広島・長崎原爆被爆者大会(19620522)

広島・長崎原爆被爆者大会
1962年5月22日
広島市公会堂で2,500人の被爆者の参加のもとに開催。厚生省公衆衛生局全画課長の講演・両市被爆者代表の意見発表ののち,次のような宣言および決議を採択。大会の席上、全日本被爆者協議会を結成。

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案内ビラ

宣言
われわれ原爆被害者は,一生拭い去ることのできない放射能に対する不断の脅威と不安を内包し,日常生活並びに社会活動に多くの障害と制約を受け,物心共に苦難の十七年を生きてきた。その間放射能障害による症状の悲惨な現実と,被爆者の生活の実態が認識され,被爆者の切実な声が通して,最近に至り原爆医療法が制定され,逐次医療の充実をみつつあることはまことに慶びに堪えない。ここに関係各位の並々ならぬ御熱意と御努力に対し深甚なる感謝の意を表するものである。
本日被爆者大会の開催に当り,われわれは核爆発の実験停止と,真の世界平和確立のための,広島・長崎の悲願達成に,根気強く努力をつづけ,全国二十方に上る被爆者相携えて,あらゆる困難と苦痛を克服して力強く生き抜くことを誓い,更にいわれなき無この犠牲者に対する国家の責任と保障において,万全の援護対策の速かなる実現を切に要望して已まない。
右宣言する。

決議
戦後既に十七カ年の歳月を閲みし,全国二十万に上る原爆被爆者の多くは,経済的基盤を失い,或いは放射能障害に悩みかつ脅えつつ,日常生活並びに社会活動に幾多の制約を蒙り,苦難の日々に堪えて今日に至った。
医療に関しては,さきに特別立法により補償の途が開かれ,稍々安らかなるものを得たとはいえ,更に政府,国会その他関係機関におかれては,被爆者の生活の実態に鑑み,原爆犠牲者国家保障性の見地に立って更に援護その他強力なる施策を打出すべきである。よって次の事項について速かに適切なる措置を講するとともに全面的な援助を要請する。
一、特別被爆者の範囲の拡大をすみやかに実現することを期する。
二、原爆被爆者援護対策の確立を期する。
三、原爆被爆者ホームの建設を要望する。
四、原水爆禁止と世界恒久平和実現への正しい国民運動を力強く推進する。
五、全日本被爆者協議会の結成を促進する。
右決議する。

大会次第

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ヒロシマわが罪と罰 クロード・イーザリー

『ヒロシマわが罪と罰-原爆パイロットの苦悩の手紙』
(クロード・イーザリー、ギュンター・アンデルス、篠原正瑛(訳)、筑摩書房、1962年8月5日)

内容

解説(ロベルト・ユンク)
1.未来図の象徴という断罪/
2.私は狂信的な人間ではない/
3.平和のために役立ちたい/
4.原子力時代の最初の犯罪/
5.ありがたくない宣伝材料/
6.幅の広い戦線をつくろう/
7.ボブ・ホープの映画化計画/
8.広島の少女たちの友情/
9.自伝映画に出演するな/
10.私を利用しようとする人びと/
11.二人で伝記を書こう/
12.ユダがもらった銀貨/
13.泳ぐためにはまず泳げ/
14.日本からの多くの手紙/
15.殉教者というものの運命/
16.原子兵器反対のリーダーに/
17.見せ物にならないように/
18.(省略)/
19.(省略)/
20.平和運動をさまたげる弟/
21.だれが君を病院に入れたのか/
22.闇ルートで返事を送る/
23.(省略)/
24.君の主治医に手紙を書いた/
25.ドイツのグラフ誌に君の記事が/
26.禁止措置はとれないか/
27.掲裁中止を申し入れよう/
28.みずから刑罰を求めた私/
29.プライバシーと報道の自由/
30.審問の結果が知りたい/
31.僕が求めている欲張った報酬/
32.君はノーマルだ/
33.クロードは責任回避を拒絶したのです/
34.もしも退院したら/
35.君はユーモアをとりもどした/
36.もっと 積極的なたたかいを/
37.ワナにかかったのかもしれない/
38.トランキライザーに参っている/
39.一五年目の広島記念日/
40.僕がまちがっていた/
41.日本からのアンケート/
42.広島上空で私がしたこと/
43.弟たちを説得してくれ/
44.ポーリング博士を救おう/
45.希望と現実のかけ橋/
46.人類はじまって以来の問題/
47.私信も検閲にかかっている/
48.選挙が僕の退院をさまたげる/
49.日本へ行きたい/
50.ノーマルな生活を立証せよ/
51.病院から脱走した/
52.秘密の家で守る九カ条/
53.(省略)/
54.アメリカは僕を歓迎しない/
55.メキシコヘ行ってみてはどうか/
56.再びとらわれの身となって/
57.二○世紀のドレフュス事件/
58.精神の健全さを証明しよう/
59.(省略)/
60.なぜ事件を忘れるのか/
61.疑わしいイーザリー裁判/
62.ラッセル卿のイーザリー観/
63.ドレフュス・コンプレックス/
65.君の良心は奪われない/
66.僕はけっして勇気を失わない/
67.イーザリーの抑留は正当である/
68.法律的にも疑問あり/
69.提訴は実を結びつつある /
70.君を忘れない、永遠に/
71.釈放の日は目前だ/

42.広島上空で私がしたこと[抄]
私は先導機、すなわち”ストレート・フラッシュ”号を指揮していました。私の任務は、原爆投下の目標地を選定したときに、第一候補としてあげられたこの広島に無事に到達し、天候の状態を確認するとともに、敵の空軍や高射砲部隊から何らかの抵抗が予想されるかどうかを判断することでした。
私は広島の上空に達してから約45分間、そのあたりを飛行しながら、広島の上空に立ちこめて一部視界をさえぎっていた雲の状態をしらべました。原爆投下の目標は、軍司令部と広島市との中間にある橋でした。約15機ほどの日本の飛行機が1万5000フィート(約5000メートル)の上空を飛んでいましたが、私のいる2万9000フィート(約1万メートル)の高度まで上昇しようとする気配はありませんでした。しかし、これら日本の飛行機は、まもなくどこかへ行ってしまいました。
この日、すなわち8月6日の天侯の状況はつぎのようでした。広島の上空には、1万2000フィートと1万5000フィートの間に積雲が散在し、毎時10ないし15マイルのスピードで広島の方向へ動いているようでした。私がこれらの事実を観測したのは、午前7時30分ごろだったと思います。目標の地点ははっきりと見えていました。それは、すでに申しあげましたとおり、一つの橋で、この橋を破壊することによって、日本軍の司令部に致命的な打撃をあたえずにはいないだろうと考えられたのです。
私には、天候の状況は理想的であると思われました。つまり、目標の橋だけが見えていて、広島市は視界からさえぎられているから、市それ自体は爆撃をまぬかれるだろう、そして、司令部に投下された原爆は、日本の軍部をして否応なしにそのおそるぺき破壊力を知らしめ、講和の条約に署名してこのおそろしい戦争を終わらせねばならねと悟らせるだろう、とこのように私には思われたのです。
私は、僚機に対して、”準備完了、投下〃を知らせる暗号の命令を送りました。すなわち私は、目標への原爆投下を指令したのです。

1987年7月28日、ちくま文庫

広島・長崎原爆被爆者医療法改正対策委員会陳情運動日誌

「原爆放射能医学研究所設置」・「原爆医療法中二粁の制限拡大」・「戦傷病者戦没者遺族等援護法中学徒・女子挺身隊・義勇隊等の時限法改正」に関する陳情運動日誌
(広島・長崎原爆被爆者医療法改正対策委員会 1962年2月)

はしがき
昭和三十四年九月原爆医療法の一部改正を目的とする政治運動展開を企図して構成された本対策委員会は、同年、画期的な同法改正に成功、翌三十五年原爆放射能医学研究所設置運動に乗り出し、僅々一カ月の短期間において同所究所創設にかかる予算獲得・法律改正を奇蹟的に果し、引続き三十六年には、特別被爆者の二粁制限撤廃に立ち上り、遂にその制限を三粁に拡大する予算獲得に成功し、ここに原爆問題の当面する重要案件を殆んど処理し終えたものである。
本委員会が斯る華々しい成果を収め得たのは、自民党幹部を始めとする関係各位の強力は御支援・御協力によるところであるが、特に運動の推進役を担当して貰った自民党広島県支部連合会被爆者対策委員長・広島市被爆者対策委員長任都栗司君の献身的努力に負うところ極めて多く、ここに改めて深甚なる敬意と謝意を表明するものである。
本委員会は、運動の当初より事務局をして運動の詳細を記録せしめていたものであるが、原爆問題の重要案件を殆んど処理完了した今日、ここにこれが運動日誌を公にし、格別の御協力を賜わった関係各位に対し心からの謝意を表すとともに、将来の参考とすることとした。
各位の御高覧を御願いして止まない。
昭和三十七年二月
広島長崎原爆被爆者医療法改正対策委員会
常任委員 参議院議員 岩沢 忠恭

