ヒロシマ会議 1970年11 月29 日~ 12 月2日
『現代における平和への条件-1970ヒロシマ会議』(「世界」編集部編、ヒロシマ会議委員会)
内容
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はじめに-「ヒロシマ」会議の成立と構成 |
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基調講演・映画「ヒロシマ・原爆の記録」 |
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Ⅰ |
核時代を超えて 湯川秀樹 |
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Ⅱ |
一九七〇年のヒロシマが教えるもの フィリップ・ノエルベーカー |
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Ⅲ |
平和と人間 飯島宗一 |
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全体会議 原爆被災をめぐる諸問題と市民の連帯 松本寛 |
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市民会議Ⅰ 人間差別の根源とその解決 橋本栄一 |
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市民会議Ⅱ ヒロシマとは何か 小黒薫 |
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ヒロシマの世界化に向って-本会議の討論をふりかえる- 関寛治 |
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会議の周辺 原田東岷 |
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おわりに 庄野直美 |
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ヒロシマ宣言 |
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ヒロシマ市民会議の報告・議事録 |
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止
伊藤明彦
年月日 |
事項 |
メモ |
1936 |
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1105 |
誕生。 |
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1945 |
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08 |
長崎で被爆(入市)。当時8歳。 |
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1980 |
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0430 |
伊藤明彦著 『未来からの遺言 ある被爆者体験の伝記』(青木書店) |
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書評 被爆者存在の意味を問う ―伊藤明彦著「未来からの遺言」― 曽我栄寿郎 112 |
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1982 |
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0630 |
『原爆を読む 広島・長崎を語りつぐ全ブックリスト』( 水田九八二郎、講談社) |
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『未来からの遺言-ある被爆者体験の伝記』伊藤明彦著(昭和55年) 338 |
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1993 |
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0715 |
伊藤明彦著 『原子野の「ヨブ記」』(径書房) |
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1999 |
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0205 |
伊藤明彦著『被爆太郎伝説』(窓社) |
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2006 |
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1001 |
『証言-ヒロシマ・ナガサキの声2006 第20集』(長崎の証言の会) |
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我々はどこへ行くのか?-ヒロシマの問い・ナガサキの問い- 伊藤明彦 194 |
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2007 |
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0430 |
伊藤明彦著 『夏のことば ヒロシマナガサキれくいえむ』 |
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「被爆」を聴き、伝える-まえがきに代えて 7
われわれはどこへ行くのか?-ヒロシマの問い ナガサキの問い 19
ローマ教皇とヒロシマ、「オリンポスの灯火」とナガサキ 36
「長崎小空襲」の謎 60
「被曝都市」三次市の記録-田園都市のなかのヒロシマ 72
被曝したヒポクラテスの弟子たち 95
「浦上の聖者」の三つの希有 106
葉公好龍 116
「幽霊」「火」「水」そして- 126
原爆文献ノート 131
ヒロシマとナガサキのちがい 150
これから-あとがきに代えて 162
CD「ヒロシマ ナガサキ 私たちは忘れない」寄贈・贈呈先 168 |
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2009 |
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0303 |
死亡。享年72歳。 |
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1001 |
『証言-ヒロシマ・ナガサキの声2009 第23集』(長崎の証言の会) |
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原爆ジャーナリスト・伊藤明彦さんを悼む…関口達夫…293 |
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2010 |
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0115 |
岩垂弘著『核なき世界へ』(同時代社) |
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―5― 反核・反戦・平和に生きた人びと 197
神から遣わされた「現代の語り部」――伊藤明彦(元放送記者)/248 |
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2012 |
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0718 |
