「広島大学」カテゴリーアーカイブ

主な学生運動<広島大学 >

主な学生運動<広島大学 >

年月日 事項
1950
0603 広島文理科大学自治会を中心に、イールズ声明反対・軍事基地化反対・全面講和を スローガンに全学決起大会を開催(開催場所不明)。
1952
0602 教養部学友会が学生大会を開催。約800人が参加し、破壊活動防止法(破防法)反 対を決議。ストライキの提案があったが、出席が過半数に満たず、賛成も3分の2 を上回らなかったため否決(開催場所不明)
0619  教養部生約800人が破防法反対決起大会を開催(開催場所不明)。大会後、約80人が 市内デモを実施。
1956
0602 平和と民主主義擁護委員会(文学部有志が結成)が教育3法案への抗議集会を開催 (開催場所不明)。約800人の学生が参加。
1957
1101 原水爆禁止広島協議会が原水爆禁止国際共同行動広島大会を開催(開催場所:広島 市役所南広場)。広島大学自治会連合会はストライキまたは授業放棄によって大会 に参加することを決定。広大生約600人、各団体から約500人が参加。
1958
0425 エニウェトク・クリスマス島水爆実験反対と勤務評定阻止全日本学生総決起大会を 開催(開催場所:原爆慰霊碑前)。約500人が参加。
0515 同上。約1,000人の学生 (広島大学以外も含む)が参加。大会後、デモ行進を実施
0626 広島大学自治会連合会が広島県警の学生スパイ強要事件に対して、スパイ活動強要 反対抗議集会を開催(開催場所:平和記念館前広場)。約1,000人の学生が参加。集 会後、デモ行進を実施。
1028  警察官職務執行法(警職法)改正反対運動のため、広島大学自治会連合会が完全授 業放棄を決定。本部・教養部の各門にピケを張り入構する学生を説得。午前と午後 の2回にわたり教養部校門前で抗議集会を開催し、デモ行進を実施。
1959
1030 教養部学友会執行部は午後からの授業放棄を決定。安保改定阻止全国学生統一行動 広島大会を開催。教養部学生約400人、文学部自治会・医学部生等約500人が参加(開 催場所:広島大学正門前)。集会後、デモ行進を実施。その際に計8人の学生が逮 捕される。
1960
0513 全日本学生自治会総連合の統一行動日に合わせて安保反対の総決起大会を開催(開 催場所:教養部中庭)。約500人の学生が参加。大会後、約70人がデモ行進を実施。 その後、本部で約30人が合流、15時に授業を終えた80人が合流。
0519 前日からストライキ実行委員会がバリケードを構築。当日は寮生を中心にピケ隊を 組織。8時半から約600人の学生が参加して総決起大会。大会後、約350人が デモを実施。13時半から約300人の学生が2回目のデモ行進を実施。その際に学生 1人が逮捕される。
0614 教養講堂で総決起集会。終了後、約500人がデモ行進。
0615 午前、午後の2回デモ行進を実施。参加者は約150人。 注:同日、国会前の抗議デモで東京大学学生の樺美智子が死亡。
0616 教養部で緊急学生大会開催。全日授業放棄を決定、10時ごろからデ モ行進を実施。約1,500人が参加(教養部生の他に、本部から学部生、大学院生、 教官等も参加)。その際に3人の学生が逮捕された。
0617 教養部生約250人、本部学部生・大学院生約400人がデモ。東雲 分校自治会、学生大会を開き初の市内デモを実施。
0618 広島平和公園で開かれた全階層中央集会に教養部生約500人、他学部 自治会約300人が参加。デモ行進の際に学生1人が逮捕される。東雲分校自治会 もデモを実施。水畜産学部・福山分校学友会も抗議集会を開き、初のデモ行進を 実施。
1962
0427 アメリカ太平洋核実験即時中止、ソ連核実験再開全体反対を掲げた日米英国際学生 統一行動を実施。教養部生約800人、学部生約500人が参加して抗議集会(開催場所: 広島大学正門前)を開催後、デモ行進を実施。文・教育学部自治会は核実験問題に ついて討論集会を開催。
1965
0513 千名デモ実行委員会がベトナム戦争反対集会を開催。約700人が参加。 注:この前後にも相次いでベトナム戦争反対の集会・デモ。
1028 日韓基本条約批准への抗議集会後、約300人がデモ行進を実施。その 際に学生1人が逮捕された。これに対してデモ隊が広島西警察署に抗議活動を 行ったところ、無届け集会という理由で学生2人が逮捕される。
1029 昼食時に抗議集会、その後、約250人が広島西警察署に抗議活 動を行い、無届けデモという理由で学生2人が逮捕される。放課後、抗 議集会とデモが行われ約500人が参加。
1967
1021  「10.21国際反戦統一行動」に応じて、広島大学自治会連合会が集会を開催。他大学 も含め約800人が参加。集会後、市内デモを実施。
1968
0529 教養部学生大会を開き、ベトナム戦争反対等を掲げたスト決行を決議 (賛成807、反対428、無効247)。大会後、150~200人の学生が学内デモを行い、教養部校舎の出入り口にバリケードを築くとともに、本部キャンパスの門を封鎖。
0530 午前中に教養部学友会は総決起集会。13時から広島大学自治会 連合会が全学集会を開催。集会後、約700人が広島市内で、約400人が呉市広で、 それぞれデモ行進を実施。このうち呉市広のデモで学生11人が逮捕される。
出典:『広島大学二十五年史』通史317~378、391~395、402~407頁