目次(其の一)

年月日
昭35(1960)
0922~1210
1.原爆医療法中2粁の制限拡大問題に関し、主として厚生省当局の意向を打診
1212-1213 1.原爆被害者医学総合研究機関の設置に関し関係各方面と基礎的打合わせ(特に所管省問題)をなす。
2.本対策委員会、昭和35年運動目標を原爆被害者医学総合研究機関の設置に置くことに決定。
1214-1221 1.広島市及び長崎市の原爆問題関係機関と打合せの結果、原爆医学研究機関の設置について地元の意識統一成る。
2.原爆医学研究機関設置にかかる陳情書作成
1223-1227 1.原爆医学研究機関設置に関し、関係各方面、特に自民党政調会文教部会に対し、陳情書提出の上、強力に陳情。
2.文部省当局に対し、原爆医学研究機関設置に関し、陳情運動展開中の旨連絡、表面化した場合引受け方陳情
1227 1.原爆医学研究機関設置の案件、広島大学に附置することとし、自民党政調会文教部会において満場一致をもって採択に決定
1228-0105昭36(1961) 広島大学当局に対し、原爆医学綜合研究機関設置に要する必要予算を至急追加要求方要請
2.広島大学との協同陳情書(要求予算を含む)作成
昭36(1961)
0106~0107
1.広島大学より広島原爆放射能医学研究所にかかる追加要求予算書を文部省当局に提出
2.広島大学より文部省に対し、提出の追加要求予算内容一部訂正の上、必要陳情書作成
0106~0107 1.自民党役員、同政調会役員、文教部会役員に対し、訂正陳情書を提示の上原爆放射能医学研究所問題の採択方について強力に陳情
2.自民党政調会文教部会は、政調役員会に対し原爆放射能医学研究所予算四億六百万円を要求することに決定
0107-0109 1.自民党政調役員会において原爆放射能医学研究所関係予算満場一致をもって採択に決定
0109-0111 1.自民党政調会副会長並びに各部会長合同会議において原爆放射能医学研究所関係予算採択に決定
2.大蔵省に対し、関係有力者を通じ、協力に陳情
0111-0115 文部省は、大蔵省当局に対し、新規追加要求予算として原爆放射能医学研究所予算四億六千六百万円を提出
0116-0117 1.広島原爆放射能医学研究所設置に要する関係予算、大蔵省第三次査定に於いて二カ年継続事業として遂に承認を受く
2.本件に関し格段の協力を賜った自民党役員、同政調会役員、その他関係各位に対し、御礼挨拶廻りをなす。

 

目次(其の二)

年月日
昭36(1961)
00403~1003
1.戦傷病者戦没者遺族等援護法中、学徒、女子挺身隊、義勇隊等の時限法改正に関し、運動の基本的打合せ、陳情書の作成、国会に対する請願書の提出並びに同請願の衆議院社会労働委員会において採択に至るまでの陳情
2.、原爆医療法中二軒の制限拡大に関し、運動の基本的打合せ、拡大の必要性を裏付ける資料の蒐集並
びに二粁制限拡大に伴う経費の昭和三十七年度厚生省要求予算に計上に至るまでの陳情
3.昭和三十六年度原爆医療法一般疾病医療費予算の不足に伴う予備費補充に関する陳情
4.原爆放射能医学研究所にかかる昭和三十七年度予算要求に関する陳情
1004-1116 1.原爆医療法中二粁の制限拡大にかかる経費について、昭和三十七年度厚生省要求予算に計上決定に伴い、関係各方面に対し、これが予算獲得に関する基礎的陳情運動
1128-1211 1.原爆問題陳情運動の一元化、漸くにして決定
2.二粁制限拡大の必要性を裏付ける資料蒐集、漸く完成し、陳情書作成
1212-1216 1.原爆医療法中二粁の制限拡大の必要性について、関係各方面、主として自民党政調会、社会部会並びに大蔵省に対し、陳情書を提出の上、強力に陳情
2.二粁制限拡大の案件、自民党政調会社会部会を満場一致をもって通過
3.原爆放射能医学研究所にかかる昭和三十七年度事業並びに長崎支所設置の明年度予算獲得について関係方面に強力に陳情
1217-1219 1.二粁の制限拡大に関し、自民党政調会役員並びに大蔵省当局に対し、関係有力者を通じ、強力に陳情
1220-1221 1.明年度予算にかかる大蔵省第一次査定の結果、二粁制限拡大に要する予算全額ゼロ査定を受く
1222-1223 1.二粁軒制限拡大関係要求予算、大蔵省第一次査定に於いて全額不承認の結果に基き、これが復活要求について自民党政調会役員並びに大蔵省当局に対し、引続き強力に陳情
2.広島原爆放射能医学研究所残事業にかかる要求予算、大蔵省第一次査定において不承認の結果に基き、自民党政調会関係役員にこれが復活要求について陳情
1224-0105昭37(1962) 1.二粁制限拡大関係要求予算、大蔵省第二次査定において三粁に拡大することとする基本線に基き、遂に承認を受く。
2.、戦傷病者戦没者遺族等援護法中学徒、女子挺身隊、義勇隊等の時限法改正に関する予算、厚生大臣、大蔵大臣の大臣接渉において、昭和三十八年度予算に計上することに確約を得る。
2.本件に関し、格段の協力を願った自民党役員、同政調会役員その他関係各位に対し、御礼の挨拶廻りをなす。

 

 

 

核実験禁止要請に関する決議(19620811)

核実験禁止要請に関する決議

世界で最初に原爆の惨禍を受け、今尚放射能害による死と闘いつつ原水爆禁止と核実験停止を全世界にくりかえし強く呼びかけてきた広島県民は、今回の貴国の核実験に対し不安と憤激の念とどめがたく、真に遺憾とするものである。
たといどのような理由があろうと実験のもたらす放射能は人類の生存に多大な悪影響を与え、実験が実験を呼ぶ悪循環は、軍拡競争に拍車をかけ、恐しい人類の危機をますます増大させている。
よって、広島県議会は従来しばしば決議要請した如く広島県民を代表してここに貴国核実験の即時中止を要請するとともに核保有国による実験停止協定の締結、核兵器の製造禁止を含む軍備全廃を目指して即時首脳会談を開いて努力されるようう要請する。
昭和三十七年八月十一日
要請先
ソビエート社会主義共和国連邦
アメリカ合衆国

核実験停止協定締結要請に関する決議(19621222)

核実験停止協定締結要請に関する決議(1962年12月22日)

アメリカとソ連は、現在なお核実験を続けています。核実験は、現在将来にわたって人類の生命と健康に害を与えます。
広島県議会は、従来しばしば決議要請してまいりましたがすぺての国の核実験をやめさせるために何度でもくりかえし反対し、一刻も早く停止協定を結ばせなければなりません。
ここに広島県民を代表して、すべての核保有国は来年一月一日を期して核実験停止協定を締結されるよう要請します。
右決議する
昭和三十七年十二月二十二日

平和教育へのあゆみ

『ひろしまの平和教育』(第2輯)

章節(頁) 見出し 備考
(平和教育へのあゆみ)広島県における「平和教育」第二十次教研までのあゆみ
1-1 第18次県教研での問題提起とその討議
1-2 第18次日教組全国教研へ問題提起
1-3 第19次県教研での取組みとその内容
1-4 県被爆教師の会の結成とその活動
会の活動方針とその動き
「ひろしま」「ながさき」を教えつづけることの誓いと訴え
さらに活動を強化発展させるために
1-5 平和教育教材づくり
2 (第20次県教研の実践報告より 1)人権と民族平和への課題-平和教育の土台づくり
なぜ平和教育が必要か(23)/平和教育をいつどのように行うか(27)/研究体制づくりと研究の経過(28)/教材の自主編成によって平和を認識させる(31)/
(第20次県教研の実践報告より 2)平和教育の実践でかわりつつあるその実態
平和教材「ひろしま」を使って(40)/8月6日を学校行事にして(49)/今後の課題(55
(第20次県教研の実践報告より3)大久野島-毒ガスをどう教えるか
大久野島を教える意義(56)/大久野島の地理と歴史(57)/毒ガスの島(60)/基地の島(71)/レジャーの島の中に(71)/従業員のくらしと運動(74)/今日の生物化学兵器(85)/大久野島をどう教えたかの実践例(88)
(平和教育への認識と展望)ひろしまの教師はなぜ平和教育を実践するのか
平和教育への阻害条件
“ひろしま”で何をどう教えるのか
平和教育は最高の倫理を教える教育
平和教育教材“ひろしま”指導資料(全)

