原爆の絵 動員学徒の碑
場所:広島赤十字・原爆病院メモリアルパーク |
撮影日:2021年7月5日 |
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原爆の絵 動員学徒の碑
場所:広島赤十字・原爆病院メモリアルパーク |
撮影日:2021年7月5日 |
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『中国新聞労働組合50年史』(同編集委員会、19970829)
内容
章 | 備考 | ||
平和・生活・権利 そして新聞のために | 斎藤普 | ||
50年であって50年ではない「ヒロシマ」 | 北村肇 | ||
1 | 50年の歩み | ||
2 | 組織・権利・共闘 | ||
3 | 賃金・退職金 | ||
4 | 生活と健康 | ||
5 | 合理化 | ||
6 | 新研・平和 | ||
講和条約 | |||
原水爆禁止運動 | |||
新研活動の誕生 | |||
警職法反対 | |||
政暴法反対 | |||
安保 | |||
単組初の新研集会 | |||
沖縄・安保 | |||
マスコミ攻撃 | |||
ベトナム戦争反対 | |||
戦史博 | |||
単組新研部が発足 | |||
外務省機密漏洩事件 | |||
県民と自衛隊のつどい | |||
米大統領歓迎広告 | |||
自衛隊FF参加 | |||
自衛隊政府広報 | |||
紙面モニター・アンケート | |||
不戦の碑・消えたペン 被爆40周年事業 125人の無念刻む | |||
国家秘密法阻止 | |||
朝日新聞射殺事件 | |||
「浮標」 | |||
天皇報道 | |||
連載企画ボツ | |||
元編集局長が市長選出馬 | |||
連載「B・C級戦犯」 | |||
小選挙区・審議会 | |||
記者クラブ問題 | |||
ヒロシマ新聞 50年後の視点で45年8月7日付紙面を製作 | |||
7 | 経営・企業間競争 | ||
8 | 青年婦人部 | ||
あとがき | |||
資料 | |||
歴代役員/スローガン/年表 |
ヒロシマ・フィールドワーク実行委員会
刊行物
発行年月日 | 書名 |
20040929 | 証言 原爆納骨安置所と佐伯敏子さん |
20070126 | 証言原爆で消えた町から |
20100505 | 証言町と人の記憶 |
20110805 | 消えた町 記憶をたどり 絵と証言 森冨茂雄 |
201407027 | 2014年度 第21回ヒロシマ・フィールドワーク(チラシ) |
20150503 | 証言記憶の中に生きる町 中島本町・材木町・天神町・猿楽町 |
20160503 | 証言 生きている町 原爆で灼かれた材木町・中島本町 |
20160917 | 証言 江波に生きる 大岡貴美枝さんの語る暮らし・戦争・原爆 |
2017085 | 証言 町と暮らしの記憶 中島本町・材木町・水主町 |
20190805 | 証言そこに子どもたちの遊んだ町があった 中島本町・材木町・中島新町・大手町 |
20200805 | Disappeared towns, tracing memories : drawings and testimonies by Shigeo Moritomi |
『爆央と爆心 1945年8月6日ヒロシマで何が起きたのか』(武田寛著・広島県労働者学習協議会編、学習の友社、20000806)
部 | 章 | |
発刊に寄せて(赤松宏一) | ||
はじめに | ||
1 | 原爆の本質と実相の検証 | |
1 | 原爆の原理 | |
2 | 原爆被害その一 爆風と熱線 | |
(1)爆風 | ||
(2)熱線と高熱火災 | ||
3 | 原爆被害その二放射能と原爆症 | |
(1)放射能 | ||
(2)原爆症とその研究 | ||
4 | 原爆被害その三家屋の損壊と被害の総合的検討 | |
(1)家屋の損壊状況 | ||
(2)被害の総合的検討 | ||
5 | 原爆死没者数を推計する | |
6 | 原爆後障害とは | |
第1部補論 本書の方法 | ||
2 | 原爆手記に学ぶ | |
1 | 広島市版『原爆体験記』 | |
2 | 朝日新聞社版『原爆体験記』 | |
3 | 『絶後の記録広島原子爆弾の手記』 | |
4 | 『星は見ている』 | |
5 | 『いしぶみ』 | |
6 | 『広島第二県女二年西組』 | |
7 | 『八月の少女たち』 | |
8 | 『流燈』 | |
9 | 『木の葉のように焼かれて』 | |
あとがき | ||
鎮魂之碑
建立年月日:1975年8月 場所:広島市・比治山公園・陸軍墓地 |
(正面) |