 

参考:「3章 高度経済成長下の広島大学 2節 大学紛争」『広島大学75年史通史編』

1 学生運動の変化
表3-8 主な学生運動(広島大学)
2 広大紛争の発生とキャンパスの封鎖
全国の状況
広大全共闘の発足と8項目要求
教養部学友会のスト決議・突入
川村学長の辞任と学部の封鎖
飯島学長の選出と団体交渉の実施
封鎖解除

ヒロシマと廣高 被爆五十二年・回顧と追悼

『ヒロシマと廣高 被爆五十二年・回顧と追悼』(廣島高等学校同窓有志の会、1997/08/01)

内容<作業中

発刊の辞 廣高同窓有志の会代表 松浦道一 1
回顧 3
廣高とは 松浦道一(昭9文甲)4
幻のヒロシマと母校 扇畑忠雄(昭6文甲)7
「青春の碑」より 近藤芳美(昭9理甲)13
私の中の日本人-中島光風-阿川弘之(昭15文乙)25
廣高生の8月6日 三野濱雄(昭23文甲・当時理甲)32
追悼 37
恩師・遺族の部 38
被爆の前後 故 澄谷泉 38
29年前のこと 羽田野三郎 41
8日の記憶-原爆そしてトーマスマン『魔の山』 登張正實 45
ひろしま 故 鳴沢富女(恩師夫人)49
忘れられない体験 楠木キミヨ(昭2文乙・楠木保夫人)52
父 岸野禮子(昭2文乙・楠木保長女)55
遺族の思い 松本隆允(昭13理乙・松本清徳長男)57
アンケート回答 60
同窓生の部 62
第1部 原爆想起(昭和22年卒業生)62
「偶然」の重み 稲賀敬二(昭22文甲)62
私にとっての8月6日 岸本弘(昭22文甲)66
私の原爆体験記 杉山俊彦(昭22文甲)68
一文科生の回想(入学より原爆まで)竹尾吉郎(昭22文甲)71
文科2年生の8月6日 永原誠(昭22文甲)75
悪夢の高校時代 浅野卓(昭22理甲1)78
ピカドン 應和俊雄(昭22理甲1)81
廣高原爆鎮魂記-核廃絶に向けて 片山淳(昭22理甲1)84
戦争末期の呉海軍工廠における廣高生 渡辺正彦(昭22理甲1)87
20年8月6日 浴厚夫(昭22理甲2)89
遠い閃光 小林健郎(昭22理甲2)92
被爆50周年に想う 隅田正二(昭22理甲3)95
原爆回想記 古坂良雄(昭22理甲3)98
原爆の日々 岩政正男(昭22理乙1)99
悪夢の月曜休日 片岡進(昭22理乙1)102
あの日、あの時、廣高第三報国寮 佐藤保雄(昭22理乙1)105
被爆2日後の広島市内を歩いて 竹田正彦(昭22理乙1)112
あの日 中西昭夫(昭22理乙1)114
原爆の思い出 日野八州行(昭22理乙1)118
炎天の1日 川崎正輝(昭22理乙2)121
昭和20年8月6日廣高原爆の日 丹比邦保(昭22理乙2)124
私と原爆(直後の入市)三輪谷俊夫(昭22理乙2/)127
原爆の被爆体験記 渡辺寛(昭22理乙2)131
アンケート回答 133
昭和22年卒業予定者にして被爆死された方 144
第2部 被爆・追悼(昭和23年卒業生)145
「やすらかにお眠り下さい あやまちは二度とくりかえしません」内海健寿(昭23文甲)145
被爆寮生の搬送・和歌山へ 日野八州行(昭22理乙1)・友久武文(昭23文甲)・弘津崔宗(昭23理甲1)・山中茂和(昭23理甲2)148妹と私 中島敏直(昭23文甲)151
