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日本国際法律家協会の30年

『人間にあしたあれ 日本国際法律家協会の30年』(日本国際法律家協会編、勁草書房、19871110)

内容

項目 著者 備考
口絵
第1回アジア法律家会議(1955年1月)、カルカッタ
創立総会(19570427)
<以下未入力>
すぐれて主体的になるために―「序」にかえて 沼田稲次郎
001 第1部 創立のころ 回想の国際会議
002 国際法協の創生期 渡辺卓郎
「1957年4月17日、虎ノ門の霞山会館で創立総会
003
011 大阪支部の初期の活動について 石川元也
013 さまざまに30年-小野清一郎先生のことにもふれて 中田直人
018 カルカッ夕会議と法律家の国際運動 松井康浩
022 回想のコナクリ会議 江藤价泰
027
032 随想的懐想的国屎法律家連帯運動組織論序説 石島泰
040 国法協との25年-コナクリ会議を中心として 尾崎陞
045 第2部 反核 平和 人権の旗をかかげて
046 遥かなラッセル法廷 森川金寿
051 国際人道法サンレモ円卓会議 宮崎繁樹
054
061  反核・平和と国際連帯-ヨークーフォーフムヘの参加をふりかえって   吉岡幹夫
063  ニカラグア国際司法裁判所判決と米議会イランーコントラ調査 井関和彦
071 幼き日の心の傷と核への出会い  保木本一郎
073 パリ「反核集会」でのスピーチ 浦田賢治
077  自らを映し出す鏡 根本孔衛
081  東京裁判と私 根本孔衛
087  忠臣蔵から国際原爆法廷へ  椎名麻紗枝
 092  核時代と自然法  内藤雅義
 099  第3部 国際交流活動に学ぶ
100  中国との法律的交流活動について  甲斐道太郎
104  海をわたった朝日訴訟アピール  小川政亮
108  ロ-マ世界集会に参加して  宇賀神直
111  個人的国際関係論  千葉正士
116  私をギリシャに結びつけた国法協  池田眞規
122  国際交流-日ソおよび日朝交流の回想  森田三男
123  ベトナムとの学術交流-ベトナム法律家協会を再訪して  鮎京正訓
132  ベトナム・1987年 稲子恒夫
136  理事会の末席から  小林和恵
138  はじめての旅-アテネ大会のこと  戒能通厚
142  「国法協はサロン的」か?  大熊政一
146  国法協の30年と国法協との17年  松井芳郎
150  若手研究者と国際交流  新倉修
155  日記的回想  仲剛星子
159  雑感  中村*一
 161  支部活動の強化に向けて  大川真郎
163  機関誌のあゆみ  山本孝
167  初めての旅 鍛冶利秀
171  外国との″距離感″と国際連帯  原田純孝
175  韓国被爆者問題の調査に参加して   山下潔
181  大都市下町市民の老後生活の一端-ウィーン東京の国際比較調査
 187  第4部 回想の群像
188  二つの国際会議に出席して  黒木三郎
191  裸のつきあい―ノルドマンI  ADL会長のプロフィル  斎藤一好
197  IADLソフィア大会とヘルシンキ大会  潮見俊隆
202  走馬看花-日中交流の一齣  利谷信義
206  アルバムの中の人々-広島・長崎と国法協、そしてIADL  仲田晋
213  沼田会長と私  小田成光
218  国法協と私  平山知子
222  国法協30年と私  斎藤誠
225  言葉  彦坂敏尚
228  国法協30年の中で  藤田勇
 233  第5部 私たちの提言 
234  万斛の思ひをこめて-再建国法協に期待する  仁科哲
237  日本国憲法九条の遵守-非戦・永世中立宣言の必要  田畑忍
245  アジア諸国の労働者と日本  本多淳亮
250  核兵器緊急廃絶のために-抑止論を克服  亀田得治
255  世界法への取組み  北尻得五郎
258  国法協30年に思う  小林孝輔
261  平和主義の旗印を高く掲げて-国家秘密法と平和的生存  小田中聰樹
266  新しいくにと法と平和のゆくえーアメリカ・インディアン運動をめぐって  森田宗一
273  日本国憲法九条と日本人の責務  北野弘久
276  ペリー・メイスン弁護士の本当の活動  花田政道
280  民主主義と国家秘密法  杉村敏正
 286  企業活動の国際化と労働者の権利  大和田敢太
291  「国際化」時代に思う  陸井三郎
296  国際化時代と国法協  室井力
297  アパルトヘイト罪と国際連帯運動  家正治
303  地球環境の保全とわが国の責務  豊田誠
308  エリトリア人民の民族自決権  小林三衛
313  国法協と新人  桑原育朗
 315  SDIと法律家 入倉卓志
318  編集後記  小林成光
 322  執筆者紹介

