「50 人」カテゴリーアーカイブ

渡辺浩

資料年表:渡辺浩(わたなべ・ゆたか)

年月日
1930
** 長崎(築町)で誕生。
1945
0809 長崎で原爆被爆。15歳、長崎県立長崎中学校3年生。
1953
**** 早稲田大学第一文学部卒業。
2002
1120 渡辺浩『15歳のナガサキ原爆』(岩波ジュニア新書)
 目次 はじめに
1 ナガサキを知っていますか 1
2 小国民と戦艦「武蔵」 15
3 戦争している国の中学生 29
4 一九四五年八月九日 53
5 われわれの8・9 91
6 爆心地を越えて 107
7 再び爆心地へ 121
8 ナガサキ・ディ・アフター 141
おわりに―二十一世紀を生きていく人たちへのお願い 173
原爆被害地図・長崎市街地図・広域図
 2025
 0428  『毎日新聞』(2025/4/28 朝刊文化面)
 <未来への轍(わだち)>原爆をいかに語り継ぐ 悲惨と「許し」、映画の力で

花の幻 続・平和を作る人たち

『花の幻 続・平和を作る人たち』(安藝基雄<安芸基雄>著、みすず書房、19850826)<作業中

内容

序 1
1
1 軍隊からの手紙
1.満洲から 11
2.シベリアから 18
2 弟への告別 22
3 学生時代の事ども 39
1.後藤豊氏のこと 40
2.崎山美文氏のこと 44
3.山中湖畔清書講習会のこと 48
4.川西瑞夫氏のこと 50
5.広瀬嘉信氏のこと 58
6.増田繁雄氏のこと 62
7.徴兵の問題 65
4 般若心経と母 68
1.8・15の心経 70
2.終戦記念日に 78
3.女性の強さについて 81
5 シベリアの戦友たち 86
6 歴史と現代 96
1.クローチェとトインビーの歴史観 96
2.韓国のこと 104
3.中国のこと 115
4.民主主義と議会 121
5.再度自衛隊について 127
6.老子の戦争観 135
7 非戦論の系譜 139
1.仏教の沈滞 139
2.日蓮宗不受不施派 142
3.大逆事件 148
4.法華宗義綱要事件 150
5.新興仏教青年同盟と妹尾義郎 152
6.「弓箭の家業」と「往生の素意」 160
7.内村鑑三と日蓮 168
8.クェイカーと日本 170
9.ドゥホボール教徒 174
10.非暴力と暴力 176
8 ガンディーと戦争 180
1.ボーア戦争とガンディー 180
2.内村鑑三の批判 181
3.畏れなき心 186
9 受難と信仰 190
1.災難を免れる道、受ける道 190
2.信仰の論理 196
3.無神論者の弁 199
10 核戦争と安楽死 203
1.核シェルター 203
2.イギリスから 206
3.アメリカから 208
4.予知予告できない事態 209
5.安楽死是非 211
11 ヒロシマ・ノート 214
1.市長の死 216
2.一原爆体験者の証言 223
3.日本の対応 232
4.アメリカの対応 237
5.ジュノーとバーチェットの対応 253
6.欺瞞か真実か 263
7.禁じられなかった出版 266
8.花の幻 271
9.パスカルの賭け 276
10.罪過のある者 279
11.戦争の犠牲 281
12.歴史の教訓と預書 289
12 結語 305
2
1 平和の代償(内村鑑三記念講演)319
2 塚本先生と私(塚本先生記念講演)345

 

平和を作る人たち

『平和を作る人たち』(安藝基雄<安芸基雄>著、みすず書房、19840115)