1945年8月6日、ヒロシマにて 中野武彦(昭23文甲)154
運命の岐路 御藤良彰(昭23文甲)157
二つの原爆-金言と業 溝本満男(昭23文甲)160
私の昭和20年8月 鶴田耕造(昭23文乙)162
向洋駅にて 藤田弘人(昭23文乙)166
薄れゆく記憶よ、戻れ 藤村瞬一(昭23文乙)169
原爆体験 蒔田二朗(昭23文乙)172
一瞬の出来事であった 寺谷忠郎(昭23理甲1)175
風化しないあの日の事 中田隆康(昭23理甲1)180
広島駅で原爆に遭う 弘津崔宗(昭23理甲1)184
原爆が投下された前後の日日 光易恒(昭23理甲1)186
私の原爆体験 幸本茂(昭23理甲2)189
師の荼毘 高木健治(昭23理甲2)192
師と二人の友のの鎮魂を祈りつつ 西山隆三(昭23理甲2)195
原爆投下前後のこと 坂本知三(昭23理甲3)201
あの日の広島に地球最後の日を見た 中条一雄(昭23理甲3)204
被爆前後のこと 橋本隆(昭23理甲3)207
原爆の生き証人の1人として 大門哲(昭23理甲4)210
私の原爆記 田部忠行(昭23理甲4)213
あの日の惨禍に思いを馳せ核兵器のなくなる日を目ざして 三宅信雄(昭23理甲4)216
神の臨在 吉村博光(昭23理甲4)219
原爆前後 江戸義治(昭23理乙1)222
1945年8月6日の私 小野一郎(昭23理乙1)225
原爆・妹達の死 蔵本築(昭23理乙2)227
恐怖の殺人ドウナッツ 小林豊(昭23理乙2)230
私の被爆エッセンス 中谷孝(昭23理乙2)234
炎熱地獄に消えた友 星埜惇(昭23理乙2/)237
原爆の思い出 南碩哉(昭23理乙2)240
茸雲ができる前 森脇垂果(昭23理乙2)243
昭和23年卒業予定者にして被爆死された方 260
第3部 ヒロシマ(昭和22年・23年以外の卒業生)263
近藤芳美とヒロシマの夏 扇畑忠雄(昭6文甲)263
知らせることの難しさ 原田東岷(昭7理乙)266
原爆の日のこと 沖博(昭10文甲)269
原爆被災の記 大槻光雄(昭14文甲)273
過ちは繰りかえしませぬから 大山広司(昭14文甲)276
焦土を歩く 大田垣正圓(昭17文乙)280
危機一髪、生きるという運命に支えられて 砂田碩司(昭18文甲)282
ウント君のこと 香川不苦三(昭18文乙)286
廣高生の原爆被災記-昭和20年入学者の場合 神田照家(昭19文甲)288
江村美智也君の想い出 長井正勝(昭19文甲)291
金井利博氏とヒロシマ・核問題-『核権力』を読む 山田浩(昭20文乙)293
被爆全滅部隊 竹本孝(昭20理乙2)297
金井さんへのレクイエムと広大平和科研のこと 熊田重克(昭24文甲)303
ピカドンの朝 池田一(昭24理1)312
私の廣高時代 中本康雄(昭24理4)319
アンケート回答 321
附録 323
被爆前後の廣高略年表 松浦道一(昭9文甲)324
廣島高等学校同窓会の現況 川上貞光(昭25文乙)329
編集後記 編集委員代表 神田照家(昭19文甲)331

