昭和天皇の終戦史

『昭和天皇の終戦史』(吉田裕、岩波新書、19921221)

内容

「天皇独白録」とは何か 1
I 太平洋戦争時の宮中グループ 9
1 開戦をめぐる宮中グループの動向 11
2 戦局の悪化と近衛グループの台頭 18
3 ポツダム宣言の受諾 23
近衛の戦後構想 39
 1 「自主裁判」構想とその挫折 41
2 保守勢力の敗戦への対応 47
3 占領期の近衛 55
III 宮中の対GHQ工作 65
1 宮中グループによる政治工作の開始 67
2 高松宮の政治活動 72
3 GHQの対天皇政策 78
IV  「天皇独白録」の成立事情 85
 1 東久迩宮発言の波紋 87
2 GHQの対応 92
3 宮中グループの動き 98
4 寺崎英成の虚像と実像 103
5 松平康昌の役割 109
V 天皇は何を語ったか 123
1 2つの参考資料 125
 2 「独白録」の論理構成1 13
 3 「独白録」のなかの天皇像 146
4 「独白録」・その後 156
5 「独白録」をめぐる人脈 163
VI 東京裁判尋問調書を読む 171
 1 ニュルンベルク裁判との相違 173
2 尋問への協力 181
3 公判廷における証言 196
VII 行動原理としての「国体護持」 209
1 陸軍との対立 211
2 英米との協調の重視 215
3 国体至上主義 219
4 宮中グループの人脈 224
 再び戦争責任を考える 231
あとがき 243

歴代天皇総覧ー皇位はどう継承されたか

『歴代天皇総覧 皇位はどう継承されたか』(笠原英彦、中公新書<中央公論新社>、20011125)

内容<作業中

はじめに
001 神話時代の天皇
第1代 神武天皇
031 古代の天皇
第5代 応神天皇
203 中世の天皇
第82代 後鳥羽天皇
265 近世の天皇
第108代 後水尾天皇
289 近現代の天皇
第122代 明治天皇
第123代 大正天皇
第124代 昭和天応
302 あとがき
307 天皇系図
323 年表
334 索引

昭和天皇の「極秘指令」

『昭和天皇の「極秘指令」』(平野貞夫著、講談社、20040410)

内容

まえがき 昭和天皇が託された願い1
前尾衆議院議長の遺言
昭和天皇のある「ご意志」16
核防条約に残された謎17
衆議院議長の真の力19
1 昭和天皇と田中角栄
自民党独裁政治の申し子24
社会的弱者の救済を26
権力の階段29
天皇のエリート官僚びいき31
アメリカの虎の尾34
田中首相は天皇が苦手35
外国人の天皇観を逆手に38
天命が田中角栄を見限った理由41
三木政権の功罪43
2 「ロッキード国会」の真相
原稿用紙三二九枚の覚書46
戦後最大のスキャンダルの裏側47
侍従長日記の興味深い記述50
捏造された診断書52
証人喚問が定着しないわけ55
国会決議は冷酒56
誰も予想しなかった「三木首相親書」58
前尾議長の斡旋に託す自民党62
衆議院議長が万能になる条件64
前尾議長に頼り切る三木首相66
社会党左派の誘い68
田中前首相への引退勧告70
「解散は絶対にさせない」72
CIA資金の行き先74
中曽根幹事長の奇妙な動き77
灰色高官公表に関する裏協定79
民社党の極秘工作82
3 衆議院議長の決意
解散阻止への異常なエネルギー86
外国からの資金提供と幹事長88
議長への「天の救い」91
鬼の形相92
憲政史上初の会談93
「宮本武蔵の心境か」96
議会政治史百年で初のケース98
テレビに出たいがために99
衆参両院議長の覚書の中身102
息を呑む書記長105
党首会談の早期開催への執念107
「なんとか今夜中に五党首会談を」109
一番長い日112
共産党・宮本委員長の仕切り114
鬼気迫る議長の執念116
核防条約にこだわる議長117
社会党・親中国派の反対120
戦後政治史の謎121
わずか一日の質疑125
その後のロッキード事件127
4 放置された核防条約
国会承認までに要した六年134
核防条約の真の狙い135
二つの意義136
不戦を誓った側面138
統一されなかった国論139
インドの核実験で昭和天皇は142
反対派の巧妙な抵抗144
自民党タカ派がつけた条件146
議長として最後の仕事149
前尾議長の奏上が長い理由151
各国元首の天皇への質問153
前尾議長が知った天皇のご心痛158
田中前首相逮捕の代償で160
奏上文に込めた遺志162
5 昭和天皇がもっとも信頼した政治家
内奏の部屋とは166
天皇がされた居睡りのあとで167
芸者遊びをお耳に入れた天皇は171
天皇のお気持ちを高松宮が173
死ぬまで国会議員をやる176
占領軍に抵抗して左遷178
衆議院議長が混乱を収拾する力180
防衛問題に対する昭和天皇のご発言182
6 昭和天皇と原子爆弾
最高の軍事機密「ニ号研究」188
海軍の原爆開発「F研究」191
天皇に叱責された東条英機194
原爆開発を裏づける議会証言197
足摺岬まで伝わっていた原爆開発200
東京大空襲のあと反対をしりぞけて視察203
戦争終結への一念206
八月二日までに「ポツダム宣言」を受諾していれば210
広島の真の惨状213
一時間ごとに状況をたずねられた天皇216
戦争終結への毅然たるお言葉218
小倉なら広島以上の犠牲222
トルーマン大統領のコンプレックス224
仁科博士が空から見た広島226
「私のことはどうなってもかまわない」227
「これでは国体は護持できない」230
軍部を説得された天皇232
涙を流される天皇235
日本が降伏した本当の理由236
「聖断」までの軍部との緊張241
広島で政治へのご不満を243
皇太子への手紙に示された真の姿246
7 天皇と憲法
天皇の政治的発言は禁じられているか250
奏上のたびに高まったお気持ち254
日本のためを考える人間同士として258
核問題についての昭和天皇の真意260
昭和天皇の深い苦しみ262
象徴天皇の「霊性」と憲法264
あとがき―昭和という時代の教訓268
年表272

象徴天皇がやって来る 戦後巡幸・国民体育大会・護国神社

『象徴天皇がやって来る 戦後巡幸・国民体育大会・護国神社』(坂本孝治郎、平凡社、19880810)

内容

まえがき
1 戦後地方巡幸と国民大会
 北海道新聞にみる1954年のコ-トシップ・ドラマ
はじめに
1 北海道巡幸と北海道国体
2 事前状況の構成
3 転換期のコートシップ・ドラマ
結びにかえて
2 静岡国体と護国神社参拝の開始
 静岡新聞にみる1957年の参拝キャンペーン
はじめに
4 1957年の参拝キャンペーン
5 1961年の参拝儀礼
1 皇族の護国神社参拝の状況
2 終戦儀礼と独立儀礼
3 佐賀県護国神社の象徴的意義
4 1971年の原爆慰霊碑参拝
結びにかえて
参考資料
関係年表 1945~61年
北海道新聞・関係記事年表 1954年6月~9月
北海道行幸啓日程(1954年)
天皇行幸一覧(1952~63年)
あとがき

皇室の20世紀 隔週刊DVD付きマガジン

『皇室の20世紀 隔週刊DVD付きマガジン』(小学館刊)

