『あすへの遺産 長崎被災協結成35周年記念誌』(長崎原爆被災者協議会、19910809)
内容作業中
部 | 備考 | ||
1 | 被災協三十五年の歩み | ||
1 | 前史(1945~1955) | ||
戦災者連盟の発足 原爆乙女の会の結成へ 原爆青年会も結成へ |
|||
2 | 揺藍期(1956~1960) | 09 | |
初代会長に杉本亀吉氏 原水禁世界大会ひらく 日本被団協の結成 原爆医療法の成立 安保改定をひかえて 原水禁大会に脅える政府・自民党 特別被爆者制度できる |
|||
3 | 内外多難ななかで(1961~1970) | 24 | |
国際交流も活発化 世界大会も援護法で特別決議 再開された核実験 法人となった長崎被災協 核禁会議結成の余波受ける 原水禁大会に新たな困難 原水禁運動の混迷 「援護法」への決意新たに 東京地裁の原爆判決 衆・参両院で援護強化の決議 原水禁運動の統一をねがって 日本被団協運動へも影響が… 中国五番目の核保有国になる 被爆者会館の建設へ 国民の平和への関心が高まるなかで 被爆者会館の落成 はじめての厚生省調査 機能を回復した日本被団協 被災協の授産事業はじまる 総選挙で候補者にアンケート 援護法制定へ大行動を展開 数寄屋橋での坐り込みも 全国行脚がスタート 自民党、小委員会を政調会に設置 被爆者特別措置法が可決・成立 原子力空母長崎へ 特別措置法の実態 まやかしの「二法」をこえて つぎはハンストも辞せず 被爆者団体の結束はかる 被団協、代表委員制へ |
|||
4 | 『援護法』案いよいよ国会へ(1971~一1980) | 75 | |
援護法・要求骨子の策定へ 佐藤総理広島へ 自民党調査団長崎へ 援護法にかたくなな政府・自民党 被爆二世に痛ましい犠牲がつづく 立ち遅れていた二世問題 被爆者を理由に用務員をクビ 原爆病院での病棟閉鎖 援護法の要求骨子を発表 積極的に受け止められた「骨子」 要求実現へ大規模な中央行動を設定 長崎でも積極的な行動展開へ 厚生省まえでの座り込みを強行 田中角栄、私邸で面会を承諾 野党四党の共同提案で援護法案衆議院へ 援護法案は廃案となったが… 衆・参両院で被爆者代表が意見陳述 被爆者対策費は前年の64%増 欠陥原子力船むつ佐世保へ 三木総理、長崎の平和祈念式典へ 核兵器禁止国際条約の締結を! NGOシンポの開催へ 援護法予算の試算を発表 延べニ〇〇〇名の中央行動 国際シンポジウムひらく 長崎原普協の結成 NGO・ジュネーブで国際会議 最高裁、孫振斗事件で判決 第一回国連軍縮特別総会開幕 原水禁運動の統一へ 動き出した市民懇 「基本懇」が発足 ノーモア・ヒバクシャ訪米の旅へ 第二次全国行脚はじまる 「基本懇」が現地を調査 ダブル選挙で自民勝利 市民懇とともに中央大行動 基本懇、『意見』を答申 被団協、基本懇に抗議 |
|||
5 | 「基本懇」をのりこえて(1981~1990) | 128 | |
「国民法廷」運動始まる 好評、長崎での「国民法廷」 ローマ法王の来崎 定着はじめた語り部活動 活発化した国際活動 SSDⅡへ八名参加 受忍論はねかえす大運動へ 西日本懇問題が浮上 被団協の組織への「友の会」の介入 克服された組織的混乱 中央行動に一〇〇〇人 ヨ~ロッパに高まる核兵器への不安 被爆者要求調査にとりくむ 被爆者の「基本要求」の策定へ 被爆者援護法への国民の合意 四〇年目の八月九日 二つの被爆者調査 野党共闘にきしみも 統一乱れた原水禁大会 原爆被害を浮き彫りする調査結果 厚生省を取り囲んだ折り鶴人間の輪 香焼町役場で反核看板撤去 八八全国運動の展開へ 長崎原爆松谷訴訟はじまる 被爆四十五年には援護法を! 参院での賛同署名過半数を突破 援護法案、参院で可決 右翼、本島市長を狙撃 原爆死没者調査の結果を発表 毎月展開された中央行動 地元でも積極的な行動を展開 ネットワークが署名に威力 政府・自民党に大きな動揺 引き出した成果 |
|||
2 | 46年目の証言 | 163 | |
* | *田清「出張中に町は全滅」 | ||
*下敏子「忘れられぬ二日間」 | |||
*永アヤコ「九人家族が一人ぼっちに」 | |||
*本富夫「余りにもひどすぎる」 | |||
*戸縫子「心の傷を背負って」 | |||
*山正義「忘れられない悲惨さ」 | |||
*島旭円「あの日、私は」 | |||
*川佐代子「ひとりぼっちの苦しみをのりこえて」 | |||
*田清一「反戦・反核・反公害」 | |||
山口仙二「生きつづけて」 | |||
*いと「生き残った日」 | |||
筑城昭平「湾岸戦争と被爆体験」 | |||
*田保信「原爆と私」 | |||
*橋貴代「亡き二男を偲びて」 | |||
吉山秀子「ふたたびくり返さないで-」 | |||
*川康行「新型爆弾の恐怖」 | |||
下平作江「苦しみ悲しみに堪えて」 | |||
*川弘敏「余りにもむごすぎる」 | |||
*畑正勝「「語り部」を生き甲斐に」 | |||
*本義光「ロザリオ」 | |||
山口美代子「二度とあってはならないこと」 | |||
*宮司英「短歌九首」 | |||
*村勇男「長かった暑い一日」 | |||
*本フミヱ「戦争はもういや」 | |||
*田政助「たとえ体は蝕まれても…」 | |||
*木光子「原爆はもういや」 | |||
*輪博志「被爆の生証人として」 | |||
*村幸一「幼い目に映った原爆」 | |||
谷口稜曄「長崎を最後の被爆地に」 | |||
*山マサコ「夫と二人の娘を奪った原爆」 | |||
*尾幸子「二十一人を亡くして」 | |||
西河タケノ「湾岸戦争に重なる思い」 | |||
*田正明「原爆被害の責任追及を」 | |||
O・S「援護法の制定を」 | |||
*熊茂「「あの日」のこと」 | |||
*木ミツ「一人ひとりのこと」 | |||
*浦エキ「三ツ山は避難者であふれた」 | |||
*浦ヒサ子 | |||
*川代枝子 | |||
*見多見治 | |||
*地勝美「大村で看た被爆者」 | |||
*良崎新市「新婚四ヶ月の妻を奪われて」 | |||
*田千鶴子「戦争の記憶が薄らごうとも!」 | |||
止