広島平和記念式典における内閣総理大臣(1997年)挨拶
本日ここに、被爆五十二周年の広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式が挙行 されるに当たり、原子爆弾により尊い命を奪われた数多くの方々の御霊に対し、謹 んで哀悼の誠を捧げます。そして、今なお原爆の後遺症に苦しんでおられる方々に 対し、心からお見舞い申し上げます。また、廃虚の中から立ち上がり、今日の百十 万人の人口を擁するこの広島を見事に築かれました市民の皆様の半世紀にわたる並 々ならぬ御努力に対し、深い敬意を表するものであります。
核兵器のない世界の実現は、人類史上唯一の被爆国である我が国の悲願でありま す。我が国は、広島、長崎の悲劇を再び繰り返してはならないという固い決意の下、 日本国憲法を守り、非核三原則を堅持するとともに、現実的かつ着実な国際的努力 による核兵器の廃絶と恒久平和の確立を全世界に訴えてまいりました。
昨年から今年にかけての一年間は、核軍縮における歴史的な成果をあげた年であ り、我が国が永年希求しておりました包括的核実験禁止条約が昨年九月の国連総会 で採択されるに至りました。私は、その重要性を深く認識し、その署名式には自ら 出席し、また、他国に先駆けて締結すべく、先の通常国会で御承認を頂いた次第で あります。こうして我が国は、条約発効のために批准が必要とされている四十四カ 国中で最初の締約国となりましたが、これが他国の条約締結の呼び水となることを 期待するとともに、各国に同条約の早期締結を働きかけることにより、同条約の発 効を早期に実現させたいと考えます。今後とも私は、核軍縮、核兵器の不拡散、更 には、核兵器の全廃と戦争のない世界の実現に向けて一層の努力を重ねてまいりま す。核軍縮における次の課題は、核兵器生産のための核分裂性物質の生産禁止に関 するいわゆるカットオフ条約の作成ですが、その条約交渉の早期開始に向け、積極 的に努力してまいりたいと思います。
また、被爆者の方々に対しましては、平成六年十二月に制定されました「原子爆 弾被爆者に対する援護に関する法律」に基づき、特別葬祭給付金の支給を始め、保 健、医療、福祉にわたる総合的な被爆者援護施策の充実を図ってまいりましたが、 今後とも高齢化の進行など被爆者の方々の実状を十分汲み取りながら、被爆者の方 々に対する援護施策の充実に向けて誠心誠意努めてまいります。
終わりに、本日の式典に臨み、平和への決意を新たにするとともに、亡くなられ た方々の御冥福と、御遺族並びに被爆者の皆様の今後のご多幸を心からお祈りし、 併せて参列者並びに広島市民の皆様の御健勝を祈念いたしまして、私のあいさつと いたします。
平成九年八月六日 内閣総理大臣 橋本 龍太郎
内閣総理大臣のメッセージ
1953(昭和28).8.6
メッセージ
本日ここに,広島市原爆死没者慰霊式並びに平和記念式を厳修されるに当り,謹んで諸霊の冥福を祈ると共に,平和都市建設の理想を実現されつつある,広島市市民諸君の御努力に対し,深甚の敬意を表すものであります。
世界の平和を目指して,民主主義に基く文化国家を建設することは,わが国憲法の理想とするところであり,われわれ国民の進むべき目標であります。新しい広島市の建設も,この意味においてわが国の理想を世界に闡明せんとするものであり,広島市の成長は平和的文化的の日本国家の成長を表徴するものであります。身を以て尊い平和の礎となられた地下の諸霊も民主日本の成長発展をのぞみ見らるるものと信してうたがいません。
この式典にあたり,私は謹んで原爆死没者各位の冥福を祈り,またその遺家族諸子の労苦に対し深く同情の意を表し,再びかかる大いなる不幸の繰り返されることのないよう祈念するものであります。
昭和二十八年八月六日
内閣総理大臣 吉田茂
〔広島市役所蔵〕
広島平和記念都市建設法の制定の当時を振り返って-関係者による座談会(広島市公文書館編、広島市公文書館刊、19870806)
目次
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1- |
座談会記録 |
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座談会資料: 広島平和記念都市建設法制定関係年表 |
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2 |
参考資料 |
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2-1 |
広島平和記念都市建設法公布書 |
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2-2 |
広島平和記念都市建設法案(第1次案) |
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2-3 |
広島平和記念都市建設法案(英文・確定案) |
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2-4 |
昭和24年5月10日衆議院会議録抜粋 |
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2-5 |
昭和24四年5月11日参議院会議録抜粋 |
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2-6 |
