原爆ドーム・平和公園地区へのかき船(水上レストラン)移転・新設問題を考える会(かき船問題を考える会) 結成日:2015年1月24日
関係資料<作業中>
資料名 |
著者など |
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世界遺産条約の制度と最近の動向(1) |
日本イコモス国内委員会 |
20171211 |
紙1枚 |
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原爆ドーム近くのかき船(料亭)営業を許すな |
かき船問題を考える会・広島自治体問題研究所 |
20171220 |
冊子 |
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表紙の写真説明 |
A 世界イコモス・アローズ会長<右端>に訴える高校生平和ゼミの生徒 |
20151101 |
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B 裁判提訴 |
20150611 |
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C 景観問題シンポ |
20160723 |
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D 料亭船「かなわ」 |
20171125 |
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せこへい美術館<作業中>
回 |
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01 |
2002 |
原爆資料館・留学生会館 |
せこへいのあるフォトコンテスト |
02 |
2003 |
まちづくり市民交流プラザ |
まちブラ・せこへい美術館 |
03 |
2004 |
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04 |
2005 |
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05 |
2006 |
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06 |
20070721~26 |
旧日本銀行広島支店 |
せこへい美術館 |
07 |
2008 |
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08 |
2009 |
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09 |
2010 |
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10 |
2011 |
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2012 |
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12 |
2013 |
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13 |
20140810~20 |
旧日本銀行広島支店 |
せこへい美術館 世界の子どもの平和のための美術展2014 |
14 |
20150818~13 |
広島県民文化センター |
せこへい美術館 せかいのこどものへいわの美術展2015 |
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2016 |
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16 |
2017 |
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20180811~17 |
旧日本銀行広島支店 |
せこへい美術館、ART Museum、世界の子どもの平和のための美術展 |
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20190810~18 |
旧日本銀行広島支店 |
せこへい美術館、ART Museum、世界の子どもの平和のための美術展 |
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20200808~16 |
旧日本銀行広島支店 |
せこへい美術館、ART Museum、世界の子どもの平和のための美術展 |
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20210817~22 |
旧日本銀行広島支店 |
せこへい美術館、ART Museum、世界の子どもの平和のための美術展 |
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20220726~31 |
広島県立美術館県民ギャラリー展示室5 |
世界の子供の平和像(せこへい)をつくる会ヒロシマほか |
ヒロシマ・アウシュビッツ委員会平和宝塔
(正面)平和宝塔
〔副碑〕
(正面)第二次世界大戦中にポーランドの
アウシュビィッツで、ナチズムの
反ユダヤ政策の犠牲となった人々
の霊がここに眠っています。この
非人道的な惨劇はヒロシマの体験
と共に、決してくりかえされて
はなりません。
私たち一人一人の心の奥に
ひそんでいる貪欲、怒り
無智を深く反省し、人間の真
の心を培い、ひらきましょう。
(英文略)
(裏面)昭和四十八年五月十二日建立
ヒロシマ、アウシュビィッツ委員会
平和の灯奉讃会
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設立:1965年1月25日 |
代表者など: |
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出典 |
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関連資料 |
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平和の灯
建立年月日:1964(昭和39)年8月1日
場所:広島市・平和記念公園
(裏面)
平和の灯
〔説明板〕
「平和の灯」は数十万原爆犠牲者の霊を慰めるとともに 核兵器を禁止し 永久平和を建設しようといふ日本国民の祈願により建設されたものであり 核兵器が地球上から姿を消すまで この灯は燃えつづけるであろう
この灯は争う心ではなく 無償で献げる心の結晶である
昭和三十九年八月一日
平和の灯建設委員会
*現在 説明板は撤去されている
1963年6月、核兵器禁止平和建設広島県民会議は、原爆死没者慰霊碑付近にオリンピックの聖火台のような「平和の灯」を建設することを計画した。この計画は、同年12月3日の核禁会議全国幹部会で取り上げられ、核禁会議が700万円を募金することが決定された。
灯の設計は、丹下健三が担当し、64年5月27日、「平和の灯」の起工式が挙行された。灯台は、原爆死没者慰霊碑と同じくコンクリート素打の工法で、高さ3メートル、幅13メートル、両手が力強く灯を掲げる姿を表現し、灯は、平和を求める積極的な姿を示したものであった。
起工式に出席した丹下は、設計者としての意図を、「安らぎを象徴するハニワ型の慰霊碑だけではもういけない。いまひとつ動的な平和の象徴が必要な時代だ」と語っている(「中国新聞」64年5月28日)。
「平和の灯」点灯式は、約1万人の参列のもとに64年8月1日午後7時から開始された。点灯に用いられた火は、伊勢神宮、東西両本願寺など全国12宗派から寄せられた「宗教の火」と溶鉱炉など全国の工業地帯から届けられた「産業の火」であった。
<「年表:核兵器禁止平和建設国民会議」へ
舟入・市女同窓会
広島市女職員生徒原爆死没者慰霊式典 |
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撮影:2015年8月6日07:32 撮影者:宇吹暁 |
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広島県宗教連盟被爆70年の声明
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2015年8月6日 原爆供養塔前 撮影者:宇吹暁 |
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広島被爆者援護会
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撮影:2016年8月6日、撮影者:宇吹暁 |
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被爆者が描いた原爆の絵を街角に返す会
創立時会長:早坂昭
no |
位置 |
1 |
西応寺 |
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2 |
広陵高等学校 |
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3 |
広島YMCA。 |
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撮影日 20200301 撮影者:宇吹暁 |
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日本福音ル-テル広島教会 |
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広島女学院 |
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8月6日に除幕された広島女学院の原爆の絵碑には、本校の卒業生で、オーストラリア在住の絵本作家である森本順子さんの絵本「MY HIROSHIMA」(「わたしのヒロシマ」)から、7枚の絵が採用されています。(『広島女学院報』第 143 号 2004(平成16)年10月1日) |
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6 |
天満小学校 |
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福島生協病院 |
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8 |
フジグラン広島 |
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9 |
原爆の動員学徒の碑 |
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(広島赤十字原爆病院メモリアルパーク) |
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10 |
広島医療生協共立病院 |
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11 |
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ヒロシマの歴史を残された言葉や資料をもとにたどるサイトです。