『短篇集 真夏日に撃たれて』(原爆と文学の会、日曜社19950710)<作業中>
目次
| 章 | タイトル | 著者 | 備考 |
| 1 | 小説 | ||
| 山口勇子 | |||
| 篠垤潔 | |||
| 真実井房子 | 戦時下の呉市 | ||
| 笠岡武 | |||
| 残照の想い | 岡田智晶 | 第32回広島県解放運動無名戦士合祀祭 | |
| 増岡敏和 | |||
| 2 | 童話 | ||
| 佐藤一志 | |||
| 山岡和範 | |||
| あとがき |
止
ヒロシマの歴史を残された言葉や資料をもとにたどるサイトです。
『短篇集 真夏日に撃たれて』(原爆と文学の会、日曜社19950710)<作業中>
目次
| 章 | タイトル | 著者 | 備考 |
| 1 | 小説 | ||
| 山口勇子 | |||
| 篠垤潔 | |||
| 真実井房子 | 戦時下の呉市 | ||
| 笠岡武 | |||
| 残照の想い | 岡田智晶 | 第32回広島県解放運動無名戦士合祀祭 | |
| 増岡敏和 | |||
| 2 | 童話 | ||
| 佐藤一志 | |||
| 山岡和範 | |||
| あとがき |
止
憲法9条を守る音楽と講演の集い(呉)
開催状況
| 回 | 年月日 | 概要 | メモ |
| 01 | 20060826 | 2. 講演「戦争遺族としての私」(講師:菅原龍憲) | 警固屋公民館 |
| 02 | 20071124 | 2.講演「戦争する国にしないために」(講師:浅井基文) | |
| 03 | 20081018 | 2.講演「歴史に学ぶ」(講師:平岡敬) | |
| 04 | 20091115 | 2. 講演「『基地のあるまちで育って」(講師:信樂峻麿「」) | |
| 05 | 20101030 | 第2部 講演「岩国に吹いた風 憲法を生かす基地反対のたたかい」(講師:伊原勝介元岩国市長) | |
| 06 | 20111022 | 第2部 講演「フクシマに学ぶ ― 止めよう!上関原発 ―」(講師:木原省二) | |
| 07 | 20121117 | 第2部 講演「戦争被害と憲法」(講師:宇吹暁) | |
| 08 | 20131013 | 第2部 講演「戦争被害と憲法」(講師:小森陽一)「暴走改憲の危険な本質」 | |
| 09 | |||
| 10 | 20150718 | 第2部 講演「『基地のあるまちで育って」(講師:智海寺子) | |
| 11 | 20161016 | 第2部 講演「『尖閣の危機』を平和のチャンスに変える道―親鸞の言葉と憲法第9条」(講師:泥憲和) | |
| 12 | |||
| 13 | |||
| 14 | |||
| 15 | |||
| 16 | |||
| 17 | 20220612 | 第2部 講演「自民党改憲草案と改憲4項目について~今、平和を守るために何が必要か」(講師:寺西環さん<弁護士・被爆3世>) | |
止
現代史サマーセミナー開催一覧<作業中>
| 回 | 年月日 | テーマ | 報告者 | タイトル・他(会場ほか) |
| * | 19690905-06 湯河原温泉。*準備会。 | |||
| 日本現代史研究の課題 | ||||
| 江口圭一 | 日本現代史研究の最近の動向 | |||
| 佐々木隆爾 | 軍国主義復活 | |||
| 藤原彰 | 安保体制の現段階 | |||
| 1 | 19700728-30 高尾山薬王院 | |||
| 世界史における1930年代 | ||||
| Ⅰ 世界史における1930年代 | ||||
| 江口朴郎 | 1930年代と現代史の方法について | |||
| 中西功 | 現代史における1930年代 | |||
| Ⅱ 統一戦線論 | ||||
| 神田文人 | 日本における統一戦線 | |||
| 吉原功 | フランス人民戦線の知的源泉」 | |||
| 古厩忠夫 | 抗日期中国共産党の統一理論の発展 | |||
| Ⅲ ファシズム論 | ||||
| 粟屋憲太郎 | 日本ファシズムと官僚制 | |||
| 伊集院立 | ワイマル共和制からファシムへの移行 | |||
| 新川健三郎 | ニューディールに関する一考察」 | |||
| Ⅳ 第2次世界大戦論 | ||||
| 荒井信一 | 第二次世界大戦の性格 | |||
| 鈴木隆史 | 太平洋戦争と満洲侵略 | |||
| 坂東宏 | 両大戦間期東欧の諸問題 | |||
| 回 | 日時 | 主テーマ | 会場 |
| 2 | 19710730~0801 | 第二次大戦と戦後改革―現代民主主義の検討 | 八王子セミナーハウス |
| 3 | 1972 | ||
| 4 | 1973 | ||
| 5 | 1974 | ||
| 6 | 1975 | ||
| 7 | 1976 | ||
| 8 | 1977 | ||
| 9 | 1978 | ||
| 10 | 1979 | ||
| 11 | 1980 | ||
| 12 | 1981 | 現代史研究の現状と課題 | |
| 13 | 1982 | 戦後世界体制論への一視角―各地域の民衆運動を手掛かりとして | |
| 14 | 1983 | ||
| 15 | 1984 | ||
| 16 | 1985 | ||
| 17 | 1986 | ||
| 18 | 1987 | 戦争責任論 | |
| 19 | 1988 | ファシズム・敗戦・占領 | |
| 20 | 19890806~08 | 支配の諸相と戦争責任 | 長野県小諸市菱野温泉、常盤館 |
| 『現代史における戦争責任 現代史シンポジウム』(青木書店、19900701)=第20回の報告をもとに加筆訂正を加えたまとめ。 | |||
| 藤原彰「序にかえて―サマーセミナーの20年」 | |||
止
年表:韓国の原爆被害者を救援する市民の会<作業中>
| 年月日 | 事項 | 備考 |
| 1971 | ||
| 12 | 韓国の原爆被害者を救援する市民の会、発足。 | |
| 1972 | ||
| 0109? | 京阪神で結成された「韓国の原爆被害者を救援する市民の会」、募金を開始。 | |
| 0225 | 韓国の原爆被害者を救援する市民の会、機関紙『早く、援護を!』(第1号 1972年2月25日)を発行。 | |
| 1974 | ||
| 07 | 豊永恵三郎「韓国の原爆被害者を救援する市民の会」広島支部長、辛泳洙・韓国原爆被害者協会前会長から原爆手帳取得のための証人探しを依頼する手紙を受け取る。 | |
| 0801 | 趙判石韓国原爆被害者援護協会会長・郭貴勲湖南支部長・朴海君総務部長、「韓国の原爆被害者を救援する市民の会」の招きで大阪市入り。 | |
| 0805 | 「韓国の原爆被害者を救援する市民の会」・河村虎太郎・深川宗俊・栗原貞子ら、全ての被爆者に手帳を交付するよう求める要望書を広島市長に提出。 | |
| 11 | 韓国の原爆被害者を救援する市民の会広島支部、発足。 | |
| 1121 | 韓国釜山在住の韓国人被爆者・崔英順、「韓国の原爆被害者を救援する市民の会」の招きで来日。22日、広島市入りし、河村病院に入院。 | |
| 1975 | ||
| 0627 | 日本キリスト教婦人矯風会・韓国の原爆被害者を救援する市民の会の代表ら、外国人にも日本人と同じように被爆者手帳を交付するよう田中厚相に要請書を送る。 | |
| 0820 | 廬長寿「日本広島三菱重工業韓国人被爆沈没遺族会」会長、韓国原爆被害者援護協会の郭貴勲・白光欽両副会長、「韓国の原爆被害者を救援する市民の会」の招きで広島市を訪問。 | |
| 1123 | 「韓国の原爆被害者を救援する市民の会」、総会を広島市内で開催。韓国・釜山市在住の崔季*が難病の手術をできるよう招待状を送ることを決める。 | |
| 1976 | ||
| 0620 | 深川宗俊や韓国の原爆被害者を救援する市民の会広島支部など、「三菱重工業韓国人徴用工原爆被爆者・沈没遺族を支援する会」を結成することを決める。29日、広島市内で発足。 | |
| 1978 | ||
| 1221 | 「韓国の原爆被害者を救援する市民の会」、在韓被爆者実態調査の中間報告発表。 | |
| 1979 | ||
| 0723 | 「韓国の原爆被害者を救援する市民の会」、在韓被爆者実態調査のため訪韓。 | |
| 1980 | ||
| 0224 | 韓国の原爆被害者を救援する市民の会、ビデオ「在韓被爆者」などを見る会を、吹田市で開く。 | |
| 0803 | 韓国の原爆被害者を救援する市民の会広島支部、広島市で「在韓被爆者を囲む会」開催。 | |
| 1981 | ||
| 0305 | 韓国の原爆被害者を救援する市民の会、大阪市で外国人被爆者援護の会開く。(ビデオ・講演など。) | |
| 0612 | 韓国の原爆被害者を救援する市民の会広島支部、市内で「ビデオで見る在韓被爆者問題映写会」を開催。 | |
| 0823? | 「韓国の原爆被害者を救援する市民の会」、原爆をテーマにしたビデオライブラリーを開設。 | |
