広島陸軍兵器補給廠第11兵器庫

広島陸軍兵器補給廠第11兵器庫

現在* 広島大学医学部医学資料館・緑風会食堂
*出典『ヒロシマの被爆建造物は語る』発行当時(1996年3月31日)
爆心地からの距離 2.75キロメートル
所在地 南区霞1丁目2-3(霞町)
竣工時期 1920(大正9)年頃
構造/階数 レンガ造/2階建
設計者/施工者 不詳/大岩組ほか

医学資料館・食堂として残された11号館の東半分

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建物全体を西北側より見る。西側正面は医学資料館入口。2階に展示室がある。

 

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昔の様子を伝える東側壁面 南側壁面

 

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食堂として使用されている東側

 

 

 

被爆建物等の保存・継承方法についての報告書(目次)

被爆建物等の保存・継承方法についての報告書(被爆建物等継承方策検討委員会、平成4年[1992年]8月)目次

平成4年8月20日 委員長 庄野直美 ➡ 広島市長 平岡敬
まえがき
本委員会の審議経過と意見
参考 被爆建物等継承方策検討委員会
1 被爆建物等継承方策検討委員会開催状況
2 被爆建物等継承方策検討委員会設置要綱
3 被爆建物等継承方策検討委員会委員名簿

 

 

被爆建物等継承方策検討委員会

被爆建物等継承方策検討委員会  設置:1991年7月24日

Y M D 事項
91 06 19 浜井広島市長室長、市議会総務委員会で、「被爆建物等継承方策検討委員会」(仮称)を7月中旬に設置することを発表。
91 07 24 広島市「被爆建物等継承方策検討委員会」を設置。委員=石丸紀興・宇吹暁・小原誠・河合護郎・庄野直美・空辰男・田中茂・葉佐井博巳・平川浩子・平松スエノ・松重美人・横田工・浜井澄人・佐伯邦昭・鍋岡聖剛。
91 08 21 広島市、被爆建物等継承方策検討委員会の初会合を開催。庄野直美を委員長に選ぶ。
91 10 04 「被爆建物等継承方策検討委員会」、第2回会合を広島市役所で開催。「キリンフォーラム」の被爆外壁タイルの保存を要請することを申し合わせ、マツダ宇品工場内の被爆建造物などを、調査対象リストに追加。
91 10 29 広島市の「被爆建物等継承方策検討委員会」の第3回委員会、市役所で開催。原爆遺跡保存運動懇談会の意見を聴取。
91 12 04 広島市の被爆建物等継承方策検討委員会、第4回の会合を開催。広島赤十字・原爆病院の一部を現地保存するよう市が病院と協議するよう求める。
92 02 04 広島市の被爆建物等継承方策検討委員会の委員8人、市内の被爆建物9か所を視察。視察した被爆建物=広島市役所、広島大学理学部、広島赤十字・原爆病院、広電変電所、旧陸軍被服支廠、広島銀行銀山支店、旧陸軍司令部通信室、本川小学校、レストハウス(予定)。
92 02 14 広島市の被爆建物等継承方策検討委員会、5回目の会合を開催。公有の被爆建物の保存策を検討。
92 04 21 広島市、被爆建物等継承方策検討委員会の6回目の会合を開催。広島逓信病院、文理科大学、広島高等学校、日銀、兵器支廠、兵器学校、などの継承方策について検討。
92 05 26 広島市、第7回被爆建物等継承方策検討委員会を開催。民有の被爆建物の継承方策の検討など。
92 07 15 広島市、第8回(最終)被爆建物等継承方策検討委員会を開催。取りまとめ案の検討。
92 07 16 広島市の被爆建物等継承方策検討委員会、最終会合を開催。平岡市長に提出する答申案を固める。
92 08 20 庄野直美広島市被爆建物継承方策検討委員会委員長、平岡市長に被爆建物の保存・継承方法についての報告書を提出。

 

 

 

 

被爆建造物を考える会

被爆建造物を考える会

設立:1989(平成元)年7月16日

目的:「本会は、広島の街から次第に姿を消そうとしている被爆建造物をとおして、歴史的な意味を持つ広島の体験をどう次代に伝えていくか多面的に検討し、市民に被爆体験の継承について考える機会を提供することを目的とする。」(会則第2条)

事業(会則第3条)
本会は、前条の目的を達成するために以下の事業を行う。
①被爆建造物の存在を広く市民に認識してもらうために、フィールドワークやスケッチ大会、シンポジウムなどを開催する。
②他都市における歴史的建造物保存の試みなどについて調査する。
③広島に残る被爆建造物について、専門家による多角的な調査・研究活動を行う。
④調査・研究活動の成果をまとめ、報告書として出版する。また、市民、子ども向けの被爆建造物マップ、解説書などの出版活動を行う。
⑤その他、会報発行など目的達成に必要な事業を行う。

動向

年月日 事項
1989
07 16 「原爆遺跡を考える会」、広島市で発足。呼びかけ人に飯島宗一・新藤兼人・庄野直美ら。原爆遺跡への関心を高め、被爆建造物の調査などを計画。事務局を広島平和教育研究所に設置。
07 25 「被爆建造物を考える会」主催原爆遺跡をめぐるフィールドワーク、広島市で実施(約60人参加)。広島赤十字・原爆病院・広大理学部などを見学。
07 30 「被爆建造物を考える会」、広島市内各所で、被爆建造物を描くスケッチ大会を開催(約30人参加)。
0925 「被爆建造物を考える会」。於教育会館<宇吹メモ>
12 24? 「被爆建造物を考える会」による本格的な調査活動、開始。同会社会部会、原医研資料センターの資料で被爆建造物について調査。
1990
08 02 「被爆建造物を考える会」、広島信用金庫横川支店で現地調査。その他の建造物についても調査中。
11 25? 「被爆建造物を考える会」の葉佐井博巳広大教授ら、広島市内の被爆建造物の残留放射能を測定し、各地点の中性子量を算出。それによると、日米合同委員会による被曝線量推定方式DS86とは大差。
12 03 「被爆建造物を考える会」、調査結果をまとめた「広島の被爆建造物-被爆45周年調査報告書」(監修者:庄野直美、発行者:被爆建造物を考える会、発行所:朝日新聞広島支局、発行日:1990年12月1日)を作成。
12 08 「被爆建造物を考える会」、広島市で、記念シンポジウムを開催(約300人参加)。大江健三郎による講演「壊れものとしての人間と文化」など。

 

広島市庁舎被爆石等譲与(1985年~)

広島市庁舎被爆石等譲与

★旧庁舎解体時期  1985年10月~1986年2月
旧庁舎の敷石等の譲与譲与状況(1988.01.01)

区分 譲与
団体数
譲与物件
敷石 側壁石 その他
地方公共団体 32 83 27 35
被爆者団体 4 4 1 7
学校関係 8 5 1 22
市公共施設 4 188 1 13
姉妹都市等 1 1
その他 5 8 2 2
54 289 32 79

【被爆石残数調】(1988.01現在)
*敷石   60枚
*側壁石  50枚
*その他 200個(小片を含む)

☆依頼の一番早い都市
北海道深川市(1985年5月1日)
☆譲渡のの一番早い都市
鳥取県西伯郡名和町(1985年11月15日)
☆最北端の都市
北海道深川市
☆最南端の都市
大分県北海部郡佐賀関町
☆外国の都市
ソ連邦ボルゴグラード市

原爆遺跡一覧(広島市内)

原爆遺跡一覧(広島市内)

