広島平和公園
| 広島戦災供養会 |
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| 広島県宗教連盟 |
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広島平和公園
| 広島戦災供養会 |
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| 広島県宗教連盟 |
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2022年7月(日録)
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2005日本のうたごえ祭典INひろしま(ビラ)
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2005日本のうたごえ祭典inひろしま 2005年1月~
資料<作業中>
| 月日 | 資料名 | 備考 |
| 0108 | 2005日本のうたごえ祭典inひろしま 開催にあたって「呼びかけ人」のお願い | |
| 熊谷勇二(実行委員会準備会代表)⇒宇吹 | ||
| 03 | 「呼びかけ人」のお引き受けへの礼 | |
| 06 | ||
| 0622 | 発送案内 | |
| 1. 2005日本のうたごえ祭典inひろしま第2回実行委員会報告 | ||
| 2. 全国企画ニュース「ねがい」No.2①/ヒューマン・フェスタ第3報 | ||
| 3. 全国企画ニュース「ねがい」No.2②/広島の夏・うたごえピースアクション | ||
| 4. ヒューマンボイス・プロジェクト | ||
| 5. ひろしま祭典実行委員会ニュース「相生橋」No.4.5.6 | ||
| 6. 賛同募金のお願い(再) | ||
| 7. ひろしま祭典第2次チラシ | ||
| 0321 | 週刊うたごえ新聞No.1969 2005/3/21 | |
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地域に学ぶ集い(歴史教育者協議会第57回全国大会)2005年7月30日、会場:アステールプラザ<作業中>
| 1 | 高校生と平和の文化・交流 | 澤野重男(安田女子高等学校教諭)・広島高校生平和ゼミナール |
| 2 | 語り部 学徒動員と被爆体験 | 江種祐司(元中学校教諭) |
| 矢野美耶古(広鳥県被団協) | ||
| 3 | 語り部 爆心地から1.5㎞ | 嘉屋重順子(元中学校教諭) |
| 末宗明登(広島県被団協事務局長) | ||
| 4 | 海峡を越えて―韓国人被爆者元徴用工― | 夏原信幸(広島市立五日市観音中学校) |
| 5 | ヒロシマの戦後史 | 宇吹暁(広島女学院大学教授) |
| 6 | ヒロシマの文化 | イングリングまゆみ(NPO法人千羽鶴未来プロジェクト) |
| 7 | 映画「核兵器のない21世紀」 | 牛尾英隆(広島映画センター) |
| 8 | 地域に根ざした社会科教師の実践 | 藤村耕市(元県立三次高校) |
| 9 | 広島の教育は今 | 松井久治(広鳥市立宇品中学校教諭) |
| 高橋信雄(広鳥教育研究所) | ||
| 10 | 教科書問題 | 歴教協常任委員会 |
| 11 | 日韓歴史教育者交流 | 歴教協常任委員会 |
| 出典:「歴史教育者協議会第57回全国大会(広島)参加申込書」 | ||
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歴史教育者協議会のあゆみ(抄)https://www.rekkyo.org/history
| 大会(回) | 年月 | 開催地 | メモ |
| 01 | 194907 | 東京 | 創立大会 |
| 24 | 197208 | 沖縄 | 「民族の課題」 |
| 36 | 198408 | 埼玉 | 「地域に根ざし、いのちを尊び、平和をつくる歴史教育」 |
| 37 | 198508 | 和歌山 | 「地域に根ざし、いのちを尊び、平和をつくる歴史教育」 |
| 38 | 198608 | 岩手 | 「地域に根ざし、世界の平和をきずく、歴史意識の形成」 |
| 47 | 199508 | 沖縄 | 「戦後50年、沖縄で考える平和と民主主義」 |