発行年月日 タイトル
2010
1 0323 世紀のご成婚
2 0406 天皇皇后両陛下 日本全国への旅 国民に寄り添われるお姿
3 0420 昭和天皇の思い出  国民の幸せを願われたご生涯
4 0511 浩宮さま・礼宮さま・紀宮さま
5 0525 天皇陛下ご即位20年の歩み 国と国民に尽くすお志
6 0608 素顔の皇后美智子さま 慈愛に満ちたまなざし
7 0622 皇太子さま・雅子さまのご成婚 華麗なる平成絵巻
8 0706 天皇皇后両陛下国際親善の旅 世界を巡るふれあいのアルバム
9 0720 秋篠宮さま・紀子さまの絆 微笑みの日々を重ねられて
10 0803 敬宮愛子さまのご成長 皇太子ご一家の歩み
11 0817 昭和天皇戦後のご巡幸 復興から平和へ願いを込めて
12 0831 秋篠宮家のお子さま方 眞子さま、佳子さま、悠仁さまのご成長
13 0914 宮中晩餐会のすべて 世界の要人へのおもてなしの数々
14 0928 天皇陛下仕事でつづるお人柄ご多忙を極める365日
15 1012 美智子妃殿下から皇后陛下へ 50年の輝きとご足跡
16 1026 紀宮さま嫁がれるまでの日々  皇室ご一家に慈しまれた内新王
17 1109 昭和・平成の園遊会  皇室と時の人々とのご歓談
18 1122 被災地の復興に心を寄せられて
19 1207 皇太子三代の横顔  立太子礼とご活躍をたどる
20 1221 皇后美智子さまのお仕事
2011
21 0111 宮中の儀式と行事で新年を寿ぐ
22 0125 心に響くおことば集  天皇皇后陛下が述べられた御心の数々
23 0208 華麗なる皇室ファッション  皇后美智子さまの優雅な着こなし名場面集
24 0222 悠仁さまと秋篠宮の素顔
25 0308 地方ご訪問での出会い
26 0322 知られざる皇室のすべて
27 0405 六つの宮家
28 0419 皇族方の国際親善
29 0510 皇室の福祉への思い 明治から始まった活動とご訪問
30 0524 皇室とスポーツ素顔のひとときを追つて
31 0607 御用邸でのやすらぎ 皇室ご一家のご静養
32 0621 香淳皇后と皇后美智子様の微笑
33 0705 芸術に触れるひととき
34 0719 天皇皇后両陛下平和への祈り 慰霊の旅の記録
35 0802 皇室と王室との交流
36 0816 東宮ご一家、秋篠宮ご一家に囲まれて
37 0830 皇室の方々のご研究 ご公務の合間を縫って打ち込まれる分野
38 0913 皇后美智子さまと女性皇族方の輝き
39 0927 「励ましと祈り」の全記録
40 1011 天皇皇后両陛下 次世代への願い

 

戦争をしない国 明仁天皇メッセージ

『戦争をしない国 明仁天皇メッセージ』(矢部宏治<文>須田慎太郎<写真>、小学館、20150705)

内容<作業中

I  shall be Emperor
慰霊の旅・沖縄
国民の苦しみと共に
近隣諸国へのメッセージ
戦争をしない国
美智子皇后と共に
あとがき
付録 世界はなぜ、戦争を止められないのか―国連憲章と集団的自衛権

天皇系図(抄)

天皇系図(抄)

https://www.kunaicho.go.jp/about/kosei/keizu.html

元号 西暦 メモ
001 神武 (前660-585)
122 明治 (1867-1912)
123 大正 (1912-1926)
124 昭和 (1926-1989)  裕仁(ひろひと)
125 平成 (1989-2019) 明仁(あきひと)<美智子>
126 令和 (2019-) 徳仁(なるひと)<雅子>

 

