広島の強制連行を調査する会
1990年12月8日発足。会代表:深川宗俊。
関連資料
『地下壕に埋もれた朝鮮強制労働』( 広島の強制連行を調査する会編、明石書店刊、19920731) | ||
会報「タル」 第2号(199411) | ||
レポート 『県北の製鉄業と朝鮮人』芸北大暮を訪ねて 第5回総会 12月11日 開催 講演 兵庫朝鮮関係研究代表 徐根植さん 「1910年以前の朝鮮人について」 95’「REMEMBER廣島」カレンダー発行 |
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広島の強制連行を調査する会
1990年12月8日発足。会代表:深川宗俊。
関連資料
『地下壕に埋もれた朝鮮強制労働』( 広島の強制連行を調査する会編、明石書店刊、19920731) | ||
会報「タル」 第2号(199411) | ||
レポート 『県北の製鉄業と朝鮮人』芸北大暮を訪ねて 第5回総会 12月11日 開催 講演 兵庫朝鮮関係研究代表 徐根植さん 「1910年以前の朝鮮人について」 95’「REMEMBER廣島」カレンダー発行 |
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『ヒロシマ・ナガサキの証言』(広島・長崎の証言の会編)
’83冬(第5号) 1983/02/10
内容
頁 | 著者 | タイトル | 備考 |
巻頭言●一つの視点 河村盛明 1 | |||
特集 1 「戦争受忍」を問う-被爆者援護法を求めて 国の「原爆無責任論」に抗し援護法を求めて 伊東壮 6 光を求めて-認定を却下された○さん 塚本弥生 10 もどらない青春と傷跡-意見書をふりかえって 若林節美 14 被爆者は待てない-「基本懇」以後の医療現場から 山下兼彦 17 朝鮮人被爆者と救援法 豊永恵三郎 20 歩み出すための素材-胎動するヒロシマ第二世代 中村義明 26 なの補償もない戦災障害者 杉山千佐子 30 |
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特集 2 軍縮教育国際シンポジウム・レポート 反核・軍縮教育への新たな出発 鎌田定夫 60 こどもの未来と生存をいかにしてまもるか 栗原貞子 66 急がれる平和教材の開発-各国代表に聞く 編集部 72 ヴァラット・モニク 72 ウィラード・マックガイヤー 74 シュー・チャラン 75 ファラディー・ガブリエル 76 |
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資料・広島アピール 125 「南北ネットワーク」運動趣意書 126 世界の反核運動と日本 丸山幹正 78 10フィート映画の波紋 永井秀明 84 ハーバード大学医学生の反核活動 ダニエル・ロウエンシュタイン マイロウ・ロウエンシュタイン 82 「原爆と発禁図書」に一言 服部学 89 “原爆被害者証言のつどい”のまとめを終えて 河合幸尾 92 証言 こどもたちに伝える被爆の証言 安らかには眠れない-三輪笑子さんの場合 江崎須賀子 34 焼かれた弟 久保美津子 38 命あるかぎり 増本きみ子 40 国が起こした戦争で 荒尾千恵子 44 二度と戦争を起こしてはいけない 中尾力男 47 生あるかぎり核廃絶を 多久春子 50 重き日々を生きて-富永さんの死に寄せる 黒崎晴生 55 核地獄を生きのびたカナダ人-その1 ジョン・ピクトン 57 |
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文芸 書評●英文『ナガサキ一九四五』を読む 110 書評●「アトミック・ソルジャー」 113 「反核・反戦・平和」のヒロシマ 大原三八雄 116 『原爆に生きて』 文沢隆一 118 「広島・長崎修学旅行案内」を書いて 松元寛 121 「まだ遅くはない」を観て 佐原進 123 |
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ひろば 在米被爆者映画完成 藤原茂 98 被爆者と戦災者の集い 近藤幸四郎 99 手作り反核コンサート 福本啓孝 “反核と反戦” 伊藤真理子 101 南北ネットワーク運動 児玉克哉 104 生存への道-援護法制定運動 槇 繁 105 原爆と交通禍の中から 神崎きよし 106 足立和夫個展「原爆断章」 102 10・24反核大阪集会 102 反核東京10月行動 103 長崎からの通信 108 会員・読者からの通信 2 広島証言の会ご案内 25 長崎証言の会ご案内 91 トビラ・本文さしかえ 四国五郎 編集後記 128 |
