資料年表:美輪明宏(みわ・あきひろ)
年月日 | 事項 | メモ |
1935 | ||
0515 | 長崎市で誕生。寺田臣吾。 | |
1945 | ||
0809 | 長崎市の自宅で被爆。 | |
『あの日 昭和20年の記憶 終戦60年企画 下』(NHK「あの日 昭和20年の記憶」取材班著、日本放送出版協会、20060320) | ||
<シャンソン歌手・俳優 当時10歳・長崎原爆に遭う> | ||
止
資料年表:美輪明宏(みわ・あきひろ)
年月日 | 事項 | メモ |
1935 | ||
0515 | 長崎市で誕生。寺田臣吾。 | |
1945 | ||
0809 | 長崎市の自宅で被爆。 | |
『あの日 昭和20年の記憶 終戦60年企画 下』(NHK「あの日 昭和20年の記憶」取材班著、日本放送出版協会、20060320) | ||
<シャンソン歌手・俳優 当時10歳・長崎原爆に遭う> | ||
止
資料年表:阿部静子<作業中>
年月日 | 事項 | ||
1927 | |||
0222 | 広島県安芸郡奥海田村(現・海田町)に生まれる。 | ||
2024 | |||
1231 | 『被爆者 安部静子は語る―悲しみに苦しみに 生きていてよかった』(安部静子+「ヒロシマ通信」研究会) | ||
2025 | |||
0213 | 差別に苦しみながら…97歳の被爆者の半生綴った本出版「被爆者・阿部静子は語る」日本被団協設立に尽力<tssテレビ新広島 広島ニュースTSS> | ||
止
資料年表:石田雅子<作業中>
年月日 | |||
1931 | |||
**** | 誕生 | ||
1945 | |||
0809 | 学徒動員で働いていた三菱兵器大橋工場で被爆。 | ||
1949 | |||
0220 | 『長崎原子爆弾記 雅子斃れず』(婦人タイムズ社) | ||
0810 | 『雅子斃れず』(表現社) | ||
原爆地写真集 永井博士より著者への手紙 序にかえて 永井隆 第1部 運命の日 19 雅子たおれず 42 原子この闘い 63 新生 75 第2部 あの日より一年 95 父の贈りもの 99 芍薬 118 目を病む 121 永井博士を訪ねて 130 深堀少年と平さん 143 みどりの長崎 155 第3部 -父の思い出- その日の朝 161 我が子帰らず 168 奇跡の生還 175 病む頃 180 長崎を離れて 189 爆心地を行く 194 |
|||
1952 | |||
0405 | 『永井博士を憶う』(如己堂会編、中央出版社) | ||
石田雅子「 芍藥の花」158 | |||
1991 | |||
0525 | 『日本の原爆記録2 長崎の鐘 マニラの悲劇、長崎精機原子爆弾記、雅子斃れず 長崎原子爆弾』(家永三郎・小田切秀雄・黒古一夫、日本図書センター) | ||
1995 | |||
0610 | 『デルタの記』(暮しの手帖編集部編、暮しの手帖社) | ||
雅子たおれず…石田雅子 30 | |||
2010 | |||
0815 | 『長崎・そのときの被爆少女 : 六五年目の「雅子斃れず」』(横手一彦編著、時事通信出版局、時事通信社(発売)) | ||
2014 | |||
0625 | 『雅子斃れず 長崎原子爆弾記 平和文庫』(石田雅子著、日本ブックエース、日本図書センター(発売)) | ||
09 | 『(ナガサキノート)「雅子斃れず」 検閲を越えて』 (『朝日新聞』2014年9月日) |
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資料年表:副島まち子
年月日 | 事項 | メモ |
**** | ||
誕生 | ||
1931 | ||
03 | 山脇高女(東京)卒 | |
1934 | ||
06 | 副島吉雄と結婚。 | |
1945 | ||
0806 | 広島市南千田町で原爆被爆。当時妊娠10か月。8月19日、男児を出産。 | |
1950 | ||
**** | 芦屋あすなろ友の会に参加 | |
1955 | ||
08 | 広島市で開催の原水爆禁止世界大会に「芦屋あすなろ友の会」・兵庫県代表として参加。 | |
