「03 ヒロシマNGO」カテゴリーアーカイブ

原爆被爆者調査に関する研究会 1965年

原爆被爆者調査に関する研究会 1965(昭和40)年2月11日

出席案内状
原爆被爆者調査に関する研究会について
このたび厚生省は、被爆者の調査を実施することになりました。被爆者調査の必要性については、さきに本会でも要請決議をおこなったところであり、この調査を成功させるための「地の塩」になりたいと思います。
ついては、当地における被爆者問題の各方面の権威にお集まりいただき、調査についての御高見をおうかがいしたいと存じます。
ご多忙中を大変恐縮ですが、まげて御出席いただきたく、お願い申しあげます。

一、日時 二月十一日(木) 午后五時~六時半
一、場所 広島大学 大学会館 第三集会室 (広大正門南、電車通ぞい)

談和会 幹事 石井金一郎 今堀誠二

なお、ご参考のため、厚生省調査原案を同封致しました。
(恐縮ですが少いので、当日、御持参願います。)

本研究会には、左の方々に御案内をさしあげました。(敬称略 アイウエオ順)

伊藤満、金井利博、熊沢俊彦、佐久間澄、重藤文夫、志水清、庄野直美、田渕昭、百々次夫、中野清一、原田東岷、松坂義正、三村剛昴、山手茂、渡辺漸、和田精護

原爆記念文庫所蔵原爆関係文献目録

『原爆記念文庫所蔵 原爆関係文献目録 昭和40年8月31日調』(原爆資料保存会、19651015)

 bk651015
 広島 長崎の体験を永久に伝える為に
人類の過ちを繰返へささぬ為に
ひたむきな平和への願いをこめて
尊い原爆記念文庫が広島に生まれました
みんな血と涙と訴へで綴られた記録です
この文庫の保存と成長へ御協力を
(原爆記念文庫標語)
 はしがき
1.原爆が投下されてからもう20年を経過した。本会は広島長崎の体験を永久に後世へ伝える為,昭和23年頃から苦難な道を歩みながら,文献の蒐集に力を注いで来た。これ等はみんな被爆当時の惨状そのままの記録や,学者の研究調査されたもので,世界平和推進の為極めて貴重なものである。
2.昭和40年8月31日迄に集めたものが2,000冊になつたが,まだまだ不足のものが多々ある。これは将来を期して完備したい。尚文献中には専門的のものも数多くあるが大半は大衆的のものである。これは大衆と共に考へ大衆と共に歩みたい文庫の使命に依るものである。
3.原爆の被害が余りも広大である為,学問的研究分野も多様であり,被害の処理も多方面に亘って居るので,全文献を整理分類することは困難である。依って本目録分類は正規の図書分類法に依らず,わかりやすい別記の10分類に整理して見た。御批正を乞う。
4.原爆20周年に当り,各方面の報道陣を始め,著書や雑誌に依って広島をアッピールされた事は感謝に堪えない,特に被爆者調査や,広大に原爆研究機関が設備される等,国家が直接広島と取組むことになった事は,おそまきながら嬉しい事である。
5.文庫開設(昭和40年6月6日)以来,A.B.C.C.や広島医師会を始め全国各地から個人で文献を寄贈されたものが160冊もある。寄贈者各位に対しここに深甚の感謝を致します。
昭和40年9月15日

日本国政府に対する要請(談和会 19641003)

日本国政府に対する要請
1964年10月3日

日本国政府に対する要請
談和会
私たちは日本国政府が、原水爆被害者の救援を効果的に行うとともに、日本国民および全世界に、原水爆戦争の恐ろしさを客観的に伝えることによって、核兵器をこの地上から永久に葬り去るため、さしあたり左の三点につき、積極的にとりくまれることを、要請いたします。

一、原水爆被災者の国勢調査
一九六五年は国勢調査の年に当りますが、その付帯調査として、一九四五年に広島・長崎で、一九五四年にビキニで、被害をうけた人々の、人口調査を行うことを要望いたします。この種の国勢調査は、一九五○年にABCCの要請で実施した先例があり、中間調査としては一九五八年に一部実施されていますが、被爆者援護の推進など、重要問題が山積している現在、全国的規模で完全な調査を行う必要性は、ますます増大いたしております。被災後、二十年たった今日こそ、こうした調査を客観的に実施できる、唯一かつ最後の機会だと思います。調査にあたっては、被災当時に遡って、被爆地に居住し、又はその直後に被爆地に入ったすべての人口、一九四五年九月以後、後遺症によって死亡した者、ならびに被爆者の児孫など、被害の全貌を明らかにすることが、大切であると思います。