内容

序 1
1 私の体験
2 学生時代のこと 21
1.小・中学校 21
2.亡き兄 俊雄 25
3.浪人生活へ 29
4.増田氏のこと 32
3 学生と徴兵 44
4 国境守備隊にて 57
1.関東軍 57
2.伝染病補備教育と関東軍防疫給水部 65
3.日ソ開戦 75
4.勃利街道にて 79
5.当てなき行軍 86
6.武装解除と勝者の軍規 91
5 拉古収容所にて 96
6 シベリアにて 104
1.野口孝国氏との邂逅 104
2.給食問題 108
3.駅長夫人 111
4.佐藤氏のこと 121
5.追いかけられた軍医 134
6.社会教育 138
7.作業遂行と医務室 141
8.贈賄と収賄 144
9.脱走計画 150
10.政治部の審問 152
11.懲罰大隊 158
12.反ユデンコ闘争 163
13.大衆裁判とその弁護 168
14.駅長夫人との再会 173
15.民主運動の変貌 176
7 占領下の日本 185
1.復員 185
2.母のことども 192
3.学生運動の左傾化と矢内原先生 204
4.モリヤの山 207
8 沖縄問題と矢内原東京大学総長 211
9 棄民政策の現実(満洲と沖縄)218
10 警察予備隊と自衛隊 228
11 日米安全保障条約とアメリカ 235
12 専守防衛の欺瞞 245
13 リア王の幻影とレジスタンス 250
14 偽りの民族主義と非暴力の精神 264
15 結語、平和への道 287
2 平和を作る人たち
1 西郷頼母 303
2 ヨハナン・ベン・ザカイ 311
3 マーチン・ルーサ・キング 316

 

語りつぐべきこと 二つの世紀をつなぐもの

『語りつぐべきこと 二つの世紀をつなぐもの 沢地久枝対話集 同時代ライブラリー74』(沢地久枝、岩波書店、19910715)

内容

001 住井すゑ<え> 女たちが地球をまもる
047 松本重治 昭和史をふりかえる
089 丸岡秀子 苦労を泣かせるな
143 伊達秋雄 法律家の良心とは
179 山本安英 幕間の時と人
215 佐藤忠良 子供たちへの願い
255 丸木位里・丸木俊 じじばばのひとこと
303 沢地久枝 あとがき
310 沢地久枝 あなたの手へ―同時代ライブラリー版に寄せて

 

もうひとつのヒロシマ ドキュメント中国新聞社被爆

『もうひとつのヒロシマ ドキュメント中国新聞社被爆 現代教養文庫』(御田重宝、社会思想社、19870815)