名称(被爆時) 距離(km) 所在地(旧町名) no.
広島県産業奨励館
(原爆ドーム)
0.16 中区大手町11丁目10
(猿楽町)
006
燃料会館
(レストハウス)
0.17 中区中島町1-1
(中島本町)
007
帝国銀行広島支店
(アンデルセン)
0.36 中区本通7-1
(革屋町)
022
日本銀行広島支店 0.38 中区袋町5-16
(袋町)
023
頼山陽史跡資料館 中区袋町5-15
本川国民学校校舎 0.41 中区本川町1丁目5-39
(鍛治屋町)
026
袋町国民学校 0.46 中区袋町6-36
(袋町)
029
大林組広島支店 0.49 中区本通3-10
(平田屋町)
032
福屋百貨店 0.71 中区胡町6-26
(胡町)
043
中国軍管区司令部防空作戦室 0.79 中区基町21
(基町)
049
広島城跡 0.98 中区基町21-1
(基町)
広島市役所
(旧庁舎資料展示室)
1.02 中区国泰寺町1丁目6-34(国泰寺町) 062
広島中央電話局西分局(NTT広島西営業所) 1.08 中区西十日市町10-15
(北榎町)
063
縮景園 1.20 中区上幟町2-11
広島陸軍幼年学校
炊事室
1.34 中区白島町19-8
(基町)
077
広島逓信病院 1.37 中区東白島町19-16(基町) 079
広島文理科大学本館 中区東千田町1丁目1-89(東千田町)
広島赤十字病院 中区千田町1丁目9-6
千田国民学校講堂 中区東千田町2丁目1-34(千田町2丁目)
多聞院 南区比治山町7-10
電気試験所
広島出張所
西区三篠町1丁目15-3(三篠本町1丁目)
山陽文徳殿 南区比治山町7-1
(段原町)
住友銀行
東松原支店
南区猿猴橋町3-7
(猿猴橋町)
広島電鉄千田町変電所 中区東千田町2丁目9-29(千田町3丁目)
東照宮 東区二葉の里2丁目1-18
久永金紙押紙工場 西区三篠町3丁目20-4(三篠本町2丁目)
己斐調整場
送水ポンプ室
西区己斐東1丁目9-2(己斐町)
桐原容器工業所 中区舟入南4丁目1-11(舟入川口町)
第一国民学校 南区段原山崎町4-42(段原山崎町)
広島陸軍被服支廠 南区出汐2丁目4-60
(出汐町)
光徳寺・納骨堂 南区皆実町6丁目15-21(皆実町3丁目)
広島高等学校講堂 南区翠1丁目1-1
(皆実町3丁目)
広島陸軍兵器補給廠
第11兵器庫
南区霞1丁目2-3
(霞町)
牛田水源地濾過池
濾過調整機上屋
東区牛田新町1丁目8-1(牛田町)
牛田水源地送水ポンプ室(広島市水道資料館) 東区牛田新町1丁目8-1(牛田町)
牛田水源地量水室 東区牛田新町1丁目8-1(牛田町)
日本麻紡績給水塔 西区己斐本町3丁目12(己斐町)
陸軍兵器学校
広島分教所
中区舟入南6丁目7-11(江波町)
日本特殊グリース倉庫 南区大洲1丁目9
(大洲町)
広島陸軍糧秣支廠
食肉処理場
南区宇品御幸1丁目
12-23
(宇品町)
広島陸軍糧秣支廠
缶詰工場(広島市郷土資料館)
南区宇品御幸2丁目6-20(宇品町)
不動院 東区牛田新町3-4-9
広島地方気象台(広島市江波山気象館) 中区江波南1丁目40-1(江波町)
中国配電南部変電所 南区宇品御幸3丁目17-1(宇品町)
麒麟麦酒広島工場 安芸郡府中町大須2丁目1
(安芸郡府中町)
官立広島師範学校
講堂・職員室
南区東雲3丁目1-33
(東雲町)
陸軍船舶練習部 南区宇品東5丁目3
(宇品町)
広島鉄道局
広島工機部
東区矢賀5丁目1
(矢賀町)
広島陸軍糧秣支廠
倉庫
南区宇品海岸3丁目11
(宇品町)

慈仙寺境内の墓石平和公園内

出典:広島市『ヒロシマの被爆建造物は語る』(1996年3月)

平和記念施設あり方懇談会設置要綱

平和記念施設あり方懇談会設置要綱
(設置)
第1条 被爆60周年となる平成17年に向け、長期的な観点から平和記念施設の保存・整備のあり方を整理するための平和記念施設保存・整備方針を策定するにあたり、有識者等から指導・助言をいただくことを目的として、「平和記念施設あり方懇談会(以下「懇談会」という。)」を設置する。
(平和記念施設)
第2条 方針策定の対象となる平和記念施設は、ヒロシマのシンボルである平和記念公園を中心とした空間(おおむね「原爆ドーム及び平和記念公園周辺建物等美観形成要綱」の対象地域内(バッファーゾーン)と同じ。)及びそこに所在する原爆ドーム、平和記念資料館、平和記念公園及び平和記念公園に接する平和大通りの一部をいう。
(所掌)
第3条 懇談会の所掌は、次のとおりとする。
(1)平和記念施設保存・整備方針案の策定についての指導・助言に関すること。
(2)その他平和記念施設のあり方に関すること。
(委員)
第4条 懇談会の委員は、15人以内とする。
2 委員は、平和記念施設について優れた識見を有するものから市長が依頼する。
(任期)
第5条 委員の任期は、平成17年12月31日までとし、補欠の委員の任期は、前任者の残任期間とする。
(座長)
第6条 懇談会に座長1名を置き、委員の互選により選出する。
2 座長は、会務を総括する。
3 座長に事故があるときは、座長があらかじめ指定する委員がその職務を代理する。
(会議)
第7条 懇談会は、座長が招集し、座長が議長となる。
2 座長は、必要があるときは、懇談会に関係者の出席を求め、その意見又は説明を聴くことができる。
(庶務)
第8条 懇談会の庶務は、市民局国際平和推進部平和推進担当において処理する。
(その他)
第9条 この要綱に定めるもののほか、懇談会に関し必要な事項は、座長が定める。
附則
この要綱は、平成16年7月16日から施行し、平成17年8月31日限り、その効力を失う。
附則
この要綱は、平成17年8月30日から施行し、平成17年12月31日限り、その効力を失う。

 

 

内閣総理大臣挨拶

内閣総理大臣挨拶

大臣名 備考
1947 昭和47
1948 昭和
1949 昭和
1952 昭和27 吉田茂 式辞
1953 昭和28 吉田茂 メッセージ
1954 昭和29
1955 昭和30
1956 昭和31
1957 昭和32
1958 昭和33
1959 昭和34
1960 昭和35
1961 昭和36
1962 昭和37
1963 昭和38 池田勇人 挨拶
1964 昭和39
1965 昭和40 佐藤栄作 挨拶
1966 昭和41 佐藤栄作 挨拶
1967 昭和42 佐藤栄作 挨拶
1968 昭和43
1969 昭和44 佐藤栄作 挨拶
1970 昭和45 佐藤栄作 挨拶
1971 昭和46 佐藤栄作 挨拶
1972 昭和47 田中角栄 メッセージ
1973 昭和48 田中角栄 挨拶
1974 昭和
1975 昭和50 三木武夫 あいさつ
1976 昭和51 三木武夫 挨拶
1977 昭和52 福田赳夫 あいさつ
1978 昭和53 福田赳夫 挨拶
1979 昭和54 大平正芳 あいさつ
1980 昭和55 鈴木善幸 あいさつ
1981 昭和56 鈴木善幸 あいさつ
1982 昭和57 鈴木善幸 あいさつ
1983 昭和58 中曽根康弘 あいさつ
1984 昭和59 中曽根康弘 挨拶
1985 昭和60 中曽根康弘 あいさつ
1986 昭和61 中曽根康弘 挨拶
1987 昭和62 中曽根康弘 挨拶
1988 昭和63 竹下登 挨拶
1989 平成元 宇野宗佑 挨拶
1990 平成2 海部俊樹 挨拶
1991 平成3 海部俊樹 挨拶
1992 平成4
1993 平成5 宮沢喜一 挨拶
1994 平成6 挨拶
1995 平成7 村山富市
1996 平成8
1997 平成9
1998 平成10
1999 平成11
2000 平成12
2001 平成13
2002 平成14
2003 平成15
2004 平成16
2005 平成17
2006 平成18
2007 平成19
2008 平成20
2009 平成21
2010 平成22
2011 平成23
2012 平成24
2013 平成25
2014 平成26
2015 平成27日
2016 平成28
2017 平成29
2018 平成30
2019 平成31
2020 平成32

