友の会だより(広島県動員学徒犠牲者の会会報)第3号(19580525)
主な内容<作業中>
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友の会だより(広島県動員学徒犠牲者の会会報)第3号(19580525)
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『動員学徒誌-被爆50周年記念』(広島県動員学徒等犠牲者の会、1995/10/31)
内容<作業中>
| 章 | |||
| 1 | 動員学徒遺族・傷害者の文 1 | ||
| 茨木イチノ 1 | 被爆五十年のおもいで | ||
| 能美チヅ 2 | 愛児の死 | ||
| 太田知須子 4 | 未だ帰らない次女稔子を偲びつヽ | ||
| 川本ミユキ 5 | 「お母さん!頑張って帰って来たのよ」 | ||
| 筒井音子 7 | 「今度会う時は靖国でね」 | ||
| 今田コト 8 | 邦男ちゃんのこと | ||
| 池田良子 2 | 五十回忌法要を済ませて | ||
| 池田武行 13 | 被爆五十周年に想う | ||
| 川本正之 14 | 長男、正彦 | ||
| 小出武16 | 思い出す事など | ||
| 山下昇 17 | ああ!未だ還らぬ由紀子よ! | ||
| 岡岩二 18 | キクエちゃんお父さんは元気ですよ | ||
| 常重キミエ 19 | 戦争はいやです | ||
| 松田雪美 20 | 母さんは平和の語り部 | ||
| 佐々木綾子 21 | 被爆体験記 | ||
| 佐々木ハルコ 23 | 被爆五十年を迎えて | ||
| 小野フジ子 24 | 被爆五十年の回顧 | ||
| 森下カツヨ 25 | 似島へ送られたけれど | ||
| (故)大東和雄 妹向井宏子 26 | 限りなき非惨事 | ||
| 浜田イサコ 31 | 亡き動員学徒の妹よ安らかに眠れ | ||
| 森アヤ子 33 | 主人は引率教師長男は動員学徒として | ||
| 溝下ハルミ 35 | 大切な長男を失ってしまった | ||
| 大江ミツノ 36 | 原爆を造ったばかりに | ||
| 松本キミ 37 | 今なお続く五十年の苦悩 | ||
| 若山幸雄 39 | 幸せ薄かった和子のために | ||
| 竹田俊二 40 | 全国の動員学徒慰霊祭に参列して | ||
| 伴谷キミヨ 41 | 全国戦没者追悼式に参列させていただいて | ||
| 中前タマノ 44 | 恵美ちゃんも長生きしてほしかった | ||
| (故)本地シズヨ 45 | 子供の兵隊 | ||
| 伊藤栄太郎 48 | 八月六日を偲びて | ||
| 井上ヨシエ 49 | いちぢくがあった | ||
| 竹田ことよ 51 | 東京から疎開して帰ったのに | ||
| 上野静子 51 | 一人娘を失って | ||
| 同本英雄 52 | 全国戦没者追悼式に参列して | ||
| 松浦サダミ 52 | 三畳のバラックに九人も | ||
| 被爆とその後の苦しみ | 榎㟢昭夫 53 | ||
| 池田精子 55 | 頑張って生きて行こう | ||
| 森下弘 57 | 「被爆教師」として生きる | ||
| 金光悦子 59 | 母の愛に守られて | ||
| 寺前妙子 60 | 原爆さえなかったら | ||
| 中井学 62 | 亡き友にかわって | ||
| 山岡ミチコ 63 | 語り部として生きる | ||
| 吉村幸子 65 | ケロイドに寄せて | ||
| 土井通哉 65 | 被爆当時のこと | ||
| (故)二井サワエ 67 | 悲しみの涙もつきて | ||
| (故)朝日輝一 70 | わが子の安否を尋ねて | ||
| (故)朝日俊明 72 | 血こん残す衣服 | ||
| 井上幹造 73 | 愚感 | ||
| 宮川造六 74 | 学徒動員から終戦まで | ||
| 福原チエ子 79 | 今もゾッとす | ||