まえがき
1 長い一日…15
7時9分B29接近/朝は静かになったが/疎開作業へ社員出動/3カ所へ天候観測機/B29、福山湾へ向かう/運命分けた朝の行動/警報発令に参謀迷う/落下傘目撃後に閃光/ニジとともに原子雲/瞬間、1万度の高熱が/信じられぬ現象続々/飛散物を伴い〃黒い雨μ/火球、中国新聞を襲う/惨状にわが目を疑う/郊外へ続く半裸の列/義勇隊員の大半即死/古材の下敷きで焼死/炎の中で同僚と握手/一瞬周囲が暗やみに/ぼう然と火災見送る/わが子は家の下敷き/社員の連絡所へ急ぐ/火災くぐり杜目指す/杜はすでに火だるま/3人、肩抱き合い避難/自宅は被爆者で満員/荷車に二人乗せ歩く/警報の度に軍司令部へ/写真を…報道班員直感/撮影に20分ためらう/3枚目は涙で撮れず/マッチ爆弾かと疑う/世界初の〃原爆写真”/高熱…社内に入れず/「音のない世界」体験/京橋川船上で黒い雨/一挙に社員113人失う/市内に入り直後に大雨/単身炎の街突っ切る/やけど押し杜へ走る/一枚の布団で命拾い/中央放送局も犠牲に/勤務交代前、警報ベル/警報を放送中に爆風
2 原爆第一報…109
現在もなおあいまい/焼却された軍機書類/「8時30分」には疑問/呉鎮守府から調査隊/特殊爆弾の疑念わく/全滅…指揮能力失う/暗号打電翻訳遅れる/新聞発表は7日午後/四国・九州・福山に連絡/9時過ぎ「全滅」の連絡/自転車で広島へ急ぐ/入市やめ原放送所へ/岡山の局と連絡つく/「死者およそ17万人…」/「大げさでは」疑う軍部/船を雇い広島市入り/両岸、救援叫ぶ被爆者/日発「搬送電話」を利用/出張で被爆、惨状報告/軍管区司令部も潰滅/縮景園に火勢広がる/8時20分過ぎに発信/7日未明に新聞発表
3 再建への鼓動…155
「社員と家族を救え」/トップの苦しさ自覚/代行印刷依頼に奔走/総監府通じ代行依頼/船舶司令部通じ連絡/印刷機能壊滅を確認/軍通じ代行印刷打電/臨時県庁で情報収集/人材喪失、印刷に痛手/応召の編集局長不明/カギを握る朝礼時刻/つかめぬ中尉の行動/緊張の作戦室で徹夜/当直済ませて自室へ?/庁舎で仮眠中、被爆か/夫人先頭に市中捜索/悲壮感漂う”再建本部”/社員の容体を案じる/幹部、相次ぎ被爆死/支社局から次々応援/尾道港で「壊滅」聞く/救援トラックに便乗/尾道に戻り救援活動/トラック〃徴発”救援へ/被爆者に乾パソ配る/被爆者乗せ救護所へ/「知事布告を報道せよ」/「布告」が報道第1号に/焼け残った部屋発見/民心の安定へ口伝隊/道路わきに死体の山/被爆米兵捕虜を目撃/避難阻まれ被爆死も/即死まぬがれたが…/切れた新聞社専用線/電話線ほとんど壊滅/陸軍主導で原爆隠し/「ピカドン」呼称広まる/軍部に「硫酸爆弾」説も/「爆心は護国神社上空」/ラジオ・ゾンデ発見/陸軍・大本営も調査隊/「ト声明」に仁科氏衝撃/「原爆」と正式に認める
4 原爆の投下責任
ツダム宣言を”黙殺”/ソ連参戦の報届かず/アイクは使用に反対/ソ連参戦防止を狙う?/「東西冷戦」絡み?作戦/宣言受諾条件で紛糾/海相、外相は降伏主張/閣議に長崎被爆の報/ポ宣言の受諾決まる/スイスなど通じ公電/軍主戦派と押し問答/10日夜に「受諾」放送/海外へは・受諾流れる/陸相布告掲載を強要/和平派殺害の計画も/「国体護持」を米が論議/米回答文、12日に通達/米回答の翻訳で紛糾/米ソ対立が引き金/終戦引き延ばしが致命/御前会議で終戦決定/天皇自ら詔書ご加筆/14日、全国へ「内密電」/録音盤から天皇の声/使節団、マ司令部へ/米側、厚木入りを通告/マ元帥迎える星条旗/占領軍批判はタブー
