『航路二十年 婦人民主クラブの記録』(婦人民主クラブ二十年史編纂委員会編、 婦人民主クラブ、19671101)
内容<作業中>
部章節 |
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Ⅰ |
最初の5年 |
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1章 |
婦人民主クラブと新聞の誕生 |
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1 |
婦人民主クラブができるまで 8 |
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2 |
『婦人民主新聞』の発刊と経営権の確立 15 |
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2章 |
草の根の婦人組織として |
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1 |
地域に根を下ろす組織 20 |
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2 |
初期支部の活動 23 |
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3 |
全日本婦人大会不参加の意味 29 |
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3章 |
組織活動の発展 34 |
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1 |
共闘活動はじまる 34 |
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2 |
地域市民活動の芽生え 38 |
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3 |
味噌・醤油も文化問題も 41 |
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4 |
朝鮮戦争の圧迫の中で 44 |
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4章 |
二度と戦争のない未来を 49 |
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1 |
いち早くかかげた平和の旗 49 |
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2 |
世界の婦人とともに 60 |
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5章 |
朝鮮戦争下の平和の誓い 65 |
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1 |
平和戦線の統一をめざして 65 |
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2 |
一年間の平和署名 70 |
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6章 |
第六章 政党の私物化に抗して 78 |
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1 |
婦人民主クラブと政党 78 |
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2 |
五○年問題 84 |
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Ⅱ |
1951年から60年まで |
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7章 |
婦民再生-地域活動を積み上げて 102 |
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1 |
財政の危機をくぐって 102 |
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2 |
地につくPTA活動 105 |
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3 |
成功した黄変米拒否運動 116 |
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8章 |
手をつなぐ婦人の組織 123 |
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1 |
婦人戦線統一への動き 123 |
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2 |
母親大会と婦人民主クラブの果たした役割 128 |
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9章 |
地域をかえる支部の活動 138 |
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1 |
勤評反対運動にとりくむ 138 |
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2 |
自治体政治に目をむけて 147 |
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10章 |
平和のために! 湧きおこる国民運動 154 |
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1 |
原水爆禁止をめざして 154 |
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2 |
基地反対運動 165 |
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3 |
世界の婦人と手を結んで 174 |
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11章 |
組織・新聞一体の奮戦-新聞代値上反対運動 181 |
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12章 |
不服従の決意-安保条約に反対して 200 |
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1 |
警職法・社教法に反対する婦人たち 200 |
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2 |
平和と民主主義を守って-安保闘争に全力あげる 205 |
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Ⅲ |
安保のたたかいののち |
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13章 |
政党系列化の進展と平和運動の分裂 218 |
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1 |
固められる安保体制 218 |
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2 |
婦人組織づくりの波紋 221 |
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3 |
原水爆禁止運動の分裂と婦民の苦悩 232 |
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14章 |
安保体制下の諸運動 |
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1 |
巻きこまれる戦争危機に立ちむかって 244 |
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2 |
小児マヒを追放する 249 |
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3 |
高校全入・増設運動 255 |
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4 |
政治のしくみに目をむける物価値上反対運動 259 |
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5 |
出産費はすべて国の手で 263 |
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6 |
有害洗剤のボイコット、その他 265 |
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7 |
婦民、事務所を買う 268 |
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15章 |
労働婦人のもんだい 272 |
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16章 |
