『共同研究 集団 サークルの戦後思想史』(思想の科学研究会編、平凡社、19760620)
内容抜<作業中>作業中
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執筆者 |
備考 |
Ⅰ |
序論 |
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Ⅱ |
1945~54年 |
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民主主義科学者協会婦人問題研究部会 |
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Ⅲ |
1955~64年 |
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杉の子会 |
長岡弘芳 |
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草の実会 |
天野正子 |
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折鶴の会 |
越智道雄 |
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大正会 |
越智道雄 |
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方向感覚の会 |
野見隆介 |
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日本ジャーナリスト会議日経大阪支部 |
田村紀雄 |
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東京解放運動旧友会 |
隅田繁雄 |
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プルナの会 |
隅田繁雄 |
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Ⅳ |
1965~76年 |
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きのこ会 |
長岡弘芳 |
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楯の会 |
伊藤登志夫 |
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水俣病を告発する会 |
藤川治水 |
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原爆体験を伝える会 |
長岡弘芳 |
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日大全共闘 |
小沢信男 |
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非暴力行動準備会 |
丸山睦男 |
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あとがき |
「集団の会」編集委員会 1976年4月 |
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止
先人を語る会(広島市原爆被害者の会主催)
回 |
年月日 |
備考(敬称略) |
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20131116 |
広島市原爆被害者の会「第2回先人を語る会―藤居平一さんを語る」。冒頭、20分ほど話す。夜、A(広島ジャーナリスト)へメールで原稿を送付。 |
3 |
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4 |
20160416 |
広島市原爆被害者の会「第4回先人を語る会=伊藤サカエ」。大手町平和ビル5階会議室。不参加。 |
5 |
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20171021 |
広島市原爆被害者の会「第6回先人を語る会(慰霊と講演) 被爆者運動の創始者 川手健さんを語る」。司会:田中聡司。発言者:神崎昭男、池田精子(ビデオメッセージ)、中前妙子、中谷悦子、岡本智恵子(証言者の紹介:多賀)、宇吹。 |
6 |
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「第6回先人を語る会 川手健さんを語る」。宇吹=1985年の語る会に藤居平一から代理で出席するよう要請。今回も藤居の代理のつもり。川手と同時代を過ごしたら、私には非常に嫌な人物だっただろう。川手は宇吹が藤居にしつこく質問しても語ることを避けた人物の一人。しかし、藤居は、彼の「被害者精神」は生かしてやろうと努力した、と語っている。 |
6 |
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「第6回先人を語る会 川手健さんを語る」。舟橋、中川幹夫(彼から中島の証言集を購入1500円)。中座時、中谷と道面雅量(中国新聞文化部)と立ち話。 |
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20191019 |
