『博覧会の政治学 まなざしの近代』(吉見俊哉、中央公論社、19920925)
内容<作業中>
章 | ||||
序 | 博覧会という近代 | |||
1 | 水晶宮の誕生 | |||
2 | 博覧会都市の形成 | |||
3 | 文明開化と博覧会 | |||
4 | 演出される消費文化 | |||
5 | 帝国主義の祭典 | |||
6 | 変容する博覧会空間 | |||
終 | 博覧会と文化の政治学 | |||
1 | 帝国主義、消費社会、大衆娯楽 | |||
2 | 権力装置としての博覧会 | |||
3 | スペクタルの社会理論に向けて | |||
あとがき | ||||
止
『博覧会の政治学 まなざしの近代』(吉見俊哉、中央公論社、19920925)
内容<作業中>
章 | ||||
序 | 博覧会という近代 | |||
1 | 水晶宮の誕生 | |||
2 | 博覧会都市の形成 | |||
3 | 文明開化と博覧会 | |||
4 | 演出される消費文化 | |||
5 | 帝国主義の祭典 | |||
6 | 変容する博覧会空間 | |||
終 | 博覧会と文化の政治学 | |||
1 | 帝国主義、消費社会、大衆娯楽 | |||
2 | 権力装置としての博覧会 | |||
3 | スペクタルの社会理論に向けて | |||
あとがき | ||||
止
『昭和時代年表 岩波ジュニア新書11』(中村政則編著、岩波書店、19860620)
内容<作業中>
まえがき | |||
Ⅰ | (1926-1944) 不景気から戦争へ | ||
1926年(昭和元) | |||
明治の近代化 | |||
大正デモクラシー | |||
昭和の開幕 | |||
<未入力> | |||
ポツダム宣言受諾 | |||
Ⅱ | (1945-1959) 戦後民主主義の出発 | ||
1945年(昭和20) | |||
戦争末期 | |||
ポツダム宣言受諾 | |||
民主化改革はじまる | |||
荒廃の国民生活 | |||
1946年(昭和21) | |||
天皇の「人間宣言」 | |||
ヤミとインフレのなかで | |||
高まる大衆運動・労働運動 | |||
財閥解体・農地改革 | |||
1947年(昭和22) | |||
2・1スト禁止 | |||
社会党第一党に | |||
新憲法のもとで | |||
経済の再建 | |||
1948年(昭和23) | |||
占領政策の方向転換 | |||
昭電疑獄事件 | |||
極東軍事裁判判決 | |||
経済安定9原則 | |||
1949年(昭和24) | |||
民主自由党の圧勝 | |||
ドッジ・プランとシャウプ勧告 | |||
定員法と下山・三鷹・松川事件 | |||
1950年(昭和25) | |||
全面講和か単独講和か | |||
朝鮮戦争はじまる | |||
レッド・パージ | |||
1951年(昭和26) | |||
マッカーサー解任 | |||
全面講和をもとめて | |||
サンフランシスコ講和条約 | |||
1 952年(昭和27) | |||
独立は回復したか | |||
破防法の上程 | |||
メーデー事件 | |||
1953年(昭和28) | |||
バカヤロウ解散 | |||
池田・ロバートソン会談 | |||
企業集団の形成 | |||
1954年(昭和29) | |||
造船疑獄 | |||
逆コースの本格化 | |||
乱闘国会 | |||
原水爆禁止署名運動 | |||
インドネシア戦争体験 | |||
吉田長期政権の崩壊 | |||
1955年(昭和30) | |||
社会党の統一・保守合同 | |||
「うれうべき教科書の問題」 | |||
新しい力<バンドン会議、沖縄・北富士演習場・砂川、母親大会、婦人運動> | |||
高度経済成長の開始 | |||
1956年(昭和31) | |||
