核軍縮を求める 22人委員会 設立:1984年
資料
年月日 |
資料名 |
著者・発行者 |
|
|
|
|
|
|
|
1986.1 |
「1%問題」と軍縮を考える : 緊急シンポジウム |
核軍縮を求める二十二人委員会, 平和構想懇談会 著 岩波書店 |
|
|
1987.3 |
「1%枠撤廃」をどう考えるか : 緊急シンポジウム 核軍縮を求める二十二人委員会, 平和構想懇談会 編 岩波書店 |
核軍縮を求める二十二人委員会, 平和構想懇談会 著 岩波書店 |
|
|
1988.8 |
核廃絶と世論の力 : 長崎平和シンポジウム |
崎市, 核軍縮を求める二十二人委員会 編 岩波書店 |
|
|
1989.9 |
『非核三原則の立法化を』 |
核軍縮を求める二十二人委員会・岩波書店 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
止
宇都宮軍縮研究室
機関誌『軍縮問題資料』一覧
No. |
発行年月日 |
論文(著者など) |
001 |
19801.01 |
私の軍備縮小論(宇都宮徳馬) |
|
|
|
|
|
|
153 |
19930815 |
特集 核時代に生きる
一党支配を終わらせる選挙 宇都宮徳馬 2
軍備撤廃までの軍縮を―「核軍縮を求める二十二人委員会」定例会にて―…宇都宮徳馬 4
五十年前の戦争といま 前田哲男 6
核の現状とその諸問題―被爆四十八年目に想う― 豊田利幸 10
太平洋での核実験とその被害 荒川俊児 22
非核ニュ-ジ-ランド健在 西田 勝 28
冷戦の時代を振り返る―バルト三国の旅から― 山下史 30
二十六人の原爆被害者たち―放射線に傷つけられた人生―大牟田稔 36
原爆体験手記の系譜 宇吹暁 42
「つるにのって」が出来るまで ミホ・シボ 48
中国人強制連行”資料”の発見 田中宏 50
これからはホンネが問われる時代―メディアの底流5―北原朔 54
護憲・創造的立法のすすめ―’45年8月15日から’97年5月3日へ―深瀬忠一 62
ボルネオの自然破壊の実態 坂元良吾 70
連載
日米グロ-バル安保のゆくえ 藤島宇内 74
海外主要紙「軍縮」社説を読む 米谷健一郎 80
山岡清二の「軍縮英語教室」 山岡清二 93
●〔国連〕PKO法成立の背景 河辺一郎…60
●読者の声…94 ●平和を愛する〈アレン〉…表紙裏 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
360 |
20101215 |
集会報告
「戦後補償・立法を考える公開フォーラム」
2010年・戦後補償問題の政治解決の可能性を考える(第2回)
「朝鮮人強制労働被害者補償法」 矢野秀喜 2
「韓国人旧日本軍軍属動員被害者補償法」 御園生光治 8
「外国人戦後補償法(試案)」について 今村嗣夫 15
コメント 荒井信一 22
コメント 藍谷邦雄 25
コメント 王選 28
コメント 城森満 31
質疑応答 有光健 33
まとめ 高木喜孝 37
私の軍備縮小論 宇都宮徳馬 42
『軍縮資料問題』30年の歩み 53
編集後記 67
ご挨拶 瑞慶山茂 70
今月の表紙・お知らせ 72 |
|
|
|
止
『似の島陸軍検疫所-廣島・宇品名勝記念写真帖(復刻)』( あき書房、 1997/10/01)
内容
|
 |
|
|
復刻によせて |
|
|
|
|
|
似島陸軍検疫所写真帳 |
|
|
1 御用船より似島検疫所に向ふ凱旋部隊
2 上陸桟橋
3 凱旋部隊の税関検査
4 蒸気消毒所
5 衣類消毒機
6 入浴手拭分配所
6 入浴後の休憩
7 浴場
8 将校休憩所
9 銃の日光消毒
10 貴重品受渡所
11 附属病院
11 酒保
12 荷造りの實況
13 乗船前集合所
14 休憩中の光景
15 集合前の光景
16 集合命令
17 出発前の光景