| 1982 | ||
| 1030? | 「韓国の原爆被害者を救援する市民の会」、在韓被爆者援護に関する抜本的な改善を求める一万人署名運動開始。 | |
| 1983 | ||
| 08 | 「韓国の原爆被害者を救援する市民の会」、パンフレット「在韓被爆者問題入門‐入門編」刊行。 | |
| 0901 | 韓国教会女性連合会、日本の市民グループ「韓国の原爆被害者を救援する市民の会」、在韓被爆者の初の実態調査結果まとめ発表。 | |
| 1984 | ||
| 0428 | 「韓国の原爆被害者を救援する市民の会」、日本人医師の韓国派遣などを厚生省に陳情。 | |
| 1985 | ||
| 0402 | 韓国の原爆被害者を救援する市民の会、韓国の原爆被爆者を考える集いを広島市で開催(約30人参加)。 | |
| 1986 | ||
| 0412 | 「韓国の原爆被害者を救援する市民の会」、広島市で、「韓国の原爆被害を考える集い」を開催( 約60人出席) 。15日は、大阪市で開催。 | |
| 1015 | 韓国の原爆被害者を救援する市民の会、「在韓被爆者の渡日治療継続を求める集いー 10.15集会」を大阪市で開催。 | |
| 1987 | ||
| 0708 | 「広島市民が描いた原爆絵画展」(韓国の原爆被害者を救援する市民の会主催)、大阪市で開催。大阪府のカメラマンによる在韓被爆者の写真10点も展示。 | |
| 1127 | 「韓国の原爆被害者を救援する市民の会」など、広島市に、原爆資料館に「加害者コーナー」を設置することを要望。 | |
| 1988 | ||
| 0718? | 「韓国の原爆被害者を救援する市民の会」、在韓被爆者援助の緊急募金(目標額200 万円)を実施。 | |
| 1989 | ||
| 0110 | 「韓国の原爆被害者を救援する市民の会」代表、訪韓し、カンパ200万円を韓国原爆被害者協会に贈呈。 | |
| 0510? | 大阪市の韓国人廣川誠一、韓国の原爆被害者を救援する市民の会に100万円を寄付。読売新聞の「白いチョゴリの被爆者」の記事(3月19日付)が契機。 | |
| 1990 | ||
| 0418? | 「韓国の原爆被害者を救援する市民の会」、大阪市で「韓国被爆者歓迎大阪交流集会」を開催(日本側約60人参加)。 | |
| 0531 | 大阪市の淡路中学校生徒、修学旅行で来広し、街頭募金で集めた約37万円を、「韓国の原爆被害者を救援する市民の会」に寄託。 | |
| 1991 | ||
| 0511 | 在韓被爆者渡日治療広島委員会総会、広島YMCAで開催(約50人参加)。韓国の原爆被害者を救援する市民の会の松井義子会長による講演「枯れススキに花は咲いたか-(支援金)40億円と在韓被爆者の現状」など。 | |
| 0730 | 韓国の原爆被害者を救援する市民の会、広島市で、元三菱徴用工韓国人被爆者を囲む集いを開催。元徴用工の訴えと、大阪の高校生のヒロシマ学習の発表。 | |
| 0925 | 韓国の原爆被害者を救援する市民の会など、韓国原爆被害者協会の役員らを招き被爆者認定業務を研修してもらうことについて、広島市に協力を要請。 | |
| 1106 | 「韓国原爆被害者協会」の役員(2人)、来日し、広島市で被爆者認定作業について研修を開始。「韓国の原爆被害者を救援する市民の会」が招請。 | |
| 1992 | ||
| 0804 | 韓国の原爆被害者を救援する市民の会長崎支部結成集会、長崎市内で開催。約20人が参加。 | |
| 0902 | 「アジア・太平洋の戦争犠牲者に対して反省し、心に刻む碑(仮称)」の建立委員会結成準備会、広島市内で開催。「韓国の原爆被害者を救援する市民の会」のメンバーら約15人が参加。 | |
| 1993 | ||
| 0515 | 在韓被爆者渡日治療広島委員会、総会を広島YMCAで開催。約40人が参加。市場淳子「韓国の原爆被害者を救援する市民の会」大阪支部長が講演。 | |
| 1994 | ||
| 0328 | 韓国人原爆被害徴用者同志会の方勲栽会長、同会員朴昌煥の2人、徴用時の未払い賃金の支払を求めるため広島入り。「韓国の原爆被害者を救援する市民の会」(大阪府)の招き。 | |
| 0526 | 豊永恵三郎「韓国の原爆被害者を救援する市民の会」広島支部長ら、「韓国人原爆被害三菱徴用者同志会」の会員53人の代理で、戦時中の年金加入の確認を広島東保険事務所に申請。 | |
| 1995 | ||
| 0124 | 「韓国の原爆被害者を救援する市民の会広島支部」、広島法務局が朝鮮人元徴用工が求めている「供託名簿」の閲覧を認める意向であることを明らかにする。 | |
| 0130 | 韓国在住の被爆者の朴昌煥、「韓国の原爆被害者を救援する市民の会」の招きで広島入り。「韓国人原爆被害三菱徴用者同志会」が当時の賃金支払を求めている問題で広島法務局で供託金名簿を閲覧する予定。 | |
| 0204 | 「韓国の原爆被害者を救援する市民の会」、「韓国人原爆被害三菱徴用者同志会を支援する広島集会」を広島労働会館で開催。約80人が参加。出席予定の朴昌煥は、心臓疾患で参加できずメッセージを寄せる。 | |
| 0508 | 広島市内で被爆者援護法の学習会。韓国の原爆被害者を救援する市民の会広島支部や原爆2法研究会のメンバーなど約20人が参加。外国に住む被爆者の法的救済を求める運動を始めることを申し合わせる。 | |
| 0907 | 米国ハワイ大学東西センターで国際会議「アジア・太平洋戦争追憶の会」を開催。-9日。「韓国の原爆被害者を救援する市民の会」広島支部の豊永恵三郎が招待され出席。 | |
| 1011 | 豊永恵三郎「韓国の原爆被害者を救援する市民の会」広島支部長、広島県の社会保険審査官が三菱重工の韓国人元徴用工の年金支給請求を4日付で却下していることを公表。 | |
| 1109? | 韓国の原爆被害者を救援する市民の会、冊子「在韓被爆者が語る被爆50年-求められる戦後補償」を発行。 | |
| 1128 | 韓国の原爆被害者を救援する市民の会広島支部・広島の強制連行を調査する会のメンバーなど、広島YMCAで会合、「三菱広島・元徴用工被爆者の裁判を支援する会」の結成を決める。 | |
| 1207 | 豊永恵三郎「韓国の原爆被害者を救援する市民の会」広島支部長、在韓被爆者・趙順南が申請していた被爆者援護法の特別葬祭給付金を代理人として受け取る。 | |
| 1996 | ||
| 0325 | 広島平和文化センター、ビデオ「ヒロシマの証言-韓国人被爆者は語る」を原爆資料館で公開。豊永恵三郎「韓国の原爆被害者を救援する市民の会」広島支部長が講演。 | |
| 0705 | 車貞述韓国原爆被害者協会釜山支部長・平野伸人韓国の原爆被害者を救援する市民の会長崎支部長、長崎原爆資料館の加害展示の充実などを、長崎市に要望。 | |
| 1997 | ||
| 0707 | 韓国の原爆被害者を救援する市民の会広島支部と被爆者援護法研究会、「在外被爆者にも被爆者援護法を求める集い」を広島市内で開催。倉本寛司と鄭相石が出席。約50人が参加。 | |
| 1998 | ||
| 0123? | 「韓国の原爆被害者を救援する市民の会」・「被爆者援護法研究会」、冊子「在外被爆者にも被爆者援護法の適用を」を出版。 | |
| 0812 | 崔日出韓国原爆被害者協会会長と豊永恵三郎韓国の原爆被害者を救援する市民の会広島支部長、広島県庁の放射線被曝者医療国際協力推進協議会事務局に韓国人医師の研修受け入れを要請。 | |
| 1215 | 松井義子「韓国の原爆被害者を救援する市民の会会長」、死亡。70才。 | |
| 1999 | ||
| 0712 | 「韓国の原爆被害者を救援する市民の会」広島支部、在韓被爆者の支援策を要請。 | |
| 0713? | 「韓国の原爆被害者を救援する市民の会」、被爆者援護法の韓国内での適用について日本政府と協議することを求める要請書を金大中大統領あてに送付。 | |
| 0812? | 「韓国の原爆被害者を救援する市民の会」や韓国原爆被害者協会など、在外被爆者にも被爆者援護法を適用するよう政府に求める署名活動を開始。 | |
| 1024 | 「韓国の原爆被害者を救援する市民の会」と「被爆者援護法研究会」、「在外被爆者を囲む夕べ」を広島市西区民文化センターで開催。今回が3回目。森田隆在ブラジル原爆被爆者協会会長や韓国人被爆者・李康寧らが在外被爆者への援護法適用を訴える。約70人が参加。 | |
| 2021 | ||
| 0304 | 「韓国の原爆被害者を救援する市民の会」、韓国人被爆者の証言をまとめた手記集を駐広島韓国総領事館に寄贈<『中国新聞』20210305> | |
| 2022 | ||
| 0221 | 豊永恵三郎「韓国の原爆被害者を救援する市民の会」世話人(85歳)、オンラインで講演。(広島大学比較文化日本学プロジェクト研究センター主催)。<『中国新聞』20220220> | |
| 0417 | 韓国の原爆被害者を救援する市民の会、結成50周年記念集会を広島市内で開催。 | |
