9月に亡くなった人々
日 | 没年 | 名前 | よみ | 享年 | |
01 | 2002 | 林重男 | はやし・しげお | 84 | 写真家。文部省学術研究会議原子爆弾災害調査研究特別委員会に参加、広島と長崎を撮影。<資料年表:林重男> |
02 | 1994 | 門秀一 | かど・しゅういち | 79 | 核禁広島県民会議初代議長。広島大学名誉教授。西洋倫理哲学専攻。<資料年表:門秀一> |
02 | 1999 | 尾津訓三 | おづ・くんぞう | 65 | 劇作家。広島で被爆。「追記 だれよりも願った地域演劇の復興」(『中国新聞19991102』田原直樹・記)<資料年表:尾津訓三> |
02 | 2017 | 土山秀夫 | つちやま・ひでお | 92 | 元長崎大学長。2009年2月28日に面識。<16時半~、広島(代表:難波健治)・長崎(代表:峠憲治)の報道関係者の交流会。会場:長崎新聞社。19時~懇親会。>宇吹の質問および意見<平和教育、平和行政、市民運動、医学者の動向、IPPNW、パグウォッシュ会議>に丁寧な応答。 |
03 | 2018 | オマール、サイド | さいど・おまーる | 19 | マラヤ(現マレーシア)の王族。 南方特別留学生。興南寮(広島市大手町)で被爆。<資料年表:サイド・オマール>51.pdf (hiroshima-u.ac.jp) |
04 | 1965 | シュバイツァー、アルベルト・ | 90 | 1952年度のノーベル平和賞受賞。 | |
1962年6月30日、赤道直下のランバレネの病院で森瀧市郎氏の訪問を受ける。出典:http://www.ne.jp/asahi/nozaki/peace/data/gen_moritaki.html 森瀧宅で、当時のアルバムを前にこの時の話を聞く(宇吹) | |||||
04 | 2009 | 大山広司 | おおやま・ひろし | 91 | 元広島県議会議長、元全国都道府県議会議長会会長。『広島県議の半世紀 : 五人の知事に相まみえて : 大原博夫氏・永野巌雄氏・宮澤弘氏・竹下虎之助氏・藤田雄山氏』(大山広司・述、大平泰・記、溪水社、2005)1918生 |
05 | 1998 | 堀田善衛 | ほった・よしえ | 80 | 小説家。『広島県現代文学事典』(山根繁樹・記)<資料年表:堀田善衛> |
06 | 1998 | 黒沢明 | くろさわ・あきら | 88 | 映画監督。「生きものの記録」・「八月の狂詩曲」で核問題を取り上げる。 |
07 | 2020 | 岩佐幹三 | いわさ・みきそう | 91 | 修道中学在学中、被爆。1953年金沢大学教官となり同大名誉教授。1960年「石川県原爆被災者友の会」を設立。日本被団協事務局次長(2000年)・同会代表委員(2011年)<資料年表:岩佐幹三> |
08 | 1981 | 湯川秀樹 | ゆかわひでき | 74 | 1949年日本人として初のノーベル物理学賞受賞。[原水爆禁止世界大会日本準備会代表委員]。[日本原水協代表委員]。「世界平和アピール七人委員会」メンバーとして平和運動にも尽力。[70ヒロシマ会議]<資料年表:湯川秀樹> |
10 | 2014 | 坂井義則 | さかい・よしのり | 69 | 1945年(昭和20年)8月6日広島原爆被爆直後に広島県三次市で誕生。父は被爆者。1964年東京オリンピックの開会式で聖火リレーの最終ランナー。 |
11 | 2019 | 粟屋憲太郎 | あわや・けんたろう | 75 | 日本近現代史研究者。著書に『東京裁判への道』など。1944年 6月11日生<資料年表:粟屋憲太郎> |
14 | 2010 | 大道あや | だいどう・あや | 101 | 絵本作家。本名:大道アヤコ。丸木スマ母、丸木位里は兄。19090411誕生。 |
