『平和研究』の中のヒロシマ

『平和研究』の中のヒロシマ=目次抄

タイトル 備考(著者など)
01 発行年月日19760405
日本平和学会(PSAJ)設立趣意書
特集:平和研究の方法
「1974年度第2回大会でのシンポジウムの内容を基礎にしてこれを編集しなおしたもの」
平和科学の一視点
 森祐二(広島大学平和科学研究センター)
<書評>『核放射せんと原爆症』(庄野直美・飯島宗一著 森一久
<書評>『平和の探求』(岡蔵古志郎・丸山益輝・関寛治編) 白鳥令
<書評>試案「平和教育カリキュラム自主編成の手びき」 浮田久子
原爆被災文献目録と解題の試み-資料・体験記・運動・文学の部
 長岡弘芳(原爆体験を伝える会会員)
02 発行年月日19770425
巻頭言:平和価値と平和教育 山田浩之
特集1:平和価値
特集2:平和教育
広島における平和教育の歩みと今日の課題
 大槻和夫(広島大学助教授=教育学)
  戦後平和教育運動の歩み
第1期(1945~50年)知られざるヒロシマの怒りの時代
第2期(1950~55年)爆発するヒロシマの怒りの時代
第3期(1955~65年)ヒロシマの解消を迫られる時代
第4期(1965~今日)ヒロシマの復活と抵抗創造の時代
「平和教育」への問題提起 山本満
日本と海外の平和教育の接点をさぐる 浮田久子
平和のための平和を体した教育 それは可能か J・ガルトゥング
<書評>創価学会青年部反戦出版委員会編<戦争を知らない世代ヘ>シリーズ 江川潤
<書評>山田浩・関寛治・永井秀明・石田明・庄野直美 ヒロシマからの報告 川田侃
草創期日本の平和研究者:比較的考察 森祐二
03 発行年月日19780520
特集: 日本国憲法ー国内体制と平和
 <海外学界動向>
 IPRAの平和教育分科会に出席して  浮田久子
  「『ハダシのゲン』の英訳本が、ヨーロッパでは意外に不評」
 <書評>NGO被爆問題国際会議広島専門委員会・広島平和教育研究所 共編 『ヒロシマで教える』―核時代の平和教育  松元寛
 <書評>読売新聞大阪本社社会部編 『 新聞記者が語りつぐ戦争』  第1巻~第5巻 山川雄巳
04  発行年月日19790620
特集1:平和運動の理論と行動
特集2:国連軍縮特別総会
05 発行年月日19800910
 特集1:現代日本の平和保障
<論稿>反核証言運動の思想的展開 鎌田定夫
 特集2:現代日本の平和教育
 <1979年度春季シンポジウム平和教育部会報告>
全国高校の平和教育実践事例から 森下弘
沖縄・広島・長崎をつなぐものは何か-証言運動にみる体験の思想化と継承の問題 鎌田定夫
<書評>広島県朝鮮人被爆者協議会(朝被協)白いチョゴリの被爆者 小寺初世子
 06 発行年月日1982515
特集1:国際紛争の構造と解決
特集2:アジア平和研究国際会議
<学界動向>「核戦争の危機と人類生存のための条件-ラッセル・アインシュタイン宣言の現代的意義を探る」の概要  岡倉古志郎
<学界動向>平和研究の新しい一方向-1980年春期日本平和学会シンポジウムの報告から 森祐二
 <書評>森利一・山田浩編 平和学講義  百瀬宏
 07  発行年月日19821127
<巻頭言>平和研究と平和教育の接点を求めて  城戸一夫
 特集1:生活様式と平和
特集2:平和教育学への展望
平和教育実践の総括と展望  森下弘
特集3:非軍事化の探求
 核兵器禁止地域設定の問題点 前田寿
市民運動と軍縮-欧州の反核・平和運動についての暫定的な報告 高柳先男
<海外学界動向>核兵器と軍縮に関する国際公聴会 岡本三夫
08  発行年月日19831112
特集:新国際軍事秩序を解剖する
<書評>婦人平和委員会 平和への願いをこめて,創価学会青年部反戦出版委員会 戦争を知らない世代へII  橋本説子
 09  発行年月日19841101
<会長挨拶>栗野鳳
ヒロシマ・ナガサキの平和秩序の探求
特集1:戦後史におけるヒロシマ・ナガサキ
原爆情報の疎外 福島新吾
核戦争の危機と民衆-西ヨーロッパ平和運動の再生要因 立花誠逸
ヒロシマとナガサキ-その意味を考える視角 松元寛
平和と開発-「広島・長崎・沖縄」の意昧 西川潤
特集2:アジアの平和秩序のために
非核アジア・太平洋への接近 前田哲男
特集3:平和研究の現段階と平和学の課題-『平和学-理輪と課題』をめぐる誌上討論
平和運動の一実践者として 伊東壮
『草の根』のための活用を 行宗一
 平和研究は「学」化を急ぐべきか  鈴木沙雄
 平和学-“技術による平和”ヘの疑問  高榎 堯
平和と芸術-対談:『平和学』をめぐって 元永定正・川端正久
10  発行年月日19851109
特集1:日本の“平和保障”を求めて
 特集2:平和と地域-アフリカの飢えと国際政治-
 <論稿>平和学講座-四国学院大学の場合-   岡本三夫
 11 発行年月日19861115
特集1:日本型管理社会と労働
 特集2:核時代の平和と第三世界
特集3:アパルトヘイト
12 発行年月日19871107
特集1:エスニシティ問題
特集2:地域と平和
 特集3:大学における平和教育の現状と課題
13 発行年月日
14 発行年月日
 15 発行年月日
 16 発行年月日
17 発行年月日
 18 発行年月日
19 発行年月日
20 発行年月日
21 発行年月日
22 発行年月日
23 発行年月日
24 発行年月日
25 発行年月日
26 発行年月日
27 発行年月日
 28 発行年月日
 29 発行年月日
30 発行年月日
31 発行年月日
32 発行年月日
 33 発行年月日
 34 発行年月日
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49 発行年月日
50 発行年月日
51 発行年月日
 52 発行年月日
53 発行年月日20191230

