原爆被爆者対策前史資料集(1945年~1953年)目次

原爆被爆者対策前史資料集(1945年~1953年)
1997年2月
平成6-8年度科学研究費補助金(基盤研究(C)(2))研究成果報告書(課題番号06610313)
原爆被爆者対策史の基礎的研究
研究代表者 宇吹暁(広島大学原爆放射能医学研究所)

目次

Ⅰ.原爆開発・投下問題 1- 19
【資料1】原爆投下に関するアーノルド将軍用メモ
【資料2】原爆投下命令書
【資料3】マンハッタン・プロジェクトのプレス・リリーズ(PRESS RELEASE)一覧
【資料4】原子力開発の主要事件
【資料5】マンハッタン・プロジェクトに関する基本資料一覧
【資料6】原子力発展年表
【資料7】米陸軍の公的歴史書『マンハッタン:陸軍と原爆』
【文献】原爆開発・投下問題(邦文)

Ⅱ.原爆被害をめぐる日米の対立 20- 44
1.アメリカにおける70年生物不毛説報道
【資料1】WASHINGTON POST(ワシントン・ポスト)紙の報道
【資料2】WASHINGTON POST(ワシントン・ポスト)紙の報道
【資料3】WASHINGTON POST(ワシントン・ポスト)紙の報道
【資料4】NEW YORK TIMES(ニューヨーク・タイムズ)紙の報道
2.日本の反応
【資料5】広島市爆撃問題に対する反響
【資料6】日本政府の原爆攻撃に対する抗議
【資料7】NEW YORK TIMESに見る日本の原爆報道
【資料8】外国人記者の現地報道
3.外務省による海外の反響の収集
【資料9】ベルン情報
【資料10】ストックホルム情報
【資料11】ベルン情報
【資料12】リスボン情報
【資料13】ストックホルム情報
【資料14】リスボン情報
【資料15】リスボン情報
4.アメリカの反応
【資料16】マンハッタン・プロジェクト調査団ファーレル団長の声明
【資料17】アメリカ軍が入手した日本政府の動向
5.原爆報道に関する規制
【資料18】GHQの言論指令「言論及び新聞の自由」
【資料19】朝日新聞24時間発行停止の指令
【資料20】GHQの言論指令「新聞規則」

Ⅲ.被爆直後の救援と調査 45- 75
1.日本軍の動向
【資料1】中国軍管区の救援・復旧命令
【資料2】広島空襲被害報告
【資料3】第一復員省大屋中佐の原爆被害報告
【資料4】『本土作戦記録・第二総軍』
【資料】米軍捕虜名簿(原爆犠牲者)
[参考資料]米兵捕虜の遺族の手紙
【資料6】『広島市戦災処理の概要』
【資料7】軍の調査報告一覧 1945年
2.政府・県・市の動向
政府
【資料8】政府の新型爆弾対策委員会
広島県
【資料9】竹内喜三郎(豊田地方事務所長)日記
広島市
【資料10】広島市の被害に関する言上書(案)
【資料11】災害後の食糧配給事情
【資料12】学校の罹災状況
【資料13】比治山迷児収容所概要
3.学術調査
【資料14】都築正男の原爆被害調査
【資料15】原爆被害の総合調査を求める声(1)
【資料16】原爆被害の総合調査を求める声(2)
【資料17】『朝日新聞』社説「被害調査も科学的なれ」[抄]
【資料18】広島市の原子爆弾被害状況調査依頼
4.米軍・合同調査団・ABCCの動向
【資料19】マンハッタン調査団
【資料20】原爆被害の長期研究計画に関するオーターソン・メモ
【資料21】戦略爆撃調査団報告書一覧(原爆関係分)
【資料22】被爆者の長期研究に関する大統領指令
【資料23】ABCC調査調査要領
【資料23】厚生省予防衛生研究所のABCCへの協力
【文献】被爆直後の救援・調査

Ⅳ.占領期の原爆問題 76- 127
1.外交文書の中の原爆被害
【資料1】占領軍の新聞発表(PRESS RELEASE)記事目録(原爆関係)
【資料2】中国連絡調整事務局報告の中の原爆被害
2.平和祭・文化祭
【資料3】広島市の平和復興祭
【資料4】広島市の平和祭構想
【資料5】広島市の第1回平和祭
【資料6】ノーモア・ヒロシマズ=谷本清牧師の訴え
【資料7】広島市の第2回平和祭
【資料8】広島市の慰霊式・平和記念式典
【資料9】広島・長崎両市の平和宣言
3.被爆者援護の構想
【資料10】桑原市男「新広島建設要綱[抄]」
【資料11】渡辺滋「広島市の復興計画案[抄]」
【資料12】模範社会事業都市建設に関する請願
【資料13】谷本清のヒロシマ・ピース・センター構想[抄]
4.原爆孤児救済
【資料14】広島戦災児育成所要覧[抄]
【資料15】相生農場建設計画書[抄]
5.原爆被害(者)の調査
【資料16】労働省婦人少年局長崎出張所の被害者調査
【資料17】広島市の原爆関係資料提供依頼
【資料18】広島市の原爆関係資料提供依頼
【資料19】長崎市原爆資料保存委員会の活動
6.平和擁護運動の中の原爆被害
【資料20】平和擁護東京大会での大田洋子の発言[抄]
【資料21】『アカハタ』(日本共産党機関紙)の中の原爆被害(者)
【資料22】『平和の斗士』(アカハタ中国総局)の中の原爆被害(者)
【資料23】『民族の星』の中の原爆被害
7.原爆手記の出版
【資料24】小倉豊文『絶後の記録』
【資料25】永井隆『長崎の鐘』
【資料26】永井隆ブーム
【資料27】日本基督教青年会同盟『天よりの大いなる声』[抄]
【資料28】衣川舜子『ひろしま』
【資料29】マッカーサー元帥への衣川舜子の手紙
【資料30】吉川清『平和のともしび-原爆第一号患者の手記』
【資料31】広島市民生局社会教育課編『原爆体験記』
8.原爆被害に基づくさまざまな動向
【資料32】徳川義親の原爆被害観[抄]
【資料33】アメリカ人記者の質問への東久迩宮首相返書[抄]
【資料34】東久迩宮首相返書へのアメリカの反応[抄]
【資料35】広島市の戦災復興とGHQ
【資料36】長田新らの文化都市建設構想
【資料37】天皇「ヒロシマ巡幸」
【資料38】羅府新報(米ロスアンゼルスの邦字新聞)記事目録(原爆被害関係)
【資料39】婦人民主クラブ『婦人民主新聞』記事(原爆被害関係)

