広島映画センター 創立:1972年?
| 映画『猫は生きている』 |
| 会場:広島朝日会館(1976年8月6日~8日) |
| 会場:郵便貯金ホール(8月10日) |
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| 主催:広島映画センター |
| 後援:広島映画サークル協議会、広島おやこ劇場、広島市親と子のよい映画を見る会 |
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広島映画センター 創立:1972年?
| 映画『猫は生きている』 |
| 会場:広島朝日会館(1976年8月6日~8日) |
| 会場:郵便貯金ホール(8月10日) |
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| 主催:広島映画センター |
| 後援:広島映画サークル協議会、広島おやこ劇場、広島市親と子のよい映画を見る会 |
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『反原爆のたたかい 広島原水爆禁止運動小史』(原水爆禁止広島県協議会〈広島県原水禁〉、19750730)
内容
| 頁 | |
| 01 | あの日の広島―原爆体験は生きて |
| 8時15分/原爆はなぜとうかされたか/プレスコードとノーモア・ヒロシマズ/詩による告発/平和式典と平和宣言 | |
| 09 | 弾圧に抗して―朝鮮戦争前後のたたかい |
| 占領下での平和集会/ストックホルム・アピール/被爆者の連帯始まる | |
| 16 | 反原水爆の炎は燃える ―「ビキニ」から世界大会へ― |
| ビキニ被災とひろがる署名運動 | |
| 原水禁世界大会へのめばえ | |
| 22 | 「いかなる」-分裂 安保から9回大会へ |
| 被爆者の要求/反帝論と幅広論の対立/原水禁運動に黒い影/原水禁運動の危機せまる/ソ連の核実験をめぐって/日本共産党の介入/被爆地からの叫び/2・21声明をめぐって/原水禁運動分裂の実相/原爆被災3県連の発足/原水禁国民会議の結成 | |
| 38 | ベトナム・沖繩にむけて |
| 明日のベトナムに昨日のヒロシマをみた | |
| 39 | 自衛隊パレード反対のたたかい |
| 反原爆から反自衛隊に | |
| 42 | 被爆者援護と原水爆禁止のたたかい |
| 被爆二世問題で | |
| 広島被団連準備会の結成 | |
| 準備会から連絡会議へ | |
| 46 | おわりに |
| 48 | 統一問題についての県原水禁の態度 |
| 51 | あとがき |
| 53 | 年表 |
| 編集責任者:宮崎安男 | |
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田辺耕一郎
| 19910817没 | たなべ・こういちろう | 享年87 | 『広島県現代文学事典』(岩崎清一郎・記)。1957年に開設された被爆者のための「憩いの家」を管理運営。 田辺耕一郎へのインタビュー1977年5月12日(メモ) |
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中津泰人
| 19840115没 | なかつ・やすと | 『慟哭・川柳句集』(中津泰人、19740725)。串かつ川柳会主宰。1973年に呉原爆被爆者友の会結成、同会会長。 |

平和の碑
建立年月日:1981(昭和66)年7月19日
場所:呉市阿賀町・大空山公園

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ヒロシマを知らせる委員会 1973年11月28日 発足<作業中>
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| (正)19790620刊 (続)19810820刊 |
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広島憩いの家の会〈作業中〉
設立年月日:1957年5月1日
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| 出典:『原水爆関係団体名簿』(1967年2月1日) |
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| 『平和文化』第4号(1976年11月1日) |
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| 出典:中国新聞社『広島県大百科事典』 | |
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田辺耕一郎へのインタビュー1977年5月12日(メモ)〈作業中〉