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『ヒロシマ・ナガサキの証言』(広島・長崎の証言の会編)
’82夏(第3号 1982/08/20)
内容
頁 | 著者 | タイトル | 備考 |
001 | 志水清 | 核戦略(防衛)の虚像 | |
特集 SSDII-民衆のうねり SSDIIと今後の課題 伊東壮 2 反核の国際共同行動を見る 岩垂弘 8 ナガサキからニューヨークへ 高橋真司 16 ニューヨーク市民のみた日本の反核運動 松浦亮 20 被爆者運動の課題-ニューヨークでの交流から 石田明 25 草の根が燃えたニューヨーク 田中辰夫 28 |
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特集 ヒロシマ・ナガサキ証言の旅 10フィート運動平和使節のみたアメリカの反核運動 宗藤尚三 33 ヨーロッパの反核運動に接して 山本雅人 38 闇のなかから光を見い出そう 飢と核に苦しむ第三世界 栗原貞子 42 ケルン会議と原爆文学 伊藤成彦 49 座談会 核をめぐるアメリカ市民の素顔 秋葉利忠・倉本寛司・据石カズ・石田明 92 |
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資料 SSDIIでの日本NGO演説/発言 荒木武 120 本島等 121 庭野日敬 122 山口仙二 124 栗野鳳 126 証言-あの日から37年 わたしと広島 木村靖子 54 私は見たあの阿修羅場を 内田栄一 58 妻とわが子を亡くす 下江武介 63 わたしの被爆体験-子どもたちへ語りつぐ1 越田冨美子 66 忘れることができない日々-子どもたちへ語りつぐ2 松尾慶子 68 私と広島とヒバク(その1)鄭基璋 70 苦しみはつきない 具貞先 74 小さい爆弾の想い出 モートン・ソントヘイマー 77 原爆におしつぶされた青春 岩永肇 81 死者にかわりて 木村千代子 87 |
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文芸 〈連載小説〉ナガサキへの道(第十三回)片山昌造 110 反核-ある被爆歌手の復活 吉田昌代114 反核運動をになって たたかいはこれから-富永初子さんの場合 97 アメリカで考えたこと 渡辺千恵子 98 欧米へ映画と共に語り部の旅をして 沼田鈴子 100 アメリカ横断平和キャラバン 松原美代子 101 |
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活動・主張・たより 原爆被災資料と市民運動 水田九八二郎 103 核戦争の阻止はわれらの手で 神崎きよし 105 ●各地からのたより 107 ●広島の証言の会案内 109 ●長崎の証言の会案内 37 ●編集後記 128 |
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『占領期の出版メディアと検閲(プレスコード) 戦後広島の文芸活動』(著者 広島市文化協会文芸部会編、勉誠出版、2013/10/27)
内容
頁 | ||
005 | 総論(岩崎文人) | |
GHQ / SCAP占領下の文学-表現への欲望とその抑圧 | ||
戦前の言論統制…5 未曾有の出版状況…9 地方文壇を牽引した文学者 / 同伴者…11 占領下の文学者…13 CCD(民間検閲支隊)による検閲…16 検閲と原爆表現…24 |
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039 | 散文 | |
高揚への軌跡(岩崎清一郎) | ||
焼け果てて樹々のみ黒き…39 原爆は敬遠・回避-反「中国文化」…46 「反戦」と「希望」-A・マルローに倣って…49 自己表現に魅せられた高校生たち…50 中央へのレジスタンス-「世代」の気負い…53 山っ気のめざすところ-「天邪鬼」…54 「原爆」への関与、占領期からの脱皮…55 ゆかりある作家の列伝(抄)…57 |