伊藤明彦 『未来からの遺言 ある被爆者体験の伝記 岩波現代文庫』(岩波書店) |
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<青木書店1980年刊(T0289I001)の再刊> |
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2021 |
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1130 |
明治学院大学国際平和研究所編・刊『ブックガイド平和を考える 明治学院大学国際平和研究所設立35周年を記念して』 |
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友澤悠季 …66
『われなお生きてあり』 福田須磨子[著]
『未来からの遺日-ある被爆者体験の伝記』 伊藤明彦[著] |
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2024 |
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1210 |
伊藤明彦著『伊藤明彦の仕事 1 未来からの遺言ある被爆者体験の伝記 シナリオ被爆太郎伝説』(編集室水平線) |
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<『未来からの遺言 ある被爆者体験の伝記』と『被爆太郎伝説』の合冊版> |
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止
『岩屋おろし 元長崎師範学校予科生の手記集 原爆・終戦から半世紀』(岩屋おろし編集委員会、19980301)
内容
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巻頭詩 十五歳って死ななかったってことなんだ 畑島喜久生 Ⅰ |
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長崎師範学校寮歌・長崎師範学校応援歌 Ⅳ |
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はじめにV |
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師範学校とは?予科とは?XⅡ |
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原爆・終戦
つぶさに見た被爆直後の長崎 林田忠義 1
地下工場は轟音、振動、停電 「私の原爆体験」国分利光 9
すさまじい閃光、轟音、熱風 「被爆」 平田勇 12
地球が爆発したと思った 「原爆被爆記」 山下護 15
死傷者いっぱい地獄の惨状 「悪夢であってほしかった」 梶原五三 20
五人の家族を一度に失って 「原爆生き残りの記」 久保啓喜 25
わが家も赤い炎を高く上げて 「生死の境」 山下昭一 30
道端で『助けて』『水ください』 「原爆直下の惨状と帰省」 本田重郎 34
炎の中から『助けてーっ』「忘れ得ぬ地獄絵」 玉水利彦 41
全身にバケツいっぱいの火の粉 「被爆」 松添鶴次 45
あの日から数日悲しみを忘れていた 久田照和 49
友を助けることが出来なかった 「孫に語る被爆体験」 山田善祐 55
商業学校に予科生は約七人1「二人とは最後の別れ」伊藤實59
倒壊校舎で救出や負傷者搬送 「あのころの記憶」 小島功 61
島鉄の車中から見た『稲妻』 池田勝幸 67
寄宿舎への直撃弾と思った 井崎照美 69
敵機が頭上近くで機銃掃射「回顧すれば」 柏山政吉 71
原爆投下ではなく原爆攻撃だ「あの日あの時そして今」 神谷威巳 76
海上で米軍戦闘機に襲われる「五日目の帰郷」 久保勝平 80
重傷の二人着いたところは早岐「わが生涯の二日間」 岩本甫 83
忘れられぬ島原弁のおじさん「学徒動員のころ」 近藤勝郎 86
草木も生えぬと言われたが「被爆から半世紀」 中島泰蔵 88
米戦車を攻撃する訓練受けた 寺田豪 91
短歌・語り部 宇宙三男 92
土曜、日曜がなかったころ 星崎俊明 93
現代に経験出来ぬ事象ばかり 富川利夫 95
友よ魂醜いずこをさまよう「挽歌」 北川清 99
召集令状来たが入隊お預け「わが青春に”食い”なし」 倉富忍 104
戦争は人心を狂わせ惑わせる 「一九四五年ごろの思い出から」 池田早苗 107
戦時から戦後へ激浪の時代「吾を省みて」 山下辰雄 111
幾度か巡り合った奇しき縁「命ありて」 吉岡晃 118
被爆の事実が風化していく「五十年が過ぎて」 吉富孝汎 122
学業や動員、恩師、友がき 飛永照 132
友と原爆火の野山を走る 直塚慶喜 135
消え去ることのない原爆への思い畑島喜久生137
師範学校生が続々避難「被爆後」 長与村などの記録 142 |
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われらの”よか”時代 |
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防空壕掘りと青春 久保勝平 156
岡山直先生のこと 川谷源昭 157
極限の時代だった 神谷威巳 158
暗い井戸の長い時間 井崎照美 159
入試のころの思い出 岩永務 162
今も役立つ農業実習 梶原五三 163
“桜”の帽章、反射的に敬礼 三浦忠和 164
大空体験と竹松の寮 中村巽 166
私の軍国少年時代 富永寿 168
予科時代は心の支え 椿山勇 171
部活は銃剣道だった 松永貞雄 172
西浦上の地 葉玉亨 173
成長期のころひどい食糧難であった 高橋寛作 174
マッカリー買い出し 藤村優 178
原爆のころ終戦のころ 山下護 179
被爆の後に三つの幸運 飛永照 191
少年老イ易ク学成リ難シ 松尾美好 193
あのころの人たち 松添鶴次 199
自分探しに悩みし日々「友、友の顔」 鬼塚親吉郎 206
紺碧の空 若松司 208
五十年かけた夫婦共遊び 下條章 209
百姓はわいらで終わりや 「老農夫たちとの会話」冨永寿 212
ある青春 伊藤昭二 217
人事を尽くしてガンと戦う 故三輪豊氏の日記から 223
訃報・大谷英雄氏、三輪豊氏、国分利光氏 229
岩田和夫君のこと 伊藤實 230
かいま見た活動家久田君 吉富孝汎
8月9日に思うこと 山口武司 232
この世に生きたらしい証を残すために カニ馬鹿の記 松尾美好 235 |
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雲ゆうゆう |
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史跡発見や地域活動「生き甲斐」中島泰蔵 236
しみじみとした忘年会 浪速の三人 富永寿 238
退職後昨日今日(詩吟の世界、調停という仕事) 呼子明次 240
自治会活動や海外旅行、コーラス指導 池田早苗 244
芝居気いまだ冷めやらず 川谷源昭 247
かくうつを楽しむ 松永貞雄 252
猫のひたいほどの庭いじり 下條章 254
日本最初 対馬藩の小学校 三浦忠和 256
西海路へ全国フェスタを「私の山頭火士」吉富孝汎 258
日記 若松司 260
三度目の正直 隈部守 263 |
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教育ひろば |
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伸びない子どもはいない 教職四十年の思い出 久保勝平 267
体育ひと筋に三十九年間 東京で生きて 岩永務 272
構造学習と出会って三十年 待つ教育を実践 高橋寛作 276
錦の織りなすこの人生 葉玉亨 284
教職ってありがたい仕事だ・随感 山下護 289
発展しない細論 山口武司 290
右手が不自由で・お便り 山口小一郎 290
思い出の窓に映る諸々 秋吉淳 291
25年ぶりの墓参 近藤勝郎 292
健体康心が幸福への基本 宇宙三男 293