宮内庁ホームページの中のヒロシマ

宮内庁ホームページの中のヒロシマ<作業中

事項
1995平7 両陛下は,戦後50年に先立つ平成6年(1994年)には,硫黄島・父島・母島へ,また,戦後50年に当たる平成7年(1995年)には,長崎・広島・沖縄・東京(東京都慰霊堂)へ,それぞれ,慰霊のために赴かれました。このほか,戦後70年の平成27年(2015年)には,高尾みころも霊堂(産業殉職者慰霊施設)(東京都八王子市)をご訪問になったほか,東京都慰霊堂(東京都墨田区),観音崎公園内の戦没船員の碑(神奈川県横須賀市)にも赴かれました。
https://www.kunaicho.go.jp/activity/activity/01/activity01.html
1995 平成7年5月20日(土)~平成7年5月22日(月)
広島県行幸啓(第46回全国植樹祭にご臨席併せて地方事情ご視察)
平成7年5月20日(土)
天皇皇后両陛下 皇居御発
天皇皇后両陛下 県勢概要ご聴取(広島県知事)(広島県庁(広島県))
天皇皇后両陛下 ご供花(原爆死没者慰霊碑)(広島平和都市記念碑(広島市))
天皇皇后両陛下 ご視察(広島平和記念資料館)(広島市)
天皇皇后両陛下 ご視察(広島原爆養護ホーム舟入むつみ園)(広島市)
天皇皇后両陛下 ご臨席(全国植樹祭懇親会)(リーガロイヤルホテル広島(広島市))
平成7年5月21日(日)
天皇皇后両陛下 第46回全国植樹祭式典ご臨席(広島県立中央森林公園)(本郷町)
天皇皇后両陛下 ご視察(ふれあいの里)(御調町)
平成7年5月22日(月)
天皇皇后両陛下 ご視察(広島県立歴史博物館)(福山市)
天皇皇后両陛下 ご視察(広島県立東部工業技術センター)(福山市)
天皇皇后両陛下 皇居御着
https://www.kunaicho.go.jp/activity/gonittei/01/h07/gonitei-h07-02.html
天皇皇后両陛下のご日程
平成7年7月3日(月)
天皇皇后両陛下 拝謁(東京都硫黄島戦没者追悼式に参列の遺族代表等)(宮殿)
平成7年7月26日(水)~平成7年7月27日(木)
長崎県・広島県行幸啓(戦後50年に当たり)
平成7年7月26日(水)
天皇皇后両陛下 皇居御発
天皇皇后両陛下 「戦災50年の概況」ご聴取(長崎県知事)(ホテルニュー長崎(長崎市))
天皇皇后両陛下 ご供花(平和公園)(長崎市)
天皇皇后両陛下 ご視察(原爆資料センター)(長崎国際文化会館(長崎市))
天皇皇后両陛下 ご視察(恵の丘長崎原爆ホーム)(長崎市)
平成7年7月27日(木)
天皇皇后両陛下 広島県へご移動
天皇皇后両陛下 「戦災50年の概況」ご聴取(広島県知事)(リーガロイヤルホテル広島(広島市))
天皇皇后両陛下 ご供花(広島平和都市記念碑(原爆死没者慰霊碑))(平和記念公園(広島市))
天皇皇后両陛下 ご視察(広島原爆養護ホーム倉掛のぞみ園)(広島市)
天皇皇后両陛下 皇居御着
平成7年8月2日(水)
沖縄県行幸啓(戦後50年に当たり)
お名前 ご日程
天皇皇后両陛下 皇居御発
天皇皇后両陛下 「戦災50年の概況」ご聴取(沖縄平和祈念堂)(糸満市)
天皇皇后両陛下 ご供花(国立沖縄戦没者墓苑)(糸満市)
天皇皇后両陛下 ご視察(平和の礎)(糸満市)
天皇皇后両陛下 皇居御着
平成7年8月3日(木)
天皇皇后両陛下 戦後50年に当たり行幸啓(東京都慰霊堂)
平成7年8月15日(火)
天皇皇后両陛下 全国戦没者追悼式ご臨席(日本武道館)
平成7年9月14日(木)
天皇皇后両陛下 ご供花(戦没船員の碑)(神奈川県立観音崎公園)
https://www.kunaicho.go.jp/activity/gonittei/01/h07/gonitei-h07-03.html
2006 広島県行啓(第30回全国育樹祭にご臨場,併せて地方事情をご視察)
平成18年10月21日(土)
皇太子殿下 東宮御所御発
皇太子殿下 県勢概要ご聴取(広島県知事),ご昼食(リーガロイヤルホテル広島(広島市))
皇太子殿下 ご供花(広島平和都市記念碑(原爆死没者慰霊碑)(広島市))
皇太子殿下 ご視察(広島原爆養護ホーム神田山やすらぎ園(広島市))
皇太子殿下 第30回全国育樹祭懇談会ご臨席(リーガロイヤルホテル広島(広島市))
平成18年10月22日(日)
皇太子殿下 広島エアポートホテルお立ち寄り(三原市)
皇太子殿下 第30回全国育樹祭ご臨場,お手植え樹お手入れ(広島県立中央森林公園(三原市))
皇太子殿下 ご昼食(広島エアポートホテル(三原市))
皇太子殿下 ご視察(酒蔵通り(東広島市))
平成18年10月23日(月)
皇太子殿下 ご視察(厳島神社(廿日市市))
皇太子殿下 ご昼食(岩惣(廿日市市))
皇太子殿下 東宮御所御着
https://www.kunaicho.go.jp/activity/gonittei/02/h18/gonittei-2-2006-10.html
2006 平成18年10月21日(土)
広島平和都市記念碑(原爆死没者慰霊碑)へご供花になる皇太子殿下(平和記念公園(広島市))
(写真:広島県)
https://www.kunaicho.go.jp/activity/gonittei/02/photo2/photo-200610-727.html
2014 天皇陛下お誕生日に際し(平成26年)天皇陛下の記者会見
会見年月日:平成26年12月19日
会見場所:宮殿 石橋の間
宮内記者会代表質問
問1 この1年を振り返り,社会情勢やご公務,ご家族との交流などで印象に残った出来事をお聞かせください。来年に向けてのお考えもあわせてお答えください。また,来年は戦後70年という節目の年を迎え,両陛下のパラオご訪問が検討されています。改めて先の戦争や平和に対するお考えをお聞かせください。
<中略>
問2 宮内庁が24年あまりをかけて編纂し,この夏に両陛下へ奉呈された「昭和天皇実録」に関してのご感想とともに,昭和天皇についての思い出や,天皇としてのお姿から学び生かされていることをお聞かせください。
天皇陛下
昭和天皇実録は宮内庁書陵部が中心となって多くの資料に基づき編纂さんしたもので,完成までの苦労には計り知れないものがあったと察しています。携わった関係者の努力に深く感謝しています。これから折にふれ,手にとり,御事蹟せきに触れていくことになると思います。このことは大変に困難な時代を歩まれた昭和天皇を,改めておしのびするよすがになろうと思っています。
昭和天皇との思い出については様々なことがありますが,夏の那須の附属邸に滞在していて,御用邸に滞在していらっしゃる昭和天皇,香淳皇后をお訪ねしたり,植物を御覧になるため,その植物の自生地にいらっしゃるのにお供をしたりしたことが懐かしく思い起こされます。実録にも私の結婚の翌年の夏の記述に「皇后及び皇太子妃と御同車にて御用邸敷地外の広谷地ひろやじに向かわれ,同所にてお揃いで湿地のサギソウ等を御覧になる」と記されています。
この時私は那須を離れ,地方で行われる行事に出ていたのですが,昭和天皇は生まれたばかりの浩宮を守って留守をしている美智子が寂しくないよう,香淳皇后と共に散策にお誘いくださったのではないかと思います。少し後になりますが,皇后と私とで,廻谷めぐりやであったかと思いますが,お供した時には,皇后に水辺の白い花で,野生のスイレンであるヒツジグサの花をお教えくださいました。この2度の大切な思い出のため,皇后にとりサギソウとヒツジグサはそれ以後ずっと特別な花となっていたようで,それから大分後になって私どもが女の子に恵まれ,清子さやこと名付けたその同じ日に,私どもは清子のお印にヒツジグサを選びました。昭和天皇が「大変よい」とお喜びくださったことが,うれしく思い出されます。
昭和天皇から学んだことは多いと思います。結婚前には葉山の御用邸に昭和天皇,香淳皇后と一緒に泊めていただくこともありましたから,そのような時に昭和天皇から学んだことが多くありました。人のことを常に考えることと,人に言われたからするのではなく,自分で責任を持って事に当たるということは,昭和天皇の御言動から学んだ大きなことであったのではないかと思っています。
この1年のご動静<抄>
地方へのお出ましは,・・・
12月には広島県広島市をご訪問になり,今年8月の豪雨災害とその後の復興状況をご視察,被災者を見舞われ,復興尽力者をねぎらわれました。翌日は広島平和都市記念碑(原爆死没者慰霊碑)にご供花なさり,広島原爆養護ホーム矢野おりづる園を訪問されました。この度,比較的新しい原爆養護ホームをご訪問になったことで,両陛下は広島県内に4か所ある原爆養護ホームの全てを訪れたことになります。
https://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/kaiken/kaiken-h26e.html
2015 平成27年4月6日(月) ~ 平成27年4月7日(火)
広島県お成り(「山階鳥類研究所 中国地区賛助会員の集い」ご臨席併せて地方事情ご視察)
平成27年4月6日(月)
文仁親王殿下 宮邸御発
文仁親王殿下 平成26年8月豪雨による土砂災害被害状況等ご聴取(広島市安佐南区役所(広島市))
文仁親王殿下 被災地域ご視察及び被災者お見舞い(広島市安佐南区八木地区(広島市))
文仁親王殿下 ご供花(広島平和都市記念碑(原爆死没者慰霊碑)(広島市))
文仁親王殿下 「山階鳥類研究所 中国地区賛助会員の集い」ご臨席(リーガロイヤルホテル広島(広島市))
平成27年4月7日(火)
文仁親王殿下 宮邸御着
https://www.kunaicho.go.jp/page/gonittei/show/3?quarter=201502
皇后陛下のお写真
皇后陛下お誕生日に際してのご近影
宮内記者会の質問に対する文書ご回答
問 この1年,自然災害などさまざまな出来事がありました。戦後70年にあたり,皇后さまは天皇陛下とともにパラオをはじめ国内外で慰霊の旅を重ねられました。また,玉音放送の原盤なども公開されたほか,若い皇族方も戦争の歴史に触れられました。1年を振り返って感じられたことをお聞かせください。8月には心臓の精密検査を受けられましたが,その後のご体調はいかがですか。
皇后陛下
<前略>
先の戦争終結から70年を経,この1年は改めて当時を振り返る節目の年でもありました。終戦を迎えたのが国民学校の5年の時であり,私の戦争に関する知識はあくまで子どもの折の途切れ途切れの不十分なものでした。こうした節目の年は,改めて過去を学び,当時の日本や世界への理解を深める大切な機会と考えられ,そうした思いの中で,この1年を過ごしてまいりました。
平和な今の時代を生きる人々が,戦時に思いを致すことは決して容易なことではないと思いますが,今年は私の周辺でも,次世代,またその次の世代の人々が,各種の催しや展示場を訪れ,真剣に戦争や平和につき考えようと努めていることを心強く思っています。先頃,孫の愛子と二人で話しておりました折,夏の宿題で戦争に関する新聞記事を集めた時,原爆の被害を受けた広島で,戦争末期に人手不足のため市電の運転をまかされていた女子学生たちが,爆弾投下4日目にして,自分たちの手で電車を動かしていたという記事のことが話題になり,ああ愛子もあの記事を記憶していたのだと,胸を打たれました。若い人たちが過去の戦争の悲惨さを知ることは大切ですが,私は愛子が,悲しみの現場に,小さくとも人々の心を希望に向ける何らかの動きがあったという記事に心を留めたことを,嬉しく思いました。
今年,陛下が長らく願っていらした南太平洋のパラオ御訪問が実現し,日本の委任統治下で1万余の将兵が散華したペリリュー島で,御一緒に日米の戦死者の霊に祈りを捧げることが出来たことは,忘れられない思い出です。かつてサイパン島のスーサイド・クリフに立った時,3羽の白いアジサシがすぐ目の前の海上をゆっくりと渡る姿に息を呑んだことでしたが,この度も海上保安庁の船,「あきつしま」からヘリコプターでペリリュー島に向かう途中,眼下に,その時と同じ美しい鳥の姿を認め,亡くなった方々の御霊みたまに接するようで胸が一杯になりました。
戦争で,災害で,志半ばで去られた人々を思い,残された多くの人々の深い悲しみに触れ,この世に悲しみを負って生きている人がどれ程多く,その人たちにとり,死者は別れた後も長く共に生きる人々であることを,改めて深く考えさせられた1年でした。
<後略>
この1年のご動静<関連部分>
特に,今年は戦後70年に当たることから,改めて戦没者を慰霊され,遺族を始め戦後の苦境を乗り越え,支えてきた人々に寄り添われました。昨年6月の学童疎開船対馬丸の犠牲者を慰霊されるための沖縄県ご訪問,同年10月の長崎市平和公園及び恵の丘長崎原爆ホームご訪問に引き続き,陛下と共に,昨12月には,広島平和都市記念碑(原爆死没者慰霊碑)に参られ,広島原爆養護ホーム矢野おりづる園をご訪問になりました。また,今年の8月には,広島市被爆70周年記念事業として東京で開催されたマルタ・アルゲリッチ協演による広島交響楽団「平和の夕べ」コンサートをご鑑賞になりました。戦後60年の平成17年6月には慰霊のためサイパン島をご訪問になりましたが,戦後70年の今年4月には,慰霊と国際親善のためパラオ共和国を訪問され,ペリリュー島にある西太平洋戦没者の碑,米国陸軍の慰霊碑に参られるとともに,同共和国大統領ご夫妻,この折に参加されたミクロネシア連邦大統領ご夫妻,マーシャル諸島共和国大統領ご夫妻,さらにパラオ共和国の多数の人々とお会いになりました。同じく4月には,戦後復興に尽力し産業災害で殉職した人々を慰霊する高尾みころも霊堂に,5月には東京都慰霊堂に参られました。6月には,先の大戦で軍に徴用されて戦没した商船等の船員を慰霊する戦没・殉職船員追悼式にご臨席,また,私的ご旅行として宮城県及び山形県を訪問された折に,戦後,南洋パラオから引き揚げた人々が入植,開拓した宮城県蔵王町北原尾地区をご訪問になりました。そして,7月には満州から引き揚げた人々が開拓した千振開拓地(栃木県那須町)を,8月には同様の大日向開拓地(長野県軽井沢町)をそれぞれご訪問になりました。
https://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/kaiken/gokaito-h27sk.html
 2016  平成28年7月29日(金) ~ 平成28年7月31日(日)
広島県お成り(第40回全国高等学校総合文化祭「2016ひろしま総文」ご臨席,併せて地方事情ご視察)
平成28年7月29日(金)
文仁親王殿下並びに眞子内親王殿下
ご訪問(広島原爆養護ホーム矢野おりづる園(広島市))
文仁親王殿下並びに眞子内親王殿下
ご供花(広島平和都市記念碑(原爆死没者慰霊碑)(広島市))
文仁親王殿下並びに眞子内親王殿下
県勢概要ご聴取,ご夕食会ご臨席(リーガロイヤルホテル広島(広島市))
平成28年7月30日(土)
文仁親王殿下並びに眞子内親王殿下
書道部門ご覧(広島県立広島産業会館(広島市))
文仁親王殿下並びに眞子内親王殿下
美術・工芸部門ご覧,特別支援学校部門ご覧(広島県立美術館(広島市))
文仁親王殿下並びに眞子内親王殿下
総合開会式ご臨席(広島県立総合体育館(広島市))
文仁親王殿下並びに眞子内親王殿下
写真部門ご覧(広島国際会議場(広島市))
文仁親王殿下並びに眞子内親王殿下
平成28年7月31日(日)
文仁親王殿下並びに眞子内親王殿下
郷土芸能部門ご覧(三原市芸術文化センター(三原市))
https://www.kunaicho.go.jp/page/gonittei/show/3?quarter=201603
2018 平成30年2月13日(火) ~ 平成30年2月14日(水)
広島県お成り(「第69回結核予防全国大会」ご臨席)
平成30年2月13日(火)
文仁親王妃殿下 結核予防会支部長午餐会ご臨席,研鑽集会ご聴講,アトラクションご鑑賞,全国結核予防婦人団体連絡協議会懇談会ご臨席,県勢概要ご聴取,大会歓迎レセプションご臨席(リーガロイヤルホテル広島(広島市))
平成30年2月14日(水)
文仁親王妃殿下 第69回結核予防全国大会式典ご臨席,大会議事及び特別講演ご聴講(リーガロイヤルホテル広島(広島市))
文仁親王妃殿下 ご供花(広島平和都市記念碑(原爆死没者慰霊碑)(広島市))
https://www.kunaicho.go.jp/page/gonittei/show/3?quarter=201801
2018 平成30年6月19日(火) ~ 平成30年6月20日(水)
広島県お成り(「公益社団法人日本植物園協会第53回大会」ご臨席)
平成30年6月19日(火)
文仁親王殿下 ご昼食会ご臨席(リーガロイヤルホテル広島(広島市))
文仁親王殿下 ご供花(広島平和都市記念碑(原爆死没者慰霊碑)(広島市))
文仁親王殿下 「公益社団法人日本植物園協会第53回大会」開会式・表彰式ご臨席,意見交換会ご出席(広島市佐伯区民文化センター(広島市))
平成30年6月20日(水)
文仁親王殿下 口頭発表ご臨席,ポスター発表ご覧(広島市佐伯区民文化センター(広島市))
文仁親王殿下 ご視察(広島市植物公園(広島市))
https://www.kunaicho.go.jp/page/gonittei/show/3?quarter=201802
2021 上皇陛下のご近況について(お誕生日に際し)
令和3年12月23日:上皇職
「沖縄県慰霊の日,広島・長崎原爆の日,終戦記念日並びに阪神淡路大震災及び東日本大震災の発生日には,今もテレビ中継に合わせて,上皇后さまと共に黙祷をなさっています。」
https://www.kunaicho.go.jp/joko/press/r031223.html