なお、広島・長崎の被災者の中には、沖繩県民をはじめ、アメリカ・ロシア・中国・朝鮮・東南アジア各国人、ビキニの場合はマーシャル群島の原住民と外人宣教師が、相当数含まれていますので、琉球民政府および関係各国の協力を得て、国際的な規模での調査がなされるよう、希望いたします。

二、被災白書の作製
終戦以来、総理府はじめ各官庁は、種々の白書を公表していますが、原水爆被災に関する白書は、一度も発表されていません。原水爆被害者については、当時の惨害はいうまでもなく、原子力で破壊せれた健康が、遺伝の問題をも含めて、どのように深刻な問題をはらんでいるかを、明らかにせねばなりません。さらに、被災によって生じた社会的条件を調査研究することも、被害者援護の問題点を明らかにする上において、大切なことだと思います。これには現代科学の精髄をつくした、綜合的な学術調査が要求されます。被災白書の作製は、今日の人類が、子子孫孫のために残さねばならない、人間としての義務であります。このことは、被爆者援護を決議した、国会両院の要請に答える道でもあると思います。

三、国連が原水爆被害調査報告書を作製するよう、国連総会に提案すること
原爆症を中心とする原水爆被害の科学的究明については、すでに多くの業績が発表されていますが、その間に見解の相違があり、調整を必要とする段階に来ています。また、その治療および社会医学に関する部門においては、研究にかなりの立ちおくれがあり、この方面の研究を推進することは、被害者の痛切な願いであります。国連がこうした点で調整および補充を行ない、原水爆被害の科学的研究を完成・発表するならば、単に被爆者の救援に役立つばかりでなく、核戦争のおそろしさを、全世界に伝える意味でも、重要な役割をはたすことと信じます。ウ・タント国連事務総長も、日本国政府から、こうした提案がなされるならば、全面的に協力したいという意見をのべられていますし、セラー国連原子放射能科学委員会事務局長も、この主旨に賛意を表されています。日本国政府が十一月の国連総会に、右の提案をなされるよう、要望してやみません。

以上の三点は、日本国民全体の願いを具体化したものであり、また世界全人類の願いでもあると思います。原爆被災二十周年を迎えんとするに当り、日本国政府が、全国民の支持と協力のもとに、自主・民主・公開の三原則にもとづいて、右の三事業の達成に努力されるならば、被災者の救援および核戦争の禁止のため、多大なる寄与をあたえられるぱかりでなく、「後世への最大のおくりもの」となると信じ、敢て要請するゆえんであります。

一九六四年十月三日

日本国民に訴える
私たち、広島・山口の大学人有志の研究団体「談和会」は、本月、日本国政府に対し、原水爆被害についての実態調査を行い、これを被災白書にまとめるよう、要請いたしました。その内容は、来年の国勢調査にあたり、付帯調査として原水爆被害者の調査を行なうこと、日本政府が責任ある被災白書を作ること、今秋の国連総会に際し、日本政府から、国連が完全な被爆調査報告書を作成するよう、提案することの三件であります。こうした要請は、全国民の強力な支持なしには、到底実現することができません。私たちは日本の各界各層の人々が、政府に対して右の三提案をとりあげるように、申し入れていただきたいと思い、敢てこの訴えを公にする次第であります。

「戦後は終った」という人もいます。たしかに原水爆被害者などを除けば、戦争の爪あとは、ある程度回復いたしました。また核戦争の危険性が強いという一点をのぞけば、泰平ムードは天下にみちあふれています。しかし、現代にとって大切なことは、いまだに解決し得ない、被爆の惨禍であり、新しい核戦争の危険性であります。普通の戦災とちがって、放射能禍におかされたものには、何の救いもないのです。人類が四六時中、核戦争がいつ始まるか分らない、恐怖にさらされている様では、戦後どころか、戦争そのものがまだ終っていないといわねばなりません。

