平和と学問を守る大学人の会会報第26号
1960年2月20日
平和と学問を守る大学人の会会報第26号
1960年2月20日
広島通信 1966年6月創刊 第1号~19号(1970年2月)広島県詩人協会刊、 第20号(1970年4月)~第68号終刊号(1983年7月31日)「広島通信の会」刊
1989年3月1日、「ヒロシマ・ナガサキを考える会」が復刻(「広島通信-ヒロシマの継承-全68号の復刻版」)
M | D | ZASSIMEI | TITLE | AUTHOR | |
66 | 06 | 広島通信創刊号 | 創刊号によせて-文学は何ができるか | 栗原貞子 | |
66 | 08 | 広島通信2 | 被爆の証人“原爆ドーム”の保存を | 松元寛 | |
66 | 08 | 広島通信2 | ある建築の美しさについて | 荏原肆夫 | |
66 | 08 | 広島通信2 | 1966年夏-広島からの告発 | 栗原貞子 | |
66 | 08 | 広島通信2 | 1966年夏、広島からの告発 | 栗原貞子 | |
66 | 10 | 広島通信3 | 胎内被爆小頭症 | 志水清 | |
66 | 10 | 広島通信3 | 小頭児に幸あれ | 畠中国三 | |
66 | 10 | 広島通信3 | ひそかな啓示―小頭症におもう | 文沢隆一 | |
66 | 10 | 広島通信3 | 今、すぐに救護を―美農綾子さんを見舞う | 栗原貞子 | |
67 | 02 | 33 | 広島通信4 | 運命の日より21年を生きて | 西土 万合枝 |
67 | 03 | 広島通信5 | 特集:広島の川 | ||
67 | 03 | 広島通信4 | 私はこう信じる-重藤文夫原爆病院院長訪問 | 重藤文夫 | |
67 | 06 | 広島通信6 | 原民喜特集 | ||
67 | 10 | 広島通信7 | ケロイド | 原田東岷 | |
67 | 11 | 広島通信8 | あの頃の広島 | 北畠隆 | |
68 | 02 | 広島通信9 | 告発する街として | 浜野千穂子 | |
68 | 06 | 広島通信10 | 原爆慰霊碑文再読 | 松元寛 | |
68 | 08 | 広島通信11 | 地の塩への期待 | 安井郁 | |
68 | 11 | 広島通信12 | 広島の声 | 高橋三郎 | |
69 | 02 | 広島通信13 | さらば広島 | バーバラ・レイノルズ | |
69 | 04 | 広島通信14 | 原爆記録映画全面公開運動のいきさつ | 庄野直美 | |
69 | 06 | 広島通信15 | 排安易 | 田淵実夫 | |
69 | 08 | 広島通信16 | 人類は生きねばならぬ-アトムかアトマか | 森滝市郎 | |
69 | 10 | 広島通信17 | 世界の中のヒロシマ | 関屋正彦 | |
69 | 12 | 広島通信18 | 沖縄とヒロシマ | 袖井林二郎 | |
70 | 02 | 広島通信19 | 被爆二世 | 杉原芳夫 | |
70 | 04 | 広島通信20 | 観光客から巡礼者へ | 山崎与三郎 | |
70 | 06 | 広島通信21 | 中国・アメリカ平和巡礼 | 今堀誠二 | |
70 | 06 | 広島通信21 | ヒロシマを語る者として-アメリカへの出発を前に | 大原三八雄 | |
70 | 07 | 広島通信22 | 70年とヒロシマ-ヒロシマの風化に抗して | 森滝市郎 | |
70 | 07 | 広島通信22 | アメリカ通信 | 大原三八雄 | |
70 | 10 | 広島通信23 | アメリカの孤独 | 大原三八雄 | |
70 | 12 | 広島通信24 | 広島のひろい空の下 | 山田かん | |
70 | 12 | 広島通信24 | 山田かん氏を囲んで-長崎と原爆詩の関わり | ||
71 | 02 | 広島通信25 | ヒロシマの思想の亀裂 | 大牟田稔 | |
71 | 02 | 広島通信25 | 第二の生きがい-アメリカ・東西南北記 | 大原三八雄 | |
71 | 04 | 広島通信26 | きうずれぬへいわをへいわをかえせ | 寒川道夫 | |
