「天皇とヒロシマ」カテゴリーアーカイブ

宮内庁ホームページの中のヒロシマ

宮内庁ホームページの中のヒロシマ<作業中

事項
1995平7 両陛下は,戦後50年に先立つ平成6年(1994年)には,硫黄島・父島・母島へ,また,戦後50年に当たる平成7年(1995年)には,長崎・広島・沖縄・東京(東京都慰霊堂)へ,それぞれ,慰霊のために赴かれました。このほか,戦後70年の平成27年(2015年)には,高尾みころも霊堂(産業殉職者慰霊施設)(東京都八王子市)をご訪問になったほか,東京都慰霊堂(東京都墨田区),観音崎公園内の戦没船員の碑(神奈川県横須賀市)にも赴かれました。
https://www.kunaicho.go.jp/activity/activity/01/activity01.html
1995 平成7年5月20日(土)~平成7年5月22日(月)
広島県行幸啓(第46回全国植樹祭にご臨席併せて地方事情ご視察)
平成7年5月20日(土)
天皇皇后両陛下 皇居御発
天皇皇后両陛下 県勢概要ご聴取(広島県知事)(広島県庁(広島県))
天皇皇后両陛下 ご供花(原爆死没者慰霊碑)(広島平和都市記念碑(広島市))
天皇皇后両陛下 ご視察(広島平和記念資料館)(広島市)
天皇皇后両陛下 ご視察(広島原爆養護ホーム舟入むつみ園)(広島市)
天皇皇后両陛下 ご臨席(全国植樹祭懇親会)(リーガロイヤルホテル広島(広島市))
平成7年5月21日(日)
天皇皇后両陛下 第46回全国植樹祭式典ご臨席(広島県立中央森林公園)(本郷町)
天皇皇后両陛下 ご視察(ふれあいの里)(御調町)
平成7年5月22日(月)
天皇皇后両陛下 ご視察(広島県立歴史博物館)(福山市)
天皇皇后両陛下 ご視察(広島県立東部工業技術センター)(福山市)
天皇皇后両陛下 皇居御着
https://www.kunaicho.go.jp/activity/gonittei/01/h07/gonitei-h07-02.html
天皇皇后両陛下のご日程
平成7年7月3日(月)
天皇皇后両陛下 拝謁(東京都硫黄島戦没者追悼式に参列の遺族代表等)(宮殿)
平成7年7月26日(水)~平成7年7月27日(木)
長崎県・広島県行幸啓(戦後50年に当たり)
平成7年7月26日(水)
天皇皇后両陛下 皇居御発
天皇皇后両陛下 「戦災50年の概況」ご聴取(長崎県知事)(ホテルニュー長崎(長崎市))
天皇皇后両陛下 ご供花(平和公園)(長崎市)
天皇皇后両陛下 ご視察(原爆資料センター)(長崎国際文化会館(長崎市))
天皇皇后両陛下 ご視察(恵の丘長崎原爆ホーム)(長崎市)
平成7年7月27日(木)
天皇皇后両陛下 広島県へご移動
天皇皇后両陛下 「戦災50年の概況」ご聴取(広島県知事)(リーガロイヤルホテル広島(広島市))
天皇皇后両陛下 ご供花(広島平和都市記念碑(原爆死没者慰霊碑))(平和記念公園(広島市))
天皇皇后両陛下 ご視察(広島原爆養護ホーム倉掛のぞみ園)(広島市)
天皇皇后両陛下 皇居御着
平成7年8月2日(水)
沖縄県行幸啓(戦後50年に当たり)
お名前 ご日程
天皇皇后両陛下 皇居御発
天皇皇后両陛下 「戦災50年の概況」ご聴取(沖縄平和祈念堂)(糸満市)
天皇皇后両陛下 ご供花(国立沖縄戦没者墓苑)(糸満市)
天皇皇后両陛下 ご視察(平和の礎)(糸満市)
天皇皇后両陛下 皇居御着
平成7年8月3日(木)
天皇皇后両陛下 戦後50年に当たり行幸啓(東京都慰霊堂)
平成7年8月15日(火)
天皇皇后両陛下 全国戦没者追悼式ご臨席(日本武道館)
平成7年9月14日(木)
天皇皇后両陛下 ご供花(戦没船員の碑)(神奈川県立観音崎公園)
https://www.kunaicho.go.jp/activity/gonittei/01/h07/gonitei-h07-03.html
2006 広島県行啓(第30回全国育樹祭にご臨場,併せて地方事情をご視察)
平成18年10月21日(土)
皇太子殿下 東宮御所御発
皇太子殿下 県勢概要ご聴取(広島県知事),ご昼食(リーガロイヤルホテル広島(広島市))
皇太子殿下 ご供花(広島平和都市記念碑(原爆死没者慰霊碑)(広島市))
皇太子殿下 ご視察(広島原爆養護ホーム神田山やすらぎ園(広島市))
皇太子殿下 第30回全国育樹祭懇談会ご臨席(リーガロイヤルホテル広島(広島市))
平成18年10月22日(日)
皇太子殿下 広島エアポートホテルお立ち寄り(三原市)
