日本ペンクラブ歴代会長<出典:https://japanpen.or.jp/about/>
代 | 会長名 | 在任期間 | 備考 | |
初 | 島崎藤村 | 1935~1943 | ||
1935年(昭和10年) 外務省の文化事業部関係者と国際文化振興会の斡旋により、11月26日に創立総会を開催。初代会長に島崎藤村、副会長に有島生馬、堀口大學、主事に勝本清一郎、会計主任には芹沢光治良が就任。当時の会名は「日本ペン倶楽部」。事務所を銀座西8丁目の日吉ビルに設置。 |
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02 | 正宗白鳥 | 1943~1947 | ||
03 | 志賀直哉 | 1947~1948 | ||
1947年(昭和22年)2月、旧メンバーを含む文化人多数の手によって「日本ペンクラブ再建大会」を開催。「日本ペンクラブ」の名称や新規約を定め、第3代会長に志賀直哉、副会長に辰野隆、幹事長に豊島与志雄を選出。 | ||||
04 | 川端康成 | 1948~1965 | ||
1948年(昭和23年)6月、第20回国際ペン・コペンハーゲン(デンマーク)大会で日本ペンクラブの国際ペン復帰が承認される。同6月、第4代会長に川端康成が就任。 | ||||
19491126 | 川端康成らヒロシマを訪問(『中国新聞』) | |||
19500415 | 日本ペンクラブ主催「広島の会」。於広島市(『中国新聞』) | |||
1950年 (昭和25年)8月、第22回国際ペン・エジンバラ(イギリス)大会に代表阿部知二、北村喜八を派遣。 | ||||
19510401 | 日本ペンクラブ月例集会。故原民喜の詩碑建設案が提案される。(『中国新聞』) | |||
1951年(昭和26年)6月、第23回国際ペン・ローザンヌ(スイス)大会に代表芹沢光治良、石川達三を派遣。オブザーバー池島信平が参加。 | ||||
19510713 | 原民喜詩碑建立。 | |||
19510921 | 日本ペンクラブ、米文化評論誌に翻訳・掲載される日本の戦後文学作品として原民喜「夏の花」など12作品を推薦(『中国新聞』) | |||
1952年(昭和27年)6月、第24回国際ペン・ニース(フランス)大会に代表小松清、丸岡明を派遣。オブザーバー田村泰次郎、平林たい子らが出席。 | ||||
1953年(昭和28年)3月、ペン『会報』再刊第1号を発行。6月、第25回国際ペン・ダブリン(アイルランド)大会に代表平松幹夫、真杉静枝を派遣。オブザーバー火野葦平、米川正夫が出席。 | ||||
1956年(昭和31年)3月、評議員会で国際ペン大会東京招致を正式に決定。4月、ロンドンの国際ペン執行委員会に代表松岡洋子を派遣。7月、第28回国際ペン・ロンドン(イギリス)大会に小牧近江、松岡洋子を派遣。オブザーバー佐藤朔、田村泰次郎が出席。同大会で第29回国際ペン東京大会開催が満場一致で可決。9月、年次総会で組織を社団法人に改め、会長に川端康成、副会長に青野季吉、芹沢光治良、専務理事に立野信之、事務局長に松岡洋子が就任。 | ||||
1957年(昭和32年)4月、社団法人認可。ロンドンの国際執行委員会に川端康成、松岡洋子を派遣。9月2日?8日、第29回国際ペン東京大会を東京と京都で開催。26カ国30センターから代表者171名、日本ペン会員208名が参加。日本代表は桑原武夫、高見順。 | ||||
1958年(昭和33年)3月、川端康成が国際ペン副会長に選出される。9月、パリの国際執行委員会に伊藤整と滞欧中の今日出海を派遣。 | ||||
1959年(昭和34年)7月、第30回国際ペン・フランクフルト(ドイツ)大会に代表高橋健二、西村孝次を派遣。ゲスト・オブ・オナーに芹沢光治良。 | ||||
1960年(昭和35年)6月、日米新安保条約の批准承認に対する抗議声明を発表。7月、リオデジャネイロとサンパウロ(ブラジル)で開かれた第31回国際ペン大会に代表大和資雄、湯浅克衛を派遣。ゲスト・オブ・オナーに川端康成。 | ||||