| 52 | 200008 | 長崎 | 「地域に根ざし、21世紀を展望する歴史教育・社会科教育」 |
| 57 | 200507~08 | 広島 | 「地域に根ざし、核兵器も戦争もない世界をきずく教育」 |
| 68 | 201608 | 沖縄 | 「沖縄から安保と民主主義を問う」 |
| 70 | 201808 | 京都 | 「現代と〝明治150年〟ーけんぽう・ちいき・みらいー」 |
| 71 | 201908 | 埼玉 | 埼玉県「ともに生きる、ともに歩む」ー対話からひらく未来」 |
| 72 | 2020 | (新型コロナウイルス禍により)中止 | |
| 72 | 202107~08 | オンライン大会「『コロナ社会』から希望を紡ぐ社会科教育」 | |
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歴史教育者協議会第57回全国大会 2005年7月29日~8月2日<作業中>
| テーマ:地域に根差し、核兵器も戦争もない世界をきずく教育 |
| 7月29日 現地見学プレコース |
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| 7月30日 全体会 |
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| 7月30日 地域に学ぶ集い |
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| 7月31日・8月1日 分科会 |
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| 8月1日 現地見学コース |
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| 歴史教育者協議会第57回全国大会(広島)参加申込書 |
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被爆60年を迎えて-近況と今後の抱負
宇吹 暁(広島女学院大学)
被爆50周年までの原爆手記の一応の取りまとめを終えたのが1996年末、これを増補したものを1999年に日外アソシエーツから『原爆手記掲載図書・雑誌総目録 1945-1995』(38955編の手記を収録した3677冊を紹介)として出版することができました。この解題の中で、私は、つぎのように述べています。
| 原爆被害は、しばしばアウシュビッツや南京の被害と並んで取り上げられる。しかし、多くの場合、犠牲者の数の比較にとどまり、被害者一人一人の個性において表現されているわけではない。もし、30数万人の被爆者及び数不明の遺族・被爆二世などの原爆被害者が、手記を書く、つまり原爆被害への自らの思いを活字として遺すとすれば、それは貴重な「平和への道標」(1986年発行の豊中市原爆被害者の会の手記集のタイトル)となることであろう。 広島で原爆白書の作製が提案されて、30年が経過した。この間、原爆被害の実態解明の試みがさまざまな形でなされてきた。原爆被災資料広島研究会による原爆被災資料の所在確認作業、広島・長崎両市の原爆資料館をはじめとする公共機関による資料の収集・保存事業、10フィート運動による原爆映画の製作、マスコミ各社の原爆企画報道など、その量は膨大なものである。原爆白書にとって、これらの成果を踏まえることはもちろんであるが、なによりも重要なのは、原爆被爆者の体験を基礎に据えることである。その意味で、原爆手記の分析は、原爆白書の基礎と骨格を構築する作業といえよう。 被爆体験は、原水爆禁止運動・反核運動のエネルギーの源泉であった。また、1980年代からは、被爆体験の証言活動を中心とした被爆者運動は、日本の運動の中心的役割を果たしてきた。日本の運動を振り返り、運動の今後を展望しようとする際、原爆手記の分析は、多くの示唆を与えてくれるであろう。 |
私は、原爆手記分析が、当面の課題と考えていましたが、転職により、しばらく中断をせざるを得なくなりました。早いもので、新しい職場である広島女学院大学で、5回目の8月6日を迎えようとしています。着任当初の予定では、3年間は、新任校での教育と校務に専念し、4年目以降定年まで、原爆被害に関するテーマに取り組むつもりでおりました。この予定は、二つの点から狂ってしまいました。一つは、残念ながら、なかなか以前のようなまとまった時間が取れない日々が続いていることです。もう一つは、初年度から毎年、学生とともにヒロシマについて学び考える機会が予想外の形で起っています。