敗戦の直後、日本政府の協力のもとに、学術研究会議の支援をうけた日本の科学者数千人は、総力をあげて原爆被害の総合調査にとりかかりました。しかし、この研究に対して、一九四五年十一月三十日に、占領軍がら禁止命令が出され、すべては水泡に帰してしまいました。その後、今日に至る迄、政府機関の手による調査は行なわれていません。被爆当時、亡くなった人の数さえ、正確に分っていないのです。

一九四九年以後、戦争は終っていたにもかかわらず、被爆者の中には、原爆症にかかっていることさえ知らされず、まして適切な治療も与えられないまま、空しく死んでいった人が、幾万人にのぼりました。原爆症という言葉が普及し、その救援活動が始まったのは、一九五八年以後のことです。今でも被爆の実体が正確にわかっていないために、救援活動は有効に組織されておりません。原水爆被害の完全な調査を行なうことによって、本当の対策が立てられるのでなければ、被災者は救われようがないわけです。

核兵器の全面禁止は、全人類の願いであると思います。しかし、実際には大小の核兵器およびその運搬手段の開発は日ごとに進み、核実験による死の灰の降下は、人類の生存に深刻な影響を与えるほどになっています。こうした矛盾が生ずるのは、原水爆戦争の本当の恐ろしさが、知らされていない結果、核戦争に反対する声が、全人類のものとなっていないためです。今こそ私たちは、被爆の全貌を明らかにすることによって、核兵器禁止の声を、すべての人の、心からの願いとし、また人類全体の大合唱としなければならないと思います。

一九六五年は原爆被災二十周年にあたります。石の上にも十年と中申しますが、日本の原水禁運動も二十年の風雪に耐えて来ました。今こそ大きく飛躍して、文字通り全国民を包む運動を展開し、被爆者救援と原水爆禁止の大目的を達成せねばなりません。その口火をきる意味で、私達は右の三つの提案を公表した次第です。

私たちは日本国民ががっちりとスクラムを組んで、右の三つの提案を実現するように、日本国政府に働きかけることを、希望いたします。原水禁団体・被爆者諸団体などが、こうした問題について、積極的な討論を起して下さることを、期待いたしております。婦人団体・青年団体・社会福祉団体など、多年この方面で努力を重ねてこられた諸団体が、さらに元気をふるい起して、国民運動の担い手となって下さるよう、頼みにいたしております。衆参両院をはじめ、県議会・市町村議会などは、選良としての叡智を発揮し、日本政府への要請を決議されるよう切望いたします。新聞・放送・言論界は、正しい輿論を育てるためのキャンペーンに、とりかかって下さるよう、特にお願い申し上げます。部落会・町内会およびすべての民主団体・社会教育団体・文化団体も、積極的に協力いただければ幸です。科学者・芸術家・宗教家・知識人とくに日本学術会議が、この運動の要の役割を引受けて下さるよう、仰望いたしております。原水爆被害者が先頭にたつことは、救援運動との結びつきからいっても、大いに意味があると思います。

私たちは運動の前途に横たわる困難を、知らないわけではありません。しかしビキニ被災の当時、だれがあの国民運動の大波が、起ることを予想したでしょうか。歴史の教訓は、正しい国民運動が、必ず勝利することを、証明しています。水の流れはどんなに小さいものでも、それが集まれば河となって、縦谷をうがち、横谷をきり開いて、千山万岳をつきぬけずにほおかないものです。

共通の目標に向って国民全体がいっしょに歩き出すことは、原水爆問題に関する限り、当然の命題です。日本国民は、世界から核兵器をとり除く使命をもっています。私たちのかかげた三目標は、政治上の利害や感情的な対立をのりこえて、皆が一致して要求し得るものと思います。

国際的には核兵器保有国のなかに、こうした運動を心よく思わない政治家がいます。彼らは自国民に対して、核兵器の恐ろしさを知らせたがらないからです。しかし、これらの諸国民も真実を知ることを希望していますし、私たちがその点でお役に立つことは国際的な友情の発露と申せます。世界の大部分を占める非核武装国が、日本の声を心から歓迎することは、申すまでもありません。国連の原水爆災害調査報告書は、全世界の輿論を、核兵器の全面的禁止に向ってもりあげるのに、大きな役割を果すことと思います。