 

ヒロシマ基礎講座(第1回):ヒロシマはどう伝えうるか

ヒロシマはどう伝えうるか 原爆・平和報道の過去・現在・未来

日本ジャーナリスト会議広島支部(JCJ広島)主催「ジャーナリストのためのヒロシマ基礎講座」(2008年7月12日(土) 広島市まちづくり市民交流プラザ)

Ⅰ ヒロシマ教育の現場から
1987.7.11 広島平和文化センター主催留学生平和セミナー(第1回)
「被爆の社会的影響について」<1987.10.2 国連軍縮フェローシップへの講演>私もかかわる。90年頃からいつも平和文化センター理事長と私が攻撃対象。
1990年度~ 広島大学平和科目「戦争と平和に関する総合的考察」
1991年度受講生(日本人・女)  資料)1992年度受講生(中国人)
199011 アメリカの大学での講演=石原慎太郎の南京虐殺否定発言、フセインとヒロヒトの同一視
20030801 14万羽の折り鶴焼失>関西学院大学学生との合同授業 2004年~。
*県外学生のヒロシマに関する知識の欠如=県外での平和教育の衰退
2005年~ 広島女学院大学前期科目「ヒロシマ」。
*女学院学生の被爆3世の自覚の欠如=家庭の継承機能の衰
他の教育現場の状況
ピース・ボランティア(1999年~)、 ピースクラブ、ピースフォーラム
「広島・長崎講座」(2002年~)=平和教育の対象が高校生から大学生へ。
2007年 明治大学軍縮平和研究所など主催「被爆者の声をうけつぐ映画祭」
広島大学の平和教育=広島を中心に据えなかった。2009年度から必須科目で原爆資料館・大和ミュージアム・旧海軍兵学校教育参考館(江田島)・大久野島毒ガス資料館・ホロコースト記念館。
笠井綾(表現アーツセラピスト)「日曜エッセー 被爆継承 言葉を超え六感で」(中国新聞 2008年3月16日)
退
Ⅱ 原爆医療・医学分野での進展
原爆傷害調査委員会(ABCC)->1975年4月1日 放射線影響研究所
2008年6月、被爆者の死因を追跡する寿命調査(LSS)などを少なくとも今後25年継続するとの計画
*広島県に居住する被爆者数(広島大学広報委員会『学内通信』No.242)
昭和55(1980)年 17万9000人->昭和80(2005年)年 8万2000人(推定)
*IPPNW=核戦争防止国際医師会議。1980年に発足。1985年にノーベル平和賞を受賞
*湯崎(84.6.11)、内田(91.3.5)、志水(91.7.26)、秦(92.4.17)死亡。
<19910726宇吹メモ>ヒロシマの枠組みは存在するものの、その良質の精神(たとえば志水清や藤居平一に体現されていた)は、次第に失われている。現在の「被爆体験の継承」というスタイルで本当の継承ができるのか。必要なのは、「継承」というより「構築」ではないか。・・・
*原爆訴訟との関連
「被爆者運動」の担い手が、遺族から動員学徒に移行
戦前の軍国主義と戦後の初々しい民主主義の体験者
伊東壮=旧制県立広島一中3年の時に被爆。山梨大学学長(1992-98年)のほか、日本原水爆被害者団体協議会代表委員(1981-2000年)などを歴任した。
平山郁夫=旧制広島修道中学(3年在学中、勤労動員されていた広島市内陸軍兵器補給廠で被災。この被爆経験が後の「文化財赤十字」活動などの原点となる。『広島生変図』(1979)(広島県立美術館蔵)
原水爆禁止運動への偏見
弓削達(「歴史的現在をどう生きるか」岩波ブックレットNO.276、1992年11月)
「厭戦的な平和運動」・「被害者意識的な厭戦平和主義」
歴史化の進展事例
原爆資料館への学芸員の配置  広島市 1995年~、長崎市 2009年予定
1996年 原爆ドームの世界遺産化
広島平和記念資料館 重要文化財、広島平和記念公園 国名勝 2007年2月
長崎の平和公園 登録記念物 2008年5月?
2008年3月29日 NHKテレビ『探検ロマン世界遺産SP』
「記憶の遺産」=人類が忘れてはならない記憶の場所
2008年6月 島根県雲南市三刀屋町の市永井隆記念館敷地内に如己堂
Ⅲ 戦艦大和ブームとヒロシマ
Ⅳ 最近の原爆報道
空白の10年=県被団協の結成、12年=医療法、1970年代後半=国政課題としての被爆者問題
空白の3年=48 08 ? 夏、丸木位里・赤松俊子、「原爆の図」の製作に着手。
丸木俊『女絵かきの誕生-原爆を描いた愛の自叙伝』(朝日新聞社、1977年)
ヒロシマの誇り原爆ドーム、久間防衛大臣の発言、岡本太郎『明日の神話』、一本の鉛筆
2011年度から完全実施される小学校社会科の新学生指導要領の解説書
福田首相のオリンピック開会式参加と長崎平和式典参列。
資料4)最近の原爆報道より
朝日新聞連載 「聞きたかったこと 被爆から63年」2008年4月2日~
2008年5月31日 第8回東京空襲犠牲者遺族会総会。2000年に結成。2006年に訴訟を提起。
2008年6月22日 「殉国之塔」(旧呉海軍工廠への空襲で死亡した女子挺身隊らを祀る)の移設と慰霊祭
2008年7月9日 広島市原爆供養塔の納骨名簿(823体分)の公開
Ⅴ 未来へ
*あふれる原爆情報のガイド役=原爆情報リテラシー
1988年9 月2日 中国地区デ-タベース推進協議会・標準化部会。中国電力本社。
*被爆体験継承のためのFD(Faculty Development)
浅井基文<広島に聞く・広島を聞く>広島平和研究所ニューズレター 2006年3月号~
舟橋喜恵、平岡敬、坪井直、李実根、鎌田七男、中沢啓治、金子一士(森滝健一郎、浅井