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(正面)鎮魂の碑 友よ 安らかにねむれ 兄等 修羅の巷に逝きて三十年 祖国存亡の秋に 少年学徒の身をもって馳せ参し 人類史上例をみない被爆によってこの地にねむる 瀕死の身をいとわず友の安否を訪ねし兄等 ここ同期の友等相集い 兄等在りし日の至純を追慕し いまわの声を継承しとわの平和を誓う |
(裏面)爆死者名簿(原文左横書) |
由来記 船舶特別幹部候補生は 第二次大戦の末期 風雲急を告げる戦局打開のため志願応募した学徒少年兵で 若潮部隊と称されていた。主力は海上挺身戦隊として小型舟艇に爆雷を搭載し 先輩は比島及び沖縄に出撃千有余名の者が散華していった船舶通信隊補充隊特別幹部候補生隊は小豆島での基礎教育後広島に転属 *と称した輸送船舶の通信用員として 千田町 国民学校を宿舎にして教育を受けていた 八月六日 朝の点呼中校庭で被爆 帰営中の三期生を含め 全員が重軽傷を負い特幹隊は壊滅の状態に陥ちた 各施設に収容されたものの 終戦の混乱で治療もままならず 旬日のうちに数十名の者が散華していった 昭和四十五年以来生存者有志相集いこれら友の惨死を風化させるにしのびず 相はかりて還らざる友の冥福を祈り あわせていまわの声を継承し とわの平和を誓って鎮魂の碑を建立するものである 昭和五十年八月吉日元船舶通信隊補充隊特別幹部候補生隊 |
若潮千通会
原爆展<新日本婦人の会呉支部>
日時:2019年7月22日~26日 |
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会場:呉市役所1階ロビー |
撮影:2019年7月23日 |
「ヒロシマ・ナガサキ原爆と人間」パネル展 |
20220725~28 呉市役所1階ロビー |
広島県宗教連盟
略年表
年月日 | 事項 | 備考 |
19450806 | 被爆直後、爆心地に近い慈仙寺(現在の原爆供養塔付近)の境内は、臨時火葬場となり、そこには、氏名、年齢、性別などほとんどわからない痛ましい無数の死体が運ばれ火葬されました。 | |
194601 | 広島市宇品神田三丁目養徳院住職 国居道憲氏、呉市西辰川町白蓮寺住職 吉川元晴氏らが原動力となって、広島市戦災死没者供養会が設立され、名誉会長に浅野公爵、会長に広島市長が就任 | |
19460429 | 慈仙寺鼻に供養塔を建設することを決定 | |
194605 | 「広島市戦災死没者供養塔」建立。卒塔婆を形どった高さ6mのもの(木材不足のため張りぼて) | |
供養塔完成後の約1週間、広島県仏教連合会、供養会、町会連盟、広島市、広島県は在広各新聞社の後援で戦災死没者遺骨収容大供養週間とし、各町内会は、遺骨収集作業日とし、自主的に区域内の遺骨を収容し、追善供養を執行。 | ||
194607 | バラック建ての納骨堂と礼拝堂が市民の喜捨により建立。 | |
19460806 | 供養塔前で各宗派合同の慰霊祭。以後、毎年開催 | |
1950 | 広島市戦災死没者供養会を「広島戦災供養会」に改組。新供養会は、地元各界から選ばれた民間組織となる。以後、毎年の慰霊祭は、供養会主催により8月6日、朝6時15分から執行。 | |
195507 | 50m北寄りの現在地に新供養塔を建設。大きさ:直径16m、高さ3.5m。表面に芝生を植える。 | |
以上の出典:『原爆供養塔ができるまで – 広島市公式ホームページ 』(原爆供養塔ができるまで – 広島市公式ホームページ https://www.city.hiroshima.lg.jp/site/atomicbomb-peace/15507.html | ||
19960806 | 『広島県宗教連盟「戦後五〇年」誌 平和と慰霊・追悼の歩み』刊行。 | |
『ヒロシマのソーシャルワーク 不条理の是正という本質に迫る』(原爆被害者相談員の会 編著、かもがわ出版、 20190806)
内容<作業中>
章 | |||
はじめに 1 | |||
Ⅰ | 原爆被害者相談員の会の原点と未来 7 | 三村正弘 | |
1、不条理の是正に挑む道のり 8 | 太田昌克 | ||
2、原爆被害者相談員の会はなぜ生まれたのか 15 | 若林節美 | ||
3、ソーシャルワーカーの役割はどこにあるか-1990年代から今日まで 30 | 三村正弘 | ||
4、被爆者支援の今日的役割-福島第一原発事故被害者に対する健康相談会の取り組み 44 | 山地恭子 | ||
5、ソーシャルワークの本質に迫る-ソーシャルアクションを志向して 51 | 村上須賀子 | ||
6、被爆者を引き受ける-同伴者としての「相談員の会」から継承者としての「相談員の会」へ 62 | 直野章子 | ||
7、次世代による平和と人権の学び 70 | 中野春乃、奥西栄介 | ||
Ⅱ | 被爆者の苦しみに寄り添って 79 | ||
1、ひたすらに生きる-援護のない被爆後を生きぬく 80 | 塚本弥生 | ||
2、原爆小頭症患者とその家族史 85 | 村上須賀子 | ||
