原水爆禁止署名運動の意義

「日本における原水爆禁止運動の出発~1954年の署名運動を中心に~」(『広島平和科学5』広島大学平和科学研究センター、1982)

目次
はじめに
1 原水爆禁止決議
2 原水爆禁止運動の開始
3 県(区・市)民運動の展開
4 原水爆禁止署名運動全国協議会
5 原水爆禁止署名運動の意義

 

5.原水爆禁止署名運動の意義

最後に,署名運動の意義について,いくつかの側面から検討しておきたい。

第1は,ストックホルム・アピール支持署名運動との関係についてである。周知のように,ストックホルム・アピールは,1950年3月15-19日にストックホルムで開かれた平和擁護世界大会委員会で採択されたものである。原子兵器の使用禁止を求めるこのアピールは,全世界で5億余,日本でも645方の支持著名を得るという成果をあげた(1)。この運動の「経験と蓄積」が,「大衆的原水禁運動の発展に大いに役立った」ことは(2)、本稿の署名運動の展開のところで見たように,平和団体の署名運動における先駆性などに現われている。しかし,1954-55年の署名運動は,ストックホルム・アピール支持署名運動か,そのまま単純に拡大・展開したものではない。次表は,ストックホルム・アピール支持署名の各県別集計と,1955年8月の各県別署名数を比較したものであるが,この限りでは、両者に相関関係はみられない。

1950年署名数と1954年署名数の対人口比率の比較
(但し,いずれかの署名が20%6を超えるもの)

①1950年 ②1954年
秋田 5.5 21.2
東京 12.3 40.8
長野 8.4 39.5
富山 5.3 22.9
福井 1.0 28.6
京都 24.3 16.9
大阪 20.6 27.0
島根 3.2 38.8
広島 7.1 47.4
山口 3.2 44.3
高知 3.8 22.1
大分 4.1 24.0

注1.対人口比は,①は,1950年,②は,1955年の国勢調査より求めた。
注2.出典は.①は,岩波書店『日本資本主義講座』第9巻,97頁,②は,「1955年8月4日現在署名数全国集計」である。

一方,次表は,1955年県別に集計されたもので.県(市区町村)名を冠し,各行政区域の総人口の10%以上を集めた団体についてまとめたものである。

各種団体の署名数の対人口比率状況

(但し,10%以上のものに限る)

区分 10%台 20%台 30%台 40%以上
県レベル 原水禁団体
平和団体
婦人団体
その他
19
市区町村
レベル
原水禁団体 26 45
自治体・議会
平和団体
婦人団体
その他
13 10 35 66

出典:「1955年8月4日現在署名数全国集計」

このうち,県レベルで平和団体と分類しているのは,宮城県平和懇談会(10.5%),神奈川県平和評議会(13.3%),三重県平和懇談会(12.6%)、京都平和センター(12.9%),愛媛県平和連絡会議(10.2%),平和擁護大分県委員会(22.4%)の6団体である。これらは,京都を除き,いずれもストックホルム・アピール支持署名数を超えてはいるものの,大きな割合で署名を集めることには成功していない。また,市区町村レベルでみると,地域の署名運動の主要な担い手が,主に原水禁団体と自治体・議会であることがわかる。1954-55年の署名運動は,ストックホルム・アピール支持署名運動では見られなかった新しい担い手によっても進められたのである。

第2は,1954-55年の署名運動における平和団体・労働団体など既存の組織と新たに生まれた原水禁団体との関係についてである。前掲の表から.全国団体と各県の割合を比較すれば,次表のようになる。

全署名数に占める全国団体と各県の署名数の割合

全国団体 各県
1954年10月5日 59% 41%
1954年11月22日 49 51
1955年8月4日 45 55

 

これは、既存の諸団体と原水禁団体との割合をそのまま反映するものではない。たとえば,長野県において県民運動を展開した長野憲法擁護連合の署名数,および宮城・神奈川・三重・京都・愛媛・大分の各県のように,それぞれの県の署名数にほぼ等しい平和団体の署名数が,各県の集計に加えられているのである。これらの署名数を各県から全国団体に移せば.全署名数に占める全国団体の署名数の割合は.もっと大きなものとなろう。

