新婦人新聞 ヒロシマ・ナガサキ関連記事
年月日 | |||
2025 | |||
0614 | 戦後・被爆80年特設ページ開設 | ||
被爆者の体験生かすとき 宇吹暁 | |||
『木の葉のように焼かれて』第59号発行 | |||
<作業中> | |||
止
新婦人新聞 ヒロシマ・ナガサキ関連記事
年月日 | |||
2025 | |||
0614 | 戦後・被爆80年特設ページ開設 | ||
被爆者の体験生かすとき 宇吹暁 | |||
『木の葉のように焼かれて』第59号発行 | |||
<作業中> | |||
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『ひろしまを考える旅 新教新書』(日本YWCAひろしまを考える旅実行委員会、新教出版社、19830725)
内容
表紙絵ーケーテ・コルヴイッツ | |||
はじめに 3 | |||
<1971年、日本YWCAの強調点「核否定の立場に立つ」に基づき20名足らずで広島訪問。それから毎年「ひろしまを考える旅」。1974年から「中高生ひろしまを考える旅」、1982年21校60名に。1981年世界YWCAも支援あり、18か国YWCAから35名の青少年を迎え国際青年プログラムひろしまの旅、成人対象の「ながさきを考える旅」も> | |||
Ⅰ | 被爆体験を聞いて | ||
1 | 被爆者との出会い 10 | ||
2 | 死者に代わって語り継ぐ 14 | ||
3 | 今も続く戦後21 | ||
4 | 平和への決意27 | ||
Ⅱ | ひろしまの問題をさぐる | ||
1 | 被爆者の戦後34 | ||
2 | 二重の差別に苦しむ人びと50 | ||
3 | 軍都としてのひろしま60 | ||
4 | 朝鮮・韓国人被爆者77 | ||
5 | 世界の友と92 | ||
6 | 文学に描かれた原爆を追って102 | ||
7 | 核と人間124 | ||
Ⅲ | ひろしまに関わりつづけて | ||
1 | 大牟田稔 ひろしまを見ること154 | ||
2 | 関屋綾子 世界に連なるYWCAの一員として158 | ||
3 | 渡辺峯 小さい一人のために160 | ||
おわりに | |||
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恵の丘長崎原爆ホーム
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『清らかな鈴の音を 15年の歩みから』(特別養護老人ホーム清鈴園編、新教出版社、19870806)
内容
頁 | |||
003 | はしがき 深沢馨(清鈴園運動を支える会代表、日本基督教団廿日市教会牧師) | ||
009 | Ⅰ 清鈴園建設まで 杉原助 | ||
049 | Ⅱ 開園から15年 蛯江紀雄 | ||
069 | Ⅲ 私の被爆体験 | ||
1 入園者の被爆体験 | |||
2 家族・清鈴園職員の被爆体験 | |||
139 | Ⅳ ひろしま、清鈴園を訪ねて | ||
1 ひろしま、清鈴園を訪ねて | |||
2 ひろしま学習を迎えて | |||
167 | Ⅴ 今、ヒロシマから問う 金信煥 | ||
179 | Ⅵ <座談会>清鈴園の15年とその課題 | ||
<蛯江紀雄、杉原助、橋本栄一、深沢馨、若林節美、和田雅子> | |||
199 | 付録 | ||
第二次大戦下における日本基督教団の責任についての告白 | |||
201 | 被爆30年目の私たちの声明 | ||
204 | 図・原爆被害の概況 | ||
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『はらおぐさ 原小草 開園10周年記念特集』(清鈴園、19830701)
内容
部 | |||
序文 藤田祐 | |||
1 | 清鈴園10年の歩み 1 | ||
清鈴園建設運動メモ 杉原助 3 1.概要・清鈴園10年の歩み 8 2.生活の中から・私たちの語らい 35 特集I 5周年記念座談会 36 特集II おじいさん、おばあさんと呼ばれること 44 3.清鈴園を支える人々 50 清鈴園建設募金運動のはじめの日 橋本栄一 52 原爆故老訪問と清鈴園 佐田暁子 54 平和への祈りの中での奉仕活動 中田寿美恵 55 気負わず無理せず楽しみながら 土屋幸子 56 私たちの活動の芽となった清鈴園 一泰治 58 6年生になったら清鈴園に 尾仁良子 時数みどり 河端美樹 西中浩晃 60 4.処遇の足跡―私たちの思い― 62 主な研究発表 88 5.開園10周年記念事業 89 増改築事業概要・経過報告 90 在園生活10年の人たちの喜びの声 93 記念式次第 95 記念式に参加して 遠山こと 96 平面図 97 |
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2 | 鈴をならしつづけて 99 | ||