5 輪転機を回せ…285
9日、代行印刷紙届く/疎開機器の整備急ぐ/川手牧場と疎開交渉/二県一紙」で重い責任/増加部数印刷に苦慮/温品移転やっと軌道/社員自ら組み立ても/新聞資材も分散疎開/20日ごろ工場へ送電?/20~30人集まり再出発/突貫工事、工場建てる/9月3日付から印刷/壁新聞用紙は軍提供/地下壕の紙役立つ/温品ではテント生活/代行紙、二駅で仕分け/「新聞復興に死力注ぐ」/「あの日」胸に社員連帯/各紙に「70年不毛説」/不毛説を医学者否定/悪戦苦闘…損紙の山/新聞見て社員”出一社”/調子上がらぬ試運転/苦労した「紙型」取り/太陽光線で写真製一版/活字は捨てず再使用/社報でも原爆の特集/再建へ意欲みたぎる/復員姿で社屋に直行/復員の日、温品印刷成功/分担超え紙面に情熱/米人記者と一問一答/原爆症に医学界混乱/医学論文の公表禁止/社の動き「日誌」に克明/10月26日に採用試験/「米兵の犯罪」を報道/「同盟」に業務停止命令/「同盟」が自主解散通告/検閲受け送信再開へ/声高に「平等」を否定/厳しい事前検閲開始/客観報道促す一も/GHQ、混乱する路線/23年12月に検閲全廃
6 またも試練が…371
枕崎台風が広島直撃/「不毛説」弱めた台風/〃温品版”最後の報道に/輪転機は被害免れる/温品工場の機能マヒ/流川での再建を決意/代行印刷、朝日へ依頼/自力再生を迫られる/全社一丸で題字守る/代行印刷、西部毎日も/京大の 査班も被災/訃報、3日後に京都へ/被爆調査資料も失う/100人が本社ビル清掃/温品の輪転機を解体/東洋工業が技術協力/「復興資材部」を設置/資材払い下げに奔走/移転の前日に慰霊祭/撤回された発禁処分/天皇会見で特報発行/「戦争責任」で陛下回答/本社員幽人でスタート/ガス会社に鋳造機搬入/バタンコで活字運ぶ/復興財団に資材依頼/「特報中国新聞」に改題/巻き取り紙捨てられる/米軍進駐のとばっちり/社員総出で搬入作業/巻き取り紙に無情の雨/進駐軍用に慰安施設/用紙収容に米軍協力/マツタケ狩りで一息/「共販制」16年末に発足/連盟に情報局が圧力/一県一紙体制を強行/「相互援助」で発行継続/25年まで共販制存続
7 うなる輪転機…445
東洋工の技師が視察/社長同士で移設契約/杜長が訪れ運搬依頼/人使いのよさ見込まれ/運搬方法に知恵絞る/馬車使い本社へ運搬/難題だった定盤輸送/まくら木で道直し運搬/悪路のうえ雨までも/横転防止へ24人〃伴走”/午前4時に本社到着/組み立て班、泊まり込み/11月5日「流川第1号」/東洋工業に一二〇〇円謝礼/本杜体制作りも着々/11月1日、新体制発足/進駐軍検閲係が来社/進駐軍の検閲を報道/板張り編集局に熱気/自力発行に緊張・興奮/裸電球の下鉛版セット/労苦報われ社員歓声/復興ぶり克明に報告/衣食住の補給訴える/建設目標は1日100戸/苦難越え原爆報道貫く年表一新聞・言論関係/原子爆弾関係/国内、戦争関係…492
あとがき…503
著者あとがき…505
<中国新聞社の被爆40周年紙面企画「もう一つのヒロシマ」を集成(連載期間:昭和59年7月1日から60年3月23日)>

