年表:沖縄・広島 ~1972年

年表:沖縄・広島<作業中

 年月日  事項
1953年
03 06 第4回広島長崎両原爆都青年交歓会、長崎市で開催(~8日)。沖縄代表団6名、オブザーバーとして参加。原爆傷害者の救済などについて協議。8月6日~9日に“原爆の羽”募金運動を行うことを決定。
03 21 広島市三篠小学校の4.5年生約300人、YMCA奉仕グループの河本一郎を囲み「広島と沖縄を結ぶ子供会」を開催。
1956年
07 06 沖縄返還国民運動準備会、広島市皆実町青年会館で開催。同大会は沖縄広島県学生会と県生連が準備。
07 18 沖縄青年連盟代表4人来県。広島・尾道・呉・因島、19日、福山・府中・三次・庄原の各地で沖縄問題実情報告会を開催。
07 20 沖縄問題解決広島県総決起大会、広島市児童文化会館で開催。800名参加。同大会実行委員会を沖縄返還国民運動広島県協議会に改組。
08 11 森滝日記=「被害者生活保護のための行政措置」等に関する決議を盛り込む。「沖縄問題の平和的解決に関する決議」も議論の結果、ついに加える。
09 03 沖縄返還国民運動広島県協議会、初の協議会。現地調査団派遣など決定。
1958年
04 16 社会党、参議院に核実験禁止、日本の非核武装、沖縄施政権返還の3決議案を提出。
1959年
01 18 核兵器搭載のF100戦闘機が太平洋地域の米国空軍基地で炎上。当時の基地は沖縄、韓国、台湾、フィリピン、タイ。
1960年
01 06? 沖縄の久米島で原因不明の病気で4人が死亡。うち3人は長崎で被爆。
03 01 広島県原水協・県安保共闘・県平和委員会、沖縄返還貫徹大行進を迎え、ビキニ被災6周年記念広島県民大会を広島市児童文化会館で開催。1500名。
1961年
03 01 沖縄即時無条件全面返還要求大行進広島県中央集会, 児童文化会館で開く.
04 16 原水協中国ブロック会議・山口県原水協, 「核武装阻止・原水爆禁止・軍事基地反対(沖縄・新島連帯)・岩国原爆基地撤去西日本大会」を開催. 岩国市役所前広場に約1300名参加(広島から約 300名)
1962年
04 28 安保破棄憲法擁護県民共闘会議, 広島労働会館で沖縄返還国民総決起全国統一行動広島県集会.
05 09 「沖縄は極東で核武装できる唯一の基地である」米下院軍事委員会でエイルズ陸軍次官ら証言。
05 10 米第五空軍司令部、「沖縄に1962年夏から水爆積載機を配備」と発表。
1963年
06 09 沖縄返還行進団, 広島入り.
1964年
04 26 沖縄返還要求・呉基地撤廃呉集会. 県下から47団体2500余名が参加.
07 12 沖縄原子爆弾被害者連盟結成
07 33 沖縄県原爆被爆者協議会、結成.
08 31 中国新聞、連載「沖縄の被爆者たち-現地ルポ」(~9月11日,11回).
10 16 佐久間澄広島県原水協(共産党系)理事長「私個人の意見だが、核実験に反対していた中国が実験したことは非常に残念だ。ただ沖縄の問題、原潜寄港、Fl05機の日本移駐問題などのために、日本人の立ち場として中国に抗議できないのをたいへん残念に思う。」
1965年
02 01 沖縄・小笠原返還要求国民大行進広島県実行委員会結成.