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071 | 児童文学 | |
「ぎんのすず」(広島図書)を中心に(三浦精子) | ||
はじめに…71 子どもの本の発行…76 おわりに…102 |
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107 | 総合雑誌・サークル誌・大学高校文芸誌 | |
若い才能の開花と挫折(長津功三良) | ||
はじめに…107 廃墟の中からの新しい出発「総合雑誌的なもの」…108 活発な職場活動の台頭・総合雑誌的な「サークル誌」…123 青年達の華麗な開花「高校・大学の文芸誌」…125 |
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131 | 詩 | |
詩誌の活動を中心として(福谷昭二) | ||
はじめに…131 戦後初期の広島県内の詩誌・詩集…132 広島市における現代詩の復活…135 広島市の総合詩誌「地核」の活動…140 詩誌「われらの詩」とヒロシマの詩…146 現代詩の追究-詩誌「ABSURDE」…153 戦後現代詩への道程-「ABSURDE」101号から「知覚」へ…157 おわりに…163 |
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167 | 俳句 | |
戦後広島の俳句の復興者たち(飯野幸雄) | ||
はじめに…167 占領期の広島俳句界の動向…169 プランゲ文庫と俳句…176 広島俳句前史…179 戦後の広島の俳句雑誌の創刊と創刊者たち…182 おわりに…210 |
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211 | 短歌 | |
1945-1954(山本光珠) | ||
はじめに…211 昭和二十年(一九四五)後半…212 昭和二十一年(一九四六)前半…223 昭和二十一年(一九四六)後半…240 昭和二十二年(一九四七)…249 昭和二十三年(一九四八)…254 昭和二十四-二十七年(一九四九-一九五二)…256 独立以後…263 |
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266 | 年表 | |
274 | 刊行に至るまで(山田夏樹)…274 | |
276 | あとがき (山本光珠) | |
目次
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広島映画センター 設立:1972年4月
出典:『広島平和教育映画ライブラリー上映手引書 (改訂版) 』( 広島映画センター、広島平和教育研究所 1985/5/1) |
広島平和記念資料館所蔵文献
書名 | 著者 | 出版者 | 出版年 |
青葉学園物語 | 広島映画センター企画 吉本直志郎(原作) | 1980/5/31 | |
広島平和教育映画ライブラリー上映手引書 | 広島映画センター、広島平和教育研究所 | 1982/5/28 | |
はだしのゲン2 戦後激動編 | ゲンプロダクション製作、広島映画センター(製作協力) | 1985/1/1 | |
広島平和教育映画ライブラリー上映手引書 (改訂版) | 広島映画センター、広島平和教育研究所 | 1985/5/1 | |
PEACE&シネマ 広島平和教育映画ライブラリー10周年記念誌 | 広島平和教育映画ライブラリー編 | 1987/1/1 | |
ヒロシマの青春 飛翔 広島文団連50年誌 | 広島県文化団体連絡会議「50年誌」編集委員会 | 2012/12/15 |
『軍都廣島 「廣島」と「ヒロシマ」を考える』(清水章宏、橋本和正著 広島県労働者学習協議会編、一粒の麦社、20110711)
頁 | ||
02 | はじめに | |
05 | 軍都廣島 | |
「軍都」とは 5 軍都廣島の発展の特徴 12 広島に大本営 27 陸軍墓地 39 広島の郷土部隊 52 「廣島」と「ヒロシマ」 65 |
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74 | マレーシア・シンガポール日本占領下の住民虐殺 | |
軍人にあこがれた叔父 74 広島の郷土部隊「歩兵第一一連隊」 77 シンガポール占領と華僑粛清・「検証」 84 裁かれた戦争犯罪 100 |
