「03 ヒロシマNGO」カテゴリーアーカイブ

黒雨以後の会(こくういごのかい)

黒雨以後の会

関連年表

1957年 『黒雨以後-広島県戦後女性俳句集』(柴田杜代編、広島県女性俳句集刊行会(浅野図書館内)発行、 季節社刊、 19570601)発行。
柴田杜代による「女性俳句のアンソロディ」企画が契機。
1958年 「黒雨以後の会」の機関誌として『黒雨以後-広島県女性俳句集発刊』
メモ 黒雨以後
— 黒雨以後の会 — 不定期刊
広島県立図書館 — 永久保存 — 1(1958.6) — 41(1998.9)

機関誌目次(抄)

NO. 発行年月日 著者 タイトル 所蔵
1 195806
2 19590501 小西信子 あとがき P
10 19670501 鳴沢花軒 年刊句集のすすめ P
柴田杜代 十号の発刊に思うこと
国友すめ女 あとがき
11 19680501 P
14 19710701 P

 

 

『広大文学』(広島大学文芸部)

『広大文学』(広島大学文芸部機関誌)

No. 発行年月日 著者 タイトル 所蔵
17 19620720 木村逸司 デルタの火 P
宮本善樹 広島の神話
18 19630415 下村紀彦 暑かった日々 P
19 19630620 山田佳子 詩 こわれた街 P
20 19640115 宮本善樹 石になったバーテンダー P
20 阿川弘之 特別寄稿 「皆実」の思い出 P
23 19660410 木村劫 蜃気楼 P

いづみ(広島県警)

いづみ(広島県警察本部警務部教養課)機関誌

発行年月日 著者 タイトル 所蔵
195604 111
所蔵:広島県立図書館~56巻5(2001.5)<「いずみ」。欠あり>
19560901 116 田辺至六 原爆回顧(2) P
19561001 117 吉岡秀雄 原爆回顧録を読みて P
19571001 129 原水爆は文明の無謀 P
19620401 181 川畑幸夫 核兵器実験と放射能 P
19630801 197 原爆写真特集 あれから18年 PH
原爆体験記
田丸久夫 曇り後晴れ 原爆の思い出
上石実爾 原爆追想
19670801 241 特集 原爆追悼記事 P
1968 247 明治百年特別号 P
197008 273 誌名「いずみ」 PH
原爆特集
197508 333 G
198508 453 G

 

 

ひろしま随筆同人会

ひろしま随筆同人会機関誌『ひろしま随筆』創刊:19591210

 

年月日 No. 著者 タイトル 所蔵
19591210 創刊
19600530 2 PH
湊秀昭 原連載・広島素描①爆ドーム
久村敬夫 姉と広島
今堀誠二 《随筆指定席》日本料理
高橋昭博 【賛助会員随筆】浪々の子―デルタの街の点描
19610410 3 PH
武田英司 連載・広島素描②番兵塔
松浦寛次 《随筆指定席》川を愛す
広島ペンクラブ会長・中国新聞論説委員
郷土広島への夢:中野憲義・横山盛行・丸山浩子・真鍋幸子・湊秀昭・武田英司・松井哲夫・山野千代子
19620701 4 PH
松井哲夫 連載・広島素描③柳
高橋昭博 核実験をめぐって
19630710 6 H
7
19641210 8 PH
河野敏夫 連載・広島素描⑦平和の灯
19650615 9 P
田川文和 連載・広島素描⑧広島城
19651210 10 創刊10号記念号 P
中田明美 連載・広島素描⑨祈りの泉
19660620 11 P
河野敏夫 『おとうさん』と呼んでみた
19681025 16 PH
19701115 20 1970年8月6日の私 P

『ひろしま』(広島県文化団体連絡会議)

『ひろしま』(広島県文化団体連絡会議機関誌)

