「NGO(か行)」カテゴリーアーカイブ

ひろしま 世界平和の聖都

『 ひろしま 世界平和の聖都』(広島原爆資料保存会編・刊、19690801)

内容

刊行のことば(横田工・原爆資料保存会長)
01 目次
<キノコ雲写真>
原爆の広島
物的被害
人的被害
被爆者の苦悩
被爆死亡者と生存者調査
原爆病院
被爆者福祉センター
原爆孤児
健康手帳交付
限りなき思い出
平和記念都市法実施
平和記念施設
平和記念資料館
平和記念館(平和文化センター)
平和記念式典
市民の平和活動の実際
原爆日誌
秘められた原爆関係公文書
市内慰霊碑巡礼(碑文)
被爆者の傷心
製作:(株)浜田写真工芸社

 
目次

原爆ドーム・平和公園地区へのかき船(水上レストラン)移転・新設問題を考える会

原爆ドーム・平和公園地区へのかき船(水上レストラン)移転・新設問題を考える会(かき船問題を考える会) 結成日:2015年1月24日

関係資料<作業中

資料名 著者など 年月日 備考
 世界遺産条約の制度と最近の動向(1)  日本イコモス国内委員会  20171211  紙1枚
原爆ドーム近くのかき船(料亭)営業を許すな かき船問題を考える会・広島自治体問題研究所 20171220 冊子
 DSC06506 (2)
 表紙の写真説明
 A 世界イコモス・アローズ会長<右端>に訴える高校生平和ゼミの生徒  20151101
 B 裁判提訴  20150611
 C 景観問題シンポ  20160723
 D 料亭船「かなわ」 20171125

 

 

ヒロシマのソーシャルワーク 不条理の是正という本質に迫る

『ヒロシマのソーシャルワーク 不条理の是正という本質に迫る』(原爆被害者相談員の会 編著、かもがわ出版、 20190806)

内容<作業中

はじめに 1
原爆被害者相談員の会の原点と未来 7  三村正弘
1、不条理の是正に挑む道のり 8 太田昌克
2、原爆被害者相談員の会はなぜ生まれたのか 15 若林節美
3、ソーシャルワーカーの役割はどこにあるか-1990年代から今日まで 30  三村正弘
4、被爆者支援の今日的役割-福島第一原発事故被害者に対する健康相談会の取り組み 44 山地恭子
5、ソーシャルワークの本質に迫る-ソーシャルアクションを志向して 51 村上須賀子
6、被爆者を引き受ける-同伴者としての「相談員の会」から継承者としての「相談員の会」へ 62  直野章子
7、次世代による平和と人権の学び 70 中野春乃、奥西栄介
被爆者の苦しみに寄り添って 79
1、ひたすらに生きる-援護のない被爆後を生きぬく 80 塚本弥生
2、原爆小頭症患者とその家族史 85 村上須賀子
3、孤独な死を選んだ若年被爆者 90 山地恭子
4、原爆症認定集団訴訟原告の生き様 94 櫻下美紀・山地恭子
5、「被爆者」として毎日を生きる 98 米澤美紀
6、ケロイドは放射線に起因しない 101 櫻下美紀
7、在外被爆者の原爆症認定申請 105 山地恭子
8、在外被爆者の被爆者健康手帳申請 109 山地恭子
9、被爆当時の証人なしで被爆者手帳を取得するまで 113 松本ソノ
被爆者のための制度と用語の解説 117
被爆者とともに行うソーシャルアクション 119
1 被爆者相談活動  塚本弥生
被爆者相談活動前期 120 櫻下美紀
コラム 日曜日はいつも… 124 山田寿美子
コラム 卒業してすぐの相談員は 125 渡辺美加
被爆者相談活動後期-次世代のMSWの挑戦 126 櫻下美紀
「原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律」の成立 134 塚本弥生
原爆症認定制度のうつりかわり 136 三村正弘
集団訴訟・裁判資料作り-三次高女入市救護実態調査 140 三宅文枝
2 被爆者証言活動を支えるソーシャルワーカー
8.6「原爆被害者証言のつどい」開催から現在まで 143  三宅文枝
コラム 一日カメラマン 151 胡明憲二
コラム 私にとっての相談員の会 152 黒岩晴子
「原爆被害者証言のつどいグループ」の誕生と活動 153 三村正弘/山地恭子
 コラム 第3回国連軍縮特別総会への参加 156  石橋京子
被爆証言の場につどうということ 157  奥村栄介
3 基本懇意見書を被爆者とともに乗り越えるために
12.11「基本懇意見書」にこだわる 163  中村有紀子
4 自分史
被爆者が書く「自分史」活動を支えて 169  古寺愛子
5 原爆小頭症問題
原爆小頭症患者に医療ソーシャルワークを 180  村上須賀子
原爆小頭症患者の専任相談員として 184 河宮百合恵
6 同志と手を組む・その1・専門職との協働
本会を構成する多様な人たち 187  鈴木勉
 相談員、原爆二法研究会、在外被爆者裁判 189  田村和之
原爆症認定裁判とソーシャルワーカー 191 二國則昭
7 同志と手を組む・その2・幅広い市民との協働
幅広い市民(同志)との協働 193  村上須賀子
私のボランティア活動の報告 197 相良カヨ
 コラム 爆心地の遺族を訪ねて 204  熊谷睦子
8 被爆者とともに成長したSW
「被爆者」の真の意味を学んだ「相談員の会」 207 米沢美紀
被爆者の願いを受け取って 208 村田朱
「相談員の会」で学んだソーシャルワーク 209 吉岡智子
3世として、医療ソーシャルワーカーとして 210 岡野恵美
自分史サポーターの経験を通じて得た学び 211 福原優子
終章
「相談員の会」のこれから 212 舟橋喜恵
被爆者支援ソーシャルワークは私たちの実践モデル 215 山地恭子
おわりに 220 三宅文枝
執筆者一覧 222

