『基幹共同研究「戦争体験の記録と語りに関する資料論的研究」平成18年度第2回研究会報告・討論要旨集』(国立歴史民俗博物館、20070401)
内容
| 第1部 忠魂碑・忠霊塔 |
| 第2部 語りをめぐる問題 |
| 報告3 語られたことの公刊とプライバシー 藤井昭 |
| はじめに |
| 「広島市周辺地域の『被爆体験』について」 |
| 1. 周辺地域における手記と語り |
| 2. 被爆の周辺地域の動き |
| 3. 警棒団と婦人会 |
| 4. 遺体処理・葬儀・供養慰霊 |
| 5.周辺地域の個別事例 |
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ヒロシマの歴史を残された言葉や資料をもとにたどるサイトです。
『基幹共同研究「戦争体験の記録と語りに関する資料論的研究」平成18年度第2回研究会報告・討論要旨集』(国立歴史民俗博物館、20070401)
内容
| 第1部 忠魂碑・忠霊塔 |
| 第2部 語りをめぐる問題 |
| 報告3 語られたことの公刊とプライバシー 藤井昭 |
| はじめに |
| 「広島市周辺地域の『被爆体験』について」 |
| 1. 周辺地域における手記と語り |
| 2. 被爆の周辺地域の動き |
| 3. 警棒団と婦人会 |
| 4. 遺体処理・葬儀・供養慰霊 |
| 5.周辺地域の個別事例 |
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資料年表:藤井昭
| 年月日 | 事項 | メモ | |
| 誕生 | |||
| 1973 | |||
| 0130 | 『日本の民俗 34 広島』(藤井昭、一法規出版) | ||
| 1977 | |||
| 0331 | 『広島県史研究 2』(広島県史編さん室) | ||
| 藤井昭「近世前期備北地方における荒神名の存在形態」 | |||
| 1980 | |||
| 0918 | 『広島, 全2巻〈歴史と文化〉〈史蹟郷土史〉』(講談社) | ||
| 第三部 風土と生活文化 三、年中行事 藤井昭 294 |
|||
| 1982 | |||
| 0331 | 『広島県史研究 7』(広島県史編さん室) | ||
| 藤井昭・松井輝昭「山田漠氏蔵五龍王祭文にについて」60 | |||
| 2008 | |||
| 0228 | 『芸備地方史研究 第258・259』 | ||
| 藤井「厳島と内海地域の民俗」 | |||
| 0331 | 『文化財ひろしま』(広島県文化財保護委員会等連絡協議会・広島県重要文化財所有者連絡協議会平成19年度会報) | ||
| 藤井昭(元広島県文化財保護審議会委員・広島民俗学会会長)「「民俗文化財」とその周辺を考える」 | |||
| 0430 | 『大倉山西法寺開基五百年史』(編集代表:藤井昭) | ||
| 1225 | 『国立歴史民俗博物館研究報告 第147集』 | ||
| [共同研究]戦争体験の記録と語りに関する資料論的研究 ・・・・・ 広島市周辺地域の「被爆体験」について 藤井昭 219 |
|||
止
資料年表:若尾祐司
| 年月日 | |||
| 1945 | |||
| ** | 誕生 | ||
| 2010 | |||
| 0520 | 若尾ほか編著『歴史の場 : 史跡・記念碑・記憶(Minerva西洋史ライブラリー ; 87)』 | ||
| 2012 | |||
| 0420 | 若尾ほか編著『反核から脱原発へ : ドイツとヨーロッパ諸国の選択』(昭和堂) | ||
| 2017 | |||
| 1020 | 若尾ほか編『核開発時代の遺産 未来責任を問う』(昭和堂) | ||
| 2018 | |||
| 0710 | 若尾・小倉桂子(編)『戦後ヒロシマの記録と記憶 小倉馨のR・ユンク宛書簡(上)(下)』(名古屋大学出版会) | ||
| 2021 | |||
| 0311 | 若尾ほか編『核と放射線の現代史 開発・被ばく・抵抗』(昭和堂) | ||
止
『中谷クンの面影』(中野慶、かもがわ出版、20250720)
内容<作業中>
| 頁 | |||
| 005 | 六六歳の揺らめき | ||
| 020 | ボリビアに移住した幼なじみ | ||
| 039 | 二四年まえに贈られた児童書 | ||
| 062 | 少年のかゆみ、被爆者の歳月 | ||
| 107 | 岡崎先生の着眼点 | ||
| 121 | 謎のファイルを受け継ぐ | ||
| 141 | ある被爆者との出会い | ||
| 156 | ノーベル平和賞受賞式の夜 | ||
『ヒバクシャの心の傷を追って 岩波現代文庫/社会355』(中沢正夫、岩波書店、20250715)
内容
| 章 | |||
| はじめに | |||
| 1 | ヒロシマへの旅…1 | ||
| 2 | 見ても見えない-記憶の障害から「心の傷」を探る…9 | ||
| 3 | 「見捨て体験」とその記憶の再現-自責感の発生…48 | ||
| コラム 「水、水…」 80 | |||
| 4 | 見ても感じない-広範に起きた感情麻痺の自己査定…82 | ||
| コラム 五感と障害 95 | |||
| 5 | いまなお続く、引き戻らされ体験…96 | ||
| コラム PTSD 117 | |||
| 6 | 「心の被害」もあの日がスタート-さらに加わる心の傷…118 | ||
| コラム 日本被団協 136 | |||
| 7 | 被爆二世-体験伝達をめぐる微妙な親子関係…138 | ||
| コラム 遺伝子の問題 161 | |||
| 8 | 生き残ったことの意味を求めて-被爆者たちの老い…163 | ||
| 9 | 改めて心の被害とは…181 | ||
| 10 | 旅のおわりは、旅のはじまり?…192 | ||
| おわりに 197 | |||
| 岩波現代文庫版のためのあとがき 207 | |||
| 解説「ヒバクシャの心の傷」をめぐって 栗原淑江 …211 | |||
| 被爆者の「心の被害研究」歴史と解説 | |||
止
ロバート・J.リフトン『ヒロシマを生き抜く(上・下) 精神史的考察』(岩波現代文庫、20090716)
内容
| (上) | |||
| 岩波現代文庫版への序文-被爆者の英知 はじめに-研究と研究者…1 証言を引用した被爆者の一覧…19 |
|||
| 第一章 広島…21 | |||