 

 

 

ひろしまの平和教育

『ひろしまの平和教育』

発行年月日 備考 所蔵
G=原爆資料館。U=宇吹。
1 19700315 県平和教育専門委、教材編集委、被爆教師の会編 GU
19700701 『広島教育』別冊 No.218。第19次広島県教研集会平和部門専門委員会、広島県平和教育教材編集委員会、広島県原爆被爆教師の会編 GU

 

2 19710720 広島県平和教育専門委員会、広島県平和教育教材編集委員会、広島県被爆教師の会編 GU
3 19730330 広島県平和教育専門委員会、広島県被爆教師の会編、広島平和教育研究所 GU
4 19760110 広島平和教育研究所、広島県教研平和教育部会編 GU
5 19780325 広島平和教育研究所、広島県教研平和教育部会編 GU
6 19800315 広島平和教育研究所、広島県教研平和教育部会編 GU

 

 

広島平和教育研究所

広島平和教育研究所   設立:1972年6月1日

設立宣言

ちちをかえせ ははをかえせ
としよりをかえせ
こどもをかえせ
わたしをかえせ わたしにつながる
にんげんをかえせ
にんげんの にんげんのよのあるかぎり
くずれぬへいわを
へいわをかえせ
峠三吉

ヒロシマを忘却することは許されない。

それは、原爆の犠牲となった多くの人びとへの贖罪と鎮魂の意味からだけではない。全人類が無知と偏見、戦争の恐怖から免れ、平和のうちに生存し抜くことは、核時代を生きるわれわれの至上の課題であり、ヒロシマはその原点だからである。

人間の心に平和のとりでを築くことは、教育の力にまつところが大きく、ヒロシマは核時代の教育を問い直す原点である。教育を通して、ヒロシマを後の世代に継承し、人類共通のものにすることは、世界平和に貢献する人類史的責務である。

われわれは、このことを深く自覚し、平和教育に関する科学的究明を行なうとともに、広く世界の平和教育を推進することをめざして、ここに「広島平和教育研究所」を設立する。

機関誌:

 

『平和教育研究 広島平和教育研究所年報』

『平和教育研究 広島平和教育研究所年報』

年版 発行年月日 備考<G=原爆資料館、U=宇吹所蔵>
1 1972 (197206~197305)<GU>
■年報発刊に寄せて/宅和純
■年報発刊にあたって/今中次麿
■研究報告
第一部門(平和教育研究)
平和教育研究所と現場教育の接点を考える -各月例会の問題提起をめぐって- 空辰男
<問題提起>-基礎理論の研究  平和教育の基礎的課題 藤井敏彦
核抑止論と平和教育 山田 浩
現代の戦争手段と軍事基地の役割 永井秀明
平和のための条件-平和教育内容の考察- 庄野直美
戦争の歴史的形態 今中次麿
戦争児童文学による平和教育をすすめるために 大槻和夫
第二部門(地域課題・教育運動) 公害問題(福山市)にとりくんで 瀬川洋造
■国際交流報告
交流のあゆみ 丹辺文彦
世界の平和教育と平和研究-ヨーロッパを中心として 庄野直美
■事務局報告
経過の概要・各部門研究活動の概要・一年のあゆみ(日誌)
■“あとがき”にかえて 石田明
(付)研究所規定・’72研究課題と方針・’72理事並に研究員名簿

 