止
強制連行された中国人被爆者との交流をすすめる会
年表<作業中>
| 年月日 | 事項 | 備考 |
| 1990 | ||
| *** | 広島の牛尾美保子・川原洋子、中国人強制連行問題に取り組むため、「6・30花岡の会」を結成。(『中国人被爆者・癒えない痛苦』) | |
| 07 | 「6・30花岡の会」のメンバー、安野発電所の中国人強制連行の跡を訪問(『中国人被爆者・癒えない痛苦』) | |
| 1992 | ||
| 01 | 安野発電所に強制連行された中国の生存者・張濂の手記、「花岡問題」に取り組む「中国人強制連行を考える会」のメンバーを通じて、広島にもたらされる。(『中国人被爆者・癒えない痛苦』) | |
| 0429 | 牛尾美保子・川原洋子・橋本親往(通訳)・柴田和広(中国放送)、安野発電所建設工事に強制連行された生存者を訪ねて中国を訪問(中国人強制連行調査団)。-5月4日。中国人被爆者・徐立伝に面会。(『中国人被爆者・癒えない痛苦』) | |
| 0608 | 毎日新聞、日本へ強制連行され広島で被爆した中国人2人(徐立伝・張文彬<高清珍>)が見つかったとの北京発の記事を掲載。(『中国人被爆者・癒えない痛苦』) | |
| 0614 | 訪中報告集会。(『中国人被爆者・癒えない痛苦』) | |
| 0623 | 牛尾美保子ら、中国人被爆者・徐立伝の被爆の裏付けのため、広島刑務所・広島地方検察庁・広島県警などに調査を要請。 | |
| 0625 | 「強制連行された中国人被爆者との交流をすすめる会」、広島YMCAで発足会を開催。約15人が参加。戦時中、加計町の安野発電所建設に強制連行され広島市で被爆した中国人の実態解明が目的。 | |
| 07 | 強制連行者名簿のうち、広島で「入獄」中とある10人に手紙を送付。(『中国人被爆者・癒えない痛苦』) | |
| 0721 | 中国人被爆者・徐立伝、死亡。(『中国人被爆者・癒えない痛苦』) | |
| 0803? | 強制連行された中国人被爆者との交流を進める会、広島市内の司法関係施設で被爆した11人の消息の調査を求める書簡を中国の研究者・劉宝辰に送付。 | |
| 0804 | 共同通信、中国人被爆者2人(徐立伝・張文彬)の手記を配信。(『中国人被爆者・癒えない痛苦』) | |
| 0825 | 強制連行された中国人被爆者との交流をすすめる会、広島キリスト教社会館で会合。被爆が証明されながら死去(7月21日)した徐立伝の追悼集会を9月15日に開催することなどを決定。 | |
| 0917 | 「強制連行された中国人被爆者との交流をすすめる会」、広島刑務所で被爆した中国人被爆者の実態調査と渡日治療などの援護措置を広島市長に申し入れ。 | |
| 09 | 新潟市のフリーライター佐藤杏子、単身訪中し中国人被爆者張文彬と面会。(『中国人被爆者・癒えない痛苦』) | |
| 1009 | 強制連行された中国人被爆者との交流をすすめる会、広島刑務所で被爆した中国人被爆者張文彬の被爆者健康手帳交付申請書の写しを広島市に提出。 | |
| 1025 | 「強制連行された中国人被爆者との交流をすすめる会」、広島刑務所で被爆した中国人張文彬の被爆者健康手帳の取得と渡日治療を実現するための集会を広島市内で開催。新潟市のフリー・ライター佐藤杏子が張との会見の模様を報告。約20人が参加。 | |
| 1993 | ||
| 01 | 中国・河北大学の劉宝辰に中国人被爆者の追跡調査を依頼。(『中国人被爆者・癒えない痛苦』)。呂学文・孟兆恩・鄭光遠の3人の消息を掴む。 | |
| 0301? | 「強制連行された中国人被爆者との交流をすすめる会」、日本へ強制連行され広島刑務所で服役中被爆した中国人の張文彬(72才)を、被爆者健康手帳の取得や治療のため5月に広島に招くことを計画。 | |
| 0310 | 「強制連行された中国人被爆者との交流をすすめ会」、広島刑務所で被爆した中国人の生存が新たに3人(呂学文・孟兆恩・鄭光遠)確認されたと発表。 | |
| 0424 | 宮崎安男広島県原水禁代表委員・「強制連行された中国人被爆者との交流をすすめる会」のメンバーら5人(強制連行された中国人をたずねる訪中団)、広島刑務所で被爆したとみられる中国人3人の証言を取材するため訪中。11間の日程。 | |
| 0427 | 強制連行された中国人をたずねる訪中団、中国人被爆者・呂学文と面会。-29日。(『中国人被爆者・癒えない痛苦』) | |
| 0430 | 強制連行された中国人をたずねる訪中団、2人の中国人被爆者(孟兆恩・鄭光遠)と面会。(『中国人被爆者・癒えない痛苦』) | |
| 0516 | 張文彬(広島刑務所で被爆した中国人被爆者)、「強制連行された中国人被爆者との交流をすすめる会」の招きで広島入り。 | |
| 0517 | 中国人被爆者張文彬、広島市に被爆者健康手帳の交付を申請。 | |
| 0518 | 中国人被爆者張文彬、広島市の河村病院に検査入院。 | |
| 0520 | 広島市、中国人被爆者張文彬に被爆者健康手帳を交付。 | |
| 0523 | 広島県原水禁など、「張文彬さん(中国人被爆者)のお話しを聞く集い」を広島労働会館で開催。約100人が参加。 | |
| 0524 | 中国人被爆者張文彬、9日間の広島での日程を終え、かつて強制連行された新潟に向かう。 | |
| 05 | 東京華僑総会、中国人強制連行に関する「外務省報告書」と各事業場の「事業場報告書」を公表。 | |
| 0729 | 広島刑務所で被爆した中国人被爆者2人(呂学文・孟昭恩)、広島県原水禁などの招きで広島入り。 | |
| 0730 | 広島市、広島刑務所で被爆した中国人被爆者2人(呂学文・孟昭恩)に被爆者手帳を交付。 | |
| 0731 | 中国人被爆者呂学文と孟昭恩、48年ぶりに広島県加計町の労働現場を訪問。広島県加計町の善福寺で挙行された中国人殉難者追悼法要に参列。 | |
| 0801 | 写真展・「安野」からの証言、広島労働会館で開催。 | |
| 0801 | 強制連行された中国人被爆者「孟昭恩先生・呂学文先生のお話をきく集い」、広島労働会館で開催。約50人が参加。 | |
| 0803 | 中国人被爆者呂学文・孟昭恩、西松建設中国支社に強制労働に対する謝罪や補償を求める要求書を提出。 | |
| 0806 | 広島県山県郡の安野中学校生徒会、中国人被爆者呂学文・孟昭恩を招いて体験を聞く。 | |
| 09 | 強制連行された中国人被爆者との交流をすすめる会、呂学文・孟昭恩の西松建設に対する要求書への回答(9月29日付)を受け取る。(『中国人被爆者・癒えない痛苦』) | |
| 1110 | 西松建設中国支店を訪れ、2人の中国人被爆者からの謝罪・補償要求などを同社が拒否する回答書を提出したことに反論。 | |
| 1114 | 厚生省、北京の中日友好協会に対し、日本では被爆者の治療を無料で受けられる制度があることを通知。(『中国人被爆者・癒えない痛苦』) | |
| 1220 | 強制連行された中国人被爆者との交流をすすめる会、大内厚生大臣の孫平化中国日本友好協会長宛の書簡(12月14日付、日本の原爆2法による援護措置を説明)を広島市原爆被害対策部に示し、市独自の救済措置を要望。 | |
| 1994 | ||
| 0118 | 「強制連行された中国人被爆者との交流をすすめる会」、被爆中国人補償問題で西松建設中国支店で3回目の交渉を実施。 | |
| 0214? | 「強制連行された中国人被爆者との交流をすすめる会」に広島で獄中被爆した中国人が大連に生存しているとのしているとの連絡が届く。 | |
| 0426 | 「強制連行された中国人被爆者との交流をすすめる会」のメンバー6人、中国人の代理で広島市の西松建設中国支社と交渉。同支社、独自に現地調査を行う意向を明らかにする。 | |
| 0501 | 「強制連行された中国人被爆者との交流をすすめる会」、調査のため訪中(3回目)。8日、帰国。13日、帰国記者会見。 | |
| 0503 | 「強制連行された中国人被爆者との交流をすすめる会」の訪中団、大連在住の被爆者・于瑞雪に面会。 | |
| 0607 | 強制連行された中国人被爆者との交流をすすめる会」、中国人被爆者などの外国人被爆者の実態調査や援護を求める要請文を広島市長宛に提出。 | |
| 0622 | 「強制連行された中国人被爆者との交流をすすめる会」、西松建設広島支店に強制労働させられた中国人への補償などを求める要求書を提出(第5回目の交渉)。 | |
| 0622 | 社会党の清水澄子、参院外務委員会で、中国人強制連行についての政府の見解をただす。中国人強制連行の事実を初めて公式に認める。(『中国人被爆者・癒えない痛苦』) | |
| 0710 | 「広島の強制連行を調査する会」・「強制連行された中国人被爆者との交流をすすめる会」、広島県加計町のダムや発電所などで歴史や生存者の現状を学ぶ会を開催。約100人が参加。 | |