日本平和学会

日本平和学会 設立日:1973年9月10日
機関誌:平和研究(19760405創刊号)
ホームページ https://www.psaj.org/

創立前後の動向(抄)(出典:「平和研究に関する国内のおもな動き」(『平和研究』創刊号、p.201))

年月日 事項
1966
02 日本平和研究懇談会(初代会長・川田侃)
1967
03 Peace Reseach  In Japan(日本平和研究懇談会英文機関誌)発刊
1972
07 日本学術会議、平和問題研究連絡委員会(委員長・岡倉古志郎)設置
08 日本平和教育研究所設立
09 日本平和研究懇談会内に「平和教育研究グループ」(部会長・浮田久子)組織
0912 PSSI日本支部設立準備大会開催
1973
0528 日本平和学会設立準備委員会発足
0903 「日本平和学会設立」についての記者会見
0910 日本平和学会設立総会および研究会。~11日
1974
03末 会員数104名になる
1975
06 広島大学「平和科学研究所」設置
08 被爆30周年国際核フォーラム
08 パグウォッシュ会議シンポジウム
0903 日本平和学会第5回研究大会(広島大学)~4日
1976
02 会員数245名となる
03 学会機関誌「平和研究」創刊号発刊

2020年6月(日録)

2020年6月(日録)

事項
 01  自宅にある過去の写真の整理。
04 MよりiPadが届く。YとともにMから使用法の説明を受ける。
07 ヒロシマ遺文への投稿=「2020年5月(日録)」、「2020年6月(日録)」。
09 K(*新聞記者)来宅。広島県被団協資料について。
11  書斎と書庫の資料整理。講義の準備。
 12  広島大学・広島女学院・県立大の講義関係資料の整理。
13  自宅の平和研究関係資料を整理。
14  自宅の広島大学平和科学研究センター関係資料を整理。
15  平和教育・平和研究・創価学会関係の本3箱を桜が丘の倉庫から自宅に持ち帰る。
16  ヒロシマ遺文への投稿=「日本平和学会」
17  ヒロシマ遺文への投稿=「『平和研究』の中のヒロシマ」、「『平和運動の理論と行動」、「国連軍縮特別総会(1978)」、「核時代の平和学』(目次)」。
18  ヒロシマ遺文への投稿=「『核の傘に覆われた世界』目次」、「被爆30年広島国際フォーラムの記録」、「『核と平和 日本人の意識』」、「「核意識構造の実態研究」グループ(庄野直美)」、「平和をねがう科学者の意見調査委員会ごあいさつ」
 19  吉川清関係資料の整理。
 20  吉川清・川手健・山下義宣関係資料の整理。
 21  「閃光を背負って “原爆第一号”の足跡」(『毎日新聞(広島版)』連載 19890816~0906。担当:小松健一記者)の整理。
22 ヒロシマ遺文への投稿=「平和のともしび 原爆第一号患者の手記」、「「原爆一号」といわれて」
23 「令和2年沖縄全戦没者追悼式」(沖縄県糸満市摩文仁の平和祈念公園)。<テレビ・新聞の報道を検討>
23 ヒロシマ遺文への投稿=「増岡敏和」
 26  広島市公文書館―原爆資料館―ブックオフ―広島市文化振興課―NHK
27 広島へ。ピカ資料研究所(ピカ研)関係資料の整理。
28 自宅でピカ研資料の整理。
28 広島大学「平和と人間D」および「平和と人間C」の準備作業。翌日、大学に講義用資料のPDFファイルを送付。
29 自宅でピカ研資料の整理。
30 K(*新聞記者)来宅。広島県被団協資料について
30  ヒロシマ遺文への投稿=「被爆者救援活動を強化するための決議」

 

2020年5月(日録)

2020年5月(日録)

事項
01 安浦の故西岡喜美子(私の母の短歌の先生)宅へ。甥と関係者5人と一緒に遺された蔵書・資料の仕分け。短歌社機関誌「火幻」・呉の郷土史関係資料<段ボール7箱+数束>を倉庫に持ち帰る。目録化してヒロシマ遺文で紹介することを約束。
02 新聞の切り抜き作業。4月10日~18日分。
03 新聞の切り抜き作業。4月19日~30日分。
04 切り抜きの分類「原爆報道」・「WHO<人物>」の整理。
05 切り抜きの分類「WHO」の整理。
06 切り抜きの分類「WHO」の整理。ほぼ終了。
07 切り抜きの分類「原爆報道」の整理。
 07  ヒロシマ遺文のTOP頁を更新。
 09  切り抜き分類「原爆報道」の整理。
 10  学生時代の手帳・日記の情報をテキストファイル「日記」に加える。
 10  ヒロシマ遺文への投稿=「2020年5月(日録)」
11  *よりスカイプでの連絡の申し出。スカイプの利用が鳴能なYのパソコンを借り、2階書斎でスカイプ利用の環境を整える。
 11  学生時代の手帳・日記の情報をテキストファイル「日記」に加える。
16  桜が丘へ。広大原医研資料3箱を自宅に持ち帰る。
 17 桜が丘へ。広大原医研資料2箱を自宅に持ち帰る。
18  自宅で広大原医研資料の内容検討と分類整理。
 20 桜が丘へ。 藤居資料1箱を自宅に持ち帰る。
 22  原爆手記掲載書一覧関係のデータをまとめる。
 24  桜が丘へ。女学院時代の資料1箱を自宅に持ち帰る。
28 M・Tに電話。静男の入隊年、出征地、復員日などを聞く。
 28  S(広島女学院大学)よりメール。、「ヒロシマと平和」の夏季集中講義中止の連絡。
 29  Kよりメール。原水協への中ソからの資金提供について。
 30  地元老人会資源回収。本を中心に大量に出す。
  30  兄より電話。*病院から連絡=見舞いの許可。条件付=入口で検温、火・金曜日、13時~17時。15分以内.