2 1975 19750423 平和教育カリキュラム自主編成の手びき(試案)<GU>
3 1975 19751101 <GU>
■年報をおとどけするにあたって/宅和 純
■第一研究部門(平和教育研究)
日本国研究のめざす平和主義と第9条をめぐる状況/永井秀明
朝鮮における日本帝国主義の実態/深川宗俊
原水爆禁止運動を中心とした平和運動史の一考察/黒田秀俊
■国際交流会議報告 アメリカと日本の平和教育/空辰男
■第二研究部門(地域課題研究)
過疎-農業問題と教育/林弥富
過疎地域における教育運動の課題/田村和之
地域開発と土地(農地)問題/伊藤護也
過疎教育とその足跡と今後の課題/長迫光郎
地域開発の問題点と教育との関連/佐中忠司
■資料整理部
研究所図書資料の閲覧・貸出規定
研究所所蔵図書・資料一覧(1)
総記 戦争・原爆の手記・記録 哲学 世界史.日本史 戦争.原爆の写真.資料 外国歴史 部落問題 政治一般 戦争・核・被爆者問題 法律 経済・産業・統計 社会学.社会問題・公害 教育一般 平和・人権の教育 風俗習慣・民俗学 国際・軍事・平和運動 自然科学 医 学 工学・産業・芸術・娯楽・語学 児童文学 戦争・原爆・平和の文学 日本文学一般 外国文学
(付)平和教育研究所理事ならびに研究員(1975年度)
4  1976  19761130  <GU>
■巻頭に寄せて/宅和純
■第1研究部門(平和教育研究1)
戦争児童文学の教材研究報告/第1研究部会
山口勇子作 おーいまっ白ぶね
大野允子作 つるのとぶ日
大川悦生作 お母さんのき
松谷みよ子作 黒い蝶
山口勇子作 松の木事件
山下久美子作 広島のオデット
済藤尚子作 消えた国旗
■第1研究部門(平和教育研究2~3)
ベトナムは世界史をどう変えたか/陸井三郎
広島の碑をめぐる思想性/宇吹暁
核兵器核開発問題を理解するために/永井秀明
■第2研究部門(地域課題研究)
学校寄宿舎の実態とその検討<調査報告第二稿>
広島県下通年制学校寄宿舎の実態
広島県下冬季制学校寄宿舎の実態
学校寄宿舎に関する若千検討-実態調査をふまえて/田村和之
■資料整理部門
研究所図書資料の閲覧・貸出規定と蔵図書・資料一覧(2)
総記 戦争・原爆の手記.記録 歴史 部落問題 政治一般 戦争・核・被爆者問題 社会学・社会問題・公害 教育一般 法律・統計 平和・人権教材・国防・軍事・平和運動 自然科学 芸術・娯楽・語学 児童文学 文学一般
5 1977 19771030 <GU>
■巻頭のことば/宅和純
■ひろしま-今日の核時代に生きる(試案)
①ひろしまと十五年戦争/②今日の核兵器と日本/③戦争の歴史と核兵器/④ひろしまの子どもたち/⑤原爆裁判と被爆者問題
■副読本ひろしま・教師用指導資料
ひろしま十五年戦争について/今日の核兵器と日本について/戦争の歴史と核兵器について/ひろしまの子どもたちについて/原爆裁判と被爆者問題について
■研究所蔵図書・資料一覧(3)
 6 1978  19790310 <GU>
■巻頭のことば/宅和純
■第1研究部門(平和教育研究)
平和教育基準カリキュラム試案の作成意図とそのとりあつかい方法
幼児期における平和教育-プラン
幼児期の平和教育のすすめかた/絵本を中心としたとりくみ/語り聞かせを中心としたとりくみ/「かわいそうなぞう」の指導実践例
小学校低学年「平和教育基準カリキュラム」試案
詩「無題」指導案/「かわいそうなぞう」指導案
小学校中学年「平和教育基準カリキュラム」試案
「おこりじぞう」指導案/「村いちばんのさくらの木」指導案/社会化領域での若千の指導資料(郷土と学校の移り変わり、米の生産高と食糧不足、沖縄戦と戦後の沖縄」
小学校高学年「平和教育基準カリキュラム」試案
「川とノリオ」指導案/「最後の授業」指導案/社会化領域での若千の指導
資料(戦争中の日本の工業、歴史と政治の分野で)
中学校第一学年「平和教育基準カリキュラム」試案
「ヒロシマの空」指導案/映画「ヒロシマ原爆の記録」指導案/社会化領域での若千の指導資料(沖縄戦における犠牲と略年表、沖縄の歴史と沖縄線戦)
中学校第二学年「平和教育基準カリキュラム」試案
「一切れのパン」指導案/映画「トンニャットベトナム」指導案
中学校第三学年「平和教育基準カリキュラム」試案
「夏の花」指導案/映画「第五福竜丸」指導案/「核兵器禁止と平和へのみち」指導案
■第2研究部門(地域課題研究)
賀茂郡豊栄町六小学校の統廃合をめぐって豊栄町の小学校六校統廃合問題に関する当面の所見
■図書・資料整理部門
研究所図書・資料の閲覧・貸出規定・研究所第四次所蔵図書・資料一覧
■第28次教研の平和教育関係レポート
 7  1979  19800410 <GU>
■巻頭のことば/宅和純
■第1研究部門(平和教育研究)
8・6平和学習(実践事例)資料
ヒロシマへの旅-平和学習のしおり
平和教育実践辞典とは
東ドイツ学校教科書に見るヒロシマ
オランダの先生方にヒロシマの教育を
第18次~第29次県教研レポート一覧
■第2研究部門(地域課題研究)
「コミュニティー政策と教育」へのとりくみについて
コミュニティー進行政策の虚像と実像-二つの実践地区研究から-
県政の市町村権限委譲とは-「地方の時代」の内実-
■研究所所蔵図書目録(79年度分)
 8  1980  19810220 <GU>
■巻頭のことば   宅和純
■今中次麿先生追悼
今中先生のご逝去を悼む   宅和純
戦後の今中先生のこと    山田浩
講演 戦争と教育    藤原彰
資料 軍事主義教育のあゆみ1
■平和教育研究部門
平和を創りだす子どもを育てるために-幼低年中心としての学校体制-
<附>第30次全国教研平和教育分科会レポート一覧
軍縮教育世界会議-その意義と課題-   庄野直美
資料 -国際理解、国際協力及び国際平和のための教育並びに人権及び基本的自由についての教育に関する勧告=-PRA(国際平和学会)平和教育分科会
■地域課題研究部門
コミュニティ政策と財政問題   佐中忠司
「地域主義」なる思想の吟味 一ノ瀬 篤
「コミュニティづくり」への批判的接近 “地域と教育”シンポジウム    江島修作
■資料図書整理部門
1980年度研究所所蔵図書目録
 9  1981  <G>
■巻頭のことば   石田明
■『軍縮シンポジウム』アジア非核地帯化を提唱
軍縮シンポ第二セッションの報告と討論(録音再生記録)
ヒロシマ・ナガサキ・ビキニの今日的意味   庄野直美
核戦略の現状と限定核戦争の問題   山田浩
■平和教育研究部門(第一部門)
「平和教育実践辞典」・「平和教育入門」の発刊によせて
(資料)第31次全国教研平和教育分科会レポートの一覧
■地域課題研究部門(第二部門)
「農業副読本」作成へのとりくみの経過   大西典茂
地域課題への私のとりくみ   佐中忠司
■資料図書整理部門(第四部門)
平研収蔵書籍の分類改訂について   大槻和夫
戦前の「国定教科書」をおもちではありませんか   平研事務局
(附)戦前の国定教科書一覧
■第9回全国平和教育シンポジウム
新しい英知の担い手を育てよう   森田俊男
記念講演 平和と人権 沼田稲次郎
■1981年度広島平和教育研究所理事ならびに研究員名簿
10  1982 <GU>
■巻頭のことば   石田明
■各界からのメッセージ
槙枝元文/森田俊男/寄実正弘/今石益之/千種義人/栗野鳳/相原和光/河村盛明/高橋昭博/宅和純
■研究会議代表挨拶
佐藤正夫/山田浩/大西典茂/庄野直美/大槻和夫
■広島県教組各地区支部長からのメッセージ
谷崎典彦/松尾寿美/後藤弘起/本庄盛/湯藤行男/中村建/真野久
■広島平和教育研究所十年のあゆみ
■研究所日誌
■平和教育研究部門
故・今中次麿先生の心を今日に  空辰男
平和教育教材写真集・アウシュビッツ 解説文
■地域課題研究部門
副読本作成のための農村現地調査を終えて   大西典茂
■特別寄稿(第10回全国平和教育シンポ講演記録)
『軍縮と教育』   栗野鳳
■資料
1、軍縮教育世界会議の報告と最終文書/2、軍縮教育シンポジウム『広島アピール』/3、軍縮教育国際シンポジウム『ヒロシマからの提言』/4、自主編成教材・資料一覧/5、教育研究全国集会レポート一覧/
■広島平和教育所研究理事・研究員・研究客員名簿
■あとがきにかえて   寺岡昭壮
11  1983  <G>
■巻頭のことば   空辰男
■平和教育研究部門(第一部門)
ビデオ教材「ヒロシマから子どもたちへ」の完成によせて   高橋信雄
(資料)平和学習ビデオシリーズ
「ヒロシマから子どもたちへ」活用の手引き
(資料)平和学習ビデオ教材シナリオ
■平和教育研究部門(第二部門)
「教育調査」具体化へ向けてすすむ   大西典茂
「農業副読本」検討用草稿できあがる   大西典茂
(資料)農業副読本もくじ
■「問題行動」への社会学的接近
-中学生の意識と行動をめぐって-   江嶋修作
■ドイツ民主共和国(東ドイツ)の十年制学校における平和教育と民族友好の教育   カール・ハインツ・ギュンター
■研究所日誌
(1982年4月~1984年4月)
■広島平和教育研究所・蔵所目録補完-
■1983年度広島平和教育研究所理事ならびに研究員名簿
12  1984 <GU>
■巻頭のことば/空辰男
■ひろしま-15年戦争と広島(試案)
①原爆と軍都広島
②15年戦争前夜の日本
③15年戦争と子どもたち
④初年兵の軍隊生活
⑤戦争とは何だったのか
⑥15年戦争が終って
⑦侵略戦争と広島
■平和教育副読本 ひろしま・指導資料
Ⅰ原爆と軍都広島
Ⅱ15年戦争前夜の広島
Ⅲ15年戦争と子どもたち
Ⅳ初年兵の軍隊生活
Ⅴ戦争とは何だったのか
Ⅵ15年戦争が終って
Ⅶ敗戦とヒロシマ
■15年戦争と広島《資料》
手記 貧しき農村は軍国主義の温床   沖勇
■平和教育研究所第二部門=地域課題研究
農業副読本「日本の農業をみつめる」作成の経過報告   大西典茂
 13  1985 <GU>
■巻頭のことば 空辰男
■第13回平和教育シンポジウム報告
基調提案   空辰男
開会あいさつ   森田俊男
記念講演<現在の国際情勢と広島・長崎>   具島兼三郎
分科会報告
社会・歴史教育 芸術教育 学校行事と自治活動 修学旅行 原爆被爆・戦争体験の発掘継承 人権・平和教育と国際連帯 基地・自衛隊 マスコミ.文化・教科書問題 大学における平和教育