| 0712? | 「強制連行された中国人被爆者との交流をすすめる会」、広島市長に6月7日付で提出した要請書に対する7月8日付の回答を受け取る。内容は、中国人被爆者の調査や援護の支援は「困難」というもの。 | |
| 0803 | 広島県加計町立安野中学校生徒、同町の中国人や朝鮮人を動員して建設した発電所などを見学。講師は「強制連行された中国人被爆者との交流をすすめる会」などのメンバー。 | |
| 1105 | 五十嵐官房長官、「花岡受難者聯誼会」代表と会い、政府首脳として初めて花岡事件について謝罪。(『中国人被爆者・癒えない痛苦』) | |
| 1112 | 広島の市民グループ「強制連行された中国人被爆者との交流をすすめる会」など、「強制連行された中国人・被爆者遺族を広島に招く実行委員会」を発足させる(広島平和会館)。18人が参加。 | |
| 1117 | 「強制連行された中国人被爆者との交流をすすめる会」、西松建設の担当者と広島県山県郡加計町の安野発電所建設工事に従事させられた中国人について初めて現地調査を実施。 | |
| 1995 | ||
| 0206 | 「強制連行された中国人被爆者との交流をすすめる会」、西松建設中国支店との6回目の交渉を実施。新たに医療費の負担を要望。 | |
| 0520 | 「強制連行された中国人被爆者との交流を進める会」、調査結果をまとめた「中国人被爆者・癒えない痛苦-獄中被爆の真相を追う」(明石書店刊)を発行。 | |
| 0526 | 宋継尭、「強制連行された中国人被爆者との交流をすすめる会」のメンバーとともに、東京の西松建設本社を訪れ、補償を要求。 | |
| 0815 | 中国河北省保定市で「安野強制連行・広島被爆受難者聯誼会が結成される。同市を訪問した広島県内の市民団体「強制連行された中国人被爆者との交流を進める会」の訪中団と協議の上結成。 | |
| 1025 | 広島市の市民団体「強制連行された中国人被爆者との交流をすすめる会」のメンバー、「安野強制連行・広島被爆受難者聯誼会」の委任を受けて、当時の中国人らの雇用主の西松建設中国支店で賠償などについて交渉。 | |
| 1996 | ||
| 0312? | 「強制連行された中国人被爆者との交流をすすめる会」、7人目の被爆者の生存を確認。 | |
| 0617 | 広島の市民グループ「強制連行された中国人被爆者との交流をすすめる会」、広島刑務所と広島市に対し、中国人被爆者の実態調査を実施することなどを要請。 | |
| 0627 | 広島市の市民グループ「強制連行された中国人被爆者との交流をすすめる会」、山県郡加計町の発電所建設現場で中国人を働かせていた西松建設と交渉、同社の調査内容などを明らかにするよう求める。 | |
| 0820? | 広島の市民グループ「強制連行された中国人被爆者との交流をすすめる会」、帰国後死亡した中国人被爆者1人の消息を確認。 | |
| 1107 | 戦時中日本に強制連行された中国人元労働者2人、広島の市民グループ「強制連行された中国人被爆者との交流をすすめる会」の中谷悦子代表の案内で広島市の原爆資料館を見学。 | |
| 1997 | ||
| 0430 | 「強制連行された中国人被爆者との交流をすすめる会」、広島県加計町に連行された中国人労働者の証言などを収録した教材ビデオを制作。 | |
| 0510 | 「中国人強制連行国際シンポジウム広島集会」、広島市で開催。約200人が参加。喊允伝ら(中国人被爆者)らが報告。-11日。11日、呂学文が証言。 | |
| 0801? | 「強制連行された中国人被爆者との交流をすすめる会」、戦時中に広島県加計町に強制連行された中国人の証言を基に紙芝居「陳さんとイチョウ」を制作。 | |
| 0806 | 「8・6ヒロシマ平和へのつどい1997」、広島市の県民文化センターで開催。約100人が参加。中谷悦子「強制連行・中国人被爆者との交流をすすめる会」代表が戦後補償を訴える。 | |
| 2004 | ||
| 2008 | ||
| 2009 | ||
| 2012 | ||
| 2013 | ||
| 2014 | ||
| 2015 | ||
| 2016 | ||
| 2017 | ||
| 1015 | 西松安野雄幸基金運営委員会、広島県安芸太田町坪野の安野発電所建設に強制連行された中国人労働者を追悼し日中友好を誓う集いを、発電所近くの石碑前で挙行(中国新聞20171016) | |
| 2018 | ||
| 1020 | 王小軍さん(故・徐立伝さんの孫)のお話を聞く会(広島安野・中国人被害者を追悼し歴史事実を継承する会)、広島市で開催。約50人が参加。(『中国新聞』20181019、20181021) | |
| 2020 | ||
| 1018 | 広島安野・中国人被害者を追悼し歴史事実を継承する会主催の犠牲者を追悼し日中友好を祈念する集い、安野発電所(安芸太田町)近くの石碑前で開く。参列者約50人。 | |
| 2021 | ||
| 1014 | 広島安野・中国人被害者を追悼し歴史事実を継承する会主催、故呂学文(原告団長)の活動を振り返る会を広島弁護士会館で開催。(『中国新聞』20211014) | |
止
『原爆記念文庫所蔵 原爆関係文献目録 昭和40年8月31日調』(原爆資料保存会、19651015)
![]() |
| 広島 長崎の体験を永久に伝える為に 人類の過ちを繰返へささぬ為に ひたむきな平和への願いをこめて 尊い原爆記念文庫が広島に生まれました みんな血と涙と訴へで綴られた記録です この文庫の保存と成長へ御協力を (原爆記念文庫標語) |
| はしがき 1.原爆が投下されてからもう20年を経過した。本会は広島長崎の体験を永久に後世へ伝える為,昭和23年頃から苦難な道を歩みながら,文献の蒐集に力を注いで来た。これ等はみんな被爆当時の惨状そのままの記録や,学者の研究調査されたもので,世界平和推進の為極めて貴重なものである。 2.昭和40年8月31日迄に集めたものが2,000冊になつたが,まだまだ不足のものが多々ある。これは将来を期して完備したい。尚文献中には専門的のものも数多くあるが大半は大衆的のものである。これは大衆と共に考へ大衆と共に歩みたい文庫の使命に依るものである。 3.原爆の被害が余りも広大である為,学問的研究分野も多様であり,被害の処理も多方面に亘って居るので,全文献を整理分類することは困難である。依って本目録分類は正規の図書分類法に依らず,わかりやすい別記の10分類に整理して見た。御批正を乞う。 4.原爆20周年に当り,各方面の報道陣を始め,著書や雑誌に依って広島をアッピールされた事は感謝に堪えない,特に被爆者調査や,広大に原爆研究機関が設備される等,国家が直接広島と取組むことになった事は,おそまきながら嬉しい事である。 5.文庫開設(昭和40年6月6日)以来,A.B.C.C.や広島医師会を始め全国各地から個人で文献を寄贈されたものが160冊もある。寄贈者各位に対しここに深甚の感謝を致します。 昭和40年9月15日 |
止
「広島」原爆記念文庫設置について(原爆資料保存会、19650606開設)
| 「広島」原爆記念文庫設置に就いて |
![]() |
![]() |
![]() |
| 広島に原爆が投下されてから、もう二十年を経過した。その当時の惨状に就いては、今日迄科学的研究書や各方面の新聞、雑誌に依って報道されて居るが、現地広島では、今尚年々三○人-四○人づつが原爆病院で病死して居る。
其外被爆による不幸の境遇にある人々は救護の途も充分に講ぜられて居らぬ為、華々しい都市復興の裏に取り残されて、気の毒な生活を続けて居る有様である。私共被爆生存者はこの計り知れない原爆の惨禍を語り再び人類の過ちを繰り返えささぬ様世界へ訴えて来たが、現下の世界情勢は、私共の念願を裏切る方向に、向いつつある様うかがわれるのである。それと共に広島の被爆者も年々死亡してこの惨状を語りつづける人も段々少なくなって行くのである。 そこで私共原爆資料保存会のグループ(現在会員二十四名)は此、原爆二十周年を記念に、世界最初に原爆を受けた広島、長崎の体験を永久に後世え伝える為、今日迄内外で出版された原爆文献を蒐集整理し広島市内で最も、保存活用上最適の場所である、平和公園内の記念資料館の一室に原爆記念文庫を設ける承認を得、広島を訪れられる学者、研究家に公開し平和推進の一助にする事にしたのである。 尚、本会は昭和二十三年頃、市立の原爆資料館が設置された当時からその後援団体として二十数人が相寄り、原爆資料保存会を発足さし、今日迄二十年間、物的資料を始め原爆文献蒐集に着手し始めた。其当時の広島は全市焼野原で、被爆市民は焼跡にバラックを建て、どん底生活をして居ったのて原爆資料などに目をつける人は殆んどなかった。其の上占領政治下にあったので、きびしい圧迫が加えられ原爆資料蒐集の仕事等は命懸でないと出来ない有様であった。然し私共被爆生存者は吾が肉親の犠牲を犬死させない一念から会員一同団結して、資料蒐集の仕事に力を打ち込んで来たのであった。そして昨年九月本会の総会で原爆記念文庫設置の事を決議し今迄集められて倉庫に秘蔵されて居ったものえ更に市内の百書店並に個人の蒐集家を訪ねて文献買厚めに奔走し現在(昭和四十年五月)では千四百冊迄蒐集し得たのである。 この文庫の内容は、左記十種類で広範囲に亘って居って、而かもその九割が古本、絶版本ばかりで、入手出来ない貴重なものが少なくない。これから原爆研究センターを目指して内容の充実を計りたい。 文庫の内容一覧 文庫の中で特殊なもの、実例 |