廣高とヒロシマ 被爆五十年の回想

『廣高とヒロシマ 被爆五十年の回想』(廣島高等学校同窓有志の会、1995/07/20)

内容<作業中

広高とは
発刊の辞
1 被爆・追悼
【遺族の部】
父「細川藤右衛門」 細川藤次(細川藤右衛門・恩師) 12
「朝な夕なに」の碑におもう 谷川湛子(中島光風・恩師) 15
“船に乗って遠くへ行くから”想い出より 真鍋敦子(真鍋義雄・恩師) 16
想い出すまゝに 加計邦夫(加計敏吉・昭2文乙) 19
夫の被爆死 山根澄子(山根彦次郎・昭3文甲) 21
優しさを永遠に 山本百合子(山本利・昭10文乙) 23
高明の被爆死-母横山雪の手紙から 横山滋(提供)(横山高明・昭14文乙) 25
兄の無念の死 高田勇(高田正弘・昭17・9文甲) 27
悪夢の八月六日 浜野忠二(浜野蔵一・昭18文甲) 31
亡兄荒木朝広の思い出 荒木公子(荒木朝広・昭19文乙) 34
弟「靖」のこと 横山滋(横山靖・昭23理乙) 36
「やっと僕たちの時代が来た」原爆症で亡くなった兄 吉田千代子(吉田武重・昭23理乙) 37
【同窓生の部】
広島原爆と級友 田中嗣郎(昭13理乙) 40
細川先生を偲びて 上野義夫(昭14理乙) 42
光風先生夫妻追慕の記 観山文雄(昭17文乙) 46
光と風の生涯 吉野友己(昭17文乙) 50
伊藤隆之君と濱野蔵一君 林勉(昭18文甲) 52
イップ(一夫)のこと 吉田良夫(昭18文甲) 56
成宮貞一君と桐原康之君を偲ぶ 米田博(昭18理甲) 59
真鍋先生の思い出 岡昌宏(昭19文甲) 61
学徒動員始末記-昭和二十年入学者の場合 神田照家(昭19文甲) 63
目崎一三君の遺稿集 河合正美(昭19文乙) 66
弟藤井壽を偲びて 藤井実(昭19理乙) 72
久保原篤夫君、山口健二君を偲ぶ 瀧本正義(昭20文甲) 75
レクイエム 三野濱雄(昭23文甲) 78
鎮魂の詩 高橋節夫(昭23理甲) 79
半世紀ぶりに帰って来た廣高生たち! 谷川正昭(昭23理甲) 81
五十年目の廣高生 津田修三(昭23理乙) 82
○廣高七十年誌記念座談会 84
「原爆と廣高」
○原爆死没者名簿 92
2 平和公園
恒久の平和を象徴する都市の創建 100 寺光忠(昭4文甲)
ヒロシマと平和記念施設  113 丹下健三(昭8理甲)
雑賀先生の原爆碑文 124 藤本千万太(昭12文甲)
補遺 中国新聞 平成七年四月十六日「検証ヒロシマ-1945~95⑬原爆慰霊碑」より
3 ヒロシマ
原爆症との対面  138 原田東岷(昭7理乙)
ヒロシマの心  143 故 荒木武(昭10文乙)
ラバウルで聞いた被爆の報 152 松谷健一郎(昭14理甲)
真珠湾から五十年 157 阿川弘之(昭15文乙)
「八月六日の雲」抄 160 板倉秀(昭17・9文甲)
世界平和巡礼  164 庄野直美(昭19理甲)
付録映画「黒い雨」制作余話-運命の日の朝-  175 前田修治(昭19理甲)
ヒロシマと阪神大震災-五十年後のわたし- 183 森一久(昭19理甲)
社会科学者と原水爆問題-故石井金一郎氏と私-191 山田浩(昭20文乙)
ヒロシマ被爆者医療二十五年の記録 195 石田定(昭20理乙)
廣高と平和公園と-亡き友二井谷彰君に捧ぐ-  204 原田雅弘(昭23理乙)
被爆五十周年の広島  212 平岡敬(昭23理乙)
さんび歌 221 茨木博(昭25文乙)
私が見た八月六日の広島  224 川上貞光(昭25文乙)
焼跡学校 228 小久保均(昭24修文乙)
付録
廣高小史 236
廣高史略年表 241