広島市原爆被害者の会「第8回先人を語る会(慰霊と講話~河本一郎を語る~)」。原爆資料館。 |
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止
広島・長崎被爆20周年にあたり、日本の作家・芸術家・文化人のみなさんへのおねがい
広島・長崎被爆20周年にあたり、日本の作家・芸術家・文化人のみなさんへのおねがい |
―被爆体験記・原爆被害資料・文献・作品等の蒐集・整理・保存・出版・翻訳等について― |
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私たちが広島・長崎でたいへんな不幸に会いましてから今年はちょうど二十周年にあたります。
あの運命の日に死んで行ったもの、その後原爆症とたたかいながら死んで行ったものの声なき声に代って世に訴える義務を私たちは感じます。
同時にこの二十年を何とか生きて来た私たち自身のくるしみ-病苦・生活苦・醜悪苦・孤独苦・就職難・結婚難など-について、そのいくぶんでも書き残し、訴えることは歴史の一つ証言となると痛感するに至りました。
既に死んで行ったものたちやその遺族たちの手記や日記や手紙、またその苦悩や悲願を詩や短歌や創作や絵画で伝えようと試みたものもあります。そうした多くのものが埋れていることを私たらは知っています。
同時にこの二十年を生き残った私たちの間でも体験記を集める努力をして居りますし、乏しい金で仲間たちの実態調査をした資料もあります。
また小さなサークル誌で自分の体験や苦悩をかたったり、ひそかに斗病日誌を書いているものもあります。発表するすべも知らずひそかに机の中にしまっているものもあります。
また原爆の孤児とその精神養親との間でとりかわされた貴重な手紙もたくさんある筈です。
もちろん既に発刊された体験記や白書や詩集や歌集や絵画や調査資料も数多くありますが、絶版になっているものもあります。
私たちはこの二十周年におたり、これらのものをくまなく堀り起し、蒐集整理して、保存し、せめてその所在を明らかにするリストをつくり、可能ならば出版もしたく、また外国語に翻訳もしたく存じます。
だんだん死んで行くものも多く、今のうちに蒐集し記録しておかなければ、永遠に日の目を見ない無数の貴重なものがあると思います。
私たちは被爆二十周年のしごととして、せめてこれだけのことはして、歴史の証言とし、「あやまちは繰りかえしてはならぬ」という悲願と行動の源泉ともしたいと思います。
人類が生きのこるために、そして人類の未来の偉大な可能性を確保するために、私たちのかなしみとくるしみと死とが役立つ道を拓きたいと思います。
しかしこれは貧弱な私たちの被爆者団体の手だけで出来ることではありません。私たちは全国の作家・芸術家・学者・文化人の皆さんの御協力を是非仰ぎたいと願います。どうか御知恵と御時間のいくぶんかを私たちのためにさいて下さい。被爆二十周年に私たち被爆者がいだく願いを実現させるために。
一九六五年三月十五日 |
森滝市郎(日本原水爆被害者団体協議会理事長)・小佐々八郎(副理事長 |
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止
大江健三郎依頼文(日本被団協事業への側面援助)
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〔以下抄録〕 |
原爆後二十年の夏をむかえようとして、被爆者たちの唯一の団体である日本原水爆被害者団体協議会が、ひとつの事業をすすめようとしています。それは、原爆をめぐるすべての資料、被爆者たちの手記を収集し、確実に保存し、まさに切実な事業であります。 |
被団協は、かつて日本原水協と深く密接にむすばれていました。いうまでもなく、こうした強力な政治運動体に所属していることで、被団協に、ダイナミックな活動の手と足とがあたえられた、ということがあったにちがいありません。 |
被爆者たちが、手記を書きのこすということ、原爆に関わるすべての資料を整理、保存しようとすることは、いわば最もストイックな自己証明、あるいは自己救済の意思による事業です。 |
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この文章を私が書きますまでに、被団協の呼びかけに応じて、吉野源三郎氏、日高六郎氏、坂本義和氏それに私が会合をひらきました。 |
原爆後二十年目の夏をむかえようとして、被爆者たちの唯一の団体である日本原水爆被害者団体協議会が、ひとつの事業をすすめようとしています。それは、原爆をめぐるすぺての資料、被爆者たちの手記を収集し、確実に保存し、やがては出版、翻訳しようとする、まさに切実な事業であります。それはまず、この戦後二十年を、もっとも苛酷な生きのび方を強制された、被爆者たち自身にとって、切実な事業ですし、同時に、われわれ、被爆しなかったすぺての人間にとって、あの二十年前の原爆が人類を破壊すべき最後のそれであったにしても、あるいは明日の原水爆がなお現実に殺戮の武器として使用されることがあるにしても、切実きわまる必要をもった事業であることは疑いをいれません。
被団協は、かつて日本原水協と深く密接にむすぱれていました。いうまでもなく、こうした強力な政治運動体に属していることで、被団協に、ダイナミックな活動のための手と足とが,あたえられた、ということはあったにちがいありません。しかし、同時に、被団協の被爆者たちが、かれら独目の主体性において、切実に要求していた事業が、つねに第一に実行にうつされるということは不十分であった、ともいわねばなりません。それはいま、被団協があらためて単独に歩みはじめようとして、まず、このように基本的な命題にとりくまねぱならぬことを考えれば、あきらかであろうと思います。