| ○原爆記念文庫(標語) 広島、長崎の体験を永久に伝える為に 人類の過ちを繰り返えさぬ為に 尊い原爆記念文庫が広島に生れました みんな血と涙と訴えて綴られた記録です この文庫の保存と成長に御協力を |
| 昭和四十年六月六日文庫開き記念の日 |
| 原爆資料保存会長 横田工 稿 |
止
年表:核禁会議の主な動き(前史)
| 年月日 | 事項 | 備考 |
| 19540325 | 米国政府が3月1日に水爆実験を行ったビキニ環礁の危険区域をさらに拡大すると発表したことに対し、海員組合が「拡大反対」声明表 | |
| 19560309 | 第五福竜丸被災2周年を迎えた3月1日、米国が再び4月20日以降同区域を拡大して核実験を行うとの声明に対し、海員組合はアメリカ大使館に水爆実験中止を要請。 | |
| 19570304 | 原水協が、米国のクリスマス島の水爆実験場に抗議船団を出すとの計画に、海員組合は「死地への船団派遣は特攻隊的行動」と反対を声明。 | |
| 0322 | 全労執行委員長は、英国労働党、英国労働組合などに対し、「原水爆の実験禁止」を要請。 | |
| 19580228 | アメリカ政府の14日発表の春から夏にかけての核爆発実験に対し、海員組合はアイゼンハワー大統領に即時中止を申し入れ。 | |
| 19580805 | 全労第21回執行委で、7月14日、国際地球観測年の観測行事に参加しようと赤道付近に赴いた「拓洋」「さつま」の2船が太平洋上で強烈な放射能を受けたことに対し、国際アピールを行い、国際自由労連および各国労働組合に訴えることを決定。 | |
| 19600801 | 東京・四谷の主婦会館で、全労・民社党が中心となって「原水爆禁止運動全国討論集会」を開催。決議文とアピールを採択。 | |
| 19610801 | 被爆者を救おうと、広島で「原水禁全国討論集会」開催。 | |
| 0815 | 特定のイデオロギーに奉仕し、特定の国に敵対する原水協運動から、人類愛に基づく全国民的な運動をめざそうと、東京・千駄ヶ谷の東京都体育館に全世界の平和を希求する全労会議、父母会議、日本婦人連盟などの団体・個人約1万人が集まり、核兵器禁止・平和建設国民大会を開催(代表者・松下正寿立教大学総長)。 | |
| 0915 | ソ連の死の灰に抗議する「国民大会」を開催。九段会館に2000人が参加。ソ連に対する抗議など5決議。 | |
| 1031 | 午後3時から8時にかけてソ連大使館に50メガトンの死の灰に抗議の提灯デモ。約1万人が参加。 | |
| 19611115 | 8月15日に開かれた「核兵器禁止・平和建設国民運動の組織化に関する決議」に基づいて、東京・神宮外苑の日本青年館に5000人が参加して核兵器禁止・平和建設国民会議(略称・核禁会議)の結成大会が開かれ、正式に核禁会議がスタート。 | |
出典:『核兵器廃絶の叫び 核禁会議二十年史』
止
核軍縮を求める 22人委員会 設立:1984年
資料
| 年月日 | 資料名 | 著者・発行者 | ||
| 1986.1 | 「1%問題」と軍縮を考える : 緊急シンポジウム | 核軍縮を求める二十二人委員会, 平和構想懇談会 著 岩波書店 | ||
| 1987.3 | 「1%枠撤廃」をどう考えるか : 緊急シンポジウム 核軍縮を求める二十二人委員会, 平和構想懇談会 編 岩波書店 | 核軍縮を求める二十二人委員会, 平和構想懇談会 著 岩波書店 | ||
| 1988.8 | 核廃絶と世論の力 : 長崎平和シンポジウム | 崎市, 核軍縮を求める二十二人委員会 編 岩波書店 | ||
| 1989.9 | 『非核三原則の立法化を』 | 核軍縮を求める二十二人委員会・岩波書店 | ||
止
『広島 爆心地中島』(原爆遺跡保存運動懇談会編、 新日本出版社、20060806)
内容
| 頁 | 備考 | |
| 001 | 推薦のことば―改訂版刊行にあたって―(浅井基文) | |
| 第一部 爆心地 中島―あの日、あのとき―(元大正屋呉服店を保存する会・原爆遺跡保存運動懇談会編) | ||
| 013 | 発刊にあたって | |
| あの日、あのときを(諏訪了我・元) | ||
| 平和な世界を創るために(河瀬正利・) | ||
| 019 | 原爆で消された繁華街 | |
| 025 | 一 ただ一つ残った建物、ただ一人の生存 | |
| ①元安橋西詰めに建つレストハウス…………………25 あのとき………………26 水の竜巻だ……………28 |
||
| 033 | 二 駆けつけた人々の見た惨状 | |
| ②相生橋の東詰め、橋上から…………………………33 産業奨励館は、まだ燃えていなかった(午前九時ごろ)………33 一面火の海(午前一〇時過ぎ)……………………34 おびただしい遺体、積み重ね熱風を避ける(午後四時から夜に)………36 ③中島本町、慈仙寺周辺………………………………39 上体は白骨化(正午ごろ)………………40 火を噴く慈仙寺(午後二時ごろ)………41 燃料会館の外枠だけ残る(午後二時ごろ)………42 焼け崩れて、踏み込めず(昼過ぎ)………………43 焼け跡に炎がゆらぐ(午後四時過ぎ)……………44 焼け残った燃料会館で(夜)………・……………45 パンク修理のままの姿で(七日朝)………………46 先生のまわりに子どもたちの骨が(七日朝)…………48 ④本川左岸、元柳町一帯…………………………50 突然天井が落ちてきた(六日朝、八時一五分)………51 中学生がたくさん倒れている(九時ごろ)……………53 中学生や女学生の遺体が(七日朝)……………………55 ⑤材木町………………57 焼け落ちて家の軒は一つも見えなかった(午後三時ごろ)…57 臨月だった妻の骨が、三人の子は行方不明(七日朝)………58 たくさんの骨がバラバラに砕けて(七日朝)…………………60 近所の人はみんな死んだ(七日朝)……………………………62 ⑥天神町………………64 首のところだけ白骨化(七日朝)…………………………66 母の骨をさがして(七日夕方から八日朝)………………67 |
||
| 073 | 三 全滅した建物疎開作業動員学徒・国民義勇隊 | |
| 建物疎開作業の経緯と中島地区の生徒の被害…………73 ⑦新大橋界隈の県立二中生徒の被害…………………………76 血路は川だ(六日八時一五分)……………………………76 二〇〇〇人もが押しかける(被爆直後)…………………77 「水ッ。水をちょうだい」(一〇時ごろ)………………78 川の中に這い降りていく女学生(午後二時ごろ)………80 無数の死体(六日夕方)……………………………………80 散乱する焼死体(七日午後二時ごろ)……………………82 ⑧新橋付近の市女生徒の被害…………………………………83 焦熱地獄が眼前に(六日昼ごろ)…………………………83 顔はふくれ上がり(夕方)…………………………………84 死体を山にして、つぎつぎ火葬に(七日昼過ぎ)………87 工事現場から、真っ白い二体の遺骨が(一九四七年夏)……89 ⑨県立工業学校生徒の被害…………92 青い色をした光の玉……………92 ⑩中国新聞社国民義勇隊全滅……………………99 皮膚はただれ、誰がだれかわからない(被爆直後)………99 川面を巻き上げる火焔竜巻(被爆直後)……………………101 ⑪川内村国民義勇隊の被爆……………………103 |
||
| 107 | あとがき | |
| 第二部 働突の悲劇はなぜ起こったのか―その明暗を分けたもの― | ||
| 113 | はじめに | |
| 115 | 一 広島の建物疎開動員学徒の被害は全国最大 | |
| (一)学徒動員………………115 (二)一、二年生への配慮………………115 (三)建物疎開……………115 (四)広島の建物疎開動員学徒の死亡者数は全国の半数以上……116 |
||
| 二 なぜ、一、二年生が動員されたか | ||
| (一)七月初旬の出動会議―学校側の反対と軍部の強圧…………117 (二)「軍責任者」とは……………………119 |
||
| (三)○○中将とは…………………………120 | ||
| (四)藤井中将も秋吉内政部長も被爆死…………………122 | ||
| 123 | 三 明暗を分けた教師の判断 | |
| (一)七月下旬―再び教師が「無謀な計画」と反対…………123 (二)八月五日―その一―「非国民」と言われても…………126 (三)八月五日―その二―「教頭が責任を取ります」………129 (四)八月六日―学校長、軍命令を無視して教室待機を指示……134 |
||
| 別表 | ||
| 138 | 建物疎開の状況、作業場所 | |
| 140 | 当日建物疎開に出動していた学校・死亡者数 | |
| 143 | おわりに | |