行幸啓の中の戦没者慰霊(平成期)

行幸啓の中の戦没者慰霊(平成期)

終戦70年にあたり

平成26年6月26日~6月27日 天皇皇后両陛下 沖縄県行幸啓
平成26年10月11日~10月12日 天皇皇后両陛下 長崎県行幸啓
平成27年4月8日~4月9日 天皇皇后両陛下 パラオご訪問(西太平洋戦没者の碑等)
平成27年4月16日 天皇皇后両陛下 高尾みころも霊堂行幸啓
平成27年5月26日 天皇皇后両陛下 東京都慰霊堂行幸啓
平成27年6月10日 天皇皇后両陛下 神奈川県行幸啓(戦没船員の碑)
平成27年6月17日 天皇皇后両陛下 宮城県行幸啓(蔵王町北原尾地区開拓地)
平成27年7月20日 天皇皇后両陛下 栃木県行幸啓(那須町千振開拓地)
平成27年8月11日 天皇皇后両陛下 広島市被爆70周年記念事業 広島交響楽団 平和の夕べコンサートご鑑賞
平成27年8月22日 天皇皇后両陛下 長野県行幸啓(軽井沢町大日向開拓地)
平成28年1月26日~1月30日 天皇皇后両陛下 フィリピンご訪問(比島戦没者慰霊碑等)