着任直後の2001年5月24日に、アメリカの提携校ランドルフ・メイコン女子大学との合同セミナーで原爆被害についての講演を行いました。新たな講義の準備に追われる日々を送っていた私にとって、それまでの自分の専門の仕事が認められる可能性を感じることができた貴重な体験でした。これ以後、本学恒例の原爆記念日の平和祈念式、キリスト教主義大学の学生を本学に招いて開いているジョイント8・6平和学習プログラムなど、原爆問題の関わる学内行事には、積極的に参加してきました。
2年目には、朗読劇「夏雲は忘れない」に被爆当時の学院長役で出演しました。この劇は広島女学院の被爆体験記集をもとに構成し、本学の原爆講座(1967年に始まり第36回目)で上演したものです。練習中、自分自身の手記理解の浅さ、追体験することの難しさを痛感し、寝付かれない夜もありました。さらに、本番でも緊張しっぱなしで、観劇した学生の話では、私だけが「ブルブル震えていてカワイカッタ」とのことでしたが、遺族・同窓生の参加も得て大成功でした。
3年目からは、「平和文化」(2003年後期のみ)、「ヒロシマ」(2004年度は夏季集中で関西学院大学との連携講座、2005年度からは前期と夏季集中)を担当しています。講座「ヒロシマ」は、関西学院大学の平和講座設置計画が、同大学の学生による平和公園の「折鶴放火事件」を契機に、女学院大学との連携講座として実現したものです。初年度には30人の学生を迎え、2年目の今年は倍の60人が来学し、8月6日を挟んで、本学の学生とともに学ぶことになっています。
このほか、中国研修(2002年8月、蘆溝橋・中国人民戦争記念館など)、韓国研修(2003年3月、戦争記念館など見学)にも参加することができました。
被爆60周年を前に、マスコミは被爆体験継承の困難さを指摘しています。昨年の8月5日に放映されたNHK「クローズアップ現代」では、関西学院大学での平和講座を聴講する学生の態度(=私語・居眠りなど)をクローズアップしていました。このように、継承の困難さの原因を、学生の側に求める意見もあります。しかし、これらの行事・講義に参加したほとんどの学生は、それぞれ深い感銘を受けています。私は、女学院での体験を通して、継承の可能性への確信を持つことができました。問題なのは、こうした機会が、教育の現場から消えていくことだと思います。
女学院大学赴任以来、原爆手記を系統的に収集し読むという作業はできずにいます。しかし、それでも被爆50年を超えて、400冊を超える手記(集)が発行されていることを確認しました。つい先日も、『爆心地中島-あの日、あのとき-』(元大正屋呉服店を保存する会・原爆遺跡保存運動懇談会編)が出版されました。手記などこれまでの出版物の記述を詳細に検討するとともに、新たに多くの証言を得て、爆心地である中島地域の被爆状況を明らかにしたものです。60年後の現在でも、かなりの証言を得ることが可能であることがわかりました。2004年に出版された中に『「原爆の絵」と出会う』(直野章子著、岩波ブックレット)、『原爆と寺院-ある真宗寺院の社会史』(新田光子著、法蔵館)があります。前著は、被爆の実相の普及に大きな役割を果たしてきた「原爆の絵」の全体像にはじめて向き合った経験の記録です。また、後著は、実家の寺院を中心に、その被爆状況や戦後復興のあゆみを多様な資料で明らかにした学術書です。直接の体験はなくても、被爆体験は新たな担い手により、新たな形で書き継がれています。女学院では、夏に向け同窓会が、新たに体験記集の出版を準備しています。また、女学院創立120周年を来年にひかえ、女学院の平和教育のあゆみをまとめる計画もあります。
