「03 ヒロシマNGO」カテゴリーアーカイブ

原爆の子友の会

原爆の子友の会  結成日:1952年2月17日

年月日 事項
19520217 原爆の子友の会、結成式を広島大学文学部で開催。長田新編「原爆の子」に手記を寄せた児童生徒約100人出席.
19520324 中村巌原爆の子友の会会長ら30名、大阪大学理学部で京阪神の少年少女と交歓会を開く。
19520503 原爆の子友の会、広島大学図書館で大阪原爆の子を守る会と交歓会を開催。
19520730 原爆の子友の会の一行20名、上阪。
19520813 八木保太郎を囲む広島県教組と原爆の子友の会共催の座談会、広島市内の教育会館で開催。約70人(吉川清・谷本清ら)が参加。
19520816 原爆の子友の会の一行20人、東京神田・教育会館で芝居「原爆の子」を上演(朝日新聞)。
19520924? 広島原爆の子友の会、国際医師会議に提出するため原爆体験記を募集。
19530809 大沢幹夫作・原爆の子友の会総出演舞台劇「原爆の子」、広島市児童文化会館で初公開。
19550121 世界民主青年連盟代表を囲む原爆被害者懇談会、広島市内教育会館で開催。原爆被災者の会から20名、原爆の子友の会から5名を含む約100名が参加。
19550512 長田新広島大学教授、モスクワで開催されたソ連国内の平和大会に参加。「広島原爆の子友の会」から託されたソ連の子どもたちあてのメッセージを紹介。

原爆乙女の会

原爆乙女の会

代表者
谷本清
設立年月日
1950年3月
目的及び事業
当初、原爆障害者が聖書を研究することにより、精神的に立ち上がることを目的として、「原爆障害者更生会」として発足した。会員は原爆乙女の外、男子障害者や高年齢の女子障害者も加わっていた。
 <中略>
組織内容
会員数約80名
その他の参考事項
この会は、上記のような経過から、現在では男子会員及び女子高齢者会員は徐々に少数となり、現在の原爆乙女の会となった。
『原水爆関係団体名簿』(広島市衛生局原爆被害対策課、19670201)

 

 

 

 

 

原爆傷害者更生会 設立:1951年8月27日

書名コード 書名 編著者 発行所
49081501 平和のともしび-原爆第一號患者の手記 吉川清・富田勝己(補註) 京都印書館
50072501 ヒロシマの十字架を抱いて 谷本清 大日本雄弁会講談社
76072002 広島原爆とアメリカ人-ある牧師の平和行脚 谷本清 日本放送出版協会
81072401 「原爆一号」といわれて 吉川清 筑摩書房

原爆第1号吉川清の試み

【資料】原爆第1号吉川清の試み

『中国新聞』 1951.4.3
原爆第1号きのう退院
昭和21年1月広島赤十字病院に入院、療養をつづけていた原爆1号吉川清氏は前後16回におよぶ手術で健康を全く回復し2日午後退院、5年2ヵ月の病院生活に別れをつげた。
(吉川清氏談)私は原爆による限りない苦悩を過去の長い病床生活において切実に味わってきた。同じような原爆による傷害者とかたく手をたずさえ、更生の道をどこまでも突き進みたい。このような意味からこのたび広島原爆傷害者救済援護会を設立した。