年月日 著者 タイトル
1972
0315 創刊号 P
下村仁一 表紙の絵について
堀ひろじ <巻頭言>私と文化
池上利秋 <写真>沈む村-土師にて
<短歌>
山本康夫 狂気の寂
深川宗俊 流砂のうた
四国五郎 <詩>広島行幸メモ
深川宗俊 <ルポルタージュ>草土千軒遺跡保存と企業公害
日本ジャーナリスト会議
XYZ ペンペン草の誓い―マスコミ内部からの告発
奥田冽 神田周三氏の死を悼む
広島県民教連
首藤昭五 広島県民教連とそのあゆみ
広島映画サークル協議会
村上忠人 足元をみつめ「理念と展望」を―映サの若い活動家たちにおくる
牛尾国和 自主制作上映運動と映サその当面の課題
広島県美術会議
下村仁一 美術運動の前進を
音楽
浜田裕子 春のうららの教材観
法律
阿佐美信義 仁保事件の裁判と人権
日本リアリズム写真集団広島支部
池上利秋 写真活動について
広島合唱団 わたしの広島
広島詩人会議
木村徳雄 多様性と統一性
鞆地区文化を考える会
池田一彦 我らはしくじるを先に仕候
文団連呉支部結成について
<書評>
広島の詩人たち
平和詩集第二集
広島原爆戦災誌
土屋清 万灯の詩―-2部 武一一揆百年記念
奥田冽 <エッセイ>広島の奇形―ある盗作歌人
宮本泰子 <童話>歩道橋
奥田泰治 <創作>烏

 

『ひろしま』(広島県文化会議)

『ひろしま』(広島県文化会議機関誌)

発行年月日 号数 著者 タイトル 所蔵
1964
0801 創刊 8.6平和特集 P
土井信子 ルポタージュ・傷痕は今も
松田正男 漢詩・原爆忌
堀ひろじ 歴史は語る
兼松成一 午後
木村徳雄 からだで反対する
佐々木稔 四月ノアル日
由紀操 底辺
俳句
佐々信一郎 ボクの解剖手記より
座談会・占領下広島の平和運動を語る
出席者:天道正人 深川宗俊 四国五郎 山口勇子 土屋清 堀博自
随想
増岡敏和 ある心情の中の敵
柿手春三 第十回広島市平和美展によせて
岡本美代子 学童保育を実践して
ラジオ中国芸能労組 闘いに結合したうたを
土屋清 なにが〈河〉を産みだしたか
短歌
南雅子 無数なる白
近藤幸子 明日への歩み
深川宗俊 一九六三年夏
山手茂 原爆被害者問題と被爆体験の意義
菅井幸雄 演劇時評・原爆と演劇
編集部 広島県文化会議年表
美術評論
下村仁一 現実と美術
斉藤武四 真実と美術
南雅子 総創作運動への提唱―広島県文化会議シンポジュームの報告から
創作
奥田泰治 金盞花
1965
0301 2号 P
 ルポタージュ・江田島「秋月」米軍弾薬庫現地調査行
 高武淳夫  弾薬庫の上から
堀ひろじ、深川宗俊、近藤幸子、竹内多一、
 詩
 山中みちこ  ヴェトナムの若い仏教徒へ
 堀ひろじ  ヒロシマの連帯
 四国五郎  広島を嵐が通過する風景
  山口勇子  ある公立高校でのできごと―高校生の原潜阻止運動をめぐって
  座談会・被爆20周年へ向けての創造活動
出席者:  田中美光 下村仁一 深川宗俊 谷口武志 土屋清 堀博自
世界10億人集会被爆者救援広島県大会抗議文(日本政府宛て、19641206付)  <内容:4日の閣議でのカーチスルメーへの叙勲決定>
 加川次男  短歌・弾薬と梅
 増岡敏和  創刊号を読んで・広島の意志・その周辺
 編集部  広島県文化会議年表
 佐々信一郎  俳句
 深川宗俊  作品・三・一のために
 堀博自  鋭い眼で生きた真実を作る過程での問題提起
 加川次男  百姓一揆を主題とした定型詩劇を作る過程での問題提起
 深川宗俊  人間賛歌<第10回原水禁大会文化・芸術部会報告>
 書評
 南雅子  堀ひろじ第二集詩集 「凍てつく大地に」をめぐって
 奥田泰治  かあさんと呼べた仲間たち
 1965
 0801  3号 P
グラビア 被爆写真集
 葦原進  ルポタージュ「広島」を生きて
 詩
俳句
  座談会 文化の大衆化をめざして
 出席者 兼松誠一 江川和禧 日高敞之 藤井順子 堀博自
 短歌
県文化会議事務局日誌
 宮島巌  第二の〝ひろしま〟はおこさせない-広島にみる現代修正主義の平和「理論」
藤井順子 いつか、きっといつか
甲斐有 戦後二十年目の断片的回想
ルー・クイキ(ベトナム文化使節団長) ベトナムにおける文化戦線のたたかい
増岡敏和 反戦詩歌人集団(一九五〇年)のこと
ラジオ中国芸能員労働組合(作詞・作曲) 花と手榴弾
きのこ会、広島研究の会 原爆小頭症についての訴え(1965.7.26)
深川宗俊 歴史をとらえる視点に
山口勇子 創作 オルゴール