 

 

 

戦傷病者戦没遺族等援護法等の一部を改正する法律案に対する附帯決議(参議院)

戦傷病者戦没遺族等援護法等の一部を改正する法律案に対する附帯決議(参議院社会労働委員会、1967年7月11日)

(一) 原爆被爆者援護については、既に昭和三十九年衆参両院において「原爆被爆者援護強化に関する決議」がなされていることにかんがみ、政府は、すみやかに、原爆被爆者援護に関する法的措置を促進するため、関係者を含む特別の審議会を設置して、両院決議の実現をはかること。
(二) 政府は、原爆被爆者以外の各種の戦争犠牲者の援護についても、未だ適当な処遇がなされていない者に対しては、公平な処遇があまねく行なわれるよう努めること。

日本学術会議原子力特別委員会原爆被災資料に関するシンポジウム-発言要旨-

日本学術会議原子力特別委員会原爆被災資料に関するシンポジウム-発言要旨- 1967年7月1日

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原爆被災資料懇談会記録
日時 昭和42年7月1日 午前10時より
場所 広島大学6階大会議室
地元出席者 22名

<委員長挨拶>
今日の懇談会の主なるテーマは、被爆関係資料に関する問題を主に、その他放射線影響研究の将来計画の問題、核拡散防止問題などについて協議を進めたい。司会を三好委員と志水所長にお願いする。
<三好委員>
原爆被災資料に関する問題や、既成の資料が昨今のニュースが伝える通り返還されつつあるが、それらに関連して、付随する問題について討議して欲しい。原爆関係資料に関しては既成の資料のみでなく、新しい資料も作らねばならない時期に来ていると思う。そのためにはどのような方法をとるか、学術会議のこの委員会がこの時期において、はっきりしたみとおしを立てねばならぬ時期と思われる。その意味でこの会の進行を行いないので、十分意見を出して欲しい。
<志水所長>
原爆に関する学術資料が散逸しつつあり、その一部は国外にも持出されている状態で早く蒐集の機を持たねばならないかと思う。医学的資料については自分の立場からみてもかなりの資料の集積も行われているが昭和26年以前のものについては占領下のことで国外に持出され研究開発の基礎的資料が不足し、その制約のため不明な点が多い現状であるが、それぞれの立場からご意見を出していただいて討議していただきたい。
<今堀委員>
原爆白書推進委員会の立場から発言させてもらうが、新しい資料を作るためにも被爆者の総数を明らかにする事が必要である。そのために昭和45年度国勢調査には是非とも付帯調査を実施して生存者をも含めた人口調査が重要と思う。白書委員会としては次の点を政府に要望し申し入れている。
(一)ABCCの調査した各種の資料の学術的なリストを作製する。ABCCから研究結果は発表されているがその研究素材が我々には不明である。学術的に利用できるよう明らかにして欲しい。
(二)種々な被爆関係資料の保存公開。
[例]日映の被災記録映画-完成されたものばかりでなく、ラッシュについても重要なものが含まれていると思うので検討しなければならない。
被爆者個人の手記、日記、追憶など-当人が死亡すれば消え去る可能性が非常に強い。
テレビ、ラジオその他マスコミで作成記録した録音、録画など-多年経過したものは処分されているのが現状で、これらを早急に保存する必要がある。
原爆関係の印刷された文書、刊行物など文献の保存も必要である。
役場、学校、会社、その他各種団体などの被爆関係の公文書記録の集録、保存も重要である。
被爆者の死亡診断書。
これら資料を学問的大家の下に蒐集保存しなければならないし、資料は学術的見地からの利用を考慮してもらいたい。
資料に関連した生存者が健在のうちに、例えば映画などについては正しい解説をつけて残すように図らなければならない。
なお今後地元で発掘される資料も残さなければならないので、学術的体系の下に整理、保存、利用できるようにしなければならない。
またアメリカの国会図書館に相当な資料が保存されているというが、このように持出された資料についての返還は協力に推進しなければならない。
<田畑委員>
政府に勧告したとのことであるがこの点に関して政府の反応はどうか。
<今堀教授>
茅学長を通じ、当時の官房長官愛知揆一氏(彼も推進委員の一人だが)をまじえて佐藤首相にも数回会い、申し入れてある。首相もその都度「わかった、わかった」とは言っているが、その後何ら具体的措置はすすめられていない。
<志水所長>
この点に関連して申し上げるが、昭和42年度予算で厚生省が約500万円計上した。しかしこれは大蔵省の段階でカットされた。
次に理学関係を代表して前川先生にご意見をお願いしたい。
<前川先生>
私より佐久間氏の方が適当と考える。
<佐久間氏>
当委員会がABCC問題を重視され、かつ被爆に関しての貴重な資料を被爆者の治療や対策のために活用しうるよう関心をもたれていることはよろこばしいし、このことは被爆者の福祉に貢献するところが大きいと思う。
ABCC問題について、
(一)ABCCは設備、経費、スタッフが揃い、すぐれた研究を行っているので、ABCCの研究に対する被爆者の関心は深いものがある。しかし、受診する者の中に診察を受けた結果が戦争に関連し、軍事面に利用され、核戦争に役立つのではないかとの懸念をもっているものが非常に多い。
(二)ABCCで発表された貴重な貴重な資料が積重ねられているようにも思われるが、被爆者の治療や疾病の基本的問題にとって、最も重要な資料ともなるような調査の結果が率直に発表されていないように思われる。また重要な問題についても明らかにしていない。例えば二次放射能の問題なども総合報告においては不当に軽く扱われている。ABCCの初期において資料が米軍の関係を通じてアメリカに送られ軍事的期間に保存されているということは、現在問題となっている米軍と学術研究の例からみても軍事的研究に必ずしも関連がないといえないことを予想させる。
(三)これらの点に関して日本側から反論が行われていない。これは被爆者の健康管理の面から考えても重要な問題と思う。
(四)ABCCの存在そのものも問題である。
これらの問題解決のため、ABCCを日本の手にもどし、日本人が主体的に被爆者の治療、医療のために研究をすすめる方向について、この委員会で討議してもらいたい。これによって被爆者も安心するし、健康管理にも効果が大きく、被爆者にとっても大きなプラスになると思われる。
<金井氏>
(一)原爆被災は非戦闘員を含めた無差別攻撃による被害に特色をもっている。この無差別の意味の中には時間的無差別も含まれる。当時、非戦闘員であった者まで20数年経過した現在においても種々な疾病におかされている。また、被爆者は、差別待遇による被害をうけていて、被爆者に対する誤解も根強く、また未知による被害も無差別に加えられている。
すなわち、①生活上で結婚、就職の問題に関して差別をうけ、②補償の上でも差別待遇をうけ、三つの大きな差別をうける。非戦闘員と言うことで現行の法令では何らの補償が行われていないし、また被爆者に対する一般の態度も対話を伴わない同情論で終っている。
(二)保障、補償問題について、医療面では、わずかながら行われているが、現在のところ、特につぐないの意味での補償は行われていない。外地よりの引揚者に対しては非戦闘員に対しても行われるが、被爆者に対しては行われない。
被爆者自身、自分たちにとって戦争は終わっていないと言う痛切な感じをもっている。例えば小頭症、胎内被爆児は21世紀まで原爆の証人として生きねばならぬ。このことからも時間的無差別な被害となり得る問題を有している。
戦後の社会保障の未整備のために、その間被爆者には多くの問題が含まれ、無残な死に方をした者が多いし、にがにがしい結果を多く残している。
また、被爆者の中には健康な人もあるが、一般にそれはすぐれた素質を持った人といわれている。このような元気な人についての資料を集める事も必要であり、その意味では全面的な資料調査の必要性をもっている。
生活の上で追いつめられたというような問題が、被爆者の問題の特色ともなっているのであり、現行の戦闘員を中心に補償の序列が考えられている以上、全面的な調査を行わないと、遺族に対する補償の問題も浮かびあがってこない。
<志水所長>
いろいろ具体的な問題が提起されたと思うが、委員の方々で、これまでの御意見に対してご質問はないか。
<永積委員>[省略]
<佐久間氏>[省略]
<永積委員>[省略]
<今堀教授>[省略]
<松坂氏>[省略]
<文沢氏>[省略]
<森下氏>[省略]
<重藤院長>[省略]
<竹下教授>[省略]
<前川氏>[省略]
<志水所長>[省略]
<永積委員>[省略]
<志水所長>[省略]
<福島委員>[省略]
<本城委員>[省略]
<委員長挨拶>[省略]

