資料調査通信(広島大学原医研)1982年

1982年

第6号(1月号)-第16号(12月号)

 

分冊 記 事
6 1 1 まどうてくれ ―藤居平一聞書―その(2)原水爆禁止大会 1 21
6   1 THE NEW YORK TIMES の中のヒロシマ・ナガサキ (6)1960年 1 2
6   1 被爆問題年表 1982年1月 3 8
6   1 連載記事一覧 1981年 9 12
6   1 文献・図書資料 1982年1月受け入れ分 13 22
7 3 2 まどうてくれ 藤居メモ(1)1955年11月ー1956年3月 1 21
7 B 2 原爆障害症研究文献目録 ―渡辺 漸氏より借用分― 1 21
7 1 2 まどうてくれ ―藤居平一聞書―その(3)原爆被害者の救援と組織 1 17
7 2 2 まどうてくれ 資料 18 40
7   2 THE NEW YORK TIMES の中のヒロシマ・ナガサキ (7)1961-1964年 1 4
7   2 被爆問題年表 1982年2月 5 12
7   2 文献・図書資料 1982年2月受け入れ分 13 16
8 1 3 まどうてくれ ―藤居平一聞書―その(4)広島県被団協 1 14
8 2 3 まどうてくれ 資料 14 58
8 3 3 まどうてくれ 藤居メモ (2)1956年3月~7月 1 31
8   3 被爆問題年表 1982年3月 1 13
8   3 被爆問題年表 1982年4月 14 25
8 3 「反核・軍縮の決議・意見書・宣言を採択した地方議会一覧」   26 33
8   3 THE NEW YORK TIMES の中のヒロシマ・ナガサキ (8)1965-1971年 34 43
8   3 文献・図書資料 1982年3・4月受け入れ分 44 52
9 1 5 まどうてくれ 資料特集 1956年8月6日 第3回原水爆禁止広島大会,他 1 21
9 2 5 まどうてくれ 資料特集 くずれぬ平和を 8.6広島大会被害者大会議事録[抄] 1 19
9 3 5 まどうてくれ 資料特集 第2回原水爆禁止世界大会議事速報[抄] 1 19
9   5 THE NEW YORK TIMES の中のヒロシマ・ナガサキ (9)1972-1976年(連載終わり) 1 5
9   5 被爆問題年表 1982年5月 6 21
9   5 トピック() 5月13日の宮沢官房長官の衆院外務委での答弁について 21 21
9   5 文献・図書資料 1982年5月受け入れ分 22 24
10   6 国会論議の中の原爆被害 (1)第55回特別国会 1967年2月15日~7月21日 1 5
10   6 被爆問題年表 1982年6月 6 21
10   6 連載記事一覧 1982年上半期 22 25
10   6 文献・図書資料 1982年6月受け入れ分 26 34
11   7 国会論議の中の原爆被害 (2)第56回~第60回国会 1967年7月12日~1968年12月21日 1 8
11   7 被爆問題年表 1982年7月 9 20
11   7 文献・図書資料 1982年7月受け入れ分 21 26
12   8 国会論議の中の原爆被害 (3)第61・62第国会 1968年12月27日~1969年12月2日 1 8
12   8 被爆問題年表 1982年8月 9 25
12   8 文献・図書資料 1982年8月受け入れ分 26 37
13   9 国会論議の中の原爆被害 (4)第63・64回国会 1970年1月14日~12月18日 1 5
13   9 被爆問題年表 1982年9月 6 11
13   9 トピック(秦野) ―「週間明星」の“事実誤認記事”について― 12 13
13   9 文献・図書資料 1982年9月受け入れ分 14 24
14 10 国会論議の中の原爆被害 (5)第65-67回国会 1970年12月26日~1971年12月17日 1 6
14   10 メモ(秦野) ―「被爆二世の遺族から体験を聞く会」とは? 16 16
14   10 被爆問題年表 1982年10月 7 16
14   10 文献・図書資料 1982年10月受け入れ分 17 21
15 11 国会論議の中の原爆被害 (6)第68-70回国会 1971年12月29日~1972年11月13日 1 6
15   11 被爆問題年表 1982年11月 7 14
15   11 文献・図書資料 1982年11月受け入れ分 15 22
16 12 国会論議の中の原爆被害 (7)第71-74回国会 1972年12月22日~1974年12月25日 1 10
16 12 トピック(秦野) ―「被爆者対策予算」について― 17 17
16   12 被爆問題年表 1982年12月 11 17
16   12 連載記事一覧 1982年下半期 18 20
16   12 文献・図書資料 1982年12月受け入れ分 21 29

 

 

2020年8月(日録)

2020年8月(日録)