国連加盟、教育委員任命制、売春防止法の制定、沖縄祖国復帰運動、神武景気 | |||
1957年(昭和32) | |||
日米新時代、東南アジア賠償、労働運動と正面対決、電化時代に向けて | |||
1958年(昭和33) | |||
勤評闘争、警職法改正反対闘争、ミッチー・ブーム | |||
1959年(昭和34) | |||
安保条約の改定をめぐって、三井・三池争議、岩戸景気 | |||
Ⅲ | (1960-1972) 安保改定から高度経済成長へ | ||
1960年(昭和35) | |||
安保国会、激動の一か月、流血の惨事、新安保条約成立、安保闘争の反響、所得倍増計画 | |||
1961年(昭和36) | |||
嶋中事件、構造改革論と農業基本法、学力テスト、三無事件 | |||
1962年(昭和37) | |||
高校全員入学運動 | |||
新産業都市と公害問題 | |||
江田ビジョン | |||
LT貿易 | |||
1963年(昭和38) | |||
憲法調査会 | |||
原水禁運動の分裂 | |||
松川事件最高裁判決 | |||
相次ぐ大事故 | |||
1964年(昭和39) | |||
世界の中の日本経済 | |||
東京オリンピック | |||
政治情勢の変動 | |||
1965年(昭和40) | |||
「期待される人間像」 | |||
不況の到来 | |||
ベトナムと沖縄 | |||
日韓条約批准 | |||
1966年(昭和41) | |||
航空機事故 | |||
建国記念の日制定 | |||
政界の「黒い霧」事件 | |||
1967年(昭和42) | |||
沖縄の教公法案 | |||
革新都政の出発 | |||
資本の自由化 | |||
公害問題 | |||
沖縄返還をめぐって | |||
1968年(昭和43) | |||
学園紛争 | |||
沖縄に革新主席誕生 | |||
1969年(昭和44) | |||
大学管理法 | |||
靖国法案 | |||
同和対策をめぐって | |||
沖縄の72年返還決定 | |||
1970年(昭和45) | |||
日本万国博覧会 | |||
言論出版妨害問題 | |||
青法協問題 | |||
公害問題 | |||
三島事件 | |||
1971年(昭和46) | |||
米中接近 | |||
ドル・ショック | |||
沖縄返還をめぐって | |||
環境庁の発足 | |||
1972年(昭和47) | |||
沖縄県発足 | |||
田中内閣の成立 | |||
広がる革新自治体 | |||
上野動物園にパンダ | |||
Ⅳ | (1973-1989) 国際化時代の日本 | ||
1973年(昭和48) | |||
ベトナム和平とデタント | |||
石油危機と買いしめ騒ぎ | |||
金大中事件 | |||
1974年(昭和49) | |||
狂乱物価と大企業批判 | |||
田中金脈問題と三木内閣成立 | |||
高度経済成長の終焉 | |||
1975年(昭和50) | |||
混迷のもとでの減量経営 | |||
労働運動は「冬の時代」へ | |||
天皇訪米の波紋 | |||
国際婦人年 | |||
1976年(昭和51) | |||
ロッキード事件と田中前首相逮捕 | |||
「三木おろし」と福田内閣の誕生 | |||
防衛費はGNPの1パーセント内に | |||
1977年(昭和52) | |||
対日批判のつよまり | |||
革新伸張にかげり | |||
原水禁運動統一 | |||
1978年(昭和53) | |||
円高と「安定成長」 | |||
「生活保護主義」の中での政治的無関心 | |||
日本防衛協力ガイドライン | |||
自民党総裁予備選挙 | |||
1979年(昭和54) | |||
技術革新で第二次石油危機をのりきる | |||
革新自治体の衰退 | |||