1.清鈴園の原爆記念集会の歩み 101 2.被爆を語る 108 修学旅行 広島の旅を終えて 有田彰子 早川陽子 131 3.清鈴園の課題を担って 135 |
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3 | 指針・論文 181 | ||
地域における老人福祉の拠点施設として 広島県民生 部長 元岡昭二 183 地域老人福祉のための一層貢献を 広島県社会福祉協議会長 安田巌 185 民間社会福祉活動の課題 三和治 188 キリスト教と社会福祉 阿部志郎 195 老人福祉の今後と老人ホームの課題 前田大作 198 老人ホームにおける処遇課題 根本博司 204 特別養護老人ホームにおけるグループワーク 浅野仁 210 ―その基本的考え方を中心として― 清鈴園10周年に寄せて 216 建設当時のこと 二神三男 216 「老い」との出合い 宮本秀夫 218 老人を温かくつつんで 若林節美 221 価値ある経験と学習は今や歴史となって L・H・トムソン 222 |
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4 | 資料 225 | ||
1.竣工・開園式・礼拝式次第 227 2.建設の経過報告 229 3.清鈴園竣工開園式に出席して 津久井敏夫 233 4.入退園者状況 235 5.法人組織図 238 6.清鈴園委員会 239 7.職員名簿 240 |
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あとがき 243 | |||
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『もういやだ 第3集 わが身焦がされてもなお』(長崎原爆青年乙女の会編、汐文社、19850809)
頁 | |||
谷口稜曄 | 発刊にあたって(原爆青年乙女の会会長) | ||
7 | 小旗幸三郎 | 悪夢の刻 | |
19 | 田中ウタノ | 悲しみはいつまでも | |
27 | 平山兼則 | 真夏の悪夢 | |
41 | 永富郁子 | 生命のある草 | |
49 | 永瀬和子 | 小学生の兄と二人残されて | |
57 | 小幡悦子 | 工場の二階から逆さ吊り | |
65 | 平田みち子 | 出産のたびに不安 | |
71 | 黒川正 | 俺たちがやらんば | |
85 | 片岡津代 | 青春を奪われて | |
97 | 山田拓民 | 被爆を背負って | |
105 | 谷口稜曄 | 被爆の証人として生きる-私の体を見てください | |
119 | 山口仙二 | あの日から-私の生きた日々 | |
143 | 下平作江 | 原子野に生きる | |
あとがき | |||
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『82原水禁』(82原水禁編集委員会編、十月社)
内容
章 | |||
詩 聞き書きの墓碑銘 小島力 | |||
1 | 米国の新核戦略と日本の平和 | ||
2 | 日米安保の対ソ核戦略 | ||
3 | 原子力発電をめぐる情勢と課題 | ||
4 | 原水禁運動の現状と今後の課題 | ||
5 | 前進する各地のたたかい | ||
(1)各基地化反対闘争(神奈川) | |||
(2)原発反対闘争(福島) | |||
(3)平和教育 | |||
(4)? | |||
(5)被爆二世運動(広島) | |||
被爆二世の顕在化と組織化/被爆の原点を全国に拡げる/核実験抗議の座り込み | |||
資料 平和運動の記録 | |||
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『**原水禁』(**原水禁編集委員会、十月社刊)
発行年月日 | ||
1980 | ||
0605 | U | |
第1章 平和をめぐる世界のうごき 第2章 核兵器をめぐる国内外の動き 第3章 原水禁運動の歴史と現状 第4章 原発をめぐる現状と問題点 第5章 被爆者援護法制定運動 第6章 前進する各地のたたかい (1)原発反対闘争(福島) (2)反「むつ」闘争(長崎) 戦後平和運動略年表 写真提供/日本社会党機関紙局・機関紙連合通信 |
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1981 | ||
1982 | ||
0525 | U | |
1983 | ||
0525 | U | |
第5章 ヒロシマ―反核―階級闘争 座談会 | ||
1984 | ||
0525 | U | |
1985 | ||
0525 | U | |