皇太子殿下 第30回全国育樹祭ご臨場,お手植え樹お手入れ(広島県立中央森林公園(三原市))
皇太子殿下 ご昼食(広島エアポートホテル(三原市))
皇太子殿下 ご視察(酒蔵通り(東広島市))
平成18年10月23日(月)
皇太子殿下 ご視察(厳島神社(廿日市市))
皇太子殿下 ご昼食(岩惣(廿日市市))
皇太子殿下 東宮御所御着
https://www.kunaicho.go.jp/activity/gonittei/02/h18/gonittei-2-2006-10.html
2006 平成18年10月21日(土)
広島平和都市記念碑(原爆死没者慰霊碑)へご供花になる皇太子殿下(平和記念公園(広島市))
(写真:広島県)
https://www.kunaicho.go.jp/activity/gonittei/02/photo2/photo-200610-727.html
2014 天皇陛下お誕生日に際し(平成26年)天皇陛下の記者会見
会見年月日:平成26年12月19日
会見場所:宮殿 石橋の間
宮内記者会代表質問
問1 この1年を振り返り,社会情勢やご公務,ご家族との交流などで印象に残った出来事をお聞かせください。来年に向けてのお考えもあわせてお答えください。また,来年は戦後70年という節目の年を迎え,両陛下のパラオご訪問が検討されています。改めて先の戦争や平和に対するお考えをお聞かせください。
<中略>
問2 宮内庁が24年あまりをかけて編纂し,この夏に両陛下へ奉呈された「昭和天皇実録」に関してのご感想とともに,昭和天皇についての思い出や,天皇としてのお姿から学び生かされていることをお聞かせください。
天皇陛下
昭和天皇実録は宮内庁書陵部が中心となって多くの資料に基づき編纂さんしたもので,完成までの苦労には計り知れないものがあったと察しています。携わった関係者の努力に深く感謝しています。これから折にふれ,手にとり,御事蹟せきに触れていくことになると思います。このことは大変に困難な時代を歩まれた昭和天皇を,改めておしのびするよすがになろうと思っています。
昭和天皇との思い出については様々なことがありますが,夏の那須の附属邸に滞在していて,御用邸に滞在していらっしゃる昭和天皇,香淳皇后をお訪ねしたり,植物を御覧になるため,その植物の自生地にいらっしゃるのにお供をしたりしたことが懐かしく思い起こされます。実録にも私の結婚の翌年の夏の記述に「皇后及び皇太子妃と御同車にて御用邸敷地外の広谷地ひろやじに向かわれ,同所にてお揃いで湿地のサギソウ等を御覧になる」と記されています。
この時私は那須を離れ,地方で行われる行事に出ていたのですが,昭和天皇は生まれたばかりの浩宮を守って留守をしている美智子が寂しくないよう,香淳皇后と共に散策にお誘いくださったのではないかと思います。少し後になりますが,皇后と私とで,廻谷めぐりやであったかと思いますが,お供した時には,皇后に水辺の白い花で,野生のスイレンであるヒツジグサの花をお教えくださいました。この2度の大切な思い出のため,皇后にとりサギソウとヒツジグサはそれ以後ずっと特別な花となっていたようで,それから大分後になって私どもが女の子に恵まれ,清子さやこと名付けたその同じ日に,私どもは清子のお印にヒツジグサを選びました。昭和天皇が「大変よい」とお喜びくださったことが,うれしく思い出されます。
昭和天皇から学んだことは多いと思います。結婚前には葉山の御用邸に昭和天皇,香淳皇后と一緒に泊めていただくこともありましたから,そのような時に昭和天皇から学んだことが多くありました。人のことを常に考えることと,人に言われたからするのではなく,自分で責任を持って事に当たるということは,昭和天皇の御言動から学んだ大きなことであったのではないかと思っています。
この1年のご動静<抄>
地方へのお出ましは,・・・
12月には広島県広島市をご訪問になり,今年8月の豪雨災害とその後の復興状況をご視察,被災者を見舞われ,復興尽力者をねぎらわれました。翌日は広島平和都市記念碑(原爆死没者慰霊碑)にご供花なさり,広島原爆養護ホーム矢野おりづる園を訪問されました。この度,比較的新しい原爆養護ホームをご訪問になったことで,両陛下は広島県内に4か所ある原爆養護ホームの全てを訪れたことになります。
https://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/kaiken/kaiken-h26e.html
