原爆開発200
東京大空襲のあと反対をしりぞけて視察203
戦争終結への一念206
八月二日までに「ポツダム宣言」を受諾していれば210
広島の真の惨状213
一時間ごとに状況をたずねられた天皇216
戦争終結への毅然たるお言葉218
小倉なら広島以上の犠牲222
トルーマン大統領のコンプレックス224
仁科博士が空から見た広島226
「私のことはどうなってもかまわない」227
「これでは国体は護持できない」230
軍部を説得された天皇232
涙を流される天皇235
日本が降伏した本当の理由236
「聖断」までの軍部との緊張241
広島で政治へのご不満を243
皇太子への手紙に示された真の姿246
7 天皇と憲法
天皇の政治的発言は禁じられているか250
奏上のたびに高まったお気持ち254
日本のためを考える人間同士として258
核問題についての昭和天皇の真意260
昭和天皇の深い苦しみ262
象徴天皇の「霊性」と憲法264
あとがき―昭和という時代の教訓268
年表272

象徴天皇がやって来る 戦後巡幸・国民体育大会・護国神社

『象徴天皇がやって来る 戦後巡幸・国民体育大会・護国神社』(坂本孝治郎、平凡社、19880810)

内容

まえがき
1 戦後地方巡幸と国民大会
 北海道新聞にみる1954年のコ-トシップ・ドラマ
はじめに
1 北海道巡幸と北海道国体
2 事前状況の構成
3 転換期のコートシップ・ドラマ
結びにかえて
2 静岡国体と護国神社参拝の開始
 静岡新聞にみる1957年の参拝キャンペーン
はじめに
4 1957年の参拝キャンペーン
5 1961年の参拝儀礼
1 皇族の護国神社参拝の状況
2 終戦儀礼と独立儀礼
3 佐賀県護国神社の象徴的意義
4 1971年の原爆慰霊碑参拝
結びにかえて
参考資料
関係年表 1945~61年
北海道新聞・関係記事年表 1954年6月~9月
北海道行幸啓日程(1954年)
天皇行幸一覧(1952~63年)
あとがき