被爆した南方特別留学生への名誉博士号授与の記録

『被爆した南方特別留学生への名誉博士号授与の記録』(広島大学編・刊、20150301)

内容

章節
写真
 ①アブドゥル・ラザク氏への授与式
②ハッサン・ラハヤ氏への授与式
③ペンギラン・ユソフ氏への授与式
④興南寮跡碑の写真
⑤留学当時の写真
「被爆した南方特別留学生への名誉博士号授与の記録」の発刊に寄せて(広島大学理事・副学長 岡本哲治)
広島大学名誉博士号授与の記録…3
授与に至る経緯と教育研究評議会で決定…7
アブドゥル・ラザク氏への授与式…13
1 アブドゥル・ラザク氏への広島大学名誉博士号授与式
名誉博士候補者調書 業績 授与式プログラム
2 岡本哲治 広島大学理事・副学長からの挨拶
3 アブドゥル・ラザク氏からの挨拶
4 松浦博司 在マレーシア日本国大使館公使からの挨拶
5 ズルキフリ・アブドゥル・ラザク氏からの挨拶
ハッサン・ラハヤ氏への授与式…29
1 ハッサン・ラハヤ氏への広島大学名誉博士号授与式
名誉博士候補者調書 業績 授与式プログラム
2 上真一 広島大学理事・副学長からの挨拶
3 ハッサン・ラハヤ氏からの挨拶
4 オロアン・シアハアン ダルマプルサダ大学長からの挨拶
5 鹿取克章 駐インドネンシア日本国大使からの挨拶
ペンギラン・ユソフ氏への授与式…47
1 ペンギラン・ユソフ氏への広島大学名誉博士号授与式
名誉博士候補者調書 業績 授与式プログラム
2 岡本哲治 広島大学理事・副学長からの挨拶
3 ペンギラン・ユソフ氏からの挨拶(抜粋)
4 清水生介 駐ブルネイ日本国臨時代理大使からの挨拶
関係者からの寄稿…59
1 留学生と野宿の一週間 栗原明子…61
2 アブドゥル・ラザク先生
「言葉」でマレーシアと日本をつなぐこと 兵庫県立大学教授 宇高雄志…72
3 興南寮跡碑の思い出 花岡正雄…79
4 南方特別留学生と国際学友会 前財団法人国際学友会 理事長 佐藤次郎…83
南方特別留学生の広島での被爆…93
広島の南方特別留学生…117

広島大学の50年

『広島大学の50年』(広島大学50年史編集専門委員会・広島大学50年史編集室編、広島大学、19991105)