終戦60年にあたり

平成17年6月27日~6月28日 天皇皇后両陛下 サイパン島ご訪問(中部太平洋戦没者の碑等)
平成17年7月4日 天皇皇后両陛下 終戦60周年記念行事「戦没殉職船員遺族の集い」
平成17年8月29日~8月30日 天皇皇后両陛下 長野県行幸啓(南牧村野辺山地区開拓地)
平成17年9月2日 天皇皇后両陛下 栃木県行幸啓(那須町千振開拓地)
平成17年10月11日 天皇皇后両陛下 神奈川県行幸啓(戦没船員の碑)
平成17年12月13日 天皇皇后両陛下 日本遺族会婦人部「新たなる出発の集い」

終戦50年にあたり

平成6年2月12日 天皇皇后両陛下 硫黄島行幸啓(天山慰霊碑,鎮魂の丘)
平成7年7月26日~7月27日 天皇皇后両陛下 長崎県・広島県行幸啓
平成7年8月2日 天皇皇后両陛下 沖縄県行幸啓
平成7年8月3日 天皇皇后両陛下 東京都慰霊堂行幸啓

 

悠仁親王

悠仁(ひさひと)親王殿下
平成18年9月6日ご誕生 お印:高野槇(こうやまき)
出典https://www.kunaicho.go.jp/about/history/history03.html

資料

厳島神社回廊 2006年11月23日撮影
20061123itukusimajinnja
悠仁(ひさひと)親王殿下 お印:高野槇(こうやまき)
DSC06224
DSC06222
宇吹実家の畑 2021年7月31日 宇吹暁撮影

 

 

広島の碑をめぐる闘いの記録

『廣島の碑をめぐる闘いの記録』(藤井一郎編、瀬戸内報道社海内興論、19710927)

内容

見出し
林房雄氏の論文とその反響
(1)何を訴えようとする碑か 1

(2)林氏の寄稿を第一波として 2

(3)その反撃は万波となって 4

(4)高田範幸氏は岸田博士の一文を 5

(5)武藤貞一氏の悲憤の文字 6

(6)元中国新聞論説委員小林健三氏の所論 6

(7)中村武彦氏の二十年前の炎の文字 6

(8)平泉澄博士の「広島」 8

(9)葦津珍彦氏の鉄腸の訴え 9

市民世論の盛り上がりを背景に
(1)「原爆慰霊碑を正す会」発足 10

(2)一万八千人の署名請願書と提出 12

(3)「請願」に市側の誠意見られず 13

(4)山田市長の独断専行 14

(5)山田市長の不実の答弁 14

両陛下御巡幸にあたり
(1)偽りの碑へのお立寄り拝辞を求めて 16

(2)要請・要望を繰返したが 17

資料=民族派要請文
(1)日本青年旭心団要請文 21

(2)原爆慰霊碑碑文改正推進青年学生協議会の「要請」文 23

(3)全九州民族運動協議会の訴え 24

(4)川田貞一氏の訴え 25

(5)中央における「道の友」の闘い 28

(6)未だ一生氏の訴え 32

両陛下ご来広までのまとめ
(1)運動主導者としての懺悔 36

(2)若者をミスリードするマスコミ 37

(3)文化人意識過剰の座談会記事 40

(4)新左翼を育てる素地 42

(5)遂に現れた 天皇糾弾 43

「天皇糾弾集会」をめぐる闘い
(1)三月の彼我の動き 45

(2)坂田教授との面談四時間 47

(3)広大全共斗の策動 48

陛下ご来広中のデモに対する闘い
(1)新左翼を狂奔させる背景 49

(2)「天皇糾弾」デモ五件に対し我らもデモを申請 51

(3)「天皇は国民統合の象徴である」こと 53

(4)県警本部に対策について質す 54

(5)歴史は夜つくられる 55

(6)総理の 強権発動 は当然の措置 55

(7)破砕できなかった二つのデモ 57

資料= 合法闘争 記録
A  平和記念館使用問題
(1)「使用取消処分」取消の訴状 59

(2)行政処分執行停止申立書 61

(3)広島市長の「意見」 72

(4)付1 広島平和記念館使用条例 74

付2 広島市職務権限規定 75

付3 記念館使用許可書 77

付4 記念館使用許可書取消通知書 78

(5)付1.2 永野知事の「通達」 78

付3 永野知事の「謹話」 79

付4 奉迎送計画書 80

(6)「申立」を支持する地裁決定 81

(7)広島市長の「抗告状」 86

(8)即時抗告理由追加申立書 89

(9)「即時抗告」を支持する高裁決定 90

(10)集団示威運動許可申請書 93

(11)広島県公安委員会指令第五七号 94

B  糾弾デモに対抗する粉砕デモ問題
(1)集団行動許可申請書(四通)95

(2)広島県公安委員会指令第五八号~六一号 97

(3)代理人(弁護士)委任状 99

(4)行政処分取消請求訴状 100

(5)行政処分執行停止申立書 100

(6)裁判請求陳情書 101

(7)広島県公安委員会の「意見書」 102

(8)1付・デモ集会に関する「条例施行規則」 103

C  天皇来広糾弾デモ問題
(1)新左翼の集団更新許可申請書 111

1 天皇来広糾弾連絡協議会(二通)111

2 広島大学全学共闘会議(三通)112

3 三段体連絡会議(一通)115

(2)不許可理由 115

(3)申立人の暴力的傾向 116

(4)全共闘申立を支持する地裁決定 116

(5)即時抗告棄却の高裁決定 118

(6)全共闘の申立を支持する地裁決定 119

(7)即時抗告原決定変更支持の高裁決定 120

(8)三団体の申立を支持する地裁決定 122

(9)佐藤総理の「異議の理由」 125

(10)地裁決定を取消す 126

デモ一覧表
 デモ周辺図
資料=新左翼による「天皇糾弾」の主張
原爆慰霊碑を正す運動年表

 

 

 

天皇陛下と広島

『天皇陛下と広島―昭和の御代に感謝のまごころを』(「天皇陛下と広島」編纂部、天皇陛下御在位六十年広島県奉祝委員会、19870211刊)