シンポジウム記念構成詩
座談会・15年戦争と広島
司会=高橋信雄
出席者=江先光/富永正三/藤井秀夫/水埜公治/山田浩造/横山司之
八十年代・県北の生活と福祉を考えるシンポジウム・分科会報告
■広島・長崎被爆証言テープ・リスト一覧
14  1986 <GU>
■巻頭のことば 空辰男
■神石の生活と教育を考えるシンポジウム
基調提案 大西典茂
第1分科会 教育と子どもの進路
第2分科会 子どものくらしと教育条件
第3分科会 教育とくらし
第4分科会 過疎化における教育
■第14回全国平和教育シンポジウム報告
基調提案 日平研事務局長・空辰男
分科会報告
国語・文学教育・社会・歴史教育 芸術教育・学校行事・自治活動 修学旅行 原爆・戦争体験の発掘継承 基地・自衛隊 マスコミ・教科書 大学における平和教育
講座 被爆者との対話と交流
第14回平和教育シンポに参加して 天久仁助
■ひろしま(核戦争とヒロシマ=仮題)
①核時代の幕あき
②核戦争の危機はここまで
③もしも核戦争が起こったら
④核戦争を防ぎ、なくす力
15  1987  <G>
■第15回全国平和教育シンポジウム報告
あいさつ-平和教育をさらに「創造的かつ体系的」なものへ 森田 俊男
基調提案 にんげんは生きねばならない、子や孫たちにたしかな未来を、日本国憲法・教育基本法、40周年にあたって 空辰男
記念講演 経済の軍事化と平和教育 宮本憲一
分科会報告
子どもと教育をめぐるシンポジウム
船はどこに(因島・あらたな島づくりをめざす会)
第1分科会報告 (中川輝男)
第2分科会報告 (綿岡靖博)
第3分科会報告 (田村和之)
■平和教育研究所・出版目録
ひろしま-原爆をかんがえる ひろしま-これはわたしたちのさけびです ひろしま-今日の核時代を生きる
ひろしま-15年戦争と広島 Let’s CryFor Peace! この子らに語りつぐもの ヒロシマヘの旅 ヒロシマで学習する平和教材
国連軍縮習慣のための平和教材と資料集 憲法学習のために 平和教育入門 ヒロシマ-その惨禍・未来への証言
日本の農業をみつめる 広島平和教育映画ライブラリー上映手引書 原爆を許すまじ(音楽平和教材伴奏集) 毒ガス島
平和教育実践辞典
広島の平和教育
平和教育研究(平和教育研究所年報)
■平和教育アンケート集計
集計表(小学校)学年別集計、中間分析
*表紙/四国五郎(1988年度平和カレンダーより)
 16  1988  <G>
■序文  空辰男
■第16回全国平和教育シンポジウム
基調提案:今こそ子どもたちにつたえたいこと-教育課程全面改訂を前にして
記念講演:中野光
■広平研地域シンポジウム・問題提起  広島県西部地域の漁業について (国富毅)
漁業地区生徒の進路保障とは (柏原広雄)
■”昭和”ヒロシマ、教育、核を語る 日本を中心とした東アジアにとって”昭和”とは  《横山茂》
“昭和”と憲法        《大西典茂》
戦争・平和と縦軸として見た教育  《藤井敏彦》
核軍拡か核廃絶か    《永井秀明》
昭和時代について思うこと 《庄野直美》
天皇制論議をめぐる私なりの総括 《山田浩》
昭和史をめぐる略年表
■広島平和教育研究所蔵書分類法
■1988年度理事・研究員名簿
 17  1989  <G>
■本島長崎市長銃撃事件に思う-1990年代を迎えて   山田浩
■特集 開発教育
人類が共に生きる21世紀を展望して    <永井秀明>
ヒロシマの教育から新たな教育(開発)の始動を  <空 辰男>
大学における平和教育  <鹿子木幹雄>
開発教育のひとつの実践から    <長松孝明>
■第17回全国平和教育シンポジウム
記念講演:平和教育の到達点と当面する課題   藤井敏彦
基調提案  空辰男
被爆都市の記憶を継承しよう
被爆建造物を考える会呼びかけ
被爆建造物を考える会・会則     呼びかけ人
子どもたちにヒロシマの追体験を     高橋信雄
<講演会>
欠かせぬこだわり     映画監督・新藤兼人
町づくりに「証」を     元広島大学長・飯島宗一
核時代の未来警告    詩人・栗原貞子
■ヒロシマへの旅を考える
ヒロシマは教師の熱意に応える   江口保
ヒロシマからのメッセージ       宅和純
ヒロシマへの旅を考える        米田進
広島修学旅行<感想文>から
未来を変えることができる/もっと視野を広げて/被害だけでなく加害も/本当に平和なんでしょうか/恐ろしさや悲惨さが-/必ずしも平和でない
 18  1990  <G>
■序文    高橋晋作
■原爆被爆建造物を考える会と「追体験」教育   空辰男
■被爆建造物写生会と被爆電車に乗って      秋田了二
「生ましめんかな」  栗原貞子
「高熱に焼けて」   石田明
■開発教育
-開発・環境教育を前進させるために-     永井秀明
■地域シンポ開催に向けてのとりくみ        林勤
■「日の丸・君が代」をどう教えるか(試案)の指導案を使っての実践
■90平和集会  今、基地と核問題を教える(三沢)  吉岡康之
ストップ・ザ核燃サイクル施設-          梅田有滋
■第18回全国平和教育シンポジウムの報告
1、基調提案 空 辰男
2、記念講演 岡本三夫
■広島平和教育研究所「ヒロシマの証言」-広島修学旅行
 19  1991  <G>
■ポスト冷戦期の平和問題を考える -平和をめぐる多様な課題-  山田浩
■広島平和教育研究所設立20周年記念平和教育フォーラム
パネルディスカッション いま「ヒロシマ」から問いかけるもの
■地域シンポジウム開催  分科会報告  恒吉宏典
■91平和集会に参加して 久保司朗
(小松基地・能登原発)  折口浩三
■第19回全国平和教育シンポジウム報告
基調提案    空辰男
記念講演    岡本三夫
■佐久間 澄先生の死を悼む   庄野直美
大西典茂先生の霊に語る
■広島平和教育研究所「ヒロシマの証言」  -広島修学旅行-
■資料
東郷平八郎で日露戦争をどう教えるか -平和教育からの視点-
 20   1992  <G>
■崩れ行く地球に生きて -平和教育の新たな展開を-    寺岡昭壮
■世界の平和教育の動向 第四回「平和のための教師」国際会議に出席して      永井秀明
■副読本 仮称『アジアふれあいBOOK』の発刊によせて ~ヒロシマの心とアジアの心を結ぶ~  梅田有滋
■地域研究課題
①広島農業の新しい担い手   中川輝男
②新しい農業経営のとりくみ -県北の営農集団について-野原健一
③有機農業生産と消費者が手をつないだわかつちの会   林勤
④地域の課題を明らかにすることでより確かな社会認識を-備後のい草づくり-   山田和孝
■宅和純先生を偲びて ヒロシマにこだわりつづけた人      石田明
宅和先生を悼む          長井 清
国富毅先生の死を悼む      中川輝男
■広島平和教育研究所「ヒロシマの証言」広島修学旅行
 21  1993
■アジア競技大会・被爆五十周年を前にして  -平和教育のあり方を思う-    空辰男
■ミニシンポの開催に当たって   基調講演  中川輝男
技術史からみた伝統産業    野原健一
国営比婆さとやま公園と地域振興    国光拓自
岳細工に生きる          石田源
たしかめよう、見なおそう!   田村浩章
■第21回全国平和教育シンポジウム報告
基調提案  岡本重人
記念講演  渡辺治
■帰国、入国児童生徒に関する実態調査の集計分析から浮かび上がった問題点     永井秀明
■平和哲学者「森滝先生」を悼む  石田明
■「ヒロシマの証言」-広島修学旅行
■『アジアふれあいブック・指導の手引』発刊にむけて   梅田有滋
22  1994  <G>
■「広島こそ戦争の原点」  -原爆・敗戦50周年にて思うこと-    広平研副議長 空辰男
■第22回全国平和教育シンポジウム   基調提案   日平研事務局長 岡本重人
■広島平和教育研究所のとりくみ
アジア人留学生シンポジウム
被爆建造物写生大会と被爆電車に乗り被爆体験を聞く会
■1994年地域シンポの開催にあたってあいさつ  広島修道大学教授(広平研第2部門部長)中川輝男
パネルディスカッション -農業の将来性、自然環境的意義、今後の課題-
■ヒロシマの証言  -広島修学旅行・平和学習-
平和記念資料館修学旅行団体入館状況
広島平和教育研究所「ヒロシマの証言」実施状況
手記 証言活動に参加して  語り伝えることの大切さ       広島を語る会 沼田鈴子
被爆の事実・戦争の真実を語りつづけて下さい           被爆教職員の会 江種祐司
■「アジアふれあいブック・指導のために」を発刊して       広平研第1部門研究員 梅田有滋
■ひろしま県の農業(副読本)  完成まぢか 広平研常任研究員 佐古琢也
■アジアふれあいブック~指導のために」
23  1995  <G>
■51年目ヒロシマからのメッセージ      全国被爆教職員の会会長 石田明
■『改めてヒロシマを問いなおす平和教育』  -原爆被爆50周年を終えて-   ヒロシマ平和教育研究所研究員 空辰男
■8.4集会から引き継ぐもの   広島平和教育研究所事務局長 藤川伸治
■アジアからのメッセージ             マレーシア教職員組合
■平和教育への提言               朝日新聞記者 氏家弘二
■組写真『韓国独立記念館展示写真』     解説 被爆者二世教職員の会 中谷悦子
■ヒロシマの証言
-ヒロシマ修学旅行・平和学習-      広島平和教育研究所
広島平和記念館修学旅行等団体入館状況
広島平和教育研究所『ヒロシマの証言』実施状況
 24  1996  <G>
■原爆ドーム世界遺産化
核時代の終わりが始まった     広島修道大学教授 岡本三夫
ヒロシマの心は伝わったのか    広島県原水禁常任理事 横原由紀夫
原爆ドーム生き証人として      広平研第二部門研究員 佐古琢也
広島よ、おごるなかれ         前長崎市長 本島等
■「原爆ドーム世界遺産化」を教材化する  新たなヒロシマ教育の視点   広平研研究会議副議長 空辰男
平和教育指導例 -小学校6年-
■平和教育アンケートのまとめ
平和教育アンケート報告     広島平和教育研究所
■平和教育アンケート報告を読んで
「平和教育アンケート報告」を読んで   中国新聞社電子電波編集部長 栗栖武士郎