仏様の言葉 内田勘六 296
懐かしい個性の方々「仰げば尊」
渡辺正数先生、斉藤亨先生、小松昌幸先生 伊藤實 297
菱谷武平先生 池田早苗 299
橋本喬雄先生 松添鶴次 301
週休7日制の年金労働者 松永貞雄 302
雲仙普賢岳噴火と復興 本田重郎 306
健やかに楽しく美しく 平田勇 308
体罰を徹底排除「事件校での取り組みの記録」 高橋寛作 309
挙手の礼の時代 松添鶴次 318 |
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長崎師範年代記 隈部守 321
長崎師範学校沿革 隈部守 331 |
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あとがき 332 |
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一九会会員名簿 336
この本に登場した人たち 340 |
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原爆の話
長崎の原爆死者は73,884人
①B29二機が熊本方面から 19
②周りの空気が大膨張して爆風 24
③爆発の瞬間は摂氏数百万度 33
④1・2キロ以内で致命的熱傷 40
⑤3キロで中ていどの火傷 54
⑥1・8キロ地点で建物大破 60
⑦死者の6割が熱線と火傷で 68
⑧人体の組織細胞を破壊する作用 70
⑨2キロ以内の無傷の人もやがて 82
⑩2キロ以上は軽度の熱傷 90
⑪死者、負傷者、罹災人員9 4
⑫被爆前の配給人口23万人 98 |
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岩屋おろしアンケート
秋吉淳、池田早苗、井崎照美、伊藤昭二、岩永務 146
岩本甫、宇宙三男、鬼塚親吉郎、柏山政吉 147
神谷威巳、川谷源昭、北川清、久保勝平 148
久保啓喜、隈部守、倉富忍、小島功 149
下条章、高橋寛作、寺田豪 150
飛永照、富永寿、中村巽、畑島喜久生 151
葉玉亨、林田忠義、平田勇、本田重郎 152
松尾美好、松添鶴次、松永貞雄 153
三浦忠和、山下護、山口武司、吉岡晃 154
吉富孝汎、呼子明次、若松司 155 |
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長崎県の「街・町ポイント」
扇形出島をいま一度(長崎市) 156
海賊船で九十九島体験(佐世保市) 157
大惨事を招いた名橋(諌早市) 158
女性が守った大村三城(大村市)159
観光目玉になった平成新山(島原市) 161
国内一の火電に二号機(松浦市) 162
最も新しい築造の福江城(福江市) 163
哀切なジャガタラ文(平戸市) 165
一括古い時代の五輪塔群(長与町) 166
江戸時代からミカン産地(多良見町) 167
夏期はキャンプにどうぞ(時津町) i69
海と緑の都市づくり(琴海町) 170
十字架の花模様の墓標(西彼町) 171
世界の亜熱帯が集合(野母崎町) 173
俊寛は薩摩でなく彼杵郡に(伊王島町) 174
キリシタンを祭る神社(外海町) 176
乗員ゼロの軍艦島(高島町) 177
インドくじゃく四百羽(川棚町) 179
県下最大の草っ原(東彼杵町) 180
世界最大級の登り窯跡(波佐見町) 181
平安時代の区画整理跡(飯盛町) 183
土中から伝説のくり舟(森山町) 184
気が変わった杢どんの話(小長井町) 186
森やグラウンドで楽しく(瑞穂町) 187
暖地向き新ジャガイモ(愛野町) 189
人格者・画家・少年使節(千々石町) 190
温泉で湯治やレジャー(小浜町) 191
キリシタンの学校跡(加津佐町) 193
本能寺の変も報道(口之津町) 194
三万七千人全滅の遺跡(南有馬町) 196
残酷拷問の結果に処刑(有家町) 197
有馬、島津勢相手に籠城(深江町) 199
渡唐船の警護や大陸貿易(大島村) 199
日本一大きいこと二つ(生月町) 201
海士らに助けられた武将(宇久町) 202
鹿たちの島で自然学習(小値賀町) 203
花と果物のメルヘンの島(福島町) 204
七百年前に外敵の侵略(鷹島町) 206
最西端に立ってみよう(小佐々) 207
花の名所ツツジ十万本(鹿町町) 208
小中学生が農作業体験(佐々町) 210
人類が三万年前から利用(吉井町) 211
石造りのアーチ十七橋(世知原町) 213
世界的に珍しい地学資料(三井楽町) 214
比例のない大規模貝塚(岐宿町) 216
潮騒の故郷を忘れないで(奈留町) 217
七百年間の墓碑の群落(若松町) 219
世界初の鋼鉄製貯蔵船(上五島町) 220
水族館に地元でとれた魚(新魚目町) 222
西望作の聖観音像が建つ(奈良尾町) 225
縄文人は五十歳で老化(富江町) 226
ナンジャモンジャの花(上対馬町) 227
十万石の居城跡(厳原町) 228
十八世紀の古民家集合(勝本町) 230
国重文のミロクさま(郷の浦町) 231
魏志倭人伝ゆかりの地(芦辺町) 233 |
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止
止
『ヒロシマから、ヒロシマへ 大牟田稔遺稿集』(大牟田稔遺稿集」刊行委員会、溪水社、20021007)
内容
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序・共有したい思い…平岡敬 |
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「きのこ会」とともに |
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〈反原爆思想〉を求めて―胎内被爆小頭症と歩いた10年 4
8月の沈黙 23
26人の原爆被害者たち―放射線に傷つけられた人生 27
大牟田さんと「きのこ会」―解説に代えて 秋信利彦 33
「ヒロシマ」と歩む
築きたい「共通の平和観」―平和文化センター理事長就任挨拶 38
志は継がれているか―私記ヒロシマ50年を生きた人々 39
不遇な被爆歌人への思い入れ―水田九八二郎著「目をあけば修羅」を読む 57
文集「ブラジル・南米被爆者の歩み」の刊行に寄せて―日本政府の戦後責任を問う59
継承へ新たな方法論を―「自分史」充実のために 61 |
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視と微視と―ヒロシマからの報告 65 |
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原爆記者とのつき合い―梶山氏は、郷里ヒロシマを訪れては、原爆問題への関心を抱きつづけた 71 |
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『頼山陽』―梶山季之作品論 75
被爆者援護法と森滝市郎 78
折り鶴焼却処分問題―別の解決策「碑」で実践 86
「没後50年原民喜回顧展」に寄せて 87 |
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若き友へのメッセージ |
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私にとっての原爆報道 90
平和への課題 100 |
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平和のとりでを築く 102 |
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大牟田稔さんに聞く 105 |
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新聞記者として |
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沖縄の被爆者たち 112
今こそ『平和』を見詰め直そう(1986年8月6日付社説) 128