大平内閣と一般消費税問題 | |||
1980年(昭和55) | |||
デタントから新冷戦へ | |||
ハプニング解散と大平首相休止 | |||
鈴木内閣と「和の政治」 | |||
1981年(昭和56) | |||
臨調行革の開始 | |||
高齢化社会のなかで弱者きりすて | |||
教科書検定の問題化 | |||
1982年(昭和57) | |||
アジアからの教科書批判 | |||
鈴木退陣と中曽根内閣 | |||
反核平和運動の高まり | |||
1983年(昭和58) | |||
「戦後政治の総決算」 | |||
田中元首相の実刑判決 | |||
ロッキード判決選挙 | |||
1984年(昭和59) | |||
ひとさしゆびの自由 | |||
臨時教育審議会とブレーン政治 | |||
新人類の誕生? | |||
1985年(昭和60) | |||
戦後40年目の靖国神社公式参拝 | |||
新国家主義のつよまり | |||
日航機墜落事故 | |||
男女雇用機会均等法 | |||
「国際化」と貿易摩擦のなかで | |||
さくいん | |||
止
『語りつぐ戦後史(上)』(鶴見俊輔〈対談・編集〉、講談社、19750815)
内容<作業中>
頁 | |||
7 | 久野収 | 戦後史への序曲 | |
27 | 宮城音弥 | ||
43 | 家永三郎 | ||
63 | 南博士 | ||
81 | 丸山真男 | ||
111 | 磯野誠一 | ||
131 | 中村元 | ||
151 | 梅棹忠夫 | ||
169 | 大熊信行 | ||
191 | 渡辺彗 | ||
209 | 北山茂夫 | ||
231 | 望月衛 | ||
251 | 都留重人 | ||
271 | 林屋辰三郎 | ||
289 | 大久保忠利 | ||
307 | 大江精三 | ||
321 | 井上清 | ||
339 | 葦津珍彦 | ||
353 | 乾孝 | ||
367 | 清水幾太郎 | ||
389 | 奈良本辰也 | ||
415 | 遠山啓 | ||
429 | 羽仁五郎 | 8月15日に君は何をしていたか | |
止
『シンポジウム 現代日本の思想 戦争と日本人』(三省堂、19671220)
内容<作業中>
Ⅰ | 戦争体験とはなにか | |||
1 | 体験論 | |||
経験と体験 | ||||
体験の私性 | ||||
戦争体験の継承 | ||||
マルキシズムにおける体験の問題 | ||||
2 | 私たちの戦争体験 | |||
橋川文三 戦時下の疎外感 | ||||
作田啓一 軍隊恐怖と国家の落丁 | ||||
上山春平 戦争と戦争体験―共同体と死 | ||||
多田道太郎 もろい存在感覚―ああいえばこういう主義 | ||||
日高六郎 疑問を抱きつつ―肥えたご主義 | ||||
鶴見俊輔 戦争体験がものを見る眼に | ||||
山田宗睦 あまりにも理念的―死との予定調和 | ||||
安田武 耐えがたい屈辱の時代 | ||||
Ⅱ | 庶民・知識人と戦争 | |||
1 | 報告 | |||
橋川文三 庶民の戦争体験について | ||||
作田啓一 庶民の戦争体験について―『めもらぴりあ』を中心に | ||||
安田武 知識人の戦争体験について―学徒兵を中心に | ||||
2 | 討論 | |||
Ⅲ | 支配層と戦争 | |||
1 | 報告 | |||
鶴見俊輔 支配層の戦争体験について―小泉信三を中心に | ||||
追放免除申請調書 | ||||
支配者意識の創出 | ||||
信三の戦争観 | ||||
思想のタガとしての明治国家 | ||||
新渡戸稲造と小泉信三 | ||||
2 | 討論 | |||
家系と生い立ち | ||||
完璧な虚偽意識 | ||||
皇太子の改造 | ||||
体制の論理 | ||||
戦後の家族と国家 | ||||
