「NGO(な行)」カテゴリーアーカイブ

日本宗教者平和協議会

日本宗教者平和協議会 1962年結成

出典『現代に生きる宗教者の証言』(新日本新書、19680805)目次

著者 タイトル 備考
大西良慶 序にかえて 北法相宗清水寺貫首
第1章 内なる心の平和から外なる世界の平和へ
高木幹太 信仰と社会科学にみちびかれて
壬生照順 治安維持法の犠牲となって -新興仏教青年同盟弾圧事件の証言-
松尾喜代司 私の信仰と平和
出口栄二 戦時下の大本弾圧と世直し運動
尾鼻藤太郎 天皇制のもとで信仰を守りぬき-ホーリネス弾圧事件の証言-
佐藤行通 戦争反省とわが生涯の転換
第2章 たちあがる宗教者
住谷悦治 平和のための宗教
近江幸正 原水禁運動の統一と前進を願って -「折鶴行脚」の経験から-
佐々木千代松 現代に生きる丸山教をめざして
後藤日雄 衆生のために軽き身命
訓覇也男 殺すな、殺させるな! -公害にとりくむ仏教徒-
橋本左内 恵庭事件を闘ったキリスト者 -人間変革のるつぼのなかで-
三谷會祥 心に日中不再戦の碑を刻みつつ
阿波根昌鴻 沖縄の大地を守って -祖国復帰をめざす闘いのなかで-
大島静子 キリスト教婦人も平和のために
藤井慶輝 僧侶として、教師として
市川白弦 仏教徒の戦争責任
福岡精道 朝鮮問題と日本仏教徒の責任
松田平太郎 「紀元節」復活反対から靖国神社国営化阻止へ
藤教温 たちあがる宗教青年の決意 遠
第3章 ベトナム戦争と宗教者
鈴木徹衆 爆撃下のハノイを訪ねて
安斎伸 ベトナム戦争と日本のカトリック-世界信徒大会の論議を中心に-
藤井日達 ベトナムの焼身僧によせる
渡辺照宏 日本仏教徒の責任
安部忠義 アメリカのキリスト者よ、悔い改めよ
佐伯快勝 大和古寺に刻む反戦の詩
中濃教篤 ベトナム戦争と宗教
第4章 宗教者平和運動の課題と展望
小室裕充 日本宗教者平和協議会のあゆみ
森竜吉 近代宗教運動からみた宗平協
細井友晋 今日における宗教者のたたかい
大川義篤 信教の自由と宗教者平和運動
壬生照順 宗教者平和運動の課題と展望
あとがき
執筆者紹介

長崎の証言の会

長崎の証言の会

1970年2月1日 長崎の証言刊行委員会、新しい記録運動を呼びかける。

1971年3月16日 「長崎の証言刊行委員会」を「長崎の証言の会」とする。

長崎の証言の会『証言-ヒロシマ・ナガサキの声』

長崎の証言の会(編・発行)、汐文社(発売)

創刊号(1987/9/30)
江口 保 八月のヒロシマ-修学旅行生とともに
ミホ・シボ・新間 カナダにおける反核運動
北浦葉子 日本から世界へ-ネバー・アゲイン・キャンペーンのあゆみ
永井秀明 核廃絶をめざす世界運動と教育-核軍拡と軍事化状況をふまえて
第2集(1988/8/15)
1990/8/30
1991/8/15
1992/8/31
1993/8/31
1994/8/9
1995/8/31
1996/9/10
1997/10/1
1998/9/10
1998/11/21
1999/9/10
2000/9/14
2001/10/10
2002/10/10
2003/10/1
2004/10/1
2005/10/1
2006/10/1
2006/11/1
2009/12/25
第27集(2013/10/1)
朝長万左男 〔報告〕オスロ・カンファランス「核兵器の非人道性」に関するオスロ会議に出席して
山口 響 〈二〇一三年 NPT再検討会議準備委員会〉核依存という「谷底」をめざす日本政府
平野伸人 第十五代高校生平和大使の成果と課題
田中利幸 広島から―NPDI(軍縮・不拡散イニシアティブ)広島外相会合をめぐって
川崎哲 【インタビュー】川崎哲さんに聞く―核兵器禁止条約へ向って、東京を動かそう
追悼 核兵器廃絶を目指して―闘い続けた 山口仙二さん
核実験に抗議する長崎市民の会 声明 米国大統領「バラク・オバマ様」占度重なる核実験に断固抗議する」
第28集(2014/10/31)
芝野由和 やはり「フクシマを考える」だったか―第五回「核兵器廃絶―地球市民集会ナガサキ」にかかわって考えたこと
小桝雅樹 第二回「核兵器の非人適性に関する国際会議」に参加して
朝長万左男 もし一〇〇万人の現代都市で核爆発が起こったら
第29集(2015/11/20)
柴田 朴 追悼・本島等さん―天皇の戦争責任発言を中心に―どうしても聞きたかった質問
中村桂子 2015年NPT再検討会議を終えて
山田寿則 マーシャル諸島共和国による核ゼロ裁判
山下正寿 ビキニ事件の再検証を―放置された被災船員たち
第30集(2016/10/15)
細光規江 被爆体験伝承者―広島市の取り組み
第31集(2017/10/1)
朝長万左男 巻頭言「核兵器禁止条約の成立