 第26回平和のための広島の戦争展。2020年7月30日オンラインで開催 http://www.hicat.ne.jp/matui-f/hiroshimasensouten2.html?fbclid=IwAR0ZYSqHvpcjSHgMOmtosHG1GLyjWOz8zwYytg5filRP-ZMSiwNFw6U9540
02 07:45~~ 8:38 (53分) シリーズ「被爆75年 平和都市を築いた人々」第2回 『ETV特集 ドームと生きた男 〜「原爆一号」吉川清〜』(初回放送:1997年1月20日)。宇吹出演。
02 「生きて(14)単著の通史 詳述した重層的な営み」<「生きて ヒロシマ史家 宇吹暁さん― 」『中国新聞』文化面連載)>
02  平和科目「平和と人間C」第9回「被曝資料とその総括-Ⅰ」(12:50~14:20)補講<東広島>
 02 平和科目「平和と人間C」第10回「被曝資料とその総括-Ⅱ」(14:35~16:05)補講<東広島>
03 「生きて(15止)考えるたたき台を発信 世界に向けて情報発信」<「生きて ヒロシマ史家 宇吹暁さん― 」『中国新聞』文化面連載)>
04 広島女学院大学講義(関西学院との連携講座)。中止。
04 ヒロシマ遺文への投稿=「資料調査通信(広島大学原医研)1982年」、「資料調査通信(広島大学原医研)1982年」、「資料調査通信(広島大学原医研)1983年」、「資料調査通信(広島大学原医研)1984年」、「資料調査通信(広島大学原医研)1985年」、「資料調査通信(広島大学原医研)1986年」、「資料調査通信(広島大学原医研)1987年」、「資料調査通信(広島大学原医研)1988年」、「資料調査通信(広島大学原医研)1989年」、「資料調査通信(広島大学原医研)1990年」、「資料調査通信(広島大学原医研)1991年」
06 読売・毎日・日経・産経をコンビニで購入。
06  広島原爆の日。広島市原爆死没者慰霊式・平和祈念式典
06 そごう駐車場―平和公園―広島県動員学徒犠牲者の会―原爆の子の像―原爆ドーム―原爆慰霊碑―花輪―撤去表(北辰映電)―献花―小倉桂子―peace run clubー平和の鐘を吊るす装置―巨大スクリーン―原爆慰霊碑―会場テント内―平和記念式典に寄せられたメッセージ―温井慰霊碑―造船工慰霊碑―教師と子どもの像―損保慰霊碑―湯川秀樹歌碑―原爆資料館―嵐の中の母子像―原爆資料館時計―ローマ法王碑―被爆ピアノ11:09―<全損保―被爆遺構―レストハウス>―そごう地下で昼食用弁当―
06 「47ニュース」で社説・論説をチェック。
06 ヒロシマ遺文ユーザー=163人。
07 呉市民劇場第例会「劇団1980公演 素劇 楢山節考」(6月2日上演分)。
08 蒲刈町在住の学生時代の友人宅を訪問。半世紀ぶりの再開。
09 07:45 シリーズ被爆75年「平和都市を築いた人々」第3回
ETV特集「ヒロシマの心忘るまじ~森滝市郎の日記から~」(1994年2月3日放送)視聴
09 長崎原爆の日。長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典。長崎原爆関係の報道を視聴。
11 散髪。丸坊主となる。
15   終戦記念日。全国戦没者追悼式。
15 19:30 総合「太陽の子」。~20:50。21:00~NHK総合 NHKスペシャル「忘れられた戦後補償」。~22:00。視聴
16 21:00 NHKスペシャル「アウシュビッツ―死者たちの告白」。~21:50。
16 22:00 BS1スペシャル「原子の力を解放せよ~戦争に翻弄された核物理学者たち~」。~22:50。
20 Miスマートバンドの利用開始。
23 「土門拳のヒロシマを探して 戦後75年を生きた人たち」(NHK総合8月8日 午前7:30~7:55 )(25分)の録画を視聴。
24 22:00 NHK総合「戦争動画集」(~22:45)視聴。
25   東京パラリンピック開会式。翌年に延期。
26  ヒロシマ遺文への投稿=「ヒロシマの記録(西本雅実)」、「広島は訴える 原爆広島11年の記録」
 27  ヒロシマ遺文への投稿=「広島は訴える 原爆広島11年の記録」、「原爆の記録ヒロシマ―米国返還資料から」、「広島・長崎 原子爆弾の記録」、「原子爆弾―広島・長崎の写真と記録」、「広島―戦争と都市(岩波写真文庫72)」。
28 ヒロシマ遺文への投稿=「ヒロシマ・ナガサキ原爆写真・絵画集成」、
29  ヒロシマ遺文への投稿=「広島県戦災史(口絵)」、「百二十八枚の広島」、「立ち上がるヒロシマ1952」
30 ヒロシマ遺文への投稿=「HIROSHIMA 半世紀の肖像-やすらぎを求める日々」、「昭和をとらえた写真家の眼」、「長崎 よみがえる原爆写真」
31 呉市昭和図書館へ。『原爆の記録ヒロシマ―米国返還資料から』を借用。
31  ヒロシマ遺文への投稿=「ヒロシマの証(土田ヒロミ)」

 

 

 

新研ニュース(中国新聞労組新研部)

新研ニュース(中国新聞労組新研部発行)

発行年月日 備考
01
02 19840113
03 19840117
04 19840204
05 19840209 自治体報道への提言①兼井亨「一貫性欠ける特落ち対策」
11 19840321 原爆・平和報道への提言①秦野裕子「『なぜ』に答えぬ連載 多い常とう句深まらぬ認識」

 

資料調査通信(広島大学原医研)1981年

1981年

第1号(1月号)-第5号(12月号)

 

