『追憶―平和への切なる願いを込めて― 国民学校入学1期生が綴る戦中・戦後体験記』(広島県立呉三津田高校4回生同期会国民学校入学1期生が綴る戦中・戦後体験記編集委員会著、広島県立呉三津田高等学校四回生刊、20090815)
内容
部 | 章 | 節 | ||
グラビア 原水爆反対ポスター/杉木正光…1 戦争体験児童の心象風景/渡辺裕一郎…2 はじめに ―平和への切なる願いを込めて―…5 |
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1 | 体験記 | |||
1 | 恩師の戦争体験記 | |||
父 太刀掛呂山の8月6日〈中本泰子(太刀掛車男呂山次女)〉…14 二つの白木箱〈森俊文〉…16 |
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2 | 戦場で戦った軍人を父として | |||
「父は沖縄で死んだ」を著した大田英雄君のこと〈岡部哲治〉…20 | ||||
おやじは真珠湾攻撃のハワイ作戦に参加〈中村順美〉…30 | ||||
北支で戦死した父、そして母を想う〈藤原信子〉…33 | ||||
3 | 戦前、戦中の生活と国民学校 | |||
開戦の日12月8日〈岩佐明夫〉…36 兄は神風特攻隊長で戦死〈岡部哲治〉…37 毎月の武運長久祈願〈岡本昭男〉…41 数奇な運命に助けられ感謝の私〈尾身和江(横川)〉…42 通学路・決闘などの思い出〈加島啓作〉…47 先見の明のあった父〈小林恭子(吉本)〉…51 東郷平八郎元帥の係〈杉本止光〉…53 平和を実感した終戦の日〈高橋政雄〉…56 『花吹雪』〈田中兼豊〉…58 戦争よ奢るなかれ〈田中房子〉…59 トントントンカラリと隣組〈徳富芳明〉…62 スパルタ教育だった国民学校時代〈冨永千里〉…64 佐久間艇長の影響を受けた少年時代〈中岡輝良〉…67 戦争は酷い!〈新林育子(高田)〉…69 毎月8日は日の丸弁当〈西美也子(新谷)〉…70 ふたりの戦中戦後〈浜田清人/浜田千代子(南部)〉…72 農村地帯(昭和村苗代)から見た戦時下〈藤井彬男〉…74 「黙霖さんの家」で育った少年〈藤井亮一〉…75 昭和村・焼山での戦時体験〈藤岡令予(神田)〉…79 一家で蒙った悲劇〈堀野繁子(山田)〉…81 私の戦中戦後〈松浦ヨリコ〉…86 軍国少年の久しき昔〈宮地嘉哉〉…86 6回も転校した国民学校時代〈山本耕〉…89 |
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4 | 苦しかった学童疎開 | |||
1 | 集団疎開 | |||
米2割、麦6割、ジャガイモ2割の食事〈大野逸子(中尾)〉…92 忘れられぬ母のおにぎり〈岡田良明〉…93 忘れ得ぬ我が第二の故郷、空豆の上下町〈岡部義信〉…94 辛かった学童疎開〈木川冨男〉…95 記念植樹をしてくれた疎開地〈岸本介位〉…97 一番美味しかった青大将~疎開体験~〈久保隆司〉…100 我が家の若草物語〈仁井内文枝(中西)〉…104 欲しがりません勝つまでは〈西沖正〉…106 激動時代の思い出~娘にすすめられて~〈馬場美智子(沖野)〉…108 厳しかった引率の先生のことなど〈原山拓郎〉…111 往きは良いよい、帰りは怖い〈船尾正規〉…112終戦前後6ヵ月の想い出〈宮岡實頴〉…115 田舎の生活を堪能〈家頭満子(渡辺)〉…117 |
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2 | 縁故疎開 | |||
よく食べた芋づるやいなご〈石橋政雄〉…119 蒲刈島での1年間〈楠守〉…120 自立の精神を育てられた縁故疎開〈國光俊治〉…122 死ぬなら親子一緒で〈河野英夫〉…124 寂しかった縁故疎開〈中村美都子(宗政)〉…126 銃後の苦労と私見〈日高敏夫〉…128 家族との別れを覚悟した疎開〈桧和田晃(小田)〉…130 サツマイモばかりの縁故疎開〈蒔田智恵子(堀越)〉…136 えんどう豆の入った真っ白いおむすび〈松本桂子(三木)〉…136 |
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5 | 過酷な戦争の被害 | |||