平和記念式典関係資料(宇吹所蔵)

平和記念式典関係資料(宇吹所蔵)

タイトル(発行者) 形態 備考
1971 8・6広島広島反戦集会の成功のために シリーズNO.1 1971.7.5(女子大反戦会議) 紙1枚
「犯罪者=佐藤の来広をヒロシマの名において許すな!」
1981  平和記念式典の名称について(総務局) 紙2枚
1984 広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式実施要項 紙3枚
1984 昭和54年平和記念式典資料(広島市) 冊子、C
1991 平成3年平和記念式典資料(広島市) 冊子、C
1995 平成7年平和記念式典資料(広島市) 冊子、C
1996 平成8年平和記念式典資料
2007 平成19年平和記念式典の挙行について(企画総務局)[記者発表資料 平成19年7月23日] 冊子、C

 

 

2020年2月(日録)

2020年2月(日録)

事項
01 平和記念資料館情報資料室。西本雅実氏と会う。
01 紙屋町シャレオ古本まつり。
02 ヒロシマ遺文への投稿=「下中弥三郎」。
02 旧被服支廠の保全を願う懇談会「旧被服支廠の解体を防ごう!緊急後援会」。原爆資料館。<参加できず>
03 自宅の書庫の本の整理。~
07 外付けディスクに保存していた女学院時代に作成したデータの確認。ヒロシマ遺文に使えそうな多くのデータを見つける。
08 広島市立図書館「企画展 広島ゆかりの詩人たち―黒田三郎生誕100年―」-
08 ブックオフ。本9冊1880円購入。
08 国立広島原爆死没者追悼平和祈念館「時を超えた兄弟の対話-ヒロシマを描き続けた四国五郎と死の床でつづった直登の日記」
08 広島平和記念資料館企画展「海外収集資料から見る広島の原爆被害と復興」(20191227~202007下旬)
08 広島平和記念資料館情報資料室(図書貸し出しが可能なことを知る)―国際会議場地下で昼食。
08 HIP(平和のためのヒロシマ通訳者グループ)例会。
08 北方領土の日。1855年(安政元年)に江戸幕府とロシア(当時は帝政ロシア)との間で最初に国境の取り決めが行われた日露和親条約が結ばれた。
09 桜が丘の倉庫で女学院関係資料を引き出し一か所にまとめる。
09 ヒロシマ遺文への投稿=『時代と記憶 メディア・朝鮮・ヒロシマ』(平岡敬、影書房、20110615 )目次
11 建国記念の日 <建国記念の日のヒロシマ
11  2020ヒロシマ革新懇デー。記念講演「安倍政権の歴史偽造をただす-日本は朝鮮半島で何をしたか」(講師:中塚明)。会場:原爆資料館地下・メモリアルホール。<出席できず>
12 ヒロシマ遺文への投稿=「全国平和教育シンポジューム開催概要」、「『『平和教育研究 広島平和教育研究所年報』」、「広島平和教育研究所」、「広島県高等学校原爆被爆教職員の会」、「ひろしまの平和教育」、「平和教育へのあゆみ」。
 14  ヒロシマ遺文への投稿=「バーバラ・レイノルズ」、「核実験停止協定締結要請に関する決議(19621222)」、「核実験禁止要請に関する決議(19620811)」、「広島・長崎原爆被爆者医療法改正対策委員会陳情運動日誌」、「ヒロシマわが罪と罰」、「広島・長崎原爆被爆者大会(19620522)」
 15  ヒロシマ遺文への投稿=「広島女学院原爆被災実態調査報告書(19700625)」、「平和教育(季刊)」、「平和教育運動」、「広島教育研究所」、「ヒロシマの子育て・教育」、「『原爆の子-広島の少年少女のうったえ』」
 16  自宅の「平和教育」関係資料の整理。ヒロシマ遺文への投稿=「8・6全国高校生集会」
16 ヒロシマ遺文への投稿=「8・6全国高校生集会」
16 講演会「オックスフォード大学で山代巴を読む」(講師:キアラ・コマストリ(オックスフォード大学大学院歴史学研究科)、会場:ふくやま文学館)<参加できず>
17 ヒロシマ遺文への投稿=「資料:高校生平和ゼミナール」、「広島地区高校生部落問題研究協議会」、「『歴史と教育』総目録」、
18 ヒロシマ遺文への投稿=「石井金一郎先生追悼号(歴史と教育)」、「『歴史と教育』創刊号(広島歴史教育者協議会)」、「高校生の平和ハンドブック」
 19  ヒロシマ遺文への投稿=「広島市原対協被爆生存者(児童生徒)調査表」、「ドキュメント悲しみの千羽鶴」、「世界の子どもの平和像を広島に作る会」、「折り鶴の系譜(那須正幹)」、
20 ヒロシマ遺文への投稿=「国際平和教育研究会(広島大学教育学部)」、「原爆と平和(ユネスコ特定実験報告書)」、「フロイド・シュモー」、「広教組70年のあゆみ(抄)」、
21 ヒロシマ遺文への投稿=「広教組70年のあゆみ(抄)」、「平和・国際教育研究会会報」、「平和・国際教育研究会」、「韓国・歴史と平和の旅(1998)」、
22 ヒロシマ遺文への投稿=「広島自治体問題研究所」、「日本の科学者」。
22 3・1ビキニデーヒロシマ集会。講師:橋元陽一「国から放置されたヒバクシャ-「ビキニ国賠訴訟」で明らかになったこと」。会場:南区民文化センター。<参加できず>
23 祝日(天皇誕生日)[新天皇即位による新しい祝日]
 23  サンフレッチェ広島VS鹿島アントラーズ。3-0。
24  自宅の書庫の整理。
25 自宅の「研究会・講演会・著書執筆関係」資料の整理。
26 桜が丘へ。自宅の本(単著)を著者別に整理した箱8箱を持参。
27 全教広島関係資料の整理。
27 空辰男『加害基地宇品 新しいヒロシマ学習』読了。ヒロシマ遺文への投稿=「加害基地宇品 新しいヒロシマ学習」。
28 全教広島関係資料の整理。
28 ヒロシマ遺文への投稿=「広島教育研究所(資料年表)」
29 広島教育研究所関係資料の整理。
29 ヒロシマ遺文への投稿=「第9次平和教育のとりくみ実態調査1990年度のまとめ」、「原爆瓦ー世界史をつくる十代たち」、「原爆瓦は語りつづける 原爆犠牲ヒロシマの碑建設の記録」

 

 

 

広島市のHPにみる平和行政の枠組み

広島市のHP(2019年12月25日閲覧)にみる平和行政の枠組みhttp://www.city.hiroshima.lg.jp/www/genre/1001000002088/index.html