目次

御真影
大御歌(御製碑)
グラビア
戦後広島県巡幸(昭和22年)
植樹祭(昭和46年)
産業御視察(昭和26年)
天皇陛下御在位60年奉祝大パレード(昭和61年11月10日・東京)
出版に寄せて  山崎芳樹( 広島商工会議所 会頭)
序文 天皇陛下御在位六十年広島県奉祝委員会
第1章 ああ御在位六十年-民族の生命の復活と蘇生
偉大な悲劇 法隆寺玉虫厨子の意味 山背大兄王の哀しみ 五内為ニ裂ク 名誉を思わず利益を思わず  鎮魂の旅
第2章 戦後広島県巡幸史(昭和二十二年十二月五日~八日)
広島県巡幸概観
巡幸に込められた陛下の御決意  広島県巡幸への県民の願い  行幸を心待ちにする県民の声
大竹市・宮島町
国立大竹病院 三菱化成大竹工場  宮島桟橋 宮島で御静養
広島市
廿日市   広島戦災児育成所 広島県水産試験場   爆心地御通過  広島市民奉迎場  授産共同作業場 広島市立袋町小学校と第五中学校  県立広島第一中学校 広島市役所  広島県庁 広島駅
呉市
呉駅  呉市役所  呉市民奉迎場
三原市
浮城分室(御在所) 帝国人絹糸三原工場 東洋繊維三原工場   三菱重工三原車両製作所
尾道市・向島町
戦災引揚者応急住宅   向島西村津部田 尾道水道  尾道市役所
福山市・神辺町
千田村   神辺小学校  福山市救護院、母子寮   福山城址公園
第3章 天皇陛下ありがとうございます-県民から寄せられた感謝の声-
 山崎芳樹
 増岡博之
 川村智治郎「陛下と私」
 中川秀直
 粟屋敏信
 児玉秀一「忘れ得ぬ思い出」
 佐々木有
 奥原次郎
 石田成夫
 松浦多聞
 内海巌
 桜井正弥
 赤木蒸治
 佐竹利彦
 松下一男
 森安忠
 戸田一郎
 西村敏藏
 中島一史
 谷口寿太郎(元五日市町長)
 加賀美正孝
 桜井創造(広島特定郵便局長会理事)
 山田五巳(畑賀地区社会福祉協議会会長)
 織田金次郎(大竹市日本の伝統を守る会会長)
 献歌
 奉祝記念映画「天皇陛下-御在位六十年をことほぐ-」感想文
あとがき

明治100年(関連年表と資料)

明治100年(関連年表と資料)

年月日 事項
19660325 明治百年記念を国家的行事として実施する旨閣議了解。
19660415 明治百年記念を国家的行事として実施する旨閣議決定。内閣内に明治百年記念準備会議設置。
19660511 国の明治百年記念準備会議(第1回)開催。記念式典実施日1968年10月23日と決定。
19660526 明治百年記念準備会議(第2回)開催。4部会(式典・行事・事業・広報)設置。
196710 政府、各都道府県に記念事業の実施を要請
196711 広島県明治百年記念行事等協議会設置。
19681023 政府主催明治百年記念式典。
広島県の行事(出典:『戦後50年広島県政のあゆみ』)
広島県明治百年記念式典(19681023)。
県章・県旗の制定。
県民の森の整備。
県史の編さん
その他

 

 

昭和史の天皇4(読売新聞社)

「昭和史の天皇4」(読売新聞社、1968.8.1)

目次

原爆を抱いて
ためらう科学者
学者委員が大激論
日本ヘどう使うか
大統領、投下に同意
科学者の反論むなし
矢はつるを離れた
四つの目標都市
特別の部隊を編成
最後の決断を待つ
“本命”の実験も成功
爆撃命令の承認
“微妙な八月三日ごろ”
部品、テニアン島へ
命中した模擬爆弾
広島上空、雲切れる
運命の日の天候
矢花慎雄(気象庁予報課技官)
横山幸雄(陸軍中央通信調査部高級参謀・中佐)
投下用B29の電波
東京にも同符号機
日本の原爆
スタート、米の直後
公開、一転し軍機に
頭脳結集「二号研究」
熱拡散法しかない
一発勝負の実験
研究より資材集
フッ素研究も難航
次はウラン作り
でてきた待望の結晶
炭素もデンプンで
苦心の分離簡完成
苦心重ねての実験
ウラン分離始まる
六回に及ぶテスト
ウラン分離に失敗
空襲、分離筒も焼く
軍がウラン鉱捜し
ドイツ政府へ依頼
朝鮮に大量の原鉱
福島県に工場疎開
尼崎にも大分離筒
熱拡散法は失敗
珍妙な“特高研究室”
二号研究に悲観論
海軍は京大に一任
原子力応用を調査 一度は研究を中断
連鎖反応を立証
金属ウランも作る
超遠心分離に苦心
チエ持ちより設計
臨界量も割り出す
陸軍も中止論へ
くやしく、情けなく
万感こめ被害調査
補遺、「荒勝先生覚え書き」
広島第一報!
爆痕がないぞ…?
強烈で奇妙な兵器
出勤途中、李殿下も
黒い死の影ひそむ
仁科博士“原爆です”
“白色の着衣徹底を”
一定角度の焼け跡
爆心点は球場付近
物質に死の放射線
笑えぬ“特殊火薬説”
生々しい報告内容
水爆の構想を予言
「ソ連参戦」の波紋
ラジオゾンデ回収
原爆と一緒に手紙
軍は驚き、手紙隠す
発信、加州大の旧友
京大調査隊の悲劇
山津波で十人殉職
克明な尾形日記
“一刻も早く和平ヘ”
一号演習-陛下の周辺・その一
    最後まで“一号演習”
防空室の補強作戦
物、人、技術者に苦労
決意の“師団長旗”
一号演習”はじまる
工事現場に擬装網
皇居上空から“偵察
巨大な網の天井
14メートルの新しい小山
延べ12万人を動員
下痢患者が続出
師団長と心の交流
消灯でさんざん苦労
司令部の中心参謀
兵力動員に一苦労
森師団長と古賀参謀
答礼に二等兵感激
視察、労をねぎらう
扉のそばにボンベ
送電、換気、水に苦心1
会議室、明るく重厚
極秘の無線電話機

昭和天皇実録

昭和天皇実録の中のヒロシマ

『昭和天皇実録(全18冊)』(宮内庁(編修)東京書籍(発行)

事項
45 08 06 午後七時五十分、侍従武官長蓮沼蕃に謁を賜う。これより先の午後七時過ぎ、海軍省より電話を以て侍従武官府に対し、呉鎮守府の情報として本日午前八時頃、広島市上空に来襲の米軍爆撃機より特殊弾攻撃全受け、市街の大半が倒潰、第二総軍参謀李鍝公を含む軍関係者が死傷するなど、被害甚大である旨の通報あり。また侍従武官府は第一総軍より、大爆発に続いて市内に大火災が発生し、午後二時現在、なお延焼中との情報を人手する。なお翌七日午前一時三十分頃、同盟通信社は、米国大統領及び英国首相の声明として、八月六日広島に原子爆弾を投下した旨の米英両国の放送を傍受する。
45 08 07  午後  御文庫において軍令部総長豊田副武に謁を賜い、戦況、及び昨六日の空襲により被災の広島市方面に対する救護隊の派遣等につき奏上を受けられる。なお本日午後三時三十分、大本営は、昨八月六日広島市が敵B29少数機の攻撃により相当の被害を生じたこと、敵は攻撃に際して新型爆弾を使用したものの如きも、詳細は目下調査中である旨を発表する。
45 08 08  午後四時四十分、御文庫附属室において外務大臣東郷茂徳に謁を賜い、昨七日傍受の新型爆弾に関する敵側の発表とその関連事項、及び新型爆弾の投下を転機として戦争終結を決するべき旨の奏上を受けられる。これに対し、この種の兵器の使用により戦争継続はいよいよ不可能にして、有利な条件を獲得のため戦争終結の時機を逸ずるけ不可につき、なるべく速やかに戦争を終結せしめるよう希望され、首相へも伝達すべき旨の御沙汰を下される。外相は拝謁後、首相に御沙汰を伝達し、最高戦争指導会議構成員会議の招集を申し入れる。

