広島県知事、県・市議会議長の式辞
広島県知事の式辞 昭和27.8.6
講和発効後はじめての原爆死没者慰霊ならびに平和記念式典の挙行せられるに当り,謹んで犠牲者諸霊の冥福を祈り,平和の基礎いよいよ強固ならんことを念ずるものであります。
われわれは今日国家として一応の平和と独立をかち得ましたが真に平和と独立の名に価する新しい日本をうち建てるためにまた平和都市広島の建設に,原爆犠牲者諸霊の加護いよいよ厚からんことを願うものであります。
昭和二十七年八月六日
広島県知事 大原博夫
広島県議会議長の式辞 昭和27.8.6
ギリシヤ神話のプロメシウスの火を第一の火とするならば,原子爆弾こそは第二の火と言へませう。
この第二の火神に犠牲として捧げられた広島県市民はこの土地が平和の発祥地として全世界の聖地となるの日まで,不断の祈りと絶ゆまざる勤行をつづけなければならぬと信じるのであります。
昭和二十七年八月六日
広島県議会議長 桧山袖四郎
広島市議会議長の式辞 昭和27.8.6
茲に慰霊式並びに平和記念式典を挙げるに当り,全日本並に世界全人類から寄せられたる厚き友情に対し,広島市民を代表し,謹みて深き感謝を棒げる次第であります。
一瞬にして二十万の生命を消し去った,あの八月六日の体験を反省する時,我々が今創るこの平和精神こそ,文明の悲劇に対する市民の愛情に外ならぬのであります。
平和を唱え,理想を説きつつも帰らざる二十万の魂に応える広島の倫理は,茲に納める五七,九○二柱の過去帳に記録され,この慰霊碑の空遠く,人類の祈りに繋がってゆくのであります。
我々は,茲に産業を興し,子孫を育て,都市を創らんものと今三十万市民の健康と文化は,押し進められつつあるのであります。
今は呼べど答えず,叫べど帰らず,淋しくも二十万の遺骨は今尚我が足下に眠っているのである。されど,その生命は,同胞が死と共に完成せんとした平和への肉体であったのであります。
今や新らしき世界平和の苦悩と,規律の中に広島市民の素朴と真理の歴史は厳粛に甦生したのであります。さればこれを,全人類の愛と正義に訴え願くはこの平和の鐘に,市民の栄光と,正しき希望の永遠ならんことをこひ願ふものであります。
昭和二十七年八月六日
広島市議会議長 永田百太郎
〔広島市役所蔵〕