| 第二章 被爆体験…25 1 予感…26 2 死の洗礼…33 3 閉ざされた心-心理的閉め出し…51 4 生存者意識…58 |
|||
| 第三章 見えざる破壊…99 1 「疫病」…100 2 原爆神話…110 3 真空状態…142 4 悩み多き再生…155 |
|||
| 第四章 原爆症…177 1 深く傷ついた肉体…178 2 「原爆ノイローゼ」…205 3 呪われた肉体の町…226 4 医師と原爆症…258 |
|||
| 第五章 原爆を受けた人…285 1 被爆者であること…286 2 原爆の烙印…298 3 否定と克服…316 4 みせかけの保護(カウンターフィト・ナーチュランス)…336 5 死者との一体化…352 |
|||
| 第六章 原爆運動の指導者たち…367 1 英雄的な対応…370 2 信仰治療をする女性…378 3 宗教面の指導者…385 4 科学面の指導者…391 5 倫理面での指導者…398 6 「原爆一号」…405 7 原爆熱狂聖者…419 |
|||
| (下) | |||
| 第七章 解けやらぬ葛藤-信頼、平和、そして克服…1 1 相争う二つの要素…2 2 原爆記念…34 3 平和の諸次元…72 4 広島と長崎―それぞれに「固有な」原爆以後の行動…103 |
|||
| 第八章 アメリカ認識…123 1 被爆と被爆後…124 2 その後のアメリカの代弁者…155 3 モルモット…174 4 出しゃばりなアメリカ人…199 |
|||
| 第九章 精神的再形成(フォーミュレーション)・自己と世界…223 1 二つの型-無抵抗と使命感…227 2 否定性、無、及びそれらを越えるもの…262 |
|||
| 第十章 生存者…281 1 死の刻印…283 2 死に対する罪意識…301 3 精神的麻痺…326 4 保護(ナーチュランス)と伝染…349 5 精神的再形成(フォーミュレーション)…381 6 生存者の世界…413 |
|||
| 訳者あとがき…419 | |||
| 解説 田中利幸…427 | |||
| 注 事項索引 人名索引 |
|||
止
資料年表:麻生太郎
| 年月日 | |||
| 1940 | |||
| 0920 | 誕生 | ||
| 2006 | |||
| 1017 | 麻生太郎外相、衆院安全保障委員会で、日本の核保有論議についてタブー視すべきでないとの考えを示す。 | C | |
| 2007 | |||
| 0610 | 麻生太郎『とてつもない日本』(新潮新書、新潮社) | U | |
| 2008 | |||
| 1105 | 麻生太郎首相、米大統領選で当選したオバマの核軍縮への強い熱意を示したことについて、「そんな簡単ではない」との冷めた見方をしめす。 | C | |
| 2009 | |||
| 0413 | 麻生太郎首相、自民党役員会で米国と連携して核廃絶に取り組む意向を伝える親書をオバマ米大統領に送る意向を明らかにする。 | C | |
| 0806 | 平成21年8月6日広島市原爆死没者慰霊式・平和祈念式 | ||
| あいさつ | |||
| 広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式に当たり、原子爆弾の犠牲となられた方々の御霊に対し、謹んで哀悼の意を捧げます。今なお、被爆の後遺症に苦しんでおられる方々に、心よりお見舞いを申し上げます。
六十四年前の今日、原子爆弾が、この地に投下され、幾万の尊い命が一瞬にして奪われ、多くの方々が傷つきました。美しい「水の都」、広島の街も焦土と化しました。 日本は、被爆の苦しみを知る唯一の被爆国であります。広島、長崎の悲劇を二度と繰り返さないためにも、国際平和の実現に向け、あらん限りの努力を傾けていかなければなりません。 我が国は、これまで十五年間にわたって、国連総会に核廃絶決議を提出してきました。こうした中で、昨今、米露両国は、核兵器の一層の削減を目指して交渉を進めております。G8のサミットでは、先月ラクイラにおいて、初めて、「核兵器のない世界」を宣言し、世界的な核軍縮・不拡散に関する気運の高まりを維持・強化するための力強いメッセージを表明しております。 そして本日、私は、改めて日本が、今後も非核三原則を堅持し、核兵器の廃絶と恒久平和の実現に向けて、国際社会の先頭に立っていくことをお誓い申し上げます。 被爆により、苦しんでおられる方々には、これまで保健、医療並びに福祉にわたる総合的な援護策を講じてまいりました。特に、原爆症の認定につきましては、できる限り多くの方々を認定するとの方針で臨んでおります。昨年四月からは、新たな方針に基づいて、約四千人の方を認定いたしましたが、その後の司法判断を踏まえ、対象を拡大いたしました。 結びに、犠牲となられた方々の御冥福と、被爆された方々並びに御遺族の皆様の今後の御多幸、そして広島市の一層の発展を心よりお祈り申し上げ、私のあいさつとさせていただきます。 平成二十一年八月六日 内閣総理大臣 麻生太郎 |
|||
| 広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式あいさつ | |||
| 0809 | 長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典あいさつ | ||
| 長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典に臨み、原子爆弾の犠牲となられた方々の御霊に対し、謹んで哀悼の意を捧げます。今なお、被爆の後遺症に苦しんでおられる方々に、心よりお見舞いを申し上げます。