戦傷病者戦没遺族等援護法等の一部を改正する法律案に対する附帯決議(衆議院)

戦傷病者戦没遺族等援護法等の一部を改正する法律案に対する附帯決議(衆議院社会労働委員会、1967年6月8日)
政府は、左記事項につき速やかに実現するよう検討、努力すること。
(一) わが国経済成長の実情にかんがみ、援護の最低基準を大巾に引き上げ、公平な援護措置が行なわれるよう努力すること。
(二) 満州開拓青年義勇隊員の募集の実情及び課せられた任務等の実態にかんがみ、昭和二十年八月八日以前の死没者の遺族の援護は勿論、その他の場合においても必要な援護措置を講ずること。
(三) わが国が世界唯一の原爆被爆国である事実にかんがみ、原爆被爆地において、旧防空法等による国家要請により、防空等の業務に従事中死亡又は身体に障害をこうむった者に対し、昭和四十三年度を目途として援護措置を講ずること。
なお、被爆地以外の地域についても必要な措置につき検討すること。

広島県原子爆弾被爆者援護措置要綱(19670401)

広島県原子爆弾被爆者援護措置要綱(19670401)

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広島県原子爆弾被爆者援護措置要綱
1967年4月1日()

第1 総則
1 目的
この要綱は,広島県に居住する原子爆弾被爆者(以下「被爆者」という。)の福祉向上について,その援護措置を定め,もって社会的自立更生を図ることを目的とする。
2 援護の措置
前項の目的を達成するための援護措置は,次のものとする。
(1)被爆者健康診断受診奨励金の支給
(2)被爆者就職支度金の支給
(3)被爆者雇用奨励金の支給
3 用語の定義
(1)この要綱において「被爆者」とは,原子爆弾被爆者の医療等に関する法律〔昭和32年法律第41号(以下「原爆医療法」という。)〕第2条に掲げる者をいう。
(2)この要綱において「常用労働者」とは,雇用期間の定めのない者及び雇用期間の定めのある者であって,おおむね1年以上経続して雇用されることが明らかな者をいう。
(3)この要綱において「低所得者等」とは次に掲げる者をいう。
ア 地方税法(昭和25年法律第226号)第703条の4又は717条の規定に基づき国民健康保険税が減額又は減免される世帯の構成員
イ 国民健康保険法(昭和33年法律第192号)第77条及び81条の規定に基づき保険科が減免又は減額される世帯の構成員
ウ 生活保護法(昭和25年法律第144号)による被保護者
エ 緊急失業対策法(昭和24年法律第89号)による失業対策事業紹介対象者
オ 老人福祉法(昭和38年法律第133号)により養護、老人ホームおよび特別養護老人ホームに収容されている者
カ 前各号に掲げる者のほか地方税法第295条第1項に該当する者