| 小野文子 81 | 広島女子高等師範学校付属山中高等女学校の被爆の実態 | ||
| 名原光栄 85 | 八月六日、八時十五分 | ||
| 2 | 過去の「ともしび」から | ||
| 会のあゆみ 87 | |||
| 3 | 現、高等学校生徒の原爆によせる感想文 103 | ||
| 安田学園安田女子高等学校・広島県瀬戸内高等学校・広島市立基町高等学校・崇徳高等学校・進徳女子高等学校・広島女学院高等学校・修道高等学校・比治山女子高等学校・広島県立観音高等学校・広島県立皆実高等学校・広島県新庄高等学校・大下学園祇園高答学校・広島市立広島商業高等学校・広島県立広島商業高等学校・広島市立翠町中学校・広島市立観音中学校・元広島県立第二高等女学校 | |||
| 原爆慰霊追悼式の高校生の追悼のことば(昭和六十年から平成七年まで)120 | |||
| 4 | 原爆犠牲学徒等の慰霊碑めぐり(「ともしび」から)135 | ||
| あとがき 168 | |||
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資料年表:広島県動員学徒等犠牲者の会
| 年月日 | 資料名等 | 備考 |
| 19570217 | 広島県動員学徒犠牲者の会結成及び第1回総会 | |
| 1957 | 友の会だより(広島県動員学徒犠牲者の会会報)第1号 | |
| 19570630 | 友の会だより第2号 | |
| 19580525 | 友の会だより第3号 | |
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| 1960/11/01 | あしあと(宮原周治編、動員学徒援護会) | U |
| 1968/03/30 | 動員学徒誌(広島県動員学徒犠牲者の会) | U |
| 1972/07/30 | 動員学徒誌 続編(広島県動員学徒犠牲者の会) | U |
| 1972/11/30 | 生き残りたる吾等集ひて(長崎県動員学徒犠牲者の会) | |
| 1975/08/06 | おもかげ-炎と瓦礫の中に生きて(広島女高師附属山中高等女学校安浦一期会) | |
| 1975/12/25 | 戦後三十年の歩み(広島県動員学徒等犠牲者の会) | U |
| 1995/10/31 | 動員学徒誌-被爆50周年記念(広島県動員学徒等犠牲者の会) | U |
| 2004/10/01 | 慟哭の悲劇はなぜ起こったのか(建物疎開動員学徒の原爆被災を記録する会) | |
| 2007/01/31 | 動員学徒「慟哭の証言」(広島県動員学徒等犠牲者の会) | U |
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白土三平
| しらと・さんぺい | 本名:岡本登(のぼる) | 19320215生20211008没 | 漫画家。『忍者武芸帳 影丸伝』『サスケ』『カムイ伝』など。 |
資料年表:白土三平<作業中>
| 年月日 | 資料名 | 著者・発行者など |
| 1932 | ||
| 0215 | 誕生 | |
| 2009 | ||
| 0330 | 『消えゆく少女 前編』(小学館クリエイティブ) | |
| 中野晴行(評論家)「核兵器の恐怖とマンガ」 | ||
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| 0426 | 『消えゆく少女 後編』(小学館クリエイティブ) | |
| 佐藤優(作家・起訴休職外務事務官) | ||
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| 2021 | ||
| 1008 | 逝去。享年89歳。 |
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中沢啓治