組織活動と自己変革 287 |
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17章 |
これからの婦人民主クラブの課題 295 |
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あとがき(佐多稲子) |
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年表:婦人民主クラブ20年の歩み |
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広島市千田婦人会
参考資料『20年のあゆみ』(広島市千田婦人会、19680426)
内容<作業中>
頁 |
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0 |
千田婦人会の歌 |
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01 |
ごあいさつ(伊藤正子・千田婦人会長) |
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03 |
母子愛育会と名づけた理由は |
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04 |
昭和23年 |
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05 |
昭和24年 |
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05 |
昭和25年 |
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06 |
昭和26年 |
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07 |
昭和27年 |
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07 |
昭和28年 |
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08 |
昭和29年 |
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09 |
千田婦人会に受賞したもの |
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10 |
昭和30年 |
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10 |
昭和31年 |
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11 |
昭和32年 |
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12 |
昭和33年 |
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(抄)平和記念式典に参加。 |
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12 |
昭和34年 |
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(抄)原爆式典湯茶接待。護国神社大祭と湯茶接待。第11回広島市婦人大会に参加。母と女教師の集いに参加。平和行進を歓迎に参加。ホノルル市長姉妹都市縁組レセプションに参加。 |
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13 |
昭和35年 |
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13 |
昭和36年 |
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(抄)原爆記念日 県婦協大レクレーション大会(市民球場) |
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14 |
昭和37年 |
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(抄)広島まつり(市民球場) |
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14 |
昭和38年 |
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(抄)広島まつり(市民球場)。原爆記念式典、盆踊(市民球場) |
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15 |
昭和39年 |
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15 |
昭和40年 |
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(抄)原爆式典参加 |
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15 |
昭和41年 |
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(抄)原爆ドーム保存募金に協力 |
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16 |
昭和42年 |
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ヒロシマ・アウシュビッツ委員会平和宝塔
(正面)平和宝塔
〔副碑〕
(正面)第二次世界大戦中にポーランドの
アウシュビィッツで、ナチズムの
反ユダヤ政策の犠牲となった人々
の霊がここに眠っています。この
非人道的な惨劇はヒロシマの体験
と共に、決してくりかえされて
はなりません。
私たち一人一人の心の奥に
ひそんでいる貪欲、怒り
無智を深く反省し、人間の真
の心を培い、ひらきましょう。
(英文略)
(裏面)昭和四十八年五月十二日建立
ヒロシマ、アウシュビィッツ委員会
平和の灯奉讃会
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設立:1965年1月25日 |
代表者など: |
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出典 |
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関連資料 |
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平和の灯
建立年月日:1964(昭和39)年8月1日
場所:広島市・平和記念公園
(裏面)
平和の灯
〔説明板〕
「平和の灯」は数十万原爆犠牲者の霊を慰めるとともに 核兵器を禁止し 永久平和を建設しようといふ日本国民の祈願により建設されたものであり 核兵器が地球上から姿を消すまで この灯は燃えつづけるであろう
この灯は争う心ではなく 無償で献げる心の結晶である
昭和三十九年八月一日
平和の灯建設委員会
*現在 説明板は撤去されている
1963年6月、核兵器禁止平和建設広島県民会議は、原爆死没者慰霊碑付近にオリンピックの聖火台のような「平和の灯」を建設することを計画した。この計画は、同年12月3日の核禁会議全国幹部会で取り上げられ、核禁会議が700万円を募金することが決定された。
灯の設計は、丹下健三が担当し、64年5月27日、「平和の灯」の起工式が挙行された。灯台は、原爆死没者慰霊碑と同じくコンクリート素打の工法で、高さ3メートル、幅13メートル、両手が力強く灯を掲げる姿を表現し、灯は、平和を求める積極的な姿を示したものであった。
起工式に出席した丹下は、設計者としての意図を、「安らぎを象徴するハニワ型の慰霊碑だけではもういけない。いまひとつ動的な平和の象徴が必要な時代だ」と語っている(「中国新聞」64年5月28日)。
「平和の灯」点灯式は、約1万人の参列のもとに64年8月1日午後7時から開始された。点灯に用いられた火は、伊勢神宮、東西両本願寺など全国12宗派から寄せられた「宗教の火」と溶鉱炉など全国の工業地帯から届けられた「産業の火」であった。
<「年表:核兵器禁止平和建設国民会議」へ
舟入・市女同窓会
広島市女職員生徒原爆死没者慰霊式典 |
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撮影:2015年8月6日07:32 撮影者:宇吹暁 |
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広島県宗教連盟被爆70年の声明
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2015年8月6日 原爆供養塔前 撮影者:宇吹暁 |
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広島被爆者援護会
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撮影:2016年8月6日、撮影者:宇吹暁 |
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