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長崎文学懇話会

長崎文学懇話会

資料年表:長崎文学懇話会(機関誌「地人」)

年月日
1955
0301 機関誌「地人」1号発刊。
0420 「地人」2号。
夢(山田かん)
0809 「地人」4号。原爆特集
原爆歌曲をめぐって(木野 普見雄)港の黒南風(隈 治人)、わが窓より(島内 八郎)
1025 「地人」5号。原爆特集・地方文化への発言
埋葬(山田かん)、帰燕(隈治人)
1956
0101 「地人」6号。
硝子のなかの赤い目(山田かん)晩秋初冬(隈治人)去年今年(下村ひろし)
0310 「地人」7号。
0310 「地人」8号。
「地人」9号。
11 「地人」10号。
1957
0601 「地人」12号。
ある寓話/誰ノタメノモノ?(山田かん)桜の芽(隈治人)
0915 「地人」13号。
詩特集 裸の季節(風木雲太郎) 砂漠の船・焼豚論(山田かん)
1958
0201 「地人」14号。
囚人運動(山田かん)、スイス砕片(原口喜久也)、石像の歌(今村冬三)

追憶―平和への切なる願いを込めて― 国民学校入学1期生が綴る戦中・戦後体験記

『追憶―平和への切なる願いを込めて― 国民学校入学1期生が綴る戦中・戦後体験記』(広島県立呉三津田高校4回生同期会国民学校入学1期生が綴る戦中・戦後体験記編集委員会著、広島県立呉三津田高等学校四回生刊、20090815)