『中国新聞(夕刊)』 1951.6.4
インドから援助第1号!
めぐり来る原爆7周忌を前に原爆第1号患者として有名な吉川清氏(38)を中心に同病傷害者のうち127名の有志が内外の浄財によって人造パール製造の共同作業所と原爆患者診療所を設置し、相互に雄々しく立ち上がらんとする朗話がある。
原爆傷者立上がる 作業・診療所“われらの手で”
発起人に選ばれた吉川氏は6年にわたる入院生活からさる4月2日退院、爆心地産業奨励館ドーム前に夫人生美さん(30)とともに外人相手にみやげ物店を開業、細々ながら再起の日々を送っていたが、たまたま同地の整地作業に訪れる原爆ケロイド患者の日雇人夫の人々と病状を語り合うと共に、身体障害でどん底の困窮生活にあえぐ人々の多きを知り“なんとか相携えて働ける仕事 もちたい”と話し合った結果、予算70万円で次の事業計画をたて、かつて日赤入院時代同氏を見舞った内外人にこの基金募集を呼びかけ、すでにインドのシャルマン氏(昨年12月来広)がニューデリーにおいて松本滝蔵代議士と会見、50万円寄付の伝言があり、6月からは地元名士の援助署名運動に着手している
▽共同作業場=主として海外輸出用の人造パール(真珠)の製作ならびに販売
▽原爆患者の診療所の設置=原爆患者に対し実費治療ならびに一般困窮者の無料診察および相談(担当医は日赤副委員長服部達太郎氏が無料奉仕で当たる)
(吉川氏談)なんとかこの同病患者が結束して暗い気持を忘れ仕事にぼっとうして立上がれば幸いと思っています。予算面もインドから50万円近く送金するという手紙もあり、残りは私がリュックサックを背負って全国資金行脚してでも完成さす決心です。

原爆被害者の組織化の萌芽

原爆被害者の組織化の萌芽
原爆被害者の組織は,すでに1946(昭和21)年当時から広島戦災供養会・広島市左官町慰霊祭実行委員会・広島観音会といった慰霊行事主催団体にその萌芽をみることができる。
こうした慰霊行事における原爆被害者の集まりが組織化された例もあった。広島県立広島第一中学校の犠牲学徒の親たちは,1946年秋,一中遺族会を結成しておたがいに慰め,励ましあった(秋田正之編『星は見ている』)。また,広島市立第一高等女学校では1946年10月10日に慰霊祭を催したが,以後毎年8月6日に追弔会を開き,1948(昭和23)年の石製慰霊碑建立を契機に遺族会を結成している(『流燈-広島市女原爆追憶の記』)。
1948(昭和23)年8月10日,本川小学校で開催された傷痍婦人協力大会は,原爆被害者自身の医療,生活要求にもとづく早い時期の組織化の試みと考えることができよう。
京都大学の学生自治会である同学会は、1951年7月10日から10日間、京都丸物百貨店で原爆展を開催したが,その準備の中で「原爆体験者の心からの願い,叫び,そして怒りと悲しみを全ての人々に訴える体験記を何らかの形で発表したいと考え,学内で2度の体験者懇談会を開き,京都を始め,広島・長崎・東京などに連絡して広く手記を募集した。こうして7月には謄写刷りの『原爆体験記』(発行者は京都大学文学部学友会原爆体験記編集委員会)を作製するが,その後記は,次のように述べている。
体験者の方々は夫々の学校,職場,町,村,家庭に於いて原爆体験者懇談会を作って下さい。集団の力こそ原爆を防ぎ,平和を守る最も強い力なのです。
このように,京大同学会の開いた原爆体験者懇談会は,手記募集のための単発的な集会としてではなく,「原爆を防ぎ,平和を守るための原爆体験者組織」として意図されたものであった。
広島でも6年間の入院生活から再起した吉川清は,原爆傷害でどん底の困窮生活にあえぐ人々が相携えて働く共同作業場および原爆患者の診療所の設置を計画し,1951(昭和26)年6月から援助署名運動に着手していた(「中国新聞」(夕刊)1951年6月4日)。同年8月27日になり,流川教会牧師谷本清・吉川清などによって原爆障害者更生会が結成された。(参考:「原爆第1号吉川清の試み」、「原爆傷害者更生会」)
また,1952(昭和27)年1月17日には,前年10月発刊以後大きな反響を呼び起こしていた『原爆の子』(長田新編)に手記を寄せた高・中・小学生ら約100人が,原爆の子友の会を結成した。

広島ペンクラブ

広島ペンクラブ 19490408設立(「広島県大百科事典」(岩崎清一郎・記)では1951年5月発会)