執筆者一覧 222
備考

『劇団月曜会機関紙 復刻版』

『劇団月曜会機関紙 復刻版 第1集 1960年2月➡1984年9月』(1985年1月10日刊)

<作業中>
この日この地でこの人と
広島の地で歩みつづけた演劇グループ 25年の足跡
NO. 発行年月日 備考
1959 劇団月曜会結成
01 19600201
02 196103
03
04
05 19610925
06
07
08 19620201
09 19620615
10 19630225
11 19630420 劇団創作劇の第1弾!峠三吉没後10年記念作品「河」3幕7場脱稿
12
13
14 1964 平和運動の新しい高まりの中で 生まれ変わった河 8・6公演から書き直しまで
15 19640508 原爆投下から安保体制まで ”河”ようやく完成 ぼう大な歴史的素材ととりくんだ1年半
16
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18
19 19670301
20 19670620
21 19670802
22 19671110
196802 「芸州世直し一揆」(赤旗びらき上演)
197006
1970 「ひろしまの冬」(労演例会)
1971 劇団月曜会第10回公演「呑んだくれ」
1973 劇団月曜会第12回公演
河 劇団月曜会第13回公演 1973年作品
22 19740120 「劇団月曜会上演ニュース」
23 19750210 「劇団月曜会上演ニュース」
24 19760101 「劇団月曜会上演ニュース」
25 19760501 ひろしまは幻影と化したか 「閃光の遺産」劇化にあたって
劇団と原水禁運動―「文化大集会」について考える―
26 19760701
27 19770201
28 19770601
29 19780401
30 19781101
31 19820801
32 19821001
33 19840801
34 19840901 平和と文化の集い 今、ひろしまを考える(岩井史博)

つぐない 原爆補償

『つぐない 原爆補償』創刊号(原爆被災者補償法の制定を期する市民の会、19731206)

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項目 著者
01 発刊を祝して 志水清(理事長)
02 裁判所の法技術論と原爆補償 畑博行(広島大学政経学部教授)
04 原爆補償の思想 今堀誠二(広島大学教養部部長)
06 無縁仏の遺族さがしを通して 佐伯敏子(主婦)
08 署名運動に参加して 矢野庫雄()
09 奉仕国家建設をめざそう 相原和光(広島YMCA総主事)
10 憲法九条から地球市民へ 小谷鶴次(広島大学元政経学部長)
12 どこまで国の責任か 村上忠敬(女学院大学学長)
13 原爆被災者補償法を考える 久保正直(事務局長)
15 被爆者援護のあゆみ 志水清(理事長)
18 事務局報告
20 編集後記 末永

 

 

原爆被災者補償法の制定を期する市民の会

原爆被災者補償法の制定を期する市民の会 1972年6月2日発足

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被爆者に国家補償を

法の制定を要求。市民組織が発足
原爆被爆者に対する国家補償法の制定を要求して運動を進めようという市民組織が二十日、広島市で発足した。さっそく市内で署名運動を始め、政府に要求してゆく。
この運動を進めているのは同市皆実町四丁目、無職久保正直さん(64)。久保さんは四十五年ごろから補・補償制定要求署名運動を続け、昨年八月六日佐藤首相が広島を訪れたさい、七千百人分の署名を山田広島市長を通じて提出した。
その後、この運動を推進する人々が広がったため、正式に会を結成した。
広島市基町の広島YMCAで開いた結成会には、久保さんのほか、志水清ABCC医科社会学部長、村上忠敬核禁広島県民会議議長ら九人が出席し、今後の運動の進め方を話し合った。
この結果①六一九月の間に署名運動に全力をおける②現在百一人の会員を二百三十人にふやし、署名運動の中心になってもらう③国家補償要求を理論的に裏づける科学的資料の収集、補償法の骨子を決める研究会の開催に努めるなどの運動方針を決めた。
組織の名称は「原爆被災者補償法の制定を期する市民の会」とし、理事長に志水清氏、事務局長に久保正直氏をそれぞれ選んだ。
久保さんは「生存者、死没者を問わず、原爆被災者に国家補償するのは、政府の当然の責務。それが原爆投下は国際法違反であることを確認し、世界平和実現の第一歩につながると確信すると話している。 『中国新聞』(1972年6月21日)