大学人会活動略年表
年月日 |
事項 |
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1953 |
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0215 |
発会準備会 |
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0221 |
発会大会(会員50人余・・・5月末会員100余名) |
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0326 |
学術会議会員との懇談会 |
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0405 |
平和講演会(広教組後援) |
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0601 |
会報(N・・・新聞型)No.1発行 |
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1001 |
広島大学人会ニュースNo.1(N)発行 |
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1115 |
会報(N)No.2(第3期学術会議会員選挙特集) |
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1954 |
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1210 |
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1955 |
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1956 |
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1957 |
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1958 |
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1959 |
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1960 |
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1961 |
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1962 |
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1963 |
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1964 |
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1965 |
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1966 |
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1967 |
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1968 |
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1969 |
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0131 |
拡大理事会(中心話題は「大学紛争」問題) |
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平和と学問を守る大学人の会(発行物一覧)
書名・タイトル |
発行年月日 |
備考 |
広島大学人会会報 |
19530601(創刊号)~ |
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大学人会研究論集 |
195411(第1集)・195507(第2集) |
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原子力問題研究資料 |
(1)195701 原子力関係文献目録・ |
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広島の平和運動研究資料 |
(1)広島の平和運動(平和運動研究班中間報告)(2)原爆被害者の歩み(3)原爆被害者救援の動き |
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大学人会討議資料 |
19600610 |
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平和・科学・自由 |
196006 |
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大学制度問題資料集 |
1961 (その1)・(その2)・(その3) |
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第9回原水爆禁止世界大会文書集 |
1963 |
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『ヒロシマ研究公開セミナー資料集 1968年3月8日~10日 』
(ヒロシマ研究の会 広島YMCA会員事業部)
収録資料
№. |
タイトルなど |
形態 |
1 |
「原爆被爆者援護の問題点―「ヒロシマ研究の会」討議資料」 |
冊子 |
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目次=1.戦時の人権と平時の人権の落差が今日まで影響していること、2.原爆被爆者の援護は老人福祉対策の改善の突破口である、3.無差別攻撃と差別待遇、4.第三国人の被爆、5.結び(援護と調査)、あとがき |
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裏表紙=この小冊子は、金井利博氏が本会でていきされた意見を討議資料としてまとめなおしたものです。(ヒロシマYMCA内ヒロシマ研究の会、1967年12月10日) |
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2 |
ヒロシマ研究セミナー資料Ⅰの1 |
B4-4枚 |
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「ヒロシマ研究」公開セミナーの意図するもの―ヒロシマ研究の会の紹介をかねながら |
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3 |
ヒロシマ研究セミナー資料Ⅰの2 |
B4-1枚 |
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プログラム |
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討議資料 |
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ヒロシマ研究の会1年の歩み(年表・改変・抄)
年 |
月日 |
事項<注:この欄への月日のあるものは「ヒロシマ研究の会」以外の関連事項> |
1967 |
0615 |
ヒロ研第1回例会 |
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0707 |
ヒロ研第2回例会 |