六十四年前、長崎の方々は、この地に投下された原子爆弾によって、筆舌に尽くしがたい苦しみを経験されました。七万ともいわれる尊い生命が、一瞬にして失われました。一命をとりとめた方も、いやすことのできない傷跡を残すこととなられました。今、日本の平和と繁栄を振り返る時に、尊い犠牲があったことを決して忘れることはできません。 日本は、被爆の苦しみを知る唯一の被爆国であります。広島、長崎の悲劇を二度と繰り返さないためにも、国際平和の実現に向け、あらん限りの努力を傾けていかなければならないと存じます。 我が国は、これまで十五年間にわたって、国連総会に核廃絶決議を提出してきました。こうした中で、昨今、米露両国は、核兵器の一層の削減を目指して交渉を進めております。G8のサミットでは、先月、ラクイラにおいて、初めて、「核兵器のない世界」に言及し、世界的な核軍縮・不拡散に関する気運の高まりを維持・強化するための力強いメッセージを表明をいたしております。 そして、本日、私は、改めて日本が、今後も非核三原則を堅持し、核兵器の廃絶と恒久平和の実現に向け、国際社会の先頭に立っていくことを、改めてお誓い申し上げます。 被爆により、苦しんでおられる方々には、これまで保健、医療、福祉にわたる総合的な援護策を講じてまいりました。今回、原爆症の集団訴訟につきましては、原告の方々がご高齢でもあられること、また長きにわたり訴訟にたずさわってこられたことなどに鑑み、私は、新たな方針を決断しております。極めて異例な対応でありますが、一審で勝訴した原告の方々について、「国は控訴を取り下げることにより、原爆症と認定すること」を柱とする内容で、先日、合意をいたしました。原告団は、これをもって、集団訴訟を終結させることとなり、こうした合意に至ったことは、誠に喜ばしいことと考えております。 また、原爆症の認定を待っておられる方々に関しては、これまでも、できる限り多くの方々を、認定するとの方針で、臨んでまいりました。昨年四月からは、新たな方針に基づいて、約四千人の方々を認定いたしましたが、その後の司法判断を踏まえ、本年六月にさらに対象を拡大いたしております。今後とも、新たな認定基準に基づき、できる限り迅速な認定に努めてまいりたいと考えております。 また、昨年、在外被爆者の方々の被爆者健康手帳を容易に取得できるよう、改正被爆者援護法が施行されております。今後とも、多くの方々を援護できるように、引き続き、取組みを進めてまいります。 結びに、犠牲となられた方々の御冥福と、被爆された方々並びに御遺族の皆様の今後の御多幸、そして長崎市の一層の発展を心より祈念申し上げ、私のあいさつとさせていただきます。 |
|||
| 長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典に臨み、原子爆弾の犠牲となられた方々の御霊に対し、謹んで哀悼の意を捧げます。今なお、被爆の後遺症に苦しんでおられる方々に、心よりお見舞いを申し上げます。
六十四年前、長崎の方々は、この地に投下された原子爆弾によって、筆舌に尽くしがたい苦しみを経験されました。七万ともいわれる尊い生命が、一瞬にして失われました。一命をとりとめた方も、いやすことのできない傷跡を残すこととなられました。今、日本の平和と繁栄を振り返る時に、尊い犠牲があったことを決して忘れることはできません。 日本は、被爆の苦しみを知る唯一の被爆国であります。広島、長崎の悲劇を二度と繰り返さないためにも、国際平和の実現に向け、あらん限りの努力を傾けていかなければならないと存じます。 我が国は、これまで十五年間にわたって、国連総会に核廃絶決議を提出してきました。こうした中で、昨今、米露両国は、核兵器の一層の削減を目指して交渉を進めております。G8のサミットでは、先月、ラクイラにおいて、初めて、「核兵器のない世界」に言及し、世界的な核軍縮・不拡散に関する気運の高まりを維持・強化するための力強いメッセージを表明をいたしております。 そして、本日、私は、改めて日本が、今後も非核三原則を堅持し、核兵器の廃絶と恒久平和の実現に向け、国際社会の先頭に立っていくことを、改めてお誓い申し上げます。 被爆により、苦しんでおられる方々には、これまで保健、医療、福祉にわたる総合的な援護策を講じてまいりました。今回、原爆症の集団訴訟につきましては、原告の方々がご高齢でもあられること、また長きにわたり訴訟にたずさわってこられたことなどに鑑み、私は、新たな方針を決断しております。極めて異例な対応でありますが、一審で勝訴した原告の方々について、「国は控訴を取り下げることにより、原爆症と認定すること」を柱とする内容で、先日、合意をいたしました。原告団は、これをもって、集団訴訟を終結させることとなり、こうした合意に至ったことは、誠に喜ばしいことと考えております。 また、原爆症の認定を待っておられる方々に関しては、これまでも、できる限り多くの方々を、認定するとの方針で、臨んでまいりました。昨年四月からは、新たな方針に基づいて、約四千人の方々を認定いたしましたが、その後の司法判断を踏まえ、本年六月にさらに対象を拡大いたしております。今後とも、新たな認定基準に基づき、できる限り迅速な認定に努めてまいりたいと考えております。 また、昨年、在外被爆者の方々の被爆者健康手帳を容易に取得できるよう、改正被爆者援護法が施行されております。今後とも、多くの方々を援護できるように、引き続き、取組みを進めてまいります。 結びに、犠牲となられた方々の御冥福と、被爆された方々並びに御遺族の皆様の今後の御多幸、そして長崎市の一層の発展を心より祈念申し上げ、私のあいさつとさせていただきます。 平成二十一年八月九日 内閣総理大臣 麻生太郎 |
|||
| <作業中> | |||
止
資料年表:渡辺浩(わたなべ・ゆたか)
| 年月日 | ||
| 1930 | ||
| ** | 長崎(築町)で誕生。 | |
| 1945 | ||
| 0809 | 長崎で原爆被爆。15歳、長崎県立長崎中学校3年生。 | |
| 1953 | ||
| **** | 早稲田大学第一文学部卒業。 | |
| 2002 | ||
| 1120 | 渡辺浩『15歳のナガサキ原爆』(岩波ジュニア新書) | |
| 目次 はじめに 1 ナガサキを知っていますか 1 2 小国民と戦艦「武蔵」 15 3 戦争している国の中学生 29 4 一九四五年八月九日 53 5 われわれの8・9 91 6 爆心地を越えて 107 7 再び爆心地へ 121 8 ナガサキ・ディ・アフター 141 おわりに―二十一世紀を生きていく人たちへのお願い 173 原爆被害地図・長崎市街地図・広域図 |
||
| 2025 | ||
| 0428 | 『毎日新聞』(2025/4/28 朝刊文化面) | |
| <未来への轍(わだち)>原爆をいかに語り継ぐ 悲惨と「許し」、映画の力で | ||
止
『花の幻 続・平和を作る人たち』(安藝基雄<安芸基雄>著、みすず書房、19850826)<作業中>
内容
| 部 | |||
| 序 1 | |||
| 1 | |||
| 1 | 軍隊からの手紙 | ||
| 1.満洲から 11 2.シベリアから 18 |
|||
| 2 | 弟への告別 22 | ||
| 3 | 学生時代の事ども 39 | ||