戦争責任と支配体系の変革 | ||||
参考文献 | ||||
あとがき | ||||
止
『平和をめざした科学者たち 原子力への道-科学者の研究と生き方 科学物語』(伊藤博著、平和文化、19860707)
内容
章 | ||
序 | 原子の起源 11 | |
思索の原子=デモクリトスの原子論12/原子論への批判14/四元素説15/科学的原子=ドルトンの原子論17 | ||
1 | 第1章 キュリー夫妻-原子力への道を開拓 21 | |
エックス線の発見23/放射性元素ラジウムの発見26/ラジウム塩の単離28/原子から発せられる不思議なエネルギー30/放射線治療車30/キュリー療法の開発32/ラジウムが犯罪者の手にわたったなら33/科学の公開を主張34/放射線に触まれつつ35 | ||
2 | アーネスト・ラザフォード--原子科学の父 37 | |
アルファ線・ベータ線・ガンマ線38/原子の放射性崩壊40/半減期41/原子核の発見42/人工原子核反応=新錬金術44/原子は壊れ、別の原子に変換する46/亡命科学者の救済に奔走47/ナチスの台頭47/ユダヤ人科学者の追放48/ハーバーの毒ガス研究をきらう49/ラザフォードの科学的予言50 | ||
3 | アルバート・アインシュタイン-公式E=mc2を導き出す 53 | |
特殊相対性理論の二つの根本原理55/時間の遅れ、長さの短縮57/E=mc2のはじめての求め方59/一グラムの質量が消滅すると61/アメリカ大統領への手紙63/第二次世界大戦勃起65/追害をうけ続けたアインシュタイン66/一貫した平和主義者67/ラッセル・アインシュタイン宣言69 | ||
4 | ニールス・ボーア-原子構造を解明 69 | |
電子の発見73/トムソンの原子模型と長岡の原子模型75/長岡模型に凱歌があがる76/ボーアの原子模型77/原子番号の発見78/原子の電子配置79/危機一発の脱出80/原爆製造計画への参加81/“原子力”知識の公開を主張83 | ||
5 | ヴェルナー・ハイゼンベルグ-原子核構造を解明 85 | |
陽子と原子核87/陽子・電子仮説88/中性子の発見89/陽子・中性子説91/同位体91/ナチスの原爆製造計画93/ナチスドイツにとどまったハイゼンベルグ95/妥協の人生96/ゲッチンゲン宣言97 | ||
6 | 湯川秀樹-核力の謎を解く 101 | |
万有引力と電磁気力102/核力=自然界に働く第三の力105/電磁気力を媒介する粒子=光子106/核力を媒介する粒子=中間子106/病身をおして核廃絶を訴える108/平和活動家=湯川秀樹109/核抑止政策の危険-科学者京都会議の声明110/理想を高くかかげて112 | ||
7 | レオ・シラードとオットー・ハーン-原子核分裂の発見 115 | |
中性子による原子核反応117/超ウラン原子を求めて-ウラン核分裂発見への出発点となった研究119/超ウラン原子でなくランタンがあった-ウラン核分裂の発見のきっかけ120/ランタンばかりでなくバリウムもあった-ウラン核分裂の実質的な発見120/バリウムとクリプトンが生ずるはずだ-ウラン核分裂の正しい解釈121/中性子も放出される-連鎖反応の可能性を示した研究123/世界が災厄に向かっている124/アインシュタインを動かす125/原子爆弾の標的がナチスから日本へ125/原爆を日本に投下させるな126/マイナウ宣言127 | ||
8 | エンリコ・フェルミ-「原子力の父」 131 | |
遅い中性子の発見132/核分裂する原子=ウラン235 135/フェルミの原子炉135/自発核分裂137/原子炉の役割=プルトニウムの生産137/アメリカへの脱出139/イタリアのファシズム139/イタリアのユダヤ人迫害140/フェルミの二つの「誤り」141/マンハッタン計画142/フェルミの立場143 | ||
9 | ロバート・オッペンハイマー-「原子爆弾の父」 145 | |