今年になって、4半世紀前にまとめられた『広島原爆戦災誌』(全5巻、1971年8月~12月刊行)のテキスト版が広島平和記念資料館のホームページで紹介されていることを知りました。現在でも広島の原爆被害を包括的に取り上げたこの本は、しばしば活用されています。しかし、手記が多数出版されるようになったのは、この出版後のことであり、内容の不十分さが目立ちます。改訂版ないし増補版の作成計画が被爆40周年、50周年にあるかとも期待していましたが、そうした動きは生れませんでした。これまで書き残された体験記を今後生かしてゆく一つの方法として、『広島原爆戦災誌』改定・増補版の作成を提案します。ただし、本を出版することは想定していません。また、広島市にその作業を全面的に期待するものでもありません。具体的作業の一例をあげれば、広島女学院部分の改定・増補を、女学院の関係者がおこない、その成果をインターネット上で紹介することです。『広島原爆戦災誌』に取りあげられている各機関・団体でこの作業が行われたとすれば、広島市が、これらにリンクを張るだけで、とりあえずは改定・増補版が出来上がります。私は、この作業が本学の学生が中心となり、教職員・同窓生を巻き込んで進められることを期待しています。
自己紹介
1970年 広島県史編纂室、1976年 広島大学原爆放射能医学研究所、2001年より広島女学院大学勤務。広島県・広島大学では被爆資料の収集・整理・分析に従事。女学院大学では、生活科学部の芸術文化分野で講義「生活文化史」・「世界遺産」・「ヒロシマ」などを担当。
出典:『自分史つうしn ヒバクシャ』第150号(編集・発行:栗原淑江、20050710)
集中講義「ヒロシマと平和」20210805
関西学院大学の学生とともに集中講義「ヒロシマと平和」を実施しました
コロナ禍のため2年ぶりの開催となった、関西学院大学と本学合同の集中講義「ヒロシマと平和」(関西学院大学での開講名は「平和学特別演習『ヒロシマ』」)が、8月4日~8日までの5日間行われました。
本学の学生12名と関西学院大学の学生19名が参加し、新型コロナウイルス感染症の拡大防止対策をしながらの実施となりましたが、学生たちは常に真剣な表情で耳を傾けていました。
初日は、平和記念公園内の原爆に関する様々な記念碑をめぐり、広島平和記念資料館を見学したのち、ワークショップを行いました。
二日目は、本学の元教授 宇吹暁先生による講義から始まり、本学大学院の卒業生で被爆者の松本滋恵さんによる被爆体験講話、本学の元特任准教授 西河内靖泰先生による講義が行われ、原爆について聴き、学び、追体験する日となりました。
2021年09月02日活動報告
関西学院大学の学生とともに集中講義「ヒロシマと平和」を実施しました|大学からのお知らせ|広島女学院大学 (hju.ac.jp)

三日目にあたる8月6日(広島原爆の日)は、平和記念式典が始まる前の早朝に広島平和都市記念碑の祈りの列に並んだ学生もおり、10時からは広島女学院中学高等学校にて行われた広島女学院平和祈念式に全員が参加しました。
午後から翌日にかけては6つのグループに分かれ、事前にたてた計画に沿ってフィールドワークを開始しました。
最終日は、大学にて学びをまとめ、グループ発表を行いました。
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原水爆禁止2021年世界大会・広島デー<作業中>
| 出典:『しんぶん赤旗』2021年8月7日一面 |
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| 発言者 |
| 富田宏治(世界大会起草委員長)<主催者報告> |
| アレクサンダー・クレメント(オーストリア大使) |
| 松井一実(広島市長) |
| 箕牧智之(日本被団協代表理事)<被爆者の訴え> |
| 第1セッション |
| ベアトリス・フィン(ICAN事務局長) |
| カルロス・ウマーニャ(核戦争防止国際医師会議IPPNW副会長) |
| 武本匡弘(環境・気象変動活動家) |
| 目加田説子(地雷廃絶日本キャンペーン共同代表) |
| 第2セッション |
| ロラン・ニベ(フランス平和運動全国書記) |
| バク・ハヨン(韓国SPARK平和と統一を開く人々) |
| 佐久間邦彦(広島県原爆被害者団体協議会理事長) |
| 菅沢三郎(山梨県民の会) |
| 笠井亮(日本共産党衆議院議員) |
| **(新婦人神奈川県本部) |
| 島田千津子(北海道原水協) |
| 伊藤愛(函館原水協) |
| 「 広島からのよびかけ 原水爆禁止2021年世界大会・広島デー」(原水爆禁止世界大会実行委員会) |
| 原水爆禁止2021年世界大会実行委員会・同広島県実行委員会「ヒロシマから世界へ2021年―被爆者との連帯のつどい」 |
| 佐久間邦彦、矢野美耶子・切明千枝子・*土*奈・牧野一見・*野井 |
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