内容

グラビア 原水爆反対ポスター/杉木正光…1
戦争体験児童の心象風景/渡辺裕一郎…2
はじめに ―平和への切なる願いを込めて―…5
1 体験記
1 恩師の戦争体験記
父 太刀掛呂山の8月6日〈中本泰子(太刀掛車男呂山次女)〉…14
二つの白木箱〈森俊文〉…16
2 戦場で戦った軍人を父として
「父は沖縄で死んだ」を著した大田英雄君のこと〈岡部哲治〉…20
おやじは真珠湾攻撃のハワイ作戦に参加〈中村順美〉…30
北支で戦死した父、そして母を想う〈藤原信子〉…33
3 戦前、戦中の生活と国民学校
開戦の日12月8日〈岩佐明夫〉…36
兄は神風特攻隊長で戦死〈岡部哲治〉…37
毎月の武運長久祈願〈岡本昭男〉…41
数奇な運命に助けられ感謝の私〈尾身和江(横川)〉…42
通学路・決闘などの思い出〈加島啓作〉…47
先見の明のあった父〈小林恭子(吉本)〉…51
東郷平八郎元帥の係〈杉本止光〉…53
平和を実感した終戦の日〈高橋政雄〉…56
『花吹雪』〈田中兼豊〉…58
戦争よ奢るなかれ〈田中房子〉…59
トントントンカラリと隣組〈徳富芳明〉…62
スパルタ教育だった国民学校時代〈冨永千里〉…64
佐久間艇長の影響を受けた少年時代〈中岡輝良〉…67
戦争は酷い!〈新林育子(高田)〉…69
毎月8日は日の丸弁当〈西美也子(新谷)〉…70
ふたりの戦中戦後〈浜田清人/浜田千代子(南部)〉…72
農村地帯(昭和村苗代)から見た戦時下〈藤井彬男〉…74
「黙霖さんの家」で育った少年〈藤井亮一〉…75
昭和村・焼山での戦時体験〈藤岡令予(神田)〉…79
一家で蒙った悲劇〈堀野繁子(山田)〉…81
私の戦中戦後〈松浦ヨリコ〉…86
軍国少年の久しき昔〈宮地嘉哉〉…86
6回も転校した国民学校時代〈山本耕〉…89
4 苦しかった学童疎開
1 集団疎開
米2割、麦6割、ジャガイモ2割の食事〈大野逸子(中尾)〉…92
忘れられぬ母のおにぎり〈岡田良明〉…93
忘れ得ぬ我が第二の故郷、空豆の上下町〈岡部義信〉…94
辛かった学童疎開〈木川冨男〉…95
記念植樹をしてくれた疎開地〈岸本介位〉…97
一番美味しかった青大将~疎開体験~〈久保隆司〉…100
我が家の若草物語〈仁井内文枝(中西)〉…104
欲しがりません勝つまでは〈西沖正〉…106
激動時代の思い出~娘にすすめられて~〈馬場美智子(沖野)〉…108
厳しかった引率の先生のことなど〈原山拓郎〉…111
往きは良いよい、帰りは怖い〈船尾正規〉…112終戦前後6ヵ月の想い出〈宮岡實頴〉…115
田舎の生活を堪能〈家頭満子(渡辺)〉…117
2 縁故疎開
よく食べた芋づるやいなご〈石橋政雄〉…119
蒲刈島での1年間〈楠守〉…120
自立の精神を育てられた縁故疎開〈國光俊治〉…122
死ぬなら親子一緒で〈河野英夫〉…124
寂しかった縁故疎開〈中村美都子(宗政)〉…126
銃後の苦労と私見〈日高敏夫〉…128
家族との別れを覚悟した疎開〈桧和田晃(小田)〉…130
サツマイモばかりの縁故疎開〈蒔田智恵子(堀越)〉…136
えんどう豆の入った真っ白いおむすび〈松本桂子(三木)〉…136
5 過酷な戦争の被害
1 命からがら逃げた呉空襲長官山の防空壕〈秋吉雅子(谷口)〉…142
防空頭巾を離せなかった国民学校時代〈石原義行〉…143
命からがら逃げ惑う〈大之木精二〉…145
今なお戦後はない!〈小高延江(森沢)〉…147
ああ灰ヶ峰〈勝間壽〉…149
火の雨くぐり横穴へ〈上林好之〉…150
命運を分けた防空壕〈齊木美津子(福井)〉…153
焼夷弾が火の簾〈齊藤温巳〉…155
「満州行き騒動」で変わった私の運命〈島村光〉…158
わが母校―ああ岩方国民学校―〈津久江一郎〉…162
二河公園の防空壕に入っていた〈藤堂美智子(三浦)〉…165
呉の空襲そして小豆島へ〈中野坦子(港)〉…168
戦争の悲劇体験から思うこと〈日山暁子(笠井)〉…170
疎開先で知った弟の死〈矢野美重子(村上)〉…172
軍艦がかわいそう〈三浦田鶴子(松根)〉…175
2 世界で最初の原子爆弾―地獄の惨状―
音戸で経験した原爆と戦中戦後〈井上直子(大森)〉…176
今も胸に去来する、あの忌まわしい被爆の地獄図〈亀迫恵朗〉…178
わが子を亡くし号泣する母〈久保岡博子(堀田)〉…181
戦争はこんなにも残酷〈桑原静江(八百幸)〉…182
大正生まれの従兄姉達の過酷な運命〈末永香苗(田妻)〉…185
被爆鮮烈な記憶〈武永猛〉…186
戦争はまさに人災〈中山英子(益井)〉…188
校舎の下敷きになった私〈西圭子(中山)〉…190
8月6日原爆投下の記憶〈元川正子(森)〉…191
1日違いの命拾い〈森井百合子(中田)〉…193
今も不安に怯える被爆体験〈匿名男子〉…195
3 戦場となった呉周辺
「軍艦・利根」と「ピカッ・ドン」〈加島啓作〉…196
64年前の「胸と心」〈宮地嘉哉〉…199
戦艦「大和」を見た〈和田肇〉…202
4 戦争の後遺症―枕崎台風の爪痕―
多くの命を奪った枕崎台風の事など〈久保隆司〉…205
姉妹3人を奪った山津波〈瀬田博文〉…209
孫を救い亡くなった祖母〈谷本知途子(勝田)〉…210
6 外地での戦中戦後―引揚げの苦労など―
巨済島からの引揚げ〈上田恭三〉…216
男装の麗人に変身した女家族〈大下慶子(新里)〉…218
台湾の山の中で迎えた終戦〈勝山瑳智子(村上)〉…220
赤い夕陽の満洲〈中田康生〉…222
残留孤児になりかかった自分〈浜根貞二>…234
上海での思い出など…〈彦坂千代子(藤井)〉…237
私が見た朝鮮(京城)における銃後の生活〈平岡克躬〉…240
韓国「釜山」の想い出〈宮田昭〉…242
7 戦後の生活と学校 ―混乱、窮乏のなかで新しい動きと平和への願い―
悲しい想い出〈阿部由来子(木村)〉…244
戦後の疎開〈飯田郁子(今井)〉…244
戦災で落着かない学校生活〈大下澄江(中村)〉…245
私達の運命と思想を左右した戦争 ―今日あるを感謝―〈小笠原臣也〉…246
敗戦直後の飢えとの戦い〈片岡止彦〉…250
昭和20年の記憶〈金高敦子(斎藤)〉…253
戦いを生きて今あり若楓〈小早川晋子(上田)〉…255
戦後の混乱した世相〈坂井清峰〉…258
国際交流のさきがけ〈篠田弘子(小林)〉…263
スポーツにあけくれた少年時代〈高橋靖幸〉…265
中通で育った私 詩2編〈原田睦子(立通)〉…268
2 戦争体験アンケート…271
3 資料および年表…287
1 資料…288
国民学校令(昭和16年勅令第148号)…288
国民学校令施行規則…289
大本営発表(太平洋戦争開始時)…290
学童疎開…290
疎開学童に対する米配給量とカロリー…292
終戦の詔勅…292
昭和20年戦災並びに水害被害対照表…294
2 年表(昭和6年~昭和25年)…295
おわりに(編集後記)…299