08 | 広島から帰り、報告大会で一円募金を提唱、みずから開始。 | |
1956 | ||
被爆者代表として長崎大会に参加。全国被爆者協議会の府県選出理事に就任。 | ||
1125 | 副島まち子『あの日から今もなお-母のヒロシマ原爆戦史』(東都書房)。 | |
1125 | 「兵庫県原爆被害者の会」結成総会、神戸市の県遺族会館で開催(約50人参加)。被爆者援護法制定促進を確認。(『中国新聞』19561125) | |
「日本原水爆被害者団体協議会兵庫県理事」。 | ||
2015 | ||
0302 | 伝えるヒロシマ 被爆70年 紙碑<6>「あの日から今もなお」 1956年刊 廃墟に「力強い産声」(『中国新聞』) | |
兵庫県原爆被害者団体協議会 | ||
止
『あの日 昭和20年の記憶 終戦60年企画 下』( NHK「あの日 昭和20年の記憶」取材班、日本放送出版協会、20060320)
<作業中>
月 | ||
日本を変えたあの年 後篇 半藤一利 10 | ||
6 | 昭和20年6月 20 | |
1日 2日 3日 4日 5日 6日 7日 早乙女勝元(作家) 8日 9日 10日 11日 12日 13日 14日 15日 16日 17日 18日 19日 山崎朋子(当時13歳・広島 高等女学校2年生) 20日 21日 22日 23日 24日 25日 26日 27日 28日 29日 30日 31日 |
||
7 | 昭和20年7月 82 | |
1日 2日 3日 4日 5日 6日 7日 8日 9日 10日 11日 12日 13日 14日 15日 16日 17日 18日 19日 早乙女勝元(作家) 20日 21日 22日 23日 24日 新藤兼人(当時33歳、宝塚海軍航空隊一等水兵) 25日 26日 藤岡琢也(当時14歳・広島 陸軍幼年学校1年生) 27日 28日 29日 30日 31日 |
||
8 | 昭和20年8月 146 | |
1日 2日 3日 4日 5日 6日 平山郁夫(画家、当時15歳、広島 中学3年生) 7日 平山郁夫 8日 高橋玄洋(放送作家、当時16歳、海軍兵学校 1年生) 9日 美輪明宏(シャンソン歌手・俳優、当時10歳・長崎 原爆に遭う) 10日 阿川弘之(作家、当時24歳・中国 漢口の通信機関、海軍中尉) 11日 12日 13日 14日 15日 16日 17日 18日 19日 20日 21日 22日 23日 早坂暁(作家、当時16歳・山口 海軍兵学校防府分校から帰郷) 24日 25日 26日 栄久庵憲司(当時15歳・山口 海軍兵学校防府分校から復員) 27日 28日 29日 30日 31日 |
||
9 | 昭和20年9月 210 | |
1日 2日 3日 4日 5日 6日 7日 日野原重明(医師、当時33歳・東京 聖路加病院接収の対応に奔走) 8日 9日 10日 藤岡琢也(俳優当時15歳・姫路 復員し実家にいた) 11日 12日 13日 14日 15日 16日 17日 18日 19日 20日 21日 22日 宮沢喜一(元内閣総理大臣、当時25歳・東京 大蔵大臣秘書官) 23日 24日 25日 26日 27日 28日 29日 30日 |
||
10 | 昭和20年10月 272 | |
1日 2日 3日 4日 5日 6日 7日 8日 9日 10日 11日 12日 13日 14日 15日 16日 17日 18日 19日 20日 高橋玄洋(放送作家、当時16歳・広島県大崎下島、海軍兵学校から復員、親戚のミカン農園を手伝う) 21日 22日 23日 24日 25日 26日 27日 28日 29日 30日 31日 |
||
11 | 昭和20年11月 336 | |
1日 2日 3日 4日 5日 6日 7日 8日 9日 10日 11日 12日 13日 14日 15日 16日 17日 辻村寿三郎(人形師、当時11歳・広島県三次、国民ガ学校6年生) 18日 19日 20日 21日 22日 23日 24日 25日 26日 宮沢喜一 27日 28日 29日 30日 |
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12 | 昭和20年12月 398 | |