2015 平成27年4月6日(月) ~ 平成27年4月7日(火)
広島県お成り(「山階鳥類研究所 中国地区賛助会員の集い」ご臨席併せて地方事情ご視察)
平成27年4月6日(月)
文仁親王殿下 宮邸御発
文仁親王殿下 平成26年8月豪雨による土砂災害被害状況等ご聴取(広島市安佐南区役所(広島市))
文仁親王殿下 被災地域ご視察及び被災者お見舞い(広島市安佐南区八木地区(広島市))
文仁親王殿下 ご供花(広島平和都市記念碑(原爆死没者慰霊碑)(広島市))
文仁親王殿下 「山階鳥類研究所 中国地区賛助会員の集い」ご臨席(リーガロイヤルホテル広島(広島市))
平成27年4月7日(火)
文仁親王殿下 宮邸御着
https://www.kunaicho.go.jp/page/gonittei/show/3?quarter=201502
皇后陛下のお写真
皇后陛下お誕生日に際してのご近影
宮内記者会の質問に対する文書ご回答
問 この1年,自然災害などさまざまな出来事がありました。戦後70年にあたり,皇后さまは天皇陛下とともにパラオをはじめ国内外で慰霊の旅を重ねられました。また,玉音放送の原盤なども公開されたほか,若い皇族方も戦争の歴史に触れられました。1年を振り返って感じられたことをお聞かせください。8月には心臓の精密検査を受けられましたが,その後のご体調はいかがですか。
皇后陛下
<前略>
先の戦争終結から70年を経,この1年は改めて当時を振り返る節目の年でもありました。終戦を迎えたのが国民学校の5年の時であり,私の戦争に関する知識はあくまで子どもの折の途切れ途切れの不十分なものでした。こうした節目の年は,改めて過去を学び,当時の日本や世界への理解を深める大切な機会と考えられ,そうした思いの中で,この1年を過ごしてまいりました。
平和な今の時代を生きる人々が,戦時に思いを致すことは決して容易なことではないと思いますが,今年は私の周辺でも,次世代,またその次の世代の人々が,各種の催しや展示場を訪れ,真剣に戦争や平和につき考えようと努めていることを心強く思っています。先頃,孫の愛子と二人で話しておりました折,夏の宿題で戦争に関する新聞記事を集めた時,原爆の被害を受けた広島で,戦争末期に人手不足のため市電の運転をまかされていた女子学生たちが,爆弾投下4日目にして,自分たちの手で電車を動かしていたという記事のことが話題になり,ああ愛子もあの記事を記憶していたのだと,胸を打たれました。若い人たちが過去の戦争の悲惨さを知ることは大切ですが,私は愛子が,悲しみの現場に,小さくとも人々の心を希望に向ける何らかの動きがあったという記事に心を留めたことを,嬉しく思いました。
今年,陛下が長らく願っていらした南太平洋のパラオ御訪問が実現し,日本の委任統治下で1万余の将兵が散華したペリリュー島で,御一緒に日米の戦死者の霊に祈りを捧げることが出来たことは,忘れられない思い出です。かつてサイパン島のスーサイド・クリフに立った時,3羽の白いアジサシがすぐ目の前の海上をゆっくりと渡る姿に息を呑んだことでしたが,この度も海上保安庁の船,「あきつしま」からヘリコプターでペリリュー島に向かう途中,眼下に,その時と同じ美しい鳥の姿を認め,亡くなった方々の御霊みたまに接するようで胸が一杯になりました。
戦争で,災害で,志半ばで去られた人々を思い,残された多くの人々の深い悲しみに触れ,この世に悲しみを負って生きている人がどれ程多く,その人たちにとり,死者は別れた後も長く共に生きる人々であることを,改めて深く考えさせられた1年でした。
<後略>
この1年のご動静<関連部分>
特に,今年は戦後70年に当たることから,改めて戦没者を慰霊され,遺族を始め戦後の苦境を乗り越え,支えてきた人々に寄り添われました。昨年6月の学童疎開船対馬丸の犠牲者を慰霊されるための沖縄県ご訪問,同年10月の長崎市平和公園及び恵の丘長崎原爆ホームご訪問に引き続き,陛下と共に,昨12月には,広島平和都市記念碑(原爆死没者慰霊碑)に参られ,広島原爆養護ホーム矢野おりづる園をご訪問になりました。また,今年の8月には,広島市被爆70周年記念事業として東京で開催されたマルタ・アルゲリッチ協演による広島交響楽団「平和の夕べ」コンサートをご鑑賞になりました。