1965年(昭和40年)5月、「ベトナムにおける事態を憂うる」声明を発表。10月、川端康成が会長辞任。後任に芹沢光治良を第5代会長に選出。 | ||||
05 | 芹沢光治良 | 1965~1974 | ||
1965年(昭和40年) 10月、川端康成が会長辞任。後任に芹沢光治良を第5代会長に選出。 |
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1967年(昭和42年)3月、『日本ペンクラブ三十年史』刊行。 | ||||
1968年(昭和43年)12月、川端康成がノーベル文学賞を受賞。 | ||||
1970年(昭和45年)6月、第37回国際ペン・ソウル(韓国)大会に阿川弘之、平林たい子を派遣。ゲスト・オブ・オナーに川端康成、草野心平。大会テーマ「文学におけるユーモア―東と西」。アジア作家会議(台北)開催。団長立野信之、他11名が参加。ゲスト・オブ・オナーに川端康成。テーマ「今日のアジアの作家たちが直面している問題」。 | ||||
06 | 中村光夫 | 1974~1975 | ||
1974年(昭和49年)2月、作家ソルジェニーツィン逮捕に対し、即時釈放を求める抗議電報をソ連政府などに打電。7月、金芝河の減刑要請のため藤島泰輔、白井浩司、井口順雄事務局長を韓国へ派遣。記者会見における藤島発言に端を発したジャーナリズムの日本ペン批判、退会者相次ぐ。8月、緊急理事会で藤島発言は個人的見解と発表。9月、緊急理事会で事態収拾のための再建委員会(委員長石川達三)発足を決定、全理事辞表を提出。10月、再建委員会による理事選挙。臨時総会で定款改正、理事改選を承認。11月、新理事会で第6代会長に中村光夫、副会長に山本健吉、桑原武夫、専務理事に佐伯彰一、常務理事に杉森久英、土岐雄三を選任。 | ||||
07 | 石川達三 | 1975~1977 | ||
1975年(昭和50年)5月、石川達三を第7代会長に選出。 | ||||
08 | 高橋健二 | 1877~1981 | ||
1977年(昭和52年)1月、韓国の詩人、金芝河の実刑判決に対する声明を発表。5月、ハンブルクの国際執行委員会に高橋健二を派遣。7月、第8代会長に高橋健二を選任。副会長に杉森久英、田辺茂一、中屋健一、専務理事に土岐雄三、常務理事に井上ひさし、早乙女貢を選任。12月、第42回国際ペン・シドニー(オーストラリア)大会に代表越智道雄、袖井林二郎を派遣。ゲスト・オブ・オナー中屋健一。大会テーマ「文学、アジアとヨーロッパ文化のかけ橋」。韓国で投獄されている金芝河の窮状について深い憂慮を表明するステートメントを発表。 | ||||
09 | 井上 靖 | 1981~1985 | ||
1981年(昭和56年)5月、第9代会長に井上靖を選出。副会長に桑原武夫、杉森久英、中村光夫、専務理事に巌谷大四、常務理事に早乙女貢、三好徹を選任。7月、「教科書検閲に抗議の声明」を発表。 | ||||
1984年(昭和59年)4月、年次総会で会員数が1000名を超えたことを報告。5月14-18日、新宿京王プラザホテルで第47回国際ペン東京大会開催。参加センター45、海外から参加219名、日本ペン会員参加351名、一般参加53名。テーマ「核状況下における文学―なぜわれわれは書くのか」。代表者会議で核兵器の廃絶についての決議案ほか可決。 | ||||
1985年(昭和60年)3月3日、東京において第1回「平和の日」の集い開催(以後、毎年開催)。5月、ブレドの国際ペン平和委員会に井出孫六、小中陽太郎を派遣。 | ||||
10 | 遠藤周作 | 1985~1989 | ||
1985年 6月、第10代会長に遠藤周作を選出。11月、日本ペンクラブ創立50周年記念「ペンの日」懇親会開催。12月、国際ペン東京大会の論集『文学者の声’84』を刊行。 | ||||
1987年(昭和62年)11月、『日本ペンクラブ五十年史』刊行。 | ||||