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金井利博「原爆と補償」=原爆投下は、非戦闘員まで死滅させた無差別爆撃であったという特殊性をもつ国は戦争責任をとるべきであり、被爆者が補償を要求するのは当然の権利である。 |
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朴寿南「朝鮮人被爆者の実態と問題」=労働者確保の為、広島に強制的に連れてこられた朝鮮人は原爆をうけたことを一アクシデントとしてしか感じない程しいたげられていた。日本人は、被害者であると同時に戦争の加害者だったのだ。 |
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0720 |
ヒロ研第3回 |
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橋本栄一「被爆者救援活動の問題」=活動は継続してこそ意味がある。上から見る形、つまり慈善的な取り組み方ではなく、自己の問題として深めよう。 |
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0726 |
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0803 |
ヒロシマ世界を結ぶ集い |
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0811 |
ヒロ研第4回 |
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庄野「原水爆をめぐる世界史」=被爆者の問題は核につながる今日の問題である。又、既成団体に依存しない市民団体の運動としての平和運動が必要。 |
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0901 |
ヒロ研第5回 |
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栗原貞子 |
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0908 |
ヒロ研第回 |
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早川美子 |
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*花美鈴 |
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0921 |
ヒロ研第7回:南の |
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1006 |
ヒロ研第回 |
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1020 |
ヒロ研第9回 |
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1027=第1回対話の会。 |
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1101=厚生省「原子爆弾被害者実態調査 健康調査及び生活調査の概要」発表。 |
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1102=広島市長、市独自で全数調査をする旨言明。 |
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1109 |
ヒロ研第10回:厚生省調査結果に対する討論。この時完全な実態調査を市に要求するための署名運動をすることを決定。 |
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1124=YMCA会員の沖縄報告会。 |
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1125 |
署名運動開始。 |
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1130 |
ヒロ研第11回:署名運動の経過報告と方針。この時1130名の署名が集まっていた。 |
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1208 |
ヒロ研第12回:市長への要望書の内容検討。 |
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1219 |
ヒロ研第13回:署名運動の方針、公開セミナーの構想 |
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1220=対話の会 |
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1221 |
市長との会見:おざなりの返事しか貰えなかった。地道にやっていくことが必要である。 |
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1223=白書の会「実態調査促進運動に全面協力」。原爆小頭症の認定児は全て医療保護されることを決定。 |
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1226=平和の会「被爆者招待クリスマス」 |
1968 |
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0108=フェニックス号北ベトナム公開記録公開。 |
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0111 |
ヒロ研第14回:新年における会員夫々の抱負を話し合い新年の展望を概要的にまとめる。 |
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0114 |
第1回対話のつどい開催準備。 |
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0115=第1回対話のつどい―青年とヒロシマ―。会員山本暁子発題。 |
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0125 |
ヒロ研第15回 |
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田原伯(原爆資料収集家)=ヒロシマの問題を一生の仕事として取り組んでいられる田原さんの話を通してもっともっと真剣にならねばならぬとおもった。 |
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0127=白書の会。女学院高校生徒が募金を朝鮮の人達に渡した。 |
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0208 |
ヒロ研第16回 |
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大牟田稔(中国新聞)「全国に散在するヒロシマをめぐるグループの動向」=ヒロシマをもっと知って欲しいという態度ではなく全国に散在するヒロシマに関心を抱いている人々との提携という態度が大切。 |
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0210=広島べ平連の第1回デモ。 |
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0215=原爆被災資料広島研究会結成。大本営建設の問題化。 |
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0222 |