第2 被爆者健康診断受診励奨金
1 趣旨
市町村が被爆者に対し,原爆医療法に基づく健康診断の受珍を促進するための奨励金を支給した場合,県はこれに要した費用を予算の範囲内において交付するものとする。
2 交付の対象
この交付金の交付の対象となる費用は,昭和42年4月1日以降,原爆医療法第4条に規定する健康診断のうち一般検査を受診した低所得者に対して支給された費用とする。
3 交付金の額並びに算定方法
交付対象者1人年2回以内とし,1回につき330円として積算した額とする。ただし,実際に支給した額がこの交付額に満たないときは,その額とする。
4 交付の条件
(1)この交付金の適正な運用を図るため,知事は必要に応じ関係書類の提出を求め,又は調査をすることができる。
(2)この交付金の精算の結果剰余金を生じたときは返還させるものとする。
5 交付の申請等
交付の申請等の手続きは別に定める。

第3 被爆者就職支度金
1 趣旨
被爆者が経済的自立を図るため,就職するに至った場合において,就職支度に要する費用として支給する。
2 支給対象者
特別被爆者健康手帳を所持する者で6ケ月以上入院し,退院後1年以内に常用労動者として就職する者,又は退院後,公共職業訓練所,職場適応訓練実施事業所,その他各種技能養成施設(以下「公共職業訓練所等」という。)に入所した者で,当該職業訓練所等を修了した日からおおむね6ケ月以内(修了した日が退院後1年に満たない者は1年以内とする。)に常用労働者として就職する次の者とする。ただし,この要綱による就職支度金をすでに受けたことのある者及び退院後他の制度による就職支度金を受けたことのある者を除く。
(1)低所得者等
(2)その他知事が特に必要と認めた者
3 支給額
就職支度金の支給額は40000円とする。
4 支給の条件
(1)知事は,被爆者が偽りの申請その他不正の手段により就職支度金を受領したときは返還させる。
(2)就職支度金を受け,就職しなかった者又は3ケ月以内に離職した場合は,その事情が止むを得ないと認められる場合を除き,その全部又は一部を返還させる。
5 支給の申請等
支給の申請等の手続きについては別に定める。
6 実施期日
昭和42年4月1日以降就職した者に対し支給するものとする。

第3 被爆者雇用奨励金
1 趣旨
被爆者の雇用を促進するため,この要綱による就職支度金を受けることができる被爆者を雇用する事業主に対し,予算の範囲内において雇用奨励金を支給するものとする。
2 支給対象者
県内に事業所を有する者で,就職支度金の受給対象者を常用労働者として雇用する事業主とする。ただし,国,地方公共団体又は特殊法人で予算について国会の承認又は主務大臣の認可を受けなければならない事業主は除く。
3 支給額等
支給額は,対象となる常用労働者1人につき月額8000円とし,6ケ月を限度として雇用実績に応じて支給する。ただし,対象となる常用労働者1人に支払われた賃金総額の1/2に相当する金額(その額が月額8000円を超えるときは月額8000円として計算した額)以内とする。
4 支給の条件
(1)雇用奨励金は,事業主が対象被爆者を常用労働者として雇用することを条件とする。
(2)知事は必要と認めるときは,対象事業主に対し,関係書類の提出を求め,又は随時調査することができる。
(3)知事は,対象事業主が偽りの申請,その他不正の手段により雇用奨励金の支給を受けたときは,返還させる。
5 支給の申請等
支給の申請等の手続きについては別にて定める。
6 実施期日等
昭和42年4月1日以降雇用した事業主に対して支給する。
[以下略]

ヒロシマ基礎講座(第1回):ヒロシマはどう伝えうるか

ヒロシマはどう伝えうるか 原爆・平和報道の過去・現在・未来

日本ジャーナリスト会議広島支部(JCJ広島)主催「ジャーナリストのためのヒロシマ基礎講座」(2008年7月12日(土) 広島市まちづくり市民交流プラザ)