私たちは何の力も持たない、弱い人間にすぎません。ただ無力な人間でも、みんなが団結して国民運動に立ち上るとき、世界の歴史を動かすことができます。一人一人の自覚が大切であり、勇気をもって当る行動が必要です。静かで力強い運動の中から、日本政府の方向が決定され、国連を通じて世界の動向を決定することができます。

伊藤満・志水清「対談 :原爆問題・今後どのようにとり組むか〈No.1〉」

伊藤満(広島大学政経学部長)・志水清(広島大学原爆放射能医学研究所長)「対談 :原爆問題・今後どのようにとり組むか〈No.1〉」(『政治経済セミナー』第822号、1968年2月1日)

発言者 内容 備考
08 本誌
08 志水 厚生省のスタンドプレー
10 志水 片寄った被爆者の分布状況
10 伊藤 資料の万博展示は必要!
10 志水 原爆フィルムの公開
11 志水 遅かった調査活動の出発
12 志水 早急に基礎的資料の整備を
12 志水 原爆被爆の特異性認識を
13 志水 被爆者には根強い政治不信
<以下次号>

 

 

「被爆者実態調査」に対する日本被団協の要望

『「被爆者実態調査」に対する日本被団協の要望』(森滝市郎(日本原水爆被害者団体協議会理事長)、1965年3月)

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調査対象:未登録被爆者、沖縄在住被爆者
全被爆者調査
ABCC調査資料
発病被爆者の医療上・生活上の環境
医療上の予防措置、生活上の保障
発病・体力低下・身体障害
就職・就労・結婚・進学
家族構成、母子家庭、孤老、孤児
就業、就労、収入、支出
根治療法研究状況
各地の健診、治療期間
被爆二世、被爆者の生殖機能
意思による健康状態調査
被爆直後から被爆者と接触した家族への影響
特別被爆者・一般被爆者区分の適否
調査の立案・実施・集約の各段階での被爆者・学識経験者の意見反映
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 要望事項
一、この調査対象に、未登録被爆者、沖縄在住被爆者が含まれるよう、あらゆる方法を適用して下さい。未登録を含め被爆者実数を把握して下さい。
一、健康・生活両面について、全被爆者の全数調査を行って下さい。健康調査については十分の一描出ということが伝えられていますが、この調査を完全なものにするためにも、またこの調査を機に個々の被爆者の精密な医学検査が行われるためにも、全数調査をして下さい。
一、今後の医学的研究のためにも、ABCCの調査資料等も活用し、原爆障害死亡者の数、死因等について、できる限り性格に把握して下さい。その遺族の生活実態を把握して下さい。
一、現に発病している被爆者が、安心して療養できるような医療上・生活上の環境におかれているか否かを調査して下さい。
一、被爆者が発病をくいとめ健康を維持して社会生活を営む上で、医療上の予防措置、生活上の保障は充分か否かを調査して下さい。
一、現に発病しているか、体力(=従って労働力)が低下しているか、あるいは身体障害を有するか、いずれかに該当する被爆者およびその家族の、経済生活、社会生活の実態を調査して下さい。
一、被爆ということが、就職、就労、結婚、進学等、被爆者の社会生活にどういう影響を与えているかを調査して下さい。
一、被爆ということが、家族構成にどういう影響を与えているかを調査して下さい。その中で母子家庭、孤老、孤児等の生活実態を把握して下さい。
一、被爆者の就業、就職、収入、支出の状況を調査して下さい。被爆者の就業、就職している生業について、その業種、業態、収入等の特徴を把握して下さい。
一、被爆者に特徴的な病気を調査して、それに対する根治療法研究の状況を把握して下さい。
一、被爆者の検診、治療について、各地の検診、治療機関は充実しているか、被爆者が利用し易いか、利用上の障害は何か、被爆者がどういう不満と要求をもっているかを把握して下さい。
一、医学上の問題として特に被爆者二世に対する原爆障害の遺伝的影響、被爆者の生殖機能等の問題について調査して下さい。
一、健康状態の調査については、自覚症状等のききとり調査にとどまらず、医師による検査を行って下さい。
一、医療法第二条第三号に定める被爆者について、例えば被爆直後から被爆者と接触した家族への影響の問題等を調査して下さい。
一、特別被爆者、一般彼爆者の現行法規による区分が適当か否かを調査して下さい。
一、この調査の立案・実施・集約の各段階を通じて、審議会の設置その他の方法により、被爆者及び学識経験者の意見が反映されるようにして下さい。