プルトニウム239の生産147/ウラン235の生産-気体拡散法148/臨界量150/砲撃法と爆縮法151/追放されたオッペンハイマー153/平和主義者オッペンハイマー154/悪魔が宿ったオッペンハイマー155/熱線・爆風・放射線-原爆の被害156/平和主義者にもどったオッペンハイマー158 | ||
10 | エドワード・テラー-「水f爆弾の父」 161 | |
太陽の核融合163/水素爆弾に利用された核融合164/核融合のエネルギー165/水素爆弾のしくみ166/中性子爆弾167/テラー対ポーリング168/水爆実験による死の灰169/「きれいな水爆」はありえない170/「核の冬」を否定171/科学者仲間から排斥されたテラー173 | ||
11 | ジュリオ=キュリー夫妻-科学と平和のために 175 | |
人工放射能の発見177/人工放射性原子の用途=トレーサー178/ジョリオ=キュリー夫妻の原子力研究180/ナチスに占領されたパリを解放181/フランスの抵抗運動182/第二次大戦の兵器と被害183/科学の再建のために184/原子力委員長から解任184/婦人の権利の拡大のために-イレーヌの活動186/ストックホルムアピール186/科学と平和に生きぬくキュリー家187 | ||
おわりに 189 | ||
止
『戦後・日本文壇史』(巖谷大四、朝日新聞社、19640210)
内容
Ⅰ | 華やかな文学の復興 | ||
Ⅱ | 「火の会」と「夜の会」 | ||
Ⅲ | 「カストリ横丁」夜話 | ||
Ⅳ | 三人の作家の死 | ||
Ⅴ | 昭和文壇の裏面の女 | ||
Ⅵ | 戦後の奇人・原民樹 | ||
Ⅶ | 永井荷風と正宗白鳥 | ||
Ⅷ | 話題を賑わした作家たち | ||
Ⅸ | 第29回国際ペン大会 | ||
Ⅹ | 石原慎太郎と深沢七郎 | ||
Ⅺ | 「日本の暗雲」と文壇 | ||
Ⅻ | 「ガン恐怖時代」と文壇 | ||
あとがき | |||
略年表 | |||
止
『破滅の決定 世界を変えた“マンハッタン”計画』(マイケル・アムライン著、野間寛二郎訳、三一新書<三一書房>、19620420)
内容
1 | 「いそいで、ひとめにつかぬよう」 9 | ||
「ハリー、大統領が死にました」/君たち、ぼくのために祈ってくれ!/あたらしい世紀の開幕 | |||
2 | 「月と星と ぜんぶの惑星が」 15 | ||
戦争はアメリカ人の世界への眼を開いた/原子のカーテンは厚く、とざされていた/『無の生産』とトルーマン委員会/ロス・アラモスが生んだ『あたらしい生命』/大統領第一日はバーンズとの会見からはじまった/<補助大統領>ジェイムズ・バーンズ/バーンズ国務長官の誕生/国連憲章は原子力時代以前の産物 | |||
3 | “manhattan” 35 | ||
力の限界以上のものをよんだ/史上空前の《いそがしい大統領》/スチムソンと“manhattan”/原子力世界の『悪夢』的性格/人間は原子エネルギーを管理できるか/スチムソンを議長とする秘密委員会の成立 | |||
4 | 「ただ一機」 49 | ||
<ギミック>をまつ飛行士たち/五〇九航空部隊の秘密任務/孤島のなかの孤島の基地 | |||
5 | 「ただ一個の爆弾」 55 | ||
砂漠のはての<Y地点>/Y地点の物理学者たち/<ギロチン>で<竜のしっぽをねじる> | |||
6 | 「臨時」-だが「歴史の長い眼」 61 | ||
臨時委員会の最大の問題/テニアン島の五〇九部隊/日本をおそった《人工台風》/あれくるった人工の火の嵐/どたん場の抵抗と勝利へのみおとし/<たたかう意志>のかたまりへの恐怖/使用決定の歴史的意味/爆弾の効果はどれぐらいか/爆弾の秘密はまもられるか/最初の原爆で人を殺すべきか/使用についての科学者の判断 | |||
7 | 「老鷲」 81 | ||
組織に忠実な男/1911年の世界 | |||