分冊 記 事
1 8 THE NEW YORK TIMES の中のヒロシマ・ナガサキ (1)1945年10月~12月 1 2
1 8 被爆問題年表 1981年8月 3 10
1 8 文献・図書資料 1981年8月受け入れ分 11 15
2 9 THE NEW YORK TIMES の中のヒロシマ・ナガサキ (2)1946年 1 5
2 9 メモ(宇吹) ジョン・ハーシーの「ヒロシマ」とビキニ原爆実験 5 0
2 9 被爆問題年表 1981年9月 6 9
2 9 文献・図書資料 1981年9月受け入れ分 10 14
3 1 10 「原爆被災資料総目録「「第3集 原爆手記・広島の部」収録状況一覧 収集資料一覧 単行本の部 3 12
3 1 10 「原爆被災資料総目録「「第3集 原爆手記・広島の部」収録状況一覧 収集資料一覧 逐次刊行物の部 12 22
3 10 THE NEW YORK TIMES の中のヒロシマ・ナガサキ (3)1947-1953年 1 9
3 10 メモ(宇吹) パールハーバーとヒロシマ 9 0
3 10 被爆問題年表 1981年10月 10 15
3 10 トピック(寺井) 国連軍縮週間 15 16
3 10 文献・図書資料 1981年10月受け入れ分 17 20
3 別冊 あとがき(内田) <原爆体験記の収集について> 1 23
4 11 THE NEW YORK TIMES の中のヒロシマ・ナガサキ (4)1954-1958年6月 1 8
4 11 被爆問題年表 1981年11月 9 14
4 11 文献・図書資料 1981年11月受け入れ分 15 18
5 12 まどうてくれ ―藤居平一聞書―その(1)「まどうてくれ」 1 8
5 12 THE NEW YORK TIMES の中のヒロシマ・ナガサキ (5)1958年7月-1959年 9 11
5 12 メモ(寺井) 原爆被爆者の死亡発表 11 11
5 12 被爆問題年表 1981年12月 12 18
5 12 トピック(寺井) ―「老人保健法」案と原爆医療法― 18 19
5 12 文献・図書資料 1981年12月受け入れ分 20 22

 

反核・平和図書館関係者の会

正式名称:核兵器をなくし、平和を求める図書館関係者の会  略称:反核・平和図書館関係者の会

結成大会:1985年9月28日
会場:YMCA(東京都千代田区神田)
会誌:『図書館反核平和通信』

資料

『図書館反核平和通信』準備号No.1(19841130)
本間美智子 イギリス研究の旅
山崎元 ある図書館員の死
『図書館反核平和通信』準備号No.2(19850914)
兵器をなくし、平和を求める図書館関係者の会 結成にいたる経緯
兵器をなくし、平和を求める図書館関係者の会 会則案
内田恵美子 (活動紹介)広島大学原爆放射能医学研究所付属原爆被災学術資料センター
岩倉務 (活動紹介)平和博物館」
寄贈資料紹介 広島大学・原爆被災学術資料センター資料調査室『資料調査通信』No.30~43
核兵器をなくし、平和を求める図書館関係者の会 結成のつどいの模様と今後のお願い(世話人事務局、19851012)
『民主文学』1985年12月号 No.241 pp.157-158
清水正三 反核・平和図書関係者の会
話題・この人(『赤旗』19940821)
我妻滋夫さん 反核平和と図書館活動を結びつける事務局

ピカ研の指摘により作成した正誤表

ピカ研の指摘により作成した正誤表(20200704現在)
作成:宇吹 暁

年月日 書名
19710806 広島原爆戦災誌 第1巻
19710906 広島原爆戦災誌 第2巻
19711006 広島原爆戦災誌 第3巻
216 広島中央電話局(1.0km) 広島中央電話局(500m)
19711106 広島原爆戦災誌 第4巻
888上 田原伯 幻吉
19711206 広島原爆戦災誌 第5巻
19720331 広島県史 原爆資料編
19840329 広島県史 年表
19880325 広島県戦災史 116 天主閣 天守閣
19800715 原爆被災学術資料センター蔵 原水爆関係資料目録(Ⅰ)1974年4月~1978年12月
「お国がつくる見本の本 学者用 税立図書館」
19850301 原爆被災学術資料センター 原爆関係蔵書目録(Ⅱ)1979年1月~1983年12月
多数の指摘
19900731 原爆被災学術資料センター 原爆関係蔵書目録(Ⅲ)1984年1月~1988年12月
多数の指摘
1985 IMAGES FOR SURVIVAL <Exhibition of American and Japanese Peace Posters>
19890401 図説広島市史 172 「広島平和記念都市建設法」は、広島市民の平和への決意の結実であるとともに国内外のノーモア・ヒロシマズの声の象徴である。
この法に基づく広島の復興と市民のたゆみない平和への努力を基盤として、今日の広島市は国際平和文化都市を目指して進んでいる。
なぜか
172 ピカドン(昭和25年8月刊) (昭和25年8月6日刊)
172 原爆詩集(昭和26年9月刊) 原爆詩集(昭和26年9月20日刊)
173 『アサヒグラフ』 原爆特集号 『アサヒグラフ』 原爆被害の初公開
174 (写真15)原爆被災全体像調査のための市民集会
(所蔵者・提供者等)中国新聞社
(所蔵者・提供者等)金井・幻吉
174 (写真17)平和公園 (写真17)平和大通り
226 グアム島<「原爆投下機はグアム島発進!? 図説広島市史に誤記」『中国新聞19920331』
255 峠三吉「一九六五年のヒロシマ」(昭和二十一年八月二日) 峠一夫 21.12.1
1992 原爆文献にみる戦後史 平成4年度広島市公文書館常設展示
1992 都築・弓野資料にみる占領下の原爆災害調査 平成4年度広島市公文書館常設展示Ⅱ
多数の指摘
19960331 ヒロシマの被爆建造物は語る
098 『ニューヨーカー』 使用了解を
308 李将軍
365 原爆被災資料総目録1.2.3 原爆被災資料総目録1.2.3.4
383 ピカ研究所提供 ピカ資料研究所
386 年表広島 年表ヒロシマ
19960331 被爆50周年 図説戦後広島市史 街と暮らしの50年<本なし、ピカ研メモのみ>
19990726 原爆手記掲載図書・雑誌総目録 1945-1995
田原伯(ピカ研主宰) 田原幻吉(ピカ研所長)
1収録基準(5)改版? (内容変更)=改訂
2収録期間(1)1945年8月~1995年末
2収録期間(2)確認できる最も古い手記=1946年2月 逆あがり、1945.8.31大田洋子
3記載事項(2)多重者 多重者=記入法
3記載事項(5)所蔵 原医研・国会図 所蔵 原医研・国会図・以外
003 [0011]
013 [0106]<[]内は一連番号>原爆詩集 所蔵:国会図
014 お父さんを生かしたい―平和を叫ぶ子らの訴え 残念もう少し?四集5冊、三集5冊、10冊
031 [0284]<発行年月日日=19580401> <発行年月日日=195606>
201 [2015]原爆を吊ってあった落下傘
289 <19880331上原敏子>