71 | 06 | 広島通信27 | きうずれぬへいわをへいわをかえせ(その2) | 寒川道夫 | |
71 | 06 | 広島通信27 | アメリカ人の社会的連帯性 | 大原三八雄 | |
71 | 08 | 広島通信28 | 挽歌-マルチン・ルーサー・キングの墓所で[詩] | 大原三八雄 | |
71 | 10 | 広島通信29 | 京浜地帯の原爆意識を中心にしておもう | 前川和子 | |
71 | 12 | 広島通信30 | アウシュビッツとヒロシマ | 小谷鶴次 | |
71 | 12 | 広島通信30 | 国連というところ | 大原三八雄 | |
72 | 02 | 広島通信31 | ヒロシマと中国の核・人 | 森下弘 | |
72 | 04 | 広島通信32 | 被爆朝鮮人救援の動き | 平岡敬 | |
72 | 06 | 広島通信33 | 「水ヲ下サイ」特集 | ||
72 | 08 | 広島通信34 | ヒロシマに捧げる詩特集 | ||
72 | 08 | 広島通信34 | あの夏からこの夏までの間 | 小倉馨 | |
72 | 10 | 広島通信35 | 懐しい日本の皆さんに | バーバラ・レイノルズ | |
72 | 12 | 広島通信36 | 地球時代・平和の新処方箋 | 加藤新一 | |
73 | 02 | 広島通信37 | 「原水爆被災資料センター」設立の意義 | 湯崎稔 | |
73 | 04 | 広島通信38 | 私の広島日記 | 佐々木雄一郎 | |
73 | 06 | 広島通信39 | ABCC特集 | ||
73 | 06 | 広島通信39 | 原爆死体解剖NO.1の山科清元軍医にきく | 山科清 | |
73 | 08 | 広島通信40 | 特集:ベトナムは終わったのか | ||
73 | 10 | 広島通信41 | 28年目のヒロシマ | 藤枝良枝 | |
73 | 12 | 広島通信42 | 原爆の印象と記憶 | 縄田二郎 | |
73 | 12 | 33 | 広島通信42 | 縄田 二郎 | |
74 | 03 | 広島通信43 | 公害防止と平和への意志 | 田中公雄 | |
74 | 04 | 広島通信44・45 | 特集:いまは亡き4人の原爆詩人たち | ||
74 | 08 | 広島通信46 | 知られていない原子力発電の問題点 | 佐久間澄 | |
74 | 12 | 広島通信47 | 特集:原子力平和利用 | ||
75 | 02 | 広島通信48・49 | 特集:韓国原爆被爆者と日本人 | ||
75 | 08 | 広島通信50 | 特集:ヒロシマとベトナム | ||
76 | 01 | 広島通信51 | あの体験の<意味> | 小久保均 | |
76 | 05 | 広島通信52 | 特集:今なお続く核実験 | ||
76 | 08 | 広島通信53 | 特集:平和と私との距離 | ||
76 | 12 | 広島通信54 | 特集:被爆体験は風化するか | ||
77 | 05 | 広島通信55 | 特集:被爆者の医学的諸問題 | ||
77 | 12 | 広島通信56 | 特集:世界にとってヒロシマはなにか | ||
78 | 04 | 広島通信57 | 特集:朝鮮人被爆者 | ||
78 | 07 | 広島通信58 | 特集:ヒロシマと地方との連帯性 | ||
78 | 12 | 広島通信59 | 特集:核時代の文学 | ||
79 | 06 | 広島通信60 | 特集:ヒロシマは核時代に非戦の力となりうるか | ||
79 | 12 | 広島通信61 | 特集:原爆と原発 | ||
80 | 06 | 広島通信62 | 特集:廣島・広島・ヒロシマ | ||
80 | 06 | 広島通信62 | 遅い出発 | 豊永恵三郎 | |
80 | 06 | 広島通信62 | 原爆と原発 | 小林正一 | |
80 | 06 | 広島通信62 | 江波分院のことなど | 岡崎澄衛 | |
80 | 06 | 広島通信62 | 「ヒロシマ」シリーズ作品展開催の意味 | 増田勉 | |
81 | 01 | 広島通信63 | ある被爆者の死-主人唯一のこと | 栗原貞子 | |