地域と科学者第8号

創立20周年記念 「ヒバクシャと現代」 地域と科学者第8号

創立20周年記念 ヒバクシャと現代[1981年2月1日開催のシンポジウムをもとにまとめる]

目次

大森正信 巻頭言
1.被爆者の実態―生活と援護の諸問題
江崎須賀子 被爆者の実態と生活史
舟橋喜恵 被爆者の生活史調査の意義―石田忠氏の場合―
宇吹暁 原爆被災資料をめぐって
田村和之 「被爆者援護法」の検討
2.被爆者と医学―その歴史と今後の課題
斎藤紀 被爆者と医師
鎌田七男 現場kの人体影響とその研究の歩み
3.ヒバクシャ、原爆、核問題と自然科学研究
星正治 広島・長崎の原爆放射線量の見直し―第4回(最終)日米ワークショップより
永井秀明 現代核科学と科学者
山田浩 広島大学平和科学研究センターの歴史と今後の加害―平和研究の制度化推進のために
佐中忠司
創立20周年 地域にねざす科学者の運動―日本科学者会議広島県支部の創立10周年から20周年への歩み
3.ヒバクシャ、原爆、核問題と自然科学研究

 

『地域と科学者』(日本科学者会議広島県支部機関誌)

日本科学者会議広島県支部(JSAH)<1966年6月25日創立>

機関誌『地域と科学者』

号(発行年月) 備考
創刊号197501 大学問題特集号
創刊のことば(事務局長 小川修三)=「全国組織が発足した1966年1月、50名前後の会員でもって呱呱の声をあげました」「現在広島支部も:::160名を数えるに至っています」
第2号197509 公害問題特集
第3号197606 支部創立10周年特集
公害病の原点・原爆症をめぐって(広島大医・ 杉原芳夫)1.原爆症にはどのようなものがあるか、2.不毛の論争、3.原爆症の認定、4.被爆二世問題、「原爆症は最も深刻な公害病である」
〔座談会〕「平和と学問を守る大学人の会」の記録―日本科学者会議広島県支部との関係
石田明「ヒロシマの研究者への要請」
〔記念講演〕E.H.バーロップ「核兵器、軍縮及びエネルギー危機」
19761126 JSA県支部主催〔世界科学者連盟会長・ロンドン大学教授〕バーロップ講演会。広島大学理学部会議室。
第4号197707 被爆・核・広島特集
「地域と科学者」のために(飯島宗一 前広島大学学長)。「ひとつの問題は、科学者の業績主義」。「ある東京の科学者で、放射線医学のある地位を占める人と、広島・長崎の原子爆弾障害の研究のすすめ方について雑談していたところ、彼は「正直にいえば、広島・長崎の被爆影響の医学的研究はもはやあまり意味がないのではないか。少なくとも今後学問的なノイエス(noues)が見つかる可能性はほとんどない」」。
[座談会]被爆・核・広島―各時代における広島の課題(北西允、相良勝美、佐久間澄、永井秀明、司会=横山英)論文ほか(佐久間澄、阿佐美信義、永井秀明、山田浩、深川宗俊、空辰男、萱原威、若林節美、丸山益輝、庄野直美、宇吹暁)
若林節美「原爆が人間にもたらしたものは―被爆者とともに模索しながら―」(広島原爆病院)〇原爆孤児として―生きることに迷いながら―、〇ケロイドに悩んだ青春―親子の離別を余儀なくされて―、〇原爆により子供を奪われて―子供の遺骨のために生きて32年―、まとめ「被爆後32年を経過した今日、原爆による被害は、被爆時の年代によって、それぞれに異なった側面をもち、新たな問題として考えねばならない時期にきているように思える。被爆者への政策的対応は救貧原理貫かれ、しかも、疾病の治療を要するものと限定する側面が強い。原爆被害の全体像を、生活史的視点でとらえ直し、被爆者のいのち、くらし、こころと、きめ細かい対策が望まれていると思う」
庄野直美(広島女学院大学、NGOシンポジウム日本準備会事務局代表)「NGO被爆問題国際シンポジウム」〇シンポジウム開催に至る経緯、〇シンポジウムの内容と日程、〇シンポジウムの意義
第5号197811 大学改革特集
若林誠一「核兵器完全禁止・被爆者援護世界大会に出席して」
第6号198107 「地方の時代」・環境特集
第7号198307  「教育・教科書問題と今日の時代」特集
第8号198606 創立20周年記念 ヒバクシャと現代[1981年2月1日開催のシンポジウムをもとにまとめる]
大森正信、江崎須賀子、舟橋喜恵、宇吹暁、田村和之、斎藤紀、鎌田七男、星正治、永井秀明、山田浩、佐中忠司