Ⅰ ヒロシマ教育の現場から
1987.7.11 広島平和文化センター主催留学生平和セミナー(第1回)
「被爆の社会的影響について」<1987.10.2 国連軍縮フェローシップへの講演>私もかかわる。90年頃からいつも平和文化センター理事長と私が攻撃対象。
1990年度~ 広島大学平和科目「戦争と平和に関する総合的考察」
1991年度受講生(日本人・女)  資料)1992年度受講生(中国人)
199011 アメリカの大学での講演=石原慎太郎の南京虐殺否定発言、フセインとヒロヒトの同一視
20030801 14万羽の折り鶴焼失>関西学院大学学生との合同授業 2004年~。
*県外学生のヒロシマに関する知識の欠如=県外での平和教育の衰退
2005年~ 広島女学院大学前期科目「ヒロシマ」。
*女学院学生の被爆3世の自覚の欠如=家庭の継承機能の衰
他の教育現場の状況
ピース・ボランティア(1999年~)、 ピースクラブ、ピースフォーラム
「広島・長崎講座」(2002年~)=平和教育の対象が高校生から大学生へ。
2007年 明治大学軍縮平和研究所など主催「被爆者の声をうけつぐ映画祭」
広島大学の平和教育=広島を中心に据えなかった。2009年度から必須科目で原爆資料館・大和ミュージアム・旧海軍兵学校教育参考館(江田島)・大久野島毒ガス資料館・ホロコースト記念館。
笠井綾(表現アーツセラピスト)「日曜エッセー 被爆継承 言葉を超え六感で」(中国新聞 2008年3月16日)
退
Ⅱ 原爆医療・医学分野での進展
原爆傷害調査委員会(ABCC)->1975年4月1日 放射線影響研究所
2008年6月、被爆者の死因を追跡する寿命調査(LSS)などを少なくとも今後25年継続するとの計画
*広島県に居住する被爆者数(広島大学広報委員会『学内通信』No.242)
昭和55(1980)年 17万9000人->昭和80(2005年)年 8万2000人(推定)
*IPPNW=核戦争防止国際医師会議。1980年に発足。1985年にノーベル平和賞を受賞
*湯崎(84.6.11)、内田(91.3.5)、志水(91.7.26)、秦(92.4.17)死亡。
<19910726宇吹メモ>ヒロシマの枠組みは存在するものの、その良質の精神(たとえば志水清や藤居平一に体現されていた)は、次第に失われている。現在の「被爆体験の継承」というスタイルで本当の継承ができるのか。必要なのは、「継承」というより「構築」ではないか。・・・
*原爆訴訟との関連
「被爆者運動」の担い手が、遺族から動員学徒に移行
戦前の軍国主義と戦後の初々しい民主主義の体験者
伊東壮=旧制県立広島一中3年の時に被爆。山梨大学学長(1992-98年)のほか、日本原水爆被害者団体協議会代表委員(1981-2000年)などを歴任した。
平山郁夫=旧制広島修道中学(3年在学中、勤労動員されていた広島市内陸軍兵器補給廠で被災。この被爆経験が後の「文化財赤十字」活動などの原点となる。『広島生変図』(1979)(広島県立美術館蔵)
原水爆禁止運動への偏見
弓削達(「歴史的現在をどう生きるか」岩波ブックレットNO.276、1992年11月)
「厭戦的な平和運動」・「被害者意識的な厭戦平和主義」
歴史化の進展事例
原爆資料館への学芸員の配置  広島市 1995年~、長崎市 2009年予定
1996年 原爆ドームの世界遺産化
広島平和記念資料館 重要文化財、広島平和記念公園 国名勝 2007年2月
長崎の平和公園 登録記念物 2008年5月?
2008年3月29日 NHKテレビ『探検ロマン世界遺産SP』
「記憶の遺産」=人類が忘れてはならない記憶の場所
2008年6月 島根県雲南市三刀屋町の市永井隆記念館敷地内に如己堂
Ⅲ 戦艦大和ブームとヒロシマ
Ⅳ 最近の原爆報道
空白の10年=県被団協の結成、12年=医療法、1970年代後半=国政課題としての被爆者問題
空白の3年=48 08 ? 夏、丸木位里・赤松俊子、「原爆の図」の製作に着手。
丸木俊『女絵かきの誕生-原爆を描いた愛の自叙伝』(朝日新聞社、1977年)
ヒロシマの誇り原爆ドーム、久間防衛大臣の発言、岡本太郎『明日の神話』、一本の鉛筆
2011年度から完全実施される小学校社会科の新学生指導要領の解説書
福田首相のオリンピック開会式参加と長崎平和式典参列。
資料4)最近の原爆報道より
朝日新聞連載 「聞きたかったこと 被爆から63年」2008年4月2日~
2008年5月31日 第8回東京空襲犠牲者遺族会総会。2000年に結成。2006年に訴訟を提起。
2008年6月22日 「殉国之塔」(旧呉海軍工廠への空襲で死亡した女子挺身隊らを祀る)の移設と慰霊祭
2008年7月9日 広島市原爆供養塔の納骨名簿(823体分)の公開
Ⅴ 未来へ
*あふれる原爆情報のガイド役=原爆情報リテラシー
1988年9 月2日 中国地区デ-タベース推進協議会・標準化部会。中国電力本社。
*被爆体験継承のためのFD(Faculty Development)
浅井基文<広島に聞く・広島を聞く>広島平和研究所ニューズレター 2006年3月号~
舟橋喜恵、平岡敬、坪井直、李実根、鎌田七男、中沢啓治、金子一士(森滝健一郎、浅井

 

1987.7.11広島平和文化センター主催留学生平和セミナー(第1回)

「被爆の社会的影響について」<1987.10.2 国連軍縮フェローシップへの講演>

私もかかわる。90年頃からいつも平和文化センター理事長と私が攻撃対象。

1990年度~「戦争と平和に関する総合的考察」

1991年度受講生(日本人・女)  資料)1992年度受講生(中国人)

1990年年11月、アメリカの大学での講演=石原慎太郎の南京虐殺否定発言、フセインとヒロヒトの同一視

<2003年8月1日14万羽の折り鶴焼失>関西学院大学学生との合同授業 2004年~。

*県外学生のヒロシマに関する知識の欠如=県外での平和教育の衰退

広島女学院大学前期科目「ヒロシマ」 2005年~。

*女学院学生の被爆3世の自覚の欠如=家庭の継承機能の衰退

資料1=実践例

他の教育現場の状況

ピース・ボランティア(1999年~)、 ピースクラブ、ピースフォーラム

「広島・長崎講座」(2002年~)=平和教育の対象が高校生から大学生へ。

2007年 明治大学軍縮平和研究所など主催「被爆者の声をうけつぐ映画祭」

広島大学の平和教育=広島を中心に据えなかった。2009年度から必須科目で原爆資料館・大和ミュージアム・旧海軍兵学校教育参考館(江田島)・大久野島毒ガス資料館・ホロコースト記念館。

笠井綾(表現アーツセラピスト)「日曜エッセー 被爆継承 言葉を超え六感で」(中国新聞 2008年3月16日)

Ⅱ 歴史化するヒロシマ

原爆医療・医学分野での進展

原爆傷害調査委員会(ABCC)->1975年4月1日 放射線影響研究所

2008年6月、被爆者の死因を追跡する寿命調査(LSS)などを少なくとも今後25年継続するとの計画

*広島県に居住する被爆者数(広島大学広報委員会『学内通信』No.242)

昭和55(1980)年 17万9000人->昭和80(2005年)年 8万2000人(推定)

*IPPNW=核戦争防止国際医師会議。1980年に発足。1985年にノーベル平和賞を受賞

*湯崎(84.6.11)、内田(91.3.5)、志水(91.7.26)、秦野(92.4.17)死亡。

91.7.26・・・ヒロシマの枠組みは存在するものの、その良質の精神(たとえば志水清や藤居平一に体現されていた)は、次第に失われている。現在の「被爆体験の継承」というスタイルで本当の継承ができるのか。必要なのは、「継承」というより「構築」ではないか。・・・

