年表:ヒロシマ(1946年)

年表:ヒロシマ(1946年)

月日 できごと
0108  宇品地方引揚援護局、同局大竹出張所設置。1947年10月20日業務閉鎖、12月31日閉局。入港船舶・上陸人数は、宇品100隻・16万9026人、大竹219隻・41万410783人。
0108 広島市復興局設置
0109 パターソン米国陸軍長官一行、呉市の戦災状況を視察。10日広島市の被害を視察。
0110 呉地方初の海軍施設転用により、日本製鉄株式会社兵器処理部呉事務所開設、復興作業に着手。
0120 GHQ,第一次賠償指定。三菱重工業広島工作機械製作所など指定をうける。
0122 広島市宇品町の元陸軍共済病院、日本医療団宇品病院となる(のち広島中央病院と改称)。
0125 広島県警備隊廃止。
0127 連合国極東委員会一行70人、来広。楠瀬広島県知事、広島市を世界新平和の象徴として再建することを委員会に提案。
0201 英連邦軍先遣部隊に300人、呉へ入港。
0201 広島復興民団発起人会、広島駅前食堂で開催。発起人、鈴川貫一ら経済界の有力者22人。
0210 広島市青崎国民学校で原爆犠牲者追悼文化人大会・追悼合同短歌会開催。
0225 広島市復興審議会初会合。
0401 恩賜財団軍人援護会広島県支部と恩賜財団戦災援護会広島県支部、解散合併して、恩賜財団戦災援護会を設立。
4・ 1 播磨造船所呉船渠、旧呉海軍工廠造船・造機部跡に開設。
0401 尼崎製鉄、旧呉海軍工廠製鋼部跡に呉作業所を設置し操業開始(現神戸製鋼所呉工場)。
0401 元呉海軍工廠、連合軍総司令部の指示により大蔵省に移管。
0406 広島復興都市計画を決定し、復興五か年計画案を作成。
0501 中国新聞社『月刊中国』を創刊。同誌四号(昭和二一年八月一日)は「原子爆弾記念号」とする。
0503 極東国際軍事裁判開廷。
0506 広島県食糧営団運営委員会再発足し、第一回総会を海田市寮で開催。
0510 天然痘流行し、患者360余人に達する。
0517 満州開拓義勇隊引揚第一陣広島・安芸・安佐・双三出身者からなる井岡中隊41人、佐世保を経て帰広。
0517 傷痍軍人援護会解散し、財団法人協助会広島県支部発足。傷痍軍人・一般傷疾病者の相互扶助・福利厚生などを意図
0522 広島市・広島県仏教連合会など主催の戦災死没者遺骨収容大供養週間はじまる。
0527 広島市戦災供養法会、西本願寺法主大谷光照を迎え執行。
0601 県、食糧危機突破甘藷増産運動を展開(~15日)。
0610 朝鮮民主臨時政府促成人民大会、広島駅前広場で開催。
0611 広島県援護会発起人会、外地引揚団体の統合をはかるため広島県引揚同胞更生会の設立を決議。同月15五日発足。
0627 満州からの初の引揚船、宇品港へ入港。
0630  アメリカ戦略爆撃調査団の報告書『広島・長崎の原爆の効果』公表。
0701 アメリカ、マーシャル群島ビキニ環礁で戦後初の原爆実験。
0702 呉市戦災死者一周忌追弔法要、五番町国民学校で執行。
0705 広島県、食糧危機突破対策の一環として、高級料理・飲食店の自粛的臨時休業の措置を開始。
0709 広島県住宅緊急措置令施行細則制定。住宅不足対策として余裕住宅への入居を勧奨。