『核なき世界』へ世論高めよう(1987年8月6日付社説) 131
『ヒロシマの志』を貫くために(1988年8月6日付社説) 133
『ヒロシマの決意』を生かす道(1989年8月6日付社説) 136
東西和解と『ヒロシマの役割』(1990年8月6日付社説) 138
『ヒロシマ』生かす国際貢献を(1991年8月6日付社説) 141 |
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ヒロシマから、ヒロシマヘ |
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『民』の思想・『官』の思想―第2回国連軍縮広島会議を顧みる 146
米国は原爆被害を直視せよ―スミソニアン“原爆資料展示”中止の余震 150
アメリカ人と『原爆展』 156
『核兵器違法』を明言した意義―ICJ陳述をめぐる被爆地と外務省の落差 161
「爆発なき核実験』に危機感 165
ヒロシマ発の平和活動―その歴史と課題 167 |
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インタビュー・古希の記憶
大牟田稔・古希の記憶(抜粋) 172 |
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あとがき 189 |
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止
『もうひとつのヒロシマ ドキュメント中国新聞社被爆 現代教養文庫』(御田重宝、社会思想社、19870815)
章 |
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まえがき |
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1 |
長い一日…15 |
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7時9分B29接近/朝は静かになったが/疎開作業へ社員出動/3カ所へ天候観測機/B29、福山湾へ向かう/運命分けた朝の行動/警報発令に参謀迷う/落下傘目撃後に閃光/ニジとともに原子雲/瞬間、1万度の高熱が/信じられぬ現象続々/飛散物を伴い〃黒い雨μ/火球、中国新聞を襲う/惨状にわが目を疑う/郊外へ続く半裸の列/義勇隊員の大半即死/古材の下敷きで焼死/炎の中で同僚と握手/一瞬周囲が暗やみに/ぼう然と火災見送る/わが子は家の下敷き/社員の連絡所へ急ぐ/火災くぐり杜目指す/杜はすでに火だるま/3人、肩抱き合い避難/自宅は被爆者で満員/荷車に二人乗せ歩く/警報の度に軍司令部へ/写真を…報道班員直感/撮影に20分ためらう/3枚目は涙で撮れず/マッチ爆弾かと疑う/世界初の〃原爆写真”/高熱…社内に入れず/「音のない世界」体験/京橋川船上で黒い雨/一挙に社員113人失う/市内に入り直後に大雨/単身炎の街突っ切る/やけど押し杜へ走る/一枚の布団で命拾い/中央放送局も犠牲に/勤務交代前、警報ベル/警報を放送中に爆風 |
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2 |
原爆第一報…109 |
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現在もなおあいまい/焼却された軍機書類/「8時30分」には疑問/呉鎮守府から調査隊/特殊爆弾の疑念わく/全滅…指揮能力失う/暗号打電翻訳遅れる/新聞発表は7日午後/四国・九州・福山に連絡/9時過ぎ「全滅」の連絡/自転車で広島へ急ぐ/入市やめ原放送所へ/岡山の局と連絡つく/「死者およそ17万人…」/「大げさでは」疑う軍部/船を雇い広島市入り/両岸、救援叫ぶ被爆者/日発「搬送電話」を利用/出張で被爆、惨状報告/軍管区司令部も潰滅/縮景園に火勢広がる/8時20分過ぎに発信/7日未明に新聞発表 |
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3 |
再建への鼓動…155 |
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「社員と家族を救え」/トップの苦しさ自覚/代行印刷依頼に奔走/総監府通じ代行依頼/船舶司令部通じ連絡/印刷機能壊滅を確認/軍通じ代行印刷打電/臨時県庁で情報収集/人材喪失、印刷に痛手/応召の編集局長不明/カギを握る朝礼時刻/つかめぬ中尉の行動/緊張の作戦室で徹夜/当直済ませて自室へ?/庁舎で仮眠中、被爆か/夫人先頭に市中捜索/悲壮感漂う”再建本部”/社員の容体を案じる/幹部、相次ぎ被爆死/支社局から次々応援/尾道港で「壊滅」聞く/救援トラックに便乗/尾道に戻り救援活動/トラック〃徴発”救援へ/被爆者に乾パソ配る/被爆者乗せ救護所へ/「知事布告を報道せよ」/「布告」が報道第1号に/焼け残った部屋発見/民心の安定へ口伝隊/道路わきに死体の山/被爆米兵捕虜を目撃/避難阻まれ被爆死も/即死まぬがれたが…/切れた新聞社専用線/電話線ほとんど壊滅/陸軍主導で原爆隠し/「ピカドン」呼称広まる/軍部に「硫酸爆弾」説も/「爆心は護国神社上空」/ラジオ・ゾンデ発見/陸軍・大本営も調査隊/「ト声明」に仁科氏衝撃/「原爆」と正式に認める |
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4 |
原爆の投下責任 |
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ツダム宣言を”黙殺”/ソ連参戦の報届かず/アイクは使用に反対/ソ連参戦防止を狙う?/「東西冷戦」絡み?作戦/宣言受諾条件で紛糾/海相、外相は降伏主張/閣議に長崎被爆の報/ポ宣言の受諾決まる/スイスなど通じ公電/軍主戦派と押し問答/10日夜に「受諾」放送/海外へは・受諾流れる/陸相布告掲載を強要/和平派殺害の計画も/「国体護持」を米が論議/米回答文、12日に通達/米回答の翻訳で紛糾/米ソ対立が引き金/終戦引き延ばしが致命/御前会議で終戦決定/天皇自ら詔書ご加筆/14日、全国へ「内密電」/録音盤から天皇の声/使節団、マ司令部へ/米側、厚木入りを通告/マ元帥迎える星条旗/占領軍批判はタブー |
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5 |
輪転機を回せ…285 |
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9日、代行印刷紙届く/疎開機器の整備急ぐ/川手牧場と疎開交渉/二県一紙」で重い責任/増加部数印刷に苦慮/温品移転やっと軌道/社員自ら組み立ても/新聞資材も分散疎開/20日ごろ工場へ送電?/20~30人集まり再出発/突貫工事、工場建てる/9月3日付から印刷/壁新聞用紙は軍提供/地下壕の紙役立つ/温品ではテント生活/代行紙、二駅で仕分け/「新聞復興に死力注ぐ」/「あの日」胸に社員連帯/各紙に「70年不毛説」/不毛説を医学者否定/悪戦苦闘…損紙の山/新聞見て社員”出一社”/調子上がらぬ試運転/苦労した「紙型」取り/太陽光線で写真製一版/活字は捨てず再使用/社報でも原爆の特集/再建へ意欲みたぎる/復員姿で社屋に直行/復員の日、温品印刷成功/分担超え紙面に情熱/米人記者と一問一答/原爆症に医学界混乱/医学論文の公表禁止/社の動き「日誌」に克明/10月26日に採用試験/「米兵の犯罪」を報道/「同盟」に業務停止命令/「同盟」が自主解散通告/検閲受け送信再開へ/声高に「平等」を否定/厳しい事前検閲開始/客観報道促す一も/GHQ、混乱する路線/23年12月に検閲全廃 |
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6 |
またも試練が…371 |