 

 

「ピカより〇〇〇〇〇日」の会

ピカ暦19680706「ピカより〇〇〇〇〇日」の会
設立日:

資料:配布ビラ

年月日 ピカより何日
19680606 8341
 8時15分=8341日=201万1040分=7億2066万2400秒
19680706 8371
19680806 8402
19680906 8433
19681006 8463
19681106 8493
19681206 8524
19690106 8555
19690206 8586
19690306 8614
1240万4160分=7億4424万9600秒
pika2
「読売新聞(広島市内版)」(19740101)掲載広告
 田原幻吉(長崎市万才町3-33)

 

 

入会のしおり-非核の政府を求める広島の会

入会のしおり-非核の政府を求める広島の会(結成総会19870613)

呼びかけ人

相原和光 広島YMCA名誉総主事
市岡正憲 元中学校長
岩佐勝子 キリスト教婦人矯風会
宇根内良子 県母親連絡会
太田睦雄 広島市教組委員長
大槻和夫 広大教授
大森正信 広大教授
片柳寛 広島女学院大学長
倉光誠一 カトリック正義と平和広島協議会
迫千代子 婦人国際平和自由連盟
佐々木猛也 弁護士
佐藤天俊 三滝寺住職
佐藤光雄 広島市職労委員長
原田美代子 元小学校長
松重美人 写真家
山手叡 日本共産党広島県委員長
三浦精子 児童文学者
宗藤尚三 日本基督教団広島府中教会
(五十音順)

 

非核政府02
非核政府01
  ●非核の五項目
 ①全人類共通の緊急課題として核戦争をふせぎ、核兵器をなくす
 ②国是とされる非核三原則の厳格な実施をもとめる
 ③日本を核戦争にみちびくすべての措置に反対する
 ④国家補償による被爆者援護法を制定する
⑤原水爆禁止世界大会のこれまでの合意にもとづいて国際連帯をつよめる

四国五郎

四国(四國)五郎

しこく・ごろう 19240511生20140330没 享年89 画家。『広島県現代文学事典』(西原大輔・記)。自著『平和記念式典の歩み』の執筆過程で広島市広報課在任中の四国氏に面識を得た。

資料

刊本
年月日 書名 備考(編著者・発行所など)
1970/07/20 四国五郎詩画集-母子像 四国五郎著 広島詩人会議編 広島詩人会議
1975/04/30 広島百橋 四国五郎 絵と文 春陽社出版
1979/11/01 絵本おこりじぞう 山口勇子 原作、沼田曜一 語り、四国五郎 絵 金の星社
1982/06/25 おこりじぞう 山口勇子作、四国五郎絵 新日本出版社
1983/07/20 絵本ヒロシマのおとうさん ヒロシマの心を子どもたちに 高橋昭博文、四国五郎絵 汐文社
資料
2020 四国直登の避難ルート(A3、1枚) <2020年国立広島原爆死没者追悼平和祈念館企画展「ヒロシマを描き続けた四国五郎と死の床でつづった直登の日記」で入手>
2020 四国五郎の年譜(A4、1枚) <2020年国立広島原爆死没者追悼平和祈念館企画展「ヒロシマを描き続けた四国五郎と死の床でつづった直登の日記」で入手>
 20200806   NHK BS1スペシャル「ヒロシマの画家 四國五郎が伝える戦争の記憶」午前0:46~午前2:26(100分)

川手健を語る

『川手健を語る』(川手健を語る会編、岡本智恵子 19950806)

川手健を語る会

とき 1985年4月28日(日曜日)午後5時半
ところ 広島県民文化センター5階ルビーの間
会費 5000円

目次

事項 備考
002 案内状 発起人=13人
003
とき 1985年4月28日(日曜日)午後5時半
ところ 広島県民文化センター5階ルビーの間
会費 5000円
003 川手健君の横顔
004 川手健を語る会発起人
005 出席者 <宇吹暁が藤居平一の指示で代理として出席>
008 川手健追悼会(発言者)
大牟田(司会)
012 長崎
013 高橋
017 好村(司会)
018 岡田
021 中江
023 岡田
023 司会
025 松江
028 野村
028 司会
029 松野
031 司会
032 広岡
033 司会
033 望月
036 司会
037 森滝
046 司会
041 岡本智恵子(朗読) 「かんかんがくがく 黒い橋―あるコミュニストの死―」(『中国新聞』19600605)
043 司会
043 温品
044  司会
044 石田
047  司会
047 里信
048  司会
050 寺前
051  司会
052 高橋
053 石井
054 文沢
054  司会
055 石井
060  司会
060 沼田
061  司会
061 丸本
062  司会  メッセージ紹介
062  藤居平一
063  佐久間澄
 063  伊東壮
 063  竹内武
 063  杉本きみよし
 064  高橋昭博
 064  村上操
 064  多地映一  本名:田村順一
 064  小久保均
 065  司会
  065  石川
 066  司会
  066  川本
 067  高橋
 069  司会
 070  川手健  半年の足跡(「原爆に生きて」195306)
 080   川手健  ”傷は癒えたか”応募原稿
 087  川手健  年譜
 091  且原澄夫  川手健君のこと(1989.2.24)
 099  山元敏之  東京で38日間生きた
 104  新聞記事
 105  新聞記事
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2020年7月(日録)