しかし,こうした点を無視しても,全国団体の署名数は,1955年8月時点で,全署名数の約45%を占めている。このことは,憲法擁護国民連合・総評・平和擁護日本委員会といった全国団体が,1954-55年の署名運動で重要な役割を果したことを示すものである。

なお,前表からは,署名運動の展開の中で全国団体と各県集計の割合が変化していることがわかる。つまり,全国団体は,低下傾向にあるのに対し,各県は増加傾向を示している。日本の原水爆禁止運動は,これまで,「下から」ということに、その特徴なり意義が見出されてきた。つまり,それまでの戦後の民主運動や民主組織が,「上から」組織されてきたのに対し,原水爆禁止運動は,「下から」組織化されだというのである(3)。しかし,これまでの分析をもとに考えるならば,日本の原水爆禁止運動の特徴と意義は,「上から」のみでなく,「下から」の組織化の力も相伴って出発し,「下から」の組織化の力が,署名運動を通じて強化されていったことにこそ,求められるべきであろう(4)。

第3は,1955年8月の原水爆禁止世界大会と関連してである。安井郁は,世界大会の開会総会における経過報告の中で,署名運動の発展を総括し,つぎの3段階にわけている。

(1)1954年4月~7月 自然的な地方的運動
(2)~同年12月 全国的運動の段階
(3)1955年1月~ 世界的運動の段階

そして,彼は,世界大会を「過去一年全国民的な規模でおこなわれてきた原水爆禁止運動の総結集」であると表現した(5)。これは,1954年5月に発足した水爆禁止署名運動杉並協議会の議長,同年8月に発足した原水爆禁止署名運動全国協議会の事務局長を歴任し,また1955年1月19日の世界平和評議会理事会拡大会議に参加し,ウィーン・アピール採択に立ち会った安井郁としてみれば,ごく自然な総括である(6)。しかし,これを各地域で考えるならば,必ずしも普遍的ではなかった。たとえば,広島では,全国協議会が発足した時期に,ほぼ署名運動を終了していた。1954年8月6日の広島平和大会は,「全県下にわたって行われた原水爆禁止に関する各地の大会・署名運動の総括」の場として開催されたのであった(7)。そして,9月7日に新たに発足した原水爆禁止運動広島協議会は,すでに,国際分野の運動方針として,原爆10周年に世界大会を開催することを決定している(8)。

一方,広島とは逆に,世界大会までに,県民の10%の署名も得ていない県は24もあった。これらの県も原水爆禁止世界大会に代表を送っているが,これらの県にとっての原水爆禁止世界大会のもつ意味は,杉並や広島とは異なるものであった筈である。

1955年の原水爆禁止世界大会は,署名運動の展開からみて,以上のようにさまざまな段階にある地力組織の参加によって開催されたのである。これらの地方組織の大会前後の動向の分析は,日本の原水爆禁止運動の歩みを語るとき,重要な柱となるべきものであろう。

1)日本平和委員会編『平和運動20年運動史』395頁(大月書店、1969年)。
2)同前書99頁。
3)同前書101頁。
4)参考までに,世界大会のための準備資金の拠出割合を,大会の準備段階の状況として、また世界大会参加者の割合を,大会時の状況として考えるなら,県(地方)の占める割合は,署名段階55.5%→大会準備段階70.5%→大会時86.1%と変化して,全国団体(中央団体)に対する優位を確立している。原水爆禁止世界大会日本準備会「8・6世界大会準備ニュース」NO.4,1955年10月10日。
5)原水爆禁止世界大会日本準備会『原爆許すまじ-原水爆禁止世界大会の記録』6~7頁(1955年)。
6)安井郁の原水禁運動とのかかわりについては,前掲『民衆と平和』が詳しい。
7)原爆・水爆禁止広島県民運動連絡本部の1954年8月3日付案内状。
8)「原水爆禁止運動広島協議会経過報告-1954.9.7の新発足から1955.1.29の声明まで」。