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枕崎台風が広島直撃/「不毛説」弱めた台風/〃温品版”最後の報道に/輪転機は被害免れる/温品工場の機能マヒ/流川での再建を決意/代行印刷、朝日へ依頼/自力再生を迫られる/全社一丸で題字守る/代行印刷、西部毎日も/京大の 査班も被災/訃報、3日後に京都へ/被爆調査資料も失う/100人が本社ビル清掃/温品の輪転機を解体/東洋工業が技術協力/「復興資材部」を設置/資材払い下げに奔走/移転の前日に慰霊祭/撤回された発禁処分/天皇会見で特報発行/「戦争責任」で陛下回答/本社員幽人でスタート/ガス会社に鋳造機搬入/バタンコで活字運ぶ/復興財団に資材依頼/「特報中国新聞」に改題/巻き取り紙捨てられる/米軍進駐のとばっちり/社員総出で搬入作業/巻き取り紙に無情の雨/進駐軍用に慰安施設/用紙収容に米軍協力/マツタケ狩りで一息/「共販制」16年末に発足/連盟に情報局が圧力/一県一紙体制を強行/「相互援助」で発行継続/25年まで共販制存続 |
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7 |
うなる輪転機…445 |
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東洋工の技師が視察/社長同士で移設契約/杜長が訪れ運搬依頼/人使いのよさ見込まれ/運搬方法に知恵絞る/馬車使い本社へ運搬/難題だった定盤輸送/まくら木で道直し運搬/悪路のうえ雨までも/横転防止へ24人〃伴走”/午前4時に本社到着/組み立て班、泊まり込み/11月5日「流川第1号」/東洋工業に一二〇〇円謝礼/本杜体制作りも着々/11月1日、新体制発足/進駐軍検閲係が来社/進駐軍の検閲を報道/板張り編集局に熱気/自力発行に緊張・興奮/裸電球の下鉛版セット/労苦報われ社員歓声/復興ぶり克明に報告/衣食住の補給訴える/建設目標は1日100戸/苦難越え原爆報道貫く年表一新聞・言論関係/原子爆弾関係/国内、戦争関係…492 |
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あとがき…503 |
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著者あとがき…505 |
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<中国新聞社の被爆40周年紙面企画「もう一つのヒロシマ」を集成(連載期間:昭和59年7月1日から60年3月23日)> |
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止
資料年表:朝長万左男<作業中>
年月日 |
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1971 |
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1201 |
『原爆後障害研究会広島シンポジウム講演集 第12回』 |
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一般講演
被爆者検診を中心とした慢性骨髄性白血病の早期発見例について 松本吉弘・冨安孝則・朝長万左男・武藤一己 57 |
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1988 |
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0401 |
『原子爆弾後障害研究会講演集 第28回』(広島原爆障害対策協議会) |
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5.原爆被爆者に発生した白血病の診断と病型分類の再検討 第4報.広島、長崎両市のまとめ 朝長万左男 他 160(498) |
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1996 |
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0401 |
『原子爆弾後障害研究会講演集 第36回 』(広島原爆障害対策協議会編 、広島原爆障害対策協議会 ) |
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被爆50周年-そのあゆみと将来の展望 1
3.放射線障害研究:これまでの知見と将来展望 朝長万左男 22 |
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0415 |
『夏雲の丘 病窓の被爆医師』 (山下昭子著、長崎新聞社・長崎文献社) |
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秋月先生を語るインタビューと寄稿
朝長万左男さん(長崎大学医学部教授) 108 |
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1130 |
『長崎医科大学原爆記録集 第三巻 』(長崎医科大学原爆記録集編集委員会編、長崎大学医学部原爆復興五十周年医学同窓記念事業会) |
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2000 |
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1124 |
『長崎平和研究 第10号』(長崎平和研究所) |
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■核兵器廃絶・地球市民集会ナガサキ/プレ集会記録
「核兵器廃絶と市民の役割」 65
第2部:シンポジウム・総合討論 83
(コーディネーター)朝長万左男(パネリスト)土山秀夫ほか各海外ゲスト |
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2001 |
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0331 |
『 核兵器廃絶 地球市民集会ナガサキ 報告書』( 核兵器廃絶地球市民長崎集会実行委員会) |
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分科会
非核地帯と核の傘 朝長万左男 85 |
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1010 |
『証言-ヒロシマ・ナガサキの声2001 』(長崎の証言の会) |
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〔証言二〇〇一座談会〕核兵器廃絶を迫る長崎の役割は何か長崎の証言の会 28
〔出席者〕内田伯・朝長万左男・船山忠弘・築城昭平・吉山秀子・平野伸人・広瀬方人・鎌田定夫・(司会)濱崎均(記録・整理)本多初恵 |
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1120 |
『長崎平和研究 第12号』(長崎平和研究所) |
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対話/ICJ勧告的意見とその今日的意義・核廃絶への道と市民の役割…42
C・G・ウィラマントリー/朝長万左男/中村尚達/(コーディネーター)鎌田定夫 |
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2004 |
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0501 |
『原子爆弾後障害研究会講演集 第44回 』(広島原爆障害対策協議会) |
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シンポジウム
新世紀の緊急被ばく医学
2.放射線障害と造血幹細胞移植…朝長万左男 13 |
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1030 |