2020年7月(日録)

01 呉空襲犠牲者慰霊・恒久平和祈念の日。自宅で黙とう。
01 倉庫のピカ研資料の整理。
02  ヒロシマ遺文への投稿=「2020年7月(日録)」。ヒロシマ遺文のTOP頁の更新。
 01  広島市平和公園のレストハウス、リニューアルオープン。
 02  「ピカ研の指摘により作成した正誤表」(xlsx)の作成。
 04  五日市でピカ研資料の整理。
 05  毎日新聞広島版連載「閃光を背負って ”原爆第一号”の足跡」(12回19890816~0906)のスキャナーでの取り込み。
06 西日本豪雨から2年。
 07  吉川清『平和のともしび』『「原爆一号」といわれて』を読み直す。
08  毎日新聞連載『閃光を背負って』のデータの整理。
 09  若尾祐司ら訳『ヒロシマ グローバルな記憶文化の形成』受贈。
12  NHK
13  広島大学(千田町)講義。平和科目「平和と人間D」第13回「被爆資料とその総括」
14  広島大学平和科目「平和と人間C」<医歯薬学生対象>第9回「被曝資料とその総括-Ⅰ」「同前Ⅱ」。自宅を出る直前に休講の連絡。
 14 「生きて(1)研究半世紀 先人にしった激励され」<「生きて ヒロシマ史家 宇吹暁さん― 」『中国新聞』文化面連載)>
 15 「生きて (2)中学3年 原爆劇巡演 衝撃受ける」
 15  ヒロシマ遺文への投稿=「川手健を語る」
15 非核の政府を求める広島の会ニュースのデータ整理。
16  「生きて (3)国史学専攻 鍛えられた史料解読」
18 「令和2年度城下町広島の歴史講座」。翌年に延期。
 18  「生きて (4)県史編さん室 一本釣りで原爆調査へ」
18 ヒロシマ遺文への投稿=「四国五郎」
19 ピカ研資料整理
19 ヒロシマ遺文への投稿=「入会のしおり-非核の政府を求める広島の会」
20 中国新聞ジュニアライターオンライン取材。
 21  「生きて (5)「原爆資料編」 悉皆調査に努め解題も」
 22   「生きて (6)自主勉強会 現代史ガリ版で問う」
22 ヒロシマ遺文への投稿=「「ピカより〇〇〇〇〇日」の会」
 23   「生きて (7)原医研移籍 「便利屋」扱い自由さも」
24 スポーツの日。東京五輪開会式。コロナのため翌年に延期。
24   「生きて (8)「内地研究員」 東京で俊英に刺激され」
25  「生きて (9)「資料調査通信」『まどうてくれ』 聞き書きにのめり込む」
27 『中国新聞』、7月20日のジュニアライターオンライン取材への私のコメントを掲載。
28 「生きて (10)資料収集 田原伯さんに教えられ」
 28   ヒロシマ遺文への投稿=「ピカ研の指摘により作成した正誤表」、「ピカ資料研究所表札」、「ピカ資料研究所(ピカ研)の紹介ビラ」、「呉市内の倉庫に移動したピカ研資料」、「反核・平和図書館関係者の会」
29 「生きて (11)助手13年 仲間の協力で研究展開」
 30 「生きて (12)原爆手記 言い尽くせぬ個の記録」
31 「生きて (13)朗読劇 継承のヒントをつかむ」

予定

年月日
20200802 平和科目「平和と人間C」補講
 20200804 広島女学院大学講義(関西学院との連携講座)。中止。
 20200806  広島原爆の日。広島市原爆死没者慰霊式・平和祈念式典
 20200809  長崎原爆の日。長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典。
 20200809  東京オリンピック閉会式。翌年に延期。
20200815  終戦記念日。全国戦没者追悼式。
20200825  東京パラリンピック開会式。翌年に延期。
 202008?  第26回平和のための広島の戦争展。
20020906 東京パラリンピック閉会式。翌年に延期。
20201017 大阪。
20201103  アメリカ大統領選挙。
202012  真珠湾攻撃(12月8日未明、ハワイ時間12月7日)79周年。

 

 