 

1987.7.11広島平和文化センター主催留学生平和セミナー(第1回)

「被爆の社会的影響について」<1987.10.2 国連軍縮フェローシップへの講演>

私もかかわる。90年頃からいつも平和文化センター理事長と私が攻撃対象。

1990年度~「戦争と平和に関する総合的考察」

1991年度受講生(日本人・女)  資料)1992年度受講生(中国人)

1990年年11月、アメリカの大学での講演=石原慎太郎の南京虐殺否定発言、フセインとヒロヒトの同一視

<2003年8月1日14万羽の折り鶴焼失>関西学院大学学生との合同授業 2004年~。

*県外学生のヒロシマに関する知識の欠如=県外での平和教育の衰退

広島女学院大学前期科目「ヒロシマ」 2005年~。

*女学院学生の被爆3世の自覚の欠如=家庭の継承機能の衰退

資料1=実践例

他の教育現場の状況

ピース・ボランティア(1999年~)、 ピースクラブ、ピースフォーラム

「広島・長崎講座」(2002年~)=平和教育の対象が高校生から大学生へ。

2007年 明治大学軍縮平和研究所など主催「被爆者の声をうけつぐ映画祭」

広島大学の平和教育=広島を中心に据えなかった。2009年度から必須科目で原爆資料館・大和ミュージアム・旧海軍兵学校教育参考館(江田島)・大久野島毒ガス資料館・ホロコースト記念館。

笠井綾(表現アーツセラピスト)「日曜エッセー 被爆継承 言葉を超え六感で」(中国新聞 2008年3月16日)

Ⅱ 歴史化するヒロシマ

原爆医療・医学分野での進展

原爆傷害調査委員会(ABCC)->1975年4月1日 放射線影響研究所

2008年6月、被爆者の死因を追跡する寿命調査(LSS)などを少なくとも今後25年継続するとの計画

*広島県に居住する被爆者数(広島大学広報委員会『学内通信』No.242)

昭和55(1980)年 17万9000人->昭和80(2005年)年 8万2000人(推定)

*IPPNW=核戦争防止国際医師会議。1980年に発足。1985年にノーベル平和賞を受賞

*湯崎(84.6.11)、内田(91.3.5)、志水(91.7.26)、秦野(92.4.17)死亡。

91.7.26・・・ヒロシマの枠組みは存在するものの、その良質の精神(たとえば志水清や藤居平一に体現されていた)は、次第に失われている。現在の「被爆体験の継承」というスタイルで本当の継承ができるのか。必要なのは、「継承」というより「構築」ではないか。・・・