ヒロ研第17回:セミナーの開催準備。 |
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0301=原水協・原水禁、ビキニデー全国集会(於静岡・焼津)。 |
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0301=市長を囲む市民対話の会。 |
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0302 |
ヒロ研第18回:セミナーの開催準備。 |
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0307=「青年の船」セイロンで青年対象のアンケート「日本でれんそうすることは」「ヒロシマ」が17%で1位。 |
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0308 |
ヒロ研第1回セミナー実施。 |
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0309 |
ヒロ研第1回セミナー |
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0310 |
ヒロ研第1回セミナー |
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0330=特別措置法が閣議決定国会提出。 |
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0311 |
厚生省の認定、被爆者追跡調査に数人の会員が参加。 |
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0312=原水協・原水禁「第五福竜丸、保存国民運動」計画にのり出す。 |
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0314 |
ヒロ研第19回:田原さんの提唱により、毎月6日に6時から八丁堀で「ピカより〇○日」のチラシ配りをすることを決定。「ピカより〇○日」の運動は少しでも市民に核戦争の恐ろしさを知って貰うと同時に広島の一市民として共に23年という年月の重みをかみしめようという趣旨から。 |
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福竜丸の保存の件について、ヒロシマ研究の会としては、はっきりした考えをだすことはできなかった。 |
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0316 |
第1回「ピカ〇○日」実施。爆心地調査に数人の会員が参加。 |
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0403=原爆被災資料広島研究会第2回会合「専門部会を設置」 |
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0323=白書の会。 |
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0404 |
ヒロ研第20回:実態調査・資料、外国人被爆者問題、平和運動。の3グループに分れてもっと問題を深めていくことに決定。 |
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0410=朝鮮人被爆者を囲む会、出席者が一人もなく問題の複雑さがわかった。 |
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0418 |
ヒロ研第21回 |
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平岡敬「広島の問題を深める」方向から助言。 |
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会員が春休みにアルバイトとしてやった実態調査の感想報告 |
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0418、0419=映画、記録なき青春。 |
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0420=原爆映画、幻のフィルム―初公開。 |
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0423=対話の会、広島ベ平連との提携、協力体制。 |
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0425 |
ヒロ研第22回 |
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森滝市郎「被爆者団体の動向と援護法」=今日の現存する被爆者は、広島・長崎あわせて30万人。原爆そのものもひどかったが、その後の2~3年の貧乏の方が辛かった。その間は、夫々自分自身の身のふり方を考えるのが精一杯で意識的に被爆者が、まとまるのは困難だった。被団協などのグループが生まれたのは訳10年を経過してからであった。昭和29年のビキニのとき「広島の百万名署名」と名の残っている様、市民の意識が高まった。被爆者問題と原水禁運動が2本の基本底流をなすものであり、被爆者の声には常に重きをおかれるべきものである。 |
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0426=厚生省、広島県、市、長崎県、市、が実態調査の実施について審議会。 |
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0430=海田町原爆被害者の会240名の体験談を収録した被爆者懇談集録」を発刊。 |
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0431=基町、5度目の大火。 |
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0505=折り鶴の子の像、除幕10周年記念式典。 |
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0506 |
第2回ピカ○○運動実施。 |
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0511 |
ヒロ研会員合宿=各自夫々被爆者訪問を通して精神的継承というか、祖父、祖母の話を孫の様な気持ちできき継承していこうということに決定。 |
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0512 |
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0511=山口県、原爆被爆者福祉会館「ゆだ苑」完工。 |
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0512=広島県スラム対策に調査費1千万円を計上。 |
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0514=プルトニウム国産化成功。平和利用国で4番目。 |
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0515 |
ヒロ研第23回:実態調査の促進運動について、ヒロシマ研究の会なりに目安をたてた。 |
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0517=学術会議、「原爆被災資料広島懇談会」を開催(於広大原医研)。「原爆被災資料センター」けんせつについての意見をきく。 |