戦後60年の平成17年6月には慰霊のためサイパン島をご訪問になりましたが,戦後70年の今年4月には,慰霊と国際親善のためパラオ共和国を訪問され,ペリリュー島にある西太平洋戦没者の碑,米国陸軍の慰霊碑に参られるとともに,同共和国大統領ご夫妻,この折に参加されたミクロネシア連邦大統領ご夫妻,マーシャル諸島共和国大統領ご夫妻,さらにパラオ共和国の多数の人々とお会いになりました。同じく4月には,戦後復興に尽力し産業災害で殉職した人々を慰霊する高尾みころも霊堂に,5月には東京都慰霊堂に参られました。6月には,先の大戦で軍に徴用されて戦没した商船等の船員を慰霊する戦没・殉職船員追悼式にご臨席,また,私的ご旅行として宮城県及び山形県を訪問された折に,戦後,南洋パラオから引き揚げた人々が入植,開拓した宮城県蔵王町北原尾地区をご訪問になりました。そして,7月には満州から引き揚げた人々が開拓した千振開拓地(栃木県那須町)を,8月には同様の大日向開拓地(長野県軽井沢町)をそれぞれご訪問になりました。
https://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/kaiken/gokaito-h27sk.html
 2016  平成28年7月29日(金) ~ 平成28年7月31日(日)
広島県お成り(第40回全国高等学校総合文化祭「2016ひろしま総文」ご臨席,併せて地方事情ご視察)
平成28年7月29日(金)
文仁親王殿下並びに眞子内親王殿下
ご訪問(広島原爆養護ホーム矢野おりづる園(広島市))
文仁親王殿下並びに眞子内親王殿下
ご供花(広島平和都市記念碑(原爆死没者慰霊碑)(広島市))
文仁親王殿下並びに眞子内親王殿下
県勢概要ご聴取,ご夕食会ご臨席(リーガロイヤルホテル広島(広島市))
平成28年7月30日(土)
文仁親王殿下並びに眞子内親王殿下
書道部門ご覧(広島県立広島産業会館(広島市))
文仁親王殿下並びに眞子内親王殿下
美術・工芸部門ご覧,特別支援学校部門ご覧(広島県立美術館(広島市))
文仁親王殿下並びに眞子内親王殿下
総合開会式ご臨席(広島県立総合体育館(広島市))
文仁親王殿下並びに眞子内親王殿下
写真部門ご覧(広島国際会議場(広島市))
文仁親王殿下並びに眞子内親王殿下
平成28年7月31日(日)
文仁親王殿下並びに眞子内親王殿下
郷土芸能部門ご覧(三原市芸術文化センター(三原市))
https://www.kunaicho.go.jp/page/gonittei/show/3?quarter=201603
2018 平成30年2月13日(火) ~ 平成30年2月14日(水)
広島県お成り(「第69回結核予防全国大会」ご臨席)
平成30年2月13日(火)
文仁親王妃殿下 結核予防会支部長午餐会ご臨席,研鑽集会ご聴講,アトラクションご鑑賞,全国結核予防婦人団体連絡協議会懇談会ご臨席,県勢概要ご聴取,大会歓迎レセプションご臨席(リーガロイヤルホテル広島(広島市))
平成30年2月14日(水)
文仁親王妃殿下 第69回結核予防全国大会式典ご臨席,大会議事及び特別講演ご聴講(リーガロイヤルホテル広島(広島市))
文仁親王妃殿下 ご供花(広島平和都市記念碑(原爆死没者慰霊碑)(広島市))
https://www.kunaicho.go.jp/page/gonittei/show/3?quarter=201801
2018 平成30年6月19日(火) ~ 平成30年6月20日(水)
広島県お成り(「公益社団法人日本植物園協会第53回大会」ご臨席)
平成30年6月19日(火)
文仁親王殿下 ご昼食会ご臨席(リーガロイヤルホテル広島(広島市))
文仁親王殿下 ご供花(広島平和都市記念碑(原爆死没者慰霊碑)(広島市))
文仁親王殿下 「公益社団法人日本植物園協会第53回大会」開会式・表彰式ご臨席,意見交換会ご出席(広島市佐伯区民文化センター(広島市))
平成30年6月20日(水)
文仁親王殿下 口頭発表ご臨席,ポスター発表ご覧(広島市佐伯区民文化センター(広島市))
文仁親王殿下 ご視察(広島市植物公園(広島市))
https://www.kunaicho.go.jp/page/gonittei/show/3?quarter=201802
2021 上皇陛下のご近況について(お誕生日に際し)
令和3年12月23日:上皇職
「沖縄県慰霊の日,広島・長崎原爆の日,終戦記念日並びに阪神淡路大震災及び東日本大震災の発生日には,今もテレビ中継に合わせて,上皇后さまと共に黙祷をなさっています。」
https://www.kunaicho.go.jp/joko/press/r031223.html