被爆者救援活動を強化するための決議

第14回原爆禁止世界大会(1968年)日本代表団の決議
被爆者救援活動を強化するための決議
アメリカの広島・長崎への原爆投下は、一瞬にして30数万の人命をうばい、その後23年、被爆者は今なお、死の不安に脅かされ、生活と医療に苦しみつづけています。
原爆の生きた証人である被爆者をまもり、その切実な要求を実現することは、原水爆禁止運動の重要な課題です。
アメリカと日本政府が、核アレルギーからの脱却などといって、核兵器への警戒をゆるめ、核軍事同盟強化に公然とのりだしている今日、被爆者救援活動を強化することは、ますます必要となっています。
この1年間に、被爆者救援活動は飛躍的に強まり、被爆者の身近な諸要求に対する施策を自治体からかちとる活動も大きく前進しました。さらに、援護法制定の運動に多数の地方自治体を動かし、原水爆禁止運動の発展と被爆者自身の積極的な行動によって多くの成果をかちとりました。
このような高まりにおされ、佐藤内閣は、「原子爆弾被爆者の特別措置に関する法律」を本年9月から実施しようとしています。この法律は、医療法を援護法へと発展させるかのごとき形をよそおいながら、認定患者を中心とするきわめて限られた一部の被爆者に適用されるにすぎず、わたしたちが要求してきた被爆者援護法とは全くほど遠いものです。
わたしたちは、この特別措置法のゴマかしの本質を広く国民の前に明らかにし、国家補償の責任にもとづく生活と医療の全面的保障を内容とする真の被爆者援護法制定のために、いっそう奮闘しなければなりません。同時に、特別措置法が少しでも被爆者に有利に施行されるよう、原爆医療審議会の公開と民主的運営などのためにたたかう必要があります。
また、被爆二世に対する調査と健康管理が行なわれることがとくに重要です。
わたしたちは、日本国民の力で被爆者救援をおこなうために、1500万円募金とともに、被爆者の大衆的世話活動、地方自治体自身に救援の施策を実施させることなどにとりくみ、各都道府県ごとに6・9行動をはじめとする諸活動を強化してきました。こうして集められた救援金は、被爆者にたいするあたたかい励ましとなっていますが、被爆者のおかれているきわめて困難な状態からみるならぱ、なお不十分であり、自治体の救援施策もなお、被爆者の要求とはほど遠いものです。
わたしたちは、救援行動の新らしい目標に向かって一段と活動を強化しなければなりません。当面、6・9行動推進特別月間の成功のために全力をあげてがんばりましょう。
加害者が被害者を調査し、核戦争準備に役立てているABCCの撤去と資料の公開のためのたたかいを、ベトナム人民との連帯の実感のなかで、さらに強めましょう。
被爆の実相を国民に明らかにするうえで、貴重な資料である原爆映画について、政府はプライバシー尊重という欺まん的な口実のもとに、もっとも重要な人体にたいする影響の部分をカットし、原爆投下の犯罪を国民の目からおおいかくそうとしています。ただちに広範な抗議行動をおこし、全面公開をかちとるとともに、フィルムのすべてを米軍没収以前の所有者に返還させることが重要です。
こうした活動をおしすすめるなかで、原水爆禁止運動の正しい路線のうえにさらに広範な被爆者を結集し、都道府県の被爆者組織を民主的に強化し、被爆者運動と原水爆禁止運動との団結をいっそう固めて前進しましょう。
右決議します。
1968年8月5日・東京にて

増岡敏和

増岡敏和

ますおか・としかず 2010年7月28日没 享年82歳

8月6日(1945年)には海軍の予科練(飛行機練習生)で松山航空隊に入隊、8月6日頃は軍隊疎開で愛媛県の南部の深浦町にいた。敗戦の数日以内に広島市に帰る。祖母、母、長妹(原爆死)、次妹被爆弟たちは学童疎開中。

資料

 年月日  タイトル  形態・メモ
19560601  請願書(広島県原爆被害者団体協議会)
  19920911 増岡⇒ 吉川生美  書簡
吉川生美⇒ 宇吹 書簡
 19920923  増岡⇒ 吉川生美 葉書
19921006  宇吹⇒吉川生美 書簡(控)
同上同封資料『東友文庫5 「ヒロシマ・ナガサキから何を学ぶか」被爆45周年連続学習講座 第5集 被爆者・国民は何をしてきたか』
 19921030  宇吹⇒増岡  書簡(控)
19921105 増岡⇒ 宇吹 葉書
 19940712  増岡持参資料  紙1枚
「不屈の原水禁・被爆者運動前史―「占領期の広島」手控え」
 19930124  1992年度久保医療文化研究所講演録(久保医療文化研究所)  冊子
第68回講演会(19920314)増岡敏和「広島における反原爆文化運動の原点」

 

「原爆一号」といわれて

『「原爆一号」といわれて ちくまぶっくす36』(吉川清、筑摩書房、19810724)

目次

 見出し
 はじめに
 1  怒りこみ上げる基本懇の答申
1  運命の日
  8  夜勤明けのその日
 19  死に脅える毎日
 23  八月一五日
2  救護所での日々
26  血と膿の体
29  極貧の日々
 32  死亡者名簿の私の名前
 37  救護所の閉鎖
39  日赤病院へ入院
3 43  原爆一号
44  原爆一号の命名
 49  インタビューや訪問客に追われる
写真(1947年)広島日赤病院の屋上でライフ誌の撮影に協力。
51  医学学術集会での研究材料
写真(1949年)広島日赤病院を慰問したプロ野球選手と。故小西得郎氏、藤村冨美男氏の姿も。
54  ケロイド手術の失敗
57  患者会結成と強制退院
4  原爆ドーム横集落時代
62  野宿
65  原爆ドーム横にみやげ物店開店
70  被爆者を訪ね歩く
78  原爆傷害者更生会の誕生
83  原爆乙女と私
写真(1950年)日赤広島病院を訪れた日本ペンクラブの一行と。故川端康成氏の姿も。
写真(1953年)東大附属病院小石川分院で、原爆乙女の診察に立ち会う。
5  被爆者運動の組織化
92  原爆被害者の会を結成
100  ケロイドを見せものにしてなぜ悪い
写真(1963年)ヒロシマみやげをつくるのもひと苦労。福島菊次郎氏撮影。
103  原爆被害者の会の協力会
105  原爆被害者の会分裂
111  ABCCの横暴
6  原水爆禁止世界大会
118  平和都市広島の再興
128  原水爆禁止広島市民大会
129  ネール首相の広島訪問
写真(1957年)広島原爆病院前で故ネール首相と。
131  国会請願と日本被団協結成
134  原爆一号の店取り壊し
写真(1957年)原爆一号の店の前で。
136  原水禁運動の分裂
7   バー「原始林」開店
 138  マスターの私、ママの妻
140  ホステス、被爆者の売春婦
 144  不愉快な客
  8 東南アジア歴訪
 150  パール博士の碑文への疑問
  157  インドネシアでの広島出身元日本兵
 9  映画と私
  164  「原爆の子」
 166  「ひろしま」
  167  「生きていてよかった」
  168  「二十四時間の情事」
 169  「ヒロシマ一九六六」
 175  「記録なき青春」
 176  「ヒロシマの証人」
 177  挫折した「小さな恋人たち」
 178  「灯は生きていた」
 178  流産した「にっぽんの青い鳥」
  180  反響をよんだ「はだしのゲン」
10   折り折りの人
 182  宗教と私
 186  病に倒れた峠三吉
 189  首相官邸前で割腹自殺した小林雲徹
写真(1957年)クリスマス島英水爆実験に抗議して座り込み。右端が小林雲徹。
 193  ガンで死んだ南小一
 197  広島へ通った土門拳
写真(1953年)原爆一号の店の前で土門氏と。
 203  結びにかえて

