「NGO(は行)」カテゴリーアーカイブ

原爆犠牲建設労働者・職人乃碑(全国建設労働組合総連合会・広島県建設労働組合)

全国建設労働組合総連合会・広島県建設労働組合
原爆犠牲建設労働者・職人乃碑

 設置場所:広島市中区大手町一丁目9番(元安橋東詰南)
設置日:1988年8月5日
撮影日:2017年8月6日
撮影:宇吹
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 正面
慰霊 原爆犠牲建設労働者・職人之碑
 背面
 全建総連に結集する43万人の総意にもとづき 原爆の犠牲となられた建設労働者・職人と家族の霊を慰め 地球上から一切の核兵器をなくし 平和で豊かな社会をつくることを念願しここに建立する 1988年8月5日 全国建設労働組合総連合会・広島県建設労働組合
 原爆の犠牲となった広島と長崎の多数の建設労働者や職人及び家族の御霊を慰め、再び、いかなる国のいかなる民族も犠牲者となってはならないことを後世に伝えるため、広島と長崎にそれぞれ碑が建立された。碑は、住宅の屋根をかたどっている。原爆関係の慰霊碑等の概要 – 広島市公式ホームページ|国際平和文化都市 (hiroshima.lg.jp)

 

ヒロシマ・フィールドワーク実行委員会刊行物

ヒロシマ・フィールドワーク実行委員会

刊行物

発行年月日 書名
20040929 証言 原爆納骨安置所と佐伯敏子さん
20070126 証言原爆で消えた町から
20100505 証言町と人の記憶
20110805 消えた町 記憶をたどり 絵と証言 森冨茂雄
201407027 2014年度 第21回ヒロシマ・フィールドワーク(チラシ)
20150503 証言記憶の中に生きる町 中島本町・材木町・天神町・猿楽町
20160503 証言 生きている町 原爆で灼かれた材木町・中島本町
20160917 証言 江波に生きる 大岡貴美枝さんの語る暮らし・戦争・原爆
2017085 証言 町と暮らしの記憶 中島本町・材木町・水主町
20190805 証言そこに子どもたちの遊んだ町があった 中島本町・材木町・中島新町・大手町
20200805 Disappeared towns, tracing memories : drawings and testimonies by Shigeo Moritomi

 

 

爆央と爆心 1945年8月6日ヒロシマで何が起きたのか

『爆央と爆心 1945年8月6日ヒロシマで何が起きたのか』(武田寛著・広島県労働者学習協議会編、学習の友社、20000806)

発刊に寄せて(赤松宏一)
はじめに
1 原爆の本質と実相の検証
1 原爆の原理
2 原爆被害その一 爆風と熱線
(1)爆風
(2)熱線と高熱火災
3 原爆被害その二放射能と原爆症
(1)放射能
(2)原爆症とその研究
4 原爆被害その三家屋の損壊と被害の総合的検討
(1)家屋の損壊状況
(2)被害の総合的検討
5 原爆死没者数を推計する
6 原爆後障害とは
第1部補論 本書の方法
2 原爆手記に学ぶ
1 広島市版『原爆体験記』
2 朝日新聞社版『原爆体験記』
3 『絶後の記録広島原子爆弾の手記』
4 『星は見ている』
5 『いしぶみ』
6 『広島第二県女二年西組』
7 『八月の少女たち』
8 『流燈』
9 『木の葉のように焼かれて』
あとがき

 

 

広島県宗教連盟

広島県宗教連盟

略年表

年月日 事項 備考
19450806 被爆直後、爆心地に近い慈仙寺(現在の原爆供養塔付近)の境内は、臨時火葬場となり、そこには、氏名、年齢、性別などほとんどわからない痛ましい無数の死体が運ばれ火葬されました。
194601 広島市宇品神田三丁目養徳院住職 国居道憲氏、呉市西辰川町白蓮寺住職 吉川元晴氏らが原動力となって、広島市戦災死没者供養会が設立され、名誉会長に浅野公爵、会長に広島市長が就任
19460429 慈仙寺鼻に供養塔を建設することを決定
194605 「広島市戦災死没者供養塔」建立。卒塔婆を形どった高さ6mのもの(木材不足のため張りぼて)
供養塔完成後の約1週間、広島県仏教連合会、供養会、町会連盟、広島市、広島県は在広各新聞社の後援で戦災死没者遺骨収容大供養週間とし、各町内会は、遺骨収集作業日とし、自主的に区域内の遺骨を収容し、追善供養を執行。
194607 バラック建ての納骨堂と礼拝堂が市民の喜捨により建立。
19460806 供養塔前で各宗派合同の慰霊祭。以後、毎年開催
1950 広島市戦災死没者供養会を「広島戦災供養会」に改組。新供養会は、地元各界から選ばれた民間組織となる。以後、毎年の慰霊祭は、供養会主催により8月6日、朝6時15分から執行。
195507 50m北寄りの現在地に新供養塔を建設。大きさ:直径16m、高さ3.5m。表面に芝生を植える。
以上の出典:『原爆供養塔ができるまで – 広島市公式ホームページ 』(原爆供養塔ができるまで – 広島市公式ホームページ  https://www.city.hiroshima.lg.jp/site/atomicbomb-peace/15507.html
19960806  『広島県宗教連盟「戦後五〇年」誌 平和と慰霊・追悼の歩み』刊行。