第4章 座談会 燃えひろがるヒロシマの火 61 リレーの定着から平和行政の実現へ 63 ひろがるリレーの参加者 66 リレー参加者を公募 67 リレーに燃える「平和の島」 67 立ち上がった被爆者・被爆二世 69 変わってきた被爆者 70 組織された力が基礎 71 “走りたい”だけではなく 72 リレーにあらわれた「怨念」 73 職場、地域から盛り上がった「非核」運動 74 大衆運動としての盛り上がりを 76 非核宣言による民主主義の拡大を 78 ヒロシマの意義を見つめなおす 79 切実な被爆手帳の交付 80 被爆二世協の活動 81 国家責任の追及を 82 不安や怒りに根ざした運動 83 身近なところから運動の拡大を 84 ヒロシマから全国へ 86 |
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1986 | ||
0520 | U | |
第四章 座談会 燃えひろがるヒロシマの火 61 リレーの定着から平和行政の実現へ 63 ひろがるリレーの参加者 66 リレー参加者を公募 67 リレーに燃える「平和の島」 67 立ち上がった被爆者・被爆二世 69 変わってきた被爆者 70 組織された力が基礎 71 “走りたい”だけではなく 72 リレーにあらわれた「怨念」 73 職場、地域から盛り上がった「非核」運動 74 大衆運動としての盛り上がりを 76 非核宣言による民主主義の拡大を 78 ヒロシマの意義を見つめなおす 79 切実な被爆手帳の交付 80 被爆二世協の活動 81 国家責任の追及を 82 不安や怒りに根ざした運動 83 身近なところから運動の拡大を 84 ヒロシマから全国へ 86 |
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1987 | ||
1988 | ||
1989 | ||
0520 | U | |
1990 | ||
0520 | U | |
第4章 反基地・反自衛隊闘争の現状と今後の展望 52 (1)基地問題・闘争の全体的な特徴 52 (2)日米共同演習をめぐるたたかい 55 (3)各地の反基地闘争 61 (4)裁判闘争をめぐる状況 64 (5)今後の課題と展望 66 第5章 原水禁運動の現状と課題 68 (1)反核、反基地闘争の前進 68 (2)反原発運動と「連合」 71 (3)今年こそ被爆者援護法の制定を 75 (4)職場、地域から原水禁運動を 79 |
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1991 | ||
0520 | U | |
第4章 反基地・反自衛隊闘争の現状と今後の展望 51 (1)自衛隊海外派兵反対闘争と中央組織の弱体化 (2)日米共同演習をめぐるたたかい 55 (3)超低空訓練に対するたたかい (4)「ミッドウェー」と「インディペンデンス」 (5)各地のたたかい (6)基地をめぐる裁判の状況 (7)おわりに (杉江隆紀) 第5章 反核・平和運動の現状と課題 (1)中東戦争と労働組合 (2)つづく自衛隊海外派兵への策動 (3)後退しつつある反核運動 (4)反核、反基地闘争の課題 (野宮和夫) |
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日本国民救援会
機関誌:『救援新聞』
資料年表:日本国民救援会
発行年月日 | 版 | 事項 |
1963 | ||
0817 | 『第9回原水爆禁止世界大会 議事要録(2)』 | |
「日本国民救援会代表団」pp.56-57 | ||
団長 難波英夫、副団協 伊藤伝一・柏谷清 6日午後5時 宿舎:全建労広島ハウス | ||
被爆者救援運動についての提案 | ||
2025 | ||
0515 | 『救援新聞』(呉版No.274) | |
40余名で第18回無名戦士呉偲ぶ会 | ||
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長崎通信 no.89 (19870920)
内容
頁 | 記事 | 著者 | メモ |
01 | 長崎に根をおろして | 浜崎均 | |
長崎の証言の会第4期のスタート(19870901) | |||
02 | 被爆42年、夏から秋へ―長崎からのレポート― | 鎌田定夫 | |
03 | 県婦連など長崎で市民平和集会 | 長崎新聞8月9日 | |
04 | 人々よ | 山田かん | |
05 | 長崎の証言の会 被爆を綴る⑩ | 毎日新聞7月3日 | |
新編集長<浜崎均> 広島を載せて息長く | |||
6 | 会員・読者通信 | ||
10 | 日米の狭間に生きる在米被爆者たち | 編集部 | |
11 | 平和ろうを送る | 広瀬方人 | |
ミシシッピに流そう平和灯ろう | 朝日新聞7月10日 | ||
12 | 長崎不戦の集い 8月15日、爆心地公園で | ||
13 | 長崎反核平和日記(4月1日~8月9日) | ||
14 | 事務局日誌 | ||
15 | 「証言」をもっと広く | ||
「証言」終刊を聞いて | |||
16 | 「証言」再開を期待しつつ | 砂田明 |
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