広島・長崎被爆20周年にあたり、日本の作家・芸術家・文化人のみなさんへのおねがい

広島・長崎被爆20周年にあたり、日本の作家・芸術家・文化人のみなさんへのおねがい

広島・長崎被爆20周年にあたり、日本の作家・芸術家・文化人のみなさんへのおねがい
―被爆体験記・原爆被害資料・文献・作品等の蒐集・整理・保存・出版・翻訳等について―
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私たちが広島・長崎でたいへんな不幸に会いましてから今年はちょうど二十周年にあたります。
あの運命の日に死んで行ったもの、その後原爆症とたたかいながら死んで行ったものの声なき声に代って世に訴える義務を私たちは感じます。
同時にこの二十年を何とか生きて来た私たち自身のくるしみ-病苦・生活苦・醜悪苦・孤独苦・就職難・結婚難など-について、そのいくぶんでも書き残し、訴えることは歴史の一つ証言となると痛感するに至りました。
既に死んで行ったものたちやその遺族たちの手記や日記や手紙、またその苦悩や悲願を詩や短歌や創作や絵画で伝えようと試みたものもあります。そうした多くのものが埋れていることを私たらは知っています。
同時にこの二十年を生き残った私たちの間でも体験記を集める努力をして居りますし、乏しい金で仲間たちの実態調査をした資料もあります。
また小さなサークル誌で自分の体験や苦悩をかたったり、ひそかに斗病日誌を書いているものもあります。発表するすべも知らずひそかに机の中にしまっているものもあります。
また原爆の孤児とその精神養親との間でとりかわされた貴重な手紙もたくさんある筈です。
もちろん既に発刊された体験記や白書や詩集や歌集や絵画や調査資料も数多くありますが、絶版になっているものもあります。
私たちはこの二十周年におたり、これらのものをくまなく堀り起し、蒐集整理して、保存し、せめてその所在を明らかにするリストをつくり、可能ならば出版もしたく、また外国語に翻訳もしたく存じます。
だんだん死んで行くものも多く、今のうちに蒐集し記録しておかなければ、永遠に日の目を見ない無数の貴重なものがあると思います。
私たちは被爆二十周年のしごととして、せめてこれだけのことはして、歴史の証言とし、「あやまちは繰りかえしてはならぬ」という悲願と行動の源泉ともしたいと思います。
人類が生きのこるために、そして人類の未来の偉大な可能性を確保するために、私たちのかなしみとくるしみと死とが役立つ道を拓きたいと思います。
しかしこれは貧弱な私たちの被爆者団体の手だけで出来ることではありません。私たちは全国の作家・芸術家・学者・文化人の皆さんの御協力を是非仰ぎたいと願います。どうか御知恵と御時間のいくぶんかを私たちのためにさいて下さい。被爆二十周年に私たち被爆者がいだく願いを実現させるために。
一九六五年三月十五日
 森滝市郎(日本原水爆被害者団体協議会理事長)・小佐々八郎(副理事長

 

大江健三郎依頼文(日本被団協事業への側面援助)

大江健三郎依頼文(日本被団協事業への側面援助)