| 1.後藤豊氏のこと 40 2.崎山美文氏のこと 44 3.山中湖畔清書講習会のこと 48 4.川西瑞夫氏のこと 50 5.広瀬嘉信氏のこと 58 6.増田繁雄氏のこと 62 7.徴兵の問題 65 |
|||
| 4 | 般若心経と母 68 | ||
| 1.8・15の心経 70 2.終戦記念日に 78 3.女性の強さについて 81 |
|||
| 5 | シベリアの戦友たち 86 | ||
| 6 | 歴史と現代 96 | ||
| 1.クローチェとトインビーの歴史観 96 2.韓国のこと 104 3.中国のこと 115 4.民主主義と議会 121 5.再度自衛隊について 127 6.老子の戦争観 135 |
|||
| 7 | 非戦論の系譜 139 | ||
| 1.仏教の沈滞 139 2.日蓮宗不受不施派 142 3.大逆事件 148 4.法華宗義綱要事件 150 5.新興仏教青年同盟と妹尾義郎 152 6.「弓箭の家業」と「往生の素意」 160 7.内村鑑三と日蓮 168 8.クェイカーと日本 170 9.ドゥホボール教徒 174 10.非暴力と暴力 176 |
|||
| 8 | ガンディーと戦争 180 | ||
| 1.ボーア戦争とガンディー 180 2.内村鑑三の批判 181 3.畏れなき心 186 |
|||
| 9 | 受難と信仰 190 | ||
| 1.災難を免れる道、受ける道 190 2.信仰の論理 196 3.無神論者の弁 199 |
|||
| 10 | 核戦争と安楽死 203 | ||
| 1.核シェルター 203 2.イギリスから 206 3.アメリカから 208 4.予知予告できない事態 209 5.安楽死是非 211 |
|||
| 11 | ヒロシマ・ノート 214 | ||
| 1.市長の死 216 2.一原爆体験者の証言 223 3.日本の対応 232 4.アメリカの対応 237 5.ジュノーとバーチェットの対応 253 6.欺瞞か真実か 263 7.禁じられなかった出版 266 8.花の幻 271 9.パスカルの賭け 276 10.罪過のある者 279 11.戦争の犠牲 281 12.歴史の教訓と預書 289 |
|||
| 12 | 結語 305 | ||
| 2 | |||
| 1 | 平和の代償(内村鑑三記念講演)319 | ||
| 2 | 塚本先生と私(塚本先生記念講演)345 | ||
止
『平和を作る人たち』(安藝基雄<安芸基雄>著、みすず書房、19840115)
内容
| 部 | |||
| 序 1 | |||
| 1 | 私の体験 | ||
| 2 | 学生時代のこと 21 | ||
| 1.小・中学校 21 2.亡き兄 俊雄 25 3.浪人生活へ 29 4.増田氏のこと 32 |
|||
| 3 | 学生と徴兵 44 | ||
| 4 | 国境守備隊にて 57 | ||
| 1.関東軍 57 2.伝染病補備教育と関東軍防疫給水部 65 3.日ソ開戦 75 4.勃利街道にて 79 5.当てなき行軍 86 6.武装解除と勝者の軍規 91 |
|||
| 5 | 拉古収容所にて 96 | ||
| 6 | シベリアにて 104 | ||
| 1.野口孝国氏との邂逅 104 2.給食問題 108 3.駅長夫人 111 4.佐藤氏のこと 121 5.追いかけられた軍医 134 6.社会教育 138 7.作業遂行と医務室 141 8.贈賄と収賄 144 9.脱走計画 150 10.政治部の審問 152 11.懲罰大隊 158 12.反ユデンコ闘争 163 13.大衆裁判とその弁護 168 14.駅長夫人との再会 173 15.民主運動の変貌 176 |
|||
| 7 | 占領下の日本 185 | ||
| 1.復員 185 2.母のことども 192 3.学生運動の左傾化と矢内原先生 204 4.モリヤの山 207 |
|||
| 8 | 沖縄問題と矢内原東京大学総長 211 | ||
| 9 | 棄民政策の現実(満洲と沖縄)218 | ||
| 10 | 警察予備隊と自衛隊 228 | ||
| 11 | 日米安全保障条約とアメリカ 235 | ||
| 12 | 専守防衛の欺瞞 245 | ||
| 13 | リア王の幻影とレジスタンス 250 | ||
| 14 | 偽りの民族主義と非暴力の精神 264 | ||
| 15 | 結語、平和への道 287 | ||
| 2 | 平和を作る人たち | ||
| 1 | 西郷頼母 303 | ||
| 2 | ヨハナン・ベン・ザカイ 311 | ||
| 3 | マーチン・ルーサ・キング 316 | ||
止
『語りつぐべきこと 二つの世紀をつなぐもの 沢地久枝対話集 同時代ライブラリー74』(沢地久枝、岩波書店、19910715)
内容
| 頁 | ||
| 001 | 住井すゑ<え> | 女たちが地球をまもる |
| 047 | 松本重治 | 昭和史をふりかえる |
| 089 | 丸岡秀子 | 苦労を泣かせるな |
| 143 | 伊達秋雄 | 法律家の良心とは |
| 179 | 山本安英 | 幕間の時と人 |
| 215 | 佐藤忠良 | 子供たちへの願い |
| 255 | 丸木位里・丸木俊 | じじばばのひとこと |
| 303 | 沢地久枝 | あとがき |
| 310 | 沢地久枝 | あなたの手へ―同時代ライブラリー版に寄せて |
止
『もうひとつのヒロシマ ドキュメント中国新聞社被爆 現代教養文庫』(御田重宝、社会思想社、19870815)
| 章 | |||
| まえがき | |||
| 1 | 長い一日…15 | ||
| 7時9分B29接近/朝は静かになったが/疎開作業へ社員出動/3カ所へ天候観測機/B29、福山湾へ向かう/運命分けた朝の行動/警報発令に参謀迷う/落下傘目撃後に閃光/ニジとともに原子雲/瞬間、1万度の高熱が/信じられぬ現象続々/飛散物を伴い〃黒い雨μ/火球、中国新聞を襲う/惨状にわが目を疑う/郊外へ続く半裸の列/義勇隊員の大半即死/古材の下敷きで焼死/炎の中で同僚と握手/一瞬周囲が暗やみに/ぼう然と火災見送る/わが子は家の下敷き/社員の連絡所へ急ぐ/火災くぐり杜目指す/杜はすでに火だるま/3人、肩抱き合い避難/自宅は被爆者で満員/荷車に二人乗せ歩く/警報の度に軍司令部へ/写真を…報道班員直感/撮影に20分ためらう/3枚目は涙で撮れず/マッチ爆弾かと疑う/世界初の〃原爆写真”/高熱…社内に入れず/「音のない世界」体験/京橋川船上で黒い雨/一挙に社員113人失う/市内に入り直後に大雨/単身炎の街突っ切る/やけど押し杜へ走る/一枚の布団で命拾い/中央放送局も犠牲に/勤務交代前、警報ベル/警報を放送中に爆風 | |||