広島平和記念都市建設法の住民投票における浜井市長・任都栗市議会議長の訴え |
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2-7 |
『ヒロシマ平和都市法』(寺光忠著 昭和24年 中国新聞社刊)の金森徳次郎の序文 |
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3 |
資料目録(関係分) |
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3-1 |
寺光忠氏寄贈資料目録 |
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3-2 |
藤本千万太氏寄贈資料目録 |
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広島市平和式典(1952年)における吉田茂式辞(代読)
八月六日を迎えるに当り,遙かに想いをはせて,戦災犠牲者の冥福を祈ると共に、苦難に充ちた過去の陰影を払拭して着々と,平和郡市建設の理想を実現せられつつある広島市民諸君の努力に対し,心から深甚なる敬意を表するものであります。
世界の平和を目指して,民主々義に基く,文化国家を建設することは,わが国憲法の理想とするところであり,われわれ国民の進むべき目標であります。新しい広島市の建設も,この意味においてわが国の理想を世界に闡明せんとするものであり,広島市の生成は,平和的文化的なる日本国家の成長を表徴するものであります。身を以て尊い平和の礎となられた地下の霊も民主日本の成長発展をのぞみ見らるるものと信じてうたがいません。この式典に当り,私は謹んで原爆死没者各位の冥福を祈ると共に,市民諸君が更に決意を新たにし,理想達成への途に邁進せられんことを切望して已みません。
〔広島市役所蔵〕
内閣総理大臣とヒロシマ・ナガサキ
年月日 |
訪問など |
1955 |
鳩山一郎首相の広島・長崎訪問 |
1971 |
佐藤栄作首相の広島市平和式典参列 |
19600911 |
池田勇人首相、首相就任後初のお国入り。15
広島市の原爆慰霊碑を参拝、広島原爆病院を慰問。 |
197406 |
田中角栄首相の長崎平和祈念像(4日)と広島原爆慰霊碑への参拝(8日) |
1976 |
三木武夫首相の広島市・長崎市平和式典参列 |
1977 |
福田赳夫首相の広島(8月22日)・長崎(9月18日)訪問 |
1981 |
鈴木善幸首相の広島市平和式典参列 |
1982 |
鈴木善幸首相の長崎市平和式典参列 |
1983 |
中曽根康弘首相の広島市平和式典参列 |
1984 |
中曽根康弘首相の長崎市平和式典参列 |
1985 |
中曽根康弘首相の長崎市平和式典参列 |
19860701 |
中曽根康弘首相の広島訪問、原爆慰霊碑参拝。 |
1986 |
中曽根康弘首相の長崎市平和式典参列 |
1987 |
中曽根康弘首相の広島市平和式典参列 |
1988 |
宇野宗佑首相の広島市平和式典参列 |
1989 |
宇野宗佑首相の広島市平和式典参列 |
1990 |
海部俊樹首相の広島市・長崎市平和式典参列 |
1991 |
海部俊樹首相の広島市平和式典参列 |
1992 |
宮沢喜一首相の長崎市平和式典参列 |
1993 |
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1994 |
村山富市首相の広島市平和式典参列 |
1995 |
村山富市首相の広島市・長崎市平和式典参列 |
1996 |
橋本龍太郎首相の広島市・長崎市平和式典参列 |
1997 |
橋本龍太郎首相の広島市平和式典参列 |
1998 |
小渕恵三首相の広島市・長崎市平和式典参列 |
1999 |
小渕恵三首相の広島市平和式典参列 |
2000 |
森喜朗首相の広島市・長崎市平和式典参列 |
2001 |
小泉純一郎首相の広島市・長崎市平和式典参列 |
2002 |
小泉純一郎首相の広島市・長崎市平和式典参列 |
2003 |
小泉純一郎首相の広島市・長崎市平和式典参列 |
2004 |
小泉純一郎首相の広島市・長崎市平和式典参列 |
2005 |
小泉純一郎首相の広島市・長崎市平和式典参列 |
2006 |
小泉純一郎首相の広島市・長崎市平和式典参列 |
2007 |
安倍晋三首相の広島市・長崎市平和式典参列 |
2008 |
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内閣総理大臣挨拶
年 |
年 |
大臣名 |
備考 |
1947 |
昭和47 |
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1948 |
昭和 |
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1949 |
昭和 |
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1952 |
昭和27 |
吉田茂 |
式辞 |
1953 |
昭和28 |
吉田茂 |
メッセージ |
1954 |
昭和29 |
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1955 |
昭和30 |
|
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1956 |
昭和31 |