*原爆訴訟との関連

「被爆者運動」の担い手が、遺族から動員学徒に移行

戦前の軍国主義と戦後の初々しい民主主義の体験者

伊東壮=旧制県立広島一中3年の時に被爆。山梨大学学長(1992-98年)のほか、日本原水爆被害者団体協議会代表委員(1981-2000年)などを歴任した。

平山郁夫=旧制広島修道中学(3年在学中、勤労動員されていた広島市内陸軍兵器補給廠で被災。この被爆経験が後の「文化財赤十字」活動などの原点となる。『広島生変図』(1979)(広島県立美術館蔵)

原水爆禁止運動への偏見

古くさいというムード=冷戦終結後顕著。飢餓・貧困・環境問題・民族問題・宗教紛争

弓削達(「歴史的現在をどう生きるか」岩波ブックレットNO.276、1992年11月)

「厭戦的な平和運動」・「被害者意識的な厭戦平和主義」

川島孝郎(石田明、空辰男)、深川宗俊、藤居平一、

長田新、(斉藤)、森戸辰男、今堀誠二、森滝市郎、佐久間澄、大牟田稔、平岡敬、

資料2)今堀誠二著『原水爆時代-現代史の証言(上)(下)』目次

原爆資料館への学芸員の配置  広島市 1995年~、長崎市 2009年予定

1996年 原爆ドームの世界遺産化

広島平和記念資料館 重要文化財、広島平和記念公園 国名勝 2007年2月

長崎の平和公園 登録記念物 2008年5月?

2008年3月29日 NHKテレビ『探検ロマン世界遺産SP』

「記憶の遺産」=人類が忘れてはならない記憶の場所

2008年6月 島根県雲南市三刀屋町の市永井隆記念館敷地内に如己堂

Ⅲ 戦艦大和ブームとヒロシマ

資料3)日本表象文化史(第12回)2008年1月21日資料

朝日新聞の取材に注目

Ⅳ 最近の原爆報道

空白の10年=県被団協の結成、12年=医療法、1970年代後半=国政課題としての被爆者問題

空白の3年=48 08 ? 夏、丸木位里・赤松俊子、「原爆の図」の製作に着手。

丸木俊『女絵かきの誕生-原爆を描いた愛の自叙伝』(朝日新聞社、1977年)

ヒロシマの誇り原爆ドーム、久間防衛大臣の発言、岡本太郎『明日の神話』、一本の鉛筆

2011年度から完全実施される小学校社会科の新学生指導要領の解説書

福田首相のオリンピック開会式参加と長崎平和式典参列。

資料4)最近の原爆報道より

朝日新聞連載 「聞きたかったこと 被爆から63年」2008年4月2日~

2008年5月31日 第8回東京空襲犠牲者遺族会総会。2000年に結成。2006年に訴訟を提起。

2008年6月22日 「殉国之塔」(旧呉海軍工廠への空襲で死亡した女子挺身隊らを祀る)の移設と慰霊祭

2008年7月9日 広島市原爆供養塔の納骨名簿(823体分)の公開

Ⅴ 未来へ

*あふれる原爆情報のガイド役=原爆情報リテラシー

1988年9 月2日 中国地区デ-タベース推進協議会・標準化部会。中国電力本社。

*被爆体験継承のためのFD(Faculty Development)

浅井基文<広島に聞く・広島を聞く>広島平和研究所ニューズレター 2006年3月号~

舟橋喜恵、平岡敬、坪井直、李実根、鎌田七男、中沢啓治、金子一士(森滝健一郎、浅井)

ヒロシマ基礎講座

「ジャーナリストのためのヒロシマ基礎講座」(日本ジャーナリスト会議広島支部(JCJ広島)主催。20080712~)