1日 2日 3日 4日 5日 6日 7日 8日 9日 10日 11日 12日 13日 14日 15日 16日 17日 18日 19日 20日 21日 22日 23日 24日 25日 26日 27日 28日 29日 30日 31日 |
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さくいん 467 | ||
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『あの日 昭和20年の記憶 終戦60年企画 上』( NHK「あの日 昭和20年の記憶」取材班、日本放送出版協会、20050730)
月 | ||
日本を変えたあの年 前篇 半藤一利 8 | ||
1 | 昭和20年1月 16 | |
1日 新藤兼人 2日 赤木春恵 3日 阿川弘之 4日 上坂冬子 5日 千玄室 6日 早坂暁 7日 野見山暁治 8日 丹波哲郎 9日 大村毘 10日 石井好子 11日 ちばてつや 12日 朝丘雪路 13日 関本忠弘 14日 羽仁進 15日 有馬稲子 16日 青島幸男 17日 江崎玲於奈 18日 佐藤忠男 19日 杉本苑子 20日 小田島雄志 21日 早乙女貢 22日 辻久子 23日 水木しげる 24日 半藤一利 25日 本島等 26日 日野原重明 27日 杉下茂 28日 服部公一 29日 岸朝子 30日 平山郁夫 31日 加藤芳郎 |
||
2 | 昭和20年2月 80 | |
1日 やなせたかし 2日 海老名香葉子 3日 松谷みよ子 4日 佐野浅夫 5日 三浦朱門 6日 澤地久枝 7日 塩田丸男 8日 冨田勲 9日 河合隼雄 10日 金子兜太 11日 久米明 12日 天野祐吉 13日 明石康 14日 織本順吉 15日 渡辺美佐子 16日 倉嶋厚 17日 坂上二郎 18日 野村万作 19日 田端義夫 20日 辻村寿三郎 21日 早乙女勝元 22日 松本零士 23日 赤木春恵 24日 神坂次郎 25日 童門冬二 26日 関根潤三 27日 道場六三郎 28日 北村和夫 |
||
3 | 昭和20年3月 138 | |
1日 二葉百合子 2日 田英夫 3日 畑正憲 4日 京唄子 5日 猿谷要 6日 池部良 7日 竹本住大夫 8日 岡田眞澄 9日 粟津則雄 10日 半藤一利 11日 日野原重明 12日 早乙女勝元 13日 海老名香葉子 14日 多湖輝 15日 藤本義一 16日 木村庄之助 17日 大村毘 18日 妹尾河童 19日 古橋廣之進 20日 財津一郎 21日 早坂暁 22日 山田太一 23日 安西篤子 24日 黒木和雄 25日 熊倉一雄 26日 黒川紀章 27日 正司歌江 28日 佐木隆三 29日 近藤富枝 30日 細江英公 31日 中島丈博 |
||
4 | 昭和20年4月 202 | |
1日 大田昌秀 2日 登川誠仁 3日 ペギー葉山 4日 中里逢庵 5日 市田ひろみ 6日 赤瀬川隼 7日 堀田力 8日 梅原猛 9日 栄久庵憲司 10日 中村メイコ 11日 藤子不二雄A 12日 塩川正十郎 13日 野村万作 14日 千玄室 15日 児玉清 16日 羽田澄子 17日 佐野浅夫 18日 近藤芳美 19日 東松照明 20日 冨田勲 21日 安野光雅 22日 鈴木清順 23日 俵萌子 24日 宍戸錠 25日 藤岡琢也 26日 平良とみ 27日 桂由美 28日 船越義彰 29日 内海桂子 30日 山下惣一 |
||
5 | 昭和20年5月 264 | |
1日 岡田茉莉子 2日 茂山千作 3日 新藤兼人 4日 多湖輝 5日 内藤武敏 6日 観世榮夫 7日 坂上二郎 8日 黒木和雄 9日 津本陽 10日 宮沢喜一 11日 馬場當 12日 笑福亭松之助 13日 川田正子 14日 小林亜星 15日 加賀乙彦 16日 本村つる 17日 上坂冬子 18日 熊倉一雄 19日 馬場あき子 20日 登川誠仁 21日 宝田明 22日 森村誠一 23日 林光 24日 松谷みよ子 25日 宗左近 26日 池坊専永 27日 関根潤三 28日 大田昌秀 29日 杉下茂 30日 織本順吉 31日 岩城宏之 |
||
あとがき 330 | ||