02 03 松岡政保琉球政府主席、沖縄在住被爆者救援についてワトソン高等弁務官に問題解決を要請。
02 11 沖縄在住の被爆者について、琉球政府と米民政府の話し合いまとまる。日本政府が専門医を派遣、原爆医療法なみの適用、費用の日本政府負担など。
02 12 琉球立法院、沖縄在住の原爆被爆者にたいし、本土原爆医療法に準ずる対策を進めるよう決議。
03 16 沖縄在往の原爆被爆者にたいする医療について日米間で合意。医療専門家を派遣して医学的調査を行ない、その結果必要があると認められた者は本土の医療施設で治療する。
04 02 「沖縄に住む原爆被爆患者に対する専門的診察と治療に関する了解覚書き」発効。
04 05 沖縄祖国復帰協議会、「沖縄の被爆者に原爆医療法が適用されていないのは憲法違反」として違憲訴訟を計画。
04 06 沖縄原爆被爆者医学調査団第一班、那覇で調査開始。-20日。
04 14 広島の原田東岷、水野宗之両医師、沖縄在住の被爆者診療調査団に参加するため出発。29日、帰任。
05 01 総理府、沖縄在住の原爆被爆者医学調査の結果を発表。検診を希望した者184人、このうち原爆医療法の規定による被爆者と認められる者は広島での被爆者62人、長崎被爆者110人、合計172人。
05 11 原爆被爆者医療審議会、沖縄在住の原爆被爆者のうち13人(広島被爆9人、長崎被爆4人)を原爆医療法に基づく認定患者にすることを内定。
08 01 平和を守る青少年広島大会開く。平和記念公園に沖縄、西日本各地から学生、青年男女千人が参加。
08 20 沖縄在住原爆被害者連盟が沖縄訪問の佐藤首相に陳情。「①原爆医療法を沖縄の被爆者に適用する②政府の実施する被爆者実態調査の対象に沖縄被爆者も含める③沖縄被爆者の三十二年原爆医療法制定以来の医療費を政府が負担する」
09 09 沖縄在住原爆被爆者が東京地裁に原爆医療費を払えと国を訴える。原告丸茂つるら五人。「日本国民は法の下に平等で、沖縄県に居住する被爆者も本土の被爆者と同様の保障を当然受ける権利があり、国は原告らの医療費計30万2488円を支払え」
09 17 沖縄・小笠原返還同盟広島支部, 広島市平和記念館で結成大会.
09 24 沖縄の原爆被爆者11人が本土で治療のため出発。広島へ9人、長崎へ2人。
09 26 沖縄の被爆者与那嶺盛徳ら男五人、女四人が広島原爆病院に入院
10 07 広島県原水協代表, 広島原爆病院に入院中の沖縄被爆者を見舞う.
11 02 第8回日米協議委員会で、沖縄の原爆被爆者(137人=総理府調ベ)に本土並みの定期検診や治療対策決まる。1966年度から実施。予算約600万円。
12 05 沖縄近海の太平洋で、米国空母タイコンデロガから核兵器を搭載したA4攻撃機が滑り落ち、核兵器は行方不明。89年5月に明るみに。
12 08 東京地裁、原爆医療費と渡航制限をめぐる沖縄違憲訴訟の第2回口頭弁論。国の答弁書=「沖縄には潜在主権があるが、その施政権は米国に属する特殊地域であり、とくに沖縄住民にも適用する趣旨で制定された法律以外は適用されない。」
1966年
03 17 沖縄・小笠原返還要求広島県実行委員会結成
05 19 米国KC135給油機が沖縄の嘉手納弾薬庫近くに墜落。車の住民1人が巻添え死亡。
06 25 沖縄・小笠原返還同盟広島県本部結成.
1967年
04 07 沖縄・小笠原返還要求広島県実行委員会結成.
08 03 -5 日本原水協の呼びかけにこたえて広島原爆病院, 広島原爆被爆者福祉センター, 民医連福島病院で県外にいる被爆者の特別検診. 沖縄・北海道をはじ   め, 第13回原水爆禁止世界大会広島大会に参加した県外の被爆者38人が受診
10 02 安芸郡府中町議会, 被爆者援護法制定・沖縄返還要求を決議.