機関誌『ペン HIROSHIMA』

巻号 発行年月日 著者 タイトル 所蔵
所蔵:P=ピカ研、H=原爆資料館
1-1 19621031 発行人:田淵実夫 P
1-2 P
1-3 P
10-5 19770501 H
小倉馨 広島市長国連を行く
19830325 H
19840501 H
19860520 H
19870401  H
19880415  H
19881015  H
19901201  H
19910701 H
19911230  H
19920701 H
19930101 H
19930701 H
19940701  H
19941201 H
19950601 H
19951201  H
19960815 H
19961120  H
19970220  H
19980910 H
19990515 H
19990715 H
20000115 H
20000517 H
20010115  H
20020110 H
20020510 H
20070124 H
20071121  H
20080125  H
20080521 H
20080723 H
20080917  H
20090128 H
20090728 H
20100127  H
2013(下) 20130717 H
2014(下) 20140716 H
2015(下) 20150715 H
2016(上) 20160120 H
 舛井寛一 回想原田東岷会長
 松本忠之  日米安全保障条約
 吉中康麿
天皇皇后両陛下のご訪問
吉村良哉 ご対面 黄瀛さんと米田栄作さん
今田 被爆七十年の広島
高崎宗利 節目の思い出と裏話(その二)ご視察での天皇陛下のご記憶とご配慮
新川貞之 父をかえせ 母をかえせ 峠三吉さん
長谷川是求 是求柳壇―広島赤十字・原爆病院血液内科の日々
2016(下) 20160801  H
 梶矢文昭   オバマさんくるかなあ
 舛井寛一 回想原田東岷会長(下)

『中国公論』(19551230)

『中国公論』 発行所:中国公論社、編集兼発行人:百々幽学(第2巻第4号 19551230)所蔵:ピカ資料研

著者 タイトル
古川伸 賀屋さん お目出度う
遠山春遠 明朗天衣無縫の渡辺市長 緒についた渡辺市政―当選以来知られざる人間渡辺の横顔
川瀬秀夫 私の夢 未来の広島市(広島市産業局長)
涌島秀好 社会保障制度確立の必要性(社会福祉法人広島社会福祉協議会)
百々幽学 人物論壇―広陵財界の雄―藤田定一の足跡

 

『広銀行報』(広島銀行)

『広銀行報』(編集兼発行者:広島銀行文書課)

⇒『広銀』⇒『ひろぎん』⇒

発行年月日 著者 タイトル 所蔵
1 19511110 P
6 19520901 H
奥徹郎 百四十四柱の霊に捧ぐ
25 19551101 P
資料:当行年表(5行合併以後)昭和19年、昭和20年
広島銀行史編纂委員会 終戦時の回顧
26 19560101 P
資料:当行年表(2)昭和22年~24年
行史編纂委員会 終戦時の回顧(その2)
誌名変更『広銀』
44 19570815 P
広島銀行原爆物故者13回忌追悼
68 19590815 P
福見君子 <特別寄稿>8月6日への追憶
80 19600815 特集 H
原爆の詩
八月十五日の思い出
原爆十五周年によせて
103 19620715 H
哲朗生 原爆ドーム
104 19620815 〈特集〉原爆の思い出 H
哲朗生 随筆  原爆ドーム
誌名変更⇒『ひろぎん』
116 19630815 特集 H
あれから18年 ヒロシマのすがた
松田勝 原爆から立ち上がって
三木宏壮 その日・8月6日
奥哲朗 原爆ドーム⑭
我がふるさとヒロシマ
** 19650525 20周年記念特集号 H
松田勝 原爆記

広島市職員共済組合文化部会文芸部

広島市職員共済組合文化部会文芸部 機関誌:『デルタ』

発行年月日 著者 タイトル 所蔵
1 19580525 P
小堺吉光(社会課) お城のある日
吉光義雄(市民病院) ある偽善者の告白
山部茂美(宇品出張所) 俳句 広島の冬
林知夫・原田寿 シナリオストーリー ”広島の靴”
2 19591027 PH
四国五郎 表紙:市庁舎の秋
志水清(保健局長) 南方こぼれ話
藤田牢蘭(水道局) 秋はきにけり
森弘助治(総務局) 広島閑話三題
高井正文(教委・社教) <俳句>季節
山部茂美(宇品出張所) <俳句>神様、さわらないで
吉光義雄(市民病院) 歌をつくろう
高橋昭博 随想:映画つれづれ草
3 19601227 PH
四国五郎 表紙:秋の陽ざし
集録 昭和20年8月6日 あの日を憶う
吉田達雄 あの時
(図書館長、当時荒神町国民学校教頭)
野田益(企画調査次長) 衝撃
泉孝子(企画調査室) 幼なき日
森弘助治(企画調査次長) 遠き地に聞く
伊藤勇(東保健所普及課長) 乳房のきずあと
高橋昭博(広報課) 映画随想・映画の訴えるもの 汚職と官僚と大衆
山部茂美 (俳句)広島の祈り