テーマ 講師 年月日
01 ヒロシマはどう伝えうるか-原爆・平和報道の過去・現在・未来 宇吹暁 20080712
広島女学院大学教授
02 浅井基文
広島市立大学広島平和研究所長
03 伝えることと、記録することのはざまで~原爆小頭症の取材を続ける中で思うこと~ 平尾直政 RCC企画部長
04 広島の思想はなぜ国際政治を動かせないのか、動かすために我々はいかにすべきか 広岩近広 20081025
毎日新聞専門編集委員
05 ブッシュ核戦略の挫折と米新政権の課題 太田昌克 20081122
共同通信記者
06 日本核武装の幻想 そしてナガサキの平和運動 土山秀夫 20090124
核兵器廃絶ナガサキ市民会議代表
07 報道されなかったイラク戦争 ~映像で見るイラク~ 西谷文和 20090328
フリージャーナリスト、「イラクの子どもを救う会」代表
08 ひろしま―呉―イワクニ。トライアングルの視点 小野増平 20090418
広島経済大教授、元中国新聞編集局長
緊急フォーラム:アメリカの核政策~オバマ大統領のプラハ演説が意味するもの 20090425
哲野イサク(広島在住・ウェブジャーナリスト、大島寛(広島修道大教授)、佐渡紀子(広島修道大准教授)
22 詩人と医学者、歴史家が語り合う「ヒロシマからフクシマまでの道」 20110723
アーサー・ビナード、鎌田七男

 

 

 

 

 

雑誌『平和』

雑誌『平和』(1952年6月1日創刊)

編集評議員 (肩書)
柳田謙十郎 戦没学生記念会理事長
清水幾太郎 平和問題談話会
風見章 前国務大臣
上原専祿 科学者平和懇談会
中野好夫 平和問題懇談会
神近市子 婦人タイムス社長
岡三郎 日本教職員労組委員長
妹尾義郎 平和推進国民会議理事長
今中次麿 広島大学法学部長
務台理作 科学平和懇談会員
高桑純夫 科学平和懇談会員
福島要一 日本学術会議会員
淡徳三郎 日本文化人会議副議長
編集事務 西田義郎

 

目次

発行年月日 著者 タイトル
第1号~第15号の発行所:青木書店
1952
01 0601 草野信男 細菌兵器の威力-原子爆弾だけが問題なのではない
0601 足音 学者文化人の平和のための闘い
0601 教育学会平和の叫び
0601 日本平和文化賞関川秀雄氏に贈らる
0601 ”子供を守る会”の結成
0601 書評:青木書店 原爆の図(赤松俊子・丸木位里)
0601 [国立国会図書館副館長中井正一逝去(5月18日)]
0601 書評:「原爆の図」フランスで評判
02 0801 闘うジョリオ・キューリー
本郷新 平和のための美術展
峠三吉 原爆詩集「序」
03 0901 三笠宮崇仁 原爆禁止は全人類の声
正田篠枝 歌集[「さんげ」より4首]
谷本清(神戸) 談話室[関西エスペランチストのエスペラント語による「原爆の図」、「原爆の子」などの紹介]
足音 日本子供を守る会
04 1001 高橋幸八郎 国際教育者会議出席の記
長島又男 新聞・8月15日
中濃 日本で世界仏教会議
足音 国鉄労組新潟本部の平和運動 [新潟県の10ケ所で赤松俊子・丸木位利の「原爆の図」展覧会を開催。10余万の観覧者。]
05 1010 特集:朝鮮戦争の真相
原子兵器に反対する六億の意志
06 1101 編集部 [「東大生産技術研究所有志」による「アサヒ・グラフ」原爆号の英文説明書作成]、[近く岩波版「ひろしま」の英文説明書できる予定]
入江啓四郎 戦犯は釈放すべきか [「非常に不公平」、「特に例をとれば、広島や長崎の原爆である」]
中濃教篤 第2回世界仏教徒会議の陰謀 [9月25日-10月14日、日本で開催。]
文学者代表を送る会の文学準備委員 文学者代表を送る会(9月15日)の文学準備委員メッセージ [亜州及び太平洋地域平和会議に太田洋子・許南麒・檀一雄を送ることを決める。]
長田新 沈黙は共犯である-平和運動の困難点
07 1201 帆足計 広汎な平和戦線を [アジア太平洋地域平和会議準備会からの要請に応じ送られたメッセージ。「日本は世界さいしょの、二発の原子爆弾をうけた民族である」]
草野信男 平和の声 国際医師会議の禁止
ローゼンバーグ夫妻の死刑確定
小島正夫 広島で世界連邦アジア会議ひらく
大山郁夫・平野義太郎 諸国民の平和大会への呼かけ
岩村三千夫 北京会議を貫くもの
富永五郎 科学にも手が廻っている
「戦犯は釈放すべきか」に寄せて [「戦犯裁判の不公正と原爆および無差別爆撃行為を並立して、相殺論的に釈放問題を取上げることも同様に危険である」]
岩崎昶 映画また戦争外道を行く [10月17日の閣議で「原爆の子」の輸出を禁止]
小島正夫 広島で世界連邦アジア会議ひらく
足音 第13回学術会議
天野徳重 官公庁労働組合協議会の抗議 [「去る17日の閣議において文部省第1回特選映画「原爆の子」は一大蔵大臣の発言により海外への輸出禁止が決定された」]
1953
08 0101
09 0201
10 0301
11 0401
12 0410
13 0501
14 0601
15 0701
以下の発行所 青木書店
16 0901v
17 1001
18 1101
19 1201
1954
20 0101
21 0201 臨時増刊 平和巡礼 大山郁夫夫妻帰朝報告
21 0201
22 0301
23 0401
24 0501
26 0601
27 0701
28 0801
29 0901
30 1001
31 1101