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1957 |
昭和32 |
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1958 |
昭和33 |
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1959 |
昭和34 |
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1960 |
昭和35 |
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1961 |
昭和36 |
|
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1962 |
昭和37 |
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1963 |
昭和38 |
池田勇人 |
挨拶 |
1964 |
昭和39 |
|
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1965 |
昭和40 |
佐藤栄作 |
挨拶 |
1966 |
昭和41 |
佐藤栄作 |
挨拶 |
1967 |
昭和42 |
佐藤栄作 |
挨拶 |
1968 |
昭和43 |
|
|
1969 |
昭和44 |
佐藤栄作 |
挨拶 |
1970 |
昭和45 |
佐藤栄作 |
挨拶 |
1971 |
昭和46 |
佐藤栄作 |
挨拶 |
1972 |
昭和47 |
田中角栄 |
メッセージ |
1973 |
昭和48 |
田中角栄 |
挨拶 |
1974 |
昭和 |
|
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1975 |
昭和50 |
三木武夫 |
あいさつ |
1976 |
昭和51 |
三木武夫 |
挨拶 |
1977 |
昭和52 |
福田赳夫 |
あいさつ |
1978 |
昭和53 |
福田赳夫 |
挨拶 |
1979 |
昭和54 |
大平正芳 |
あいさつ |
1980 |
昭和55 |
鈴木善幸 |
あいさつ |
1981 |
昭和56 |
鈴木善幸 |
あいさつ |
1982 |
昭和57 |
鈴木善幸 |
あいさつ |
1983 |
昭和58 |
中曽根康弘 |
あいさつ |
1984 |
昭和59 |
中曽根康弘 |
挨拶 |
1985 |
昭和60 |
中曽根康弘 |
あいさつ |
1986 |
昭和61 |
中曽根康弘 |
挨拶 |
1987 |
昭和62 |
中曽根康弘 |
挨拶 |
1988 |
昭和63 |
竹下登 |
挨拶 |
1989 |
平成元 |
宇野宗佑 |
挨拶 |
1990 |
平成2 |
海部俊樹 |
挨拶 |
1991 |
平成3 |
海部俊樹 |
挨拶 |
1992 |
平成4 |
|
|
1993 |
平成5 |
宮沢喜一 |
挨拶 |
1994 |
平成6 |
|
挨拶 |
1995 |
平成7 |
村山富市 |
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1996 |
平成8 |
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1997 |
平成9 |
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1998 |
平成10 |
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1999 |
平成11 |
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2000 |
平成12 |
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2001 |
平成13 |
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2002 |
平成14 |
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2003 |
平成15 |
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2004 |
平成16 |
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2005 |
平成17 |
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2006 |
平成18 |
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2007 |
平成19 |
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2008 |
平成20 |
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2009 |
平成21 |
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2010 |
平成22 |
