広島市平和式典広島県知事、県・市議会議長の式辞(1953年)

広島県知事、県・市議会議長の式辞
1953(昭和28).8.6

広島県知事のメッセージ
メッセージ

世に数ある記念日のうちで,この八月六日の戦災記念目ほど私どもの心を打つものはありません。いまここ緑の芝生に包まれた慰霊碑の前に立って静かに冥目すれば,八年前のあの凄惨な広島市の姿が,まざまざと思い浮ぶのであります。

「惨劇を二度と繰り返すまい」これは広島市民の固い決意であるとともに,また全人類の悲願でもあります。世界の現実は必ずしもこの平和への聖なる祈りの通りには動いておりませんが,広島から打鳴らされる平和の鐘の音は,世界の人々の良識を最も強く喚びさますものであることを信じて疑わないのであります。私はけうのこの意義ある式典に列して謹んで死没者諸霊の冥福を祈り,御遺族近親の方々の御多幸を念してやみません。

昭和二十八年八月六日

広島県知事大原博夫

 

広島県議会議長の式辞

あれからもう,九年になります。

あの日の惨状を忘れたかのように,復興への歩みが,黙々と続けられ,ゆるぎない,平和都市へ向っての建設が,なされつつあることは,お互いにうれしい思いがするのであります。

しかしそこには,永い虚脱から立ち直った,激しい苦闘があり,一鍬一鍬が悲憤の涙を以って,打込まれたことであり,真の平和への市民の悲願が,刻みこまれたことを思いますと,まことに,敬虔な念にうたれるのであります。

今思い出も新たに八周年を迎えまして,あの日,あの時を追憶しあの日の惨めな姿が,まざまざよみがえって来るのであります。

この残虐極まりない暴挙に対し,吾々は,東洋的習性によって運命的に片づけてはおりますが,原爆の投下を肯定し,之を平和のための使用たとする考え方は,まことに非人道的であり,断じて許さるべきことではないのであります。

謹んで,地下に眠る人々の冥福を祈りつつ,もう一度「広島は繰返すな」をさけぶものであります。

昭和二十八年八月六日

広島県議会議長 桧山袖四郎

 

広島市議会議長の式辞
式辞

皆さん。世界の皆さん。また思い出の日が来ました。

くる年も,また今年も,父を還せ,子供を還せ,或は私につながる人間を還せといい,市民の皆さんは,今尚平和の広島を還せと叫びつづけている時であります。この平和となぐさめにつながる,この市民の祭の今日も,遠く世界の果に,或は人類のすべてのものの仲に,この平和の声は,あの沢山の市民を犠牲にしたものに対し,平和の世界をかえせと新しい挨拶を迭るのであります。

我々はここに進歩の歯車を押し,そして広島の文化とか芸術とか,スポーツとか,そしてすべての世界の人間の新らしい歩みを,この広島から創るのであります。されば今,私はこの我々の肉親の眠っているこの砂の上に立って,日本の国民の先頭に立った,平和の戦士が出る。日本の為,世界の人の為になる立派な広島人をつくらねばならぬことを,今ここから世界に向って告げるものであります。と同時私はこれを,広島市民の名に於て,或は全人類の平和とか,自由とかいう名に於て,ここにあらゆる世界の人の良心に向っての市民の挨拶とするものであります。

昭和二十八年八月六日

広島市議会議長 池永清真

〔広島市役所蔵〕