【論!2010】
「被爆者」にこだわるべき 宇吹暁さん
2010年01月13日(朝日新聞)
原爆投下から65年となる被爆地・広島が果たすべき役割について、宇吹暁・広島女学院大教授=日本現代史=にインタビューした。戦後の平和運動やマスコミ報道の変遷を研究してきた宇吹さんは「広島は被爆者にこだわるべきだ」と説き、「まだまだやるべきことがある」と指摘する。(加戸靖史)
▽▽▽6日付掲載の対談記事で、平岡敬・元広島市長(82)が「広島に平和思想があるか」と疑問を呈しました。
平岡さんは被爆者の同世代人としてそう感じているのだろう。広島には多様な流れがあり、そのトータルが「思想」のはず。それがないと見えること自体に私は危惧を感じる。
▽▽▽昔は違ったと。
1950年代末から60年代にかけて、被爆者運動を支える理論づくりを担ったのは広島だった。残留放射能の問題を提起したのは庄野直美広島女学院大名誉教授。原水禁世界大会の宣言の起草も、広島の知識人が支えていた。
▽▽▽平岡さんは思想が生まれない理由について「論争」がない点を憂えています。
私が学生だった60年代後半は、原水禁世界大会が論争の場だった。強い主張を持つ被爆者や知識人も多かった。そうした人たちがいなくなっているのは確か。原水禁運動や被爆者運動自体に「匿名性」が強まっている。
▽▽▽60年代には原水禁運動内の対立が激化し、県被団協は64年に分裂しました。
日本被団協初代事務局長の藤居平一さん(故人)に分裂批判について直接聞いたことがある。「当たり前よ。最初から分裂しとった。多くの被爆者がいたから。そこに政党が横やりを入れてきた」と。被爆者が当初は一致団結していたかのような幻想をマスコミが振りまき、「分裂」が既成事実化した。さらに「分裂」後は各勢力が被爆者援護を勝ち取る競争を始めた。運動の中心が政府に近い東京へ移り、被爆者がまつりあげられる傾向が出てきた。
▽▽▽その被爆者の高齢化も今や待ったなしです。
広島、長崎のキーワードはやはり「被爆者」であるべきだ。チェルノブイリ原発事故(86年)の時は、広島の被爆者援護の例がずいぶん必要とされた。そうした面で世界から期待されている。だから広島はもっとこだわらないと。
▽▽▽具体的には。
まず被爆者に関する資料収集。被爆者健康手帳の申請書類は貴重な資料だが、広島、長崎以外の地方では散逸の懸念が出ている。個人収蔵の資料もそう。詩人・栗原貞子資料は公的機関ではなく、広島女学院大に寄贈された。本来は平和記念資料館や国立広島原爆死没者追悼平和祈念館などがもっと積極的に収集機能を果たすべきでは。
▽▽▽平和記念資料館では、有識者による展示の見直しが話し合われています。
私自身が委員だが、現行の展示をどうするかという論議に終始してしまっている観がある。年間130万人強が入館する博物館は全国にもあまりない。広島市としてここから何を発信したいのか。もっとはっきりした方向性があっていいのではないか。
▽▽▽期待されているのはどんな役割でしょう。
資料館のホームページにある情報は原爆に関する一般論がほとんどだ。現代はインターネットで容易に情報収集できる。だから個々の被爆者に関する情報をいかに発信するかが大切になるはずだ。
平和記念公園の原爆死没者慰霊碑には約26万人の名簿が納められている。広島で被爆した人が約15万人生存しているとみると、将来は40万人余りの名前が残ることになる。それだけの数の生と死を語るのならば、広島がやるべきことはまだいくらでもある。
▽▽▽マスコミはどんな役割を果たすべきですか。
政府や海外の動きにもっと鋭く反応し、裏を探る報道がほしい。01~06年に首相だった小泉純一郎氏の平和記念式でのあいさつは徐々に短くなり、最後は就任当初の2分の1ぐらいになったが、どのマスコミも指摘しなかった。毎年あれだけのスペースをさいて報道しながら、公表された事実を要約しているに過ぎないのではないか。マスコミは妙に物わかりがよくなってはいけない。