マスコミの関心(平和式典への関心)

平和式典への関心

(4) マスコミの関心
日本のマスコミは、平和式典を初期の段階から積極的に報道した。NHKは、1947年(昭和22年)の第1回から実況放送を行なっている。47年は、ローカル放送であったが、48年と49年には、全国中継がなされた。51年と52年は、ローカルに戻ったが、53年以降、再び全国放送となり現在に至っている。広島局のテレビ放送が、56年3月に開始され、16ミリフィルムなどで取材された式典の模様がニュースとして放映された。テレビ中継は、開局から3回目に当たる58年から始まった。当時、広島局にはテレビ中継車は配備されておらず、中継は、福岡から派遣された中継車と技術スタッフが担当した(『NHK広島放送局60年史』)。
広島の民間放送局は、1952年10月に中国放送(ラジオ)が開局したのを手はじめに、59年4月の同局のテレビ、62年9月の広島テレビ放送、70年12月の広島ホームテレビ、75年10月のテレビ新広島と続いた。中国放送は、53年8月6日午前8時から30分間、平和式典を実況放送したが、これは、大阪朝日放送、ラジオ九州、ラジオ長崎などに中継された。テレビ各局も、開局直後の平和式典から中継を継続的に行ない、系列局を通じて全国各地に放映されている。
中国放送は、1970年の式典の模様を、8時13分から17分までの4分間、米国CBS系を通じて衛星中継した。この中継は、式典の衛星中継としては初めてのものであり、中国放送-TBS-国際電電十王無線局(茨城県)-インテルサット3号-CBSのルートで送られた。NHKは、89年の8月5日午後3時から7日午前0時までの33時間、衛星第2放送で「BSサマースペシャル-ヒロシマから世界へ、世界からヒロシマへ」を放送し、この中で式典の模様を世界に伝えた。NHK衛星第2による同様の放送は、90年と91年にも実施されている。
新聞各社も、式典の模様を報道し続けてきた。報道は、地元紙のみでなく、全国紙においても行なわれた。たとえば、朝日新聞(東京版)は、すべての式典を報じており、しかも、そのほとんどは、夕刊一面のトップかそれに準ずる扱いをしている。また、各紙は、早い時期から、8月6日前後の社説で平和記念日に言及している。朝日、読売、毎日、日経各紙の社説を追ってみると、この日に関連した社説は、1949年8月6日の朝日(「広島に残る“生きた影”」)、毎日(「平和のいしずえ」)、日経(「原爆4周年を迎う」)の社説を始めとして、51年朝日「原爆6周年」、52年朝日「“力による平和”への反省」、53年朝日「原爆貯蔵量と国際情勢」、毎日「原爆の日に思う」、54年朝日(「原子兵器の使用禁止」)、読売(「原爆記念日に答えるの道」、毎日(「原子力を平和の道へ」)と続き、55年以降は、4紙が、ほぼ毎年、8月6日前後に、広島・長崎に関連した社説を掲げ続けている(日経の場合、8月6日前後に原爆に関連した社説の無い年は、56年・66年・68年の3年)。これらから、日本の全国紙が、戦後の早い時期から原爆被害や平和記念日を特別の被害あるいは特別の日として意義づけてきた ことを知ることができる。こうした意義付けは、現在では多数のローカル紙においても見ることができる。表10は、91年8月6日前後のローカル紙の社説である。