11 | 大岡 信 | 1989~1993 | ||
1989年(平成元年)4月、第11代会長に大岡信を選出。副会長に梅原猛、大江健三郎、大庭みな子、専務理事に尾崎秀樹、常務理事に高田宏、三好徹を選任。 | ||||
1990年(平成2年)1月、緊急理事会で「長崎市長狙撃事件に対する抗議声明」発表。 | ||||
12 | 尾崎秀樹 | 1993~1997 | ||
1993年(平成5年)4月、第12代会長に尾崎秀樹を選出。副会長に梅原猛、大江健三郎、大庭みな子、三好徹、専務理事に早乙女貢、常務理事に井出孫六、小中陽太郎を選任。7月、「教科書検定に関する声明」発表。8月、臨時理事会を開催。韓国出身慰安婦に関する韓国ペン書簡への対応を討議、謝罪と今後の対応を慎重にする旨の書簡を会長名で韓国ペン会長宛に送付。 | ||||
1995年(平成7年)1月、「差別表現」に関する公開研究会を開催。テーマ「放送界における用語規制の実態」。2月、理事会において「阪神淡路大地震」の被災会員に対する2年間の会費免除を決定。3月、第11回「平和の日」広島の集いを開催。7月、フランスの「核実験再開に対する声明」を発表。 | ||||
13 | 梅原 猛 | 1997~2003 | ||
1997年(平成9年)4月、第13代会長に梅原猛を選出。副会長に井上ひさし、加賀乙彦、三好徹、専務理事に小中陽太郎、常務理事に下重暁子、辻井喬、眉村卓を選任。 | ||||
1998年(平成10年)2月、「イラク危機に対する声明」発表。3月、5月、「諫早湾干拓の現状」を視察(梅原猛、加賀乙彦、小中陽太郎、下重暁子ほか)。「インドの核実験に対する声明」、「パキスタンの核実験に対する声明」発表。9月、第1回「文学の夕べ(作家が語る作家)」開催(月1回、1年間)。「アメリカの未臨界実験に対する声明」発表。11月、「ロシアおよびアメリカの未臨界実験に対する声明」発表。12月、「イラクへの武力行使に抗議する声明」発表。 | ||||
1999年(平成11年)7月、「国旗国歌の法制化についての意見書」を発表。 | ||||
2000年(平成12年)1月、「公安調査庁の日本ペンクラブ等に対する調査監視への抗議と要求」を発表。2月および3月、「アメリカの未臨界核実験に対する声明」を発表。9月、「ロシアの未臨界核実験に対する声明」を発表。 | ||||
2001年(平成13年)12月、9・11テロとその報復としてのアフガニスタン侵攻を機に、講演会「いま『戦争と平和』を考える」を開催。 | ||||
2003年(平成15年)1月、講演会「いま『戦争と平和』を考える」開催。3月、「アメリカ、イギリスのイラク攻撃に抗議する緊急声明」を発表。 | ||||
14 | 井上ひさし | 2003~2007 | ||
2003年(平成15年)4月、第14代会長に井上ひさしを選出。副会長に下重暁子、中西進、眉村卓、専務理事に阿刀田高、常務理事に新井満、高橋千劔破、米原万里を選出。5月、「今回の米英軍等によるイラク攻撃について国連に対して実態調査をするよう要請する」書面をアナン国連事務総長宛に送付。11月、「自衛隊のイラク派遣に反対する声明」を発表。12月、女性作家委員会シンポジウム「女性と戦争Ⅱ―心の『教育』をめぐって」を開催。 | ||||
2006年(平成18年)10月、「北朝鮮の核実験に反対して、関係諸国に非核兵器地帯の拡大を訴える」声明を発表。 | ||||
15 | 阿刀田高 | 2007~2011 | ||
2007年(平成19年)5月、第15代会長に阿刀田高を選出。副会長に下重暁子、中西進、眉村卓を再任。専務理事に浅田次郎、常務理事に新井満、高橋千劔破、西木正明、堀武昭、松本侑子、吉岡忍を選任。 | ||||
2009年(平成21年)5月、「北朝鮮の核実験に抗議する声明」を発表。 | ||||
16 | 浅田次郎 | 2011~2017 | ||
17 | 吉岡 忍 | 2017~ | ||