行幸啓の中の戦没者慰霊(平成期)

行幸啓の中の戦没者慰霊(平成期)

終戦70年にあたり

平成26年6月26日~6月27日 天皇皇后両陛下 沖縄県行幸啓
平成26年10月11日~10月12日 天皇皇后両陛下 長崎県行幸啓
平成27年4月8日~4月9日 天皇皇后両陛下 パラオご訪問(西太平洋戦没者の碑等)
平成27年4月16日 天皇皇后両陛下 高尾みころも霊堂行幸啓
平成27年5月26日 天皇皇后両陛下 東京都慰霊堂行幸啓
平成27年6月10日 天皇皇后両陛下 神奈川県行幸啓(戦没船員の碑)
平成27年6月17日 天皇皇后両陛下 宮城県行幸啓(蔵王町北原尾地区開拓地)
平成27年7月20日 天皇皇后両陛下 栃木県行幸啓(那須町千振開拓地)
平成27年8月11日 天皇皇后両陛下 広島市被爆70周年記念事業 広島交響楽団 平和の夕べコンサートご鑑賞
平成27年8月22日 天皇皇后両陛下 長野県行幸啓(軽井沢町大日向開拓地)
平成28年1月26日~1月30日 天皇皇后両陛下 フィリピンご訪問(比島戦没者慰霊碑等)