原爆・平和
画像 原爆ドーム、平和記念資料館、原爆の子の像、平和記念式典
トピックス 令和元年度 平和関連行事一覧表
平和宣言【令和元年(2019年)】
広島逓信病院旧外来棟の見学のご案内
ピックアップ ピースツーリズム
原爆ドーム
被爆70周年の取組
原爆被害と復興 原爆被害の概要
死者数について
熱線による被害
放射線による被害
後障害について
高熱火災による被害
爆風による被害
建物の被害
復興
被爆者援護と追悼・慰霊 被爆者援護
原爆死没者名簿
原爆供養塔納骨名簿
原爆死没者慰霊等事業
原爆罹災者名簿
平和宣言・平和への誓い・平和に関する要請等 平和宣言
平和への誓い
平和に関する市長の発言、抗議文、要請文等
核兵器廃絶に向けた取組 平和への取組
2020ビジョン
平和首長会議
「核兵器禁止条約」の早期締結を求める署名活動
広島・長崎講座
国内ジャーナリスト研修
国際平和拠点ひろしま構想推進連携事業
広島市特任大使(ひろしま平和大使など)
2019年4月17日平和首長会議の取組に係る説明会
被爆体験や平和への思いの共有 被爆体験の継承・伝承
折り鶴と「原爆の子の像」
折り鶴に託された思いを昇華させるための取組
被爆建物等の保存・継承
平和記念施設保存・整備方針
広島平和記念資料館
原爆ドーム
ひろしま平和の歌
平和学習 広島での平和学習(修学旅行等)
平和教育
平和記念公園めぐり
ポケット版ヒロシマ平和情報
被爆体験(手記、証言、原爆の絵など)
平和関連事業等 平和記念式典
平和関連法令
核を巡る世界情勢等
原爆と平和に関するQ&A 被爆前の広島について
原爆の投下について
原爆被害の実相について
被爆者援護と追悼・慰霊に関すること
折り鶴に関すること
核兵器等に関すること
その他
寄付のご案内 原爆ドーム保存事業等基金への寄付
岩国基地対策 米軍機低空飛行の目撃情報
平和関連リンク 広島平和文化センター
広島平和記念資料館
原爆ドーム
平和記念公園
国立広島原爆死没者追悼平和祈念館
平和首長会議
広島市立大学広島平和研究所
広島大学平和センター
長崎市
放射線影響研究所
放射線被曝者医療国際協力推進協議会
日本非核宣言自治体協議会
中国新聞平和メディアセンター
広島・長崎の記憶~被爆者からのメッセージ(朝日新聞社)

http://www.city.hiroshima.lg.jp/www/index.html

くらし・手続き
子育て・教育
健康・医療・福祉
まちづくり
文化・スポーツ
産業・雇用・ビジネス
観光
原爆・平和
市政全般

 

平和関係施設調査研究委員会資料

平和関係施設調査研究委員会(1984年5月11日設置)宇吹所蔵資料

No. 年月日 資料名 形態
19840511 平和関係施設調査研究委員会<設置>
0 1989∼ 平和関係施設調査研究委員会ワーキンググループ  File
0-1 19891102 平和関係施設調査研究委員会・ワーキンググループ合同会議
平和関係施設調査研究委員会・ワーキンググループ合同会議資料
資料1  平和関係施設調査研究委員会・ワーキンググループ研究員名簿
資料2 平和と軍縮に関する国際的な研究機関の設置について-これまでの経緯
資料3 平和と軍縮に関する国際的な研究機関の広島設置に関する要望・提言の状況
資料4 平和と軍縮に関する国際的な研究機関の設置年次計画
資料5 平和と軍縮に関する国際的な研究機関の設置元年度事業計画
資料6 平和と軍縮に関する国際的な研究機関の設置元年度事業実施スケジュール
資料7 平和と軍縮に関する国際的な研究機関の広島設置について-基本構想のたたき台
資料8 平和と軍縮に関する国際的な研究機関必要人員数、延床面積
資料9 平和と軍縮に関する国際的な研究機関の組織図(案)
0-2 198912 「平和と軍縮に関する国際的な研究機関」の設置について-基本構想のたたき台(第1次改定分)(平和関係施設調査研究委員会・財団法人広島平和文化センター)
0-3 199005 「平和と軍縮に関する国際的な研究機関」設置基本構想(案)(平和関係施設調査研究委員会・財団法人広島平和文化センター)
0-4 199005 「平和と軍縮に関する国際的な研究機関」設置基本構想(案)(平和関係施設調査研究委員会・財団法人広島平和文化センター)
0-5 199006 「平和と軍縮に関する国際的な研究機関」設置基本構想(平和関係施設調査研究委員会・財団法人広島平和文化センター)
1 19870331 国立平和研究所広島設置の構想(案) 冊子
2 19910107~  平和に関する国際的な研究機関(三菱総合研究所)  File
2-1 19910107 「平和に関する国際的な研究機関」基本計画検討懇談会開催のお知らせ(三菱総合研究所⇒宇吹暁)
2-2 19910118 第1回基本計画検討懇談会(広島部会資料)
2-3 「平和に関する国際的な研究機関」設立当初の研究対象の具体例
2-4 [ご参考]「「平和に関する国際的な研究機関」設置基本計画策定調査 中間報告用資料(株式会社三菱総合研究所 1990年12月」
3 19910304 「平和に関する国際的な研究機関」基本計画検討懇談会開催のお知らせ(三菱総合研究所⇒宇吹暁)
3-1 19910315 第2回基本計画検討懇談会(広島部会資料)  綴
3-2 [ご参考]「「平和に関する国際的な研究機関」設置基本計画策定調査報告用資料(株式会社三菱総合研究所 1991年3月」  綴
4 19910331 「平和に関する国際的な研究機関」設置基本計画策定調査報告書(株式会社三菱総合研究所) 冊子
5 19910331 同上 <要約版> 冊子
6 19910331 「平和に関する国際的な研究機関」の設置について(市長室)  File

 

 

 

広島平和文化センター刊行物一覧(宇吹所蔵)

広島平和文化センター刊行物一覧(宇吹所蔵)

発行年月日 書名 備考
19770331 平和の推進(昭和51年版)
1983(昭和58年版)、
1988(昭和63年版)~1997年版(平成8年度事業)
19771220 ヒロシマ・原爆・平和 平和教育冊子No.1
広島平和文化センター編刊・渓水社(発行所)
19780720 ヒロシマ読本 小堺吉光著
19790320 平和  国家・核・教育 平和教育冊子No.2
19821120 国際連合の話 桑原輝路著 平和冊子No.4
19840331 軍備と軍縮の歴史 山田浩著 平和冊子No.5
19851025 平和事典 勁草書房(発行所)
19880331 原爆被爆者は訴える 被爆証言集 平和冊子No.6
煙石二三枝 犠牲者の遺骨の前で読経
川本義隆  人間らしく生きる世界を
小松キクエ 未だ骨もないわが娘を思う
小松清興  アウシュビッツとヒロシマがだぶる
笹村弘志  運動場に蚊帳を吊って子どもの世話を
高橋昭博  「ヒロシマ」で生きることの意味を問う
寺前妙子  苦悩を越えて強く生きよう
松重美人  生き地獄にシャッターが切れず
松原美代子 讃美歌で心の安らぎを
山岡ミチコ 米国で27回の手術を受ける
山根力男  課員全員が死亡する上原敏子      外国人の原爆被害について
19910930 平和研究入門 松尾雅著 平和冊子No.7
19920325 平和記念式典の歩み 宇吹暁著 平和冊子No.8
19930331 平和学を創る 構想・歴史・課題 岡本三夫著 平和図書No.9
19940331 ソ連・ロシアと世界平和 岩田賢司著 平和図書No.10
19950331 東欧の歴史と民族問題 林忠行著  平和図書No.11
19960331 開発と貧困-豊かさの中の貧しさと、貧しさの中の豊かさと 竹内常善著 平和図書No.12
19970331 軍縮への道 1995年版・国連軍縮年鑑 国際連合著      石栗勉訳
19970331 (財)広島平和文化センター20年誌―センターの歩み
19980331 冷戦後の世界と米中関係 中逵啓示著 平和図書No.13
19980331 国際社会と人権 水上千之著 平和図書No.14
19990331 哲学の21世紀-ヒロシマからの第一歩 嘉指信雄著 平和図書No.15
 19990331  平和と交流  1998年版(平成9年度事業)
~  2006年版(平成17年度事業)

ひろしま平和の歩み(1968年)