平和のともしび 原爆第一号患者の手記

『平和のともしび 原爆第一号患者の手記』(吉川清、京都印書館、19490815)目次

 事項
口絵 上図:著者の両腕と背のケロイド(松笠やうのもの)
下図:ライフ誌上に掲載された一文
「ライフ」特派員より著者に送られた書簡
病床にある著者と妻。英文はタイム誌上に掲げられた一文
永久に平和記念館として保存される旧産業奨励館
 1 序 (富田勝己 <京都府立医科大学外科教室> )
5 目次
図:避難場所、休憩場所
 1  思ひ出の八月六日
 4  悲しき経験
  11  命は助つたが
 15  生の欲望
「大粒の雨」、「西原国民学校」
 21  遂に失神
「祇園青年会館」
 25  その夜の救護所
「祇園神社」
 29  可部町勝圓寺にて
 29 父を亡ふ
「可部の警察署の診療所」、「勝圓寺の御堂」
  33  八月十五日を迎ふ
  37  顕著な原爆症状
 42  絶望より微かな希望へ
 52  焼土廣島の見開
  59  復員列車をみる
  63  友情に泣く
 三次町より川内村へ
70  無医村に迎へる冬
 赤十字病院に入院
   75  三度廣島へ
  79  闘病生活つづく
 87  山根さんの人間的魅力
   91  再び思ひ出の八月六日
  97  平和の黙祷
 100 死の淵を彷徨
 103  春を迎へて
  105  平和の礎石に
  111  実験臺上へ
116  「ライフ」特派員と會ふ
  122  跋 (伊藤嘉夫 広島赤十字病院皮膚科医学博士 )
 後記( 吉川清)
 bk490815b bk490815c
 bk490815g
 口絵

京都印書館=1944年(昭和19年) 人文書院と立命館出版部ほか京都の出版社数社が企業整備により統合し誕生した出版社。http://www.jimbunshoin.co.jp/company/c285.html

 

 

平和をねがう科学者の意見調査委員会ごあいさつ

 

ごあいさつ
平和をねがう科学者の意見調査委員会
代表者
日本学術会議心理学研究連絡委員会委員長 松本金寿
同    平和問題研究連絡委員会委員長 岡倉古志郎
第二次世界大戦后の戦争が、核戦争であることはご承知のことと思いますが、核戦争は単に人類の破滅を意味するだけでなく、生きとし生けるものすべての絶滅をもたらすビオサイドであることもまた明かであります。従いまして、戦争を防ぎ平和を守ることはすべての国々、すべての国民に課された神聖な義務であります。世界でただ一つの被爆国であり、また類い稀な平和憲法をもや我々日本人は、広島・長崎・ビキニにおける悲惨な体験に基づき卒先して世界の平和を訴えることは、まさに、その任にふさわしい当為と考えられます。
ところで、第二次世界大戦の反省を踏まえ、内外に対する我が国科学者の代表機関として誕生した日本学術会議は、創立后間もなく「戦争を目的とする科学研究には絶対に従わない決意の表明」(昭和二十五年四月の第六回総会)を行い、原子力に関しましても、平和利用のための三原則(民主・自主・公開)を確立いたしました。そして、これらすべての総括として「我が国における平和研究の促進について」という政府への勧告を昭和四十九年十月の第六十六回総会で可決したのであります。
さて、こうした機運に呼応するかのように、日本平和学会・日本平和研究懇談会・日本平和教育研究協議会等が相ついで設立されたのであります。
一方また、広島・長崎を原点とする平和運動も国民的規模から国際的規模へと発展し、昨年十二月には、広島・長崎両市長から国連事務総長への要請「核兵器の廃絶と全面軍縮のために」が受理され、本年七月~八月には、国連NGO主催の「被爆の実相とその後遺、被爆者の実情に関する国際シンポジウム」が広島・長崎の両市で開かれることになりました。
一方また、広島・長崎を原点とする平和運動も国民的規模から国際的規模へと発展し、昨年十一一月には、広島・
長崎両市長から国連事務総長への要請「核兵器の廃絶と全面軍縮のために」が受理され、本年七月~八月には、国連NGO主催の「被爆の実相とその後遺、被爆者の実情に関する国際シンポジウム」が広島・長崎の両市で開かれることになりました。
およそ、以上のような国内的国際的諸情勢に応えるべく、下記八名の心理学徒は、日本学術会議の心理学研究連絡委員会および平和問題研究連絡委員会等のご支持とご協力のもと、平和をねがう科学者の意見調査委員会を組織し、我が国科学者の平和意識に関する研究を行うことにいたしました。これは、各新聞社等による世論調査と併せて、平和をねがう国民の声を世界に伝える一翼となるであろうと考え、来年七月~八月にミュンヘンで行われる第十九回国際応用心理学会での報告を目指して精進をいたしております。つまり、今回の予備調査と今秋実施予定の本調査とが、すなわちこれであります。
どうぞ宜しく、ご協力をお願い申しあげます。
昭和五十二年六月二十日
平和をねがう科学者の意見調査委員会
委員長 松本金寿(日本学術会議・心理学研究連絡委員会委員長)