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2011 |
平成23 |
|
|
2012 |
平成24 |
|
|
2013 |
平成25 |
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2014 |
平成26 |
|
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2015 |
平成27日 |
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2016 |
平成28 |
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2017 |
平成29 |
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2018 |
平成30 |
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2019 |
平成31 |
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2020 |
平成32 |
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岡本尚一『原爆民訴或問』(抄)(1953年5月)
「拝啓 人類と文明の為一書を敬呈することを御許し下さいませ。
私は昭和21年6月から2年有半に亘り東京に於ける極東国際軍事裁判に主任弁護人の一人として参加していました。其間終始私の念頭にありましたことは、戦勝国側の極めて重大な国際法違反が勝てるが故に何等その責任を問われない不公正でありました。然し私は、講和条約が発効した暁には、戦勝国側の指導者から広島・長崎に対する原爆投下については、悔恨の情を披瀝されるであらうと心ひそかに期待しつづけてきたものであります。
然るに、それより既に1ケ年を経た今日に於て、未だかかる言葉の片鱗だに聞くことを得ないのであります。
これが基督教を以て普遍的な宗教となし、ヒューマニズムを以て民主主義の基調とする米国・英国の態度であることは遺憾の極みであります。私は当時から講和条約が発効した後においては、尠くとも広島及び長崎に対する原爆の投下についてはこの責任を民事不法行為の面において採りあげて原爆投下の決定に参与した指導者及び国家に対して不法行為の管轄裁判所に対し提訴致し度いと念願し、これを親友にも語ってまいりました。(後略)」
月日 |
事項 |
1953年 |
01 |
16、17両日広島市在住弁護士46名長崎市在住弁護士18名に「主要関係研究事項」を付して原爆損害民訴提起の可能提唱の書面を郵送。又同じ頃弁護士、学者、宗教家等の知友その他64名に同一書面を郵送 |
0120 |
印度最大の新聞タイムズ・オブ・インディアの東京特派員(前本社副編輯長) N・G・ナンポリア氏来訪、岡本提唱の内容及び進行の予定について3時間に渉って質問、即夜徹夜して長文の記事原稿をタイプし空輸 |
0124 |
朝日新聞大阪本社社会部記者平野一郎氏来訪相当質問して取材 |
0128 |
朝日新聞7面中央に別枠で岡本提唱の記事掲載、又BKニュース放送 |
0130 |
UP通信員藤本博氏来訪。印度ではタイムズ・オブ・インディアその他の新聞の記事によってセンセーションを起しているので取材に来たという。同時にUP東京支局から電話で質問があった。 |
0131 |
人類愛善新聞記者長掛芳介氏来訪 |
0201 |
英文毎日に岡本提唱及び其の論拠を報じた |
0221 |
1月31日付広島市内発行の法廷新聞は第1面を埋める記事を掲げ広島弁護士会はこの問題で2月11日臨時総会開催を報じた |
0203 |
UP藤本博氏来訪。 |
0203 |
毎日新聞7面に「原爆投下に賠償請求」と題して広島、長崎弁護士会では岡本提唱がきっかけとなって右損害賠償請求訴訟の具体的研究にのりだしたことを報じ た。 |
0204 |
英文毎日は広島弁護士会総会開催その他の反響を報じた |
0118~0201 |
原爆被害者その他から感謝激励の電信書面葉書来る。自宅への電報配達人は感謝激励の言葉を添えて送達紙を手渡した。被害者の手紙は一つ一つ泣かされる。 |
0206 |
原爆損害民訴の主要法律関係研究事項について一応卑見を原爆民訴或問と題して簡単な問答体に書き上げた書面を広島弁護士会員全部その他に郵送 |
0207 |
中国新聞によれば長崎弁護士会も立上り2月10日全員協議会を開く |
0209 |
ナンポリア氏の令兄から記事掲載のタイムズ・オブ・インディアを届けらる。見出しには「日本弁護士原爆訴訟を計画す。トルーマン氏は被告名簿の一人」 とあり正確な好意ある立場での報道である。 |
0211 |
産経によれば10日開催の長崎弁護士会全員協議会では広島弁護士会と連絡提携し21日開催の日本弁護士連合会(常任理事会)に本問題の研究と善処方を要望する正式議案を提出することを可決した |
0212 |
原爆民訴或問を長崎弁護士会員全部その他に郵送 |
0308 |
岡本、広島弁護士会の招請により広島に出張。特別委員諸氏と原爆訴訟の法律問題及び実行方法について懇談、又広島市庁及び原爆被害者の会訪問 |
0329 |
広島原爆被害者の会は幹事会開催原爆民訴の原告になる用意がある旨決議し、これを広島弁護士会に申入れた。 |
0427 |