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0520=映画「広島の証人」上映協力委員会発会式。 |
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0521=被爆者バッジができる。 |
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0523 |
広島女子大において原爆映画を考える写真展を開催。~25日。 |
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0525=佐世保の放射能汚染問題で米原子力委員会の調査団は、「ソードフィッシュは、佐世保帰港期間中、放射性物質は1滴も放出していない」と言い残して帰国。 |
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0530 |
ヒロ研第24回例会 |
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森下弘「教科書の中の原爆問題」=学徒動員により生徒学生もいっせいにかり出された。こうした事実があるにも拘らず現在の高校教育において何ら教えられていない。ただ一部の教師の自主性に頼っている状態だ。又原爆映画の視聴率から見て高校生の間に意識が必ずしも低いとはいえない。しかしヒロシマが自分の問題となりえないところに問題がある。もっと何らかの形で日常的にとり入れられる様にすることが必要ではないか。 |
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0605=映画「ヒロシマ 1966年」 |
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0606 |
ヒロ研第25回例会。第3回ピカの運動実施。 |
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この一年についての率直な反省がなされ今後の方針について話し合いが行われた。会員募集の機会を何度も作ったにも拘らず、尚かつ会員が増えない。ヒロシマの問題が、オキナワ、ベトナムに比べて現代の若者にとって魅力あるものになりにくいということを示すものではないだろうか。私達はいつでも誰でも自由に出入りできる開放的な若さあふれるヒロ研にしてゆくことによって新しい感覚のヒロシマを私達青年の手で創って行かねばならないと思う。 |
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0606=園田厚生大臣:被爆者の全数調査を国勢調査に付帯して実施することは至難だが、市町村が独自で調査できる様補助費を出すと発表。 |
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0608=対話の会。第2回市民対話の会の準備。 |
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0613 |
ヒロ研第26回例会:2年目の展望をたてる。 |
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0613=社会党、共産党との統一協議断わる。 |
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0615=第2回市民対話の会。岡村昭彦、本多勝一 |
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0616=ヒロ研1周年記念会。 |
ヒロシマ研究の会一年のあゆみ1967.6~1968.6
もくじ
タイトル |
著者 |
原爆体験の継承の意義と方法 |
渡辺正治 |
ヒロ研、この一年 |
小林省三(広島YMCA主事) |
一周年を迎えるヒロシマ研究の会へひとこと(順不同、敬称略) |
庄野直美 |
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山崎与三郎 |
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原田東岷 |
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栗原貞子 |
|
佐藤富士子 |
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森下弘 |
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文沢隆一 |
|
今堀誠二 |
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秋信利彦 |
|
金井利博 |
|
二神三男 |
|
長岡千鶴野 |
|
橋本栄一 |
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田淵実男 |
|
山口勇子 |
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深川宗俊 |
人類のえい智を築く礎石に |
渡辺正治 |
平和の建設者として |
相原和光 |
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ヒロシマ研究公開セミナーで学んで |
吉田よし子 |
”ヒロシマ”とは何だろう? |
三井英津子 |
|
山本暁子 |
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近末康彦 |
|
柴村忠宏 |
課題と展望 |
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ヒロシマ研究の会会員及び参加者68.6.14現在 |
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ヒロシマ研究の会にお世話下さった方々 |
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編集後記 |
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1967年6月14日 |
|
ヒロシマ研究の会 (広島YMCA会員事業部内) |
資料’82反核(単行本・雑誌・教科書・新聞)-原爆文献を検証する( 「ひろしまをよむ」会編、 溪水社刊、1983年7月15日)
目次
まえがき |
<共同検証82反核> |
1 |
新味に欠ける原爆出版 |
2 |
消極的な大手出版社 |
3 |
新刊しのぐ重版・再刊 |
4 |
手記・体験記に多様性 |
5 |
「読む」から「見る」へ |
6 |
すそのを支える童話 |
7 |
無難さ目立つ教科書 |
8 |
雑誌-欠落した原点 |
9 |
新聞連載-不十分な総括 |
10 |
新聞社説-もの足りぬ分析 |
<82出版物リスト> |
1 |
単行本-反核・ヒロシマ・ナガサキ |
2 |
単行本-防衛・原発・学術・再刊 |
3 |
童話-絵本・平和教育 |
4 |
教科書-国語科82年採択 |
5 |
雑誌-月刊・季刊・旬刊・週刊 |
6 |
新聞-連載・社説 |
おわりに |
|
「ひろしまをよむ」会(石踊一則、内田恵美子、宇吹暁、木村逸司、島津邦弘、田原幻吉、丹藤順生、藤原浩修、松林俊一)協力・ピカ資料研究所 |
長崎の証言の会
1970年2月1日 長崎の証言刊行委員会、新しい記録運動を呼びかける。
1971年3月16日 「長崎の証言刊行委員会」を「長崎の証言の会」とする。
長崎の証言の会『証言-ヒロシマ・ナガサキの声』
長崎の証言の会(編・発行)、汐文社(発売)
|
|
創刊号(1987/9/30) |
江口 保 |
八月のヒロシマ-修学旅行生とともに |
ミホ・シボ・新間 |
カナダにおける反核運動 |
北浦葉子 |
日本から世界へ-ネバー・アゲイン・キャンペーンのあゆみ |