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『部落問題と原爆の町 ふくしま百年のあゆみ』(田阪正利編、部落問題研究所、20000501)
内容
若い人たちへの贈り物 | |||
苦楽をともにしたあゆみ | |||
推薦の辞 | |||
序にかえて 軍都・広島と庶民 | |||
一 軍都・広島の形成 15 1 鎮西鎮台第一分営/2 鉄道と港湾の整備/3 専制的権力の確立 二 兵役と暮らし 22 1 日本の軍事行動/ 2 兵役と労働力/ 3 戦争犠牲者と国の責任 三 戦費調達と県民の生活 31 1 戦費/ 2 戦争と県民の生活 四 軍備拡張の思想 36 1 日清戦争・その後/ 2 軍備拡張の思想 |
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Ⅰ | わが町「ふくしま」 | ||
一 広島市と福島町-地勢と産業 41 1 デルタの町/ 2 軍需/ 3 川田村から福島町へ 二 底辺の暮らし 50 1 缶詰工場/ 2 年季奉公/ 3 乳幼児死亡 三 戦前の福島の活動1 組織的活動 60 1 福島町民一致協会の活動/ 2 県水平社福島支部の活動 四 戦前の福島の活動2 課題別活動と町民有志の活動 67 1 夜学校と福島小学校/ 2 青年団と子供会活動/ 3 福島の医療機関/ 4 福祉・医療及びその他の活動 五 総括 79 1 戦前、福島の解放運動のあゆみ/ 2 戦前から戦後の活動へ/ 3 福島町と「解同」 |
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Ⅱ | 福島の原爆災害 | ||
一 被害者と加害者 91 1 弔いと祈り/ 2 終戦の詔勅/ 3 アメリカの良心 二 劫火 98 1 学徒動員/ 2 救護活動/ 3 それから 三 若い人たちに伝えたい-未解放部落被爆者の手記 105 1 差別と貧乏/ 2 若い人たちに伝えたい 四 福島町の被害 113 1 建物の被害/ 2 人的被害/ 3 総括 |
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Ⅲ | 原爆症 | ||
一 原爆症の解明へ 123 原子爆弾災害調査研究特別委員会の結成 二 菊池日記 127 1 菊池日記/ 2 遭難/ 3 巡回診療 三 米軍による原子爆弾障害調査 134 1 リボーの日記/ 2 原爆による人体影響の調査/ 3 調査資料の収集と加害調査 四 原爆行政 142 1 原爆行政/ 2 プレスコード/ 3 原爆傷害調査委員会(ABCC) 五 被爆者とともに1 151 1 ブラックボックス/ 2 治療研究体制の再建/ 3 死の灰/ 4 原水爆禁止署名運動 六 被爆者とともに2 159 1 負の遺産/ 2 原子爆弾後障害研究会/ 3 被爆者運動の発足/ 4 NGO被爆問題シンポジウム |
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Ⅳ | 福島の被爆者 | ||
一 福島被爆者の会の活動 173 1 福島被爆者の会の結成/ 2 福島被爆者の会の活動/ 3 運動の発展/ 4 手記集『壁』の発行 二 貧困と被爆の後遺 182 1 老人実態調査から/ 2 病院のカルテから |
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Ⅴ | 戦後、福島の解放運動 | ||
一 戦後の福島 190 1 戦後の福島/ 2 太田川放水路改修反対闘争 二 「住みよい町づくり」の運動 195 1 診療所・病院建設と生協運動/ 2 子ども会活動/ 3 住環境の整備とその影響/ 4 高齢者福祉の運動/5おわりに |
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参考資料 | |||
あとがき |
広島平和会館(略年表)
年月日 | 事項 | 備考 |
19560318 | 広島県原爆被害者大会開催、広島市・千田小学で300 人参加 |
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19560319 | 初めての[原爆被害者国会請願]、上京代表団40数名、 団長藤居平一氏 |