*原爆訴訟との関連

「被爆者運動」の担い手が、遺族から動員学徒に移行

戦前の軍国主義と戦後の初々しい民主主義の体験者

伊東壮=旧制県立広島一中3年の時に被爆。山梨大学学長(1992-98年)のほか、日本原水爆被害者団体協議会代表委員(1981-2000年)などを歴任した。

平山郁夫=旧制広島修道中学(3年在学中、勤労動員されていた広島市内陸軍兵器補給廠で被災。この被爆経験が後の「文化財赤十字」活動などの原点となる。『広島生変図』(1979)(広島県立美術館蔵)

原水爆禁止運動への偏見

古くさいというムード=冷戦終結後顕著。飢餓・貧困・環境問題・民族問題・宗教紛争

弓削達(「歴史的現在をどう生きるか」岩波ブックレットNO.276、1992年11月)

「厭戦的な平和運動」・「被害者意識的な厭戦平和主義」

川島孝郎(石田明、空辰男)、深川宗俊、藤居平一、

長田新、(斉藤)、森戸辰男、今堀誠二、森滝市郎、佐久間澄、大牟田稔、平岡敬、

資料2)今堀誠二著『原水爆時代-現代史の証言(上)(下)』目次

原爆資料館への学芸員の配置  広島市 1995年~、長崎市 2009年予定

1996年 原爆ドームの世界遺産化

広島平和記念資料館 重要文化財、広島平和記念公園 国名勝 2007年2月

長崎の平和公園 登録記念物 2008年5月?

2008年3月29日 NHKテレビ『探検ロマン世界遺産SP』

「記憶の遺産」=人類が忘れてはならない記憶の場所

2008年6月 島根県雲南市三刀屋町の市永井隆記念館敷地内に如己堂

Ⅲ 戦艦大和ブームとヒロシマ

資料3)日本表象文化史(第12回)2008年1月21日資料

朝日新聞の取材に注目

Ⅳ 最近の原爆報道

空白の10年=県被団協の結成、12年=医療法、1970年代後半=国政課題としての被爆者問題

空白の3年=48 08 ? 夏、丸木位里・赤松俊子、「原爆の図」の製作に着手。

丸木俊『女絵かきの誕生-原爆を描いた愛の自叙伝』(朝日新聞社、1977年)

ヒロシマの誇り原爆ドーム、久間防衛大臣の発言、岡本太郎『明日の神話』、一本の鉛筆

2011年度から完全実施される小学校社会科の新学生指導要領の解説書

福田首相のオリンピック開会式参加と長崎平和式典参列。

資料4)最近の原爆報道より

朝日新聞連載 「聞きたかったこと 被爆から63年」2008年4月2日~

2008年5月31日 第8回東京空襲犠牲者遺族会総会。2000年に結成。2006年に訴訟を提起。

2008年6月22日 「殉国之塔」(旧呉海軍工廠への空襲で死亡した女子挺身隊らを祀る)の移設と慰霊祭

2008年7月9日 広島市原爆供養塔の納骨名簿(823体分)の公開

Ⅴ 未来へ

*あふれる原爆情報のガイド役=原爆情報リテラシー

1988年9 月2日 中国地区デ-タベース推進協議会・標準化部会。中国電力本社。

*被爆体験継承のためのFD(Faculty Development)

浅井基文<広島に聞く・広島を聞く>広島平和研究所ニューズレター 2006年3月号~

舟橋喜恵、平岡敬、坪井直、李実根、鎌田七男、中沢啓治、金子一士(森滝健一郎、浅井)

明治百年論批判

『明治百年論批判』(「百年史」研究会、196711)目次

 20220302173455609
声明文「明治百年論」に反対する(「百年史」研、19671114)
”明百”祭の内容と意図
理解を深めるために
△近代化論批判
△ 明治百年論と天皇制
 △「愛国心」について
 △経済に於ける対米従属の起源
 △明治百年論の捉え方に関する覚え書き
 △教科書検定を中心にして
<資料>教育の軍国主義化の過程
 戦後史年表
 編集後記
 明治百年に関する資料
 20220302173601933

 

 

 

昭和55年度内地研究員調書(控・抄)

昭和55年度内地研究員調書(控・抄)

氏名 宇吹暁
研究区分 文-歴史学
研究題目 被爆者の社会史的研究
研究の方法及び計画 ①戦争責任論の立場から原爆被害に関する国家責任の究明
②原爆被害と一般戦災被害の比較検討
③原水禁・被爆者運動のもつ国際的・国内的・地域的3側面の比較検討
研究期間 昭和55年9月1日~昭和56年2月28日
受け入れ機関 一橋大学社会学部社会学科藤原研究室
指導教授等の職名及び氏名 教授 藤原彰
教育研究上特に必要とする理由
文部教官(助手)
 内地留学1
 2内地留学

文部省内地研究員研究成果報告書(草稿)

昭和56年3月4日提出
研究期間 昭和55年5月1日から昭和56年2月28日まで
研究経過概要 (600字以内)
藤原教授の指導の下に下記の研究をおこなった。
①日本における原爆症研究の発足および展開過程を、故都築正男(元東京帝国大学教授、学研原爆災害調査特別委医学科会長)旧蔵資料などを資材として考察した。
②被爆体験が日本の戦争犠牲者援護政策、原子力開発政策、安全保障政策にどのような形で定着しているかを、国会議事録を素材として考察した。
③被爆体験の国民レベルでの定着形態を、新聞報道・雑誌論文などを素材として考察した。
④被爆体験の国際的な意味について、ニューヨーク・タイムズを中心とする諸外国の新聞・雑誌を素材として考察した。

 

 