18 乗船の實況 |
|
|
|
|
|
宇品及廣島名所 |
|
|
19 宇品港桟橋
20 宇品御幸橋
21 向宇品観音堂
21 向宇品観音堂全景
22 宇品御幸通一丁目
22 宇品新道路
23 宇品千田銅像
23 向宇品別世界
24 廣島日清戦没記念史蹟大本営跡
25 廣島城天守閣
26 廣島驛
27 仝市庁舎
27 仝浅野泉邸
28 仝招魂社
28 仝比治山舊御便殿
29 仝焼津神社
29 仝金座街皮屋町
30 広島県立商品陳列所
30 仝相生橋及丁字橋” |
|
|
備考 昭和14年4月25日に発行されたものの復刻版 |
|
|
|
|
止
『占領期の出版メディアと検閲(プレスコード) 戦後広島の文芸活動』(著者 広島市文化協会文芸部会編、勉誠出版、2013/10/27)
内容
頁 |
|
|
005 |
総論(岩崎文人) |
|
|
GHQ / SCAP占領下の文学-表現への欲望とその抑圧 |
|
|
戦前の言論統制…5
未曾有の出版状況…9
地方文壇を牽引した文学者 / 同伴者…11
占領下の文学者…13
CCD(民間検閲支隊)による検閲…16
検閲と原爆表現…24 |
|
039 |
散文 |
|
|
高揚への軌跡(岩崎清一郎) |
|
|
焼け果てて樹々のみ黒き…39
原爆は敬遠・回避-反「中国文化」…46
「反戦」と「希望」-A・マルローに倣って…49
自己表現に魅せられた高校生たち…50
中央へのレジスタンス-「世代」の気負い…53
山っ気のめざすところ-「天邪鬼」…54
「原爆」への関与、占領期からの脱皮…55
ゆかりある作家の列伝(抄)…57 |
|
|
|
|
071 |
児童文学 |
|
|
「ぎんのすず」(広島図書)を中心に(三浦精子) |
|
|
はじめに…71
子どもの本の発行…76
おわりに…102 |
|
|
|
|
107 |
総合雑誌・サークル誌・大学高校文芸誌 |
|
|
若い才能の開花と挫折(長津功三良) |
|
|
はじめに…107
廃墟の中からの新しい出発「総合雑誌的なもの」…108
活発な職場活動の台頭・総合雑誌的な「サークル誌」…123
青年達の華麗な開花「高校・大学の文芸誌」…125 |
|
|
|
|
131 |
詩 |
|
|
詩誌の活動を中心として(福谷昭二) |
|
|
はじめに…131
戦後初期の広島県内の詩誌・詩集…132
広島市における現代詩の復活…135
広島市の総合詩誌「地核」の活動…140
詩誌「われらの詩」とヒロシマの詩…146
現代詩の追究-詩誌「ABSURDE」…153
戦後現代詩への道程-「ABSURDE」101号から「知覚」へ…157
おわりに…163 |
|
|
|
|
167 |
俳句 |
|
|
戦後広島の俳句の復興者たち(飯野幸雄) |
|
|
はじめに…167
占領期の広島俳句界の動向…169
プランゲ文庫と俳句…176
広島俳句前史…179
戦後の広島の俳句雑誌の創刊と創刊者たち…182
おわりに…210 |
|
|
|
|
211 |
短歌 |
|
|
1945-1954(山本光珠) |
|
|
はじめに…211
昭和二十年(一九四五)後半…212
昭和二十一年(一九四六)前半…223
昭和二十一年(一九四六)後半…240
昭和二十二年(一九四七)…249
昭和二十三年(一九四八)…254
昭和二十四-二十七年(一九四九-一九五二)…256
独立以後…263 |
|
266 |
年表 |
|
274 |
刊行に至るまで(山田夏樹)…274 |
|
276 |
あとがき (山本光珠) |
|
|
|
|
目次
止
いしゅたる社(堀場清子)
『いしゅたる』
No. |
発行年月日 |
|
備考 |
|
|
|
|
5 |
198407 |
特集 わたしたちは核に反対する |
U |
6 |
198506 |
|
U |
|
|
|
|
8 |