河図洛書-渓水社十周年記念

『河図洛書-渓水社十周年記念』(木村逸司編、溪水社 <渓水社>19850430)目次(抄)

Ⅰ-1 出合いの一冊
長岡弘芳 J・ハーシー『ヒロシマ』のこと
Ⅰ-2 幼い日に
Ⅰ-3 青春の道すがら
天野卓郎 私の読書
佐藤進 万年文学青年の読書歴
平岡敬 カフカと『世紀群』
Ⅰ-4 わたしの読書法
Ⅰ-5 収書・探索
Ⅰ-6 蔵書
宇吹暁 蔵書あれこれ
Ⅰ-7 思いつれづれ
岩崎清一郎 ありあまる時間の中の怠惰
宇野正三 安養の浄土はこいしからずそうろう
中敏みのり 遠来の友との出会い
Ⅱ-8 本づくりあれこれ
石踊一則 紙魚のひとりごと
Ⅱ-9 編集のことなど
大牟田稔 見果てぬ夢
五藤俊弘 広島県詩集のこと
Ⅱ-10 本としてだす
Ⅱ-11 文化・地方・渓水社
板垣綬 「中央」と「地方」って何んだろう
今堀誠二 世界にひろがり得てこそ
米山穫 渓水社
Ⅲ- 渓水社の十年

社会運動史研究会(1990年設立)

社会運動史研究会(1990年設立)

研究成果

戦後社会運動史論―1950年代を中心に 広川禎秀・山田敬男編 大月書店 20060120
<あとがき(抄)>「この研究会は、歴史科学協議会の1989年大会・犬丸義一報告の準備研究会をきっかけとして生まれ、1990年に名称を社会運動史研究会とし」
吉田ふみお「ストックホルム・アピール署名運動とその歴史的背景」
大森実「戦後平和運動の市民運動的形成」
戦後社会運動史論②―高度成長期を中心に 広川禎秀・山田敬男編 大月書店 201203
戦後社会運動史論③―軍事大国化と新自由主義の時代の社会運動 広川禎秀・山田敬男編 大月書店 20181214

近況報告(1982年)

『ふるさとよしうら 18号』(吉浦郷土史研究会、19820430)

近況報告(1982年)

私ごとですが、学生時代には日本中世史を専攻し、若狭国太良庄(東寺の庄園)の農民の生活を卒業論文にまとめました。このことにより、私は、千年余り前の文書に浸る楽しみを垣間みることができました。広島県史編さん室勤務(一九七〇年四月~七六年四月)中には、広島県内を資料を求めて歩き回り、アカデミズムの中には無かった「生きた歴史」に触れる機会にめぐまれました。そして、いま、広島大学原爆放射能医学研究所での六年
間が過ぎようとしています。
歴史学を職業とできる人間は、そう多く存在するわけではありません。なかでも現代史・戦後史ということになると、なおさら限られてきます。原爆問題という限定付ではあっても、歴史を研究できる立場を最大限活用しなくては、と原医研に就職以来、常に自分自身にいいきかせてきました。
一昨年九月から昨年二月にかけての十ヵ月間は、一橋大学への内地留学の機会に恵まれました。その間、大学で現代史の方法論について研讃するかたわら、国立国会図書館に通って、原爆問題に関する資料収集に努めました。収集した資料のコピーは、一万六千枚を超えます。
帰広以来一年近く経った今日も、まだ整理がついていませんが、収集作業中に気付いたことの一つは、日本政府や国会が、戦後一貫して原爆被害を国レベルの被害として取り上げていることです。たとえば、広島市が一九四七年(昭和二二)以降開催している八月六日の平和式典には、総理大臣が、メッセージを寄せるとか、代理を派遣するとか、また本人自ら出席するとか、何らかの形で、すべて関与しています。また、「被爆国」という表現は、原爆被害を、個人レベル、一地方レベルの被害としてではなく、国レベルの被害としてとらえた表現ですが、これも国会議事録には被爆直後から見ることができます。
これらの事実は、原爆被害が戦後の社会にもつ意味の大きさを示すものですが、具体的にどのような意味を持ってきたのか、原爆被害者にとってどうなのか、広島市や県の政治にとっては、日本政府の外交政策にとってはなどなど、多くの問題が解明される必要があります。
一方、原爆被害は、単に過去の問題ということにとどまりません。原爆は、三十七年後の被爆者の身体にどう影響しているのか、被爆者に対する国の施策は、いまのままでよいのか、三月二十一日に全国から二十万人近い人々が集って開かれた集会は、ヨーロッパの反核運動とどのような関連があるのか、など、さまざまな疑問が起ってきます。
何をどのように手をつけて良いのかわからず、試行錯誤の積み重ねですが、これも、「現代史」が抱える課題と割り切って、一つ一つ解決してゆくつもりです。