| 2 | 原爆第一報…109 | ||
| 現在もなおあいまい/焼却された軍機書類/「8時30分」には疑問/呉鎮守府から調査隊/特殊爆弾の疑念わく/全滅…指揮能力失う/暗号打電翻訳遅れる/新聞発表は7日午後/四国・九州・福山に連絡/9時過ぎ「全滅」の連絡/自転車で広島へ急ぐ/入市やめ原放送所へ/岡山の局と連絡つく/「死者およそ17万人…」/「大げさでは」疑う軍部/船を雇い広島市入り/両岸、救援叫ぶ被爆者/日発「搬送電話」を利用/出張で被爆、惨状報告/軍管区司令部も潰滅/縮景園に火勢広がる/8時20分過ぎに発信/7日未明に新聞発表 | |||
| 3 | 再建への鼓動…155 | ||
| 「社員と家族を救え」/トップの苦しさ自覚/代行印刷依頼に奔走/総監府通じ代行依頼/船舶司令部通じ連絡/印刷機能壊滅を確認/軍通じ代行印刷打電/臨時県庁で情報収集/人材喪失、印刷に痛手/応召の編集局長不明/カギを握る朝礼時刻/つかめぬ中尉の行動/緊張の作戦室で徹夜/当直済ませて自室へ?/庁舎で仮眠中、被爆か/夫人先頭に市中捜索/悲壮感漂う”再建本部”/社員の容体を案じる/幹部、相次ぎ被爆死/支社局から次々応援/尾道港で「壊滅」聞く/救援トラックに便乗/尾道に戻り救援活動/トラック〃徴発”救援へ/被爆者に乾パソ配る/被爆者乗せ救護所へ/「知事布告を報道せよ」/「布告」が報道第1号に/焼け残った部屋発見/民心の安定へ口伝隊/道路わきに死体の山/被爆米兵捕虜を目撃/避難阻まれ被爆死も/即死まぬがれたが…/切れた新聞社専用線/電話線ほとんど壊滅/陸軍主導で原爆隠し/「ピカドン」呼称広まる/軍部に「硫酸爆弾」説も/「爆心は護国神社上空」/ラジオ・ゾンデ発見/陸軍・大本営も調査隊/「ト声明」に仁科氏衝撃/「原爆」と正式に認める | |||
| 4 | 原爆の投下責任 | ||
| ツダム宣言を”黙殺”/ソ連参戦の報届かず/アイクは使用に反対/ソ連参戦防止を狙う?/「東西冷戦」絡み?作戦/宣言受諾条件で紛糾/海相、外相は降伏主張/閣議に長崎被爆の報/ポ宣言の受諾決まる/スイスなど通じ公電/軍主戦派と押し問答/10日夜に「受諾」放送/海外へは・受諾流れる/陸相布告掲載を強要/和平派殺害の計画も/「国体護持」を米が論議/米回答文、12日に通達/米回答の翻訳で紛糾/米ソ対立が引き金/終戦引き延ばしが致命/御前会議で終戦決定/天皇自ら詔書ご加筆/14日、全国へ「内密電」/録音盤から天皇の声/使節団、マ司令部へ/米側、厚木入りを通告/マ元帥迎える星条旗/占領軍批判はタブー | |||
| 5 | 輪転機を回せ…285 | ||
| 9日、代行印刷紙届く/疎開機器の整備急ぐ/川手牧場と疎開交渉/二県一紙」で重い責任/増加部数印刷に苦慮/温品移転やっと軌道/社員自ら組み立ても/新聞資材も分散疎開/20日ごろ工場へ送電?/20~30人集まり再出発/突貫工事、工場建てる/9月3日付から印刷/壁新聞用紙は軍提供/地下壕の紙役立つ/温品ではテント生活/代行紙、二駅で仕分け/「新聞復興に死力注ぐ」/「あの日」胸に社員連帯/各紙に「70年不毛説」/不毛説を医学者否定/悪戦苦闘…損紙の山/新聞見て社員”出一社”/調子上がらぬ試運転/苦労した「紙型」取り/太陽光線で写真製一版/活字は捨てず再使用/社報でも原爆の特集/再建へ意欲みたぎる/復員姿で社屋に直行/復員の日、温品印刷成功/分担超え紙面に情熱/米人記者と一問一答/原爆症に医学界混乱/医学論文の公表禁止/社の動き「日誌」に克明/10月26日に採用試験/「米兵の犯罪」を報道/「同盟」に業務停止命令/「同盟」が自主解散通告/検閲受け送信再開へ/声高に「平等」を否定/厳しい事前検閲開始/客観報道促す一も/GHQ、混乱する路線/23年12月に検閲全廃 | |||
| 6 | またも試練が…371 | ||
| 枕崎台風が広島直撃/「不毛説」弱めた台風/〃温品版”最後の報道に/輪転機は被害免れる/温品工場の機能マヒ/流川での再建を決意/代行印刷、朝日へ依頼/自力再生を迫られる/全社一丸で題字守る/代行印刷、西部毎日も/京大の 査班も被災/訃報、3日後に京都へ/被爆調査資料も失う/100人が本社ビル清掃/温品の輪転機を解体/東洋工業が技術協力/「復興資材部」を設置/資材払い下げに奔走/移転の前日に慰霊祭/撤回された発禁処分/天皇会見で特報発行/「戦争責任」で陛下回答/本社員幽人でスタート/ガス会社に鋳造機搬入/バタンコで活字運ぶ/復興財団に資材依頼/「特報中国新聞」に改題/巻き取り紙捨てられる/米軍進駐のとばっちり/社員総出で搬入作業/巻き取り紙に無情の雨/進駐軍用に慰安施設/用紙収容に米軍協力/マツタケ狩りで一息/「共販制」16年末に発足/連盟に情報局が圧力/一県一紙体制を強行/「相互援助」で発行継続/25年まで共販制存続 | |||
| 7 | うなる輪転機…445 | ||
| 東洋工の技師が視察/社長同士で移設契約/杜長が訪れ運搬依頼/人使いのよさ見込まれ/運搬方法に知恵絞る/馬車使い本社へ運搬/難題だった定盤輸送/まくら木で道直し運搬/悪路のうえ雨までも/横転防止へ24人〃伴走”/午前4時に本社到着/組み立て班、泊まり込み/11月5日「流川第1号」/東洋工業に一二〇〇円謝礼/本杜体制作りも着々/11月1日、新体制発足/進駐軍検閲係が来社/進駐軍の検閲を報道/板張り編集局に熱気/自力発行に緊張・興奮/裸電球の下鉛版セット/労苦報われ社員歓声/復興ぶり克明に報告/衣食住の補給訴える/建設目標は1日100戸/苦難越え原爆報道貫く年表一新聞・言論関係/原子爆弾関係/国内、戦争関係…492 | |||
| あとがき…503 | |||
| 著者あとがき…505 | |||
| <中国新聞社の被爆40周年紙面企画「もう一つのヒロシマ」を集成(連載期間:昭和59年7月1日から60年3月23日)> | |||
止
資料年表:朝長万左男<作業中>
| 年月日 | |||
| 1971 | |||
| 1201 | 『原爆後障害研究会広島シンポジウム講演集 第12回』 | ||
| 一般講演 被爆者検診を中心とした慢性骨髄性白血病の早期発見例について 松本吉弘・冨安孝則・朝長万左男・武藤一己 57 |
|||
| 1988 | |||
| 0401 | 『原子爆弾後障害研究会講演集 第28回』(広島原爆障害対策協議会) | ||