被爆者たちが、手記を書きのこすということ、原爆に関わるすぺての資料を整理、保存しようとすることは、いわば最もストイックな自己証明あるいは自己救済の意志による事業です。しかもそれは、われわれ、被爆しなかったすぺての人間の、今日の自己認識、明日の運命にむすぴついている事業であつて、すなわち、われわれは被爆者たちの計画を、畏敬の念とともに側面援護すべきだと考えるのであります。
一般に、ひとりの知識人が、個人的に、その書斎のなかで、自分自身と人類の運命について考えようとすれば、かれはつねに、二十年前に現実に原爆を体験した人々について思いださざるをえない筈です。そして、かれの個人的な志が、そのまま被爆者たちの志につながるような、そうした方法はないものかと考えることであろうと思います。
知識人が、ひとつの運動にコミットする際に、かれ自身の個人的な志が、かれの最も協同したいとねがう対象の志につながるまでに、様ざまなクッションがはさまれて、ついには、自分の個人的な志の行方がわからなくなってしまう、というようなことはたびたびありました。また、自分が一体どこまでコミットしているのか、自分の期待はどこまで達せられ、自分はどこまで責任をおっているのか、それが不分明となってしまうようなこともたびたび体験されたところです。
そこでいま、ひとりの知識人が、原水爆の脅威と悲惨について、個人的にいだいている思想と志とを、まったく直接に、被爆者たちの生活と志とにつなぐこと、しかも、かれの期待がどのように果たされ、かれがどれだけの責任をおったか、ということを明瞭に見きわめることのできる条件において、原爆後二十年の夏のこの被団協の事業に側面援助をおこなう集りを提唱したいのであります。
この文章を私が書きますまでに、被団協の呼びかけに応じて、吉野源三郎氏、日高六郎氏、坂本義和氏それに私が会合をひらきました。しかし、この文章は私個人の意見をあきらかにしたもので、このたびの被団協事業とそれへの知識人の協同が、知識人ひとりひとりの個人的な声を許容する性格のものであることを考えて、こうした、手紙を書かせていただいたのであります。御協力をおねがいいたします。(大江健三郎) |
止
編年資料:ヒロシマ―1965年(日本被団協の動向を中心に)
月日 |
事項・資料名など |
発⇒宛 |
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03 |
「被爆者実態調査」に対する日本被団協の要望 |
森滝市郎(日本原水爆被害者団体協議会理事長)⇒ |
03 |
原爆被災体験資料蒐集と出版の計画要綱 |
日本原水爆被害者団体協議会 |
0325 |
広島・長崎被爆20周年にあたり、日本の作家・芸術家・文化人のみなさんへのおねがい |
森滝市郎(日本原水爆被害者団体協議会理事長)・小佐々八郎(副理事長)⇒ |
**** |
<被団協事業への側面援助依頼状> |
大江健三郎⇒(知識人) |
0406 |
経過報告ならびに連絡事項 |
森滝市郎(日本被団協理事長)⇒ |
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1.被爆者実態調査 |
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2.被爆体験資料蒐集について |
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0707 |
「原爆被災体験資料」蒐集のための御協力者のお集まりのお願い |
森滝市郎(日本原水爆被害者団体協議会理事長)⇒ |
0701 |
被爆20周年原爆死没者慰霊祭の趣意書 |
森滝市郎(広島県原爆被害者団体協議会理事長)・桧垣益人(事務局長)⇒ |
0720 |
被爆20周年原爆死没者慰霊祭趣意書 |
森滝市郎(日本原水爆被害者団体協議会理事長)・小佐々八郎(副理事長)⇒ |
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止
広島県原爆被害者団体協議会第6回総会決議(案)
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三、第8回原水爆禁止世界大会成功の為に率先協力します。
尚原爆の被害と体験を多くの人に訴えるため体験記の募集に一層強くとりくみます。 |
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止
11県被団協への日本被団協代表理事会回答 1962年9月9日
1962年9月9日
広島市大手町8-59
日本被団協代表理事会
大分県、大阪府、兵庫県、
京都府、滋賀県、岐阜県、
愛知県、富山県、徳島県、
香川県、栃木県、被団協 殿
8月10日付文書にて提出された11府県共同提案に対して、第10回代表理事会において充分討議した結果、左記のような結論を得ましたので回答いたします。
記
一、地方組織においてすでに核禁会議に参加しているところは、やむを得ないこととして理解した上で、日本被団協としては、統一と団結を守って、日本原水協に加盟している現状を維持する。
ヒロシマの歴史を残された言葉や資料をもとにたどるサイトです。