備考
刊行のことば 原田康夫(広島大学長)
広島大学歌・
目次<東広島キャンパス航空写真>
光をもとめて-廃墟からの出発
1 広島大学の源流
2 原爆被害と復興
3 広島大学の開学
4 大学院・専攻科の発足
5 分散キャンパスの整理
6 校舎・施設の新築
光のなかで-青春の広島大学
7 入試・入学-キャンパスに桜
8 女子学生・社会人学生-学生の多様化
9 一般教育・教養的教育-問われ続ける「教養」
10 授業の風景-頭と身体を使って
11 オリエンテーション-ようこそ広大へ
12 スポーツ-体育会とレジャー
13 文化系サークル-学生生活の彩り
14 学生自治-「ダンコウ」って何ですか?
15 平和-ヒロシマを考える
16 衣-角帽から茶髪へ
17 食-安いのが一番
18 住-四畳半からフローリング・エアコン付きへ
19 大学祭-「独立をわれらの国に」から「PLEASURE」へ
20 学生街-集う・飲む・歌う
21 留学生-ヒロシマで学ぶ、ヒロシマが学ぶ
22 卒業・就職・同窓会
光とともに-発展する広島大学
23 総合科学部-新しいパラダイムの創出
24 文学部-人間の根源をたずねて
25 教育学部-教育の総合的研究をめざして
26 学校教育学部-教育実践に心をよせて
27 政経学部から法学部、経済学部へ
-地域に根ざした社会科学をめざして
28 理学部-自然の真理を求めて
29 医学部-医療の新しいかたちを求めて
30 歯学部-歯学の新たな展開をめざして
31 工学部-科学技術の開発をめざして
32 水畜産学部から生物生産学部へ-食糧を科学する
33 大学院の再編-新たな学問領域の開拓
34 理論物理学研究所・原爆放射能医学研究所
35 附属図書館-知の集積
36 附属学校-研究と教育の結節点
37 事務組織-大学を支えてきた職員たち
光あふれて-挑戦する広島大学
38 改革の季節
39 統合移転の計画
40 西条への移転
41 部局を越えた共同教育研究施設
42 研究基盤の充実
43 学術研究の成果
44 地域社会とともに
45 地域の教育を支える
46 産業界との連携
47 国際学術交流
48 国際化への対応
49 進む情報化
50 社会への発信
卒業生10万人
 年表
1874 創立前史
1950 森戸辰男(初代学長)
1963 皇至道(第2代学長)
1966 川村智治郎(第3代学長)
1969 飯島宗一(第4代学長)
1977 竹山晴夫(第5代学長)
1981 頼実正弘(第6代学長)
1985 沖原豊(第7代学長)
1989 田中隆荘(第8代学長)
1993 原田康夫(第9代学長)
出典一覧
編集後記 頼祺一(編集専門委員会委員長)
広島大学50年史編集専門委員会  <・・・宇吹暁・・・>
広島大学50年史編集室

 

理論物理学研究所の歴史

理論物理学研究所の歴史(年表)

年月日 事項
19440824 理論物理学研究所設置に関する勅令公布。広島文理大学の附属機関。目的=「物理学の基礎理論に関する総合的研究」。
設立時の専任職員定員 教授1名、 助教授1名、 助手3名
初代所長 三村剛昂(教授)
設立場所 広島文理科大学旧教育博物館
19450806 広島に投下された原子爆弾により研究所関係の2教授(岩付寅之助、細川藤右衛門)は殉職、三村所長以下所員の大半も負傷し庁舎も崩壊した後、類焼により完全に灰塵に帰した。やむなく尾道市外 向島にある広島文理科大学付属臨界実験所の一部を借り受け、仮庁舎とした.
1947 三村所長の出身地、竹原町(現竹原市)に研究所を誘致する話が持ち上がり、地元有志の熱心な努力により、現在地に面積400平米の木造平屋建新築庁舎と敷地約4000平米を竹原町より寄付を受ける。
194803 新庁舎で開所式。
人事に関しては、竹野兵一郎が専任助教授となり、原田雅登、高久(旧姓熊川)浩俊,佐伯敬一の3人が助手として就任していたが、開所式の前後にそれぞれ他大学に転出し、代わって、池田峰夫、木村利栄および宮地良彦の3名が前後して着任。
1948 文部省学術研究会議の最後の研究集会、理論物理学研究所で開催。
194905 学制改革により、新制広島大学が設立されると同時に、理論物理学研究所は文理科大学付属からはなれ、広島大学付属となる。
1949 京都大学の湯川秀樹教授がノーベル賞を受賞し状況は変わった.すなわち、理論物理学研究所を拡張するよりは、ノーベル賞受賞を記念して、京都大学に全国共同利用の研究所を設置した方が良いと言うことになり、昭和28年(1953)京都大学に基礎物理学研究所が創設された.理論物理学研究所と京都大学基礎物理学研究所との合併問題の萌芽は既にこの時に発生していたといえる.
195104 助手1名の定員増。竹野兵一郎が教授、上野義夫が助教授、庄野直美が講師、中井浩が助手にそれぞれ就任。
1953 庄野および中井が転出、あらたに脇田仁、成相秀一が助手に就任。
195705 三村所長、文部省学術課長より理論物理学研究所を京都大学基礎物理学研究所に合併させることを条件に、広島大学に研究施設を作る概算要求が広島大学から提出されている旨を伝えられる。
19571115 三村所長、京都大学との合併の話を京都大学基礎物理学研究所研究部員会、運営委員会で非公式に報告。議論の後、素粒子論グループの意見を聞くこととなる。
195801 関西素粒子論のグループ懇談会では「合併は好ましくない」との結論。
196504 「時間空間理論部門」の増設が認められ、教授1名、助教授1名、助手2名が増員。これに伴って従来の部門名は「重力理論部門」、「場の理論部門」と改称することになり、これら3部門の研究所となる。 脇田が岐阜大学に転出し、 田地隆夫、横山寛一、永井秀明、久保礼次郎および寺崎(旧姓岡田〉邦彦が相ついで 着任。
19890627 広島大学部局長連絡会議、評議会において理論物理学研究所の京都大学基礎物理学研究所への合併を承認