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被爆者献体の呼びかけ(山本美代 1976年6月)
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『反核の原点から―青年と原水禁運動』(「青年と原水禁運動」パンフ編集委員会、19770730)
内容
| 章 | 節 | 見出し | 備考 |
| 1 | 被爆2世この不安と怒り 1 | ||
| 1 | 自分の体験を訴える場所すらなかった (全逓被爆2世協 *原*文) 2 | ||
| 2 | 死産だった黒い子供の体 (民間 *内*丹 )5 | ||
| 3 | あっけなく息をひきとった次男 (主婦*崎*子 )7 | ||
| 4 | 高所得を理由に被爆者手当は無支給 ( 自営業*純児) 9 | ||
| 5 | 1日も早く不安をとり除く被爆者援護法の制定を( 全電通被爆2世協 *井正) 11 | ||
| 2 | 被爆2世の実態 13 | ||
| 1 | 病弱の持つ意味を考える 各種調査・研究の問題点 14 | ||
| 2 | 重い被爆2世の経済的負担 行政の“差別”は非科学的発想が原因 21 | ||
| 3 | 乱造を続ける原子力発電所 26 | ||
| 1 | 原子力の歩み 27 | ||
| 2 | 独占価格の原子炉と天然ウラン 29 (1)原子力発電所の原理と問題点 30 (2)天然ウランの90%が独占資本に握られている 32 (3)国をあげての原子炉売り込み 33 |
||
| 3 | 原子力エネルギーしかないのか? 36 (1)独占資本こそ浪費の元凶 36 (2)欠陥だらけの原子力発電所 38 |
||
| 4 | 増大する放射線被曝者 40 (1)モルモットにされた労働者 40 (2)仮想事故が起きたらどうなるか 42 |
||
| 4 | 各地の原水禁闘争 46 | ||
| 1 | 反「むつ」闘争 ―「むつ母港化阻止青年共闘」からの報告 47 | ||
| 2 | 原爆読本を隠す校長 ―長崎の平和教育現場からの報告 51 | ||
| 3 | 核燃料輸送阻止のたたかいからまなんだもの ―徳山地区共闘からの報告 54 | ||
| 4 | もう66回座り込んだ ―いかなる国の核実験にも抗議する広島 57 | ||
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| 《河村政任・板倉静夫・舛川貴志栄》 | |||
| 5 | 原水禁運動の発展のために 60 | ||
| 1 | 原水禁運動の歴史 61 | ||
| 2 | 戦争は終わっていない ― 被爆者援護法の制定を目ざして 66 | ||
| 3 | 職場における被爆者、被爆2世の要求 72 | ||
| あとがき76 | |||
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| 《裏表紙》 | |||
| 「青年と原水禁運動」パンフ編集委員会 | |||
| 広島被爆二世連絡協議会準備会(全電通・全逓・国労二世協 | |||
| 広島県労働組合会議青年部 | |||
| 日本社会主義青年同盟広島地区本部 |
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『「ヒロシマ」を考える平和講座』原水爆禁止広島県協議会(広島県原水禁)1976年7月
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| 回(月日) | 講師 | 演題 | 備考 |
| 1回(0625) | 永田守男(中国新聞論説委員) | 核と核兵器 | |
| 2回(0702) | 松江澄 | 広島平和運動史 | |
| 宮崎安男(広島県原水禁事務局長) | |||
| 別記資料:75年原水禁統一問題懇談会における諸提案 | |||
| 3回(0709) | 森滝市郎 | 被爆者の闘いと援護法 | |
| 近藤幸四郎(全電通被爆者協議会) | |||
| 資料:広島職域における被爆者団体名(13) | |||
| 国労被爆者対策協議会 | |||
| 動労 | |||
| 全電通被爆者協議会 | |||
| 全逓被爆者の会 | |||
| 被爆教師の会 | |||
| 被爆教職員の会 | |||
| ABCC労組被爆者協議会 | |||
| 光和労組被爆者協議会 | |||
| 自治労被爆者協議会 | |||
| 国労被爆二世の会 | |||
| 全逓被爆二世協議会 | |||
| 全電通被爆二世協議会 | |||
| 自労被爆者の会 | |||
| 李実根 | |||
| 4回(0716) | 栗原貞子 | 広島の文化と平和教育 | |
| 反核の文化 時代区分と作品 | |||
| 青木建夫(広教組本部情宣部長) | |||
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