『長崎平和研究 第18号』(長崎平和研究所) |
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インド・パキスタンの信頼醸成のためのセミナーに参加して/朝長万左男…109 |
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2006 |
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0430 |
『長崎平和研究 第21号』(長崎平和研究所) |
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第55回パグウォッシュ会議年次大会報告/朝長万左男 31
〔日本平和学会2005年秋季研究集会報告より〕 |
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0630 |
『大量虐殺 死-絶望-脱出』エルネスト・カーン, 多喜百合子著 日本図書センター |
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序文 Ernesto Kahan・Taki Yurikoの合作叙事詩の啓示 /朝長万左男 4 |
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1001 |
『証言-ヒロシマ・ナガサキの声2006 』(長崎の証言の会) |
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追悼・秋月辰一郎さん
/医師秋月辰一郎先生の横顔 朝長万左男 |
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2009 |
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0120 |
『ナガサキから平和学する!』(高橋眞司・舟越耿一編 法律文化社) |
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第Ⅱ部 長崎原爆と長崎の被爆者
第4章 長崎の原爆被害―朝長万左男 41
―その身体的・心理的被害 |
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2010 |
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0601 |
『原子爆弾後障害研究会講演集 第50回』(広島原爆障害対策協議会) |
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シンポジウム1 「被爆者白血病研究の新展開」
1-1.被爆者白血病(造血器腫瘍)研究の新展開 朝長万左男 29 |
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1001 |
『証言-ヒロシマ・ナガサキの声2010 』(長崎の証言の会) |
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特集 核のない世界への道
原爆の人体影響はなぜ今も続くのか―すすむ原因究明―…朝長万左男…25 |
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2013 |
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18 証言-ヒロシマ・ナガサキの声2013 長崎の証言の会編 長崎の証言の会 2013/10/01 |
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2014 |
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1031 |
19 証言-ナガサキ・ヒロシマの声2014 長崎の証言の会編 長崎の証言の会 |
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2015 |
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0606 |
20 語りつぐナガサキ 原爆投下から70年の夏 創価学会長崎平和委員会編 第三文明社 |
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0607 |
21 原子爆弾後障害研究会 第56回 平成27年 広島原爆障害対策協議会 |
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2017 |
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1001 |
22 証言-ナガサキ・ヒロシマの声2017 長崎の証言の会 |
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2018 |
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1015 |
23 証言-ナガサキ・ヒロシマの声2018 長崎の証言の会 |
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2019 |
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0301 |
24 核兵器のない世界をめざして 平成30年度核兵器廃絶市民講座報告書 核兵器廃絶長崎連絡協議会 |
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2020 |
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0701 |
25 核のない未来を! ヒロシマから世界へ 届けよう核被害者の声を! 世界核被害者フォーラム実行委員会 |
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2021 |
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0101 |
26 赤十字国際レビュー 核兵器:人類が払う代償 赤十字国際委員会駐日代表部(ICRC) |
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0831 |
27 原爆後の75年 長崎の記憶と記録をたどる 長崎原爆の戦後史をのこす会編 書肆九十九 |
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2022 |
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1215 |
28 証言-ナガサキ・ヒロシマの声2022 長崎の証言の会 |
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2023 |
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0830 |
29 永井隆全集 第4巻 書画集 永井隆著、永井徳三郎監修 サンパウロ |
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1031 |
30 証言-ナガサキ・ヒロシマの声2023 長崎の証言の会 |
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|
止
資料篇(『原爆裁判 核兵器廃絶と被爆者援護の法理』(松井康浩著、新日本出版社、1986/08/05))
内容<作業中>
頁 |
