「50 人」カテゴリーアーカイブ

あの日 昭和20年の記憶 終戦60年企画 下

『あの日 昭和20年の記憶 終戦60年企画 下』( NHK「あの日 昭和20年の記憶」取材班、日本放送出版協会、20060320)

作業中

日本を変えたあの年 後篇 半藤一利 10
6 昭和20年6月 20
1日
2日
3日
4日
5日
6日
7日  早乙女勝元(作家)
8日
9日
10日
11日
12日
13日
14日
15日
16日
17日
18日
19日 山崎朋子(当時13歳・広島 高等女学校2年生)
20日
21日
22日
23日
24日
25日
26日
27日
28日
29日
30日
31日
7 昭和20年7月  82
1日
2日
3日
4日
5日
6日
7日
8日
9日
10日
11日
12日
13日
14日
15日
16日
17日
18日
19日 早乙女勝元(作家)
20日
21日
22日
23日
24日 新藤兼人(当時33歳、宝塚海軍航空隊一等水兵)
25日
26日 藤岡琢也(当時14歳・広島 陸軍幼年学校1年生)
27日
28日
29日
30日
31日
8 昭和20年8月 146
1日
2日
3日
4日
5日
6日  平山郁夫(画家、当時15歳、広島 中学3年生)
7日  平山郁夫
8日 高橋玄洋(放送作家、当時16歳、海軍兵学校 1年生)
9日 美輪明宏(シャンソン歌手・俳優、当時10歳・長崎 原爆に遭う)
10日 阿川弘之(作家、当時24歳・中国 漢口の通信機関、海軍中尉)
11日
12日
13日
14日
15日
16日
17日
18日
19日
20日
21日
22日
23日 早坂暁(作家、当時16歳・山口 海軍兵学校防府分校から帰郷)
24日
25日
26日 栄久庵憲司(当時15歳・山口 海軍兵学校防府分校から復員)
27日
28日
29日
30日
31日
9 昭和20年9月 210
1日
2日
3日
4日
5日
6日
7日 日野原重明(医師、当時33歳・東京 聖路加病院接収の対応に奔走)
8日
9日
10日  藤岡琢也(俳優当時15歳・姫路 復員し実家にいた)
11日
12日
13日
14日
15日
16日
17日
18日
19日
20日
21日
22日 宮沢喜一(元内閣総理大臣、当時25歳・東京 大蔵大臣秘書官)
23日
24日
25日
26日
27日
28日
29日
30日
10 昭和20年10月 272
1日
2日
3日
4日
5日
6日
7日
8日
9日
10日
11日
12日
13日
14日
15日
16日
17日
18日
19日
20日  高橋玄洋(放送作家、当時16歳・広島県大崎下島、海軍兵学校から復員、親戚のミカン農園を手伝う)
21日
22日
23日
24日
25日
26日
27日
28日
29日
30日
31日
 11  昭和20年11月 336
1日
2日
3日
4日
5日
6日
7日
8日
9日
10日
11日
12日
13日
14日
15日
16日
17日 辻村寿三郎(人形師、当時11歳・広島県三次、国民ガ学校6年生)
18日
19日
20日
21日
22日
23日
24日
25日
26日 宮沢喜一
27日
28日
29日
30日
12  昭和20年12月 398
1日
2日
3日
4日
5日
6日
7日
8日
9日
10日
11日
12日
13日
14日
15日
16日
17日
18日
19日
20日
21日
22日
23日
24日
25日
26日
27日
28日
29日
30日
31日
さくいん 467
anohi-01
 anohi-02
anohi-03
anohi-04
 anohi-05
 anohi-06
 anohi-07

あの日 昭和20年の記憶 終戦60年企画 上

『あの日 昭和20年の記憶 終戦60年企画 上』( NHK「あの日 昭和20年の記憶」取材班、日本放送出版協会、20050730)