ひろしま平和の歩み(広島平和文化センター編・刊、19680801) 目次

執筆者
山田節男(広島市長)
まえがき 「平和の歩み」編集委員会
改訂版19730806発行。以下の目次・情報は改訂版
資料提供のための座談会出席者=伊藤正子、大原三八雄、河本一郎、金井利博、桑原英昭、谷本清、升川貴志栄。その他の協力者=浜崎左髪子、増田勉、浜野千穂子。
1 原爆被災救援の活動 庄野直美
被爆直後の応急措置
隣接の各地から 救援隊
一〇日後でも死体散乱
救援者も放射能の犠牲に
すばやかった科学者の活動
内外からの救援金
ケロイドの治療
広島原対協の発足
原対協の事業の内容
市が被爆者調査の試み
医師の治療活動の開始
全国的な救援活動
生活救護への道開く
被爆者による救済活動
原爆被害者の会
大きな運動の流れの中へ
広島県原爆被害者団体協議会
日本原水爆被害者団体協議会
統一を貫く日本被団協
医療法は一三回改正
被爆者特別措置法の制定
2 原爆孤児・孤老の救済活動 今堀誠二
投げ出された孤児・孤老
涙の記憶しかない兄弟たち
あらゆる悲境に耐える
広島子どもを守る会
新しいおかあさんができた
石井好子やダークダックスも
家族四人が全滅した子
浮浪者となった少年
一〇歳の少女の受難
学童疎開から帰ってみると
連帯のいとぐちをつかむ
あゆみグループの誕生
中野教授夫妻が親がわり
被爆の体験を訴えて歩く
諸外国からも激励の人々
さまざまの困難にぶつかる
日常の中から平和をめざす
全市民の支援の中で
3 平和祭のあゆみ 今堀誠二
二二年に第一回の平和祭
慈仙寺鼻で平和宣言
マッカーサーもメッセージ
全世界に反響を呼ぶ
爆音にかき消された第二回平和祭
占領軍の禁止命令
過去帳の奉納始まる
ビキニ被災で盛りあがる
三〇年から全国に式典中継
4 平和記念施設の歴史 今堀誠二
広島市民と七つの川
永久平和めざす丹下構想
平和大学
平和図書館の夢も
平和都市建設法が実現
迷える霊の供養塔
ハニワの家を型どった慰霊碑
ヒロシマの焦点原爆資料館
狭くなってきた記念館・公会堂
新生広島の百メートル道路
国民運動でドームを保存
5 外国人による活動 庄野直美
 ジョン・ハーシーの「ヒロシマ」
平和請願一〇万人運動
原爆孤児精神養子運動
ヒロシマ・ピースセンターの活動
原爆乙女をアメリカで治療
シュモー・ハウスを一九戸建設
ドイツから平和の鐘
仏人モーリス氏の「広島憩いの家」
ヨット「フェニックス号」と広島
ベトナム人への支援も
レイノルズ夫人と世界平和巡礼
ウ・タント総長に白書を要望
ワールド・フレンドシップ・センター
6 世界連帯の活動 小谷鶴次
戦争そのものの絶滅を
国連加盟への市民運動
二六年に国連協会県本部
加盟後の普及活動
アウシュヴィッツとの連帯へ
七万キロを平和行進
三八年にアウシュヴィッツ委
世界連邦運動の展開
二四年に連邦運動スタート
二七年に世界連邦アジア会談
市民の意志で「広島宣言」
海外にも大きな反響
一〇万人署名をもとに平和都市宣言
戦争放棄の精神を決議
「世界連邦」の県宣言
西日本大会ではドーム保存支持
サーバス友の会
市民代表の欧州訪問
7 文化・報道関係の活動 小谷鶴治・今堀誠二・庄野直美
「中国文化」で原爆特集
栗原貞子の「生ましめん哉」
壊滅した中国新聞の再刊
正田篠枝の「さんげ」
原民喜・大田洋子の作品
押収された「ピカドン」
峠三吉の反戦運動
若い画家たちと平和美術展
ガリ版刷りの「原爆詩集」
映画「原爆の子」作成
日本ペンクラブも平和宣言
続々と被爆体験記
若い作家らの活躍
「広島の詩」が海外に反響
平和の原点を考える
さらに体験の発掘へ
8 原爆被災・平和問題に関する研究活動 小谷鶴治・今堀誠二・庄野直美
 直後の医学者の活動
専門家による療養方針
プレスコードで資料手放す
悪条件下でも研究続く
ABCCの調査活動
講和とともに発表の活発化
広島の科学者の自主研究
市の機関も研究を助成
三六年に広島原爆医療史
自然科学の原爆白書
広大原医研が活動開始
社会科学の研究活動
国際平和の諸研究から
広島大学に平和問題研
学生グループの活動
二八年に「広島大学人の会」
被爆者の心理・生活の調査
「談話会」の発足と活動
9 民間団体の初期における諸活動 今堀誠二
二四年に平和擁護の第一声
ストックホルムアピールの反響
文化団体も活躍
朝鮮戦争下も続く
原爆被害者団体の結成
宗教団体も独自の活動
努力の積み重ねに期待
10 市民による特殊な平和活動 庄野直美
原爆体験記を発刊
原爆の子友の会の活躍
原爆の子の像
これはぼくらの叫びです
折鶴の会が発足
現在も活動
原水禁広島母の会
会誌「ひろしまの河」発行
運動の分裂が与えた影響
談話会の発足
原爆白書運動の胎動
政府による白書製作を提言
平和七人委も強く要望
日本学術会議も起つ
白書をすすめる市民の会
胎内被爆者を守る「きのこ会」
ベトナム戦傷孤児の救援
さまざまの市民運動
11 原水爆禁止三団体をめぐる動き 庄野直美
 ビキニ被災事件
反核の叫び全国に広がる
広島の婦人の動き
国家保障を求める決議
東京杉並の婦人たち
下から支えられた運動
重さ一二五キロの署名簿
原水禁広島県協議会
原水禁世界大会の発想
中央と広島の運動の相違点
広島は原体験から出発
第一回原水禁世界大会
場外にあふれる参加者
歴史的な広島アピール
右翼団体の妨害も
広く具体的な運動へ
被爆者援護の方向へ
平和行進も始まる
安保問題で離脱騒ぎ
第一回目の分裂起きる
第二回目の分裂起きる
広島県民の使命訴える
被爆者援護の請願続く
第九回大会は県原水協が運営
超党派の市民運動も進む
―平和の歩み― 年表
執筆者: 小谷鶴次、今堀誠二、庄野直美

ヒロシマの証言(広島平和文化センター)

『ヒロシマの証言 平和を考える』 (広島平和文化図書刊行会編、日本評論社、19690806)内容

編-
山田節男(広島市長)
森脇幸次(編集委員長)
庄野直美(執筆総括者)
『ヒロシマの証言』刊行にあたって
1 被爆体験
1-1 原爆が落ちた時 原子雲の外から/原子雲の下で
1-2 生きながらの地獄図 炎と雨の中で/炎の街にはいる
1-3 廃墟と屍の街
1-4 原爆投下の状況 予想もできなかった/原爆投下は警告されていたか/なぜ原爆は投下されたか
1-5 平和のねがい 被爆者の声 /被爆体験をどう受けとめるか
2 被爆者と市民の生活史
2-1 原爆孤児 0年ぶりの茶の間/原爆直後の孤児/孤児の生活/アメリカの精神養子運動/広島子どもを守る会
2-2 原爆障害に悩む人びと 広島の涙 /ピカドン傷/きのこ雲の下より
2-3 原爆孤老 行くところなし/さかさごと /現実の対策
2-4 原爆を作品に書いた人たち 原民喜/大田洋子 /阿川弘之/原子爆弾特集号 /正田篠枝/詩の発表 /峠三吉 /反戦詩歌集/「歌集・広島」と「句集・広島」/原爆と小説/
2-5 立ち上がった人びと 木片を探す少年 /晴れたある日 /愛の手
2-6 報道関係の努力 報道と権力 /平和運動と報道/原点をさぐる
2-7 身近で遠い被爆者たち 核の島・沖縄の273人/被爆した朝鮮人
2-8 平和教育への道程 驚くほど空白な平和教育 /平和教育の初期 /平和教育の窒息/広島の平和教育/教室での平和教育/「現代っ子」の平和意識 /平和教育への立ち上がり
3 被爆者救援と平和への努力
原爆タブーの時代・それでも広島は屈しなかった
1945年(昭20) 原爆投下/被爆後の応急措置/付記
1946年(昭21) 平和復興祭/広島市青年連合会/付記
1947年(昭22) 平和祭と平和記念式典/ABCC/付記
1948年(昭23) ヒロシマ・ピース・センター/付記
1949年(昭24) 平和擁護広島大会/世界連邦運動/平和記念都市建設法/シュモー・ハウス/付記
1950年(昭25) ストックホルム・アピールの反響/付記
1951年(昭26) 作文集「原爆の子」/原爆問題研究発表の活発化/付記
原水禁運動興隆の時代・みんなが願った原水爆禁止
1952年(昭27) 原爆被害者の会/世界仏教徒会議/付記
1953年(昭28) 広島原対協/大学人の会/付記
1954年(昭29) 反核の叫び全国に広がる/広島県原水協/ドイツから平和の鐘
1955年(昭30) 第1回原水禁世界大会(広島)/広島の原点・原爆資料館/平和美術展/皆実原爆被害者の会/付記
1956年(昭31) 広島県被団協/日本被団協/原爆の子の像/広島原爆障害研究会/付記
1957年(昭32) 被爆者医療法/広島憩いの家/付記
1958年(昭33) ヨット「フェニックス」号/折鶴の会/付記
混迷の時代・努力を続ける人びと
1959年(昭34) 第5回原水禁世界大会(広島)/付記
1960年(昭35) 第6回原水禁世界大会(東京)/原水禁広島母の会/付記
1961年(昭36) 広島キリスト者平和の会/付記
1962年(昭37)
1963年(昭38) 第9回原水禁世界大会(広島)/原爆裁判の判決/付記
1964年(昭39) 世界平和巡礼/「原水爆被災白書」運動/付記
1965年(昭40) ワールド・フレンドシップ・センター/広島通信/付記
1966年(昭41) 原爆ドームの保存/付記
1967年(昭42) 広島平和文化センター/ベトナム戦傷孤児の救援/ヒロシマ研究の会/市民対話の会/付記
1968年(昭43) 原爆被災資料の収集/原爆被災全体像調査/被爆者特別措置法/付記
わたくしたちは何をしたらよいのか