永井秀明 |
核廃絶をめざす世界運動と教育-核軍拡と軍事化状況をふまえて |
第2集(1988/8/15) |
|
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1990/8/30 |
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1991/8/15 |
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|
1992/8/31 |
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1993/8/31 |
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1994/8/9 |
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1995/8/31 |
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|
1996/9/10 |
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1997/10/1 |
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|
1998/9/10 |
|
|
1998/11/21 |
|
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|
1999/9/10 |
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|
2000/9/14 |
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2001/10/10 |
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2002/10/10 |
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2003/10/1 |
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|
2004/10/1 |
|
|
2005/10/1 |
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|
2006/10/1 |
|
|
2006/11/1 |
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|
2009/12/25 |
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第27集(2013/10/1) |
朝長万左男 |
〔報告〕オスロ・カンファランス「核兵器の非人道性」に関するオスロ会議に出席して |
山口 響 |
〈二〇一三年 NPT再検討会議準備委員会〉核依存という「谷底」をめざす日本政府 |
平野伸人 |
第十五代高校生平和大使の成果と課題 |
田中利幸 |
広島から―NPDI(軍縮・不拡散イニシアティブ)広島外相会合をめぐって |
川崎哲 |
【インタビュー】川崎哲さんに聞く―核兵器禁止条約へ向って、東京を動かそう |
|
追悼 核兵器廃絶を目指して―闘い続けた 山口仙二さん |
核実験に抗議する長崎市民の会 |
声明 米国大統領「バラク・オバマ様」占度重なる核実験に断固抗議する」 |
第28集(2014/10/31) |
芝野由和 |
やはり「フクシマを考える」だったか―第五回「核兵器廃絶―地球市民集会ナガサキ」にかかわって考えたこと |
小桝雅樹 |
第二回「核兵器の非人適性に関する国際会議」に参加して |
朝長万左男 |
もし一〇〇万人の現代都市で核爆発が起こったら |
|
|
第29集(2015/11/20) |
柴田 朴 |
追悼・本島等さん―天皇の戦争責任発言を中心に―どうしても聞きたかった質問 |
中村桂子 |
2015年NPT再検討会議を終えて |
山田寿則 |
マーシャル諸島共和国による核ゼロ裁判 |
山下正寿 |
ビキニ事件の再検証を―放置された被災船員たち |
第30集(2016/10/15) |
細光規江 |
被爆体験伝承者―広島市の取り組み |
第31集(2017/10/1) |
朝長万左男 |
巻頭言「核兵器禁止条約の成立 |
|
|
『ヒロシマ・ナガサキの証言』(広島・長崎の証言の会編)
創刊号’82冬1982/2/20 内容
頁 |
著者 |
タイトル |
備考 |
|
|
口絵:ジュノー戦場の記録展から |
|
001 |
今堀誠二 |
巻頭言 |
|
002 |
特集1/ヒロシマ・ナガサキと広がる反核運動 |
002 |
庄野直美 |
ヒロシマ・ナガサキ・ビキニの今日的意味 |
|
006 |
田川時彦 |
国際的な軍縮教育の動向とその視点 |
|
010 |
北西 允 |
反核運動の現状-西欧と日本 |
|
017 |
栗野鳳 |
人類にとってのヒロシマ・ナガサキの意味 |
|
022 |
中村征之 |
遠来の使者 |
|
026 |
鎌田定夫 |
証言運動-その源流と今後の課題 |
|
030 |
荒木武、本島等、伊東壮、袖井林二郎、服部学、小野周、西村久 |
|
|
『ヒロシマ・ナガサキの証言』の刊行にあたって |
|
特集2/連帯するヒロシマ・ナガサキ |
038 |
高橋昭博 |
人間の思いやりと信頼の回復を求めて |
|
040 |
葉山利行 |
基本懇答申一年をふり返って |
|
043 |
空辰男 |
八〇年代の平和教育創造を |
|
045 |
坂口便 |
長崎における平和教育 |
|
047 |
市丸道人 |
核戦争に対して医師は何をすべきか |
|
049 |
江崎須賀子 |
被爆者の相談、証言活動を |
|
052 |
上戸真弓 |
“ヒバクシャ”を知る |
|
054 |
松井あずさ |
10フィート運動にかかわって |
|
056 |
広瀬方人 |
長崎のカトリックと原爆問題 |
|
058 |
相原和光 |
「大悪は大善の来るべき瑞相なり」 |
|
061 |
声と主張 |
|
061 |
安藤善博 |
「ユーロシマ」運動を日本で |
|
063 |
川原紀美雄 |
“ノーモア・ヒバクシャ”の実質化を求めて |
|
064 |
藤枝良枝 |
熱い三十六回忌 |
|
066 |
鎌田信子 |
“核廃絶人類不戦の碑”完成にあたって |
|
|
|
12月8日除幕式 |
067 |
活動の紹介 |
|
067 |
藤原茂 |
タダの市民が映画をつくった |
|
070 |
黒沢雅善 |
モニュメント運動 |
|
072 |
|
八・九全国高校生の集いその後 |
|
074 |
団体の紹介 |
|
074 |
山田浩 |
平和と学問を守る大学人会 |
|
075 |
永松初馬 |
山口県原爆被爆者福祉会館 |
|
077 |
上田小八重 |
原爆患者を守る会 |
|
|
|
1960年4月、北海道函館市に主婦ばかりの「原爆患者を守る会」誕生 |
080 |
文芸 |
|
0 80 |
山本康夫 |
|
|
0 80 |
大原三八雄 |
|
|
0 81 |
深川宗俊 |
炎の歌 |
|
0 82 |
豊田清史 |
|
|
0 82 |
渡部正則 |
|
|
0 84 |
山田かん |
|
|
0 86 |
MYRL IJAMS |
|
|
0 87 |
藤本仁 |
|
|
090 |
岩崎清一郎 |
|
|
094 |
片山昌造 |
|
|
096 |
証言 |
|
|
096 |
|
長崎原爆―15歳の記憶 |
|
102 |
禿樹 暲 |
一人生き残って<広島市寺町・品教寺> |
|
103 |
小嶋省吾 |
光をかえせ―****の場合<広島> |
|
108 |
村井百合子 |
左手の火傷のあと<広島> |
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112 |