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〔以下抄録〕
 原爆後二十年の夏をむかえようとして、被爆者たちの唯一の団体である日本原水爆被害者団体協議会が、ひとつの事業をすすめようとしています。それは、原爆をめぐるすべての資料、被爆者たちの手記を収集し、確実に保存し、まさに切実な事業であります。
被団協は、かつて日本原水協と深く密接にむすばれていました。いうまでもなく、こうした強力な政治運動体に所属していることで、被団協に、ダイナミックな活動の手と足とがあたえられた、ということがあったにちがいありません。
被爆者たちが、手記を書きのこすということ、原爆に関わるすべての資料を整理、保存しようとすることは、いわば最もストイックな自己証明、あるいは自己救済の意思による事業です。
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この文章を私が書きますまでに、被団協の呼びかけに応じて、吉野源三郎氏、日高六郎氏、坂本義和氏それに私が会合をひらきました。
 原爆後二十年目の夏をむかえようとして、被爆者たちの唯一の団体である日本原水爆被害者団体協議会が、ひとつの事業をすすめようとしています。それは、原爆をめぐるすぺての資料、被爆者たちの手記を収集し、確実に保存し、やがては出版、翻訳しようとする、まさに切実な事業であります。それはまず、この戦後二十年を、もっとも苛酷な生きのび方を強制された、被爆者たち自身にとって、切実な事業ですし、同時に、われわれ、被爆しなかったすぺての人間にとって、あの二十年前の原爆が人類を破壊すべき最後のそれであったにしても、あるいは明日の原水爆がなお現実に殺戮の武器として使用されることがあるにしても、切実きわまる必要をもった事業であることは疑いをいれません。

被団協は、かつて日本原水協と深く密接にむすぱれていました。いうまでもなく、こうした強力な政治運動体に属していることで、被団協に、ダイナミックな活動のための手と足とが,あたえられた、ということはあったにちがいありません。しかし、同時に、被団協の被爆者たちが、かれら独目の主体性において、切実に要求していた事業が、つねに第一に実行にうつされるということは不十分であった、ともいわねばなりません。それはいま、被団協があらためて単独に歩みはじめようとして、まず、このように基本的な命題にとりくまねぱならぬことを考えれば、あきらかであろうと思います。

被爆者たちが、手記を書きのこすということ、原爆に関わるすぺての資料を整理、保存しようとすることは、いわば最もストイックな自己証明あるいは自己救済の意志による事業です。しかもそれは、われわれ、被爆しなかったすぺての人間の、今日の自己認識、明日の運命にむすぴついている事業であつて、すなわち、われわれは被爆者たちの計画を、畏敬の念とともに側面援護すべきだと考えるのであります。

一般に、ひとりの知識人が、個人的に、その書斎のなかで、自分自身と人類の運命について考えようとすれば、かれはつねに、二十年前に現実に原爆を体験した人々について思いださざるをえない筈です。そして、かれの個人的な志が、そのまま被爆者たちの志につながるような、そうした方法はないものかと考えることであろうと思います。

知識人が、ひとつの運動にコミットする際に、かれ自身の個人的な志が、かれの最も協同したいとねがう対象の志につながるまでに、様ざまなクッションがはさまれて、ついには、自分の個人的な志の行方がわからなくなってしまう、というようなことはたびたびありました。また、自分が一体どこまでコミットしているのか、自分の期待はどこまで達せられ、自分はどこまで責任をおっているのか、それが不分明となってしまうようなこともたびたび体験されたところです。

そこでいま、ひとりの知識人が、原水爆の脅威と悲惨について、個人的にいだいている思想と志とを、まったく直接に、被爆者たちの生活と志とにつなぐこと、しかも、かれの期待がどのように果たされ、かれがどれだけの責任をおったか、ということを明瞭に見きわめることのできる条件において、原爆後二十年の夏のこの被団協の事業に側面援助をおこなう集りを提唱したいのであります。

この文章を私が書きますまでに、被団協の呼びかけに応じて、吉野源三郎氏、日高六郎氏、坂本義和氏それに私が会合をひらきました。しかし、この文章は私個人の意見をあきらかにしたもので、このたびの被団協事業とそれへの知識人の協同が、知識人ひとりひとりの個人的な声を許容する性格のものであることを考えて、こうした、手紙を書かせていただいたのであります。御協力をおねがいいたします。(大江健三郎)

経過報告ならびに連絡事項(日本被団協理事長)