主な学生運動<広島大学 >

主な学生運動<広島大学 >

年月日 事項
1950
0603 広島文理科大学自治会を中心に、イールズ声明反対・軍事基地化反対・全面講和を スローガンに全学決起大会を開催(開催場所不明)。
1952
0602 教養部学友会が学生大会を開催。約800人が参加し、破壊活動防止法(破防法)反 対を決議。ストライキの提案があったが、出席が過半数に満たず、賛成も3分の2 を上回らなかったため否決(開催場所不明)
0619  教養部生約800人が破防法反対決起大会を開催(開催場所不明)。大会後、約80人が 市内デモを実施。
1956
0602 平和と民主主義擁護委員会(文学部有志が結成)が教育3法案への抗議集会を開催 (開催場所不明)。約800人の学生が参加。
1957
1101 原水爆禁止広島協議会が原水爆禁止国際共同行動広島大会を開催(開催場所:広島 市役所南広場)。広島大学自治会連合会はストライキまたは授業放棄によって大会 に参加することを決定。広大生約600人、各団体から約500人が参加。
1958
0425 エニウェトク・クリスマス島水爆実験反対と勤務評定阻止全日本学生総決起大会を 開催(開催場所:原爆慰霊碑前)。約500人が参加。
0515 同上。約1,000人の学生 (広島大学以外も含む)が参加。大会後、デモ行進を実施
0626 広島大学自治会連合会が広島県警の学生スパイ強要事件に対して、スパイ活動強要 反対抗議集会を開催(開催場所:平和記念館前広場)。約1,000人の学生が参加。集 会後、デモ行進を実施。
1028  警察官職務執行法(警職法)改正反対運動のため、広島大学自治会連合会が完全授 業放棄を決定。本部・教養部の各門にピケを張り入構する学生を説得。午前と午後 の2回にわたり教養部校門前で抗議集会を開催し、デモ行進を実施。
1959
1030 教養部学友会執行部は午後からの授業放棄を決定。安保改定阻止全国学生統一行動 広島大会を開催。教養部学生約400人、文学部自治会・医学部生等約500人が参加(開 催場所:広島大学正門前)。集会後、デモ行進を実施。その際に計8人の学生が逮 捕される。
1960
0513 全日本学生自治会総連合の統一行動日に合わせて安保反対の総決起大会を開催(開 催場所:教養部中庭)。約500人の学生が参加。大会後、約70人がデモ行進を実施。 その後、本部で約30人が合流、15時に授業を終えた80人が合流。
0519 前日からストライキ実行委員会がバリケードを構築。当日は寮生を中心にピケ隊を 組織。8時半から約600人の学生が参加して総決起大会。大会後、約350人が デモを実施。13時半から約300人の学生が2回目のデモ行進を実施。その際に学生 1人が逮捕される。
0614 教養講堂で総決起集会。終了後、約500人がデモ行進。
0615 午前、午後の2回デモ行進を実施。参加者は約150人。 注:同日、国会前の抗議デモで東京大学学生の樺美智子が死亡。
0616 教養部で緊急学生大会開催。全日授業放棄を決定、10時ごろからデ モ行進を実施。約1,500人が参加(教養部生の他に、本部から学部生、大学院生、 教官等も参加)。その際に3人の学生が逮捕された。
0617 教養部生約250人、本部学部生・大学院生約400人がデモ。東雲 分校自治会、学生大会を開き初の市内デモを実施。
0618 広島平和公園で開かれた全階層中央集会に教養部生約500人、他学部 自治会約300人が参加。デモ行進の際に学生1人が逮捕される。東雲分校自治会 もデモを実施。水畜産学部・福山分校学友会も抗議集会を開き、初のデモ行進を 実施。
1962
0427 アメリカ太平洋核実験即時中止、ソ連核実験再開全体反対を掲げた日米英国際学生 統一行動を実施。教養部生約800人、学部生約500人が参加して抗議集会(開催場所: 広島大学正門前)を開催後、デモ行進を実施。文・教育学部自治会は核実験問題に ついて討論集会を開催。
1965
0513 千名デモ実行委員会がベトナム戦争反対集会を開催。約700人が参加。 注:この前後にも相次いでベトナム戦争反対の集会・デモ。
1028 日韓基本条約批准への抗議集会後、約300人がデモ行進を実施。その 際に学生1人が逮捕された。これに対してデモ隊が広島西警察署に抗議活動を 行ったところ、無届け集会という理由で学生2人が逮捕される。
1029 昼食時に抗議集会、その後、約250人が広島西警察署に抗議活 動を行い、無届けデモという理由で学生2人が逮捕される。放課後、抗 議集会とデモが行われ約500人が参加。
1967
1021  「10.21国際反戦統一行動」に応じて、広島大学自治会連合会が集会を開催。他大学 も含め約800人が参加。集会後、市内デモを実施。
1968
0529 教養部学生大会を開き、ベトナム戦争反対等を掲げたスト決行を決議 (賛成807、反対428、無効247)。大会後、150~200人の学生が学内デモを行い、教養部校舎の出入り口にバリケードを築くとともに、本部キャンパスの門を封鎖。
0530 午前中に教養部学友会は総決起集会。13時から広島大学自治会 連合会が全学集会を開催。集会後、約700人が広島市内で、約400人が呉市広で、 それぞれデモ行進を実施。このうち呉市広のデモで学生11人が逮捕される。
出典:『広島大学二十五年史』通史317~378、391~395、402~407頁

 

参考:「3章 高度経済成長下の広島大学 2節 大学紛争」『広島大学75年史通史編』

1 学生運動の変化
表3-8 主な学生運動(広島大学)
2 広大紛争の発生とキャンパスの封鎖
全国の状況
広大全共闘の発足と8項目要求
教養部学友会のスト決議・突入
川村学長の辞任と学部の封鎖
飯島学長の選出と団体交渉の実施
封鎖解除