科学者と平和(三村剛昻)

『科学者と平和 三村剛昻先生遺稿集』(三村剛昻先生遺稿収録委員会、196710)

内容

No. タイトル 出典 年月日
まえがき 196710 三周忌を目前にして 遺稿収録委員会
01 原子力への夢 平和利用で理想郷 ”戦争などなくなるよ” 夕刊朝日 195001
02 「新春放談:原子力時代」 共産社会はだしの天国 つらいかな経済も科学もしばる 夕刊朝日 19500103
03 放談リレー 科学の巻 「足らぬ利力の結集 科学活動を無制限にやれ」(小島丈児との) 中国 19500521
04 秋の角度・天体 「理論創造の時期」 夕刊朝日 19510929
05 あれから8年 原爆の日と科学者 毎日 19530806
06 学芸 平和への道 朝日 19530807
07 サクレツ高度と被害を予言 洗礼受けた原子学者三村博士語る
08 ビキニの灰と広島の灰 毎日 19540602
09 読者の会議室「原水爆と日本人」 毎日 19540724
10 平和をめぐる論争 体験者だけにわかる原爆の恐怖 ユネスコばりの発言(森戸広大学長)に批判 毎日 19540801
11 いろいろの原子炉 毎日 19550627
12 一分間講座:酔生夢死の徒 (?19560313)
13 こたつ談議「社会改造」?(竹原書院図書館長・三村剛昻) 19601204
14 第2回科学者京都会議開く 広島県竹原で キューバ以後の情勢など 三テーマを柱に討論 読売 19630508
15 私のいいたいこと 科学者京都会議に寄せて
16 ヒロシマに被爆して18年 ちょっぴり希望がもててきた人類の滅亡からの救い 毎日 19630806
17 わたしの散歩道 竹原・広大研究所の庭 雨によく風また楽し 朝日 19641129
18 科学の発達と人類の幸福 学校教育臨時増刊号 1954
19 原・水爆と原子炉 学校教育8月号 1955
20 特別寄稿:科学技術の現状と将来 廿日市高校研究論集第2号 1956
21 ブックレビュー「死者の声」 自然 195403
22 通信 ヒロシマ医学第9号 1956
23 原子力発電の今後の動向 火力発電12月号 1959
24 原子力問題に関する討論ー学術会議第13回総会における 自然1月号 1953

 

「核意識構造の実態研究」グループ(庄野直美)

「核意識構造の実態研究」グループ(代表:庄野直美)

「はじめに」(『核と平和 日本人の意識』(庄野直美他編、法律文化社、19781201 )抜粋

****************

研究が企画された契機は, 1975年8月の「広島大学平和科学研究センター」の発足にあった。この研究センターの研究プロジェクトの一つとして,「核識構造の実態研究」グループ(代表:庄野直美)が組織され, 1976年と77年には文部省科学研究費(総合A)補助金の交付をうけた。
この研究費により, 1976年度には,戦後30年間に新聞社等が行なってきた世論謌査のうち,核問題にかかわるすべての資料を収集し,その内容を分析した.収集された資料は, 190種の世論調査において約1,400の調査項目に及び,それらは(1)原爆被災 (2)核実験・核兵器・核政策(3)原水禁運動,(4)原子力発電,(5)戦争観・安全保障,(6)憲法第9条・自衛隊,という6大頂目に分類され,分析された。
しかし,これらの世論調査だけでは核意識構造の分析には不十分で,私たちが知りたいと望む情報を更に得るために, 1977年2月および7,8月には,広島・長崎・岡山・金沢の4都市において,中学2年生もしくは3年生,(回収実数5,039名)とその父母(回収実数4,699名)に対し,また同年11月には広島・長崎・岡山の高校2年生(回収実数1,816名)に対し,私たち研究グループ
独自の調査を実施した。この独自調査の分析結果が,本書の主要な内容である。
私たちの研究プロジェクトに参加した研究者は,全国]3大学の27名であり,専攻分野も十数領域に及んだOその氏名と所属(当時)は下記のとおりである。(○印は本書の執筆者,50音順)