198602 |
|
U |
11 |
19910204 |
|
U |
12 |
19910901 |
『青鞜』創刊八〇周年記念特集号 |
|
13 |
19920101 |
特集 真珠湾半世紀を迎えて反戦を訴える |
U |
14 |
19930410 |
特集 中国と結ぶ |
|
15 |
|
|
|
16 |
19951201 |
特集 原爆50年 |
|
|
|
詩
いま 生きている人たちに 平野町子 2
かつて存在した”地球”という星の寓話 堀場清子 12
エッセイ
大きな骨は先生ならむ… 光成ヤエ 4
被害者責任 加納実紀代 7
被爆者だった私 古浦千穂子 8
原爆の悲惨を友に伝える手紙 断簡 藤節子 14
今井病院日記 今井泰子 16
かの閃光に 山本節子 19
接点 24 |
|
17 |
20020707 |
特集 わたしたちは戦争に加担しない |
|
|
|
|
|
止
あき書房刊行物一覧(広島平和記念資料館蔵)
|
|
|
1980/08/20 |
呉鎮守府沿革誌 呉鎮守府副官部著編 |
|
1981/05/01 |
呉海軍工廠造船部沿革誌 呉海軍工廠 |
|
1982/09/20 |
廣島市地名索引 廣島灣要塞司令部編著 |
|
1984/03/01 |
呉案内記 池田幸重著 |
|
1984/08/01 |
懐しい瀬戸内と広島 アルバム八十八景(明治40年頃)・増訂改版広島みやげ(明治38年) 藤谷寅蔵編著 |
|
1985/10/10 |
呉 明治の海軍と市民生活 呉公論社編 |
|
1993/03/01 |
廣島海軍監督官受持區域工場名簿 廣島海軍監督官事務所編 |
|
1993/11/10 |
奠都祭博覧会遊覧乃栞―附 教師の見学旅行日誌― 瀧山瑄著 |
|
1997/10/01 |
似の島陸軍検疫所-廣島・宇品名勝記念写真帖(復刻) |
|
2006/11/10 |
廣島市案内記 復刻 昭和四年当時の地図と営業別住所入明細図 |
|
2008/01/25 |
復興前後の廣島案内図 |
|
2008/11/25 |
大日本職業別住所入明細圖 地図で見る 造船の街 豊田郡木ノ江町・安芸の小京都 賀茂郡竹原町 大正15年発行の復刻 |
|
2008/11/25 |
岩国 戦前の面影 昭和十七年四月発行 大日本職業別明細図 山口県岩国市復刻 |
|
2009/06/1 |
廣島市綜合圖鑑[広島市綜合図鑑] |
|
|
廣島商業地図 軍都と廣島 附厳島全図[広島商業地図]復刻 明治34年4月新版 |
|
|
広島市地図 復刻版 昭和33年広島市街地図 業種別早見表付 地図でみる広島あのころ今、甦る |
|
2010/08/15 |
昔ながらの情緒残る街、福山 昭和15年当時の福山市内地図(復刻) |
|
|
戦時下の廣島 復刻 昭和十四年当時の地図と職業別明細図廣島市(番地入) |
|
|
呉 海軍の街 (明治・大正・昭和) 呉市街地図 (四枚) 復刻版 |
|
2012/05/10 |
呉鎮守府沿革誌 復刻新装版 呉鎮守府副官部著編 |
|
2012/10/15 |
大日本職業別明細圖 佐伯郡・山形郡全図 : 昭和の想い出 昭和12年 |
|
2013/03/27 |
明治・大正・昭和の移り変わり 廣島市街地図(五枚) |
|
|
廣島の想い出 昭和十五年番地入大廣島市街地図 |
|
2015/07/01 |
大廣島市街地図 附厳島地図 都市計画線入・番地入 昭和八年三月 |
|
2015/08/01 |
原爆被爆前後 広島市内電車運転の推移 長船友則著 |
|
2017/10/16 |
番地入大廣島市街地圖 昭和9年7月 |
|
2017/10/16 |
新廣島市地圖 廣島縣地圖並都市計畫 昭和22年6月 |
|
|
以下 宇吹蔵 |
|
20150701 |
大呉市計画区域地図 市制施行30周年記念 大阪毎日新聞呉通信部同販売所発行 |