1968年
01 02 米国B52爆撃機が沖縄・嘉手納弾薬庫と飛行場の境界地域に墜落。
02 29 ビキニ被災十四周年原水禁、核武装阻止、ベトナム反戦、被爆者救援全国大会。原水禁国民会議主催。静岡市公会堂で。全国代表約千人。三月一日まで。アピール「沖縄の即時無条件全面返還と〃日本非核武装宣言〃を実現しよう」
03 01 ビキニ被災十四周年、三・一ビキニデー中央集会。日本原水協主催。焼津市体育館に二千人。沖縄即時無条件全面返還、被爆者救援強化などを決議
04 20 沖縄・小笠原即時無条件全面返還要求広島県中央集会. 広島市見真講堂に 200人参加.
07 02 広島市・長崎市・朝日新聞社、「ヒロシマ・ナガサキ原爆展」を本土9会場(福岡・熊本・北九州・東京・名古屋・静岡・横浜・京都・四日市)と沖縄で開催。~11月28日。[広島原爆資料館][「遺品は語る」]
08 14 被爆23周年原水禁世界大会・沖縄国際会議。原水禁国民会議主催。琉球大学で1000人参加。15日まで
09 06 沖縄・那覇軍港の海底泥からコバルト60を検出。原潜寄港・汚染問題調査研究委員会が発表。「原潜から放出された一次冷却水に含まれているコバルト60に間違いない」
10 27 安保破棄・諸要求貫徹広島県実行委員会, 呉市で「米軍弾薬輸送反対・軍事基地撤去・沖縄三大選挙勝利・ベトナム人民支援・安保条約廃棄・物価値上げ反対・被爆者救援・秋闘勝利広島県民大集会」を開催. 3000人が参加.
11 19 米国B52爆撃機が沖縄・嘉手納弾薬庫近くの飛行場に墜落。16人が重軽傷、住宅などにも被害。
1969年
02 04 県労主催の B52撤去・原潜「寄港」阻止・総合労働布令撤廃・沖縄即時無条件全面返還要求広島県中央集会, 県庁前で開催. 1500人参加. 庄原では地区労が共・社両党に呼びかけ 200人参加.
02 24 厚生省派遣の沖縄被爆者医療班、東京を出発。メンバーは内野治人広島大学原医研教授ら3人。1965年・66年に続き3回目。
03 16 安保条約廃棄・沖縄全面返還・統一戦線促進などを中心スローガンに全国統一行動.3 ・16広島県民大集会. 広島県庁前広場に3000人が参加.
06 323 安保条約廃棄・沖縄全面返還・大学立法と反動諸法案粉砕・第15回原水爆禁止世界大会成功 6・23広島県中央集会, 県庁前で開催. 28団体 800人参加.
07 19 ベトナム反戦・広島と沖縄を結ぶ原水禁広島県大会。広島市社会福祉センターに200人。沖縄原水協の仲吉良新理事長出席。沖縄への医師団派遣、広島と沖縄の交流強化など決議。
08 03 原水禁国民会議の被爆二十四周年原水禁大会閉会総会。東京・台東体育館に六千人。七○年核安保反対、沖縄奪還、被爆者救援など決議
08 04 日本原水協の第15回原水禁世界大会本会議。広島県立体育館に1万2000人。五日まで。「アメリカ帝国主義のベトナム侵略戦争反対、ベトナム人民支援」「沖縄の核基地撤去、即時全面返還」「七○年核安保廃棄」「核兵器完全禁止、被爆者救援」を柱
08 13 被爆24周年原水禁世界大会沖縄大会。原水禁国民会議主催。那覇で十五日まで。喜屋武真栄沖縄復帰協会長、「月はやるから沖縄はよこせ」
11 08 公明党、沖縄基地総点検で核、化学・生物兵器の配備を確認と発表
11 21 ワシントンで日米首脳会談、沖縄の一九七二年、「核抜き」返還決まる。日米共同声明第八項「佐藤首相は核兵器に対する日本国民の特殊な感情およびこれを背景とする日本政府の政策について詳細に説明した。これに対し、ニクソン大統領は深い理解を
1970年
04 28 共・社・県労などによる 4・28沖縄即時無条件全面返還・安保条約廃棄全国統一行動広島県中央集会, 県庁前で開催. 54団体・6500人参加.