 

広島文団連ニュース1970~2020

『ヒロシマを刻む 広島文団連ニュース1970~2020』(広島県文化団体連絡会議、21210122)

内容<作業中>

No.
19700310 深川宗俊、村上忠人、
19710704 第2年度新役員
19720112 001
19720613 005
1973
1974
1975
1976
19771001 006 文団連ニュースの復刊
19780201 009
19790101 016
19800131 024
1981 034
1982 043
1983 051
1984 056
1985
1986 060
1987 064
1988
1989 069
1990 071
1991 073
1992 076
1993
1994 078
1995 080
1996 083
1997 086
1998 090
1999 093
2000 094
2001 095
2002
2003 098
2004 100
2005 101
2006 102
2007 105
2008 109
2009 110
2010 113
2011 116
2012 118
20121115 120
120 四国五郎さんの絵画の保全と保存について
120 「文団連を担った人びと」中川秋一さん<1980年11月11日病没>
2013 121
20140413 124
124 四国五郎顧問逝去
20140722 125
125 四国五郎さんを偲ぶ会
2015 127
2016 129
20170411 131 「2017ヒロシマ学習」宇吹暁「ヒロシマの過去・現在・未来」
20170906 132 「第34回とうろう集会(20170730)」
20180223 133
20190421 134 「第36回とうろう集会(2018)」江種祐司「今伝えたい―被爆証言 命の限り」
20200619 135 2019年度広島文団連第44回定期大会(0421)
135 「ヒロシマ学習2019」アーサー・ビナード
20200507 136 「ヒロシマ学習2020」宮崎園子記者(朝日)
136 「第36回とうろう集会(20190803)」山田寿美子「原爆孤児として生きて」
20200619 137 2020年度広島文団連第45回定期大会(0517)
137 <特集>コロナと文化~コロナで変化したこと~

広島県宗教連盟「戦後五〇年」誌

『広島県宗教連盟「戦後五〇年」誌-平和と慰霊・追悼の歩み』
( 中外日報社広島支社編、 広島県宗教連盟刊、19960806)

 発刊に寄せて( 広島市長 平岡敬)
序文( 広島県宗教連盟前々理事長・広島東照宮宮司 久保田訓章)
記念誌に寄せて( 広島県宗教連盟前理事長・カトリック広島司教区司教 三末篤實)
戦前・戦後の広島の宗教地図
1、ヒロシマのもつ意味 2
2、神社神道(広島県神社庁)5
3、仏教
戦後50年 平和と慰霊・追悼の歩み
1、昭和20年代(1945~54年)26
2、昭和30年代(1955~64年)36
3、昭和40年代(1965~74年)43
4、昭和50年代(1975~84年)52
5、昭和60年代から平成へ(1985~96年)
戦後50年 加盟教宗派の歩み
 1、 神社神道(広島県神社庁)74
  2、 仏教
 浄土真宗本願寺派 90
臨済宗妙心寺派 151
曹洞宗 161
浄土宗 170
真言宗 175
真宗大谷派 180
日蓮門下 188
 3、  キリスト教
 カトリック 205
 プロテスタント 231
執筆者:宗藤尚三・橋本栄一・永井秀明
Ⅰ.復興期におけるキリスト者の平和への歩み
A.ヒロシマ・ピース・センター
B.プラハ平和会議への参加
C.戦責告白と清鈴園運動
Ⅱ.広島キリスト者平和の会の歩み
A.広島キリスト者平和の会の発足
B.広島キリスト者平和の会総会
C.日本キリスト教団と西中国教区の動静
D.被爆者クリスマスの推移(’80年~’90年)
E.2.11集会の推移
Ⅲ.宗教者HGO広島協議会の平和への取り組み
Ⅳ.YMCAを基点とした平和運動
Ⅴ.YMCA国際平和研究所の活動
Ⅵ.日本基督教団中国教区核問題委員会の働き
Ⅶ.チェルノブイリ救援広島委員会の働き
 4、  教派神道
大本・出雲教ほか257
資料編
1、規約 268
2、役員 272
3、行事資料 275
4、年表
あとがき( 編纂委員長・大本広島本苑名誉本苑長 桑原英昭)