広島児童文学研究会

広島児童文学研究会 同人誌『子どもの家』

発行年月日 著者 タイトル 所蔵
創刊
4 1961
5
7 1963 P
山口勇子 第7号を読んでくださるみなさまに
正田篠枝 しあわせは不しあわせの中から生れる
三宅俊章 雨蛙
13 19670520 P
特集 19680910 ヒロシマの物語集 P
16 19681201 P
18 19691130 P
25 19730420 P

 

 

週刊広島(広報出版センター)

週刊広島(広報出版センター)

発行年月日 著者 タイトル 所蔵
創刊 19650625 P
浜井信三 自治意識について
<ズームレンズ欄>国際都市ヒロシマである
<広島文芸-各団体作品集>「構成にあたって、独自の選による結社化を避け、もっぱら現在活動中の各グループに出稿を懇請して、流派、傾向のを問わぬ、綜合作品集の形をとることとした」
グループ名 代表者ほか
夕凪 高井正文
ひまわり 藤井柳波
名柄大学
ひろしま随筆 林賢治
白炎 新田隆義
時点 小堺吉光
木椅子 杉山白炎子
内海俳句 和多野石丈子
投書
広島市本通り 憤慨生 ドーム横の廃船
加古町 ある母親 平和のハト
2 19650709 P
紺野耕一  日本の広島人・井伏鱒二先生のこと
<広島文芸-各団体作品集>
日本現代詩人会 坂本ひさし
早苗(広島馬酔木会) (主宰)秋光泉児(主幹)宮原双馨
万年青(おもと) 鳴沢花軒
水晶体(現代詩) 岡崎水都
広島歌話会 渡部正則
晩鐘 森田良正
青史 深川宗俊
一路 山下陸奥
真樹 山本康夫
同時代人 松尾静明
橡の会(とちのきのかい?) 上本正夫
3 19650723 第一特集 おどらされたマスコミ 誤報だった『発禁』 PHG
門秀一 日本の広島人 森戸先生の額
<広島文芸-各団体作品集>
 回廊  塩田東邨
 瓶  名柄大学
 内海俳句  和多野石丈子
オレンジグループ 西川燕柳
アトマ 若宮綾子
 火幻  豊田清史
林間 岡本民子
ひまわり 藤井柳波
日本未来派 佐川英三
上本正夫
(K) 佐伯好郎博士の死
4 19650806   原爆特集 ここにも花を捧げよう PHG
 随筆四人集
 豊田清史  原爆の美化
 中村信子  河畔の人
<広島文芸-各団体作品集>
廻廊 杉山赤富士
 みすず  山下瓢宇
さいかち 国友栃坊
ホトトギス 内田柳影
青史 深川宗俊
白炎 新田隆義
襤褸 政田岑生
真樹 山本康夫
同時代人 松尾静明
特集 原爆詩歌選
7 19651201 P
 豊田清史  日本の広島人 清新な作家 阿川弘之
島薫 原爆初笑い
広島から発足した世界の百働会
横断歩道:新日本婦人の会広島県本部活躍
<広島文芸-各団体作品集>
一路
晩鐘
同時代人
むくげ
真樹
雨月
木椅子
ひまわり
埋火
内海俳句
早苗
12 19660301 P
みたりきいたり
原爆後遺症に法外措置を請願
「原爆と戦争の意識」アンケートまとまる
 映画ガイド  ヒロシマ」1966
 文芸
女人文芸
 ひまわり
 早苗
川柳ひろしま
 柊
女人短歌
真樹
 一路