日本文化人会議

日本文化人会議 1951年9月22日創立

「それぞれ専門分野を別にしながら文化活動にかかわる人々が、国内外の人々と提携して「平和」を守るために協力することを目的に結成」。破壊活動防止法制定に、戦前の「治安維持法」の再現として反対。また内灘や砂川など、米軍事基地拡張反対運動に積極的に参加。

雑誌『平和』(1952年5月 青木書店創刊。編集委員(淡徳三郎、福島要一、今中次麿、風見章、神近市子、務台理作、中野好夫、岡三郎、清水幾太郎、妹尾義郎、高桑純夫、上原専祿、柳田謙十郎)。のち、日本文化人会議の機関誌となり、編集長・中野好夫氏で大月書店より刊行。

出典:https://oisr-org.ws.hosei.ac.jp/archives/darc/bunkakaigi/

年表:この子たちの夏・夏の会

年表:この子たちの夏・夏の会

1985 07 05 朗読劇「この子たちの夏-1945・ヒロシマ・ナガサキ」(木村光一構成・演出)、全国公演始まる。
1985 07 15 朗読劇「この子たちの夏-1945・ヒロシマ・ナガサキ」(木村光一構成・演出)、中国地方公演(4市)始まる。27日広島市で上演。
1985 07 27 原爆をテーマにした朗読劇「この子たちの夏1945、ヒロシマ・ナガサキ」(木村光一演出)、
1985 07 29 原爆をテーマにした朗読劇「この子たちの夏-1945・ヒロシマ・ナガサキ」東京で上演。
1986 07 01 朗読劇「この子たちの夏-1945・ヒロシマ ナガサキ」( 木村光一構成演出) 、新潟市で上演。全国での巡演開始(5日松江市、15日尼崎市など)。
1987 07 07 朗読劇「この子たちの夏-1945・ヒロシマナガサキ」公演、青森県八戸市で開催(米子・松山・金沢東京などでも上演、8月10日まで)。
1987 07 18 原爆をテーマにした朗読劇「この子たちの夏~1945・ヒロシマナガサキ」、中国地方での巡演開始(28日まで)。18日米子市、19日鳥取市、他。
1987 07 24 朗読劇「この子たちの夏-1945・ヒロシマナガサキ」呉市で上演。
1987 08 09 地人会、朗読劇「この子たちの夏」を水道橋アール・エヌホールで上演.
1988 07 03? 朗読劇「この子たちの夏―1945・ヒロシマ・ナガサキ」、因島市で上演(国際ソロプチミスト因島の企画)。
1988 07 11 朗読劇「この子たちの夏-1945ヒロシマ・ナガサキ」、芦屋市で上演。(7月中旬、  津市で100回公演を達成)。
1988 07 14 原爆をテーマにした朗読劇「この子たちの夏」、佐世保市で上演。
1988 08 01 朗読劇「この子たちの夏」,金沢で上演.
1989 05 09 演出家木村光一の講演会、広島市で開催。原爆をテーマにした朗読劇「この子たちの夏」などについて。
1989 07 16 原爆をテーマにした朗読劇「この子たちの夏~1945 ヒロシマ ナガサキ」の中国地方での巡回公演、開始(28日まで)。17日岩国市、18日山口市、26日下関市、28日広島市。
1989 07 28 朗読劇「この子たちの夏~1945  ヒロシマ  ナガサキ」(演出木村光一)、広島市で上演。
1990 02 11? 岡山市の市民グループ、原爆をテーマにした朗読劇「この子たちの夏」公演への参加スタッフを募集。
1990 05 20 岡山市の市民グループ、原爆をテーマにした劇「この子たちの夏」の自主上演に向けて来広、被爆者らと懇談。
1990 06 03? 演出家木村光一、原爆をテーマにした朗読劇「この子たちの夏」の市民による上演を呼びかけ。
1990 07 03 朗読劇「この子たちの夏 1945・ヒロシマナガサキ」公演、開始(8月9日まで全国28会場で上演)。
1990 08 04 広島市の市民グループ、朗読劇「この子たちの夏」を自主上演。
1990 08 05 広島市のノートルダム清心高校手話部・演劇部、朗読劇「この子たちの夏」を自主上演。
1991 04 01 習志野市の英語学習サークルのメンバーら、来広し、平和学習。原爆をテーマにした朗読劇「この子たちの夏」上演に備えての事前学習。
1991 05 29? 山口県の長門大津原爆友の会や一般市民、8月5日に自主上演する「この子たちの夏」の練習を開始。
1991 07 06 朗読劇「この子たちの夏」(地人会)、岡山市で公演。8月9日まで全国各地を巡演。
1991 07 08 原爆をテーマにした朗読劇「この子たちの夏」、佐賀市で上演。13日まで九州公演、8月9日まで全国を巡演。
1991 07 27 「親子平和学習のつどい’91この子たちの夏-ヒロシマ・沖縄」、広島市の婦人教育会館でで開催(約50人が参加)。同会館で活動している市民グループが主催。朗読劇などを上演。