| 145 | 改訂版編集後記 | |
ISBN 4-406-03306-8
『舞台とともに五十年の歩み』(呉市民劇場、20140401)
内容
| 頁 | |||
| 01 | 児玉賢登 | ごあいさつ | |
| 02 | |||
| 03 | 脊戸昭典 | 祝辞 | 呉市文化団体連合会会長 |
| 14 | 50周年おめでとう | ||
| 17 | 井上邦枝 | 広島市民劇場事務局長 | |
| 20 | サークルのよこがお | ||
| 26 | 呉市民劇場50年の歴史とあゆみ | ||
| 29 | 例会一覧 | ||
| 2015年以降2021年分の例会は、『舞台とともに五十八年の歩み』(呉市民劇場、20211110)参照。 | |||
| 55 | 50周年記念行事 | ||
| 年月日 | 例会一覧 | 劇団 | 備考 |
| 1963 | |||
| 1208 | 忍びのもの | 東京芸術座 | |
| 1964 | |||
| 0130 | ひとりっ子 | 関西芸術座 | |
| 2016 | |||
| 1213 | 島 | 青年劇場 | |
| 2021 | |||
| 1110 | 怪談 牡丹燈篭 | 文学座 | 呉市民劇場の 最終公演 |
参考『舞台とともに五十八年の歩み』(呉市民劇場、20211110)
呉市民劇場
| 年月日 | 例会一覧 | 劇団 | 備考 |
| 1963 | |||
| 1208 | 忍びのもの | 東京芸術座 | |
| 1964 | |||
| 0130 | ひとりっ子 | 関西芸術座 | |
| 2016 | |||
| 1213 | 島 | 青年劇場 | |
| 2021 | |||
| 1110 | 怪談 牡丹燈篭 | 文学座 | 呉市民劇場の 最終公演 |
『舞台とともに五十八年の歩み』(呉市民劇場、20211110)
核兵器をなくし平和を求める図書館関係者の会
=>反核・平和図書館関係者の会
きのこ会 設立:19650627<作業中>
年表:きのこ会
| 年月日 | 事項 | 備考 |
| 19650627 | きのこ会発足。広島県婦人会館で。胎内被爆による小頭症の子を持つ親たちの集まり。 | |
| 19670703 | きのこ会、結成2周年総会を広島市内で開催。 | |
| 198406 | 胎内被爆小頭症患者らの会「きのこ会」広島市で総会開き、県・市への要望事頃など決定。 | |
| 20210824 | きのこ会総会。広島市と横浜市の小頭症の被爆者4人、支援者の約30人がオンラインを中心に参加。 | |
年表:胎内被爆者
| 54 | 04 | 30 | アメリカン・ジャーナル・ディシージス・オブ・チルドレン、長崎の胎内被爆児に放射能の悪影響が見られるとの研究報告(ヤマザキ、ライト、ライト著)を掲載。(朝日新聞) |
| 56 | 05 | 09? | 諌早市で出血・難聴で苦しむ胎内被爆児中道ひろ子を守る会が組織される(アカハタ)。 |
| 56 | 08 | 05 | 母親の胎内で被爆した少女、京大医学部助教授らによって、原爆症と診断される。(読売新聞) |
| 57 | 09 | 21 | 胎内で二次放射能を受けた梶山健二、広島原爆病院で死亡。 |
| 59 | 08 | 06 | 原水爆禁止世界大会に参加した外国代表が「被爆者を囲む会」、広島市内の国泰寺高校講堂で開催。畠中国三、小頭症の娘百合子と参加。 |
| 65 | 03 | 10 | 米原子力委、広島、長崎の原爆症患者の発病傾向について発表①白血病発病率の増大②放射そこひなどある種の眼球異状の増大③被爆時、母親の胎内にあった子供たちの間での知恵おくれ傾向④放射能を多量に浴びた被爆者の間でみられる甲状センガンの |
| 65 | 06 | 27 | きのこ会発足。広島県婦人会館で。胎内被爆による小頭症の子を持つ親たちの集まり。 |
| 65 | 10 | 16 | 田淵昭広島大学教授「胎内被爆による広い意味での小頭症は四十五人が確認された」と発表。 |
| 65 | 12 | 04 | 日本原水協、広島県原水協に被爆者救援資金百九十万円贈る。原爆病院入院患者百人と被爆困窮家庭千二百世帯に千円ずつと原爆小頭症患者の生活治療援助資金二十万円など。 |
| 65 | 12 | 06 | 原爆被爆者救援広島大会開く。広島市公会堂で。日本原水協、広島県原水協なと主催。被爆者の完全援護法制定と原爆症の根治治療研究機関の設置、原爆小頭症患者の完全補償などを決議 |
| 66 | 01 | 12 | 広島県婦協、原爆小頭症児の成人式開く。広島県婦人会館で。原爆小頭症児九人が出席 |
| 66 | 03 | 01 | 中国新聞、文沢隆一「小頭症と取り組んで-原爆被災白書はなぜ必要か」 |
| 66 | 06 | 30 | 厚生省、原爆小頭症の調査決定。志水清、日淵昭両広島大教授を中心に調査班を編成。実態調査に乗り出す |
| 66 | 07 | 10 | ①胎内被爆者・被爆二世実態調査②医療、生活援護③国家補償の実現--の運動方針を決める。前年小頭症の子供を持つ親たち十七人で結成した「ぎのこ会」は、独自の運動を進めるため参加せず |
| 66 | 07 | 10 | 胎内被爆者・被爆二世を守る会結成。共産党系の広島県原水協や県被団協など八団体が中心。広島市・見真講堂で結成大会。五十人が参加。 |
| 67 | 05 | 18 | 厚生省委託の原爆被爆者小頭症研究班、胎内被爆が原因と報告。班長、中泉正徳東大名誉教授らが研究。「胎内で被爆した子供たちの小頭症は、原爆放射線が原因として推定される」 |
| 67 | 07 | 03 | きのこ会、結成2周年総会を広島市内で開催。 |
| 67 | 08 | 31 | 原爆医療審議会、坊厚相に「胎内被爆による小頭症を原爆症に認定すべきである」と答申。厚生省がつかんだ患者四十四人のうち六人を十月に認定 |
| 67 | 08 | 31 | 原爆医療審議会。「胎内被爆による小頭症を原爆症に認定すべきである」との結論をまとめ、31日、坊厚生大臣に答申。 |
| 67 | 08 | 31 | 厚生省、胎内で原爆に被爆した子供たちに見られる「小頭症」を「近距離早期胎内被爆症候群」として認定疾病とすることを決定。 |
| 67 | 09 | 12 | 広島市、独自の被爆者援護対策費五百万円を予算化。小頭症患者介護料、認定患者死亡時の葬祭料、家庭奉仕員五人増など |
| 71 | 08 | 05 | 成田知巳社会党委員長、広島市内で原爆小頭症の畠中百合子を見舞う。 |
| 73 | 02 | 05 | 原爆小頭症児の広島市内の母親、自殺。 |
| 75 | 07 | 01 | 広島市、原爆小頭症患者に「援護金」の終生支給を決定 |
| 75 | 07 | 01 | 広島市、胎内被爆による高度小頭症患者の介護人に支給していた介護料を援護金として本人に終生支給するよう要綱を改正。 |
| 75 | 10 | 13 | 広島県議会本会議、原爆胎内被爆小頭症患者の援護措置についての意見書を決議。 |
| 76 | 03 | 19? | 厚生省、原爆小頭症患者の認定更新制度を廃止することを決定。 |
| 76 | 05 | 18 | 広島・長崎両県・市の「8者協」、東京で幹事会を開催。-19日。原爆小頭症対策を新たに国に要望する方針を決定。 |
| 76 | 06 | 17 | 田中厚生大臣、広島・長崎の陳情団に小頭症対策に前向きの意向を表明。 |
| 76 | 08 | 06 | 宮沢広島県知事と荒木広島市長、三木首相・田中厚生大臣に原爆小頭症の具体策などを陳情。 |
| 76 | 08 | 25 | 自民党原爆被爆者対策小委員会、厚生省の昭和52年度の被爆者対策予算の概算要求を了承。原爆小頭症患者への特別措置は見送り。 |
| 76 | 10 | 19 | 参議院社会労働委員会。原爆小頭症患者対策や放射線影響研究所の運営問題などを論議。 |
| 77 | 01 | 11 | 広島・長崎八者協、自民党小委で小頭症対策など十項目を要望。 |
| 77 | 01 | 18 | 原爆小頭症の生活指導費補助金認められる。 |
| 77 | 01 | 24 | 「きのこ会」、小頭症患者の恒久対策を県・市に要望。 |
| 77 | 05 | 17? | このほど広島市、来広予定の福田首相に対する要望事項(原爆小頭症などへの援護の充実等)を決定。 |
| 77 | 06 | 07 | 6月定例県会で、知事、原爆小頭症患者の終身補償を国に要望するとの態度表明。 |
| 77 | 06 | 27 | 胎内被爆女性の記録「生きる-その証のために」(秋吉宜子監督)、第7回国際赤十字映画祭でグランプリ受賞。 |
| 77 | 07 | 20? | このほど広島市、原爆小頭症患者宅への被爆者相談員の派遣を開始。 |
| 77 | 09 | 01 | 広島市、原爆小頭症患者に対する援護事業の10月実施を決め9月補正予算に計上。 |
| 77 | 09 | 09 | 10月から原爆小頭症患者への生活指導補助をめぐって、物品支給か手当支給かで論議。 |