李実根 |
朝鮮人被爆者の問うもの |
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若林節美 |
谷間のヒバクシャ―原爆被害者相談から |
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湯崎稔 |
原爆関係の文献資料案内(1981年発行のもの) |
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資料1 「核兵器に関する包括的研究」ワルトハイム国連事務総長報告(抄録)1980年9月12日 |
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資料2 ラッセル・アインシュタイン宣言 |
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槇繁 |
編集後記 |
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『ヒロシマ・ナガサキの証言』(広島・長崎の証言の会編)
創刊号(1982年2月20日)~終刊号(1987年7月20日)通算21号
号数 |
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創刊号’82冬1982/2/20 |
特集1/ヒロシマ・ナガサキと広がる反核運動 |
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特集2/連帯するヒロシマ・ナガサキ |
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第2号’82春1982/5/30 |
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第3号’82夏1982/8/20 |
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第4号’82秋1982/11/10 |
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第5号’83冬1983/2/10 |
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第6号’83春1983/5/15 |
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第7号’83夏1983/8/20 |
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第8号’83秋1983/10/30 |
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第9号’84冬1984/2/20 |
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第10号’84春1984/4/30 |
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第11号’84夏1984/8/20 |
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第12号’84秋1984/10/15 |
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第13号’85冬1985/2/20 |
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第14号’85春1985/4/30 |
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第15号’85夏1985/8/20 |
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第16号’85秋1985/10/30 |
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第17号’86冬1986/2/20 |
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第18号’86春1986/05/10 |
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第19号’86夏1986/08/20 |
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第20号’86秋1986/11/10 |
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第21号終刊号1987/07/20 |
広島・長崎の証言の会 |
季刊『ヒロシマ・ナガサキの証言』終刊にさいして-共同刊行の五年間と今後の課題- |
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『広島・長崎30年の証言』広島・長崎の証言の会編、未来社 (上) 19750806(下)19760430
内容
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(上) |
19750806 |
序章 原爆30年目の問い |
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秋月辰一郎 |
ヒロシマ・ナガサキ三十年の想い |
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鎌田定夫 |
わが内なるヒロシマ・ナガサキ |
第1章 歴史の暗点から |
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小堺吉光 |
ヒロシマ・救われない犠牲者 -国民義勇隊員の惨禍 |
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秋月辰一郎 |
ナガサキ・歴史の暗点 |
第2章 ”核権力”と被爆者 |
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栗原貞子 |
天皇と核権力と被爆者と |
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山田かん |
原爆とキリシタン |
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李奇相 |
被爆朝鮮人の受難と怒り -在日朝鮮人の証言と告発 |
第3章 ビキニ水爆20年目の告発 |
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広田重道 |
ビキニ被災二十年目の証言 -原水禁運動の原点をみつめて |
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久保山さんへの手紙は訴える -原水爆への国民的怒りの原点をさぐって加納竜一 近藤弘 長岡弘芳 |
第4章 30年を生きて今-被爆者30年目の証言 |
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鎌田信子 |
原爆を生きつづける証人たち -長崎原爆青年乙女の会のふたり |
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古浦千穂子 |
生きられなかった被爆者たち |
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文沢隆一 |
胎内被爆から三十年-きのこ会のこと |
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広瀬方人 |