|
20150801 |
呉海軍の街 |
|
|
 |
|
20220520 |
大廣島市街地図 附厳島地図 都市計画線入・番地入 昭和14年7月 |
|
20220520 |
最新廣島市街地図 昭和15年3月8日 陸軍運輸部検閲済 |
|
|
|
|
|
|
|
止
長崎原爆の戦後史をのこす会 2013年発足
サイト:
資料
資料名 |
|
|
|
|
|
|
|
原爆後の75年 長崎の記憶と記録をたどる |
長崎原爆の戦後史をのこす会編、書肆九十九合同会社刊、 |
20210831 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
止
広島映画センター 設立:1972年4月
|
 |
出典:『広島平和教育映画ライブラリー上映手引書 (改訂版) 』( 広島映画センター、広島平和教育研究所 1985/5/1) |
広島平和記念資料館所蔵文献
書名 |
著者 |
出版者 |
出版年 |
青葉学園物語 |
広島映画センター企画 吉本直志郎(原作) |
1980/5/31 |
広島平和教育映画ライブラリー上映手引書 |
広島映画センター、広島平和教育研究所 |
1982/5/28 |
はだしのゲン2 戦後激動編 |
ゲンプロダクション製作、広島映画センター(製作協力) |
1985/1/1 |
広島平和教育映画ライブラリー上映手引書 (改訂版) |
広島映画センター、広島平和教育研究所 |
1985/5/1 |
PEACE&シネマ 広島平和教育映画ライブラリー10周年記念誌 |
広島平和教育映画ライブラリー編 |
1987/1/1 |
ヒロシマの青春 飛翔 広島文団連50年誌 |
広島県文化団体連絡会議「50年誌」編集委員会 |
2012/12/15 |
『軍都廣島 「廣島」と「ヒロシマ」を考える』(清水章宏、橋本和正著 広島県労働者学習協議会編、一粒の麦社、20110711)
頁 |
|
|
02 |
はじめに |
|
05 |
軍都廣島 |
|
|
「軍都」とは 5
軍都廣島の発展の特徴 12
広島に大本営 27
陸軍墓地 39
広島の郷土部隊 52
「廣島」と「ヒロシマ」 65 |
|
|
|
|
|
|
|
74 |
マレーシア・シンガポール日本占領下の住民虐殺 |
|
|
軍人にあこがれた叔父 74
広島の郷土部隊「歩兵第一一連隊」 77
シンガポール占領と華僑粛清・「検証」 84
裁かれた戦争犯罪 100 |
|
|
|
|
|
|
|
止
止
『広島 爆心地中島』(原爆遺跡保存運動懇談会編、 新日本出版社、20060806)
内容
頁 |
|
備考 |
001 |
推薦のことば―改訂版刊行にあたって―(浅井基文) |
|
|
|
|
|
第一部 爆心地 中島―あの日、あのとき―(元大正屋呉服店を保存する会・原爆遺跡保存運動懇談会編) |
|
013 |
発刊にあたって |
|
|
あの日、あのときを(諏訪了我・元) |
|
|
平和な世界を創るために(河瀬正利・) |
|
019 |
原爆で消された繁華街 |
|
025 |
一 ただ一つ残った建物、ただ一人の生存 |
|
|
①元安橋西詰めに建つレストハウス…………………25
あのとき………………26
水の竜巻だ……………28 |
|
033 |
二 駆けつけた人々の見た惨状 |
|
|
②相生橋の東詰め、橋上から…………………………33
産業奨励館は、まだ燃えていなかった(午前九時ごろ)………33
一面火の海(午前一〇時過ぎ)……………………34
おびただしい遺体、積み重ね熱風を避ける(午後四時から夜に)………36
③中島本町、慈仙寺周辺………………………………39
上体は白骨化(正午ごろ)………………40
火を噴く慈仙寺(午後二時ごろ)………41
燃料会館の外枠だけ残る(午後二時ごろ)………42