Ⅴ.調査・研究・治療の再開 128-146
1.都築正男資料にみる文部省原子爆弾災害調査研究班の発足
【資料1】科学研究費交付金総合研究計画調書草稿
【資料2】原子爆弾災害調査研究班班員名簿
【資料3】都築正男「原子爆弾災害調査研究班に就て」
【資料4】広島医科大学の原爆調査研究課題
【資料5】長崎医科大学の原爆調査研究課題
【資料6】研究連絡打合会に関するメモ
【資料7】研究連絡打合会についての都築正男の総括
【資料8】『昭和28年度文部省総合研究報告集録(医学及び薬学編)』[抜粋]
【資料9】都築正男略歴
2.原爆障害者治療対策協議会
【資料10】広島市原爆障害者治療対策協議会『原爆障害者治療対策の概要』[抄]
【資料11】長崎原爆傷害者治療対策協議会結成準備打合会
3.厚生省原爆症調査研究協議会
【資料12】原爆症調査研究協議会の設置
【資料13】原子爆弾後障害症治療指針

Ⅵ.講和条約発効前後の原爆問題  147-177
1.戦傷病者戦没者遺族等援護法
【資料1】広島市原爆犠牲者遺族援護に関する陳情書
【資料2】広島市における原爆犠牲者遺族の援護に関する請願
【資料3】広島、長崎両市における原爆犠牲者遺族の援護に関する請願
【資料4】原爆犠牲者年金等要求について原爆死没者援護に関する陳情経過
【資料5】戦傷病者戦没者遺族等援護法案をめぐる国会論議[抄]
【資料6】広島市の戦没者遺家族援護
【資料7】長崎市の遺族援護状況
【資料8】旧軍人の府県別原爆死亡者数
2.原爆裁判の提訴
【資料9】日本国との平和条約[抄]
岡本尚一弁護士の提起
【資料10】『原爆民訴或問』[抄]
【資料11】岡本尚一「米国に原爆の損害賠償を求む」[抄]
原爆裁判提起への反響
【資料12】原爆民訴提唱及びその反響
【資料13】アメリカの反応
【資料14】ニューヨク・タイムズの報道
【資料15】日本の反応
3.原爆被害者の会
【資料16】原爆第1号吉川清の試み
【資料17】原爆被害者の会設立の経緯
【資料18】原爆被害者の会会則
【資料19】中野懇談会の被爆者招請
【資料20】原爆裁判への対応
4.国民各層と原爆被害
【資料21】京都大学文学部学友会『原爆体験記』
【資料22】宮川裕行の日記[抄]
【資料23】原爆展への干渉・介入
【資料24】広島・長崎両原爆都市建設特別委員会の論議
【資料25】「原爆の詩」収集に関する依頼
【資料26】映画「原爆の子」製作への協力依頼
【資料27】映画「原爆の子」への原爆友の会の批判
【資料28】第4回広島・長崎青年交歓会
【資料29】子供を守る会の原爆孤児調査
【資料30】全面講和愛国運動協議会機関紙の中の原爆被害(者)

Ⅶ.原爆犠牲者の追悼  178-186
1.原爆犠牲者への追悼文
【資料1】広島県農業会長弔辞
【資料2】修道中学校生徒代表弔辞
【資料3】永井隆原子爆弾死者合同葬弔辞
【資料4】永井隆浦上合同慰霊祭祭詞
【資料5】広島市立原爆遺族会代表弔辞
2.原爆犠牲者追悼碑の碑文
【資料6】広島市立第一高等女学校慰霊碑
【資料7】中国配電株式会社弔魂塔
【資料8】広島女子高等師範学校・附属山中高女・県立第一高女殉国学徒慰霊碑
【資料9】原爆供養塔
【資料10】広島平和都市記念碑碑文
[参考資料]<英文>
[参考資料]パール博士の碑文批判[抄]
[参考資料]雑賀忠義(碑文作成者)の考え[抄]
【資料11】広島市の原爆死没者調査趣意書
3.広島・長崎両市の平和宣言
【資料12】1951年・広島
【資料13】1951年・長崎
【資料14】1952・長崎
【資料15】1952年・長崎
【資料16】1953年・広島
【資料17】1953年・長崎

Ⅷ.年表 1951-1958年  187-221