意識調査結果と平和教育再検討      長崎平和研究所長 鎌田定夫
転換期に立つ平和教育       広島平和文化センター理事長 大牟田 稔
「平和教育アンケート報告」を読んで   広平研研究会議副議長 岡本三夫
原爆はなぜ投下されたか         広島県被団協事務局次長 近藤幸四郎
■「農業副読本」作成にかかわって            広平研研究会議議長・広島修道大学教授  中川輝男
■インターネットと教育           広島市立大教授・広平研第三部門研究員 大田允
■二葉中夜間学級を訪問して      安田女子大非常勤講師・広平研第三部門研究員 宮川裕行
■日韓の歴史認識のちがいをのりこえる    ソウル市立大学教授 鄭在貞
■資料
マレー半島における「日本の加害責任」を明らかにする   広島平和教育研究所
「毒ガス展」広島             毒ガス展広島実効委員会
ヒロシマの証言 -広島修学旅行・平和学習-    広平研事務局
広島平和教育研究所研究員名簿
 25  1997  <G>
■これからの平和教育-平研設立25周年特集-
学校五日制教育課程改革と平和=歴史教育の意義について  広平研研究客員・旭川大教授 山内亮史
歴史を歴史として学ぶこと        東京大学教授 佐藤学
ヒロシマ・ナガサキをどう伝えるか   長崎大学教授 舟越耿一
新たなる教材づくりと参加型学習の平和教育実践   広島平和教育研究所第三部門研究員 荒川純太郎
地球市民としての平和教育を    大阪白頭学院韓国教育部派遣教員 安準模
■平和教育推進態勢実態調査
平和教育推進態勢アンケート報告    広島平和教育研究所
平和教育実践カリキュラム
-「原爆投下の目的」をどう教えたか- 広島平和教育研究所第一部門研究員 森脇貴
■農業からみた環境問題を考える     広島平和教育研究会議議長・広島修道大学教授 中川輝男
■日本軍慰安婦問題             弁護士 福嶋瑞穂
■マレーシア戦争展 -被爆実態の共有が生む平和を願う連帯- 広島平和教育研究所事務局長 藤川伸治
26 1998  <G>
■今日の平和教育の課題
平和教育推進体制確立を    大田平和総合研究所・前沖縄県知事 大田昌秀
日本の平和教育における現在の問題   カリフォルニア州立大学名誉教授 シェルダン・ハリス
若者に被爆体験をどう継承していくか-「広島に原爆を落とす日」 広島平和教育研究所事務局長 藤川伸治
「広島に原爆を落とす日」を通して私の被爆体験証言を考える- 元広島平和記念資料館館長  高橋昭博
アジアの若者から見たヒロシマ
韓国の若者から見たヒロシマ    韓国・富川高校日本研究班
マレーシアの若者から見たヒロシマ  マレーシア・マラヤ大学留学生 川崎恵子
■曲がり角にきた広島平和修学旅行
ヒロシマの課題       広島女学院大学生活科学部 細美綾
座談会 -広島修学旅行の現状と課題-
前広島平和文化センター理事長 大牟田稔、広島女学院大学 篠原收、広島平和教育研究所研究員 梅田有滋
■インターネットが世界を変える    広島修道大学教授 岡本三夫
■被爆の実相を世界へ   組写真世界30ヶ国へ送る   広島平和教育研究所
「戦争と平和」写真展レポート     「戦争と平和」写真展組織委員長ベー・ヤントー
ニュー・ストレイツ・タイムズ通信員 S・バラ・サンダラム
■失明に対する補償を         中国人強制連行・西松建設裁判原告 宋継堯
■「はだしのゲン」CD-ROMに    広島平和教育研究所
27   1999  <G>
■国際教科書シンボジウム開催にあたって
パネラー.コーディネーターの紹介
主催者挨拶               広島平和教育研究所理事長 松井安子
来賓挨拶                 日本教職員組合中央執行委員長 川上祐司
基調報告
ドイツ・ポーランドにおける国際教科書研究の成果  ハレ・ウィテンペルク大学教授 ミヒャエル・G・ミュラー
パネルディスカッション 日本とアジア各国の国際教科書研究をどのようにすすめるか
1.韓国の相互理解をすすめるための「歴史の対話」~その成果と課題 ソウル市立大学教授 鄭在貞
2.過去を現在の教訓とし未来へ向かう       上海師範大学歴史学科教授 蘇智良
3.日韓(韓日)間の歴史教科書の共同研究の意義と課題        奈良教育大学 田渕 五十生
閉会挨拶                   広島県高等学校教育研究所所長 安保英賢
資料1.日中教科書交流の経過           東京学芸大学教授 坂井俊樹
日本の歴史教科書における平和意識と中国についての記述
ー1982年「教科書問題」の後どう変化したのか    東京学芸大学教授 坂井俊樹・助手 大森直樹
2.日本右翼勢カの反中国行為に憤怒の集会(中国・解放日報)
3.日韓(韓日)間の歴史教科書の共同研究の意義と課題      奈良教育大学教授 田渕五十生
4.ドイツ教科書「過去への旅」第5巻「二つの世界大戦の時代」
各国歴史教科書「原爆」記述に着目      広島平和教育研究所第一部門研究員 空辰男
資料 各国歴史教科書の「原爆」記述
フランス・ポーランド・イタリア・ロシア・ラオス・ドイツ・アメリカ・イギリス・マレーシア・シンガポール・インド・中国・韓国・日本
■平和教育の危機と希望                   広島修道大学教授 岡本三夫
■アジアと共生及ぴ連帯関係をつくる平和教育 侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館館長 朱成山
■広島原爆生き残り米軍機長の戦後が問いかけるもの 広島平和教育研究所第三部門研究員 繁沢敦子
■「環境読本」作成のとりくみと環境教育の推進のために  広島平和教育研究所第二部門研究員 野田泰洋
■広島平和教育研究所ホームページ 広島県教育研究集会「平和教育分科会」提案リポート要旨掲載
■資料 ヒロシマの証言ー広島修学旅行・平和学習ー
 28  2000
■特集:平和教育カリキュラム・自主編成のてびき(理論編)改訂版    平和教育拡大専門委員会
■平和教育とは何か   広島修道大学教授・広島平和教育研究所研究会議議長 岡本三夫
■反核平和交流-インド・パキスタン
核も戦争もない未来をつくるために   広島平和教育研究所第三部門研究員 森瀧春子
具体的に動いて考えてみる     広島平和教育研究所第三部門研究員 宮奥和司
■教科書が語る20世紀展記念講演
子どもたちに戦争のない21世紀を   平和人権子どもセンター(教科書資料館)代表 吉岡数子
■資料:ヒロシマの証言-広島修学旅行・平和学習
29 2001 <U>
   ■米国テロ攻撃・アフガン戦争から見えてくるもの
米国中枢テロ攻撃・対テロ戦争の「背景」と米国の若者意識  米国ボーリング・グリーン州立大学客員研究員 篠原收
生き残った私たちがなすべきこと  広島平和教育研究所第三部門研究員 繁沢敦子
■第29回全国平和教育シンポジウム
記念講演 原爆を語るということ  作家 井上ひさし
第5分科会レポート 出会い・発見・ピース2000
■インド・パキスタン間の緊張下での反核平和交流  広島平和教育研究所第三部門研究員 森瀧春子
■軍都廣島史の終焉 侵略加害教材と罪認書と平和教育  広島平和教育研究所研究会議副議長 空辰男
■被爆建造物写生大会・被爆電車に乗って被爆体験を聞く会・戦跡をたどるフィールドワーク  広平研事務局
■資料:ヒロシマの証言-広島修学旅行・平和学習
30 2002
■日韓歴史認識調査のまとめ
日韓相互関係史の認識に関する日韓学生意識調査の分析  広島・大邱歴史認識副教材づくりセミナー
■第30回全国平和教育シンポジウム
記念講演 核時代 負の遺産と平和教育の視点  中国新聞編集委員 田城明
記念構成詩 ヒロシマ・ナガサキ原爆の子の叫びを 全国被爆教職員の会会長 石田明
■日本の進路と反核平和運動の課題
国際平和文化都市広島を批判的視点から検証し問題提起を 原水爆禁止広島県協議会 横原由紀夫
■ヒロシマ・ナガサキ原爆投下目的の中に潜んでいたアメリカ一国主義の思想                                  広島平和研究所研究会議副議長 空辰男
■被爆の実相を世界へ ~被爆写真を世界へおくる運動~ 広島平和教育研究所事務局
■資料:ヒロシマの証言-広島修学旅行・平和学習-  広島平和教育研究所事務局
■資料:広島平和教育研究所研究員名簿  広島平和教育研究所事務局
31 2003
■石田明先生を偲んで  広島平和教育研究所副議長 空辰男
■第31回全国平和教育シンポジウム
記念講演 「北東アジアの平和と日本の選択」  立教大学 李鍾元
■特集:平和教育カリキュラム(試案)  平和教育研究所
・はじめに
・社会科学領域(社会)
・言語領域(日本語・外国語)
・自然科学領域(理科・公害)
・芸術領域(音楽・美術)
・保健体育領域(保健・体育)
・総合学習
32 2004
■第32回全国平和教育シンポジウム 記念講演
「沖縄からみる日本社会と平和教育-共生の場の拡大にむけて-」
琉球大学教育学部教授 高嶋伸欣
■「平和教育実態調査」まとめ 平和教育研究所
■2005日本歴史教科書問題対応シンポジウム 「日韓歴史共通認識づくり」
「日本の歴史教育の課題」 執筆委員 竹本博行
「日韓歴史教科書の記述および比較-文禄の役と朝鮮通信使を中心に-」執筆委員長 姜泰源
「歴史副教材からみえてきたこと」執筆委員 貞金和典
「大邱・広島の歴史副教材編纂交流の成果と課題」執筆委員 朴宰弘
「日韓友好のために」執筆委員 児玉戒三
■資料:ヒロシマの証言-広島修学旅行・平和学習- 広島平和教育研究所事務局
■資料:広島平和教育研究所研究員名簿 広島平和教育研究所事務局
33 2005
34 2006
35 2007
36 2008
37 2009
38 2010 <G>
39 2011
40 2012
41 2013
42 2015
43
■第7回平和意識調査のまとめ
■2015地域シンポジウム「地域から教科書採択、平和を考える」
■―今、伝えたい― 『被爆の証言と、平和教育及び教育実践のいくつかの問題』
■福島原発被災地フィールドワーク ~福島の「いま」に参加して