| なかざわ・けいじ | 生20121219没 | 享年73 | 漫画家。『「ヒロシマ」の空白 シリーズ 昭和とはなんであったか』(中沢啓治、日本図書センター、1987.8.25)。『広島県現代文学事典』(小西清美pp.384-385) |
資料年表:中沢啓治
| 年月日 | |||
| 1971 | |||
| 0725 | 『黒い雨にうたれて―劇画で描く原爆被爆者の戦後史』 (中沢啓治、ドーミエ書房) | ||
| 1975 | |||
| 0512 | 『はだしのゲン 1 青麦ゲンの登場の巻』(中沢啓治、汐文社) | ||
| pp.272-275 尾崎秀樹(文芸評論家)「戦争を知らない世代にぜひ」 | |||
| 0512 | 『はだしのゲン 2 麦はふまれるの巻』(中沢啓治、汐文社) | ||
| pp.249-254 横田喬(朝日新聞社会部記者)「『はだしのゲン』に魅せられて」 | |||
| 0512 | 『はだしのゲン 3 麦よ出よの巻』(中沢啓治、汐文社) | ||
| pp.258-260 石子順(評論家)「”落ちた”と”落とされた”とのちがい」 | |||
| 0512 | 『はだしのゲン 4 まっすぐ伸びよ青い麦の巻』(中沢啓治、汐文社) | ||
| pp.258-260 石子順(評論家)「三十年前のことではなく」 | |||
| 1976 | |||
| 02 | カラー作品「はだしのゲン」(上映時間1時間47分) | ||
| 0710 | 『はだしのゲン 戦後編1』(中沢啓治、市民社) | ||
| pp.190-192 横田喬(朝日新聞記者)「はだしのゲンのこと」 | |||
| 1977 | |||
| 03 | 山田展吾作品「はだしのゲン 涙の爆発」 | ||
| 1982 | |||
| 0715 | 『ゲキの河 上巻』(中沢啓治、汐文社) | ||
| 0715 | 『ゲキの河 下巻』(中沢啓治、汐文社) | ||
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| 1987 | |||
| 0815 | 『「ヒロシマ」の空白-中沢家始末記<シリーズ昭和とはなんであったか>』(中沢啓治著、日本図書センター) | ||
| 1991 | |||
| 0705 | 『はだしのゲンへの手紙』(中沢啓治編、教育史料出版会0) | ||
| 1994 | |||
| 0715 | 『「はだしのゲン」自伝』(中沢啓治編、教育史料出版会) | ||
| 1995 | |||
| 0806 | 『舞台シナリオはだしのゲン誕生 母のゴンドラの唄が聞こえる』(星功一著、中沢啓治原作、柘植書房) | ||
| 2008 | |||
| 0806 | 『はだしのゲンはヒロシマを忘れない 岩波ブックレット No.735』(中沢啓治、岩波書店) | ||
| 2011 | |||
| 0325 | 『広島に聞く 広島を聞く <日英対照> = Reflections from Hiroshima』(浅井基文編著、かもがわ出版) | ||
| I 昭和天皇と日本(日本人)の戦争責任 11 中沢啓治「ゲンは怒っている」 13 |
|||
| 2012 | |||
| 0301 | 『ひろしま平和ノート 高等学校 ヒロシマ発 持続可能な社会の実現』(広島市教育委員会) | ||
| Ⅰヒロシマ 3 学習1 平和とは何か 4 学習2 原子爆弾と被爆の実相 6 学習3 被爆体験者が伝えること 8 中沢啓治さんからのメッセージ |
|||
| 0610 | 『複数の「ヒロシマ」 記憶の戦後史とメディアの力学』(福間良明、山口誠、吉村和真編著、青弓社) | ||
| 1219 | 中沢啓治逝去。 | ||
| 1220 | 『はだしのゲン わたしの遺書』(朝日学生新聞社) | ||
| <つづく> | |||
止
資料年表:伊東壮
| 年月日 | 資料名 | 著者・発行者など | 備考 |
| 1970 | “ひばく怪獣”問題資料集 被爆者差別の固定化を許さないために | ||