日本を変えたあの年 前篇 半藤一利 8
1 昭和20年1月 16
1日 新藤兼人
2日 赤木春恵
3日 阿川弘之
4日 上坂冬子
5日 千玄室
6日 早坂暁
7日 野見山暁治
8日 丹波哲郎
9日 大村毘
10日 石井好子
11日 ちばてつや
12日 朝丘雪路
13日 関本忠弘
14日 羽仁進
15日 有馬稲子
16日 青島幸男
17日 江崎玲於奈
18日 佐藤忠男
19日 杉本苑子
20日 小田島雄志
21日 早乙女貢
22日 辻久子
23日 水木しげる
24日 半藤一利
25日 本島等
26日 日野原重明
27日 杉下茂
28日 服部公一
29日 岸朝子
30日 平山郁夫
31日 加藤芳郎
2 昭和20年2月  80
1日 やなせたかし
2日 海老名香葉子
3日 松谷みよ子
4日 佐野浅夫
5日 三浦朱門
6日 澤地久枝
7日 塩田丸男
8日 冨田勲
9日 河合隼雄
10日 金子兜太
11日 久米明
12日 天野祐吉
13日 明石康
14日 織本順吉
15日 渡辺美佐子
16日 倉嶋厚
17日 坂上二郎
18日 野村万作
19日 田端義夫
20日 辻村寿三郎
21日 早乙女勝元
22日 松本零士
23日 赤木春恵
24日 神坂次郎
25日 童門冬二
26日 関根潤三
27日 道場六三郎
28日 北村和夫
3 昭和20年3月 138
1日 二葉百合子
2日 田英夫
3日 畑正憲
4日 京唄子
5日 猿谷要
6日 池部良
7日 竹本住大夫
8日 岡田眞澄
9日 粟津則雄
10日 半藤一利
11日 日野原重明
12日 早乙女勝元
13日 海老名香葉子
14日 多湖輝
15日 藤本義一
16日 木村庄之助
17日 大村毘
18日 妹尾河童
19日 古橋廣之進
20日 財津一郎
21日 早坂暁
22日 山田太一
23日 安西篤子
24日 黒木和雄
25日 熊倉一雄
26日 黒川紀章
27日 正司歌江
28日 佐木隆三
29日 近藤富枝
30日 細江英公
31日 中島丈博
4 昭和20年4月 202
1日 大田昌秀
2日 登川誠仁
3日 ペギー葉山
4日 中里逢庵
5日 市田ひろみ
6日 赤瀬川隼
7日 堀田力
8日 梅原猛
9日 栄久庵憲司
10日 中村メイコ
11日 藤子不二雄A
12日 塩川正十郎
13日 野村万作
14日 千玄室
15日 児玉清
16日 羽田澄子
17日 佐野浅夫
18日 近藤芳美
19日 東松照明
20日 冨田勲
21日 安野光雅
22日 鈴木清順
23日 俵萌子
24日 宍戸錠
25日 藤岡琢也
26日 平良とみ
27日 桂由美
28日 船越義彰
29日 内海桂子
30日 山下惣一
5 昭和20年5月 264
1日 岡田茉莉子
2日 茂山千作
3日 新藤兼人
4日 多湖輝
5日 内藤武敏
6日 観世榮夫
7日 坂上二郎
8日 黒木和雄
9日 津本陽
10日 宮沢喜一
11日 馬場當
12日 笑福亭松之助
13日 川田正子
14日 小林亜星
15日 加賀乙彦
16日 本村つる
17日 上坂冬子
18日 熊倉一雄
19日 馬場あき子
20日 登川誠仁
21日 宝田明
22日 森村誠一
23日 林光
24日 松谷みよ子
25日 宗左近
26日 池坊専永
27日 関根潤三
28日 大田昌秀
29日 杉下茂
30日 織本順吉
31日 岩城宏之
あとがき 330

浦上の原爆の語り 永井隆からローマ教皇へ

『浦上の原爆の語り 永井隆からローマ教皇へ』(四條知恵、未來社 、20150815)

内容

タイトル 備考
1 歴史の語りを繙く 7
歴史叙述についての先行研究 8
歴史の物語論に対する批判 14
原爆被害についての先行研究 22
浦上の原爆の語り 28
2 浦上と永井隆 33
一 「浦上」 33
浦上の歴史と原爆被害 33
浦上と差別38
二 永井隆の燔祭説 41
永井隆の足跡 41
永井隆の燔祭説 43
三 永井隆の燔祭説をめぐる論争 48
一九五〇年代から七〇年代 48
一九八〇年代以降 51
燔祭説をめぐる論争の問題点 55
3 焦点化する永井隆 58
一 占領期の長崎における原爆の語り 59
原爆投下から占領軍による検閲開始までの変遷 59
永井隆の登場 63
「ピース・フロム・ナガサキ」の発祥と国際文化都市建設の礎論 72
朝鮮戦争の勃発による反動 86
二 焦点化する永井隆 93
占領軍と親和性 93
占領期の長崎における燔祭説の位置 96
4 永井隆からローマ教皇へ―純心女子学園をめぐる原爆の語り 100
一 純心の沿革と学校の被害 102
二 純心女子学園をめぐる原爆の語り 104
一九四五(昭和二〇)年から一九六一(昭和三六)年まで 104
一九六一(昭和三六)年以降 109
ローマ教皇ヨハネ・パウロ二世の来日と恵の丘長崎原爆ホーム 119
一九八一(昭和五六)年以降の純真女子学園における原爆の語り 124
三 二つの語りが意味するもの 129
5 浦上の原爆の語り 135
一 占領期 136
二 ローマ教皇庁と日本のカトリック教会の動向 139
三 浦上のひび 141
四 長崎における原爆被害をめぐる行政と市民活動の流れ 154
五 原水爆禁止運動とカトリック教界 161
六 カトリック地域共同体の変容 164
七 ローマ教皇ヨハネ・パウロ二世の来訪 171
八 カトリック教界への波紋 176
日本のカトリック教界 176
長崎のカトリック教界 180
結び 187
謝辞 201
註 203
参考文献 233