(1)中央組織
心理学関係 *秋重義治(駒沢大学)、*飽戸弘(東京大学)、*松本金寿(立正大学)、*松村康平(お茶の水女子大学)、*南博(一橋大学)、*中川作一(法政大学)、世良正利(中央大学)、*田中靖政(学習院大学)
日本学術会議・平和問題研究連絡委員会 *岡倉古志郎(委員長・中央大学)・藤原彰(幹事・一橋大学)
日本平和学会 川田侃(会長・上智大学)、日本平和研究懇談会坂本義和(会長・東京大学)日本平和学会 川田侃(会長・上智大学)、日本平和研究懇談会 坂本義和(会長・東京大学)
日本平和教膏研究協議会 *城丸章夫(理事・干葉大学)・永井秀明(理事・広島大学)
(2)広島大学関係
飯島宗一(前学長)、*湯崎稔(原爆被災学術資料調査室)・関寛冶(平和科学研究センター)、久保良敏(広島修道大学)・芝田進午(広島大学)
(3)長崎大学関係
具島兼三郎(学長)、*塩見敏男(長崎大学)、本保善一郎(長崎大学)、武藤雪下(長崎大学)、古川原(長崎造船大学)
(4)事務局
(幹事)牧川亮(東京大学新聞研究所大学院)、(幹事補佐)味村京子(お茶の水女子大学研究生)
*印は実行委員

出典:『科学者の平和意識に関する研究(Ⅰ) 日本心理学会第41回大会特別報告』(平和をねがう科学者の意見調査委員会、1977年9月)

「核意識構造の実態研究」グループ(庄野直美)

「核意識構造の実態研究」グループ(代表:庄野直美)

「はじめに」(『核と平和 日本人の意識』(庄野直美他編、法律文化社、19781201 )抜粋

****************

研究が企画された契機は, 1975年8月の「広島大学平和科学研究センター」の発足にあった。この研究センターの研究プロジェクトの一つとして,「核識構造の実態研究」グループ(代表:庄野直美)が組織され, 1976年と77年には文部省科学研究費(総合A)補助金の交付をうけた。
この研究費により, 1976年度には,戦後30年間に新聞社等が行なってきた世論謌査のうち,核問題にかかわるすべての資料を収集し,その内容を分析した.収集された資料は, 190種の世論調査において約1,400の調査項目に及び,それらは(1)原爆被災 (2)核実験・核兵器・核政策(3)原水禁運動,(4)原子力発電,(5)戦争観・安全保障,(6)憲法第9条・自衛隊,という6大頂目に分類され,分析された。
しかし,これらの世論調査だけでは核意識構造の分析には不十分で,私たちが知りたいと望む情報を更に得るために, 1977年2月および7,8月には,広島・長崎・岡山・金沢の4都市において,中学2年生もしくは3年生,(回収実数5,039名)とその父母(回収実数4,699名)に対し,また同年11月には広島・長崎・岡山の高校2年生(回収実数1,816名)に対し,私たち研究グループ
独自の調査を実施した。この独自調査の分析結果が,本書の主要な内容である。
私たちの研究プロジェクトに参加した研究者は,全国]3大学の27名であり,専攻分野も十数領域に及んだOその氏名と所属(当時)は下記のとおりである。(○印は本書の執筆者,50音順)

伊東 壮:山梨大学(経済学)
今堀誠二:広島大学(アジア史)
岩佐幹三:金沢大学(政治学史)
〇上野裕久:岡山大学(憲法)
宇吹 暁:広島大学(歴史学)
〇大槻和夫:広島大学(教育学)
岡本三夫:四国学院大学(哲学・平和研究)
小川岩雄:立教大学(原子物理学)
鎌田定夫:長崎造船大学(人文・欧米文学)
○北西 允:広島大学(政治学)
栗原 登:広島大学(疫学・社会医学)
○小寺初世子:広島女子大学(国際公法)
○庄野直美:広島女学院大学(原子物理学・平和研究)
高畠通敏:立教大学(政治学)
田中靖政:学習院大学(社会心理学)
○永井秀明:広島大学(理論物理学・平和研究)
○初瀬龍平:北九州大学(政治学)
濱谷正晴:一橋大学(社会学)
深井一郎:金沢大学(日本語学)
藤井敏彦:広島大学(教育学)
○松尾雅嗣:広島大学(平和研究)
松元 寛:広島大学(英米文学)
安田三郎:広島大学(社会学)
山川雄己:関西大学(政治学)
山田 浩:広島大学(国際政治)
湯崎 稔:広島大学(社会学)
横山 英:広島大学(中国近代史)

本書の作成にあたっては,上記名簿(○印)の8名が,研究グループの討論をふまえた上で各自に執筆し,それを3名の編者が最終的に整理・加筆した。
本書は,核問題を中心とした,平和に関する日本人の意識構造を明らかにする,日本ではじめての総合報告書であると思う。平和と核問題に関心ある人びとの研究,教育,思索の一助になることを願うとともに,私たちの調査研究に寄せられた関係諸方面の援助・協力に対し,心からの謝意を表するものである。
1978年8月6日
編者