| 5.原爆被爆者に発生した白血病の診断と病型分類の再検討 第4報.広島、長崎両市のまとめ 朝長万左男 他 160(498) | |||
| 1996 | |||
| 0401 | 『原子爆弾後障害研究会講演集 第36回 』(広島原爆障害対策協議会編 、広島原爆障害対策協議会 ) | ||
| 被爆50周年-そのあゆみと将来の展望 1 3.放射線障害研究:これまでの知見と将来展望 朝長万左男 22 |
|||
| 0415 | 『夏雲の丘 病窓の被爆医師』 (山下昭子著、長崎新聞社・長崎文献社) | ||
| 秋月先生を語るインタビューと寄稿 朝長万左男さん(長崎大学医学部教授) 108 |
|||
| 1130 | 『長崎医科大学原爆記録集 第三巻 』(長崎医科大学原爆記録集編集委員会編、長崎大学医学部原爆復興五十周年医学同窓記念事業会) | ||
| 2000 | |||
| 1124 | 『長崎平和研究 第10号』(長崎平和研究所) | ||
| ■核兵器廃絶・地球市民集会ナガサキ/プレ集会記録 「核兵器廃絶と市民の役割」 65 第2部:シンポジウム・総合討論 83 (コーディネーター)朝長万左男(パネリスト)土山秀夫ほか各海外ゲスト |
|||
| 2001 | |||
| 0331 | 『 核兵器廃絶 地球市民集会ナガサキ 報告書』( 核兵器廃絶地球市民長崎集会実行委員会) | ||
| 分科会 非核地帯と核の傘 朝長万左男 85 |
|||
| 1010 | 『証言-ヒロシマ・ナガサキの声2001 』(長崎の証言の会) | ||
| 〔証言二〇〇一座談会〕核兵器廃絶を迫る長崎の役割は何か長崎の証言の会 28 〔出席者〕内田伯・朝長万左男・船山忠弘・築城昭平・吉山秀子・平野伸人・広瀬方人・鎌田定夫・(司会)濱崎均(記録・整理)本多初恵 |
|||
| 1120 | 『長崎平和研究 第12号』(長崎平和研究所) | ||
| 対話/ICJ勧告的意見とその今日的意義・核廃絶への道と市民の役割…42 C・G・ウィラマントリー/朝長万左男/中村尚達/(コーディネーター)鎌田定夫 |
|||
| 2004 | |||
| 0501 | 『原子爆弾後障害研究会講演集 第44回 』(広島原爆障害対策協議会) | ||
| シンポジウム 新世紀の緊急被ばく医学 2.放射線障害と造血幹細胞移植…朝長万左男 13 |
|||
| 1030 | 『長崎平和研究 第18号』(長崎平和研究所) | ||
| インド・パキスタンの信頼醸成のためのセミナーに参加して/朝長万左男…109 | |||
| 2006 | |||
| 0430 | 『長崎平和研究 第21号』(長崎平和研究所) | ||
| 第55回パグウォッシュ会議年次大会報告/朝長万左男 31 〔日本平和学会2005年秋季研究集会報告より〕 |
|||
| 0630 | 『大量虐殺 死-絶望-脱出』エルネスト・カーン, 多喜百合子著 日本図書センター | ||
| 序文 Ernesto Kahan・Taki Yurikoの合作叙事詩の啓示 /朝長万左男 4 | |||
| 1001 | 『証言-ヒロシマ・ナガサキの声2006 』(長崎の証言の会) | ||
| 追悼・秋月辰一郎さん /医師秋月辰一郎先生の横顔 朝長万左男 |
|||
| 2009 | |||
| 0120 | 『ナガサキから平和学する!』(高橋眞司・舟越耿一編 法律文化社) | ||
| 第Ⅱ部 長崎原爆と長崎の被爆者 第4章 長崎の原爆被害―朝長万左男 41 ―その身体的・心理的被害 |
|||
| 2010 | |||
| 0601 | 『原子爆弾後障害研究会講演集 第50回』(広島原爆障害対策協議会) | ||
| シンポジウム1 「被爆者白血病研究の新展開」 1-1.被爆者白血病(造血器腫瘍)研究の新展開 朝長万左男 29 |
|||
| 1001 | 『証言-ヒロシマ・ナガサキの声2010 』(長崎の証言の会) | ||
| 特集 核のない世界への道 原爆の人体影響はなぜ今も続くのか―すすむ原因究明―…朝長万左男…25 |
|||
| 2013 | |||
| 18 証言-ヒロシマ・ナガサキの声2013 長崎の証言の会編 長崎の証言の会 2013/10/01 | |||
| 2014 | |||
| 1031 | 19 証言-ナガサキ・ヒロシマの声2014 長崎の証言の会編 長崎の証言の会 | ||
| 2015 | |||
| 0606 | 20 語りつぐナガサキ 原爆投下から70年の夏 創価学会長崎平和委員会編 第三文明社 | ||
| 0607 | 21 原子爆弾後障害研究会 第56回 平成27年 広島原爆障害対策協議会 | ||
| 2017 | |||
| 1001 | 22 証言-ナガサキ・ヒロシマの声2017 長崎の証言の会 | ||
| 2018 | |||
| 1015 | 23 証言-ナガサキ・ヒロシマの声2018 長崎の証言の会 | ||
| 2019 | |||
| 0301 | 24 核兵器のない世界をめざして 平成30年度核兵器廃絶市民講座報告書 核兵器廃絶長崎連絡協議会 | ||
| 2020 | |||
| 0701 | 25 核のない未来を! ヒロシマから世界へ 届けよう核被害者の声を! 世界核被害者フォーラム実行委員会 | ||
| 2021 | |||
| 0101 | 26 赤十字国際レビュー 核兵器:人類が払う代償 赤十字国際委員会駐日代表部(ICRC) | ||
| 0831 | 27 原爆後の75年 長崎の記憶と記録をたどる 長崎原爆の戦後史をのこす会編 書肆九十九 | ||
| 2022 | |||
| 1215 | 28 証言-ナガサキ・ヒロシマの声2022 長崎の証言の会 | ||
| 2023 | |||
| 0830 | 29 永井隆全集 第4巻 書画集 永井隆著、永井徳三郎監修 サンパウロ | ||
| 1031 | 30 証言-ナガサキ・ヒロシマの声2023 長崎の証言の会 | ||
止
資料年表:田川清光
| 年月日 | |||
| 1971 | |||
| 0630 | 『炎の中から-被爆衛生兵の証言』(田川清光著、長崎の証言刊行委員会、19710630) | ||
| **** | 『稲佐山物語』 | ||
| 1996 | |||
| 1003 | 田川 清光(77)私の被爆ノート 地獄を垣間見た(『長崎新聞』) | ||
止
資料年表:美輪明宏(みわ・あきひろ)
| 年月日 | 事項 | メモ |