朝長万左男

資料年表:朝長万左男<作業中

年月日
1971
1201 『原爆後障害研究会広島シンポジウム講演集 第12回』
一般講演
被爆者検診を中心とした慢性骨髄性白血病の早期発見例について 松本吉弘・冨安孝則・朝長万左男・武藤一己 57
1988
0401 『原子爆弾後障害研究会講演集 第28回』(広島原爆障害対策協議会)
5.原爆被爆者に発生した白血病の診断と病型分類の再検討 第4報.広島、長崎両市のまとめ 朝長万左男 他 160(498)
 1996
0401 『原子爆弾後障害研究会講演集 第36回 』(広島原爆障害対策協議会編 、広島原爆障害対策協議会 )
 被爆50周年-そのあゆみと将来の展望 1
3.放射線障害研究:これまでの知見と将来展望  朝長万左男 22
 0415 『夏雲の丘 病窓の被爆医師』  (山下昭子著、長崎新聞社・長崎文献社)
 秋月先生を語るインタビューと寄稿
朝長万左男さん(長崎大学医学部教授) 108
1130  『長崎医科大学原爆記録集 第三巻 』(長崎医科大学原爆記録集編集委員会編、長崎大学医学部原爆復興五十周年医学同窓記念事業会)
 2000
 1124  『長崎平和研究 第10号』(長崎平和研究所)
 ■核兵器廃絶・地球市民集会ナガサキ/プレ集会記録
「核兵器廃絶と市民の役割」 65
第2部:シンポジウム・総合討論 83
(コーディネーター)朝長万左男(パネリスト)土山秀夫ほか各海外ゲスト
 2001
 0331  『 核兵器廃絶 地球市民集会ナガサキ 報告書』( 核兵器廃絶地球市民長崎集会実行委員会)
 分科会
非核地帯と核の傘 朝長万左男 85
 1010  『証言-ヒロシマ・ナガサキの声2001 』(長崎の証言の会)
 〔証言二〇〇一座談会〕核兵器廃絶を迫る長崎の役割は何か長崎の証言の会 28
〔出席者〕内田伯・朝長万左男・船山忠弘・築城昭平・吉山秀子・平野伸人・広瀬方人・鎌田定夫・(司会)濱崎均(記録・整理)本多初恵
 1120  『長崎平和研究 第12号』(長崎平和研究所)
 対話/ICJ勧告的意見とその今日的意義・核廃絶への道と市民の役割…42
C・G・ウィラマントリー/朝長万左男/中村尚達/(コーディネーター)鎌田定夫
 2004
 0501  『原子爆弾後障害研究会講演集 第44回 』(広島原爆障害対策協議会)
 シンポジウム
新世紀の緊急被ばく医学
2.放射線障害と造血幹細胞移植…朝長万左男 13
1030  『長崎平和研究 第18号』(長崎平和研究所)
 インド・パキスタンの信頼醸成のためのセミナーに参加して/朝長万左男…109
 2006
 0430  『長崎平和研究 第21号』(長崎平和研究所)
 第55回パグウォッシュ会議年次大会報告/朝長万左男 31
〔日本平和学会2005年秋季研究集会報告より〕
 0630  『大量虐殺 死-絶望-脱出』エルネスト・カーン, 多喜百合子著 日本図書センター
 序文 Ernesto Kahan・Taki Yurikoの合作叙事詩の啓示 /朝長万左男 4
1001  『証言-ヒロシマ・ナガサキの声2006 』(長崎の証言の会)
 追悼・秋月辰一郎さん
/医師秋月辰一郎先生の横顔 朝長万左男
 2009
0120  『ナガサキから平和学する!』(高橋眞司・舟越耿一編 法律文化社)
 第Ⅱ部 長崎原爆と長崎の被爆者
第4章 長崎の原爆被害―朝長万左男 41
―その身体的・心理的被害
 2010
 0601  『原子爆弾後障害研究会講演集 第50回』(広島原爆障害対策協議会)
 シンポジウム1 「被爆者白血病研究の新展開」
1-1.被爆者白血病(造血器腫瘍)研究の新展開 朝長万左男 29
1001  『証言-ヒロシマ・ナガサキの声2010 』(長崎の証言の会)
 特集 核のない世界への道
原爆の人体影響はなぜ今も続くのか―すすむ原因究明―…朝長万左男…25
2013
18 証言-ヒロシマ・ナガサキの声2013 長崎の証言の会編 長崎の証言の会 2013/10/01
2014
1031 19 証言-ナガサキ・ヒロシマの声2014 長崎の証言の会編 長崎の証言の会
2015
0606 20 語りつぐナガサキ 原爆投下から70年の夏 創価学会長崎平和委員会編 第三文明社
0607 21 原子爆弾後障害研究会 第56回 平成27年 広島原爆障害対策協議会
2017
1001 22 証言-ナガサキ・ヒロシマの声2017 長崎の証言の会
2018
1015 23 証言-ナガサキ・ヒロシマの声2018 長崎の証言の会
2019
0301 24 核兵器のない世界をめざして 平成30年度核兵器廃絶市民講座報告書 核兵器廃絶長崎連絡協議会
2020
0701 25 核のない未来を! ヒロシマから世界へ 届けよう核被害者の声を! 世界核被害者フォーラム実行委員会
2021
0101 26 赤十字国際レビュー 核兵器:人類が払う代償 赤十字国際委員会駐日代表部(ICRC)
0831 27 原爆後の75年 長崎の記憶と記録をたどる 長崎原爆の戦後史をのこす会編 書肆九十九
2022
1215 28 証言-ナガサキ・ヒロシマの声2022 長崎の証言の会
2023
0830 29 永井隆全集 第4巻 書画集 永井隆著、永井徳三郎監修 サンパウロ
1031 30 証言-ナガサキ・ヒロシマの声2023 長崎の証言の会