止
『浦上の原爆の語り 永井隆からローマ教皇へ』(四條知恵、未來社 、20150815)
内容
章 | 節 | タイトル | 備考 |
1 | 歴史の語りを繙く 7 歴史叙述についての先行研究 8 歴史の物語論に対する批判 14 原爆被害についての先行研究 22 浦上の原爆の語り 28 |
||
2 | 浦上と永井隆 33 | ||
一 「浦上」 33 浦上の歴史と原爆被害 33 浦上と差別38 二 永井隆の燔祭説 41 永井隆の足跡 41 永井隆の燔祭説 43 三 永井隆の燔祭説をめぐる論争 48 一九五〇年代から七〇年代 48 一九八〇年代以降 51 燔祭説をめぐる論争の問題点 55 |
|||
3 | 焦点化する永井隆 58 | ||
一 占領期の長崎における原爆の語り 59 原爆投下から占領軍による検閲開始までの変遷 59 永井隆の登場 63 「ピース・フロム・ナガサキ」の発祥と国際文化都市建設の礎論 72 朝鮮戦争の勃発による反動 86 二 焦点化する永井隆 93 占領軍と親和性 93 占領期の長崎における燔祭説の位置 96 |
|||
4 | 永井隆からローマ教皇へ―純心女子学園をめぐる原爆の語り 100 | ||
一 純心の沿革と学校の被害 102 二 純心女子学園をめぐる原爆の語り 104 一九四五(昭和二〇)年から一九六一(昭和三六)年まで 104 一九六一(昭和三六)年以降 109 ローマ教皇ヨハネ・パウロ二世の来日と恵の丘長崎原爆ホーム 119 一九八一(昭和五六)年以降の純真女子学園における原爆の語り 124 三 二つの語りが意味するもの 129 |
|||
5 | 浦上の原爆の語り 135 | ||
一 占領期 136 二 ローマ教皇庁と日本のカトリック教会の動向 139 三 浦上のひび 141 四 長崎における原爆被害をめぐる行政と市民活動の流れ 154 五 原水爆禁止運動とカトリック教界 161 六 カトリック地域共同体の変容 164 七 ローマ教皇ヨハネ・パウロ二世の来訪 171 八 カトリック教界への波紋 176 日本のカトリック教界 176 長崎のカトリック教界 180 |
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結び 187 | |||
謝辞 201 | |||
註 203 | |||
参考文献 233 | |||
止
ボーヴォワール、シモーヌ・ド・
学生時代、宇吹の下宿にオルグにきた友人にボーヴォワールの講演会を勧められ聴講。
1966年10月9日、ボーヴォワール、サルトルと一緒に広島訪問。
片山美沙子
京都大学美術研究会の会員。『オパールの炎』(桐野夏生、中央公論新社)のモデル。
資料年表:岡田智晶
年月日 | 事項 | 備考 |
1974 | ||
0201 | 『平和教育運動 創刊号』(全国平和教育研究協議会準備会編、広島教育会館出版部) | |
<第六分科会>戦災史発掘と平和教育
福山空襲の記録をとおして教える 岡田智晶 153 |
||
1977 | ||
0125 | 『平和教育運動 No.4』(日本平和教育研究協議会編・広島平和教育研究所編、広島教育会館出版部) | |
<郷土史・戦災史実発掘> 福山空襲の記録運動と平和教育 岡田智晶・佐藤精一124 |
||
1978 | ||
0601 | 『季刊平和教育 第8号』(日本平和教育研究協議会編、明治図書出版) | |
特集 地域に学ぶ平和教育 福山空襲の記録運動の中で 岡田智晶 43 |
||
1982 | ||
0331 | 『広島県史研究 7』(広島県史編さん室、広島県、19760331) | |
「空襲・戦災を記録する運動と資料保存」 | ||
1998 | ||
0301 | 『空襲通信 空襲・戦災を記録する会全国連絡会議会報 準備号』 (空襲・戦災を記録する会全国連絡会議会報委員会、1999/07/24) | |
第2部 各地の会の報告 福山空襲の記録と教材化 岡田智晶…46 |
||
0710 | 『記憶の火群 短篇集』(原爆と文学の会編、日曜舎、1998/07/10) | |
炎の夜の告発…岡田智晶 120 | ||
止