李鍝公は第二総軍参謀として広島において作戦任務遂行中、一昨六日空爆(新型爆弾)により負傷し、船舶司令部(宇品)に収容される。その後、公は似ノ島陸軍療養所に搬送されるも、昨七日午前五時五分、同所において薨去する。享年三十四。宮内省は本日正午、公の戦死を発表する。よって午後、弔問のため、侍従小出英経を勅使として東京の李鍝公邸に差し遣わされる。なお、公の遺骸は本日広島を出発、空路にて朝鮮京城府の本邸に帰着する。李鍝公の戦死につき、九日、満洲国皇帝溥儀より弔電を寄せられ、十日答電を発せられる。十四日、同邸に勅使として朝鮮総督府財務局長水円直昌を差し遣わし、玉串をお供えになる。十五日の葬送に際しては、勅使として水田を葬場(京城)に差し遣わし、また、天皇・皇后・皇太后より祭資を、天皇より白羽二重・神饌・榊を賜う。遺骸は、朝鮮京畿道揚州郡和道面倉岨里の故李熹公墓所域内に葬られる。

45 08 09  午後一時四十五分より二時五分まで、御文庫において陸軍大臣阿南惟幾に謁を賜う。陸相は一一時三十分開会の閣議において、本日午前十一時三十分、長崎に新型爆弾が投下されたことを報告する。なお、午後二時四十五分、西部軍管区司令部より、本日午前十一時頃、敵大型機二機が長崎市に侵入し、新型爆弾らしきものを使用したこと、詳細は目下調査中なるも、被害は比較的僅少の見込みである旨の発表あり。
45 08 13  午前、御文庫に内大臣木戸幸一をお召しになる。これより前、陸軍大臣阿南惟幾に謁を賜い、広島市(第二総軍司令部)より元帥陸軍大将畑俊六を招致することにつき言上を受けられる。
45 08 14 午前十時時二十分、御文庫に元帥陸軍大将杉山元・同畑俊六、少時遅れて参殿の元帥海軍大将永野修身をお召しになり、三十分にわたり謁を賜う。終戦の御決心をお示しになり、三名の所見を御下問になる。永野・杉山より、それぞれ国軍はなお余力を有し、志気旺盛につき、抗戦して上陸する米軍を断乎撃攘すべき旨の奉答をお聞きになる。ついで畑より、広島在勤のため昨今の情況を詳知せず、また担任正面の防御については遺憾ながら敵を撃攘し得る確信はなく、ポツダム宣言受諾に決した由につき已むを得ざるも、極力交渉により少なくとも十師団を親衛隊として残置できるよう努力すべき旨の奉答あり。三名の奉答に対し、戦争終結は深慮の末の決定につき、その実行に元帥も協力すべき旨を仰せになる。引き続き、内大臣木戸幸一をお召しになる。
45 08 15  天皇の終戦詔書放送さる
45 08 23  この日、内務省防空総本部より、大東亜戦争勃発以来現在までの敵機の本土空襲による被害総計は、死者約二十六万名、傷者四十二万名にして、このうち原子爆弾による死者が約九万名、傷者十八万名であること、
45 08 25  朝鮮より帰朝の式部次長坊城俊良が御文庫に参殿につき、謁を賜う。坊城は、去る十五日の李鍝公(八月七日広島似ノ島陸軍療養所において薨去)の葬儀に参列するため京城へ出張し、その際に見聞した停戦後の混乱状態につき言上する。
45 08 31  天皇、広島・長崎の惨状視察と救護関係者激励のため侍従を派遣することを明らかにする。
45 09 01  今般、広島・長崎の両市において戦禍による被害甚大につき、侍従永積寅彦を広島市へ、同久松定孝を長崎市へそれぞれ御差遣になる。正午、御文庫において両名に謁を賜い、御沙汰を下される。永積・久松は即日出発する。永積は三日に広島県庁において聖旨を伝達し、同県知事高野源進より情報を聴取の後、大本営跡において中国軍管区司令官谷寿夫より概況を聴取する。ついで永積は、本川国民学校・観音第二国民学校に収容の原子爆弾被爆者の慰問等を行い、五日帰京、同日及び十四日に復命する。その際、永積は船舶司令部(宇品)よりの写真を御覧に供し、原子爆弾に関する東京帝国大学教授都築正男の説明につき言上する。また久松は九月七日帰京し、十一日に復命する。
45 09 04  永野長崎県知事、来崎した久松侍従に長崎市の被害状況を報告。9月1日現在、死亡者(検死済)19743人・行方不明者1927人・重軽傷者40993人、8月26日現在戦災者21774世帯89780人・全焼全壊家屋14046戸・半焼半壊家屋5441戸など。
45 09 13 永積侍従、比治山迷児収容所を訪問。
45 09 23  夜、広島における原子爆弾被害に関する日本ニュース映画を、皇后と共に御覧になる。
45 09 27  午前九時五十五分御出門、聯合国最高司令官ダダラス・マッカーサーと非公式に御会見のため、東京都赤坂区内の米国大使館に行幸される。宮内大臣石渡荘太郎・侍従長藤田尚徳・侍従徳大寺実厚・侍医村山浩一・行幸主務官筧素彦(宮内書記官)・侍従職御用掛川越憲雄(皇宮警視)・臨時式部職御用掛奥村勝蔵が供奉する。十時、着御される。大使館玄関において最高司令官軍事秘書ボナー・フランク・フェラーズ、最高司令官副官フォービアン・パワーズの奉迎を受けられる。ついで両名の誘引にて次室に入られ、同所において出迎えのマッカーサーと御握手、挨拶を交わされる。さらにマッカーサーの案内により御会見室に入られる。御会見に当たっては、奥村のみ雇従し、御通訳を奉仕する。御会見室内において天皇はマッカーサーの左側にお立ちになり、米軍写真師による写真撮影三枚を受けられる。ついで御着席になり、約三十分にわたりマッカーサーと御会話になる。御通訳奉仕の奥村により作成された記録によれば、御会話の要旨は左のとおり。

元帥ハ極メテ自由ナル態度ニテ

「マ」 実際写真屋トイフノハ妙ナモノデパチ々々撮リマスガ、一枚カ二枚シカ出テ来マセン

陛下 永イ間熱帯ノ戦線二居ラレ御健康ハ如何デスカ

「マ」 御蔭ヲ以テ極メテ壮健デ居リマス。私ノ熱帯生活ハモウ連続十年二及ヒマス

之ヨリ元帥ハ口調ヲ変へ、相当力強キ語調ヲ以テ約二十分ニ亘リ滔々ト陳述シタルガ其ノ要旨左ノ如シ(英語ノ性質二鑑ミ、此ノ部分ハ此処ニハ特二敬語ヲ省略シテ訳述ス)

「マ」 戦争手段ノ進歩、殊ニ強大ナル空軍力及ビ原子爆弾ノ破壊力ハ筆紙ニ尽シ難イモノガアル、今後若シ戦争カ起ルトスレバ其ノ際ハ勝者、敗者ノ論ナク斉シク破壊サレ尽シテ人類ノ絶滅ニ至ルテアラウ、現在ノ世界ニハ今猶憎悪ト復讐ノ混迷カ渦ヲ捲イテ居ルガ、世界ノ達見ノ士ハ宜シク比ノ混乱ヲ通ジテ遠キ将来ヲ達観シ平和ノ政策ヲ以テ世界ヲ指導スル必要ガアル。日本再建ノ途ハ困難ト苦痛ニ充チテ居ルコトト思フガ、夫レハ若シ日本ガ戦争ヲ継続スルコトニ依ツテ蒙ルベキ惨害ニ較ブレバ何テモ無イテアラウ、若シ日本ガ更ニ抗戦ヲ続ケテ居タナラバ日本全土ハ文字通り殲滅シ何百万トモ知レヌ人民ガ犠牲ニナツタデアラウ、自分ハ自ラ日本ヲ相手ニ戦ツテ居ツタノデアルカラ日本ノ陸海軍ガ如何ニ絶望的状態ニ在ツタカヲ充分知悉シテ居ル、終戦ニ当ツテノ陛下ノ御決意ハ国土ト人民ヲシテ測リ知レサル痛苦ヲ免レシメラレタ点ニ於テ誠ニ御英断デアツタ。世界ノ輿論ノ問題デアルガ、将兵一旦終戦トナレバ普通ノ善イ人間ニナリ終ルノデアル。