1991 08 03 瀬戸市内の主婦ら、朗読劇「この子たちの夏」を同市で上演。
1992 03 05 岡山県井笠主婦ら、朗読劇「この子たちの夏」を笠岡市での再上演を計画。
1992 03 16 広島市・亀崎小学校PTAの朗読サークル「きょうちくとう」、同校の5・6年生を対象に原爆朗読劇「この子たちの夏1945ヒロシマ」を上演。
1992 08 06 地人会、朗読劇「この子たちの夏-1945・ヒロシマ・ナガサキ」を東京・有楽町朝日ホールで公演。-9日。
1993 07 19 地人会、朗読劇「この子たちの夏」を米子市で上演。26日には尾道で。
1993 08 01 松江市の主婦ら、朗読劇「この子たちの夏」を上演。
1993 08 05 広島市の主婦でつくる朗読の会「はまゆう」、地人会の台本「この子たちの夏」の抜粋を広島市祇園西公民館で公演。7日には矢野公民館で。
1993 08 07 地人会、朗読劇「この子たちの夏」を広島市婦人教育会館で上演。
1994 07 18 地人会、朗読劇「この子たちの夏1945・ヒロシマ・ナガサキ」を広島市内で上演。
1994 07 30 広島市倉掛公民館で平和について考える市民の集い。朗読劇「この子たちの夏」を上演。
1994 08 06 朗読劇「この子たちの夏」、東京・有楽町の朝日ホールで上演。-9日。
1994 08 11? 滋賀県長浜市の「この子たちの夏」の実行委員会、7月13日の公演の収益の一部を広島の朝鮮人・韓国人被爆者団体に寄付。
1994 09 03 大阪府豊中市立刀根山小学校の6年生児童・母親・教師、朗読劇「この子たちの夏」を同校体育館で上演。
1995 07 30 広島女学院、被爆50周年記念事業として「地人会」の朗読劇「この子たちの夏」を同学院ゲーンスホールで上演。
1995 07 24? 福岡市原爆被害者の会、地人会の「この子たちの夏」の上演会を市立少年科学文化会館で開催。約700人が参加。
1995 08 01 「徹子の部屋」(朝日系)で日色ともえが朗読劇「この子たちの夏」について語る。
1995 08 06 岡山県・里庄町立図書館で朗読ボランティアによる朗読劇「この子たちの夏」の上演。
1996 08 06 地人会、朗読劇「この子たちの夏」を東京・有楽町朝日ホールで上演。-9日。
1998 07 14 地人会、朗読劇「この子たちの夏・1945ヒロシマ・ナガサキ」を長崎市内で上演。
1998 08 06 地人会、朗読劇「この子たちの夏1945・ヒロシマナガサキ」を東京有楽町・朝日ホールで上演。-9日。
1998 08 12? 岡山県・井原市立図書館で朗読劇「この子たちの夏・1945・ヒロシマ・ナガサキ」を上演。
1999 07 20 長崎新聞「時の顔:日色ともえさん-朗読劇「この子たちの夏」にことしも出演する女優-原爆の実態訴え続ける」
1999 07 26 中国新聞「この人:日色ともえさん-朗読劇「この子たちの夏」に今年も出演する女優」
1999 08 06 地人会、朗読劇「この子たちの夏」を東京・有楽町朝日ホールで上演。-9日。
2000 08 06 地人会、「この子たちの夏」を東京・有楽町朝日ホールで上演。-9日。
2000 08 06 「この子たちの夏」朗読会、北海道・苫小牧市で開催。約40人が参加。(北海道新聞)
2000 08 09 ABCテレビ「徹子の部屋」に朗読劇「この子たちの夏」の出演者、日色ともえ、山田昌、長内美那子が出演。
2003 08 02 地人会、朗読劇「この子たちの夏」を広島市内で上演。
2007 朗読劇「この子たちの夏」の全国公演を続けた演劇制作集団「地人会」解散。
2008 03 朗読劇「この子たちの夏」の出演者たちが「夏の会」を結成。新たな台本で活動を再開。
2009 07 10 「夏の会」、原爆朗読劇「夏の雲を忘れない 1945・ヒロシマ ナガサキ」を広島県廿日市市で上演。県内での公演は初。11日は福山市。
2010 11 07 第22回谷本清平和賞(主催:財団法人ヒロシマ・ピース・センター)授賞式。受賞者は、「夏の会」
2012 07 14 「夏の会」、原爆朗読劇「夏の雲を忘れない ヒロシマ ナガサキ1945」を広島市佐伯区で上演。
2014 07 12 なぎさ中学校(広島市佐伯区)、「夏の会」を招き、原爆朗読劇を観劇。
2015 07 25 「夏の会」、原爆朗読劇を広島県立美術館で上演。
2018 07 06 「夏の会」、原爆朗読劇を広島市安芸区民文化センターで上演。(『中国新聞』20180707)
2019 07 01 「夏の会」、原爆朗読劇を広島国際会議場で上演。(『中国新聞』20190702)