 

全国平和教育シンポジューム開催概要

全国平和教育シンポジューム開催概要

年月日 会場 メモ
1 19731013~14 広島女学院中学校  <基調報告>石田明 、 <基調提案>藤井敏彦
2  19740601~02 <基調報告>石田明、<記念講演>星野安三郎
3  19750614~15  広島市幟町中学校  <基調報告>石田明、<記念講演>早乙女勝元
4  19760612~13  広島市幟町中学校  <基調報告>石田明、
5  19770611~12   広島市幟町中学校  <基調報告>石田明、
6
7  19790602~03  広島市幟町中学校  <基調報告>石田明、
8  19800920~21  広島市  <基調報告>石田明、<記念講演>藤原彰
9  19810620~21   広島市  <挨拶>森田俊男、<基調報告>石田明、<記念講演>沼田稲治郎
10  19820918~19 広島市   <基調報告>石田明、<記念講演>栗野鳳
11  19830618~19  <基調報告>空辰男、<記念講演>太田堯
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23  19950624~25   広島市立幟町中学校
24  19960622~23  広島市立本川小学校
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29  20010623  広島女学院大学
30 20020915-16 広島修道大学

200309

時代と記憶

『時代と記憶 メディア・朝鮮・ヒロシマ』(平岡敬、影書房、20110615 )

目次

部章
1 メディアの世界で
1- 衰弱する言論
1– “書き屋”の弁
吉川幸次郎氏 人間生活こそ文明
1— 唯一の一面コラム
天風録
1—- 新聞界の苦悩
1—– 「為人民服務」はどこへ
2 朝鮮半島へのまなざし
2-1 韓国の被爆者たち
2-2 私の”朝鮮体験”
3 原爆・平和をめぐって
3- 原水禁運動の混乱と後遺症
分裂と主導権争い 一九六一年の平和運動
一九六二年・平和理論の課題
被爆者の苦悩みつめる福島菊次郎の写真集「ピカドン』
今も消えぬ原爆のせん光 二十四年目の被爆者たち
広島市の平和行政の展開
新しい生き方を
痛烈な異議申し立て こうの史代『夕凪の街桜の国」(双葉社)
被爆五十周年の広島
核兵器を禁止する国際法を
世界各国で「原爆展」を
二十一世紀におけるヒロシマの役割
ヒロシマからアジアへ 平和をつくる市民運動
癒しの空間 効率主義に抗して
調査と医療支援の一体化 NGO「ヒロ・セミ」の活動
日本・カザフスタンの人々の連帯を強め核兵器廃絶の世論を
事前説明が不充分か?不満を訴える被害者
前進する被曝者医療 第五次医療支援訪問を終えて
カザフの聞き取り調査に対する所感
生き抜く人々
カザフの高麗人
広島と長崎の教訓を忘れるな
私と原子力光と影を見つめて
大胆な原子力政策の転換を ヒロシマからのメッセージ
「ヒロシマ再考」ノート
おわりに

菊池武彦

菊池武彦

きくち・たけひこ 生19850504没 享年91歳 京都大学原爆災害調査班の一員として1945年8月に広島を調査。『京都大学原子爆弾災害総合研究調査班の成立と活動』、『大野陸軍病院における京大原爆総合研究調査班の山津波による遭難の状況(私の日記から)』。お宅を訪問。被爆直後の写真について教示をいただく。

報復ではなく和解を

『報復ではなく和解を いま、ヒロシマから世界へ』(秋葉忠利、岩波書店、20040707)

内容

はしがき
三つの勝利
国際平和会議「ハーグ平和アピール1999」19990513、オランダ・ハーグ市にて
報復ではなく和解を、敵対関係ではなく人道を
国連軍縮フェローズ 市長講演 20031007 広島国際会議場にて
女性と平和
第13回日本・ヨルダン・エジプト・パレスチナ女性交流公開フォーラム 20040214
平和宣言の作り方
20020901 神奈川県二宮町にて
本書に関連する広島市の主な平和への取組み
平和宣言(1999年~2003年)

人間の心ヒロシマの心

『人間の心ヒロシマの心』(秋葉忠利、三友社出版、19881223)

目次

章節=頁 タイトル
はしがき
広島・長崎の経験を人類の祈りの基盤に〈基調講演〉 大江健三郎
被爆体験の意味と平和運動
028 なぜ広島でシンポジウムか〈主催者挨拶〉 柿木昇治
030 「ヒロシマの心」を世界の心に〈開会挨拶〉 荒木武
033 高い理想、そして具体的な出発〈オーガナイザー挨拶〉 秋葉忠利
035 何を誰にどう伝えるのか-そして何のために 秋葉忠利
被爆体験の人類史的意味
060 「被爆の証人」として生きる 高橋昭博
072 あらたな意味をもつ被爆体験の継承 宇吹暁
079 あたらしい被爆者像を求めて 舟橋喜恵
092 被爆後の年月を通して考える〈パネルディスカッション1〉
広島のメッセージを実現するために
116 教育の現場で平和を考える 片山美代子
127 仏教徒としての被爆体験と平和の願い 光寺重信
144 核廃絶の可能性を求めて 安江良介
153 心理学者と平和の問題 ジョン・J・フューレディ
158 「広島のこころ」を蘇らせるために〈パネルディスカッション2〉
193 平和シンポジウム趣意書
196 平和シンポジウム感想歌集から
198 パネリスト紹介
203 広島ターミナルホテルあいさつ
204 協力者一覧
205 フロアからの発言者プロフィル(発言順)
原田東岷
竹内千代
上神千波弥
江崎寿賀子
原伸幸
熊田信道
空フミコ
中川幹朗
山本誠
延本充弘
井上敬喜
ローレンス・ウィイグ
永井秀明
あとがき

真珠と桜

『 真珠と桜 「ヒロシマ」から見たアメリカの心』(秋葉忠利、朝日新聞社、19860720)