皇室の20世紀 隔週刊DVD付きマガジン

『皇室の20世紀 隔週刊DVD付きマガジン』(小学館刊)

発行年月日 タイトル
2010
1 0323 世紀のご成婚
2 0406 天皇皇后両陛下 日本全国への旅 国民に寄り添われるお姿
3 0420 昭和天皇の思い出  国民の幸せを願われたご生涯
4 0511 浩宮さま・礼宮さま・紀宮さま
5 0525 天皇陛下ご即位20年の歩み 国と国民に尽くすお志
6 0608 素顔の皇后美智子さま 慈愛に満ちたまなざし
7 0622 皇太子さま・雅子さまのご成婚 華麗なる平成絵巻
8 0706 天皇皇后両陛下国際親善の旅 世界を巡るふれあいのアルバム
9 0720 秋篠宮さま・紀子さまの絆 微笑みの日々を重ねられて
10 0803 敬宮愛子さまのご成長 皇太子ご一家の歩み
11 0817 昭和天皇戦後のご巡幸 復興から平和へ願いを込めて
12 0831 秋篠宮家のお子さま方 眞子さま、佳子さま、悠仁さまのご成長
13 0914 宮中晩餐会のすべて 世界の要人へのおもてなしの数々
14 0928 天皇陛下仕事でつづるお人柄ご多忙を極める365日
15 1012 美智子妃殿下から皇后陛下へ 50年の輝きとご足跡
16 1026 紀宮さま嫁がれるまでの日々  皇室ご一家に慈しまれた内新王
17 1109 昭和・平成の園遊会  皇室と時の人々とのご歓談
18 1122 被災地の復興に心を寄せられて
19 1207 皇太子三代の横顔  立太子礼とご活躍をたどる
20 1221 皇后美智子さまのお仕事
2011
21 0111 宮中の儀式と行事で新年を寿ぐ
22 0125 心に響くおことば集  天皇皇后陛下が述べられた御心の数々
23 0208 華麗なる皇室ファッション  皇后美智子さまの優雅な着こなし名場面集
24 0222 悠仁さまと秋篠宮の素顔
25 0308 地方ご訪問での出会い
26 0322 知られざる皇室のすべて
27 0405 六つの宮家
28 0419 皇族方の国際親善
29 0510 皇室の福祉への思い 明治から始まった活動とご訪問
30 0524 皇室とスポーツ素顔のひとときを追つて
31 0607 御用邸でのやすらぎ 皇室ご一家のご静養
32 0621 香淳皇后と皇后美智子様の微笑
33 0705 芸術に触れるひととき
34 0719 天皇皇后両陛下平和への祈り 慰霊の旅の記録
35 0802 皇室と王室との交流
36 0816 東宮ご一家、秋篠宮ご一家に囲まれて
37 0830 皇室の方々のご研究 ご公務の合間を縫って打ち込まれる分野
38 0913 皇后美智子さまと女性皇族方の輝き
39 0927 「励ましと祈り」の全記録
40 1011 天皇皇后両陛下 次世代への願い

 

戦争をしない国 明仁天皇メッセージ

『戦争をしない国 明仁天皇メッセージ』(矢部宏治<文>須田慎太郎<写真>、小学館、20150705)

内容<作業中

I  shall be Emperor
慰霊の旅・沖縄
国民の苦しみと共に
近隣諸国へのメッセージ
戦争をしない国
美智子皇后と共に
あとがき
付録 世界はなぜ、戦争を止められないのか―国連憲章と集団的自衛権

天皇系図(抄)

天皇系図(抄)

https://www.kunaicho.go.jp/about/kosei/keizu.html

元号 西暦 メモ
001 神武 (前660-585)
122 明治 (1867-1912)
123 大正 (1912-1926)
124 昭和 (1926-1989)  裕仁(ひろひと)
125 平成 (1989-2019) 明仁(あきひと)<美智子>
126 令和 (2019-) 徳仁(なるひと)<雅子>