焼け崩れて、踏み込めず(昼過ぎ)………………43
焼け跡に炎がゆらぐ(午後四時過ぎ)……………44
焼け残った燃料会館で(夜)………・……………45
パンク修理のままの姿で(七日朝)………………46
先生のまわりに子どもたちの骨が(七日朝)…………48
④本川左岸、元柳町一帯…………………………50
突然天井が落ちてきた(六日朝、八時一五分)………51
中学生がたくさん倒れている(九時ごろ)……………53
中学生や女学生の遺体が(七日朝)……………………55
⑤材木町………………57
焼け落ちて家の軒は一つも見えなかった(午後三時ごろ)…57
臨月だった妻の骨が、三人の子は行方不明(七日朝)………58
たくさんの骨がバラバラに砕けて(七日朝)…………………60
近所の人はみんな死んだ(七日朝)……………………………62
⑥天神町………………64
首のところだけ白骨化(七日朝)…………………………66
母の骨をさがして(七日夕方から八日朝)………………67 |
|
073 |
三 全滅した建物疎開作業動員学徒・国民義勇隊 |
|
|
建物疎開作業の経緯と中島地区の生徒の被害…………73
⑦新大橋界隈の県立二中生徒の被害…………………………76
血路は川だ(六日八時一五分)……………………………76
二〇〇〇人もが押しかける(被爆直後)…………………77
「水ッ。水をちょうだい」(一〇時ごろ)………………78
川の中に這い降りていく女学生(午後二時ごろ)………80
無数の死体(六日夕方)……………………………………80
散乱する焼死体(七日午後二時ごろ)……………………82
⑧新橋付近の市女生徒の被害…………………………………83
焦熱地獄が眼前に(六日昼ごろ)…………………………83
顔はふくれ上がり(夕方)…………………………………84
死体を山にして、つぎつぎ火葬に(七日昼過ぎ)………87
工事現場から、真っ白い二体の遺骨が(一九四七年夏)……89
⑨県立工業学校生徒の被害…………92
青い色をした光の玉……………92
⑩中国新聞社国民義勇隊全滅……………………99
皮膚はただれ、誰がだれかわからない(被爆直後)………99
川面を巻き上げる火焔竜巻(被爆直後)……………………101
⑪川内村国民義勇隊の被爆……………………103 |
|
107 |
あとがき |
|
|
|
|
|
|
|
|
第二部 働突の悲劇はなぜ起こったのか―その明暗を分けたもの― |
|
113 |
はじめに |
|
115 |
一 広島の建物疎開動員学徒の被害は全国最大 |
|
|
(一)学徒動員………………115
(二)一、二年生への配慮………………115
(三)建物疎開……………115
(四)広島の建物疎開動員学徒の死亡者数は全国の半数以上……116 |
|
|
二 なぜ、一、二年生が動員されたか |
|
|
(一)七月初旬の出動会議―学校側の反対と軍部の強圧…………117
(二)「軍責任者」とは……………………119 |
|
|
(三)○○中将とは…………………………120 |
|
|
(四)藤井中将も秋吉内政部長も被爆死…………………122 |
|
123 |
三 明暗を分けた教師の判断 |
|
|
(一)七月下旬―再び教師が「無謀な計画」と反対…………123
(二)八月五日―その一―「非国民」と言われても…………126
(三)八月五日―その二―「教頭が責任を取ります」………129
(四)八月六日―学校長、軍命令を無視して教室待機を指示……134 |
|
|
別表 |
|
138 |
建物疎開の状況、作業場所 |
|
140 |
当日建物疎開に出動していた学校・死亡者数 |
|
143 |
おわりに |
|
|
|
|
145 |
改訂版編集後記 |
|
|
|
|
ISBN 4-406-03306-8
ヒロシマの歴史を残された言葉や資料をもとにたどるサイトです。