 

 

核兵器全面廃絶国際デー(9月26日)

核兵器の全面的廃絶のための国際デー
(核兵器全面廃絶国際デー)
(9月26日)

年(回) メモ(記念行事など)
2014 制定日
2015(1) (9月23日)
2016(2)
2017(3)
2018(4)

「9月26日は、国連が定めた「核兵器の全面的廃絶のための国際デー」です。これに合わせて核兵器廃絶日本NGO連絡会では、9月24日に東京・お茶の水の明治大学で記念イベント「核なき世界に向けて 被爆国の役割を考える」を開催します。このほか、国内のさまざまなNGOが関連行事を行います。ニューヨーク国連本部では、国際デーを記念するイベントと、核兵器禁止条約の署名・批准式がそれぞれ行われます。」
https://nuclearabolitionjpn.wordpress.com/2018/09/01/intlday/

2019(5) (9月26日)ハイレベル会合(開催場所:米ニューヨーク・国連本部)

(9月23 日)記念イベント 「核なき世界へ向けて -それって他人事? 自分事?」-(核兵器廃絶日本NGO連絡会(主催)・国連広報センター(共催)https://www.unic.or.jp/news_press/info/34664/

 

【関連資料】

・報道資料[PDF]
https://www.unic.or.jp/news_press/features_backgrounders/11357/
2014年9月26日、国連は初の「核兵器の全面的廃絶のための国際デー」を迎えます。
この国際デーを定めた総会決議68/32は、加盟国、国際システム、NGO、学術界、国会議員、マスメディア、個人を含む市民社会に対し、「核兵器が人類に及ぼす脅威と、核兵器の全面的廃絶の必要性に関する社会の認識を高め、教育を充実させることにより、この国際デーを記念し、普及させる」ことを求めています。
https://www.unic.or.jp/files/66e91069625f43abb2d8f87acd82c5da.pdf
・これまでの主な流れ[PDF]
・背景[PDF]
・国連事務総長による5項目の核軍縮提案[PDF]
・非核兵器地帯[PDF]
・「核兵器の全面的廃絶のための国際デー」に寄せる事務総長メッセージ
プレスリリース 14-060-J 2014年09月26日
世界は長い間、核兵器の不使用を絶対的に保証できるものは核軍縮以外にないこと、そして、核兵器が使用されれば人道面で壊滅的な影響が生じることを認識してきました。
よって、核軍縮は理想主義者の夢ではなく、全人類の安全を真に守るために緊急に実現が必要な課題といえます。
国連総会が初めて、核兵器その他の大量破壊兵器の廃絶という目標を掲げてから、68年が経ちました。
そして、核兵器不拡散条約の発効により、その締約国が誠実な核軍縮交渉の開始を約束してから、44年が経過しています。
この交渉を始めるべき時期は来ています。核軍縮交渉が行われていないことで、国際的なコミットメントにおける軍縮と不拡散の間の微妙なバランスが崩れてきているからです。
私は6年前、核軍縮に関する5項目の提案を出しました。その中には、この目標を達成するために可能な2つの道として、相互補強的な個別協定の枠組みに関する合意と、確固たる検証システムに裏打ちされた核兵器禁止条約が掲げられていました。
最も重要なのは、どちらの道を選ぶかではなく、選んだ道が、核兵器の全面的廃絶という国際的に合意された目標の達成に向かうようにすることです。
今年の国際デーは、単に私たちが核兵器を制限したり、その射程距離を狭めたり、その配備を制約したり、安全保障政策におけるその役割を低下させたりすることを求める日にとどまりません。
それは、国際社会が安全の強化から資金と科学的資源の保全に至るまで、核軍縮によって生まれるはずの多くの恩恵についてしっかりと考える日でもあります。
それはまた、核の抑止力という危険で脆弱なドクトリンが崩れたとしたら、どのような影響が生じることになるのかを想像するための日でもあるのです。
すべての人々、そして将来の世代の平和と安全を守るため、核軍縮を再び国際的な最優先課題としようではありませんか。