終戦60年にあたり

平成17年6月27日~6月28日 天皇皇后両陛下 サイパン島ご訪問(中部太平洋戦没者の碑等)
平成17年7月4日 天皇皇后両陛下 終戦60周年記念行事「戦没殉職船員遺族の集い」
平成17年8月29日~8月30日 天皇皇后両陛下 長野県行幸啓(南牧村野辺山地区開拓地)
平成17年9月2日 天皇皇后両陛下 栃木県行幸啓(那須町千振開拓地)
平成17年10月11日 天皇皇后両陛下 神奈川県行幸啓(戦没船員の碑)
平成17年12月13日 天皇皇后両陛下 日本遺族会婦人部「新たなる出発の集い」

終戦50年にあたり

平成6年2月12日 天皇皇后両陛下 硫黄島行幸啓(天山慰霊碑,鎮魂の丘)
平成7年7月26日~7月27日 天皇皇后両陛下 長崎県・広島県行幸啓
平成7年8月2日 天皇皇后両陛下 沖縄県行幸啓
平成7年8月3日 天皇皇后両陛下 東京都慰霊堂行幸啓

 

悠仁親王

悠仁(ひさひと)親王殿下
平成18年9月6日ご誕生 お印:高野槇(こうやまき)
出典https://www.kunaicho.go.jp/about/history/history03.html

資料

厳島神社回廊 2006年11月23日撮影
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悠仁(ひさひと)親王殿下 お印:高野槇(こうやまき)
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宇吹実家の畑 2021年7月31日 宇吹暁撮影

 

 

広島の碑をめぐる闘いの記録

『廣島の碑をめぐる闘いの記録』(藤井一郎編、瀬戸内報道社海内興論、19710927)

