2023年10月(日録)
日 | できごと |
01 | [日] 桜ヶ丘実家の整理。 |
02 | 母屋北側書庫の本の大部分を暁書庫に移動。 |
03 | 母屋北側書庫の残りの本の大部分を書庫に移動。 |
04 | 母屋北側書庫の本の配置換え。 |
05 | 母屋北側の本・その他を暁書庫に移動。 |
06 | 広島より二人来宅。「まどうてくれ」の録音テープ、資料調査通信などを持ち帰る。 |
07 | ヒロシマ遺文への投稿=「資料年表:吉田治平」、「原爆放射能医学研究所沿革(抄)」 |
08 | [日] ヒロシマ遺文への投稿=「資料年表:村上経行」、「広島のねがいを国政へ 活躍する、村上経行さん」、「平和に生きる(村上経行後援会」。 |
09 | 桜ヶ丘の母屋北側の書庫にある本の移動。 |
10 | 桜ヶ丘の母屋北側の書庫にある本の移動。 |
11 | 桜ヶ丘の母屋の遺品の移動。一応終了。 |
12 | 桜ヶ丘へ。中国電力ネットワークの車。電線とメーターを撤去。 |
12 | 桜ヶ丘へ。遺品整理人(3人)と会う。農機具・自転車・肥料など母屋から私の倉庫の畑に移動。 |
13 | 桜ヶ丘へ。コンクリートブロックなど母屋から私の倉庫の畑に移動。 |
14 | 桜ヶ丘の書庫で見つけたMOドライバーで過去のデータの閲覧。 |
15 | [日] 桜ヶ丘へ。コンクリートブロックなど母屋から私の倉庫の畑に移動。焼山・高尾神社の秋祭り。見学する気力なし。 |
16 | ヒロシマ遺文への投稿=「財団法人放射線影響研究所年報に見る放影研の「国際化」」、「原子爆弾後障害研究会で取り上げられた海外のヒバクシャ」。 |
17 | 桜ヶ丘へ。倉庫の畑に移動したコンクリートブロックの整理。 |
17 | ヒロシマ遺文への投稿=「ヒロシマあの時、原爆投下は止められた いま、明らかになる悲劇の真実」 |
18 | 桜ヶ丘へ。芋堀。午後、倉庫・南側の境界をコンクリートブロックで整理。 |
19 | ヒロシマ遺文への投稿=「総評20年史02編 総評結成にいたるまで(1948-49年)」、「総評20年史03編 総評の発足と発展(1949-51年)」 |
20 | K、広島より雨の中直接桜が丘の倉庫へ。藤居平一テープ起こし資料を持ち帰る。 |
21 | 桜ヶ丘へ。畑の柿と梅の枝の剪定、草抜き。 |
22 | [日] ヒロシマ遺文への投稿=「総評20年史07編 「大」安保・三池闘争(1959-61年)」、「総評20年史08編 労働戦線の流動化(1961-63年)」 |
23 | 桜ヶ丘へ。畑北側に桜の枯葉(政畝公園)のためのコーナーを造る。 |
23 | ヒロシマ遺文への投稿=「総評20年史09編 険悪な情勢下、春闘の前進(1963-64年)」、「総評20年史10編 日韓条約、ベトナム反戦闘争(1965-67年)」、「総評20年史11編 闘争局面の拡大と深化(1967-69年)」、「総評20年史12編 70年安保闘争(1969-70年)」 |
24 | 焼山木村眼科。一応完治。来院不要とのこと。 |
25 | ヒロシマ遺文への投稿=「資料年表:河合護郎」 |
26 | ヒロシマ遺文への投稿=「2023年10月(日録)」、「瀬長亀次郎」、「資料年表:瀬長亀次郎」、「資料年表:大牟田稔」、 |
27 | ヒロシマ遺文への投稿=「資料年表:犬丸義一」 |
28 | ヒロシマ遺文への投稿=「資料年表:今堀誠二」 |
29 | [日] ヒロシマ遺文への投稿=「資料年表:荒井信一」 |
30 | ヒロシマ遺文への投稿=「松尾雅嗣」 |
31 | ヒロシマ遺文への投稿=「資料年表:松尾雅嗣」、「2023年11月(日録)」 |
止