| 「はじめに “被爆怪獣問題”の中から 伊東壮 1」 | |||
| 1975/07/25 | 被爆の思想と運動 | 伊東壮著、新評論 | |
| 1975/07/25 | 原爆から原発まで 核セミナーの記録 上 | 原爆体験を伝える会編、アグネ | |
| 原爆被爆の思想と運動 伊東壮 132 | |||
| 1976/04/30 | 広島・長崎30年の証言(下) | 広島・長崎の証言の会編、未来社 | |
| 日本被爆者運動の三十年 伊東壮 11/東友会二十年のあゆみ 伊東壮 78 | |||
| <未完> | |||
| 19980928 | ふみあと(退官記念随想集) | ||
| 20000514 | 伊東壮さんを偲ぶつどい《冊子》<未完> | ||
止
『1945年8月6日-ヒロシマは語りつづける(岩波ジュニア新書6)』(伊東壮、岩波書店、1979/07/20)
内容<作業中>
| 1 | ある日突然-天をさく閃光 1 | ||
| 海の底で 2/倒れた校舎からはい出て 7/生き残った三人姉弟 12/日本人も朝鮮人もなく 20 | |||
| 2 | 戦争のなかの暮らし 29 | ||
| 広島の町 30/長崎の町 32/満州事変とともに 34/日中戦争始まる 39/太平洋戦争に突入 43/負けはじめる戦争のもとで 48/勉強をやめて工場動員へ 52/朝鮮人ニロ湾人も動員 56/ひもじさにたえる「学童疎開」 58/むごたらしさの果てに 64 | |||
| 3 | 戦争は終わったが 67 | ||
| 原子爆弾の破壊力 69/広島・長崎の被害 71/傷ついたからだ(藍)心のケロイド 78/消えぬ十字架 82/焼け跡のバラックで 84/襲いかかる原爆病 87/貧しさのどん底で 88/閃光はおなかの赤ちゃんにまで 90 | |||
| 4 | 原爆はなぜ広島・長崎へ 95 | ||
| アインシュタインの手紙 96/原子の構造 99/質量はエネルギーに変わる 101/ナチスとユダヤ人科学者 104/原爆の研究スタート 106/秘密裏にすすむマンハッタン計画 110/情報のひとりじめ 114/原爆をどの国に落とすか 116/日本に落とそう 120/ソ連を嚢制するために 124/戦争のモラルは変わった 126/どの都市に落とすか 130/原爆をいかにうまく使うか 134/科学者たちの良心の叫び 138/「赤ん坊は申し分なく生まれた」 142/投下命令が出される 148/「ちび」と「ふとっちょ」 150 | |||
| 5 | あなた自身が生き残るために 157 | ||
| 戦争は突然終わった 158/暗幕のかげで 160/東条内閣倒れる 162/すすむ和平工作 166/だまされつづけた国民 171/世界への第一報 174/プレスコードのもとに 176/「おれたちは原爆のモルモットか」 179/人類の危機 183/第三次大戦がおこれば 187/知らぬ間に核兵器にかこまれて 190/スリーマイル島の教訓 192/亡き学友の名をなでながら 197 | |||
| あとがき 203 | |||
| 〈年表〉原爆が投下されるまで 207 | |||
止
『ヒロシマ・ナガサキから世界と未来へ』(伊東壮著、勁草書房、1985/07/20)
内容<作業中>
| はじめに | |||
| Ⅰ | 被爆者問題の課題と方法 | ||
| 原爆被爆者問題にとりくんで 3 科学は人間のためにある 36 原爆被害の全体像へ接近するための視点と方法 45 「原爆被害」研究とその課題 64 |
|||
| Ⅱ | 被爆者の実情とその運動 | ||
| 政府の被爆者援護対策と被爆者運動 95 原爆小頭症患者の「きのこ会」の皆さんへ 129 基本懇意見書に抗する国家責任追及の国民法廷運動 133 迫る老いと死-韓国被爆者の「見殺し」は新しい加害 136 原爆被害者の老いの苦しみの中で 139 日本被団協の死没者・遺族調査の意味 147 |
|||