被爆二世の生と死 |
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石田明 |
原爆裁判への情念と論理 |
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福田須磨子 |
〔遺稿〕 われなお生きてあり(続) |
第5章 無国の谷間から -海外被爆者の告発 |
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辛泳洙 |
被爆と民族の問題-日本政府・天皇・国民への苦言 |
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鎌田定夫 |
在韓被爆者三十年の遺恨と告発 |
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林福順 |
苦しみの淵から |
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厳粉連 |
広島から韓国へ地獄はつづく |
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島津邦弘 |
核に追われる難民 -ミクロネシアの被爆者たち |
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立ちあがる在米被爆者たち |
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据石和江 |
アメリカ人に原爆の悲惨を訴えて |
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倉本寛司 |
カリフォルニア州上院小委員会 原爆被爆者公聴会における証言 |
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関係文献目録 |
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(下) |
19760430 |
第6章 反原爆運動の中から |
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伊東壮 |
日本被爆者運動の三十年 |
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草の根・被爆者運動の中で |
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前座良明 |
長野における反原爆運動二十年と私--長野県原水爆被災者の会と共に |
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杉山秀夫 |
私の原水禁運動・被爆者運動二十年 --静岡県原水爆被害者の会と共に |
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伊藤普 |
福岡被団協の二十年と私 |
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平山良明 |
おきなわ・二重苦の被爆者たち |
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伊東壮 |
東友会二十年のあゆみ |
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深川宗俊 |
朝鮮人被爆者復権のたたかい |
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浜崎均 |
原水禁運動とともに生きる--渡辺千恵子さんの生を支えるもの |
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北西允 |
原水禁運動の統一と静岡・広島 |
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鎌田定夫 |
歴史の証言から歴史の変革へ--「長崎の証言」運動とその周辺 |
第7章 原爆体験の継承をめざして |
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瀬戸口しのぶ |
おさなき弱者と「見えない被爆者」 |
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今田斐男 |
戦争・原爆体験の伝承者として |
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森下弘 |
沈黙の決議 --被爆者教師としての三十年 |
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空辰男 |
平和教育の諸相と課題 |
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島田麗子 |
ひろしまを考える旅 |
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長岡弘芳 |
原爆から原発まで --《原爆体験を伝える会》 |
第8章 原爆体験の思想化 |
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石田忠 |
福田須磨子さんの生と死 |
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文沢隆一 |
原爆資料発掘作業の試み |
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湯崎稔 |
原爆被災復元調査の中から--人間の復権めざして |
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山手茂 |
社会科学者は原爆被害問題とどうとりくんできたか |
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小川岩雄 |
原水禁運動とパグウォッシュ運動--その問題点と今後の課題 |
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山田かん |
詩の中の反原爆 |
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岩崎清一郎 |
文学のなかの「原爆」--記録の虚構・その変貌 |
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栃木利夫 |
日本近・現代とヒロシマ・ナガサキ |
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高橋真司 |
反原爆の思想 --広島・長崎の現代史的意義 |
終章 反原爆三十年目の課題と展望--「広島・長崎の証言の会」座談会 |
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ヒロシマ・ナガサキ30年とは何か--広島での討論記録 |
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被爆者運動30年と今後の課題--東京での討論記録 |
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核権力と民衆と証言運動--長崎での討論記録 |
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鎌田定夫 |
あとがき |
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ヒロシマの歴史を残された言葉や資料をもとにたどるサイトです。