年表:この子たちの夏・夏の会

年表:この子たちの夏・夏の会

1985 07 05 朗読劇「この子たちの夏-1945・ヒロシマ・ナガサキ」(木村光一構成・演出)、全国公演始まる。
1985 07 15 朗読劇「この子たちの夏-1945・ヒロシマ・ナガサキ」(木村光一構成・演出)、中国地方公演(4市)始まる。27日広島市で上演。
1985 07 27 原爆をテーマにした朗読劇「この子たちの夏1945、ヒロシマ・ナガサキ」(木村光一演出)、
1985 07 29 原爆をテーマにした朗読劇「この子たちの夏-1945・ヒロシマ・ナガサキ」東京で上演。
1986 07 01 朗読劇「この子たちの夏-1945・ヒロシマ ナガサキ」( 木村光一構成演出) 、新潟市で上演。全国での巡演開始(5日松江市、15日尼崎市など)。
1987 07 07 朗読劇「この子たちの夏-1945・ヒロシマナガサキ」公演、青森県八戸市で開催(米子・松山・金沢東京などでも上演、8月10日まで)。
1987 07 18 原爆をテーマにした朗読劇「この子たちの夏~1945・ヒロシマナガサキ」、中国地方での巡演開始(28日まで)。18日米子市、19日鳥取市、他。
1987 07 24 朗読劇「この子たちの夏-1945・ヒロシマナガサキ」呉市で上演。
1987 08 09 地人会、朗読劇「この子たちの夏」を水道橋アール・エヌホールで上演.
1988 07 03? 朗読劇「この子たちの夏―1945・ヒロシマ・ナガサキ」、因島市で上演(国際ソロプチミスト因島の企画)。
1988 07 11 朗読劇「この子たちの夏-1945ヒロシマ・ナガサキ」、芦屋市で上演。(7月中旬、  津市で100回公演を達成)。
1988 07 14 原爆をテーマにした朗読劇「この子たちの夏」、佐世保市で上演。
1988 08 01 朗読劇「この子たちの夏」,金沢で上演.
1989 05 09 演出家木村光一の講演会、広島市で開催。原爆をテーマにした朗読劇「この子たちの夏」などについて。
1989 07 16 原爆をテーマにした朗読劇「この子たちの夏~1945 ヒロシマ ナガサキ」の中国地方での巡回公演、開始(28日まで)。17日岩国市、18日山口市、26日下関市、28日広島市。
1989 07 28 朗読劇「この子たちの夏~1945  ヒロシマ  ナガサキ」(演出木村光一)、広島市で上演。
1990 02 11? 岡山市の市民グループ、原爆をテーマにした朗読劇「この子たちの夏」公演への参加スタッフを募集。
1990 05 20 岡山市の市民グループ、原爆をテーマにした劇「この子たちの夏」の自主上演に向けて来広、被爆者らと懇談。
1990 06 03? 演出家木村光一、原爆をテーマにした朗読劇「この子たちの夏」の市民による上演を呼びかけ。
1990 07 03 朗読劇「この子たちの夏 1945・ヒロシマナガサキ」公演、開始(8月9日まで全国28会場で上演)。
1990 08 04 広島市の市民グループ、朗読劇「この子たちの夏」を自主上演。
1990 08 05 広島市のノートルダム清心高校手話部・演劇部、朗読劇「この子たちの夏」を自主上演。
1991 04 01 習志野市の英語学習サークルのメンバーら、来広し、平和学習。原爆をテーマにした朗読劇「この子たちの夏」上演に備えての事前学習。
1991 05 29? 山口県の長門大津原爆友の会や一般市民、8月5日に自主上演する「この子たちの夏」の練習を開始。
1991 07 06 朗読劇「この子たちの夏」(地人会)、岡山市で公演。8月9日まで全国各地を巡演。
1991 07 08 原爆をテーマにした朗読劇「この子たちの夏」、佐賀市で上演。13日まで九州公演、8月9日まで全国を巡演。
1991 07 27 「親子平和学習のつどい’91この子たちの夏-ヒロシマ・沖縄」、広島市の婦人教育会館でで開催(約50人が参加)。同会館で活動している市民グループが主催。朗読劇などを上演。
1991 08 03 瀬戸市内の主婦ら、朗読劇「この子たちの夏」を同市で上演。
1992 03 05 岡山県井笠主婦ら、朗読劇「この子たちの夏」を笠岡市での再上演を計画。
1992 03 16 広島市・亀崎小学校PTAの朗読サークル「きょうちくとう」、同校の5・6年生を対象に原爆朗読劇「この子たちの夏1945ヒロシマ」を上演。
1992 08 06 地人会、朗読劇「この子たちの夏-1945・ヒロシマ・ナガサキ」を東京・有楽町朝日ホールで公演。-9日。
1993 07 19 地人会、朗読劇「この子たちの夏」を米子市で上演。26日には尾道で。
1993 08 01 松江市の主婦ら、朗読劇「この子たちの夏」を上演。
1993 08 05 広島市の主婦でつくる朗読の会「はまゆう」、地人会の台本「この子たちの夏」の抜粋を広島市祇園西公民館で公演。7日には矢野公民館で。
1993 08 07 地人会、朗読劇「この子たちの夏」を広島市婦人教育会館で上演。
1994 07 18 地人会、朗読劇「この子たちの夏1945・ヒロシマ・ナガサキ」を広島市内で上演。
1994 07 30 広島市倉掛公民館で平和について考える市民の集い。朗読劇「この子たちの夏」を上演。
1994 08 06 朗読劇「この子たちの夏」、東京・有楽町の朝日ホールで上演。-9日。
1994 08 11? 滋賀県長浜市の「この子たちの夏」の実行委員会、7月13日の公演の収益の一部を広島の朝鮮人・韓国人被爆者団体に寄付。
1994 09 03 大阪府豊中市立刀根山小学校の6年生児童・母親・教師、朗読劇「この子たちの夏」を同校体育館で上演。
1995 07 30 広島女学院、被爆50周年記念事業として「地人会」の朗読劇「この子たちの夏」を同学院ゲーンスホールで上演。
1995 07 24? 福岡市原爆被害者の会、地人会の「この子たちの夏」の上演会を市立少年科学文化会館で開催。約700人が参加。
1995 08 01 「徹子の部屋」(朝日系)で日色ともえが朗読劇「この子たちの夏」について語る。
1995 08 06 岡山県・里庄町立図書館で朗読ボランティアによる朗読劇「この子たちの夏」の上演。
1996 08 06 地人会、朗読劇「この子たちの夏」を東京・有楽町朝日ホールで上演。-9日。
1998 07 14 地人会、朗読劇「この子たちの夏・1945ヒロシマ・ナガサキ」を長崎市内で上演。
1998 08 06 地人会、朗読劇「この子たちの夏1945・ヒロシマナガサキ」を東京有楽町・朝日ホールで上演。-9日。
1998 08 12? 岡山県・井原市立図書館で朗読劇「この子たちの夏・1945・ヒロシマ・ナガサキ」を上演。
1999 07 20 長崎新聞「時の顔:日色ともえさん-朗読劇「この子たちの夏」にことしも出演する女優-原爆の実態訴え続ける」
1999 07 26 中国新聞「この人:日色ともえさん-朗読劇「この子たちの夏」に今年も出演する女優」
1999 08 06 地人会、朗読劇「この子たちの夏」を東京・有楽町朝日ホールで上演。-9日。
2000 08 06 地人会、「この子たちの夏」を東京・有楽町朝日ホールで上演。-9日。
2000 08 06 「この子たちの夏」朗読会、北海道・苫小牧市で開催。約40人が参加。(北海道新聞)
2000 08 09 ABCテレビ「徹子の部屋」に朗読劇「この子たちの夏」の出演者、日色ともえ、山田昌、長内美那子が出演。
2003 08 02 地人会、朗読劇「この子たちの夏」を広島市内で上演。
2007 朗読劇「この子たちの夏」の全国公演を続けた演劇制作集団「地人会」解散。
2008 03 朗読劇「この子たちの夏」の出演者たちが「夏の会」を結成。新たな台本で活動を再開。
2009 07 10 「夏の会」、原爆朗読劇「夏の雲を忘れない 1945・ヒロシマ ナガサキ」を広島県廿日市市で上演。県内での公演は初。11日は福山市。
2010 11 07 第22回谷本清平和賞(主催:財団法人ヒロシマ・ピース・センター)授賞式。受賞者は、「夏の会」
2012 07 14 「夏の会」、原爆朗読劇「夏の雲を忘れない ヒロシマ ナガサキ1945」を広島市佐伯区で上演。
2014 07 12 なぎさ中学校(広島市佐伯区)、「夏の会」を招き、原爆朗読劇を観劇。
2015 07 25 「夏の会」、原爆朗読劇を広島県立美術館で上演。
2018 07 06 「夏の会」、原爆朗読劇を広島市安芸区民文化センターで上演。(『中国新聞』20180707)
2019 07 01 「夏の会」、原爆朗読劇を広島国際会議場で上演。(『中国新聞』20190702)

 

広島原爆とアメリカ人(谷本清著)

『広島原爆とアメリカ人 ある牧師の平和行脚 』(谷本清著、日本放送出版協会 、19760720)

