ヒロシマ・アウシュビッツ委員会平和宝塔
(正面)平和宝塔
〔副碑〕
(正面)第二次世界大戦中にポーランドの
アウシュビィッツで、ナチズムの
反ユダヤ政策の犠牲となった人々
の霊がここに眠っています。この
非人道的な惨劇はヒロシマの体験
と共に、決してくりかえされて
はなりません。
私たち一人一人の心の奥に
ひそんでいる貪欲、怒り
無智を深く反省し、人間の真
の心を培い、ひらきましょう。
(英文略)
(裏面)昭和四十八年五月十二日建立
ヒロシマ、アウシュビィッツ委員会
平和の灯奉讃会
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設立:1965年1月25日 |
代表者など: |
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出典 |
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関連資料 |
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平和の灯
建立年月日:1964(昭和39)年8月1日
場所:広島市・平和記念公園
(裏面)
平和の灯
〔説明板〕
「平和の灯」は数十万原爆犠牲者の霊を慰めるとともに 核兵器を禁止し 永久平和を建設しようといふ日本国民の祈願により建設されたものであり 核兵器が地球上から姿を消すまで この灯は燃えつづけるであろう
この灯は争う心ではなく 無償で献げる心の結晶である
昭和三十九年八月一日
平和の灯建設委員会
*現在 説明板は撤去されている
1963年6月、核兵器禁止平和建設広島県民会議は、原爆死没者慰霊碑付近にオリンピックの聖火台のような「平和の灯」を建設することを計画した。この計画は、同年12月3日の核禁会議全国幹部会で取り上げられ、核禁会議が700万円を募金することが決定された。
灯の設計は、丹下健三が担当し、64年5月27日、「平和の灯」の起工式が挙行された。灯台は、原爆死没者慰霊碑と同じくコンクリート素打の工法で、高さ3メートル、幅13メートル、両手が力強く灯を掲げる姿を表現し、灯は、平和を求める積極的な姿を示したものであった。
起工式に出席した丹下は、設計者としての意図を、「安らぎを象徴するハニワ型の慰霊碑だけではもういけない。いまひとつ動的な平和の象徴が必要な時代だ」と語っている(「中国新聞」64年5月28日)。
「平和の灯」点灯式は、約1万人の参列のもとに64年8月1日午後7時から開始された。点灯に用いられた火は、伊勢神宮、東西両本願寺など全国12宗派から寄せられた「宗教の火」と溶鉱炉など全国の工業地帯から届けられた「産業の火」であった。
<「年表:核兵器禁止平和建設国民会議」へ
舟入・市女同窓会
広島市女職員生徒原爆死没者慰霊式典 |
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撮影:2015年8月6日07:32 撮影者:宇吹暁 |
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広島県宗教連盟被爆70年の声明
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2015年8月6日 原爆供養塔前 撮影者:宇吹暁 |
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広島被爆者援護会
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撮影:2016年8月6日、撮影者:宇吹暁 |
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被爆者が描いた原爆の絵を街角に返す会
創立時会長:早坂昭
no |
位置 |
1 |
西応寺 |
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2 |
広陵高等学校 |
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3 |
広島YMCA。 |
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撮影日 20200301 撮影者:宇吹暁 |
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4 |
日本福音ル-テル広島教会 |
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広島女学院 |
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8月6日に除幕された広島女学院の原爆の絵碑には、本校の卒業生で、オーストラリア在住の絵本作家である森本順子さんの絵本「MY HIROSHIMA」(「わたしのヒロシマ」)から、7枚の絵が採用されています。(『広島女学院報』第 143 号 2004(平成16)年10月1日) |
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天満小学校 |
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福島生協病院 |
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フジグラン広島 |
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原爆の動員学徒の碑 |
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(広島赤十字原爆病院メモリアルパーク) |
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広島医療生協共立病院 |
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全国建設労働組合総連合会・広島県建設労働組合
原爆犠牲建設労働者・職人乃碑
設置場所:広島市中区大手町一丁目9番(元安橋東詰南) |
設置日:1988年8月5日 |
撮影日:2017年8月6日 |
撮影:宇吹 |
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正面 |
慰霊 原爆犠牲建設労働者・職人之碑 |
背面 |
全建総連に結集する43万人の総意にもとづき 原爆の犠牲となられた建設労働者・職人と家族の霊を慰め 地球上から一切の核兵器をなくし 平和で豊かな社会をつくることを念願しここに建立する 1988年8月5日 全国建設労働組合総連合会・広島県建設労働組合 |
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原爆の犠牲となった広島と長崎の多数の建設労働者や職人及び家族の御霊を慰め、再び、いかなる国のいかなる民族も犠牲者となってはならないことを後世に伝えるため、広島と長崎にそれぞれ碑が建立された。碑は、住宅の屋根をかたどっている。原爆関係の慰霊碑等の概要 – 広島市公式ホームページ|国際平和文化都市 (hiroshima.lg.jp) |
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