8 | 「爆弾の下側」 87 | ||
二つの脅威を育てた男/<治金研究所>の科学者たち/ひとりのヨーロッパ人/科学者の協同の中心/米ソの競争を予測したフランク報告/国際協定と廃棄についてのみとおし/原爆の無警告投下について/直接的ナ使用イガイニナイ/スチムソンの判断 | |||
9 | 「ジュリアスからきた」103 | ||
ローゼンバークとフックス/ゴールドとフックス/「ジュリアスからきた」/秘密はソ連の手にわたった/この章についての訳者註 | |||
10 | イギリス人とソ連人 111 | ||
「少数の者による生活様式の決定」/<秘密>をめぐるイギリスとアメリカ/“知る必要という原則”/爆弾は使用するためにつくる/秘密ではなかった原子計画/この世の地獄、大統領の激務 | |||
11 | 「日本への侵入計画」 121 | ||
統合参謀本部会議と文官指導の会議/なされなかった日本への警告/軍と政治の指揮系統/スチムソンの日本観/拒絶すれば破壊、降伏すれば希望/長い時間に準備されたひとつの<橋> | |||
12 | 最後の数分 133 | ||
ジラードの嘆願書/秘密のなかにきえた科学者の意見/原爆使用についての科学者の投票/鋼鉄の塔は秘密の儀式をまつ | |||
13 | テニアン-「光輝ある奴らは準備する」 143 | ||
バラード《だれもしらない》 | |||
14 | 「終着駅」ターミナル-三大首脳アインシュタインの世界に入る 149 | ||
アインシュタインの世界のさいしょの政治家/戦後世界の最大の焦点/世界の悲劇の目撃者/ポツダムの空気はよどんだ/雨と電光の<その前夜>/「赤ん坊は満足に 生まれた」!/はるかにめんどうな問題/わたしはその武器をこのまない/管理制度についてのスチムソンの見解/原爆による天皇の説得/目的のための絶対的道具/世界の死をすくうちいさな悪 | |||
15 | 下稽古と役者たち 167 | ||
<カボチャ>をつかチた下稽古/ポツダムの晩餐会/コンプトンの決断/投下命令はポツダム宣言のまえにだされた/重要さを理解しなかったスターリン/千両役者?スターリン/ポツダム宣言は<威力>をもちえたか? | |||
16 | 「することはもはやない」 189 | ||
<地獄の機械>ははこばれた/チャーチル、総選挙でやぶれる/<のろまな竜>のものがたり/ついに命令はくだされた | |||
17 | 「おお、神よ!」 191 | ||
広島、小倉、長崎/八月六日午前九時一五分! | |||
18 | 「荒廃の雨」 197 | ||
真珠湾から広島へ/平和と挑戦の交錯-日本の混迷/アメリカの降伏勧告/<無条件降伏>のためのふたつのシンボル/だれも<機械>をとめなかった/<たえがたきをたえ…>/ことはおわった!/未来はここからはじまる | |||
19 | 19 良心と疑問 215 | ||
決定は単独でなされたか/決定者は制約されていたか/日本降伏と原爆のかんけい/フランク報告を読んだのはだれか/スターリンはどこまでしっていたか/冷戦への洞察はあったか/決定的重要性のなかった原爆スパイ/現代の最大の悲劇的疑問!/戦争終結と原爆のかんけい/永遠と未来への決定? | |||
止
『憲法を生かすもの』(憲法問題研究会編、岩波新書、19610320)
内容
はじめに 憲法問題研究会―その目的と仕事 | 大内兵衛 | ||
Ⅰ | 国民の憲法意識 | ||
占領初期における憲法意識 | 佐藤功 | ||
日本人の憲法意識 | 中野好夫 | ||
Ⅱ | 戦争と平和 | ||
戦争か平和 | 南原功 | ||
内村鑑三の非戦論 | 矢内原忠雄 | ||
自衛権の陥穽 | |||
Ⅲ | 象徴と身分 | ||
天皇制について | 谷川徹三 | ||
「うまれ」による差別 | |||
Ⅳ | 議会政治の危機 | ||
強行採決の問題点 | 鵜飼信成 | ||