1 | 命からがら逃げた呉空襲長官山の防空壕〈秋吉雅子(谷口)〉…142 防空頭巾を離せなかった国民学校時代〈石原義行〉…143 命からがら逃げ惑う〈大之木精二〉…145 今なお戦後はない!〈小高延江(森沢)〉…147 ああ灰ヶ峰〈勝間壽〉…149 火の雨くぐり横穴へ〈上林好之〉…150 命運を分けた防空壕〈齊木美津子(福井)〉…153 焼夷弾が火の簾〈齊藤温巳〉…155 「満州行き騒動」で変わった私の運命〈島村光〉…158 わが母校―ああ岩方国民学校―〈津久江一郎〉…162 二河公園の防空壕に入っていた〈藤堂美智子(三浦)〉…165 呉の空襲そして小豆島へ〈中野坦子(港)〉…168 戦争の悲劇体験から思うこと〈日山暁子(笠井)〉…170 疎開先で知った弟の死〈矢野美重子(村上)〉…172 軍艦がかわいそう〈三浦田鶴子(松根)〉…175 |
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2 | 世界で最初の原子爆弾―地獄の惨状― | |||
音戸で経験した原爆と戦中戦後〈井上直子(大森)〉…176 今も胸に去来する、あの忌まわしい被爆の地獄図〈亀迫恵朗〉…178 わが子を亡くし号泣する母〈久保岡博子(堀田)〉…181 戦争はこんなにも残酷〈桑原静江(八百幸)〉…182 大正生まれの従兄姉達の過酷な運命〈末永香苗(田妻)〉…185 被爆鮮烈な記憶〈武永猛〉…186 戦争はまさに人災〈中山英子(益井)〉…188 校舎の下敷きになった私〈西圭子(中山)〉…190 8月6日原爆投下の記憶〈元川正子(森)〉…191 1日違いの命拾い〈森井百合子(中田)〉…193 今も不安に怯える被爆体験〈匿名男子〉…195 |
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3 | 戦場となった呉周辺 | |||
「軍艦・利根」と「ピカッ・ドン」〈加島啓作〉…196 64年前の「胸と心」〈宮地嘉哉〉…199 戦艦「大和」を見た〈和田肇〉…202 |
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4 | 戦争の後遺症―枕崎台風の爪痕― | |||
多くの命を奪った枕崎台風の事など〈久保隆司〉…205 姉妹3人を奪った山津波〈瀬田博文〉…209 孫を救い亡くなった祖母〈谷本知途子(勝田)〉…210 |
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6 | 外地での戦中戦後―引揚げの苦労など― | |||
巨済島からの引揚げ〈上田恭三〉…216 男装の麗人に変身した女家族〈大下慶子(新里)〉…218 台湾の山の中で迎えた終戦〈勝山瑳智子(村上)〉…220 赤い夕陽の満洲〈中田康生〉…222 残留孤児になりかかった自分〈浜根貞二>…234 上海での思い出など…〈彦坂千代子(藤井)〉…237 私が見た朝鮮(京城)における銃後の生活〈平岡克躬〉…240 韓国「釜山」の想い出〈宮田昭〉…242 |
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7 | 戦後の生活と学校 ―混乱、窮乏のなかで新しい動きと平和への願い― | |||
悲しい想い出〈阿部由来子(木村)〉…244 戦後の疎開〈飯田郁子(今井)〉…244 戦災で落着かない学校生活〈大下澄江(中村)〉…245 私達の運命と思想を左右した戦争 ―今日あるを感謝―〈小笠原臣也〉…246 敗戦直後の飢えとの戦い〈片岡止彦〉…250 昭和20年の記憶〈金高敦子(斎藤)〉…253 戦いを生きて今あり若楓〈小早川晋子(上田)〉…255 戦後の混乱した世相〈坂井清峰〉…258 国際交流のさきがけ〈篠田弘子(小林)〉…263 スポーツにあけくれた少年時代〈高橋靖幸〉…265 中通で育った私 詩2編〈原田睦子(立通)〉…268 |
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2 | 戦争体験アンケート…271 | |||
3 | 資料および年表…287 | |||
1 | 資料…288 国民学校令(昭和16年勅令第148号)…288 国民学校令施行規則…289 大本営発表(太平洋戦争開始時)…290 学童疎開…290 疎開学童に対する米配給量とカロリー…292 終戦の詔勅…292 昭和20年戦災並びに水害被害対照表…294 |
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2 | 年表(昭和6年~昭和25年)…295 | |||
おわりに(編集後記)…299 | ||||
止