丸屋博『ヒロシマ随想 医師として被爆者として』(丸屋博著・発行、19930701)
内容
章 | タイトル | 備考 |
1 | 医療について | |
私は鳩I -花叉は春- 10 赤茶けた一枚の写真 13 医療生協考 14 医療における人間関係 16 老人保健法雑感 17 入院の記 -医師として患者として- 20 一日一日を生きる 24 宇宙船”地球号” 26 生協・病院は生きている 27 サーボ・ベンチレーターは誰のものか 29 「がん告知」について 31 広島医療生協二十歳 37 住民と共に歩む -広島医療生協二十年に想う- 39 世界らん会議と地獄医療 43 地域の中へ 地域と共に 45 医療は開かれなければならない 52 一生に三世を経るか? 54 ある老婆の死 57 精神の深さを耕すことを 59 いのちを支えるもの 61 |
||
2 | 反核平和について | |
私は鳩II -炎叉は夏- 66 原爆と詩と 70 かけがえない平和を守るために 74 何故「原爆カルテ」なのか 76 被爆医療をすすめるために 78 被爆者として医師として -2,000枚の被爆者カルテから- 81 ヒロシマと広高と 86 僕のヒロシマ 91 ヒロシマの川辺で 95 生協原爆被害者の会 岩国基地を見る 97 歴史の歯車を逆行させてはならない -SSDIIIに代表を送る- 103 アウシュヴィッツとヒロシマに集う -IPPNW 第9回国際大会-112 湾岸戦争に思う 121 日本の戦後処理は終わっていない 122 |
||
3 | 詩のことなど | |
私は鳩III -川叉は秋- 126 私の八月六日 130 心を組む 132 いのちあるもの 133 ひ弱な少年の記憶 136 八月のヒロシマ 137 「ふんい気」考 -映画”冬のリトルボーイ”によせて- 139 ヒロシマの空に 141 詩と愛と -峠三吉没後三十年碑前祭に- 139 蝶蝶 145 生きることの意味 146 春の庭 147 一鉢のおもと 148 いのちのうた 149 田に柴を入れる 151 一冊の詩集 152 詩集評 人間と祖国を愛するでっかい歌 155 現代詩の根源を問う -『御庄博実詩集』に寄せて 157 宇野重吉一座の幟と医療と -宇野重吉の想い出- 161 夾竹桃の花の赤さに 166 季節のうつろいに 169 小医は病を癒し 中医は人を直し 大医は国を治す 170 絵にはヒロシマの川の匂いがある -四國五郎展によせて- 174 一日看護婦体験 175 石楠花碁会のことなど 176 |
||
4 | 再び医療について | |
私は鳩IV -雪又は冬 180 藁ぞうりの上履 184 雪の下で 188 二十五歳の民医連と僕 190 被爆二世の健康を考える 191 病院増改築ののちにくるもの 192 広島民医連医報 巻頭言 199 独語独賛のことなど 201 SSDIIIへ代表を送る 203 『御庄博実詩集』と僕 204 「聴診器」書評 -いのちのうたが聞こえる- 205 閉鎖状況を打ち破るもの 207 映画「千羽づる」を観て 211 IPPNW・第9回世界大会 212 「夏まで?では困るという話」(書評)213 出雲平野のレンゲ畑に 215 ヨーロッパの自治意識にふれて 218 |
||
付録 被爆医療について(講演採録)225 | ||
1.核時代 | ||
2.人体影響 | ||
3.原爆の異常性について | ||
4.放射線被害の特性 | ||
5.原爆症追及の方法 | ||
6.現行法 | ||
「翔る」第13号別冊 1988・12 | ||
原水爆禁止世界大会・科学者集会報告(1990・8) | ||
あとがき | ||
丸屋博略歴 | ||
筆名 御庄博実 | ||
1925年 山口県岩国市生まれ | ||
旧制広島高等学校、岡山大学医学部卒 | ||
東京・代々木病院、倉敷市・倉敷協同病院・広島共立病院を経て、現在広島共立病院名誉院長。 | ||
止