| 1935 | ||
| 0515 | 長崎市で誕生。寺田臣吾。 | |
| 1945 | ||
| 0809 | 長崎市の自宅で被爆。 | |
| 『あの日 昭和20年の記憶 終戦60年企画 下』(NHK「あの日 昭和20年の記憶」取材班著、日本放送出版協会、20060320) | ||
| <シャンソン歌手・俳優 当時10歳・長崎原爆に遭う> | ||
止
資料年表:阿部静子<作業中>
| 年月日 | 事項 | ||
| 1927 | |||
| 0222 | 広島県安芸郡奥海田村(現・海田町)に生まれる。 | ||
| 2024 | |||
| 1231 | 『被爆者 安部静子は語る―悲しみに苦しみに 生きていてよかった』(安部静子+「ヒロシマ通信」研究会) | ||
| 2025 | |||
| 0213 | 差別に苦しみながら…97歳の被爆者の半生綴った本出版「被爆者・阿部静子は語る」日本被団協設立に尽力<tssテレビ新広島 広島ニュースTSS> | ||
止
資料年表:石田雅子<作業中>
| 年月日 | |||
| 1931 | |||
| **** | 誕生 | ||
| 1945 | |||
| 0809 | 学徒動員で働いていた三菱兵器大橋工場で被爆。 | ||
| 1949 | |||
| 0220 | 『長崎原子爆弾記 雅子斃れず』(婦人タイムズ社) | ||
| 0810 | 『雅子斃れず』(表現社) | ||
| 原爆地写真集 永井博士より著者への手紙 序にかえて 永井隆 第1部 運命の日 19 雅子たおれず 42 原子この闘い 63 新生 75 第2部 あの日より一年 95 父の贈りもの 99 芍薬 118 目を病む 121 永井博士を訪ねて 130 深堀少年と平さん 143 みどりの長崎 155 第3部 -父の思い出- その日の朝 161 我が子帰らず 168 奇跡の生還 175 病む頃 180 長崎を離れて 189 爆心地を行く 194 |
|||
| 1952 | |||
| 0405 | 『永井博士を憶う』(如己堂会編、中央出版社) | ||
| 石田雅子「 芍藥の花」158 | |||
| 1991 | |||
| 0525 | 『日本の原爆記録2 長崎の鐘 マニラの悲劇、長崎精機原子爆弾記、雅子斃れず 長崎原子爆弾』(家永三郎・小田切秀雄・黒古一夫、日本図書センター) | ||
| 1995 | |||
| 0610 | 『デルタの記』(暮しの手帖編集部編、暮しの手帖社) | ||
| 雅子たおれず…石田雅子 30 | |||
| 2010 | |||
| 0815 | 『長崎・そのときの被爆少女 : 六五年目の「雅子斃れず」』(横手一彦編著、時事通信出版局、時事通信社(発売)) | ||
| 2014 | |||
| 0625 | 『雅子斃れず 長崎原子爆弾記 平和文庫』(石田雅子著、日本ブックエース、日本図書センター(発売)) | ||
| 09 | 『(ナガサキノート)「雅子斃れず」 検閲を越えて』 (『朝日新聞』2014年9月日) |
||
資料年表:副島まち子
| 年月日 | 事項 | メモ |
| **** | ||
| 誕生 | ||
| 1931 | ||
| 03 | 山脇高女(東京)卒 | |
| 1934 | ||
| 06 | 副島吉雄と結婚。 | |
| 1945 | ||
| 0806 | 広島市南千田町で原爆被爆。当時妊娠10か月。8月19日、男児を出産。 | |
| 1950 | ||
| **** | 芦屋あすなろ友の会に参加 | |
| 1955 | ||
| 08 | 広島市で開催の原水爆禁止世界大会に「芦屋あすなろ友の会」・兵庫県代表として参加。 | |
| 08 | 広島から帰り、報告大会で一円募金を提唱、みずから開始。 | |
| 1956 | ||
| 08 | 被爆者代表として長崎大会に参加。 | |
| 1125 | 副島まち子『あの日から今もなお-母のヒロシマ原爆戦史』(東都書房)。 | |
| 同上書帯 奥むめお(主婦連合会会長・参議院議員)「この本を読んで」、平林たい子(作家)「恐怖を見つめた母の眼」 | ||
| 1125 | 「兵庫県原爆被害者の会」結成総会、神戸市の県遺族会館で開催(約50人参加)。被爆者援護法制定促進を確認。(『中国新聞』19561125) | |
| 1965 | ||
| 0920 | 『原水爆禁止世界大会報告決定集 被爆20周年』(被爆20周年原水爆禁止世界大会実行委員会 19650920)自由討論 「被爆者の実相を世界へ」 日本代表・副島まち子 127 | |
| 1972 | ||
| 0808 | 副島吉雄( 芦屋市松浜町の大阪大学名誉教授)、兵庫県に被爆二世のため小切手1,000万円を寄付。妻まちら家族5人が被爆。(『中国新聞』) | |
| ? | 「日本原水爆被害者団体協議会兵庫県理事」。 | |
| 。 | ||
| 2015 | ||
| 0302 | 伝えるヒロシマ 被爆70年 紙碑<6>「あの日から今もなお」 1956年刊 廃墟に「力強い産声」(『中国新聞』) | |
止
『あの日 昭和20年の記憶 終戦60年企画 下』( NHK「あの日 昭和20年の記憶」取材班、日本放送出版協会、20060320)
<作業中>
| 月 | ||
| 日本を変えたあの年 後篇 半藤一利 10 | ||
| 6 | 昭和20年6月 20 | |
| 1日 2日 3日 4日 5日 6日 7日 早乙女勝元(作家) 8日 9日 10日 11日 12日 13日 14日 15日 16日 17日 18日 19日 山崎朋子(当時13歳・広島 高等女学校2年生) 20日 21日 22日 23日 24日 25日 26日 27日 28日 29日 30日 31日 |
||
| 7 | 昭和20年7月 82 | |
| 1日 2日 3日 4日 5日 6日 7日 8日 9日 10日 11日 12日 13日 14日 15日 16日 17日 18日 19日 早乙女勝元(作家) 20日 21日 22日 23日 24日 新藤兼人(当時33歳、宝塚海軍航空隊一等水兵) 25日 26日 藤岡琢也(当時14歳・広島 陸軍幼年学校1年生) 27日 28日 29日 30日 31日 |
||
| 8 | 昭和20年8月 146 | |