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19560409 | 原爆被害者大会実行委員会、「原爆被害者福祉センター(会館)の建設について」具体化をはじめる | |
19560409 | 広島県原爆被害者団体協議会結成総会(YMCAホール) | |
19560725 | 広島矢賀学区婦人会、8月6日、7日の原水爆禁止広 島大会、原爆被害者救援資金にと5,700円余を寄金、この外、学校、町内会などからの募金相つぐ |
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19560803 | 吉川清氏、「広島は訴える」写真集(再版)を自費出 版、収益は原爆被害者救援資金として広島原水協に寄託 |
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19560810 | 日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)結成大会、長崎市・長崎国際文化会館で。事務局を広島におき、事務局長に藤居平一氏を選ぶ。 | |
195608115 | 原爆被害者救援募金サインの夕べ(国民文化会議主催)を東京で開催、徳川夢声、宇野重吉、香川京子ら参加。 | |
19560911 | 広島原爆病院開院式 | |
19561222 | 広島地区年末共闘会議代表、広島市内で街頭募金を実施、原爆被害者らに寄付(4万円余) | |
19570401 | 原子爆弾被爆者の医療に関する法律施行 | |
19571227 | 広島県被団協、県議会請願、136万円の助成金を申請(実現せず) | |
19580611 | 広島県被団協理事会、第1回福祉センター建設委員会 | |
19580910 | 福祉センター建設委員会、建設場所の協議 | |
19581222 | 福祉センター入札、建物345万円に決定 | |
18581226 | 広島県原水協拡大理事会、福祉センター地鎮祭 | |
19590416 | 原爆被害者福祉センター「広島平和会館」、広島市大手町8丁目に完成、祝賀会開催。理事長森瀧市郎、専務理事松田亀夫、事務局員竹内武で運営始まる | |
(竹内武さん・当時事務局員の談) 広島平和会館の建設については、中国・ソ連のカンパだけでなく、その他の国や国内からのカンパも含め、建設費として毎年250万を3年かけて750万円貯めて、土地に254万円(坪単価35,000円×72.89坪)建物に450万などで750万円で建設したと記憶している。 |
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出典:『広島平和会館ものがたり』(原爆被害者福祉センター 広島平和会館、20001201) |
『明日を創る 婦人民主クラブと私 婦人民主クラブ創立45周年記念文』(婦人民主クラブ、19911116)
内容
はじめに-女たちの四十五年…永原和子 | |||
<第Ⅰ部>幾千万の婦人の海へ | |||
*敗戦後の焦土から力強く | |||
婦人民主クラブとわたし 櫛田ふき 12 胸躍らせた戦後女性史の創世期 小林登美枝 20 宮本百合子さんに学んだこと 尾崎ふさ 24 湯浅芳子さんが編集長のころ 林小枝子 28 十六歳、創立大会にさそわれて 金子静枝 33 |
|||
*それぞれの土に根づいて | |||
婦人解放の求め自立をたすけて 三輪あい子 35 あの戦争に疑問を持った日から 前保美枝子 39 岡山支部結成のころの思い出 豊田文子 43 戦前の演劇活動と戦後のクラブ活動 大輪匂子 47 婦民の診療所で苦闘した六年間 高橋政子 50 おずおずと家庭からふみだす転機に 池田夏子 55 骨のある活動家たちに育てられた時代 近藤とし子 58 死の床の娘にも生きる希望として 細野喜美 63 兄の戦死が平和運動の原点に 秋山信子 66 |
|||
*胸熱くたたかった日々 | |||
ストックホルム・アピール署名の威力 黒川万千代 70 被爆九人の遺児の養育が私の肩に 山本美都子 74 杉並で原水爆禁止運動ひとすじに 小沢清子 78 小児マヒ撲滅運動に燃えた日々 児島せの子 83 教師の勤評闘争に婦民が後ろ盾 坂入博子 88 クビになった先生を復職させた母親たち 横田フミ 92 中性洗剤ボイコット運動のころ 林由子 96 安保闘争の中で育った子どもと私 北原陽子 100 おばあちゃんと婦民と私 八幡裕子 104 亡き妻と婦民にまつわる思い出 石川利夫 108 名古屋支部のふたり物語 福村孝子 成田祝子 112 |