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206 |
判決 |
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|
昭和30年(ワ)第2914号、昭和32年(ワ)第4177号損害賠償請求併合訴訟事件 |
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主文 |
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1.原告等の請求を棄却する |
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|
2.訴訟費用は原告等の負担とする |
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事実 |
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206 |
第一 原告等の申立 |
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1<下田隆一> |
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2<多田マキ> |
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3<浜部寿次> |
|
|
4<岩淵文治> |
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5<川島登智子> |
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|
6<訴訟費用は被告の> |
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207 |
第二 主文と同趣旨の判決を求める。 |
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|
第三 請求の原因 |
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|
一、原子爆弾の投下とその効果 |
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208 |
二、国際法による評価 |
|
|
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211 |
三、国内法による評価 |
|
|
|
|
212 |
四、被害者の損害賠償請求権 |
|
|
|
|
213 |
五、対日平和条約による請求権の放棄 |
|
|
|
|
214 |
六、請求権の放棄による被告の責任 |
|
|
|
|
216 |
七、原告等の損害 |
|
|
|
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218 |
八、損害賠償の請求 |
|
|
|
|
|
第四 被告の答弁 |
|
|
一、原子爆弾の投下とその効果 |
|
219 |
二、国際法による評価 |
|
220 |
三、国内法による評価 |
|
221 |
四、被害者の損害賠償請求権 |
|
222 |
五、対日平和条約による請求権の放棄 |
|
223 |
六、請求権の放棄による被告の責任 |
|
225 |
七、原告等の損害 |
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|
証拠<略> |
|
|
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|
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理由 |
|
|
一、原子爆弾の投下とその効果 |
|
228 |
二、国際法による評価 |
|
236 |
三、国内法による評価 |
|
237 |
四、被害者の損害賠償請求権 |
|
242 |
五、対日平和条約による請求権の放棄 |
|
245 |
六、請求権の放棄による被告の責任 |
|
246 |
七、結び |
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|
東京地方裁判所民事第24部 |
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裁判長裁判官 古関敏正 |
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裁判官 三淵嘉子 |
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|
裁判官 高桑昭 |
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250 |
鑑定書(昭和36年7月29日) |
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|
高野雄一(東京大学法学部教授) |
|
273 |
鑑定書(昭和36年7月29日) |
|
|
田畑茂二郎(京都大学法学部教授) |
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292 |
鑑定書(1962年11月7日) |
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|
安井郁(法政大学法学部教授) |
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原爆被爆者対策の基本的在り方について |
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昭和55年12月11日 原爆被爆者対策基本問題懇談会 |
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止
資料年表:松井康浩<作業中>
年月日 |
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1922 |
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**** |
誕生 |
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1949 |
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**** |
早稲田大学法学部卒 |
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1951 |
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**** |
弁護士 |
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1968 |
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1972 |
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**** |
日本民主法律家協会代表理事 |
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1973 |
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**** |
1973・74年度 日本弁護士連合会代表理事 |
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1983 |