| Ⅲ | 被爆者と原水禁運動 | ||
| 被爆国際シンポジウムの訴え-人間としての尊厳のために 157 悲惨な戦争の実像伝えよう 161 「原爆被害」の今日的いみ 164 核権力と被爆者 188 第2回国連軍縮総会と草の根反核運動 195 国境をこえた草の根反核-「非核都市宣言」 207 |
|||
| Ⅳ | 原爆体験と平和教育 | ||
| 平和教育とは何か 213 「ヒロシマ・ナガサキ」から未来へ 221 |
|||
| 原水禁問題略年表 249 | |||
| おわりに 255 | |||
止
『原爆被爆者の半世紀』(伊東壮著、岩波ブックレット No.116、1988/06/20)
内容
| 頁 | ||
| 01 | 墓は訴える | |
| 02 | 天を裂く閃光 | |
| その日も学徒動員で工場に | ||
| ぼろぼろに焼かれた人たち | ||
| 11 | 絶滅のまっただなかで | |
| 重傷者を救護して | ||
| 爆心に姪をさがす | ||
| 17 | 広島一四万、長崎七万の死者 | |
| 地獄のなかの死者たち | ||
| 従来兵器にない大量殺りく | ||
| 23 | 子供、女性、老人が殺された | |
| その年の死者―65%が子供、女性、年寄り | ||
| とむらわれぬ死者 | ||
| 原爆死の特徴は、なによりも”殺人” | ||
| 32 | いまなおつづく健康破壊 | |
| おそう急性放射能症 | ||
| ひきつづく病気と「遅れた死」 | ||
| 38 | こわされた家族と家計 | |
| 家族が一挙に半分に | ||
| 家屋も財産も燃えつきて | ||
| 高度成長からとり残された被爆者 | ||
| 44 | おかされつづけるくらし | |
| 進学をあきらめ仕事に挫折 | ||
| くだかれる結婚のゆめ | ||
| 火事のできぬ主婦の悲しみ | ||
| うまれてくる子供への、ぬぐいきれない不安 | ||
| 54 | こころの深い傷のなかから | |
| ひき裂かれたこころ | ||
| かくされた原爆被害とその過小評価 | ||
| 「生きていてよかった」の言葉がきかれる | ||
| 61 | 核兵器廃絶を生きる支えとして | |
| いまも不安のなかに生きる被爆者 | ||
| ひとつの家庭で二人自殺した事例 | ||
| ふたたび被爆者をつくらぬ証しを | ||
| 被爆者の生と死を―核兵器廃絶と真の平和のためととらえたい | ||
止
『被爆の思想と運動』(伊東壮著、新評論、1975/07/25)
内容<作業中>
| はじめに 1 | |||
| Ⅰ | ある被爆者の「被爆原体験」と「被爆の思想」 | ||
| 1 私は何故被爆者運動をやるのか 11 2 私のヒロシマ 18 3 モルモットの夢 21 4 よく、そしてみんなで生きるために 25 5 原爆被害者の現状と“否定”意識 29 6 「被爆者の意識の前進」についての試論 47 |
|||
| Ⅱ | 冷たい目よりまず暖かい心を-被爆者調査活動の中から- | ||
| 7 破壊された「生」に暖かい心を-原爆被爆者調査の10年- 61 8 厚生省被爆者調査に欠落したもの-おおわれた一般人との「格差」 64 9 原爆被爆者の子どもに関する調査報告 76 |
|||
| Ⅲ | 「三つのほしょう」に立つ被爆者援護法をめざして-被爆者の要求と被爆者運動- | ||
| 10 被爆者運動のあゆみ-「自助」から「平和生存権」を求めて- 185 11 被爆者の実態と今後の方針 198 12 被爆者の要求と政府の援護 209 13 私たちは要求する(13項目)232 14 構成劇「私たちは生きつづける」 250 15 風化するヒロシマ 261 16 戦争犠牲者・原爆被爆者の福祉 285 17 「平和に生きる」ための「被爆者援護法」 301 18 被爆者問題と運動への総括的覚え書-原点からの報告- 339 |
|||
| おわりに 365 | |||
止