森滝市郎日本被団協理事長「経過報告ならびに連絡事項」(19650406)<作業中

一九六五・四・六
経過報告ならびに連絡事項
日本被団協理事長 森滝 市郎
各会 各代表理
殿
20220211120505173
1.被爆者実態調査について
厚生省では当初の予定を再度変更し、実態調査の時期を十一月一日としています。また健康、生活両面の調査についても、全数か抽出かについてもまだ確定的な線が出ていません。したがって厚生省原案について、関係者の意見をきくのも当初のテンポよりは遅れてくると思います。
日本被団協としては、森滝理事長の若松公衆衛生局長に対する申入れの後、同封の要望書を、関係国会議員および厚生省に送りました。
今緊急に必要なことは、被爆者実態調査について世論を喚起し、それを背景にして厚生省の方針を改善させることであります。
そのために二月二八日の代表理事会決定のうち、①困窮被爆者の実態報告活動、②モデルケースの自主的調査が必要ですが、とくに①については先便の形式によって、至急とり組んで下さい。
これを集約してジャーナリズム対策および厚生省対策の資料とします。
  2.被爆体験資料蒐集について
20220211120505173s
 2.被爆体験資料蒐集について
代表理事会決定にもとずき、文学者、知識人を主体とする協力委員会の結成に努力してきましたが、さる四月二日東京学士会館で会合をもち次のような運びまでこぎつげました。
① 同封の文書によって、文学者、知識人の協力委員会結成の呼びかけ人となる方をお願いしてきましたが、現在まで左記の方々が呼ひかけ人となることを承諾して下さいました。
作 家 阿部知二、井上光晴、大江健三郎、開高健、芹沢光冶良、堀田善衛、木下順二(交渉中)
学 者 学習院大講師久野収、東大教授坂本義和、同日高六郎、法政大助教授藤田省三
評論家 岩波書店編集長吉野源三郎
広 島 市長浜井信三、広島大文学部長小川二郎、中国新聞論説委員金井利博
長 崎 交渉中
②呼びかけ状は大江健三郎氏が執筆する。
③協力委員会は五月中旬に発足する
④八月には中間報告を行う。
各会ではこの事業の意義を徹底され、会員の手記募集、資料提供および所在の報告に御協力下さい。被爆後二十年にして、改めて被爆の実相を回顧し、国民的に検討することは、原水爆禁止と被爆者救援-援護法制定へ向っての重大な意義を担う活動であることを御勘案の上、活発な活動をお願い致します。
 原爆被災体験資料蒐集と出版の計画要綱
 20220211120753967
 (一)資料蒐集一.対象
1.被爆体験から生まれた小説・詩・短歌・俳句等の文学作品の刊行物一切
2.医学・物理学・社会科学的な研究論文や刊行物
3.被爆者のサークル活動で生まれた文集や同人誌
4.各地方被爆者の会で出した文集や機関紙誌、調査資料
5.被爆孤児の精神養子の親子の間の往復書簡
6.個人の手記や日記
7.その他
二、蒐集
1.以上について目録を完備する
2.そのうち必要なものについては所有者名簿をつくる
3.できる限り現物を集める
4.現物を入手できないもののうち、必要なものについては写しをとる
5.焼失、紛失等の恐れのない場所に保管する
三、方法
1.日本原水爆被害者団体協議会の中央地方組織を通して行う、とくに日本被団協では、被爆二十周年の現時点から、被爆後の生活を回顧斗した、会員の手記を募る
2.全国的規模で、学者・文学者・知識人を中心とする「協力委員会」(仮称)をつくっていただく。協力委員会は各界への協力よびかけ、日本被団協の募金よびかけの口ぞえその他日本被団協への援助と助言を行う。協力委員会は五月中旬に発足する。
3.広島と長崎には特別体制をつくる。
4.中国新聞、長崎新聞、出版社等の適当な団体、機関の後援を得る。
5.八月までに事業進行の中間報告を行う。
 (二)出版
以上蒐集した資料について、日本被団協および「協力委員会」で出版の問題を検討する。
 昭和四十年三月
日本原水爆被害者団体協議会
広島市大手町八-五九 広島平和会館内
電話 広島四一-七二二六、六六○○
東京連絡所 新宿区戸塚町二-七二三
和田陽一方

「広島」原爆記念文庫設置について

「広島」原爆記念文庫設置について(原爆資料保存会、19650606開設)

 「広島」原爆記念文庫設置に就いて
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 20220211115622599a
 20220211115622599b
 広島に原爆が投下されてから、もう二十年を経過した。その当時の惨状に就いては、今日迄科学的研究書や各方面の新聞、雑誌に依って報道されて居るが、現地広島では、今尚年々三○人-四○人づつが原爆病院で病死して居る。