| 77 | 09 | 29 | 厚生省公衆衛生局課長、来広。被爆者の消化器系疾患に健康管理手当を支給する方針発表。また原爆小頭症患者への生活指導費は物品支給で行うとの意向表明。 |
| 77 | 11 | 10 | 広島市、原爆小頭症患者への生活指導費を病院・事業所を通して生活指導奨励金として、11月から支給することを決定。 |
| 77 | 12 | 07 | 長崎県・市・国の原爆小頭症患者、生活指導事業費の予算を議会に計上。 |
| 77 | 12 | 29 | 53年度予算案で、胎内被爆による小頭症患者への手当支給を決定。その他被爆相談員設置費補助各種手当の所得制限緩和など決定。 |
| 78 | 02 | 17 | 広島市、原爆小頭症患者への援護金の新年度からの打ち切りを発表。 |
| 78 | 04 | 14 | 原爆小頭症患者手当の支給について(衛発第345号厚生省公衆衛生局長通知)。 |
| 78 | 12 | 26 | 小頭症患者の母で岩国市在住の原爆症認定患者死亡。 |
| 79 | 08 | 06 | ドキュメンタリー番組「自立-原爆小頭症児の33年」、放送。 |
| 79 | 08 | 22? | 原爆小頭症患者・家族の会「きのこ会」の会報(11号)、刊行される。 |
| 79 | 11 | 03 | 原爆小頭症などの研究活動を続けた元広島大学教授、田淵明、勲三等旭日中綬章受ける。 |
| 81 | 02 | 18? | 原爆小頭症児らの35才の誕生日を祝う会、広島市で開催。 |
| 81 | 08 | 10 | ニューヨークタイムズ、広島市の原爆小頭症患者についての記事を掲載。 |
| 82 | 07 | 12 | 山口放送ディレクター磯野恭子、国際ソロプチミストアメリカ連盟大会で国際婦人援助賞受賞。胎内被爆児のテレビドキュメンタリー制作が評価されたことによる。 |
| 82 | 08 | 05 | 胎内被爆者を扱ったテレビドラマ「白い夏の絶唱」、テレビで放映。 |
| 83 | 06 | 19 | 「きのこ会」(胎内被爆小頭症患者とその親の会)、広島市で、総会開催。終身收容施設設置などの要望事項を决定。 |
| 84 | 03 | 24 | 被爆者問題研究会(原爆被害者問題研究会)、広島市で開催。「原爆小頭症患者の実態について」他。 |
| 84 | 06 | 26 | 胎内被爆者をめぐるテレビドラマについての対談番組、「わたしと夢千代とヒロシマと」(NHK製作)、送放。 |
| 84 | 06 | 99 | 胎内被爆小頭症患者らの会「きのこ会」広島市で総会開き、県・市への要望事頃など決定。 |
| 84 | 08 | 14 | 日韓両国政府の合意に基づく在韓被爆者渡日治療(第11陣)で、被爆者20名来日。(広島へ12名・長崎へ8名)(胎内被爆者が、初めて加わる)。 |
| 85 | 03 | 05 | 放影研の第12回専門評議員会、広島市で開催。(7日まで)。新研究項目として胎内被爆者の追跡調査などを勧告。 |
| 85 | 03 | 99 | 胎内被爆者を描いた映画「夢千代日記」の撮影開始(6月公開予定)。 |
| 85 | 06 | 16 | 「きのこ会」(原爆小頭症患者とその家族)の第20回総会、広島市で開催(16人出席) 。活動計画など決定。 |
| 85 | 06 | 30? | 被爆小頭症患者の家族会「きのこ会」、政府に手当増額と養護ホーム建設を要望。 |
| 86 | 02 | 24 | 胎内被爆による小頭症患者とその親の集まり「きのこ会」、広島市で、「四十歳を祝う会」を開催。 |
| 86 | 10 | 01? | 放影研、広島・長崎の胎内被爆者にがんの発生率が高いとの追跡調査結果を発表。 |
| 87 | 06 | 14 | 原爆小頭症児をテーマにした合唱組曲「百合子のうた」、完成し、徳山市で初上演。 |
| 87 | 07 | 28 | 「アキバ・プロジェクト’87」の記者、広島原爆病院などを訪れ、取材開始。29日、 原爆資料館を見学。31日、広島市長にインタビュー。3日、原爆小頭症患者を取材。 |
| 87 | 08 | 05 | 青森県在住の胎内被爆者、遺族代表として平和祈念式に参列するため来広。 |
| 87 | 08 | 05 | 「第8回ノーモア・ヒロシマコンサート」、広島市で開催(聴衆約600人)。原爆小頭症の母子をテーマにした合唱組曲「百合子のうた」など上演。 |
| 87 | 11 | 09 | 放影研のウィリアム・シャール博士、同研究所での延べ8年間の研究を終え、帰国。 主として胎内被爆と放射線の因果関係について研究。 |
| 88 | 01 | 14? | 放影研、胎内被爆による重度精神遅滞が起きる被爆放射線量を発表。 |
| 88 | 02 | 13 | 広島市で胎内被爆した下村盛長(41才)、がんで死去。昨年9月に小頭症の認定。 |
| 88 | 08 | 06 | 日本被団協相談員、原爆小頭症の認定を受けた直後死亡した胎内被爆者の遺影を携えて来広。 |
| 89 | 07 | 24 | 広島平和文化センタ-製作の被爆証言ビデオの本年度分50巻、完成し、貸し出し開始。胎内被爆者の証言など収録。 |
| 89 | 08 | 04 | 「第6回反核平和マンガ展」(広島県労マンガ集団主催)、広島市で開催(6日まで)。「被爆44周年原水禁世界大会」の行事で、約140点展示。 |
| 90 | 07 | 21 | テレビ番組「ウィークエンドリポート『胎内被爆45歳の肖像』」(NHK)、放送。 |
| 90 | 08 | 01 | ソ連ノーボスチ通信社カザフ支局のアスカル・ヌルマノフ記者、中国新聞社の招きで来広し、取材を開始(6日まで)。2日、岩国市で、胎内被爆者を取材。 |
| 90 | 08 | 03 | 旭川医科大学の立川裕幸助手、低線量の胎内被ばくでも、将来、不妊になる可能性が強いとの動物実験結果を発表。 |
| 91 | 03 | 17 | 原爆小頭症の患者と家族による「きのこ会」、子供の45歳の誕生日を祝う会を広島市で開催(29人参加)。 |
| 91 | 08 | 06 | 北九州市在住の原爆小頭症の婦人、広島市の平和平和記念式典に初参列。 |
| 91 | 08 | 06 | テレビ番組「おとう~小頭症患者の45年」(中国放送)、放送。 |
| 92 | 08 | 04 | 第1回「アジア記者招請プロジェクト」の記者5人、原爆小頭症の畠中百合子を取材。 |
| 92 | 12 | 06 | 原爆小頭症患者とその家族でつくる「きのこ会」、広島市内で総会を開催。親子で原爆養護ホームに入所できるよう県や市に働きかけることを決定。 |
| 93 | 08 | 03 | 広島国際文化財団の招請した記者4人、原爆小頭症の畠中百合子を取材。 |
| 93 | 11 | 13 | 光石信幸(全国に26人存在する原爆小頭症患者の一人)、長崎市の病院で死亡。47才。 |
| 94 | 08 | 04 | 第3回アジア記者招請プロジェクトの記者4人、岩国市を訪れ、原爆小頭症の畠中百合子を取材。 |
| 95 | 06 | 08 | 広島市立安佐市民病院の平位剛院長と医療相談室の村上須賀子主査、「きのこ会」の会員18人を対象とした面接と電話聞き取りによる調査結果をまとめる。原爆小頭症患者の8割が身体障害者手帳などを未申請。 |
| 95 | 07 | 12 | 北九州市在住の原爆小頭症患者とその母が、広島市内に建設中のケアハウスに入居を申し込んで断られていたことが判明。 |
| 95 | 08 | 01 | 広島国際文化財団の「アジア記者招請プロジェクト」の記者5人、原爆小頭症の畠中百合子と父国三を取材。 |
| 96 | 03 | 20 | 原爆小頭症患者と親で組織する「きのこ会」、50歳の誕生会を広島市内で開催。11家族と医師・ボランティアら約70人が参加。 |
| 96 | 07 | 24 | アジア記者招請プロジェクトの記者4人、岩国市の原爆小頭症患者・畠中百合子を取材。 |
| 96 | 07 | 25 | 米ハーバードがん予防センターのトリコポウロス博士らの研究グループ、チェルノブイリ原発事故の放射性降下物が大量に降ったギリシアで、母親の胎内で被曝した乳児の白血病発病率が2.6倍とする調査結果を英科学誌ネイチャーに発表。 |
| 96 | 08 | 28 | 大牟田稔広島平和文化センター理事長、「きのこ会」に10年にわたりカンパを届けていた新潟の労組を訪ね、お礼を述べる。 |
| 97 | 03 | 28 | 広島市の人事異動で4月1日に胎内被爆者の畑口実が原爆資料館館長に就任することが判明。原田浩館長は市民局理事(国際平和推進担当)に専任。 |
| 97 | 06 | 13? | 被爆者援護法に基づいて支給される特別葬祭給付金が、胎内被爆者に支給されていないことが判明。 |
| 97 | 08 | 04 | 広島国際文化財団の「アジア記者招請プロジェクト」に参加の記者4人、岩国市在住の原爆小頭症患者・畠中百合子を取材。 |
| 97 | 08 | 06 | 10時20分、RCCテレビ、「ひとりぼっち-原爆小頭症・信子」を放映。 |