岡本、長崎弁護士会に出張。同会員諸氏と原爆訴訟の法律問題及び実行方法について懇談 |
原爆被害の損害賠償を求める裁判(岡本尚一、原爆被害者の会)
|
|
原爆裁判提訴の意図 |
岡本尚一書簡(広島弁護士会長宛)1953年1月14日 |
岡本尚一『原爆民訴或問』(抄)(1953年5月) |
岡本尚一「米国に原爆の損害賠償を求む」
(『日本週報』1954年1月25日) |
|
|
原爆被害者の会の対応 |
原爆被害者の会の原爆裁判への対応
-『芽生え』NO.2(原爆被害者の会事務局、1954年1月18日) |
|
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提訴への反響 |
原爆裁判提訴への米国の反応 1954.1.14 |
原爆裁判提訴への国内の反応[気流]
原爆賠償批判(『読売新聞』1954年1月15日) |
原爆裁判提訴への国内の反応[民声]
原爆損害求償同盟に反対(『中国新聞』1954年1月15日) |
原爆裁判提訴への広島市長の反応 1954.2.9 |
原爆裁判提訴への米国の反応(『中国新聞』1954年3月14日) |
|
原爆裁判の提訴とその後の経緯 |
判決の反響 |
米紙The New York Timesの原爆裁判判決報道 1963.12.7 |
参議院「原爆被爆者援護強化に関する決議」 1964年3月27日 |
衆議院「原爆被爆者援護強化に関する決議」 1964年4月3日 |
参考文献 |
ドキュメント中国百年第3部-重い軌跡(中国新聞社(編)、浪速社、1968年5月27日) |
原爆裁判ー核兵器廃絶と被爆者援護の法理(松井康浩、新日本出版社、1986年8月5日) |
原爆裁判
分類 |
備考 |
A.原爆被害の損害賠償を求める裁判
|
(1)岡本尚一、原爆被害者の会
|
B.原爆被爆者対策をめぐる裁判
|
(1)沖縄在住被爆者訴訟
|
(2)桑原忠男訴訟
|
(3)孫振斗訴訟
|
(4)石田明訴訟
|
(5)京都原爆症認定訴訟
|
(6)長崎原爆松谷訴訟
|
(7)郭貴勲訴訟
|
(8)李康寧訴訟
|
(9)東数男訴訟
|
(10)安井晃一訴訟
|
(*)その他
|
C.原爆被害者遺族等援護をめぐる裁判
|
原爆被害者遺族等援護をめぐる裁判
|
D.損害賠償・未払い賃金を求める裁判
|
(1)金順吉裁判
|
(2)三菱広島・元徴用工被爆者の裁判
|
(3)張文彬裁判
|
E.核兵器禁止をめざす裁判
|
(1)原水爆実験停止命令申請訴訟(1958年)
|
(2)原水爆実験停止命令申請訴訟(1962年)
|
(3)仏核実験停止を求める裁判(1973年)
|
(4)国際司法裁判所の勧告的意見(1996年)
|
主な裁判一覧(提訴順)
|
弁護士と広島・長崎
|
国民法廷運動
|
年表:原爆裁判(1997-98年)、(1999年)
|
文献:原爆裁判
|
東京裁判と原子爆弾
|
広島市における原爆障害者対策に関する調査概要(参議院社会労働委員会調査室、1956年1月)
目次
章節 |
見出し |
備考 |
1 |
参議院社会労働委員の現地調査 |
|
1-1 |
視察委員 |
参議院議員 :谷口弥三郎・山下義信 |
1-2 |
視察日程概況 |
1月6日~7日 |
1-3 |
調査項目 |
|
2 |
原爆障害者治療対策の概要 |
|
2-1 |
原爆障害者の調査 |
|
2-2 |
原爆障害者の一斉診察 |
|
2-3 |
原爆障害者治療対策協議会の発足 |
|
2-4 |
治療活動の開始 |
|
2-5 |
治療資金の確保 |
|
2-6 |
原爆障害者実態調査状況 |
|
2-7 |
診察状況 |
|
2-8 |
治療状況 |
|
3 |
原爆被爆者の健康管理問題 |
|
3-1 |
被爆生存者の数 |
|
3-2 |
原爆後遺症による死亡者 |
|
3-3 |
健康管理の必要 |
|
4 |
原爆障害者の生活保護関係 |
|
4-1 |
生活保護法の適用を受けている世帯と原爆との関係に関する調査報告 |
|
4-2 |
調査結果概況 |
|
4-3 |
保護費支給状況 |
|
4-4 |
身体障害者手帖の交付を受けているもの |
|
|
(参考)原爆被爆生存者数 |
|
5 |
原爆犠牲者に対する遺族援護法適用状況 |
|
5-1 |
援護法、恩給法事務進捗状況 |
|
5-2 |
原爆犠牲者年金等要求について原爆死没者者援護に関する陳情経過 |
|
5-3 |
原爆犠牲者(軍人を除く)弔慰金支給状況表 |
|
6 |
原爆影響研究所(ABCC)の概況 |
7日午前10時両委員はABCCを訪問 |
6-1 |
名称 |
|
6-2 |
設置の経過 |
|
6-3 |
性格 |
|
6-4 |
目的 |
|
6-5 |
調査の状況 |
|
6-6 |
治療方面について |
|
6-7 |
職員 |
米国側職員50名、日本側淑員800名 |
6-8 |
ABCCに対する日本政府の協力 |
|
|
ABCC所長宛山下議員発書翰(1956年1月20日) |
7 |
原爆傷害対策問題に関する懇談会における主要な要望 |
|
8 |
地元の陳情 |
|
8-1 |
戦傷病者戦没者遺族等援護法改正に関する要望 |
|
8-2 |
原爆障害者治療費等に関する要望 |
|
9 |
原爆障害者に対する治療法確立のための国の財政措置 |
|
9-1 |
放射能被害調査研究委託費 |
|
9-2 |
昭和29年度における広島、長崎両県被爆者の治療法を確立するための調査研究委託事業実施の概要 |
|
ヒロシマの歴史を残された言葉や資料をもとにたどるサイトです。