 

日本リアリズム写真集団広島支部

日本リアリズム写真集団広島支部 設立年月日:1966?

機関誌『ひろしま―JRP広島支部写真集』(19670701発行)目次

著者 タイトル
石山彦則 第一回写真集発刊に際して
池上利秋 <表紙写真>老被爆者
植木・沖本・田野中 第12回原水爆禁止世界大会
竹本満 第37回メーデー
宮原直希 第12回原水禁大会
堀ひろじ 原爆孤老
明田弘司 父の記録
植木勇夫 霊を軍靴でよごすな!!
日本リアリズム写真集団趣旨
編集後記
日本リアリズム写真集団は1963年に結成。(出典:http://www.jrp.gr.jp/modules/about/)

 

 

『民主文学・広島』創刊号

『民主文学・広島』(日本民主主義文学同盟広島支部機関誌) 創刊号(19680105)目次

著者 タイトル 分類
深川宗俊 巻頭言
奥田泰治 溶解炉 小説
深川宗俊 短歌
山口勇子 被爆者運動の中から ルポ・ひろしま
小林一郎 アメリカが奪った年月
甲斐有 未解放部落の被爆者
沼井鋭二 原爆孤老の生活
深川宗俊 七つの川の中のひとつの川 シュプレ
堀ひろじ ひろしまの顔
広末正司 馬喰の町の断章
杉原芳夫 崋山先生をおもう 随筆
村上忠人 サイゴン・ハノイ・ひろしま  追想録
はやみちかこ けんしょう炎と斗う 友への手紙
河本はつ子 たび 小説
山口勇子 文学少女三人組 児童文学
 奥田 編集後記
四国五郎 表紙絵
奥付: 編集人=奥田泰治、発行人=深川宗俊

日本民主主義文学同盟広島支部

日本民主主義文学同盟広島支部

発足:1965年8月。機関誌:「民主文学・広島」、

再建:1978年5月。機関誌:「ひろしま」

年月日 号数 著者 タイトル 所蔵
P=、U=宇吹
「民主文学・広島」
1968
0105 1号  P
0801 2  P
1969
0801 3  P
「ひろしま」
1979
 06 創刊 U
 1984
 0806  13  反核平和特集  P=
 1985
0101  14 U
0501 15 U
0806 16 反核平和特集 U
1986
0806 19 反核平和特集 U
1987
0806 22 反核平和特集 U
1988
0601 23 民主文学選第1巻 U
0806 24 反核平和特集 U
1989
0806 26 反核平和特集
1990
0601 27
0806 28 反核平和特集