平岡敬前広島市長:私の平和論ーヒロシマから―20100121

広島女学院大学人間生活学研究科冬季特別講演会。
平岡敬前広島市長「私の平和論ーヒロシマから」。
ソフィア101。2010年01月21日 17:00~18:50

講演概要(宇吹メモ)<敬称略>
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死者の思いを忘れるな。県知事告諭、蜂谷道彦。仇を討つ。平和な社会を作ってくれと言って死んだ者はいない。原爆ドームの世界遺産化。国内160万人の署名。<講演後の話=参議院決議が文化庁を動かした。後で文化庁からいやがらせを受ける>。
国家の責任を国民が受け継ぐべきか。ヤスパースの4つの罪=刑法上の罪、政治上の罪、道徳上の罪、形而上の罪。
日本国民の戦争への共通認識がない。天皇の言葉=「あの戦争」。1998年のインド・パキスタンの核実験。インドで国防相、副大統領と面会。「核の傘」に守られている日本にインドを批判することはできない。ガンジーが生きていれば「作ってもいいが使うな」と言うだろう。帰国後の平和宣言で「核の傘」批判をおこなった。
「核の傘」=冷戦の産物。核状況の悪化=放射線被曝者の増加、劣化ウラン弾犠牲者、核物質の闇商人。キッシンジャー・シュルツなどによる「核のない世界」構想=中身は核拡散の防止。グローバル・ゼロ。この延長線上にオバマ発言。軍産複合体などアメリカの権力構造はオバマ政権でも変わらない=ブッシュ政権のゲーツが国防長官。オバマの選挙資金の4分の3が企業献金。
核兵器がなくなれば平和になるわけではない。核兵器廃絶後にどのような社会をつくるか。格差社会。
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赤木智弘=フリーター。論座で「丸山真男をひっぱたきたい」。折り鶴を折ることが平和に結びつくわけではない。折り鶴は紙切れ。原爆以外のハイテク兵器にどう対応するのか。
今日の講演で触れられなかったこと。1.原爆被害。2.核兵器の持つ皆殺しの思想。無差別爆撃。3.戦争体験の共有。4.日本に世間はあるが社会はない、5.原水禁運動、8.外国人被爆者、9.日米安保体制化の広島。10.ヒロシマの声として発信する人。
平岡敬への質問。
*井ヨ*エ(英米言語学科4年)。哲野イサク。網野沙羅。鈴木。
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謝辞=末永航。
平岡敬講演会参加者=読売、朝日(加戸靖史)、毎日(矢追健介)、共同(高見浩太郎)、産経(山澤義?)、中国(金崎由美、林淳一郎、吉原圭介、馬上稔子)、RCC(藤原大介ほか2名)。
平岡敬=講演後、学部事務室。中国メディアセンター記者。南部さやか(読売)。中田=父親が平岡と知り合いの様子。ラン・ツヴァイゲンバーグ(ニューヨーク市立大学)。平岡=*記者は抽象的になりすぎた。

 

 

広島市商同窓会

広島市立商業学校・広島市立造船工業学校
原爆戦没者慰霊碑

建立年月日:1963(昭和38)年8月6日

場所:広島市・平和記念公園

撮影日:2015年8月6日 08:59 撮影:宇吹暁
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(正面)(原文右横書き)

慰霊碑

(裏面)

建立発起人総代
広島市商同窓会々長 堀江守
同     副会長 平岡繁穂
同 同   大田広一
遺族代表      宮本卯三郎
広島市立造船工業学校原爆戦没者(略)
広島市立商業学校卒業生戦没者(略)

〔左側碑〕

碑文
青天の霹靂とはまさにこのことであった
昭和二十年八月六日午前八時十五分 われらの郷土広島は ただの一発の原子爆弾によってこの世ながらの地獄を現出し一瞬にして壊滅した
われらが母校広島市商は当時造船工業に転換を余儀なくされていたのであるが 当時学徒動員市内建物疎開作業に出動中の生徒二七〇名付添職員三名もまた 全滅の悲運に遭った
われらは年少の諸君の清純熱烈な愛国の至情に想いを至し 可憐悲痛全くいうべき言葉を知らない
われらここに殉難生徒職員各位の諸霊の冥福を祈り かくの如き悲劇の再び人間の手によってくり返さしめざることを誓うとともに 併せて今次大戦を通じて戦列に参加し 奮戦苦闘武運拙くも散華して護国の鬼と化した多数の旧市商同窓生各位の英霊をも弔うべくこの碑を建立し われらの微衷を永く後世に伝えんとするものである
昭和三十八年八月六日
広島市商同窓会 造船工業学校遺族
広島市商業高等学校長 田中浩造
撰文