3、孤独な死を選んだ若年被爆者 90 | 山地恭子 | ||
4、原爆症認定集団訴訟原告の生き様 94 | 櫻下美紀・山地恭子 | ||
5、「被爆者」として毎日を生きる 98 | 米澤美紀 | ||
6、ケロイドは放射線に起因しない 101 | 櫻下美紀 | ||
7、在外被爆者の原爆症認定申請 105 | 山地恭子 | ||
8、在外被爆者の被爆者健康手帳申請 109 | 山地恭子 | ||
9、被爆当時の証人なしで被爆者手帳を取得するまで 113 | 松本ソノ | ||
被爆者のための制度と用語の解説 117 | |||
Ⅲ | 被爆者とともに行うソーシャルアクション 119 | ||
1 | 被爆者相談活動 | 塚本弥生 | |
被爆者相談活動前期 120 | 櫻下美紀 | ||
コラム 日曜日はいつも… 124 | 山田寿美子 | ||
コラム 卒業してすぐの相談員は 125 | 渡辺美加 | ||
被爆者相談活動後期-次世代のMSWの挑戦 126 | 櫻下美紀 | ||
「原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律」の成立 134 | 塚本弥生 | ||
原爆症認定制度のうつりかわり 136 | 三村正弘 | ||
集団訴訟・裁判資料作り-三次高女入市救護実態調査 140 | 三宅文枝 | ||
2 | 被爆者証言活動を支えるソーシャルワーカー | ||
8.6「原爆被害者証言のつどい」開催から現在まで 143 | 三宅文枝 | ||
コラム 一日カメラマン 151 | 胡明憲二 | ||
コラム 私にとっての相談員の会 152 | 黒岩晴子 | ||
「原爆被害者証言のつどいグループ」の誕生と活動 153 | 三村正弘/山地恭子 | ||
コラム 第3回国連軍縮特別総会への参加 156 | 石橋京子 | ||
被爆証言の場につどうということ 157 | 奥村栄介 | ||
3 | 基本懇意見書を被爆者とともに乗り越えるために | ||
12.11「基本懇意見書」にこだわる 163 | 中村有紀子 | ||
4 | 自分史 | ||
被爆者が書く「自分史」活動を支えて 169 | 古寺愛子 | ||
5 | 原爆小頭症問題 | ||
原爆小頭症患者に医療ソーシャルワークを 180 | 村上須賀子 | ||
原爆小頭症患者の専任相談員として 184 | 河宮百合恵 | ||
6 | 同志と手を組む・その1・専門職との協働 | ||
本会を構成する多様な人たち 187 | 鈴木勉 | ||
相談員、原爆二法研究会、在外被爆者裁判 189 | 田村和之 | ||
原爆症認定裁判とソーシャルワーカー 191 | 二國則昭 | ||
7 | 同志と手を組む・その2・幅広い市民との協働 | ||
幅広い市民(同志)との協働 193 | 村上須賀子 | ||
私のボランティア活動の報告 197 | 相良カヨ | ||
コラム 爆心地の遺族を訪ねて 204 | 熊谷睦子 | ||
8 | 被爆者とともに成長したSW | ||
「被爆者」の真の意味を学んだ「相談員の会」 207 | 米沢美紀 | ||
被爆者の願いを受け取って 208 | 村田朱 | ||
「相談員の会」で学んだソーシャルワーク 209 | 吉岡智子 | ||
3世として、医療ソーシャルワーカーとして 210 | 岡野恵美 | ||
自分史サポーターの経験を通じて得た学び 211 | 福原優子 | ||
終章 | |||
「相談員の会」のこれから 212 | 舟橋喜恵 | ||
被爆者支援ソーシャルワークは私たちの実践モデル 215 | 山地恭子 | ||
おわりに 220 | 三宅文枝 | ||
執筆者一覧 222 | |||
執筆者一覧 222
備考
黎明短歌会
『短歌雑誌 黎明』
発行所:黎明短歌会(広島市 金子美代子)
創刊: 2001(平成13)年
刊行周期: 月刊
※ 第40号(2008年)を以って終刊。
第5巻第32号 目次
頁 | 見出し | 作者など | 備考 |
01 | 第32号作品 | 柳井ルリ子 他 | |
16 | 第30号作品批評 | 二羽ミツコ | |
原爆の日特集 | |||
18 | 私の八月六日 | 黐池満智子 | |
20 | 私の8月6日 | 柳井ルリ子 | |
21 | 「1945年八月六日」 | 油野はつ枝 | |
22 | 原爆の事 | 沖本茂子 | |
22 | 瓦礫の町 | 金子美代子 | |
22 | 後記 | ||
旧被服支廠の保全を願う懇談会 発足日:20140316<工事中>
旧被服支廠の保全を願う懇談会HP (hifukushisho.jp)
関係資料
年月日 | ||
20200301 | 赤レンガ倉庫は語り継ぐ 旧広島陸軍被服支廠被爆証言集 |
同懇談会編・刊 |
年表:広島のれんが建築
年月日 | 事項 |
:
か