郷土史断想

『ふるさとよしうら 6号』(吉浦郷土史研究会、19780428)

郷土史断想   宇吹暁

“ふるさと”は、常日頃気に懸けているものではなくとも、何かの拍子に出てくるもののようです。私について言えば、資料を見ている時、″呉″という字が反射的に目につきます。多くの場合は。呉れ給え”の″呉″の類なのですが。ま仁、呉関係の資料を搜していなくても、それが目につけばメモしています。最近も、アメリカの資料を調べていていくつかかをメモしています。一九四五年中のニューヨーク・タイムスには、三月一九日、六月―二日、七月一日、同二四日、同二八日の呉に対する爆撃に関する記事とともに、航空写真も八葉掲載されています。また、アメリカが終戦後調査した爆撃結果の報告書にも、呉に関するものが、何箇所かありました。空中からの写真撮影から目標を識別した結果が正しかったかどうかの調査では、呉地区は、網を使っての艦船の偽装が最も広汎に行なわれていたと述べています。そして、識別の結果を、たとえば次のように判定しています。
下記の主要なる海軍艦船は、一九四五年三月一八日~一九日の攻撃中撮影した写真に依り空母から呉近海に在るものとして報告されたものである
一 戦艦大和
一 戦艦金剛級(後榛名と識別さる)
ニ 戦艦伊勢及日向
ニ 空母雲龍級(後天城及葛城と識別さる)
(以下略)

思わぬところで、子供の時聞いたさまざまな話を思い出しながら読み入ってしまいます。
このような<ふるさと>との出会いは、だれしも何らかの形で経験していることと思います。周辺の誰に話しても無意味にしか思えないだろうが、しかし、郷里の友人に会った時には、ぜひ話したい情報、こういうものが、今、都会では珍重されて<ふるさと>ミニコミブームを作っています。戦前、戦後を通じて県人会的な組織はあるようですが、これは、それとは違い、主な担い手は若者たちです。一方、各地には、年輩の人々によって支えられている郷土史研究会があります。極論すれば、若者 は都会で<ふるさと>を思い、老人は<ふるさと>で<郷土史>を考えていると言えます。しかし、この二つの<ふるさと>は、内容的には、異っています。都会で想う<ふるさと>は、イメージ的でたとえば広島の場合、カープ・カキ・瀬戸内海・酒などといった象徴的なものと結びつくことが多いのに対し、郷土史における<ふるさと>は、地域性が非常に強く感じられます。<よしうら><かわらいし><てんのう>といった、そこにある町並は勿論一軒一軒の家族の構成までもはっきりとつかめる範囲、あるいは、狩留賀、魚見山といった砂の色、小道の勾配まで明確に思い浮べることのできる場所などが郷土史の対象となっています。
最近、この<ふるさと>のもつ地域性について考えさせられたことがあります。それは一九七〇年前後に、全国各地に起った、空襲・戦災を記録する運動です。それまでにも、空襲・戦災体験は、八月一五日を前後して、新聞などのマスコミで取り上げられてきていました。しかし、多くは個人的体験でした。一九七〇年前後からは、地域が取り上げられたのです。
たとえば、広島市では、平和公園は、元中島町などの街があったのですが、その一軒一軒が復元されています。
こうした動きが全国各地に起っているのです。原爆体験や、空襲体験が昨日のごとく語られるのは、体験の特異さによるのでしょうが、三十数年前の街並が、すらすらと出てくる人々が、幾人かあるのには、驚ろいてしまいます。そういう人たちの話を聞きながら感じることは、その人々にとって、街は、かけがえのない生活の場であり、それぞれ、その街を、いつくしみ、はぐくんで来たのだなあとの感慨です。
しかし、私自身について、二十年後に、明瞭に思い出せる街があるだろうかと自問する時、生れ育った本町筋の名前すら、卮かしいものに心えてきます。″ふるさと“にいる若者でありながら、イメージ的にしか<ふるさと>を、とらえることのできない私に、「ふるさとよしうら」が語りかけるものは、「自らの生活の場を、いつくしみ、はぐくめ」との教訓です。