| 1日 2日 3日 4日 5日 6日 平山郁夫(画家、当時15歳、広島 中学3年生) 7日 平山郁夫 8日 高橋玄洋(放送作家、当時16歳、海軍兵学校 1年生) 9日 美輪明宏(シャンソン歌手・俳優、当時10歳・長崎 原爆に遭う) 10日 阿川弘之(作家、当時24歳・中国 漢口の通信機関、海軍中尉) 11日 12日 13日 14日 15日 16日 17日 18日 19日 20日 21日 22日 23日 早坂暁(作家、当時16歳・山口 海軍兵学校防府分校から帰郷) 24日 25日 26日 栄久庵憲司(当時15歳・山口 海軍兵学校防府分校から復員) 27日 28日 29日 30日 31日 |
||
| 9 | 昭和20年9月 210 | |
| 1日 2日 3日 4日 5日 6日 7日 日野原重明(医師、当時33歳・東京 聖路加病院接収の対応に奔走) 8日 9日 10日 藤岡琢也(俳優当時15歳・姫路 復員し実家にいた) 11日 12日 13日 14日 15日 16日 17日 18日 19日 20日 21日 22日 宮沢喜一(元内閣総理大臣、当時25歳・東京 大蔵大臣秘書官) 23日 24日 25日 26日 27日 28日 29日 30日 |
||
| 10 | 昭和20年10月 272 | |
| 1日 2日 3日 4日 5日 6日 7日 8日 9日 10日 11日 12日 13日 14日 15日 16日 17日 18日 19日 20日 高橋玄洋(放送作家、当時16歳・広島県大崎下島、海軍兵学校から復員、親戚のミカン農園を手伝う) 21日 22日 23日 24日 25日 26日 27日 28日 29日 30日 31日 |
||
| 11 | 昭和20年11月 336 | |
| 1日 2日 3日 4日 5日 6日 7日 8日 9日 10日 11日 12日 13日 14日 15日 16日 17日 辻村寿三郎(人形師、当時11歳・広島県三次、国民ガ学校6年生) 18日 19日 20日 21日 22日 23日 24日 25日 26日 宮沢喜一 27日 28日 29日 30日 |
||
| 12 | 昭和20年12月 398 | |
| 1日 2日 3日 4日 5日 6日 7日 8日 9日 10日 11日 12日 13日 14日 15日 16日 17日 18日 19日 20日 21日 22日 23日 24日 25日 26日 27日 28日 29日 30日 31日 |
||
| さくいん 467 | ||
![]() |
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止
『あの日 昭和20年の記憶 終戦60年企画 上』( NHK「あの日 昭和20年の記憶」取材班、日本放送出版協会、20050730)
| 月 | ||
| 日本を変えたあの年 前篇 半藤一利 8 | ||
| 1 | 昭和20年1月 16 | |
| 1日 新藤兼人 2日 赤木春恵 3日 阿川弘之 4日 上坂冬子 5日 千玄室 6日 早坂暁 7日 野見山暁治 8日 丹波哲郎 9日 大村毘 10日 石井好子 11日 ちばてつや 12日 朝丘雪路 13日 関本忠弘 14日 羽仁進 15日 有馬稲子 16日 青島幸男 17日 江崎玲於奈 18日 佐藤忠男 19日 杉本苑子 20日 小田島雄志 21日 早乙女貢 22日 辻久子 23日 水木しげる 24日 半藤一利 25日 本島等 26日 日野原重明 27日 杉下茂 28日 服部公一 29日 岸朝子 30日 平山郁夫 31日 加藤芳郎 |
||
| 2 | 昭和20年2月 80 | |
| 1日 やなせたかし 2日 海老名香葉子 3日 松谷みよ子 4日 佐野浅夫 5日 三浦朱門 6日 澤地久枝 7日 塩田丸男 8日 冨田勲 9日 河合隼雄 10日 金子兜太 11日 久米明 12日 天野祐吉 13日 明石康 14日 織本順吉 15日 渡辺美佐子 16日 倉嶋厚 17日 坂上二郎 18日 野村万作 19日 田端義夫 20日 辻村寿三郎 21日 早乙女勝元 22日 松本零士 23日 赤木春恵 24日 神坂次郎 25日 童門冬二 26日 関根潤三 27日 道場六三郎 28日 北村和夫 |
||
| 3 | 昭和20年3月 138 | |
| 1日 二葉百合子 2日 田英夫 3日 畑正憲 4日 京唄子 5日 猿谷要 6日 池部良 7日 竹本住大夫 8日 岡田眞澄 9日 粟津則雄 10日 半藤一利 11日 日野原重明 12日 早乙女勝元 13日 海老名香葉子 14日 多湖輝 15日 藤本義一 16日 木村庄之助 17日 大村毘 18日 妹尾河童 19日 古橋廣之進 20日 財津一郎 21日 早坂暁 22日 山田太一 23日 安西篤子 24日 黒木和雄 25日 熊倉一雄 26日 黒川紀章 27日 正司歌江 28日 佐木隆三 29日 近藤富枝 30日 細江英公 31日 中島丈博 |
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| 4 | 昭和20年4月 202 | |
| 1日 大田昌秀 2日 登川誠仁 3日 ペギー葉山 4日 中里逢庵 5日 市田ひろみ 6日 赤瀬川隼 7日 堀田力 8日 梅原猛 9日 栄久庵憲司 10日 中村メイコ 11日 藤子不二雄A 12日 塩川正十郎 13日 野村万作 14日 千玄室 15日 児玉清 16日 羽田澄子 17日 佐野浅夫 18日 近藤芳美 19日 東松照明 20日 冨田勲 21日 安野光雅 22日 鈴木清順 23日 俵萌子 24日 宍戸錠 25日 藤岡琢也 26日 平良とみ 27日 桂由美 28日 船越義彰 29日 内海桂子 30日 山下惣一 |
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| 5 | 昭和20年5月 264 | |
| 1日 岡田茉莉子 2日 茂山千作 3日 新藤兼人 4日 多湖輝 5日 内藤武敏 6日 観世榮夫 7日 坂上二郎 8日 黒木和雄 9日 津本陽 10日 宮沢喜一 11日 馬場當 12日 笑福亭松之助 13日 川田正子 14日 小林亜星 15日 加賀乙彦 16日 本村つる 17日 上坂冬子 18日 熊倉一雄 19日 馬場あき子 20日 登川誠仁 21日 宝田明 22日 森村誠一 23日 林光 24日 松谷みよ子 25日 宗左近 26日 池坊専永 27日 関根潤三 28日 大田昌秀 29日 杉下茂 30日 織本順吉 31日 岩城宏之 |
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| あとがき 330 | ||
止