伊東 壮:山梨大学(経済学)
今堀誠二:広島大学(アジア史)
岩佐幹三:金沢大学(政治学史)
〇上野裕久:岡山大学(憲法)
宇吹 暁:広島大学(歴史学)
〇大槻和夫:広島大学(教育学)
岡本三夫:四国学院大学(哲学・平和研究)
小川岩雄:立教大学(原子物理学)
鎌田定夫:長崎造船大学(人文・欧米文学)
○北西 允:広島大学(政治学)
栗原 登:広島大学(疫学・社会医学)
○小寺初世子:広島女子大学(国際公法)
○庄野直美:広島女学院大学(原子物理学・平和研究)
高畠通敏:立教大学(政治学)
田中靖政:学習院大学(社会心理学)
○永井秀明:広島大学(理論物理学・平和研究)
○初瀬龍平:北九州大学(政治学)
濱谷正晴:一橋大学(社会学)
深井一郎:金沢大学(日本語学)
藤井敏彦:広島大学(教育学)
○松尾雅嗣:広島大学(平和研究)
松元 寛:広島大学(英米文学)
安田三郎:広島大学(社会学)
山川雄己:関西大学(政治学)
山田 浩:広島大学(国際政治)
湯崎 稔:広島大学(社会学)
横山 英:広島大学(中国近代史)

本書の作成にあたっては,上記名簿(○印)の8名が,研究グループの討論をふまえた上で各自に執筆し,それを3名の編者が最終的に整理・加筆した。
本書は,核問題を中心とした,平和に関する日本人の意識構造を明らかにする,日本ではじめての総合報告書であると思う。平和と核問題に関心ある人びとの研究,教育,思索の一助になることを願うとともに,私たちの調査研究に寄せられた関係諸方面の援助・協力に対し,心からの謝意を表するものである。
1978年8月6日
編者

 

広高とヒロシマ―被爆五十年の回想

『広高とヒロシマ―被爆五十年の回想』(廣島高等学校同窓有志の会、19950720)

目次

第一部 被爆・追悼
【遺族の部】
【同窓生の部】
廣高七十年誌記念座談会「原爆と廣高」
原爆死没者名簿
第二部 平和公園
寺光忠(昭4文甲) 恒久の平和を象徴する都市の創建
丹下健三(昭8理甲) ヒロシマと平和記念施設
藤本千万太(昭12文甲) 雑賀先生の原爆碑文
補遺 中国新聞 平成七年四月十六日「検証ヒロシマ-1945~95⑬原爆慰霊碑」
第三部 ヒロシマ
原田東岷(昭7理乙) 原爆症との対面
故 荒木武(昭10文乙) ヒロシマの心
松谷健一郎(昭14理甲) ラバウルで聞いた被爆の報
阿川弘之(昭15文乙) 真珠湾から五十年
板倉秀(昭17・9文甲) 「八月六日の雲」抄
庄野直美(昭19理甲) 世界平和巡礼
前田修治(昭19理甲) 映画「黒い雨」制作余話-運命の日の朝-
森一久(昭19理甲) ヒロシマと阪神大震災-五十年後のわたし-
山田浩(昭20文乙) 社会科学者と原水爆問題-故石井金一郎氏と私-
石田定(昭20理乙) ヒロシマ被爆者医療二十五年の記録
原田雅弘(昭23理乙) 廣高と平和公園と-亡き友二井谷彰君に捧ぐ-
平岡敬(昭23理乙) 被爆五十周年の広島
茨木博(昭25文乙) さんび歌
川上貞光(昭25文乙) 私が見た八月六日の広島
小久保均(昭24修文乙) 焼跡学校
付録
廣高小史
廣高史略年表