其外被爆による不幸の境遇にある人々は救護の途も充分に講ぜられて居らぬ為、華々しい都市復興の裏に取り残されて、気の毒な生活を続けて居る有様である。私共被爆生存者はこの計り知れない原爆の惨禍を語り再び人類の過ちを繰り返えささぬ様世界へ訴えて来たが、現下の世界情勢は、私共の念願を裏切る方向に、向いつつある様うかがわれるのである。それと共に広島の被爆者も年々死亡してこの惨状を語りつづける人も段々少なくなって行くのである。

そこで私共原爆資料保存会のグループ(現在会員二十四名)は此、原爆二十周年を記念に、世界最初に原爆を受けた広島、長崎の体験を永久に後世え伝える為、今日迄内外で出版された原爆文献を蒐集整理し広島市内で最も、保存活用上最適の場所である、平和公園内の記念資料館の一室に原爆記念文庫を設ける承認を得、広島を訪れられる学者、研究家に公開し平和推進の一助にする事にしたのである。

尚、本会は昭和二十三年頃、市立の原爆資料館が設置された当時からその後援団体として二十数人が相寄り、原爆資料保存会を発足さし、今日迄二十年間、物的資料を始め原爆文献蒐集に着手し始めた。其当時の広島は全市焼野原で、被爆市民は焼跡にバラックを建て、どん底生活をして居ったのて原爆資料などに目をつける人は殆んどなかった。其の上占領政治下にあったので、きびしい圧迫が加えられ原爆資料蒐集の仕事等は命懸でないと出来ない有様であった。然し私共被爆生存者は吾が肉親の犠牲を犬死させない一念から会員一同団結して、資料蒐集の仕事に力を打ち込んで来たのであった。そして昨年九月本会の総会で原爆記念文庫設置の事を決議し今迄集められて倉庫に秘蔵されて居ったものえ更に市内の百書店並に個人の蒐集家を訪ねて文献買厚めに奔走し現在(昭和四十年五月)では千四百冊迄蒐集し得たのである。

この文庫の内容は、左記十種類で広範囲に亘って居って、而かもその九割が古本、絶版本ばかりで、入手出来ない貴重なものが少なくない。これから原爆研究センターを目指して内容の充実を計りたい。

文庫の内容一覧
1 文献 原爆文献一般目録、原爆後遺症研究目録
2 体験記録 個人体験記録、団体被害調査調査記録
3 文学 原爆に関係ある小説、詩、和歌、俳句、川柳
4 芸能 絵画、写真、映画シナリオ、スライド、音楽
5 社会科学 原爆人的被害の統計調査、戦争と平和に関する研究
6 医学 広島、長崎市医師会、大学の研究、ABCCの研究業績報告書
7 歴史学 終戦史、広島原爆医療史、新修広島市史、平和記念都市建設史
8 原子科学 広島、長崎原爆被害調査、原子力の研究
9 長崎焼津 長崎の原爆文献、第五福龍丸遭難記と水爆実験
10 英文書 広島、長崎原爆文献の英訳本、世界原子力研究書

文庫の中で特殊なもの、実例
1 世界的ベストセラーとなったヒロシマ、ヒロシマ日記、原爆の子等
2 被爆者、原爆患者、動員学徒、福龍丸乗組員等の手記類
3 政治的圧迫に耐えて出版されたもの、さんげ(正田篠枝)黒い卵(栗原貞子)ビカドン(丸木位里)
4 動員学徒を引率し工場に出動した時に被爆した教師の血染の出席簿及遭難記
5 市内に散在している学校、会社、町民の為に建てられた慰霊碑碑文、記録
6 戦争を呪い平和を希う一念に、雄々しく起ち上がった広島市民の平和記念都市建設の歩み
7 広島県人終戦死刑執行者遺書
8 保存会製作原爆関係スライド及フィルム

 ○原爆記念文庫(標語)
広島、長崎の体験を永久に伝える為に
人類の過ちを繰り返えさぬ為に
尊い原爆記念文庫が広島に生れました
みんな血と涙と訴えて綴られた記録です
この文庫の保存と成長に御協力を
 昭和四十年六月六日文庫開き記念の日
原爆資料保存会長 横田工 稿