06 23 安保条約廃棄・沖縄即時無条件全面返還・毒ガス撤去・弾薬輸送反対 6・23広島県中央集会, 県庁前で開催. 1500人参加. 県内20地区で統一行動を展開,  5万人参加.
08 03 日本原水協の世界大会本会議閉幕。ベトナム人民支援決議、沖縄の核基地毒ガス抜き返還、被爆者救援活動の前進、第五福竜丸保存運動の強化を決議。「原水禁運動の統一」に関する七〇年アピール採択
1971年
05 23 「基地のない平和で豊かな沖縄を返せ!真の沖縄返還をめざす全国キャラバン」来広.
06 17 日米両国が沖縄返還に同時調印
06 23 原水禁(社会党・総評系)が沖縄核兵器実態調査の結果発表①沖縄貯蔵の核兵器はほとんど戦術核で約千発②場所は沖縄本島の読谷村、美里村、久志村の三カ所
07 20 原水禁国民会議(社会党・総評系)の被爆二十六周年原水禁世界大会、沖縄で開幕。二十三日まで
08 15 日本原水協の原水禁沖縄大会
10 27 ロジャーズ米国務長官、沖縄の核兵器撤去を上院外交委で言明.
11 07 弾薬輸送反対・米軍基地撤去広島県民共闘会議, 軍事基地(黄幡・秋月・川上)即時全面返還・沖縄返還協定批准阻止広島県中央集会を呉市役所広支所前で開催. 62団体・2000人参加.
11 13 沖縄協定批准反対・アムトチカ核実験抗議・被爆者援護法要求・国際共同行動広島集会.
11 16 社会党の楢崎弥之助代議士、衆院沖縄返還協定特別委で「岩国の米軍基地に核兵器貯蔵の疑いがある」と政府追究。同基地貯蔵庫は核兵器の取り扱いを決めた米軍事故防止点検表に出てくる核貯蔵庫の基準に合致していると指摘
11 19 沖縄協定の強行採決に抗議して, 広島・福山・呉など県下13地区で13万人が集会・デモに参加. 22日にも県中央集会開催. 4300人参加.
11 24 沖縄返還協定、衆院通過。社共欠席。自、公、民三党で非核決議
1972年
01 18 日本原水協と沖縄在住被爆者との交流に,広島から田辺勝広島県被団協理事長と福島生協病院の田阪正利院長, 三村正弘相談員が参加, 現地で交流・調査・検診活動.
01 20 日本原水協(共産党系)の沖縄県被爆者激励・医療調査団(小佐々八郎団長)、沖縄へ出発。二十八日まで
03 01 日本原水協のビキニデー集会に参加したアル・ハバド(反戦ベトナム帰還兵の会書記長・元米空軍曹長)、日本に核を持ち込んだと証言。「一九六○-六三年に二、三十回にわたり日本本土と沖縄の米軍基地に核兵器を運んだ」。八日、広島も訪問
03 15 沖縄協定批准書交換抗議・全軍労連帯スト・春闘勝利全国統一行動. 県下各地で集会・デモ.
05 15 沖縄、日本に正式復帰
05 15 沖縄協定発効に抗議する全国統一行動. 広島県中央集会, 県庁前で開催. 2600人参加. 三次・三原・尾道でも集会.
07 13 原水禁国民会議(社会党・総評系)の被爆二十七周年原水禁世界大会沖縄大会。那覇市で。十七日まで
08 09 長崎市、平和祈念式典を開催。7000人が参列。金城秀一沖縄県原爆被害者協議会理事長、原爆死没者名簿を奉安。広島の代表も初参加。平和宣言、世界平和旬間を提唱。
08 14 日本原水協の第十八回原水禁大会沖縄大会。那覇市で十六日まで
09 23 日本被団協、沖縄各地で原爆被爆者の実態調査を実施。沖縄被爆者協議会と始めて懇談。-26日。