81 | 07 | 広島通信64 | 特集:非戦の戦い | ||
81 | 12 | 広島通信65 | 特集:ローマ法王ご来広の軌跡 | ||
82 | 08 | 広島通信66 | 特集・ヒロシマのこころ | ||
82 | 08 | 広島通信66 | 生きる原理を | 石田明 | |
82 | 08 | 広島通信66 | 播かぬ種は生えぬ | 岡崎澄衛 | |
82 | 08 | 33 | 広島通信66 | 石田 明 | |
82 | 12 | 広島通信67 | 特集:ヒロシマに捧げる詩 | ||
83 | 07 | 31 | 広島通信68 | ヒロシマの継承-「広島通信」終巻号 | |
89 | 03 | 01 | 広島通信-ヒロシマの継承-全68号の復刻版 | 西土 万合枝 | |
89 | 03 | 01 | 広島通信-ヒロシマの継承-全68号の復刻版 | 縄田 二郎 | |
89 | 03 | 01 | 広島通信-ヒロシマの継承-全68号の復刻版 | 石田 明 |
広島県医療社会事業協会『患者と福祉 1971』1971年8月1日発行
目次
上村吉郎 | 今後の医療社会事業(広島県医療社会事業協会長) |
山本鎮雄 | 医療行為の二律背反と医療社会事業の必要性(広島女子大学講師) |
特集=原爆被爆者対策に考える= | |
志水 清: | 原爆被爆者対策に対する提言(原爆傷害調査委員会医科社会部長) |
宮本秀夫: | 被爆者対策の基底(広島県社会福祉協議会コミュニティオーガニゼーションワーカー) |
西谷義則: | 被爆保護世帯の実態と今後の課題(広島市社会福祉事務所ケースワーカー) |
事例研究 | |
若林節美: | 入院拒否を続けた原爆被爆母子家庭(広島原爆病院ケースワーカー) |
児島美都子: | 講評/遅すぎたケース紹介(日本福祉大学助教授) |
広島県医療社会事業協会『患者と福祉 1972』1972年10月10日発行
目次
上村吉郎 | 巻頭言:社会福祉の向上を<広島県医療社会事業協会長> | |
江崎須賀子 | 人工血液腎臓透析医療のかかえる問題 | |
特集=社会福祉士法制定試案を考える | ||
三村正弘 | 「社会福祉士法」案に対する提言 | |
特集=老人と医療 パネルディスカッション(=1971年12月16日開催の広島県MSW協会第2回研修会のまとめ) | ||
<出席者>上村吉郎、*江紀雄、若林節美(広島原爆病院、MSW)、田中勉<助言者>和田直(広島大学名誉教授、ABCC顧問)<司会>早川美子(原爆対策協議会、PSW) | ||
事例研究 | ||
西村清登 | 事例4:ある婦人の腎臓摘出手術をめぐって | |
早川美子 | 事例7:ある被爆家庭の人間関係(PSW、現広島県立精神衛生センター専門員) | |
特集=原爆被爆者対策に考える= | ||
志水 清:原爆被爆者対策に対する提言 | ||
宮本秀夫:被爆者対策の基底 | ||
西谷義則:被爆保護世帯の実態と今後の課題 | ||
事例研究 | ||
若林節美:入院拒否を続けた原爆被爆母子家庭 | ||
児島美都子:講評/遅すぎたケース紹介 | ||
広島市政白書
広島市政白書 | 編・発行 | 発行年月日 | |
(第1次) | 197412 | ||
(第2次)住民参画の広島市政を実現するために | 広島市職員労働組合・広島自治体問題研究会(編集)広島市職員労働組合(発行) | 19781010 | |
14.平和教育、17.被爆者問題 | |||
(第3次)広島・ヒロシマ | 19831021 | ||
(第4次) | 19861225 | ||
(第5次)10年のあゆみ・これからの広島 | 19901227 | ||
(第6次)くらしといのち 輝く広島に | 19950324 | ||
(第7次)ひろしまの明日のために | 19990110 | ||
出典:『広島自治体問題研究所20年の歩み―21世紀の地方自治をひらく』 |
『地域と科学者第3号』(日本科学者会議広島県支部機関誌)
支部創立10周年特集
出席者 |
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石田明 | 「ヒロシマの研究者への要請」 |