首相の座 | 辻清明 | ||
Ⅴ | 経済と社会 | ||
家族制度と憲法改正論 | 我妻栄 | ||
団結権保障とILO条約 | 野村平爾 | ||
貿易自由化と日本経済 | 有沢広巳 | ||
結び 現代における態度決定 | 丸山真男 | ||
止
『キューバ革命への道 三一新書285』(アルマンド・ヒノメス著、逢坂八郎訳、19610221)
内容
章 | |||
キューバ略図 | |||
はじめに | |||
1 | 独立からマチャードまで | ||
2 | 偽善者バチスタ | ||
3 | 圧政者生まれる | ||
4 | 英雄的な大学 | ||
5 | 7月26日 | ||
6 | ヨット”グラマ号”の遠征 | ||
7 | 官憲の弾圧 | ||
8 | 鷲の巣 | ||
9 | 内乱 | ||
10 | 勝利への行進 | ||
11 | ハバナへの道で | ||
12 | 逃亡--ひきょう者の運命 | ||
13 | キューバと新聞 | ||
14 | ”真実報道作戦” | ||
15 | 国民は獄吏を裁く | ||
16 | キューバの女性たち | ||
17 | ゲバラーー大陸からの協力 | ||
18 | 労働者の殉教者ヘスス・メネンデス | ||
19 | キューバの”ペーナ・ボート” | ||
20 | 合衆国の態度ーー外交 | ||
21 | キューバ革命の運命 | ||
訳注 | |||
訳者あとがき | |||
止
『放射能-原子戦争の脅威』(日本原水協科学委員会<編>、三一書房、19600822)
内容
まえがき | |||
Ⅰ | 新しい時代と科学者 9 | ||
Ⅱ | 各爆発実験による放射能汚染 17 | ||
1 概説 17 2 放射性降下物と気象 28 3 土壌と農作物の穂宇佐Yの宇汚染 43 4 人体中のストロンチウム90とセシウム137 55 5 核爆発の探知 60 |
|||
Ⅲ | 放射線の生物学的影響 69 | ||
1 放射線の生物学的影響 69 2 放射線の遺伝学的影響 80 |
|||
Ⅳ | 広島・長崎の被害 | ||
1 原爆はどのような物理的被害を与えたか 93 2 原爆症の実態 109 3 被爆者の現状 117 |
|||
Ⅴ | ビキニ水爆実験の被害者 127 | ||
Ⅵ | 人類みなごろしの原水爆戦争 139 | ||
Ⅶ | ロケット兵器の発達 153 | ||
1 発展する戦略ミサイル技術 153 2 軍事衛星の登場 160 3 ICBM対抗兵器の開発 166 4 日本のロケット開発 171 |
|||
Ⅷ | 原子力開発政策をめぐって 177 | ||
Ⅸ | 原水爆禁止を要求する科学者の運動 183 | ||
<付録> | |||
バートランド・ラッセル他10名の学者の署名をもって発表された声明(いわゆるラッセル・アインシュタイン声明) | |||
ゲッチンゲン宣言 | |||
世界の科学者による核実験停止協定締結の要請(いわゆるポーリング声明) | |||
声明 日本学術会議第六回総会 19500428 | |||
声明 日本学術会議第十七回総会 19540423 | |||
ウィーン宣言 原子科学者の第3回パグウォッシュ会議 19580914-21、オーストリア、キッツビュール、ウィーンにて | |||
<著者紹介> | |||
江川友治 | |||
小川巌雄 | |||
小川修三 | |||
岸田純之助 | |||
草野信男 | |||
小沼通二 | |||
坂田晶一 | |||
佐久間澄 広島大学理学部教授 | |||
庄野直美 広島女学院大学助教授 | |||
杉原芳夫 広島大学医学部助教授 | |||
西脇安 | |||
畑俊雄 | |||
広川俊吉 | |||
藤本陽一 | |||
牧二郎 | |||
矢野正 | |||
山縣登 | |||
山手茂 広島女子短期大学助教授 |
止