原爆文献を読む会会報記事目録

原爆文献を読む会会報記事目録(抄)

記事 著者 メモ
1 経過報告と感想-初会合の記録にかえて 長岡弘芳 19681101刊、19690711再刷
原爆の思想を築きたい アンケート集計結果
原爆文献を読む会-活動の記録
8月例会記
誌上録音
原爆講演会
1日合宿
9月例会
大牟田氏を囲んで
10月例会
丸木美術館訪問
東友会・慰霊祭
忘れられなかった「原爆」 鵜沼礼子
広島と僕 近藤弘
「この世界の片隅で」レポート以後 岡寿克
「原爆の図」を見て 佐藤博史
原爆展を見て 佐藤博史・古川智子
地方会員からの便り
書面出席
会員の仕事
編集後記
2 核時代のメモ・ノート(1)1968年の軌跡-広島・長崎被爆から中国の核実験まで- 林栄介 19690205刊
3 (続)孫貴達さんが残していったもの 19690524刊
4 (特集)原爆と私たちの今日的課題 19690712刊
5 (特集)「原爆と私たちの今日的課題」集会報告
6 19700425
7 〈講演記録〉ある被爆者の戦後史 石田忠 19701002
8 19710305

回顧五年-原爆ヒロシマの記録(概要)

『回顧五年-原爆ヒロシマの記録』(瀬戸内海文庫、19500505)概要

瀬戸内海文庫編集部
口絵写真 1945年8月6日午前8時15分
世界史に大きく記録される一瞬、それは広島市の上空に原子爆弾の第一弾が投下された時間であり、この一発こそ第二次世界大戦の終止符となり、世界平和への大きな原動力となった
1 一発の爆弾で見渡す限り死の原子沙漠と化した広島市
2-1 爆発直後に撮影されたキノコ形の原子雲
2-2
3-1
3-2
4-1
4-2
5-1
5-2
5-3
6
7
8
9
10
11
12-1
12-2 原爆の直下ともいえる相生橋の被害はひどかったが現在では全くそのかげをとどけぬまでに復旧工事がほどこされた
目次
報道篇
爆弾篇
体験篇
宣言 日本ペンクラブ「広島の会」(中国19500416)
あとがき 編者
奥付
編集者 「回顧五年-原爆ヒロシマの記録」
広島市外祇園町 電話;祇園66番
発行者 田中嗣三
印刷所 増田兄弟活版所
広島市空鞘町 電話;西(3)2567
発行所 瀬戸内海文庫
広島市研屋町12番地 電話;中(2)4495

回顧五年-原爆ヒロシマの記録(爆弾篇/体験篇)

回顧五年-原爆ヒロシマの記録(爆弾篇/体験篇)

爆弾篇(1945年)

見出し 掲載紙 掲載月日
英で着手、米で生産 毎日 0815
動力の世界に革新 毎日 0815
五百トン爆弾と同じ作用 朝日 0816
浅田博士に聴く(1) 朝日 0821
理博、阪大教授、産業科学研究所員、超電波の権威
浅田博士に聴く (2) 朝日 0822
浅田博士に聴く(3) 朝日 0823
浅田博士に聴く(4) 朝日 0824
浅田博士に聴く(5) 朝日 0826
浅田博士に聴く(6) 朝日 0827
原子爆弾の神秘を声明 19460330

体験篇(1945年)

見出し 掲載紙 掲載月日
原子弾を浴びて 朝日 0831
つきぬ情の一筋 中国 19460215
名作「原爆の回顧」 朝日 19470808
原爆孤児が綴る新版「父帰る」 中国 19470821
私らは大きくなった 朝日 19480808

出典:『回顧五年-原爆ヒロシマの記録』(瀬戸内海文庫、19500505)

回顧五年-原爆ヒロシマの記録(1949年)

 『回顧五年-原爆ヒロシマの記録』(瀬戸内海文庫、19500505)

報道篇(1949年)

見出し 掲載紙 掲載月日
八月六日を“世界平和デー”に  中国 0128
 海越えて米婦人“愛の小包”  朝日  0131
 原爆広島の復興、外人に忠言を聞く  朝日  0206
 原爆の街ヒロシマ  毎日  0209
 原爆患者の被災実演を撮影  朝日  0316
 「原爆の日」を祝日に“ヒロシマ”の著者にも  毎日  0320
 原爆都の皇太子さま   中国  0407
 ノーモア・ヒロシマズ運動   中国 0419
 原爆罹災者の署名運動   中国  0515
 全人類を愛で結べ   中国  0604
 きのう晴れの着工  朝日  0604
 原爆孤児と仲良く半日  毎日  0609
 原爆の広島救えと9萬ドル  朝日  0618
 鳴れ世界の果まで   中国  0623
 悲願広島の家   朝日  0702
 原爆傷害研究所近く着工  ?  7020
 賛成が圧倒  中国  0709
 平和を祈る一票  毎日  0709
あす公式に開所式  中国 0713
 八月六日を広島の日に  毎日  0719
 6・7・8の三日間広島で平和祭  毎日  0804
 世界各地へ記念ポスター   中国 0804
 高らかに平和の鐘  毎日  0807
広島・長崎にノッポ人出現か 中国  0822
 原爆死者二十萬突破  中国  0830
米眼科医二名が来広  朝日 0908
 平和生む最後の一撃  朝日  0926
 吉川氏夫妻を激励慰問金を贈る  毎日  1001
 四年後のヒロシマ  ? 1001
 原爆研究所陣容を強化   毎日  1009
平和への道標   毎日  1015
 原爆の眼への影響  中国  1103
 広島平和センター  中国  1119
 広島で原爆都市青年交歓会  毎日  1121
 初の国際学生会議  中国  1122
  広島、長崎に新しい原子病  毎日   1122
原爆体験記を紹介  朝日 1123
 広島に集まる同情の眼  舞に  1228

 

 

 

 

 

見出し