然シ其ノ背後ニハ戦争ニ行ツタコトモ無イ幾百万ノ人民ガ居テ憎悪ヤ復讐ノ感情デ動イテ居ル、斯クシテ所謂輿論が簇出スルノデアルガ其ノ尖端ヲ行クモノガ新聞デアル、米国ノ輿論、英国ノ輿論、支那ノ輿論等々色々出テ来ルガ、「プレスノ自由」(今ヤ世界ノ趨勢トナツテ居ルノデ、其ノ取扱ハ仲々困難デアル。

陛下 此ノ戦争ニ付テハ、自分トシテハ極力之ヲ避ケ度イ考デアリマシタガ戦争トナルノ結果ヲ見マシタコト(自分ノ最モ遺憾トスル所デアリマス。

「マ」陛下方平和ノ方向ニ持ツテ行ク為御軫念アラセラレタ御胸中(自分ノ充分諒察申上グル所デアリマス。只一般ノ空気ガ滔々トシテ或方向ニ向ヒツツアルトキ、別ノ方向ニ向ツテ之ヲ導クコトハ一人ノ力ヲ以テハ為シ難イコトデアリマス。恐ラク最後ノ判断(陛下モ自分モ世ヲ去ツタ後、後世ノ歴史家及輿論ニ依テ下サルルヲ俟ツ他ナイデアリマシヤウ。

陛下 私モ日本国民モ敗戦ノ事実ヲ充分認識シテ居ルコトハ申ス迄モアリマセン、今後(平和ノ基礎ノ上二新日本ヲ建設スル為私トシテモ出来ル限リノ力ヲ尽シ度イト思ヒマス。

「マ」 夫レハ崇高ナ御心持デアリマス、私モ同ジ気持デアリマス。

陛下 「ポツダム」官言ヲ正確ニ履行シタイト考ヘテ居リマスコトハ先日侍従長ヲ通ジ閣下ニ御話シタ通リデアリマス。

「マ」 終戦後陛下ノ政府ハ誠ニ多忙ノ中ニ不拘凡ユル命令ヲ一々忠実ニ実行シテ余ス所ガ無イコト、又幾多ノ有能ナ官吏ガ着々任務ヲ遂行シテ居ルコトハ賞讃二値スル所デアリマス。

又聖断一度下ツテ日本ノ軍隊モ日本ノ国民モ総テ整然卜之ニ従ツタ見事ナ有様ハ是即チ御稜威ノ然ラシムル所デアリフビア、世界何レノ国ノ元首卜雖及バザル所デアリマス。之(今後ノ事態二処スルニ当り陛下ノ御気持ヲ強クカ付ケテ然ルペキコトカト存ジマス。

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46 10 30  三十日 水曜日 午前十時五分、表拝謁ノ間にお出ましになり、地方長官会議に出席の内閣総理大臣吉田茂・内務大臣大村清一、並びに地方長官ほか五十四名に謁を賜う。
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47 12 05  それより広島県に移動され、佐伯郡大竹町の国立大竹病院に向かわれる。途中、岩国港付近の旧大刀洗航空分廠敷地跡の装束第一住宅地にお立ち寄りになり、引揚者等を激励される。同病院に御着、田中知事・同県副知事青柳一郎・同県総務部長武末辰雄・同県警察部長西原英次・広島県知事楠瀬常猪・同県議会議長小谷伝一より拝謁をお受けになり、田中山口県知事に謝意のお言葉を賜う。ついで病院長松島茂より開院の概況についての奏上を御聴取の上、内科・外科各病室を慰問される。その際、外科第三病舎において原子爆弾による放射能に被爆した患者を御慰問になる。次に同郡小方村の三菱化成工業株式会社大竹工場を視察される。最初に事務所二階の便殿において取締役社長森規矩夫より同工場におけるステ-プルーファイバー(人造絹糸)の生産状況についての奏上をお聞きになる。しばし御休憩の後、自動車にて原料倉庫、ステープルーファイバー製造場に向かわれ、工場長岩波模一の説明にて同所を御巡覧になる。また製品陳列場において、レーヨンーステープル製品、合成樹脂製品、有機ガラス製品等を御覧になり、従業員に御会釈を賜う。以上でこの日の御視察を終えられ、大竹駅より御乗車になる。宮島口駅にて下車され、御徒歩にて宮島口鉄道桟橋に進まれ、御召艇七浦丸に御乗船になる。甲板より町村民等の奉迎に手を振ってお応えになり、また宮島口駅より扈従の文部大臣森戸辰男(広島県出身)の拝謁をお受けになる。船上では瀬戸内海の島々を観賞され、宮島鉄道桟橋より御上陸になり、自動車に乗り換えられる。なお宮島は離島のため御料車ではなく県知事用の自動車を使用される。御泊所である佐伯郡厳島町宮島の岩惣旅館まで向かわれる途次、自動車が故障し、御泊所までお歩きになる。午後五時十二分到着される。
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51 10 27  午前九時十分、赤い羽根をお着けになり御泊所一茶苑を御出発、広島市に入られる。児童福祉施設の六方学園にお着きになり、門内に整列する広島県議会議員六十一名に御会釈を賜う。また玄関において、原爆傷害調査委員会視察の日程を変更して開園を訪問した崇仁親王の出迎えを受けられるに御座所において園長田中正雄より同学園の沿革及び概況を御聴取になる。ついで心理学実験室において田中園長より学園収容児の近況をお聞きになり、原子爆弾投下による児童への被爆の影響について御質問になる。工作教室において粘土細工の授業を御覧の際、手指及び順に火傷痕のある女児を認められ、田中園長よりこの女児が両親と共に被爆し、両親の死去後開園に保護された旨の説明を受けられると、深い同情を示される。講堂の児童作品展示室において皇后・崇仁親王と共に作品を御覧の後、校庭に整列する副園長以下職員・園児に御会釈を賜う。また県共同募金会会長小谷伝一、並びに藍綬褒章受章者・社会事業施設長・社会事業功労者・社会施設の代表児童等に御会釈を賜い、それぞれにお言葉を賜う。終わって崇仁親王の奉送を受けられ同所を御出発になり、県民奉迎場の広島市民広場に御臨場になる。奉迎台において広島県知事大原博夫の発声による県民の万歳三唱をお受けになり、参集の県民等に御会釈を賜う。
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56 03 23  ニューヨーク近代美術館・米国大使館・日本経済新聞社が共催する「ザーファミリー・オブーマン写真展」を御覧のため、午前九時三十一分御出門、日本橋高島屋に行幸になる。御着後、高島屋社長飯田慶三の先導により八階展示会場に進まれ、同会場において米国特命全権大使ジョンームーアーアリソンに御握手を賜う。ついで日本経済新聞社社長万直次の先導により展示を御覧になる。会場出口付近においては米国大使に対して、このような催しが日米両国の親善を深め、世界平和のために役立つことを望む旨のお言葉を賜う。終わって十時二十一分還幸になる。なお、米国側の申し入れにより「原爆図」「被災者図」等六点の作品いについては、カーテンを掛けて御覧に入れなかったことが、翌日の新聞等に取り上げられる。
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88 08 06  広島原爆の日に当たり、お出ましをお控えになる。○侍従日誌、女官日誌、那須御用邸管理事務所日誌、那須御用邸管理事務所事務官日誌
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