内容

章節 タイトル 備考
序にかえて
1 原爆に生き残って
1-1 運命の八月六日
1-2 廃墟の中で
1-3 一牧師のビジョン
2 和解の旅
1948年9月~1950年1月(15ケ月間)、31州、256都市、472の教会その他の団体で講演582、聴衆約160000名、旅行距離約65800マイル
2-1 ピース・センターの構想
2-2 第一印象
2-3 メンジスト教会ミッション・ボードと私
2-4 本格的巡回始る
2-5 ピース・センター独自の途を歩む
2-6 被爆地ヒロシマをどうするか
2-7 平和請願運動
2-8 平和請願運動潰される
2-9 真珠湾記念日とヒロシマ・デー
2-10 東京裁判と死刑執行への反応
3 嵐の中の平和行脚
1950年9月~1951年7月(8ケ月間)、24州、201都市、242団体 講演295、聴衆約5600名、旅行距離約34500マイル
3-1 朝鮮戦争下のアメリカへ
3-2 講演の新内容を求めて
3-3 ニューヨーク入り
3-4 カズン氏は極めて多忙である
3-5 ヒロシマ・ピース・センター理事会
3-6 今回の巡回旅行の特色
3-7  嵐の中の平和運動
4 原爆乙女アメリカに往く
1955年5月5日~同年12月20日(7ケ月間)、26州、195都市、212団体 講演245、聴衆約47500名、テレビ・ラジオ・新聞64、行程約38100マイル
4-1 日本における原爆乙女治療始る
4-2 米国での治療運動始る
4-3 資金はどのようにして集められたか
4-4 ニューヨークの受容態勢
4-5 ホスト・ファミリー訪問とカウンセリング
4-6 原爆乙女の渡米はアメリカに何をもたらしたか
〇ヒューストン市の1週間
〇原爆悲劇に対する読みが深くなった
〇国際時局に対する読みも深くなった
〇募金活動の実情
〇協力を申し出る4つの病院
〇一日本人医師の批判とその影響
4-7 ピース・センターはどこへ行く
4-8  平和の営み
5 「傷痕」の伴をして
1975年9月25日~同年12月15日(80日間)、19州、89都市、105協会その他団体 講演148、聴衆約28800名、旅行約38400マイル
5-1 「傷痕」ダイジェスト
5-2 講演後の質問応答
5-3 核兵器使用に際して新しい倫理の確立が要請されている
5-4 「傷痕」のどこに感動したか
5-5 被爆者治療問題の隘路
5-6 被爆者の悩みは被爆者以外には判ってもらえない
5-7 アメリカ講演旅行の総括

 

 

平和・安全保障と軍縮に関する東京セミナー

国連大学主催「平和・安全保障と軍縮に関する東京セミナー」

発言者 演題
1回(19811207)A 地域の平和と共通の安全保障を考える
(会場) 高輪プリンスホテル
オロフ・パルメ(前スウェーデン首相) 独立委員会の仕事と共通の安全保障について
ラジニ・コタリ(インド) 専門家の研究と大衆運動を基盤にして
大石武一(国際軍縮促進議員連盟会長) 国際連合の精神と日本の役割
坂本義和 軍縮の新たな展望
永井陽之助 新たな「平和の構造」を求めて
宮崎繁樹 核兵器の違法性と非核地帯
アリ・アラタス(インドネシア) 東南アジア諸国連合の緩衝的役割の可能性
トー・カー・フーン(マレーシア) ASEAN諸国と日本への期待
ジャン=マリ・ダリエ(フランス) EC諸国の歩みと平和への道
関寛治 世界の軍事化の要因と新しいネットワーク  広島大学の研究プロジェクトから
アルフォンソ・ガルシア=ロブレス(メキシコ) 非核地帯条約の成立過程について
ヨセフ・チランキエヴィッチ(ポーランド) 非核地帯構想とポーランドの平和について
〔討議〕 アジアの非核問題と日本
 (発言者) オルセグン・オバサンジョ(ナイジェリア)、田英夫(参議院議員)、秦豊(参議院議員)、永井陽之助
 (19811208)B 被爆地・広島で平和を考える
(会場)広島平和記念館 広島会議
今堀誠二  広島・長崎の被爆研究の成果をもとに
荒木武 原爆の犠牲者に捧げた言葉とともに
本島等 核廃絶を訴える被爆者の心を伝えたい
〔被爆体験者の訴え〕
栗原貞子 2編の詩に寄せて
深堀義昭(長崎県被爆者手帳友の会事務局長) 被爆者の実態を知ってほしい
松重美人 爆心地を撮影したカメラマンとして
秋月辰一郎(長崎・聖フランシスコ病院院長) 医者として体験した被爆の姿
オルセグン・オバサンジョ(ナイジェリア) “ヒロシマ”体験は非核運動の原点だ
ガルシア=ロブレス(メキシコ) 国家元首に広島訪問を義務づけたい
森滝市郎 “広島以前”と“広島以後”で人類史は変った
庄野直美 シェルター論や放射線の遺伝問題にふれて
軍縮問題にみるネコとネズミ論争
宍戸ヒロシ(山口県・大島教会牧師) ネズミの軍縮会議にネコが議長である
オロフ・パルメ 二匹の猫と国連の役割について
ゲオルギ・アルバトフ 恐しいのは敵ではなく”無関心”だ
オロフ・パルメ この深い衝撃と感銘を世界につたえたい
2回(19821029-31)C 核時代の平和をもとめて
   (会場)国連大学
矢野暢 地域的安全保障とアジア
ライモ・バウルネン 核の悪魔にいかに対処するか
スミトロ将軍(インドネシア) 安全保障への地域的アプローチ
安川壮(元駐米大使) アジア・太平洋における日本の役割
エドムンド・オスマンチク(ポーランド) 地域安全保障に関するラパツキー案について
フランク・バーナビイ 超大国の軍事政策と新たな防衛政策
大西昭 軍備競争の軽減と経済的影響
栗野鳳(広島大学教授・平和科学研究センター) “平和的生存権”と日本
ブレークウェイ 普遍的な運動の努力を惜しまずに
〔討議〕パルメ委員会報告をめぐって
武者小路公秀 国連大学の性格について
〔討議〕平和研究機関としての国連大学の可能性
3回(19840415-17)
4回『1985』

出典:『核時代の平和をもとめて』(永井道雄著 、国際連合大学 発行、東京大学出版会発売、19840324)

年表:国連大学とヒロシマ

年表・国連大学

80 12 08 広島大学平和科学研究センター・国連大学、広島市で合同研究会開催。テーマ「平和と開発」(9日まで)
81 02 25 広島市長、国連大学学長らと懇談、「平和問題検討委員会」の設置を提案。
81 12 04 、パルメ委員会を東京・国連大学で開催(~6日).
81 12 07 国連大学・広島大学など共催軍縮と国際安全保障に関する研究討論集会の東京集会、開催。パルメ委のメンバーら、参加。
81 12 08 広島市・広島大学・国連大学、「軍縮と安全保障に関する独立委員会(通称:パルメ委員会)を平和記念館講堂で開催。
82 10 29 国連大学主催「平和・安全保障と軍縮に関する東京セミナー」、東京で開催。(31日まで)。広島・長崎両市長、特別講演。
84 03 26 シンポジウム「アジア・太平洋地域における平和と変革」(国連大学など主催)、横浜市で開催。(29日まで)。
84 04 17 広島・長崎市長、国連大学主催の第三回東京セミナー(於東京)に出席、講演。広島市長、軍縮・平和のための首脳会議を広島で開催すベきだと提案。
84 05 99 国連大学の第1回・2回「東京セミナー」(1981・1982年)の報告書「核時代の平和をもとめて」刊行。長崎市長、被爆者らの発言も収録。(B6、236P)
85 02 04 「核の危機に関する東京セミナー広島セッション」(国連大学・広島市共催)、広島市で開催(6日まで)。海国から11カ国28人が参加、原爆資料館など見学。
85 03 25 ミンポジウム「アジア・太平洋地域におれる平和と自立」(神奈川県、国連大学など共催)、横浜市で開催。
85 06 03 「世界平和を考える大阪会議」(大阪府主催、七月開催予定)の顧問に、国連大学学長スジャトモコが内定。
86 10 24 「国際平和年世界会議」(国連大学主催)、大阪市で開催(26日まで)。25日、記念シンポジウム開催。
92 11 14 長崎総合科学大学長崎平和文化研究所、平和文化講演会を開催。武者小路公秀前国連大学副学長が「アジア・太平洋の平和と変革」と題して講演。
92 12 04 広島市、平和問題調査会を東京・国連大学で開催。14人が出席。1993年8月に開催予定の第3回平和連帯都市市長会議の進め方や被爆50周年の取り組みなどについて意見を聴取。
93 12 02 広島市、平和問題調査会を東京・国連大学本部で開催。委員18人が出席。
98 10 27 「軍縮問題を考えるエコノミストの会」(ECAAR)日本支部、「どうなるアジアの安全保障と経済」を東京・国連大学で開催。インド・パキスタンの核実験を取り上げる。マクナマラ元米国防長官とグジュラル前インド首相が講演。