資料年表:岡田智晶

資料年表:岡田智晶

年月日 事項 備考
1974
0201 『平和教育運動 創刊号』(全国平和教育研究協議会準備会編、広島教育会館出版部)
<第六分科会>戦災史発掘と平和教育

福山空襲の記録をとおして教える 岡田智晶 153

1977
0125 『平和教育運動 No.4』(日本平和教育研究協議会編・広島平和教育研究所編、広島教育会館出版部)
<郷土史・戦災史実発掘>
福山空襲の記録運動と平和教育   岡田智晶・佐藤精一124
1978
0601 『季刊平和教育 第8号』(日本平和教育研究協議会編、明治図書出版)
特集 地域に学ぶ平和教育
福山空襲の記録運動の中で 岡田智晶 43
1982
0331 『広島県史研究 7』(広島県史編さん室、広島県、19760331)
「空襲・戦災を記録する運動と資料保存」
 1998
 0301 『空襲通信 空襲・戦災を記録する会全国連絡会議会報 準備号』 (空襲・戦災を記録する会全国連絡会議会報委員会、1999/07/24)
 第2部 各地の会の報告
福山空襲の記録と教材化  岡田智晶…46
 0710  『記憶の火群 短篇集』(原爆と文学の会編、日曜舎、1998/07/10)
 炎の夜の告発…岡田智晶 120

 

大塚茂樹

大塚茂樹

資料年表:大塚茂樹<作業中

年月日
1957
** 誕生
1994
0705 『ある歓喜の歌 小松雄一郎 嵐の時代にベートーヴェンを求めて』(同時代社)
2011
0708 『まどうてくれ 藤居平一・被爆者と生きる』(旬報社)
2016
0605 『原爆にも差別にも負けなかった人びと―広島・小さな町の戦後史』(かもがわ出版)
2017
1210 『心さわぐ憲法9条-護憲派が問われている』(花伝社)
2019
0725 中野慶『軍馬と楕(かもがわ出版)
2021
1220 中野慶『岩波書店取材日記』(かもがわ出版)
2023
0325 『「日本左翼史」に挑む 私の日本共産党論』(あけび書房新社)

 

小笠原臣也

資料年表:小笠原臣也

年月日 事項 メモ
1935
0217 誕生
1987
0930 広島県副知事。~1993年7月28日
1993
11 呉市長。~2005年11月。
 2004
 1001 小笠原臣也『[対談集]新生・呉の出帆』(呉地域自治振興懇話会)
2007
05 小笠原臣也『戦艦「大和」の博物館 大和ミュージアム誕生の全記録』(芙蓉書房出版)
2009
0815 『追憶―平和への切なる願いを込めて― 国民学校入学1期生が綴る戦中・戦後体験記』(広島県立呉三津田高校4回生同期会国民学校入学1期生が綴る戦中・戦後体験記編集委員会著、広島県立呉三津田高等学校四回生)
 第7章 戦後の生活と学校 ―混乱、窮乏のなかで新しい動きと平和への願い―
私達の運命と思想を左右した戦争 ―今日あるを感謝―〈小笠原臣也〉…246
2012
09 小笠原臣也 著・広島大学文書館編 編『私の人生公路  小笠原臣也回顧録』現代史料出版  U

 

渡部正

渡部正

年月日
1946 誕生
??
1965
04 京都大学経済学部入学
1969
04 中国電力、入社
1975
0420 渡部正、結婚式。
1994
0424 渡部正(中国電力)より自宅に電話。電力需要見通しをやっているとのこと。
2008
1119 渡部正が今年春死亡したとの奥さんからのハガキが自宅に届く。

資料年表:石垣重信

資料年表:石垣重信<作業中

年月日 事項
1920
**** 賀茂郡志和町にて誕生。
**** 広島県立商業学校卒。
1956
07 『芸備地方史研究17・18号』(芸備地方史研究会)
 石垣重信 「人物広島史 労農運動を斗った人たち―高津正道とその他の人々―」
1966
11 『芸備地方史研究62・63号』(芸備地方史研究会)
石垣重信 「頼山陽の歴史的階級的背景について」
1969
0211 『芸南史話』(石垣重信著)
著者略歴<抄>敗戦後中国配電(株)本社総務部を経て、現在竹原営業所勤務。戦後、労働運動のかたわら、民主主義科学者協会歴史部会に属し、地方史研究をおこなう。
歴史学研究会会員、歴史研究会会員、歴史科学者協会会員、芸備地方史研究会会員、中国電力労働組合本部執行委員
1976
0331 『広島県史研究 1』(広島県史編さん室)
石垣重信 「県史の窓 広島県史刊行への期待」