 

 

地域と科学者第3号

『地域と科学者第3号』(日本科学者会議広島県支部機関誌)

支部創立10周年特集

 出席者  

 

 石田明 「ヒロシマの研究者への要請」
〔座談会〕「平和と学問を守る大学人の会」の記録―日本科学者会議広島県支部との関係
出席者
佐久間澄 広大名誉教授
横山英 広大文学部
北西允 広大経済学部
中村義知 広大政経学部
今中比呂志 広大総合科学部
大森正信 事務局、司会
1 「大学人の会」の生い立ち
2 活躍された人々
3 活動の内容
4 困難の台頭
5 ’69年安保のころ
6 日本科学者会議とのつながり
7 広教組との関係
8 「大学人の会」のそのほかの活動
9 「大学人の会」の今後

 

日本文化平和協会(1947年9月28日)

日本文化平和協会(JCPA) 1947年9月28日発会式

会長:長田新広島文理大学長、副会長:マクミラン女学院教授、佐伯好郎。(『中国新聞』19470928)。

略年表

年月日 事項
194707 前史=長田新(広島文理科大学学長)・長谷信夫(医師)ら広島在住の文化人が、日本文化平和協会の設立を計画。意図=同年5月3日に施行された新憲法の「戦争放棄を条文のみにとどめ」ないため、広島市を文化都市として建設。具体的な構想=「ノーベル平和賞と同じような広島平和賞」、「マンハッタンの浜にき然とそびえる平和シンボル-平和の女神の像を模造し、広島城跡に建立。今は世界平和攪乱の罪で天の制裁としてあとかたもなくなった軍閥横行の地を清め、平和の芽ばえを守護する意味」。(『中国新聞』7月9日)。
19470928 発会式
194711 第1回文化講座(中国新聞社と共催)。講師:天野貞祐第一高等学校校長。会場:広島女学院講堂(13日)、文理科大学・高等師範学校(14日)。
19480204 文化国家建設広島学生大会。会場:爆心地近くの元護国神社前広場
19480220 平和の歌」の入選発表
19480403 大山郁夫(早稲田大学教授)講演会。会場:広島女学院講堂
19480831 『恒久平和論』の出版。
19480908 広島文理科大学長長田新「世界平和への道」を掲載(『中国新聞』)
19480918 『中国新聞』が紹介。「恒久平和への精神的な分野を開拓しようと企画し昨春来着手」
194905 田辺耕一郎の書評(『書評』1949年5月)=カントの永久平和論を批判し。世界連邦(世界共和国)の理念を高く掲げた。

 

 

  恒久平和論長谷信夫(編)(日本文化平和協会、19480831)

 

目次

 

絶対的平和論と相対的平和論 矢内原忠雄
世界平和のために 原随園
平和国家の理念 天野貞祐
平和日本とユネスコ 森戸辰男
恒久平和論 長田新
装幀 南薫造

 

 

 

日本ジャーナリスト会議広島支部

沿革

月日
1967 0218 広島支部結成
0304 機関紙「広島ジャーナリスト」NO.1発行
1969 0628 時事通信・田島さんの人権を守る呉市民の会結成
1130 広島県文化団体連絡会議結成。支部が加盟
1970 第1回 不戦の夕べ
1982~ 1988年 活動休眠 「不戦のつどい」中断
1989 0815 第13回 不戦のつどい
1990 0618 JCJ広島支部再建総会
1995 1103~04 JCJ創立40周年・被爆50年全国交流集会
2021 0718
ジャーナリスト会議広島支部総会&記念講演会
講師:宮崎園子さん
会場:広島市まちづくり市民交流プラザ