7・

0724 広島県・恩賜財団同胞援護会広島県支部・広島県社会事業新興連盟主催同胞援護強調週間始まる。
0724 広島軍政部公衆衛生係、日本側衛生関係者を招集し、花柳病予防対策協議会を開催。
0726 広島市、同胞援護強調週間の行事として、市内西診療所で引揚者・復員者・一般罹災者の無料診察実施(~30日)。
07 呉市駐屯の米軍第76軍政中隊本部、広島軍政部と改称。中国5県の各軍政部統括機関として中国地方軍政司令部を設置。
0801 広島県教職員適格審査委員会、初会合。8月8日審査を開始。
0802 尾道署、第11空廠事件の関係者を隠匿物資等緊急措置令違反・価格統制令違反で広島地検へ送検。
0805 広島市、市内八か所に原子爆弾症医療無料相談所を開設(~7日)。
0805 福山市復興協力会第1回総会開催。
0806 広島市、各宗連盟県支部・広島市供養会共催戦災死没者一周年追悼法会、慈善寺鼻の記念礼拝堂で開催。
0810 広島市調査課、1945年8月6日現在市内居住者を対象に原爆被害調査を実施。
0812 占領軍危険物特別処理隊、大久野島の毒ガス3万トンを太平洋にもちだし船とともに海底に沈める。
0824 GHQ、第二次賠償指定。これにより県内では日本製鋼所広島製作所・東洋工業・日本化薬福山染料工場など指定をうける。
0824 社会党広島県支部、広島駅前で食糧増配要求市民大会を開催。
0830 食糧危機突破のため篤農家で組織する広島県食糧増産同志会、御調郡重井村で第一回懇談会を開催。
0831 アメリカの週刊誌「ニューヨーカー」、J・ハーシーのヒロシマ・ルポを特集。
08 広島市幟町カトリック協会フーゴー・ラサール神父、ニューヨークで原爆投下時の広島の模様を語る。
08 公職適否審査委員会設置。
08 呉市で旧軍施設への紡績工場誘致運動おこる。
0901 福山市会議員一同、広島軍政部に日本化薬福山染料工場の賠償指定削除を嘆願。この月、福山市長も同様の嘆願。
0902 呉市に設置の英連邦占領軍放送局(WBTB)、特別放送を開始。
0903 福山市会、福山市戦災復興事業促進を決議。
0903 似島に孤児収容所開設。
0909 生活保護法公布。
0910 離職者・復員軍人・海外引揚者・戦災者など失業者の就業指導のため広島県職業補導所を県内五か所に設置。
0910 広島市銃後奉公会・戦災援護会の解散式ならびに恩賜財団同胞援護会広島県支部広島支会の発会式、市役所で挙行。
1001 広島県連合方面委員会、広島県連合民生委員会と改称。
1009 戦災都市広島・呉・福山の三市、特別都市計画法に基づき、特別都市に指定される。
1014 終戦連絡呉事務局、終戦連絡呉中国事務局に改組。中・四国九県の占領軍との渉外事務を取扱う。
1015 広島県、賠償指定工場(三菱広島工作機械製作所・倉敷紡績広島工場・日東工業川尻工場・旭株式会社・第一産業・帝国兵器羽衣製作所・北川鉄工所・東洋製缶・日本化薬福山染料工場・日本製鋼所広島工場・東洋工業・日本発送電坂発電所・岡本工作機械製作所松永工場)への無断立入、機械・施設の無断持出を禁止。
10 広島市旧西練兵場跡に授産場完成。
1101 広島県地方課の調査による市町村の追放該当者152人。
1101 広島県失業対策実施本部設置規程制定。
1103 日本国憲法公布。
1103 改正憲法公布祝賀大会、広島県・市・放送局・商工会議所・中国新聞社共催により元護国神社前広場で開催。県内各地でも記念行事。
1113 広島県社会教育課、新憲法精神普及運動を開始
追放令該当県議20人辞任。
1126 トルーマン米大統領、米国学士院・学術会議に原爆傷害調査委員会(ABCC)の設置を指令。12月6六日予備調査団、広島入り。
11 日立造船因島造船所、総司令部から民需転換を許可される。
11 この年、コレラ流行。患者169人、死者69人。

出典・参考資料『広島県戦災史』