内容

見出し
林房雄氏の論文とその反響
(1)何を訴えようとする碑か 1

(2)林氏の寄稿を第一波として 2

(3)その反撃は万波となって 4

(4)高田範幸氏は岸田博士の一文を 5

(5)武藤貞一氏の悲憤の文字 6

(6)元中国新聞論説委員小林健三氏の所論 6

(7)中村武彦氏の二十年前の炎の文字 6

(8)平泉澄博士の「広島」 8

(9)葦津珍彦氏の鉄腸の訴え 9

市民世論の盛り上がりを背景に
(1)「原爆慰霊碑を正す会」発足 10

(2)一万八千人の署名請願書と提出 12

(3)「請願」に市側の誠意見られず 13

(4)山田市長の独断専行 14

(5)山田市長の不実の答弁 14

両陛下御巡幸にあたり
(1)偽りの碑へのお立寄り拝辞を求めて 16

(2)要請・要望を繰返したが 17

資料=民族派要請文
(1)日本青年旭心団要請文 21

(2)原爆慰霊碑碑文改正推進青年学生協議会の「要請」文 23

(3)全九州民族運動協議会の訴え 24

(4)川田貞一氏の訴え 25

(5)中央における「道の友」の闘い 28

(6)未だ一生氏の訴え 32

両陛下ご来広までのまとめ
(1)運動主導者としての懺悔 36

(2)若者をミスリードするマスコミ 37

(3)文化人意識過剰の座談会記事 40

(4)新左翼を育てる素地 42

(5)遂に現れた 天皇糾弾 43

「天皇糾弾集会」をめぐる闘い
(1)三月の彼我の動き 45

(2)坂田教授との面談四時間 47

(3)広大全共斗の策動 48

陛下ご来広中のデモに対する闘い
(1)新左翼を狂奔させる背景 49

(2)「天皇糾弾」デモ五件に対し我らもデモを申請 51

(3)「天皇は国民統合の象徴である」こと 53

(4)県警本部に対策について質す 54

(5)歴史は夜つくられる 55

(6)総理の 強権発動 は当然の措置 55

(7)破砕できなかった二つのデモ 57

資料= 合法闘争 記録
A  平和記念館使用問題
(1)「使用取消処分」取消の訴状 59

(2)行政処分執行停止申立書 61

(3)広島市長の「意見」 72

(4)付1 広島平和記念館使用条例 74

付2 広島市職務権限規定 75

付3 記念館使用許可書 77

付4 記念館使用許可書取消通知書 78

(5)付1.2 永野知事の「通達」 78

付3 永野知事の「謹話」 79

付4 奉迎送計画書 80

(6)「申立」を支持する地裁決定 81

(7)広島市長の「抗告状」 86

(8)即時抗告理由追加申立書 89

(9)「即時抗告」を支持する高裁決定 90

(10)集団示威運動許可申請書 93

(11)広島県公安委員会指令第五七号 94

B  糾弾デモに対抗する粉砕デモ問題
(1)集団行動許可申請書(四通)95

(2)広島県公安委員会指令第五八号~六一号 97

(3)代理人(弁護士)委任状 99

(4)行政処分取消請求訴状 100

(5)行政処分執行停止申立書 100

(6)裁判請求陳情書 101

(7)広島県公安委員会の「意見書」 102

(8)1付・デモ集会に関する「条例施行規則」 103

C  天皇来広糾弾デモ問題
(1)新左翼の集団更新許可申請書 111

1 天皇来広糾弾連絡協議会(二通)111

2 広島大学全学共闘会議(三通)112

3 三段体連絡会議(一通)115

(2)不許可理由 115

(3)申立人の暴力的傾向 116

(4)全共闘申立を支持する地裁決定 116

(5)即時抗告棄却の高裁決定 118

(6)全共闘の申立を支持する地裁決定 119

(7)即時抗告原決定変更支持の高裁決定 120

(8)三団体の申立を支持する地裁決定 122

(9)佐藤総理の「異議の理由」 125

(10)地裁決定を取消す 126

デモ一覧表
 デモ周辺図
資料=新左翼による「天皇糾弾」の主張
原爆慰霊碑を正す運動年表

 

 

 

天皇陛下と広島

『天皇陛下と広島―昭和の御代に感謝のまごころを』(「天皇陛下と広島」編纂部、天皇陛下御在位六十年広島県奉祝委員会、19870211刊)

目次

御真影
大御歌(御製碑)
グラビア
戦後広島県巡幸(昭和22年)
植樹祭(昭和46年)
産業御視察(昭和26年)
天皇陛下御在位60年奉祝大パレード(昭和61年11月10日・東京)
出版に寄せて  山崎芳樹( 広島商工会議所 会頭)
序文 天皇陛下御在位六十年広島県奉祝委員会
第1章 ああ御在位六十年-民族の生命の復活と蘇生
偉大な悲劇 法隆寺玉虫厨子の意味 山背大兄王の哀しみ 五内為ニ裂ク 名誉を思わず利益を思わず  鎮魂の旅
第2章 戦後広島県巡幸史(昭和二十二年十二月五日~八日)
広島県巡幸概観
巡幸に込められた陛下の御決意  広島県巡幸への県民の願い  行幸を心待ちにする県民の声
大竹市・宮島町
国立大竹病院 三菱化成大竹工場  宮島桟橋 宮島で御静養
広島市
廿日市   広島戦災児育成所 広島県水産試験場   爆心地御通過  広島市民奉迎場  授産共同作業場 広島市立袋町小学校と第五中学校  県立広島第一中学校 広島市役所  広島県庁 広島駅
呉市
呉駅  呉市役所  呉市民奉迎場
三原市
浮城分室(御在所) 帝国人絹糸三原工場 東洋繊維三原工場   三菱重工三原車両製作所
尾道市・向島町
戦災引揚者応急住宅   向島西村津部田 尾道水道  尾道市役所
福山市・神辺町
千田村   神辺小学校  福山市救護院、母子寮   福山城址公園
第3章 天皇陛下ありがとうございます-県民から寄せられた感謝の声-
 山崎芳樹
 増岡博之
 川村智治郎「陛下と私」
 中川秀直
 粟屋敏信
 児玉秀一「忘れ得ぬ思い出」
 佐々木有
 奥原次郎
 石田成夫
 松浦多聞
 内海巌
 桜井正弥
 赤木蒸治
 佐竹利彦
 松下一男
 森安忠
 戸田一郎
 西村敏藏
 中島一史
 谷口寿太郎(元五日市町長)
 加賀美正孝
 桜井創造(広島特定郵便局長会理事)
 山田五巳(畑賀地区社会福祉協議会会長)
 織田金次郎(大竹市日本の伝統を守る会会長)
 献歌
 奉祝記念映画「天皇陛下-御在位六十年をことほぐ-」感想文
あとがき