〔座談会〕「平和と学問を守る大学人の会」の記録―日本科学者会議広島県支部との関係 | ||
出席者 | ||
佐久間澄 | 広大名誉教授 | |
横山英 | 広大文学部 | |
北西允 | 広大経済学部 | |
中村義知 | 広大政経学部 | |
今中比呂志 | 広大総合科学部 | |
大森正信 | 事務局、司会 | |
1 | 「大学人の会」の生い立ち | |
2 | 活躍された人々 | |
3 | 活動の内容 | |
4 | 困難の台頭 | |
5 | ’69年安保のころ | |
6 | 日本科学者会議とのつながり | |
7 | 広教組との関係 | |
8 | 「大学人の会」のそのほかの活動 | |
9 | 「大学人の会」の今後 |
平和のために市民の対話をすすめる会 設立:1968年11月17日。
平和のために市民の対話をすすめる会・会誌(「対話の会」事務局発行)
号 | 発行年 | 目次 |
1 | 19690101 | 「対話の会」 その発足と経過 |
「第一回市民対話のつどい」記録 青年とヒロシマ 経過 | ||
平和グループ名簿(在広島) | ||
2 | 19680415 | 市長を囲む市民対話のつどい記録 |
大本営復元のいきさつ | ||
韓国在住被爆者の実態 | ||
広島にうたう(深川宗俊) | ||
「ヒロシマ研究の会」紹介 | ||
「平和を願う友の会」紹介 | ||
平和グループ名簿 | ||
通信・投稿欄 | ||
3 | 19690715 | ガイガー博士の講演 |
ベトナムと今後の日本 | ||
これからの市民運動 | ||
バーバラ・レイノルズ女史が広島で行なった活動の評価と広島市民の立場 | ||
通信・投稿 | ||
編集後記 |
市長を囲む市民対話のつどい 1968年3月1日
日時 | 昭和43年3月1日、午後6時15分~9時 | |
場所 | 平和記念館1階講堂 | |
主題 | 広島市民の生活と平和 | |
参加人員 | 約150名 | |
集会次第 | ||
司会 | 橋本栄一、今堀誠二 | |
開会挨拶 | 庄野直美 | |
話題提起 | 山田節男広島市長、田淵実夫広島市平和文化センター局長 | |
自由討論 | ||
閉会挨拶 | 原田東岷 |
出典:平和のために市民の対話をすすめる会『ヒロシマ 平和のために市民の対話をすすめる会・会誌2号』(1968年4月15日)
非核の政府を求める広島の会 1987年6月13日結成
略年表
年月日 | 事項 |
19870613 | 結成総会。 |
19870720 | 非核の政府を求める広島の会ニュース第1号発行。 出典:『非核・ヒロシマの声』) |
19880618 | 第2回総会 |
19880713 | 第1回学習講座。講師=大森正信広島大学教授 |
19890624 | 第3回総会 |
19900714 | 『非核・ヒロシマの声』(非核の政府を求める広島の会、19900714)刊 |
広島学講座(創価学会) 1989年2月~
第1回 | 1989年2月 | 広島県民俗学会常任理事 | 神田三亀男 | 途上採集からみた広島学 |
第2回 | 1989年3月 | 中国新聞社論説主幹 | 大牟田稔 | 平和のための広島学 |
第3回 | 1989年4月 | 広島女性史研究会代表 | 北西英子 | ヒロシマの女たち |
第4回 | 1989年6月 | 比治山女子短期大学助教授 | 宇野憲治 | 竹西寛子の「管弦祭」を読む |
第5回 | 1989年9月 | 広島ユネスコ協会会長 | 河村盛明 | ひろしま文学紀行 |
第6回 | 1989年12月 | 広島大学文学部助教授 | 岸田裕之 | 戦国時代の領主連合 |
第7回 | 1989年12月 | 広島大学教育学部助教授 | 町博光 | 今、広島弁がおもしろい<上> |
第8回 | 1990年3月 | 毎日新聞広島支局記者 | 小松健一 | ヒロシマを取材して |
<以下未入力> | ||||
出典:http://www.pv-hiroshima-soka.jp/activity/lecture/backnumber/ |