|||
*ふみにじられた民主主義 | |||
仙台支部と婦民第二十四回大会前後 一戸葉子 116 第二十四回大会のころの藤沢支部と私 吉田綏子 124 誇りをもって歩みつづけた歳月 桜井愛子 124 婦人民主クラブ再建連絡会が発足したころ 高橋良子 128 自由が丘支部が分裂させられたころ 倉橋知余 132 死線を越え真の平和を切に望む 近藤美穂 136 婦民の生命の問題として 津上英子 140 つれそって二十一年”不眠新聞” 塩谷満枝 149 |
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<第Ⅱ部>大地に深く根を張って | |||
*平和は眠りをゆるさない | |||
婦民を誇りとし生きがいとして 色部百合子 154 沖縄返還と子どもの本を送る運動 林由子 159 広島からアメリカへ核兵器廃絶 相良カヨ 163 婦民でめざめたあかしとして 黒沢永子 167 「平和の波」のタペストリーをつくろうよ 青木ななせ 171 定年ライフは活動を楽しみながら 岩田綾子 174 |
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*地域・職場の働き手に | |||
標準米でおいしくご飯を炊くことから 荒井幸子 178 婦民の中で親子とも育てられ 新堀浜江 181 老人給食のボランティアをつづける 中谷千鶴子 184 一家庭科教師の変ぼうと母親運動 山村美智子 188 働きつづけ闘いつづけて四十年 竹中君江 192 広島における「国連婦人の十年」 相良カヨ 195 文集『女たちの輪』をつくって 石浜みどり 199 |
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*とりどりに花ひらくとき | |||
旅の楽しさも婦民ならでは 玉木律子 202 映画『弟たちの誕生』製作に協力 岩波洋子 206 働く女性が心豊かに生きるために 片倉比佐子 210 戦争体験とちぎり絵と私 伊藤正子 214 大冒険だった創立三十周年の集会 羽田久美子 217 札幌支部の財産になった記念集会 田中千砂子 220 力あわせて創りあげたハーモニー 山本靖子 224 映画で婦民の活動に仲間入り 宮古とく子 228 婦民再建達成の全国大会の感激 佐藤紀子 232 応援歌「どこまで行っても明日がある」 大西和子 236 |
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おわりに-幸せな明日を創るために 富永和重 240 | |||
付 婦人民主クラブ趣意書 | |||
反戦被爆者の会 1977年6月22日結成大会
機関誌『石の陰』
号 | 年月日 | 事項 | 備考 |
所蔵情報:G=原爆資料館、U=宇吹 | |||
1 | |||
2 | 19770806 | 「反戦被爆者の会」結成宣言―全被爆者に訴える― 被爆三十二周年八・六広島反戦斗争に向けて 反戦被爆者の会事務局 ごあいさつ 川田泰代 草津南義勇隊被爆記録 腐爛地獄 小西信子 |
G |
3 | |||
4 | |||
5 | |||
6 | |||
7 | |||
8 | 19820806 | U | |
9 | |||
10 | 19860806 | 結成宣言……………1 基調……………2 「原爆一号」故吉川清とともに生きて……………6 吉川生美 編集部より……………13 原子雲の下より……………14 峠三吉 碑めぐり……………17 編集後記……………20 |
G |
11 | |||
12 | |||
13 | 19890727 | 結成宣言……………1 被爆者はヒロシマ・ナガサキ・チェルノブイリを許さない……2 大槻泰生会長に聞く……………8 〈シリーズ証言〉 被爆者は「原子力平和利用論」にもはやだまされない……………12 碑めぐり「嵐の中の母子像」……………18 高場第一診療所第三期建設九月着工……………21 『小西のぶ子記念館』開設なる……………22 力を合わせて反戦・反核の餌づくりを……………23 編集後記……………24 |
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