明治100年(関連年表と資料)

明治100年(関連年表と資料)

年月日 事項
19660325 明治百年記念を国家的行事として実施する旨閣議了解。
19660415 明治百年記念を国家的行事として実施する旨閣議決定。内閣内に明治百年記念準備会議設置。
19660511 国の明治百年記念準備会議(第1回)開催。記念式典実施日1968年10月23日と決定。
19660526 明治百年記念準備会議(第2回)開催。4部会(式典・行事・事業・広報)設置。
196710 政府、各都道府県に記念事業の実施を要請
196711 広島県明治百年記念行事等協議会設置。
19681023 政府主催明治百年記念式典。
広島県の行事(出典:『戦後50年広島県政のあゆみ』)
広島県明治百年記念式典(19681023)。
県章・県旗の制定。
県民の森の整備。
県史の編さん
その他

 

 

昭和史の天皇4(読売新聞社)

「昭和史の天皇4」(読売新聞社、1968.8.1)

目次

原爆を抱いて
ためらう科学者
学者委員が大激論
日本ヘどう使うか
大統領、投下に同意
科学者の反論むなし
矢はつるを離れた
四つの目標都市
特別の部隊を編成
最後の決断を待つ
“本命”の実験も成功
爆撃命令の承認
“微妙な八月三日ごろ”
部品、テニアン島へ
命中した模擬爆弾
広島上空、雲切れる
運命の日の天候
矢花慎雄(気象庁予報課技官)
横山幸雄(陸軍中央通信調査部高級参謀・中佐)
投下用B29の電波
東京にも同符号機
日本の原爆
スタート、米の直後
公開、一転し軍機に
頭脳結集「二号研究」
熱拡散法しかない
一発勝負の実験
研究より資材集
フッ素研究も難航
次はウラン作り
でてきた待望の結晶
炭素もデンプンで
苦心の分離簡完成
苦心重ねての実験
ウラン分離始まる
六回に及ぶテスト
ウラン分離に失敗
空襲、分離筒も焼く
軍がウラン鉱捜し
ドイツ政府へ依頼
朝鮮に大量の原鉱
福島県に工場疎開
尼崎にも大分離筒
熱拡散法は失敗
珍妙な“特高研究室”
二号研究に悲観論
海軍は京大に一任
原子力応用を調査 一度は研究を中断
連鎖反応を立証
金属ウランも作る
超遠心分離に苦心
チエ持ちより設計
臨界量も割り出す
陸軍も中止論へ
くやしく、情けなく
万感こめ被害調査
補遺、「荒勝先生覚え書き」
広島第一報!
爆痕がないぞ…?
強烈で奇妙な兵器
出勤途中、李殿下も
黒い死の影ひそむ
仁科博士“原爆です”
“白色の着衣徹底を”
一定角度の焼け跡
爆心点は球場付近
物質に死の放射線
笑えぬ“特殊火薬説”
生々しい報告内容
水爆の構想を予言
「ソ連参戦」の波紋
ラジオゾンデ回収
原爆と一緒に手紙
軍は驚き、手紙隠す
発信、加州大の旧友
京大調査隊の悲劇
山津波で十人殉職
克明な尾形日記
“一刻も早く和平ヘ”
一号演習-陛下の周辺・その一
    最後まで“一号演習”
防空室の補強作戦
物、人、技術者に苦労
決意の“師団長旗”
一号演習”はじまる
工事現場に擬装網
皇居上空から“偵察
巨大な網の天井
14メートルの新しい小山
延べ12万人を動員
下痢患者が続出
師団長と心の交流
消灯でさんざん苦労
司令部の中心参謀
兵力動員に一苦労
森師団長と古賀参謀
答礼に二等兵感激
視察、労をねぎらう
扉のそばにボンベ
送電、換気、水に苦心1
会議室、明るく重厚
極秘の無線電話機

昭和天皇

昭和天皇

裕仁 ひろひと 19010429生19890107没 享年87 第124代天皇。

参考資料(刊本)

書名 著者 発行所 発行年月日
昭和史の天皇4 読売新聞社 19680801