目次

章(頁) タイトル メモ
はしがき
怒涛
009 アキバ・プロジェクト  ローカル・ジャーナリストを広島へ
(『ヒロシマ』森下弘)あなたの目で確かに見つめなさい
039 平和の使徒 アメリカ人の原爆観
(アメリカ合衆国国家)赤いロケットの焔/空中に炸裂する爆弾/それは星条旗が翻っている証(しるし)
058 卑劣な日本人 悪の原点=パール・ハーバー
(能『葵上』)今の恨みはありし報い 瞋恚の炎は身を焦がす 思い知らずや 思ひ知れ
079 一人ひとりの顔 記者たちの広島体験
(『法句経』友松円諦)われらはここ 市の領域に近し… このことわりを知る 人々にこそ かくしていさかひは止まん
源流
097 鎖を断つ プロジェクト実現まで
118 他人の痛み 私の見た平和運動
136 道端の焼夷弾 私の戦争体験
156 カラオケに耳を覆う 文化の壁は越えられるか
179 プラウド・オブ・ユア・サン アメリカで父になる
分水
201 ビッガー・ザン・ユー カウボーイ社会アメリカ
225 医者と患者の関係 エキスパートの支配
243 ワシントン・シンドローム 忘れられる過去
265 死を歓迎する心 被爆者は『生ける屍』か
281 二重被爆者神話 アメリカ社会の無力感
303 現実と想像力 平和への意志
327 あとがき

下中記念財団

下中弥三郎  1878 年生、1961年2月21日死亡。享年84歳。

下中記念財団 1962年6月設立。理事に赤井米吉(初代の理事長)。茅誠司、谷川徹三、中島健蔵、湯川秀樹など。

出典:https://www.shimonaka.or.jp/

 

高良とみ自伝

『非戦を生きる-高良とみ自伝』(高良とみ、ドメス出版、19830325 )

目次

 プロローグ
生いたち
婦人運動の先駆者、母邦子
父のこと
キリスト教の家
寄宿舎生活
タゴールとの出会い
「中条百合子<宮本百合子>さんについて」
行動する心理学者として
アメリカ留学
女子教育者として
「友和会設立」
 暗い時代へ
「空襲・疎開・敗戦」
平和を求めて
 復興への息吹の中で
呉市助役として
戦後初の婦人議員に
極東裁判の印象
新憲法発布
緑風会へ
世界平和者会議ヘ
ローマ法王に戦犯の減刑請願
全インド婦人会議
全面講和か片面講和か
売春防止法制定にむけて
 “鉄のカーテン”をくぐる
モスクワへの道
モスクワでのこと
モスクワ経済会議
グロムイコ会見
モスクワ見聞記
シベリアのラーゲル訪問
日中第一次貿易協定を結ぶ
新しい中国の内側
スイスの赤十字へ
高良とみ帰国歓迎会
日本婦人団体連合会結成
在中国同胞引揚げ交渉に再び北京ヘ
 アジア・アフリカの婦人と共に
「妻として母として」
-内側から見た高良とみ
  高良留美子
解説  柘植恭子
高良とみ年譜

父は沖縄で死んだ

『父は沖縄で死んだ』(大田英雄、高文研、19890613 )

目次

 見出し  備考
沖縄県民かく戦えり
 ◇還ってきた父のシャレコウベ◇沖縄”捨て石”作戦◇武器は「竹槍」だった◇海軍部隊の最期◇二つの電文◇壕の中の遺骨◇命沖縄の土になった「父」
家族の見た父の肖像
 ◇命父と母の出会い◇軍人とその妻◇「武人」の横顔◇子供たちの目に映った父◇六番目で最初の男の子◇かいま見た太平洋戦争の実態◇佐世保に移る◇坂に消えた白い手袋
遺族たちの「戦後」
  ◇初めての呉空襲◇学童疎開先で知った父の死◇八月十五日の夕焼け◇墨を塗らされた教科書◇食うためのたたかい◇離散したきょうだい◇新制中学の授業◇高校時代の記憶◇一度は考えた防大受験◇「沖縄」を避けていた大学時代◇教会活動・洗礼・就職
教師として生きる
島の分校の新米教師 倉橋分校?
***倉橋分校?。昼間定時制
 生徒に教えられたヒロシマ
***体育祭の仮装行列で原爆被災者を演じる。
「瀬戸の花嫁」
末弟も防衛大へ
職員会議で罵倒された私
***1963年4月広島県立賀茂高等学校へ赴任。「日の丸」問題。滝尾英二先生のアシスタントとして社会科研究クラブの研修旅行「大和路の旅」へ生徒を引率。
古墳にとりつかれて
呉市に戻る
***1967年4月広島県立呉宮原高等学校へ赴任。
モーニング論争
同和教育運動のなかで
防衛大へ行った教え子
***呉でも大学セクトの指導でアジト。宮原高校も一つの拠点。「反戦高校生」は「呉黄幡弾薬庫や江田島秋月弾薬庫」などを取り上げる。
自衛隊員の子女に自衛隊をどう教えるか
***1983年に盛岡で開かれた「第32次全国教育研究集会」の「人権と平和」教育分科会にレポーターとして参加。助言者に森田俊男先生。
平和教育にとりつかれて
 映画「沖縄」の上映運動
 カヤさん、マキさんとの出会い
***1972年カヤ(萱原威=被爆者。広高校の数学の教師)先生が中心となり県下に先がけ高教組呉地区支部内に平和教育推進部を結成。マキ(牧岡宏明。広高校の数学の教師)。972年カヤ、マキらで全国高校生活指導研究協議会呉支部(略称:呉高生研)結成。
 呉空襲を記録する会
***1974年歴史教育者協議会呉支部を中心に 呉空襲を記録する会を結成。1975年『呉空襲記』(中国新聞社、吉川記者)刊。
平和教育読本をつくる
***呉地区の平和教育推進部の提案で高教組本部に編集委員会設置。『明日に生きる』
平和教育推進部
***1977年カヤさんが広島商業高校に転勤。
呉地区高校生「平和の集い」
***1973年、平和教育推進部で貸し切りバスを仕立て第19回原水爆禁止世界大会の文化集会に生徒ともども参加。上条恒彦の声に圧倒される。翌年、生徒の要望で世界大会そのものに参加。1975年2月、第1回呉地区高校生「平和の集い」(呉地区高校生徒会連絡会主催、平和教育推進部・呉高生研援助、原水爆禁止呉協議会・歴史教育者協議会呉支部後援)。
「高校生平和ゼミナール」の出発
***1977年(松崎徹、沢野重男ら)「広島平和ゼミナール」結成。
8・6高校生平和集会への道=
1975年第19回原水爆禁止世界大会高校生分科会終了後、松崎から大田に相談。
第20回原水爆禁止世界大会高校生分科会終了後、指導者会議に提起。
第21回原水爆禁止世界大会高校生分科会で学園に根差した高校生の活動報告。
大阪清水谷高校の文化祭での平和問題への取り組み。
以後、3年のうち2回は広島県高校生平和ゼミナールが、1回は長崎高校生平和ゼミナールが、地元実行委員会として世話役。
 平和は創りだすもの
***呉地区高校生「平和の集い」=2月と6月の2回。第3回、第5回、第6回の内容
すばらしい生徒たち
***第7回、第13回、
「原爆瓦」に負けるな
***戦跡フィールドワーク。1982年2月第15回「平和の集い」。
一年六組の旗
***1982年4月、ホームルームを担当。6月の第16回「平和の集い」
盛岡の誓い
***「第32次全国教育研究集会」(1983年)。広島(沢野重男・大亀信行)・長崎・埼玉(小岩井増夫)・呉で「8・6全国高校生集会」。森田塾。
VI 沖縄で見た「父」
 父の「電文」との出会い
 歴教協・呉支部をつくる
 海軍壕で見た「父」
 基地オキナワの現実
安仁屋政昭氏との再会
「兄は反戦教師、弟は自衛官」
二度目の訪沖
平良知事の涙
三度目の訪沖
VII  沖縄戦“追体験”の旅
 「観光コースでない沖縄」
 本島中部の戦跡と基地
糸数壕にて
摩文仁の丘にて
平和祈念資料館にて
 「ひめゆり」の衝撃
 父の「電文」の背後にあったもの
 旅の終わり
VIII 呉にも「沖縄」があった
 軍港都市・呉の誕生
海軍・戦争とともに歩んだ呉
呉空襲の被害が大きかった理由
呉の「摩文仁ヶ丘」と「健児の塔」
 呉にもあった「ひめゆりの塔」
 戦艦「大和」の碑
 壕の中の地獄
 帝国海軍の終焉「呉沖海空戦」
「軍都」呉は、いま
 あとがき