原爆訴訟を支援する会 結成集会 20030426
参考資料:『核なき世界をめざして 原爆症認定を求める闘い』(「原爆訴訟を支援する会」編集委員会、20040710)
内容
| 頁 | ||
| 01 | はじめに…豊永恵三郎 | |
| 03 | 原爆症認定を求める集団訴訟…田村和之 | |
| 07 | 原爆症訴訟への思い…青木克明 | |
| 13 | 弁護団報告…池上忍 | |
| 21 | 原告の証言 | |
| 原爆に人生を狂わされて…小田アサミ あの日を境に変えられた人生…舛岡善光 原子爆弾を使った人にいいたい…重住澄夫 原爆に壊された青春時代…中田忠義 被爆者に目を向けてください…大江賀美子 劫火の中に母と妹を残して…鳴床輝子 弱いものが犠牲になる…三谷キミエ 今も果てなく続く苦しみ…木村裕彦 「原爆後遺症」に苦しみつづけて…川上誠 原爆という重い荷物を背負って…丹土美代子 好きで親なし子になったわけではない…西博 たった一人で生き抜いて…小松清興 被爆していなかったら・・、夢でした…萬膳ハル子 健康な身体を奪った原爆・・、…石川吉則 |
||
| 90 | 「原爆訴訟ヒロシマ」裁判の経過 | |
| 94 | 今後の活動 | |
| 95 | あとがき | |
『 ひろしま 世界平和の聖都』(広島原爆資料保存会編・刊、19690801)
内容
| 頁 | |||
| 刊行のことば(横田工・原爆資料保存会長) | |||
| 01 | 目次 | ||
| <キノコ雲写真> | |||
| 原爆の広島 | |||
| 物的被害 | |||
| 人的被害 | |||
| 被爆者の苦悩 | |||
| 被爆死亡者と生存者調査 | |||
| 原爆病院 | |||
| 被爆者福祉センター | |||
| 原爆孤児 | |||
| 健康手帳交付 | |||
| 限りなき思い出 | |||
| 平和記念都市法実施 | |||
| 平和記念施設 平和記念資料館 平和記念館(平和文化センター) |
|||
| 平和記念式典 | |||
| 市民の平和活動の実際 | |||
| 原爆日誌 | |||
| 秘められた原爆関係公文書 | |||
| 市内慰霊碑巡礼(碑文) | |||
| 被爆者の傷心 | |||
| 製作:(株)浜田写真工芸社 |
目次
原爆ドーム・平和公園地区へのかき船(水上レストラン)移転・新設問題を考える会(かき船問題を考える会) 結成日:2015年1月24日
関係資料<作業中>
| 資料名 | 著者など | 年月日 | 備考 |
| 世界遺産条約の制度と最近の動向(1) | 日本イコモス国内委員会 | 20171211 | 紙1枚 |
| 原爆ドーム近くのかき船(料亭)営業を許すな | かき船問題を考える会・広島自治体問題研究所 | 20171220 | 冊子 |
![]() |
|||
| 表紙の写真説明 | |||
| A 世界イコモス・アローズ会長<右端>に訴える高校生平和ゼミの生徒 | 20151101 | ||
| B 裁判提訴 | 20150611 | ||
| C 景観問題シンポ | 20160723 | ||
| D 料亭船「かなわ」 | 20171125 | ||
『ヒロシマのソーシャルワーク 不条理の是正という本質に迫る』(原爆被害者相談員の会 編著、かもがわ出版、 20190806)
内容<作業中>
| 章 | |||
| はじめに 1 | |||
| Ⅰ | 原爆被害者相談員の会の原点と未来 7 | 三村正弘 | |
| 1、不条理の是正に挑む道のり 8 | 太田昌克 | ||
| 2、原爆被害者相談員の会はなぜ生まれたのか 15 | 若林節美 | ||
| 3、ソーシャルワーカーの役割はどこにあるか-1990年代から今日まで 30 | 三村正弘 | ||
| 4、被爆者支援の今日的役割-福島第一原発事故被害者に対する健康相談会の取り組み 44 | 山地恭子 | ||
| 5、ソーシャルワークの本質に迫る-ソーシャルアクションを志向して 51 | 村上須賀子 | ||
| 6、被爆者を引き受ける-同伴者としての「相談員の会」から継承者としての「相談員の会」へ 62 | 直野章子 | ||
| 7、次世代による平和と人権の学び 70 | 中野春乃、奥西栄介 | ||
| Ⅱ | 被爆者の苦しみに寄り添って 79 | ||
| 1、ひたすらに生きる-援護のない被爆後を生きぬく 80 | 塚本弥生 | ||
| 2、原爆小頭症患者とその家族史 85 | 村上須賀子 | ||
| 3、孤独な死を選んだ若年被爆者 90 | 山地恭子 | ||
| 4、原爆症認定集団訴訟原告の生き様 94 | 櫻下美紀・山地恭子 | ||
| 5、「被爆者」として毎日を生きる 98 | 米澤美紀 | ||
| 6、ケロイドは放射線に起因しない 101 | 櫻下美紀 | ||
| 7、在外被爆者の原爆症認定申請 105 | 山地恭子 | ||
| 8、在外被爆者の被爆者健康手帳申請 109 | 山地恭子 | ||
| 9、被爆当時の証人なしで被爆者手帳を取得するまで 113 | 松本ソノ | ||
| 被爆者のための制度と用語の解説 117 | |||
| Ⅲ | 被爆者とともに行うソーシャルアクション 119 | ||
| 1 | 被爆者相談活動 | 塚本弥生 | |
| 被爆者相談活動前期 120 | 櫻下美紀 | ||
| コラム 日曜日はいつも… 124 | 山田寿美子 | ||
| コラム 卒業してすぐの相談員は 125 | 渡辺美加 | ||
| 被爆者相談活動後期-次世代のMSWの挑戦 126 | 櫻下美紀 | ||
| 「原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律」の成立 134 | 塚本弥生 | ||
| 原爆症認定制度のうつりかわり 136 | 三村正弘 | ||
| 集団訴訟・裁判資料作り-三次高女入市救護実態調査 140 | 三宅文枝 | ||
| 2 | 被爆者証言活動を支えるソーシャルワーカー | ||
| 8.6「原爆被害者証言のつどい」開催から現在まで 143 | 三宅文枝 | ||
| コラム 一日カメラマン 151 | 胡明憲二 | ||
| コラム 私にとっての相談員の会 152 | 黒岩晴子 | ||
| 「原爆被害者証言のつどいグループ」の誕生と活動 153 | 三村正弘/山地恭子 | ||
| コラム 第3回国連軍縮特別総会への参加 156 | 石橋京子 | ||
| 被爆証言の場につどうということ 157 | 奥村栄介 | ||
| 3 | 基本懇意見書を被爆者とともに乗り越えるために | ||
| 12.11「基本懇意見書」にこだわる 163 | 中村有紀子 | ||
| 4 | 自分史 | ||
| 被爆者が書く「自分史」活動を支えて 169 | 古寺愛子 | ||
| 5 | 原爆小頭症問題 | ||
| 原爆小頭症患者に医療ソーシャルワークを 180 | 村上須賀子 | ||
| 原爆小頭症患者の専任相談員として 184 | 河宮百合恵 | ||
| 6 | 同志と手を組む・その1・専門職との協働 | ||
| 本会を構成する多様な人たち 187 | 鈴木勉 | ||
| 相談員、原爆二法研究会、在外被爆者裁判 189 | 田村和之 | ||
| 原爆症認定裁判とソーシャルワーカー 191 | 二國則昭 | ||
| 7 | 同志と手を組む・その2・幅広い市民との協働 | ||
| 幅広い市民(同志)との協働 193 | 村上須賀子 | ||
| 私のボランティア活動の報告 197 | 相良カヨ | ||
| コラム 爆心地の遺族を訪ねて 204 | 熊谷睦子 | ||
| 8 | 被爆者とともに成長したSW | ||
| 「被爆者」の真の意味を学んだ「相談員の会」 207 | 米沢美紀 | ||
| 被爆者の願いを受け取って 208 | 村田朱 | ||
| 「相談員の会」で学んだソーシャルワーク 209 | 吉岡智子 | ||
| 3世として、医療ソーシャルワーカーとして 210 | 岡野恵美 | ||
| 自分史サポーターの経験を通じて得た学び 211 | 福原優子 | ||
| 終章 | |||
| 「相談員の会」のこれから 212 | 舟橋喜恵 | ||
| 被爆者支援ソーシャルワークは私たちの実践モデル 215 | 山地恭子 | ||
| おわりに 220 | 三宅文枝 | ||
| 執筆者一覧 222 | |||
執筆者一覧 222
備考
旧被服支廠の保全を願う懇談会 発足日:20140316<工事中>
旧被服支廠の保全を願う懇談会HP (hifukushisho.jp)
関係資料
| 年月日 | ||
| 20200301 | 赤レンガ倉庫は語り継ぐ 旧広島陸軍被服支廠被爆証言集 |
同懇談会編・刊 |
年表:広島のれんが建築
| 年月日 | 事項 |
:
か
原水爆禁止署名運動全国協議会 結成日:1954年8月8日
| 機関紙『原水爆禁止署名運動全国ニュース』(19540801) |
![]() |