15 | 1990 | 土門拳 | どもん・けん | 80 | 写真家。1958年に被爆者を写した写真集「ヒロシマ」を発表。『広島県現代文学事典』(20101220)<田中裕之・記><資料年表:土門拳> |
15 | 2010 | 秋信利彦 | あきのぶ・としひこ | 75 | 放送ジャーナリスト。中国放送(RCC)ディレクター・記者・常務取締役歴任。きのこ会。1935生。<資料年表:秋信利彦> |
18 | 2011 | 小野増平 | おの・ますへい | 64 | 中国新聞社入社(1970年4月)、ニューヨーク支局長(1990年8月)・東京支社長(2002年2月)・編集局長(2005年)、広島経済大学メディアビジネス学科教授 (2007年9月)を歴任。(広島大学文書館<解題:小野増平関係文書目録>) |
19 | 2002 | 好村冨士彦 | こうむら・ふじひこ | 71 | 広島文学資料保全の会代表。『広島県現代文学事典』(植木研介・記)『考えるとは乗り越えることである―好村冨士彦遺稿・追悼集』2003<資料年表:好村冨士彦> |
20 | 1976 | 升川貴志栄 | ますかわ・きしえ | 78 | 原水爆禁止広島母の会会長。<資料年表:升川貴志栄> |
20 | 1981 | 竹下健児 | たけした・けんじ | 55 | 放射線物理学者。1945年学徒動員先の長崎で被爆。1965年広島大学原医研教授。 |
21 | 2011 | 辺見じゅん | へんみ・じゅん | 72 | 広島女学院創立120周年記念2006年度企業懇談会・講演会(会場:リーガロイヤルホテル)講演会:辺見じゅん「生きるための自分力」。並んで挨拶。宇吹:大和ブーム批判に取り組んでいることを伝えると自著『女たちの大和』(ハルキ文庫、2005年)を挙げて切り返えされる。 |
21 | 2017 | 森本順子 | もりもと・じゅんこ | 85 | オーストラリア在住の絵本作家。広島女学院高女在学中に被爆。 |
22 | 2010 | 橘祐典 | たちばな・ゆうてん | 77 | 本名:橘裕彦(ひろひこ)。映画監督。原爆記録映画「にんげんをかえせ」など。 |
23 | 1954 | 久保山愛吉 | くぼやま・あいきち | 40 | 第5福龍丸無線長。1954年3月1日にアメリカが南太平洋ビキニ環礁で実施した水爆実験で被曝。<資料年表:久保山愛吉> |
24 | 2015 | 福島菊次郎 | ふくしま・きくじろう | 94 | 写真家。<資料年表:福島菊次郎> |
27 | 1983 | バーチェット、ウィルフレッド・ | 72 | ジャーナリスト。広島の被爆のもようを世界に最初に報道。<資料年表:バーチェット> | |
27 | 2019 | 布川弘 | ぬのかわ・ひろし | 61 | 広島大学大学院総合科学研究科教授。広島市被爆70年史編集研究会で同席。 |
28 | 1986 | 谷本清 | たにもと・きよし | 77 | 日本基督教団広島流川教会牧師。教会で面談。 |
[50ヒロシマ・ピース・センター理事]。原爆乙女の米での手術実現などに尽力。86アキバ・プロジェクト」で来日した米記者、被爆牧師死去の記事(60行余)を掲載。AP通信を通じて米の各メディアに配信。[69原爆被災資料広島研究会]。『広島県現代文学事典』<田中裕之・記>19090627生。<資料年表:谷本清> | |||||
28 | 1991 | 中本 たか子 | なかもと・ たかこ | 87 | 小説家。1927年上京、『女人芸術』誌に参加。1941年蔵原惟人と結婚。<資料年表:中本 たか子> |
28 | 1991 | 佐久間澄 | さくま・きよし | 80 | 広島県原水協理事長・同県被団協理事長。広島大学構内で被爆。お宅で面談、資料を閲覧。<資料年表:佐久間澄> |
28 | 2023 | 小河原正己 | おがはら・まさみ | 83 | 1940年山梨県生まれ。NHKプロデューサー。<資料年表:小河原正己> |