〔右側碑〕(原文左横書き)

原爆戦没者慰霊
原爆死没者(五八名人名略)
戦争死没者(一〇一名人名略)

〔説明柱〕

広島市商業学校
広島市造船工業学校
原爆戦没者慰霊碑標

被爆動員学徒死没者の慈母観音像

被爆動員学徒死没者の慈母観音像
建立年月日:1966(昭和41)年7月31日
場所:広島市・平和大橋東詰

[台座正面]
観音となりて平和を守りゆく
少年学徒らのみたま尊し

康夫
[台座裏面]
世話人代表 秋田正之

[側碑]
慈母観音に抱かれ眠る 汝が姿
心にえがきて われら安らぐ

礼助

撮影年 2015年8月6日08:46 撮影者:宇吹暁
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 撮影年 不詳 撮影者:宇吹暁
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本川学区慰霊碑

本川学区慰霊碑

建立年月日:1957(昭和32)年8月6日
場所:広島市本川町・大田川岸
撮影日:2015年8月6日 撮影者:宇吹暁
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(正面)
慰霊之碑
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(裏面)
為原爆死没者
昭和三十二年八月六日建之
本川学区内有志
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〔説明板〕
此の慰霊碑は過ぐる昭和二十年八月六日原爆投下された際本川地区一帯の死亡者数千の遺体を本川小学校内に集め、焼却された遺骨を此の位置にあった空鞘町防空壕内に埋没されたのであります。
その後遺骨は平和公園内の供養塔内に移したのですが、永く此の聖地を記念しその英霊を慰めるため、地区内有志相寄り此の慰霊碑を建立したのであります。
合掌
昭和四十年八月
本川地区町民有志
本川町三丁目町内会

 

被爆者が描いた原爆の絵を街角に返す会

被爆者が描いた原爆の絵を街角に返す会

創立時会長:早坂昭

no  位置
1  西応寺
2  広陵高等学校
3   広島YMCA。
撮影日 20200301 撮影者:宇吹暁
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4  日本福音ル-テル広島教会
5  広島女学院
8月6日に除幕された広島女学院の原爆の絵碑には、本校の卒業生で、オーストラリア在住の絵本作家である森本順子さんの絵本「MY HIROSHIMA」(「わたしのヒロシマ」)から、7枚の絵が採用されています。(『広島女学院報』第 143 号 2004(平成16)年10月1日)
6  天満小学校
7  福島生協病院
8  フジグラン広島
9  原爆の動員学徒の碑
 (広島赤十字原爆病院メモリアルパーク)
10  広島医療生協共立病院
11

 

 

原爆犠牲建設労働者・職人乃碑(全国建設労働組合総連合会・広島県建設労働組合)

全国建設労働組合総連合会・広島県建設労働組合
原爆犠牲建設労働者・職人乃碑

 設置場所:広島市中区大手町一丁目9番(元安橋東詰南)
設置日:1988年8月5日
撮影日:2017年8月6日
撮影:宇吹
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 正面
慰霊 原爆犠牲建設労働者・職人之碑
 背面
 全建総連に結集する43万人の総意にもとづき 原爆の犠牲となられた建設労働者・職人と家族の霊を慰め 地球上から一切の核兵器をなくし 平和で豊かな社会をつくることを念願しここに建立する 1988年8月5日 全国建設労働組合総連合会・広島県建設労働組合
 原爆の犠牲となった広島と長崎の多数の建設労働者や職人及び家族の御霊を慰め、再び、いかなる国のいかなる民族も犠牲者となってはならないことを後世に伝えるため、広島と長崎にそれぞれ碑が建立された。碑は、住宅の屋根をかたどっている。原爆関係の慰霊碑等の概要 – 広島市公式ホームページ|国際平和文化都市 (hiroshima.lg.jp)