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0308 |
『ヒバクシャ文化の集い 1983年』(大阪市原爆被害者の会編・刊) |
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「講演・被爆者の権利と平和的生存権 弁護士 松井康浩」 |
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1986 |
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0805 |
『原爆裁判 核兵器廃絶と被爆者援護の法理』(松井康浩著) |
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2008 |
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1116 |
池田眞規「松井康浩先生を偲ぶ― 核時代における日本の法律家として松井先生が貫き通した一すじの道とは ―」 |
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|
反核法律家協会初代会長松井康浩弁護士を「偲ぶ会」での池田会長の追悼文 http://www.hankaku-j.org/infomation/data/081216.html |
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止
書誌2025一覧
月日 |
書誌名 |
著者 |
発行所 |
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01 |
ヒロシマの子育て・教育 第380号 |
|
広島教育研究所 |
U |
|
日本被団協のノーベル平和賞受賞についての高校生平和ゼミナールお祝いメッセージ 2 |
0220 |
世界記者ユ20世紀 前編・ナチの時代 |
若尾祐司 |
名古屋大学出版会 |
U |
02 |
ヒロシマの子育て・教育 第381号 |
|
広島教育研究所 |
U |
|
日本被団協のノーベル平和賞受賞についての高校生平和ゼミナールお祝いメッセージ 3 |
|
ヒロシマの子育て・教育 第382号 |
|
|
|
|
ヒロシマの子育て・教育 第383号 |
|
|
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|
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止
資料年表:岡本尚一(おかもと・しょういち)<作業中>
年月日 |
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1924 |
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0611 |
誕生 |
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1942 |
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0310 |
岡本尚一『歌集 法廷風景』(八絋発行所) |
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1954 |
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0106 |
原爆被害者の会、岡本尚一を訴訟代理人に「原爆による損害賠償請求」を米の裁判所に訴えることを決める。 |
C |
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0108 |
|
C |
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0112 |
|
C |
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0115 |
|
C |
|
0120 |
|
C |
|
0123 |
|
C |
|
|
|
|
|
|
|
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1956 |
|
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0801 |
『広島は訴える―原爆広島11年の記録』(広島原爆資料出版会) |
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|
付録2 原爆被害者の損害賠償請求起訴状
付録3 損害賠償請求訴訟の政府答弁書 |
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1958 |
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0405 |
死亡。享年66歳 |
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0501 |
『自由と正義 9巻5号』(日本弁護士連合会) |
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|
吉野周蔵「故岡本尚一君の遺霊に告ぐ」 25 |
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1959 |
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**** |
岡本尚一『人類』(岡本拓) |
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1969 |
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0125 |
『ドキュメント日本人10 法にふれた人』 (学芸書林) |
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|
岡本尚一「原爆訴状」 |
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1986 |
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0805 |
『原爆裁判 核兵器廃絶と被爆者援護の法理』(松井康浩、新日本出版社) |
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1997 |
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02
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原爆被爆者対策前史資料集(1945年~1953年)
1997年2月 平成6-8年度科学研究費補助金(基盤研究(C)(2))研究成果報告書(課題番号06610313)
原爆被爆者対策史の基礎的研究 研究代表者 宇吹暁(広島大学原爆放射能医学研究所) |
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2.原爆裁判の提訴
【資料9】日本国との平和条約[抄]
岡本尚一弁護士の提起
【資料10】『原爆民訴或問』[抄]
【資料11】岡本尚一「米国に原爆の損害賠償を求む」[抄]
原爆裁判提起への反響
【資料12】原爆民訴提唱及びその反響
【資料13】アメリカの反応
【資料14】ニューヨク・タイムズの報道
【資料15】日本の反応
3.原爆被害者の会
【資料20】原爆裁判への対応 |
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止
ヒロシマの歴史を残された言葉や資料をもとにたどるサイトです。