 

田川清光

資料年表:田川清光

年月日
1971
0630 『炎の中から-被爆衛生兵の証言』(田川清光著、長崎の証言刊行委員会、19710630)
**** 『稲佐山物語』
1996
1003 田川 清光(77)私の被爆ノート 地獄を垣間見た(『長崎新聞』)

美輪明宏

資料年表:美輪明宏(みわ・あきひろ)

年月日 事項 メモ
1935
0515 長崎市で誕生。寺田臣吾。
1945
0809 長崎市の自宅で被爆。
『あの日 昭和20年の記憶 終戦60年企画 下』(NHK「あの日 昭和20年の記憶」取材班著、日本放送出版協会、20060320)
  <シャンソン歌手・俳優 当時10歳・長崎原爆に遭う>

 

阿部静子

資料年表:阿部静子<作業中

年月日 事項
1927
0222 広島県安芸郡奥海田村(現・海田町)に生まれる。
2024
1231 『被爆者 安部静子は語る―悲しみに苦しみに 生きていてよかった』(安部静子+「ヒロシマ通信」研究会)
2025
0213 差別に苦しみながら…97歳の被爆者の半生綴った本出版「被爆者・阿部静子は語る」日本被団協設立に尽力<tssテレビ新広島 広島ニュースTSS>

 

石田雅子

資料年表:石田雅子<作業中

年月日
1931
**** 誕生
1945
0809 学徒動員で働いていた三菱兵器大橋工場で被爆。
1949
0220 『長崎原子爆弾記 雅子斃れず』(婦人タイムズ社)
 0810  『雅子斃れず』(表現社)
 原爆地写真集
永井博士より著者への手紙
序にかえて 永井隆
第1部
運命の日 19
雅子たおれず 42
原子この闘い 63
新生 75
第2部
あの日より一年 95
父の贈りもの 99
芍薬 118
目を病む 121
永井博士を訪ねて 130
深堀少年と平さん 143
みどりの長崎 155
第3部 -父の思い出-
その日の朝 161
我が子帰らず 168
奇跡の生還 175
病む頃 180
長崎を離れて 189
爆心地を行く 194
 1952
 0405  『永井博士を憶う』(如己堂会編、中央出版社)
 石田雅子「  芍藥の花」158
 1991
 0525  『日本の原爆記録2 長崎の鐘 マニラの悲劇、長崎精機原子爆弾記、雅子斃れず 長崎原子爆弾』(家永三郎・小田切秀雄・黒古一夫、日本図書センター)
1995
0610 『デルタの記』(暮しの手帖編集部編、暮しの手帖社)
雅子たおれず…石田雅子 30
2010
0815 『長崎・そのときの被爆少女 : 六五年目の「雅子斃れず」』(横手一彦編著、時事通信出版局、時事通信社(発売))
 2014
0625 『雅子斃れず 長崎原子爆弾記 平和文庫』(石田雅子著、日本ブックエース、日本図書センター(発売))
 09  『(ナガサキノート)「雅子斃れず」 検閲を越えて』
(『朝日新聞』2014年9月日)